2005年10月02日

遠慮

今日は、秋がやってきたはずなのに、まるで、夏のような暑さだった。確かに、空を見上げると秋を感じさせる青空ではあったけれど、 Tシャツで過ごしていても汗をかいた。そんな暑い秋の日曜日に小学生になる子供の運動会があった。そういやぁ。昨年も同じように運動会の事を書いたのだが、 読み返してみると、今年も相も変わらず、同じような事を同じように感じている私がそこにいた。

子供の頃、私も通った小学校を見渡した。その公立小学校を卒業して34年ほどがすぎた。ほとんどの校舎が建て替えられていた。 公共工事というものが経済の牽引力になっていた時代だったのだなぁ・・・・・・。そして、時代は変わろうとしているのだなぁ・・・・・。 同級生や町の顔見知りの人たちに会い、挨拶をする。そして、あたりを見渡す。子供達の歓声。どことなく照れて、遠慮がちの小学生達だった。 元気なのだが、もっともっとエネルギーを外に解き放つことができそうでいて、何となく、遠慮している、そんな感じだった。

それは、私たち見物席に座る親たちにも共通の事だったのかもしれない。大きな拍手を送りたいのに照れと遠慮があたりに充満していた。 素直な祝福を送ることが出来ないでいた。そういえば、この運動会の始まりは、国旗掲揚ではなく、代わりに小学校の校歌が流れ、 それも無言のうちに校旗が掲揚されるのを見守ることからこの運動会が始まった。何だか変な雰囲気だなぁ。あー、 最近は国歌も校歌も歌わないんだなぁ。と思っていたら、次に校歌斉唱があって、子供達の元気な歌声が運動場に響いた。思わす、 私も昔懐かしく、口ずさんでしまった。

また、あたりを見回した。そういえば、どことなく、先生方に元気がないような気がした。きっと「公立小学校の先生」 という職業も大きな岐路に立たされているのだろう。「先生」という職業にとっても難しい時代なのかもしれない。考えてみれば、 小学校の先生が子供に遠慮をしている。というよりもその背後の私たち親に遠慮をしているのかもしれない。 問題を抱えているのは親の方なのだろうか。私たち親が先生にへんなプレッシャーを与えているのだろうか。かつて、 威厳を持っていた学校の先生がほんとうに遠慮がちに見えた。もはや、威厳などは必要としない時代かもしれないが、 私たちの子供達にとっての良き道先案内人であってほしいなぁと思わずにはいられなかった。あーー、それと、子供たちや親たちに、「元気」 も振りまいて欲しいなぁ・・・・・・と。

思わず、自分達の職業である建築を振り返った。設計者という立場にとっても、現場監督という立場にとっても、 職人という立場にとっても、今まで以上に、お客様の事を考える時代なのだ。と、あらためて思った。そして私たちもこんなに「元気」 のない姿でお客様に接しているのだろうか・・・・。「我がふり直せ」と背後で声が聞こえたような気がした・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2005年10月02日 22:32 « 栗 | メイン | 潰れてほしい家電製品 »


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