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2004年12月31日

我が家のヨン様ナイト

我が家にもヨン様旋風が押し寄せた一年だった。この年末に冬のソナタ完全版が放映されていた。夜10時をまわって帰宅すると。 私の食事はひとり黙々と食べるか、冬ソナを見ながら食べる・・・いやぁ、もう、 強制的にテレビの前で食べさせられると言っても過言じゃぁなかった。もう既に奥方の携帯電話の写真にはペ・ヨンジュが鎮座しているのだった・ ・・・・。なぜ、そんなに人気があるの・・・・なんて言い出してしまうと多くの敵をつくり出してしまいそうなので決して言わない・・・・・。

事の起こりは1年前の年末だった。奥方がNHK BSで始まった番組を見ろ見ろと珍しく必要に促す。 夜中にドラマなど見る気もしないのだが、何だかいつもと奥方の目が違うのだ・・・。そう、テレビ報道でも同じなのだが、 なぜかヨン様ファンをはじめ韓国スターに対する女性の目が違う。ご主人よ日本人よ、あなたがたは色っぽくないわねぇ・・・ なんていうニュアンスまで含まれていそうで、複雑な気持ちになってしまう。そんなわけで、ついつい冬ソナを見ることになってしまった。 見出すと以外にも次も見たくなってしまうのがドラマの出来の良さなんだろうなぁ。どこがええねん。なんでやねん。 とかなんとか言いながらも三分の二ほど見てしまったのだった。

放映が終わった後、直ぐに冬ソナのDVDをインターネットで手に入れて欲しいと頼まれる。どうも、朝、 昼の空いた時間を利用してもう一度見るらしい。というよりもどうやら「復習」するらしい。 そうこうしているうちに冬ソナの噂を聞きつけた複数の友人にそのDVDが渡り歩いていくことになる。それにもまして驚いたことは、 ヨン様に会いに行ったという事だった。あのヨン様来日フィーバーが起こる以前にも来日したことがあった。 東京に住む雑誌編集者の友人がその取材に参加するという情報を仕入れた奥方は、 何とその編集者の助手として東京まで日帰りで会いに行くと言い出したのだった・・・・。思わず私は奥方の年齢をゆっくりと思い起こした。 40オーバーだ。それも最近オーバーしたのではなく、結構以前にオーバーしているのだった。あらためてヨン様の顔と姿を思い起こしながら、 おそらく呆れかえった笑みで、ふーんと頷いていたのだった。 日本中にヨン様フィーバーが始まると友人の中でヨン様ファンとしての先輩風を少し吹かしながらもそのブームの行方を楽しみつつ、 私の目の付け所は正しかったと言い出す始末・・・・。もう、この頃になると、どこがええねん。なんでやねん。 とは言い出しにくい雰囲気まで出てくるから不思議だ。そして、完全版放映時にはこの場面はなかったわぁ。と解説が入る。

ドラマを見ていて感心するのは、チュンサン・・・。ミニヨンサン・・・。ユジン・・。サンヨク・・・。 と常にそれも頻繁に名前で呼びかけてから会話をしているように感じることだ。日本のドラマにはあれほどの呼びかけがあるのだろうか。 私たちは普段の生活で、あんなにキッチリと名前で呼びかけているのだろうかと。「おーい」とか「うちのヨメハンなぁ・・・」 なんて呼んでいることも多々ありそうだ。冬ソナを見て、なぜか私は「言葉遣い」ということを考えさせられてしまった。それは一年間、 このコラムを書いてみたことが関係していたのかもしれない。「言葉」というものの大切さ、表現とというものの難しさ。 言葉のもつ魔力をあらためて実感した一年でもあった。会社でも、言葉使いの乱暴さで、不愉快な思いを社員にさせたことが多々あったのかなぁ・ ・・とか。お客様への説明不足でご迷惑をお掛けしたこともあったなのかなぁ・・・・と。「思い」を言葉で表現することの難しさ。 と書きながらも「思い」と「想い」の表現に悩む私。日本語の難しさ。思いとはかけ離れて一人歩きしていく言葉。 言葉を大切にしていかなぁきゃなぁ・・・と。

この一年間の様々な事を思い出しながら今日、12月31日がやってきた。これを書き出した時にしていた雨音が気が付くと止んでいる。 しーんとした雰囲気に驚かされて窓の外を見ると雨が雪に変わっていた。この時期の雪は大阪では珍しい・・・・・・。

ご愛読いただいた方々。一年間どうも有り難うございました

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2004年12月12日

もう季節は師走だ。といっても慌ただしい様子は全く感じられない。冬が訪れるのだろうか? クリスマスや正月がほんとうにやってくるのだろうか?とそんなふうに思ってしまうような陽気が続いていた。そんな12月の3日のことだった。 夜、社長が、道行くおばさんが声をかけてきて、「今年は光を点けへんのですか?」と尋ねられたでぇ・・・と私達に告げた。そう言えば、毎年、 会社の前のエゴの木にイルミネーションを点灯しているのだが、陽気のせいもあってか今年は取り付ける日を決めていなかった。結構、 廻りの人にも期待されているのだなぁ・・・とちょっと嬉しくなって、俄然その気になったりした。

見知らぬおばさんの声援なんかを頂くと、ついつい調子に乗ってしまう。もう少し光の量を増やしたいと思った。 日曜日に大型スーパーに出向いて、イルミネーションを買った。「光」 というものへの興味も含めてLEDタイプのイルミネーションもついでに買ってしまった。6日の月曜日の夜、 社員皆で協力し合ってセッティングを始めた。鍋奉行じゃないが、イルミネーション奉行なんていう役割の社員もいて、あーだこーだ。そこ違う。 ここ違う。今年は下手だ・・・。このLEDを発明して何百億手にした人がいるのやなぁ。 などと皆でわいわいがやがやけんけんがくしながら設置した。そのさなか、道行くおばさんたちが「うわーきれい」 とかなんとか言ってやっぱり気持ちよくおだててくれる。まぁ、大阪のおばちゃんのおだて上手な口はあまり信用でけへんのやけどねぇ・・・・。

二台の自転車で通り抜けていくおばちゃんが「光って綺麗やねぇ・・・見てるだけで幸せな気持ちになるねぇ・・」 と会社の前を通り過ぎる一瞬に、言葉を残して去っていった。思わず我に返って頷いた。

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2004年12月01日

トッピング

コンサートのチケットを2枚もらった。その経緯はいろいろあるのだが、兎に角、もらった。それで、これまたいろいろな経緯の末、 高校3年生の長男とそのコンサートに行くことになった。  二人でコンサート会場に入った途端、 場違いなコンサートにきてしまったのかなぁ・・・・・とちょっと後悔した。すかさず息子が、会場中におじんおばんの臭いが漂っているでぇと、 何とも失礼なことを宣った。そんな言葉遣いを教えたつもりはないのだが、確かになぁ・・・ とこちらも思わず頷いて深呼吸をしてしまいそうになった自分を取り繕い窘めながら、自分たちの席を探しあてた。 シートに腰をかけて周りを見渡すとほとんどの人たちが50才以上のようだった。この中では私もかなり、若い方だった。 ましてや10代の若者ははほとんど見あたらない。男女の比率は女性の方がやや多いのだろうか、 よくよく見るとほとんどが60才以上のようにも思えてきた。軽い出で立ちでやってきた私達に較べて、皆がそれなりにお洒落だった。 何となくより深くシートに沈み込んだ。

コンサートが始まった。幕が開いていきなり演奏が始まった。JAZZピアノを中心として、 ビックバンドを背景にドラムとベースの組み合わせが3組ほど、それに管楽器やバイブやバイオリン・ギター等々が一斉に演奏した。 その迫力に何だかゾクッとした。暫くして多くの演奏者が舞台袖に引き上げ、ビックバンドを中心とした演奏になった。 流石に息子の趣味には会わなかったのだろう、コクリコクリと眠りだした。妙に親の責任なんてものも感じ、周りの人たちにも悪い気がして、 膝で息子の膝を突いてゆり起こした。それを数回は繰り返した。

ジャズピアノの演奏者を中心としたコンサートだった。年齢は70才近い。ピアニストを中心に歌手・サックス・ベース・ギター・バイオリン・ ドラム等々の人たちが入れ替わり立ち替わり出てきてセッションを繰り広げる。年齢も20代から80代までと幅広い。 その70代や80代のミュージシャンがしゃかりきに演奏するその姿が実に美しくて良かった。横に座る息子の目も輝きだした。 10代の若者にしてもその音楽やスタイルが好きとか嫌いとかはあまり問題ではなかったようだった。演奏を通じて伝わる「生きる」 というその姿勢にリアリティーと美しさがあったのだろう。

帰りがけ、二人でお好み焼きを食べた。鉄板を間に挟んでお好み焼きにソースを刷毛でぼたぼたと垂らしながら「人生」 というものをちょっとだけトッピングにして会話をした。

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