2005年10月10日

テーブルの上に天津甘栗が置いてあった。久しぶりなので、「栗の食べ方」 に順って栗の腹に爪を立て親指と人差し指で力強く挟み込みながら栗を割った。愛嬌のある、あの栗の形に出会えると思ったら、 半分に割れてしまっていた。「なーんや」とほんとうに思わず叫んでしまった。 綺麗に栗がむかれて出てきた時の何とも言えぬあの快感を味わいたかったのだ。くだらないといえば、本当にくだらないことなのだけれどね。

それから、意地になって栗をむき、そして食べ出した。その姿を遠くで眺めていた子供が近寄ってきて、真似、そして剥き出した。「俺、 そんなに上手いことむかれへんワー」生意気に、「俺」なんて言葉を使う年になってきたのだ。 「何でも経験を積んでいくうちに上手くなるもんや」となだめる。そして、綺麗に剥けた栗をさも自慢げに見せながら子供にあげる大人げない私。

何だか、無性に美味しくなってきた。その二人の姿を片付けものをしながら眺めていた奥方が割り込んで入ってきた。そして同じように 「栗の食べ方」に順って栗を向き、綺麗に剥けた栗を皆に自慢し、そしてむしゃくしゃと食べに食べた。暫くして子供が 「2回続けて綺麗に栗を剥けた者が勝ち」なぁ~んて云うルールを作りだし、天津甘栗を食べることが遊びと変化していった。 何であれ面白いものを遊びに変えてしまうという子供の持つ潜在的な能力を興味深く感じながら、勿論、私は、大人げなく、 2回続けて綺麗にむけた栗を自慢したりするのだった。「凄い」と子供に感激されたりすると、妙に複雑な心境に陥るのだった。 気づいたら袋の栗はなくなっていた。

家族で顔を付き合わせて、意地になって栗を剥き、そしてむしゃくしゃと栗を食べる様子は「日本的な光景」なのだろうか・・・・・?  思わず、縄文人と栗の関係性を思い浮かべた。縄文時代には栗を栽培していたと先日訪れた三内丸山遺跡には書いてあった。縄文の家族は、 藁葺き屋根に覆われた竪穴の土の上で、栗を剥き、食べながら、会話をしたのだろうか・・・・・・。焚き火をして、顔が白く照らされるのを 「面白い」というのだぁーと、酔った席で誰かが誠しやかに語ったことがあった。 栗を食べながら縄文人たちは面白い生活を送っていたに違いない・・・・・・。

中年太りというものが私に限ってやってくるはずもないと考え、自分の体は逆三角形のまま一生行くのだと信じ切っていた若い頃、 ガールフレンドがケーキを注文するとなぜか、マロンが入ったケーキを注文することに気づいた。 たまたまデートした女の子がそういう子ばかりだったのかどうかは今では全く聞きようもないのだが、女の子の注文するケーキは十中八九、 マロン系だった。そうだ。きっと、縄文と栗と日本女性の間は赤い糸で結ばれているのかもしれないなぁ・・・・・。

 

投稿者 木村貴一 : 2005年10月10日 08:52 « 一杯のかけうどん | メイン | 遠慮 »


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