2005年06月26日

舞台裏

先日のビフォーアフターの放映を家族で見た。4人家族なのだが、長男は東京に住んでいるので、別な場所で同時に見たと言うべきか。 次男は私たちのそばにくっついて見ていた。始まっていきなり自分の家が出てくるので、かなり、「ぎょっ」とした。暫くして、 自分の姿が映ったので、直ぐにでも、ソファーから飛び出してどこか歩き回りたい衝動にかられた。テレビに出ている部屋に座って、 テレビ画面上のその部屋に座っている自分がそこに居て、テレビに映し出されている自分の姿を見ているという、 そういう自分がその部屋のいまここにいているのだ。という何とも不思議な状況だった。まぁ、でも、そこまではまだ、良かった。 暫くして奥方の姿がテレビに映し出された。いきなり「ぎやぁー」と奥方が大声で叫んだ。ほんとうに大声だった。 近所に聞こえるほどだったのではないだろうか。次男が「声が大きいでぇー」とやはり大きな声で叫んだ。「いやぁーあん、 年齢まで出ているやん・・・・・。」と・・・・。すると、東京にいる長男から早速、携帯メールで応答があった。「きしょー」っと。また、 何て事をいうんだ・・・。しかし、メールで応答する余裕などもう既になかったのだ。

「ぎゃぁーぎゃーぎゃぁーぎゃ」叫びながら見たので、後日会った人から「あの場面の・・・」と言われても、 あまり場面の事はよく覚えていなかったりするのだ。ほとんど、平常心では見られなかったと言うわけだった。次の家が登場したときは何だか、 「ほっと」した。まるで、結婚式のスピーチが早々に終わって、後はゆっくりと食事を楽しむだけだと言うような安堵感だった。 そうこうしているうちに、次の家族の子供の姿が映った。それを見た次男が突然叫んだ。「僕もテレビにでたかったのに、あの子は映って、 僕は映っていない。もう・・・・・いややぁ・・・・・!」とソファーに顔をうずめて、拗ね出したのだった。そして、 それ以降のテレビを見ずにどこかへ言ってしまった。「テレビにでたかったのか?」と聞くと。「うん」と大きくうなずいた。どちらかといえば、 私たち夫婦は、な~んとなく出てしまったのだけれど、一番テレビに出演したかったのが、次男のようであった。



テレビで映っている場面と時間は数分なのだけれど、それを撮影している時間はかなり長い。うちの家はまるまる二日間、撮影があった。 それにもう一日、別な日にまる一日かけて撮り直したりしていた。番組撮影のスタッフも大変な作業だなぁとつくづく思う。 それは建築を作っている時の現場監督と職人さんの苦労に相通じるものがあると思った。私が匠とおだてられてテレビに登場しても、 その裏では現場監督や職人さんが裏匠として、しかりと支えてくれているのだった。そしてそういう現場でのやりとりが、 ものづくりとしての何よりもの喜びであたりするのだ。同様に、ビフォーアフターの撮影スタッフとの一時は、ほんとうに楽しい時間だった。 ディレクターの方々もアシスタントの人もそれにカメラマンの人たちも、皆、素敵な人たちだった。私もスタッフに加えてほしいぐらいだった。 建築をやめて、ディレクターの一員加えてほしいくらいだったのだ。この場を借りて、 ビフォーアフターのスタッフの方々にお礼を言っておくことにしよう。ありがとう。

テレビでは静かな家に映っていた我が家だが、 普段は子供とその友達が家の中を駆けめぐっていて騒々しい。そんな場面を撮影しようかという話もあった。それで、 撮影日が日曜日となった3月のある日、子供たちは待機して待っていた。 私の妹の子供は我が家と庭続きにある実家に朝早くから待機していたのだった。しかし、撮影時間がおし、 子供たちにとっては幻の撮影に終わってしまった。ただ、それが、 次男にとってそんなに残念な事だったとは思いもよらなかった。 まぁ、 このページに登場してもらうことで辛抱してもらうことにしておこう。うちの次男と妹の兄弟が、もう日が沈んで、 すっかり暗くなってしまったキッチンでのワンショット。出番がなくもう家に帰らなくてはならなくなってしまった仲良しの3人だ。 その後ろに映っているのはディレクターの松永さん。キッチンの撮影もまだ少し残っていたのだろう。 テレビカメラが残されたままだった。この後のスケジュールをどうしようか悩んでいたのだと思う。松永さんご苦労様でした。

投稿者 木村貴一 : 2005年06月26日 11:27 « ゴッホ展とゴールデンウィーク | メイン | さらけだす »


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