« 2004年02月 | メイン | 2004年04月 »

2004年03月28日

回転ドアーの事故

六本木ヒルズで回転ドアーに挟まれて子供が死亡した事故の記事を読んだ。同じ年頃の子供を持つ親としては、 いたたまれない気持ちになると共に、建築を造るということに身をおくものとして、あらためて身の引き締まる思いがした。 この事故の記事を読みながら、「危険」「安全性」「注意力」「効率性」というようなことに思いを巡らせた。

Share (facebook) 


2004年03月14日

コミュニケーションの技術

ここ数年、当社の住宅は、木造で建てる割合が多くなっているのだが、鉄骨造やコンクリート造の住宅もコンスタントに造っている。 現在も2件ほど、鉄骨造の住宅を施工中であり、3件ほど鉄骨造の住宅を計画中でもある。 コンクリート造住宅の施工は1年に1件ぐらいの割合であろうか。構造的なこと以外にも最近の流行として自然素材の家・無添加住宅・ 外断熱の家・ソーラーハウス・古材・・・・etc。

考えてみれば、当社は、こういう住宅が得意であるとか、こういう住宅造りを専門的に特化して造っている。というものがない。あえて言えば、 住まい手の方々にとって、機能的であり、個性的であり、感性に訴えかける何かがあり、使えば使うほど愛着のもてる素材がある。 そういう家造り、ものづくりでありたい・・・・と心がけてはいる。そして、そのためのひとつの技術として、木造や鉄骨造やコンクリート造・ 自然素材等々があったりする。

ただ、最近はそういう建築的な技術以外にもコミュニケーションという技術がますます大切になってきているように思える。 住まい手の方々とのコミュニケーション。これが最も大切で悩ましいことなのだが、それ以外にも、建築士の方々や、職人さん、社員等々。 コミュニケーションの大切さ、打ち合わせという技術の重要性を繰り返し繰り返し痛感する。

新しいものづくりにはITという技術は欠かせないと思う。当社でも4年ほど前からサイボウズ http://cybozu.co.jp/ というグループウエアを導入してコミュニケーションの技術を高めようとしている。 まぁ、必ずしも上手くいっているとは言えないが、それでも今やこれがないと社内の業務が一切成り立たないのも事実だ。

当社も伝統的な技術や新しい技術を駆使して、よいものを造るというものづくりのハートを持てるよう精進していきたい。と願うのだが・・・。 なかなか、世の中は思い通りにいかなかったりもする。

Share (facebook) 


2004年03月02日

残された座敷

昔ながらの座敷を残して新しい生活スペースと融合するリフォームを何軒か手がけている。 全てを真っ新な空間に造り替える作業も楽しいが、座敷と新しいスペースとを融合させる作業は、 リフォームならではの喜びと苦悩が味わえて格別に面白かったりする。

戦前戦後の大阪に数多くできた数寄屋風座敷は柱や長押、廻り縁、化粧垂木等々の部材が細い。「細い」ことが洒落ていて、粋であったりする。 大工も、繊細な木材を組み合わせながら「きっちり」と木組みすることに誇りを感じていたりもする。障子や襖、書院などに囲まれていて、 壁面積が少なくて、開放的でもある。

そんな座敷をリフォームする時の悩みは耐震性能である。出来るだけそのままの形で、手を加えずに残しておきたいのだが、 現在の耐震基準とは矛盾するところが多い。座敷のその姿を残しながら、どんな方法で補強するのが良いのか、 様々な試行錯誤を繰り返しているのが、現状でもある。時には構造設計を専門にしているプロに協力を依頼することも多い。 現在も大阪の北田辺で、木構造建築研究所の田原建築設計事務所  http://www4.kcn.ne.jp/~taharakn/の協力を得て昭和初期の住宅の座敷を残すべく耐震改修を主として、 作業を進めている。

座敷を残しながらのリフォームを手がけている時、何だか、庭を眺めるように、座敷を眺めている自分に気づく。 その昔の座敷と坪庭は一対になっており、内と外の良い関係性があった。座敷に座りながら庭を眺めて、自然や宇宙を、 ひいては自分自身の内面を眺めていたのだろうと思う。そして、今、リフォームで新しく造られた空間から、残された座敷、 柱や長押や建具を古い味わいを残しながらも綺麗に洗い、壁と畳は新しくなった座敷、会ったこともない大工さんが上質な材料を使って、 丹念に作り込んだ座敷、そんな残された座敷をまるで庭を眺めるように眺めていると、見失いがちになりそうな「何か」 を思い起こさせる役目を担っているように思えてくる。

Share (facebook) 


« 2004年02月 | メイン | 2004年04月 »