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2005年07月31日

ツーショット

確か、先週の土曜日の夜のことだった。帰りが遅くなった。晩ご飯も食べていなかったので、12時近くの食事になってしまった。 次の日の日曜日にはちょっとした打合せもあったので、すぐに寝ようと思った。「ご飯食べて直ぐ寝たら牛になるでぇ。」 と母親や祖母によく言われたものだ。誰もが同じような経験をしていると思うのだが、 両親や祖父母に刷り込まれたそんな言葉はいつまでたっても不思議に残る。牛になってしまうというイメージがふっとやってきて、 そして通り過ぎていったのを良いことに布団の上にゴロっとなった。あぁ、このまま、ほんとうに牛のように太っていくのかなぁ・・・と、 脳裏が騒いでいたが無視した。寝室のテレビが付いていた。25時間テレビを放映していた。何気なく見た。そして、 そのまま寝ていこうと思った。画面では明石家さんまと島田紳助の2ショットだった。何気なく聞いていたのにどんどん引き込まれていった。 コマーシャルの間には目を瞑り、眠っていこうとしていたのだが、気がついたらまたテレビを見ていた。そしてついに最後まで見てしまった。 それほど面白かった。午前2時はとっくに過ぎていたと思う。

落語や漫才のように芸とかネタを披露しているわけではないのだが、その臨場感というのか、その存在そのものというのか、 その二人が一生懸命、楽しんで生きている。っというその事が素敵で面白いのだろうなぁ・・・・・・。嘗て、さんまが言っていた、 「生きてるだけで丸儲け」とは、確かに面白い言葉だなぁ・・・なんて思いだしながら目をつむたら・・・・ セミが大合唱する暑い夏の朝になっていた。

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2005年07月24日

臨場感

小学校3年の息子はサッカーが好きでサッカークラブに入っている。私は嫌いではないが・・・・。という程度だった。海の日の事だ。 試合があるので見に来い。と目で「命令」された。今まで一度も俺のサッカーをしている姿を見ていないのは一体どういう事だ。と。「父親」 として、いたいどういう事なんだ・・・・。そんなような事を目で訴えてきた。私にとって海の日は山の日でもあって、丹沢に誘われていて・・・ ・・。そういえば、お前とも昨年の海の日には一緒に丹沢に行ったではないか・・・・と。目で強く訴えかけたつもりなのだが、 全く通じそうにもなかった。当然見に来るやろな。と。そんな空気が充満した。それで、海の日の連休を利用してどこかに遊びに行こうよ。 というその事を言葉に出そうとしたら、「そやな、サッカーしてる姿見に行くワ。」と喋っていた「私」。

海の日の前の週のセレッソ大阪とアルビレックス新潟の試合のチケットを貰った。平日の夜、長居競技場での試合だ。仕事もある。 そんなに上手く時間がとれる訳がない。ぼく、プロのサッカーの試合、ほんまもん、一度も見たことないワ。と訴えかける息子。 そしたら私連れて行くワ。と言いながらも、もの凄い流し目で私の目を見て、「父親」やったら、子供のために見に行ってあげたらぁ・・・・・・ ・。と。そういえば、長男と一緒にサッカーを見に行ったことあったよねぇ。と。目を見ずそれとなく言い放つ。まぁ、 ちょっとした高等テクニック?を駆使しながらも訴えかける奥方。「も、も、勿論行くでぇ・・・」と思わず答えてしまっている「私」。

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競技場に入った瞬間。サッカーを映像としてしか見ていなかった私の脳は、ライトアップされた美しい芝生。応援団の大きな声。 スタンドの蒸し暑さ。ビール売りの声。試合開始を待つ観客の動き。臭い。喉の渇き。っと。五感でサッカーを見た。そして、その「臨場感」 に心地よさを感じた・・・・・。でも、この表現は何とも可笑しな表現かもしれないなぁ。映像や音をより「リアル」なものに近づけようと、 技術を駆使し、臨場感のある液晶画面。とか臨場感のあるスピーカー。なんて表現される事が多い。現実のサッカー場に居て、「臨場感」 が素晴らしい。なんて表現するのはやはり変なのかもしれない。それだけバーチャルな世界に取り囲まれていて、 バーチャルなものの中にリアルなものを感じようとし、リアルなものを見てバーチャルな・・・・・・。あー、わけがわからなくなってきた。 そんな事、もうどうでも良いかぁ。兎に角、気がついたら、にわかセレッソ大阪ファンになって、「セレッソ大阪!セレッソ大阪!」 と一緒に応援し、得点が入ると「ワー」と席から立ち上がり、拳をあげていたりするのだった。子供のことや奥方のことはそっちのけで、 充分楽しんだ。

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海の日、初めて、子供のサッカーの試合を見る。小学校の校庭には砂埃が舞い。兎に角、暑い一日だった。 自分の息子がベンチスタートだったりすると、何でぇ・・・・、なんて思う気持ちがわき上がってきたりした。へぇ、親の気持ちって、 そんなもんなんだなぁ・・・と。ボールを持ったら、行け行けと叫び。得点を入れようものなら、思わず大声で歓喜していた。そして、 そういう私の感情の往来を面白く思い。体験した。いつものように、試合の結果報告を聞くのとは、「臨場感」が違った。やはり、 五感でスポーツを観戦した。子供達と同じように喉が渇き、喉を潤した。

唐突だが、建築の「現場」が面白い。やはり「臨場感」があるのだ。体験がある。「設計」といものがもてはやされる世の中だが、より 「リアル」なものが現場にはある。「職人」とそれを見守る「現場監督」。現場監督も素敵な職業なのだと思うが、どうもいまひとつ人気がない。 キムタクがドラマの主人公で現場監督を演じてくれればきっと人気も出ると思うのだが・・・・・・・。えー、そんなことはないってかぁ・・・・ 。現場がコンピューターのように、指示するだけで完成されていくと、錯覚してしまいがちだ。しかし、なぜか、必ず、誰か、「見守る」 存在が必要だたりするのだ。やっぱり、リアルな世界は不思議だなぁ。「見守る存在」によって物事がようやく完成されていく。 そしてそんな過程を体験する事が面白い事だたりするのだ。辛い事もいっぱいだけどね。まぁでも、「生きているなぁ・・・・」 と実感したりするのもそんな時かもしれない。なぜか、「臨場感」を欲するのだと言う話。

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2005年07月18日

ウインク

相撲に興味があるわけではない。テレビを見ていたわけでもない。テレビの音声は聞こえていたが、 その時はインターネットで何かを検索をしていたのだと思う。朝青龍がついに負けた。というアナウンスが耳に入った。 へぇーどんな負け方をしたのだろうか。その負け方に興味がわいた。テレビの元に駆け寄った。別な部屋に居た奥方も同じだったのだろう、 同じようにテレビの元に駆け寄ってきた。小結琴欧州との対決だった。どちらも外国人力士なんだなぁ。土俵に外国人力士が向き合うと、 画面の色合いというんだろうか、何というのか上手く表現できないが、若貴時代の画面の色合いとは違うなぁ。と思った。 考えてみればテレビで相撲を見るなんて久しぶりだ。そうだ。いっその事、世界各国の力士で画面が一杯になった方が相撲も面白そうだなぁ・・・ ・。なんて思っている間に対決が始まり、琴欧州の強烈な上手投げが朝青龍を見事に投げ飛ばしたのだった。「朝青龍マゲがついてマケ」 なんて新聞には書いてあった。見事な負けぷりだった。その直後のテレビ画面には座布団がフリスビーのように飛び交っていた。 画面一杯に飛び交う猛烈な数の座布団。その中で悠然とした姿で軍配に手刀を切る琴欧州。ちょっと苦笑いをしながら花道を引き揚げる朝青龍。 冷静に見れば、やっぱり不思議なスポーツだな。

琴欧州のインタビューが始まった。外国人特有の派手なトークを期待したら、実に日本人的で相撲的で礼儀正しいトークだったのだ。 ちょっと拍子抜けし、そして油断した。その瞬間、画面に向かってウインクしたのだった。 外国人映画スターがするようなウインクを相撲取りがしたのだった。不意をつかれた。いやぁ、何よりも不意をつかれたのは横にいた奥方だった。 思わず「きゃぁー」と声を出して、顔を少し赤らめた。まるで自分にされたような錯覚に陥っていたのだ。 お互い思わず顔を見合わせて大笑いした。そして、なんだか琴欧州に好感をもった。う~ん。今、 テレビを賑わしている親方もちょっと余裕を持って、にたっと笑い、画面にウインクしてみてはどうだろうか・・・・・・っと。

相撲を見ると、おじいちゃんの事を思い出す。どこのおじいちゃんも似たり寄ったりだと思うのだが、猛烈な相撲ファンで、阪神ファンで、 時代劇ファンだった。相撲の桟敷席に座っているおじいちゃんおばあちゃんの姿をテレビで見つけては大騒ぎしていた。 その三つをあまりにもあまりにも始終見せられたので、高校ぐらいになると、三つとも大嫌いになった。 当時目新しかったアメリカンフットボールの放送がサンテレビだったか何かであり、カレッジフットボールをよく見た。 洋画のテレビ放映もほとんど全て見た。反発もあったのだろうなぁ。時代劇に反抗するように洋画を見た。

私が生まれた当時の横綱・栃錦に抱かれた赤ちゃんの姿をした私の写真が、長らく自分の部屋に飾ってあった。 母親が気をきかして飾っていてくれたのだと思う。ところが、 高校生の頃になるとそんな写真はロックスターや映画のポスターにとって変わっていた。横綱に抱かれた写真はどこかに消えた・・・・・・。 そして、そして、長~い永~い時間を経て、最近、ようやく、祖父母の「愛」というものを理解できるようになってきた・・・・・・。まぁ、 おじいちゃんの位牌に向かってウインクでもしようかなぁ・・・・・・。

 

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2005年07月10日

西瓜

九州に日帰りで杉材を見に行くことになった。お客様の実家の親戚が製材所をやっているので、出来れば、そこの木を使いたい。 という訳で熊本空港からレンタカーを借りて九州自動車道に乗り、 菊水インターで降りて山鹿市に向かう国道沿いにある米川製材さんという所にお邪魔した。米川さんは「綾杉」という地元の杉の良さを、 「日本で一番だと思っちょるけん・・・。」っと、屈託なく、明るく、強く話した。吉野の坂口製材でもそうだったけれど、 地元の杉をこよなく愛して、丹誠込めて製材する。そんな姿に好感を抱くなぁ・・・・・・。 

そのついでに、お客様の山鹿市にあるご実家にお邪魔した。馬刺しを食べさせていただいた。甘い。あまりにも美味しかったので、 帰りがけに、その地元のお肉屋さんで社員のお土産に買って帰った。その肉屋さん曰く、競走馬は使っておりません。地元熊本産です。 馬刺しの甘みは脂身ではなくて新鮮な赤身が甘さの・・・・と。木材にしても、馬にしても、後で話す西瓜にしても、 それはそれなりのこだわりと品質への追求があるのだな・・・と、あらためて思った。

田舎の広々とした縁側のある二間続きの座敷に、ノンビリ座り、馬刺しを食しながら、なぜか、西瓜の話になった。 お客様のお父様は西瓜を手でたたいて選り分ける仕事をしていたという話だ。 目の前に待ってこられた大きな西瓜を手のひらで叩きながら音を聞き分けた。「う~ん。カンカンという音がしちょる。ええ西瓜じゃが、 まだちょっと若いなぁ。」と言いながら西瓜のお尻を見る。「ここが出てたらアカン。へっこんでるのがええ。」「まっすぐ立ちよるか」 と置いてみて、立ち姿を眺める・・・・。手で叩く位置はこの辺りで・・・と。コンコンという音ではだめで、 カンカンという音がしないといけないらしい。ほー、と感心しながら音を聞くが、私にはカンカンとコンコンの違いは分からないのだ。 でも何だかカンカンという音にに聞こえてきたような気になったりするのだから、達人のオーラとは不思議なものなんだなぁ。

初めて知ったのだが、その地方の「植木の西瓜」というのは有名な西瓜なのだそうだ。。 国道沿いの西瓜屋さんで大きな西瓜をお土産に戴く。えー、飛行機やのに、手荷物で・・・・。あまりにも重たく、また、 そのまま持てばどこかにぶてけてしまいそうなので、段ボールの箱に入れてもらった。それでも上蓋はなかった。 熊本空港から伊丹空港へのANAの便の座席は40Gでかなり後ろの方だった。鞄を肩に掛け、 狭い機内の通路では西瓜を片手で持ち歩けないので両手で抱えるようにして持った。先日のテレビで見た、 貴乃花親方が遺骨を抱えているような、そんな姿にも思えてきて、自分自身の姿に笑いそうになった。 スチュワーデスが前にいるお客様の目を見ながら笑みをたたえていた。私にも同じように私の目を見て素敵な笑顔を振りまいてくれた。 が、ほんの一瞬、何を持っておられるの?、みたいな、ちらっと箱に目をやり、遺骨のような西瓜だと知った瞬間、 不思議さと笑いをかみ殺し、そして後続のお客様への挨拶と笑みをはじめたのだった。

前を歩いている乗客の方が手荷物を上の棚に収める間を待つ時間は、なお一層その西瓜が重く思えた。ようやく、 席までたどり着いた。 座席の下に置こうと思った。鞄を上の棚に上げようと考えたが、フライト中に何か見たいと思うかもしれないなぁ・ ・・と。そこで、 西瓜を上の棚に上げた。そして鞄を足下に置いたのだった。暫くしてスチュワーデスの方が棚の点検にきた。 棚を見ながら 「西瓜をお持ちのお客様は・・・」と晴れやかな声で訪ねた。私はちょっと照れくさく感じながら「ハイ」と答えた。 「上に置いておかれるとゴロンと転がって割れるおそれがございます。・・・」なるほど・・・。というわけで、 棚から降ろそうとするのだが、 重くて持ち上げられない様子だった。 私は席から立ってスッチーの替わりに棚から西瓜を降ろし、足下に置いた。すると 「本日は天候不良もあり足下は危のうございます。・・・・・」 確かに。 この熊本から伊丹への最終便は天候不良で往復する前の飛行機が着陸できずに空港周辺を旋回しており、危うく、欠航になる可能性があったのだ。 着陸の知らせがあった時は、待合いロビーでは拍手が起こったぐらいだった。じゃぁ、 西瓜はどうすれば・・・・。偶然、 私の隣の通路側の座席が空いていた。「ここにシートベルトをおかけして・・・。」 えー、ほんと。 という事で、 箱の西瓜は私の隣の席に座り、シートベルトをかけられることになった。 しかも箱だけではなく西瓜をくくっている紐にまで頑丈にシートベルトがかけられたのだった。


いくら有名な植木の西瓜といえども、飛行機の座席に座り、 シートベルトをかけられた西瓜はそうないだろうなぁ。記念撮影を撮ることにした。 本来なら座席から立ち、 スチュワーデスさんも交えて記念撮影。といきたかたのだけれど、そんな勇気を持ち合わせていなかったので、 離陸前にこそっと撮影をした。伊丹に到着してからも、機内の通路を、さも、大切なものを抱えるように持つ、 私の姿に目をやり、 中身をチラッとのぞき見して、頭より大きな西瓜を発見し、そして笑いをこらえるスチュワーデスさんのその姿を背後で感じながら、 空港に降り立った。同じように西瓜を抱え、 そのうえ、タマネギやシシトウなどの入ったビニール袋を手に持つ、同行したお客様の姿が、 まるで八百屋に買い出しに行った帰りがけの姿のようだなぁ。と空港でのお互いの姿を見て、心底、笑いあった。

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2005年07月03日

ゴッホ展とゴールデンウィーク

ゴッホ展を見に行った。大阪の中之島にある国立国際美術館だった。最近できた美術館のようだ。 大阪にある大型の公共施設は海外の設計者が意外に多い。どれもが大阪人の肌にあまり合わないなぁ・・・。親しみをあまり感じないなぁ・・・・ 。なんて思ってしまうのは私だけなのだろうか。この美術館も入り口に巨大なステンレスの兜のようなオブジェがあり、何だかピントこない。 まぁそんなことはともかく、ゴッホの絵を家族で見に行ったのだ。昼前に入館したので外で待たされることもなくスーっと入れたのだが、 展示室の中は満員だった。そしてどんどん人が増えてきた。小学生の子供は無料であった。建物を見たときの違和感のある印象とは裏腹に、 「タダ」ということに直ぐ、気分が良くなって、この美術館まで好きになりそうだった。相変わらず、「私」の心理は単純なのだ・・・・・。 解説用のヘッドホンを家族分購入した。確か、500円ぐらいだったかなぁ。「タダ」に気をよくしたと言うこともあったのだが、 解説付きで絵を見たかったのだ。子供にもそれを購入した。そしてそれにはちょっと理由があった。

ゴールデンウィークに東北旅行をした。大阪→北陸道→猪苗代湖→磐梯山→東北自動車道→青森(三内丸山遺跡) →八幡平→乳頭温泉→遠野→花巻→東京→東名自動車道→大阪という3000キロの車の旅だった。 ゴールデンウィークの東北は大阪に住む私にとっては「冬」だった。そんな風には思ってもいなかった。気軽に出掛けた。考えてみれば、 ゴールデンウィークに旅行するときは「南」を目指していた。「南」では「春」はすぎ、もうすぐ「夏」を予感させるような気候だった。しかし 「北」はまだまだ「冬」が残っていた。そして「春」が訪れようとし、「桜」が満開となり始めようとしている頃だった。 仕事を終えてそのまま車で家を飛び出し深夜に北陸道を走り仮眠をとり猪苗代湖に到着したのは昼頃だった。 残雪の磐梯山と猪苗代湖のコンビネーションが美しかった。疲れもあったので猪苗代湖でキャンプをすることにした。 キャンプをしているのはほんの3組ほどだった。そして、猛烈に寒かった。そこで、初めて気づいたのだった。東北はまだまだ「冬」 が残っているのだと言うことに。冬支度はしていなかったので、ありったけの服を重ね着した。 そんなわけでか仕事の疲れも重なってか風邪を引いた。そのうえ猛烈な花粉症にも襲われた。それが今も尾を引き、ちょっと調子が悪い。 しゃべり出すと咳き込んだりする。接客でご迷惑をおかけしているようだなぁ。この場を借りて言い訳を・・・・。

猪苗代湖の湖面は静寂につつまれていた。夕暮れ時。朝日が昇る前。それぞれに湖面の変化が美しかった。 特に朝日が昇るまでの鳥の合唱と湖面と磐梯山のハーモニーが素晴らしかった。そして寒かった。野口英世記念館に行くことにした。 なぜ千円札が野口英世なのかなぁっ・・・・と。なによりも野口英雄の生家のある場所は猪苗代湖と磐梯山が織りなす美しい場であった。 長屋が密集する私の生家の周りとは雲泥の差が・・・。家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」とナイフで刻んだ決意が残っていたり、 母校で成功の秘訣を聞かれた英世は「目的・正直・忍耐」という言葉を贈っていたりする。 手の火傷をバネにして自己と向き合い医療に励んだ姿が共感を呼ぶのだろう。何だか最近、聞かれなくなったような言葉だったなl。

風邪気味にもかかわらず、朝から温泉に入ろうということになった。裏磐梯を目指す途中の猪苗代アルカリ温泉とやらに浸かった。 休憩室で地元のおばちゃん達の会話に聞き耳をたててみるのだが、「何語をしゃべっているのか」全く理解できなかった。大阪のおばちゃんの、 ちょっと下品な言語に慣れ親しんでいる私の耳は東北弁のズーズーと流れる言語を聞き分けられなかったのだ。 ええように言えばヨーロッパのカフェに迷い込んだ日本人家族のようであった。よくよく辺りを見回すと畳敷きの長机で蕎麦を食べ、弁当を広げ、 湯上がりのほてった顔をタオルでぬぐい、ズーズーとダベる、実に日本的でのどかで、ゆったりとする時間でもあったのだ。 そしてやっぱり会話の内容は全く、ほんとうに全く理解できなかったのだ。

眠気が襲った。仕事を終えた直後からの長距離運転。体調不良。キャンプ。寒さ。なのに温泉。ズーズー弁。 様々な要因が重なって眠気が襲った。裏磐梯にある諸橋近代美術館の駐車場にたどり着き昼寝をすることにした。駐車場には残雪があった。 2時間近くも家族全員で昼寝をしてしまった。目が覚めたのは現場担当の岡村君からの電話があったからだ。ちょっとドキッとした。が、 大事に至るような用件でもなく、かなりほっとした。東北の、 とある駐車場で休み中に働く大阪の現場からの電話に対応するという不思議なシチュエーションにちょっと申し訳なく思いがら、 その労をねぎらった。もう昼も3時近くになっていた。

眠気覚ましも兼ねて、美術館に立ち寄ることにした。何が展示されているかも知らずに。ダリがメインだった。 特別展示としてシャガール展だった。そして今まさに解説員によるシャガールの解説が始まろうとしていたところだった。解説を聞く4、 50人ほどの団体の後ろに何気なく、くっついて行った。ドラマにでも出てきそうな如何にも解説員というような風体の素敵なおじさんだった。 解説付きで絵を見るのが初めてだった。そしてそれが思いもよらず楽しかったのだ。 絵よりもサッカーが大好きな小学生の次男もその解説を楽しく聞いた。最後は皆から大きな拍手が湧き起こった。勿論、 私も奥方もそして次男もしっかりと拍手をしたのだった。そうそう、ダリも良かった。その風刺としゃれっ気が良かった。 それに一つの部屋に20世紀の巨匠20人展と題してセザンヌ・ルノアール・マチス・ピカソ・・・・等々、 1点ずつ展示されているのがそれぞれの個性の違いがわかって良かったなぁ。っと付記しておこう。

いゃあー、話が長くなった。そうだ。解説付きで絵を見るのが楽しかったのだ。それで、 ゴッホ展でヘッドホンの解説を是非聞きたいと思ったのだった。生身の解説ほどではないかもしれないが、 それでも解説付きで絵を見てみたかった。今までは耳を切ったりと精神的に病んだ後半生の印象が強かったのだが、 展示の構成の仕方とその解説に助けられてか、生身のゴッホに触れたような気がしたなぁ。展示されてある創作活動の過程を見ているうちに「守」 「破」「離」という日本古来の、その「道」を極める言葉がちらついた。ゴッホの地道な努力の過程を垣間見て、「私」 までエネルギッシュになった。

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