« 2005年12月 | メイン | 2006年02月 »

2006年01月29日

有頂天

朝から子供がサッカーの試合に出かけたので、その試合を見に行かずに、夫婦で映画を見にいこうということになった。 何時の日か息子がこれを読んだら、あの時、俺の試合を応援せんと、ほったらかして、映画になんぞいきあがってぇー・・・。 なんて言われるのだろうなぁ・・・・。そんなことで良いのかどうか、自責の念もチラッとはかすめるのだが、まぁ、 そんな罪悪感は軽くやりすごすことにした。

なんでも「有頂天ホテル」という映画に行くのだぁ。 といって、奥方が前の日にチケットを手に入れた。全てが予約席で、良い席はどの時間帯も一杯でぇ・・・ということらしい。 ママチャリにそれぞれまたがって、布施というところにある、こぢんまりした映画館に行った。確かにその映画館ビル全体が賑わいでいた。 向のホールで上映されているのは「三丁目の夕日」だった。そちらも満員だ。それなりに良い日本映画が沢山作られているのだなぁ・・・ と感じた。そっちの映画も見たいなぁと横目でチラッと覗き込みながら、おきまりの、ポップコーンとコーラを買って、映画館の座席に着いた。 回りを見渡すと、中学生くらいの二人連れの女の子から熟年カップルまでと、客層の幅が広いのに少し驚き、そして、 三谷幸喜が少し羨ましくも思えた。うちの工務店も、幅広い客層に答えればなぁ・・・と。

近頃は、映画館の座席のシートがすごく良くなっているよなぁと、あらためてそう思った。ホールも馬鹿でかいよりはちょっと小さい目で、 画面もほどよく大きくて、音響も馬鹿でかい音でなく、それなりに心地よい音で迫力があり・・・と。やはり、 DVDをレンタルして見るホームシアターとはまた違って、集中して映像を見ることが出来て、 映画館には映画館としての楽しみと良さがあるのだなぁ・・・。なんて、今頃、気づいたりして・・・。

上映が終わって、それなりの感動で胸をいっぱいにしながら、ママチャリのペダルを漕いだ。 その姿を眺めながら同じくママチャリを漕ぐ奥方が言いはなった。「やっぱり、佐藤浩市はカッコええワ。あんな風に年とってほしいもんやワー」 っと。えー、「有頂天ホテル」を見た感想の第一声がそれかよぉ。想定外の感想にあたふたしながら、俺と佐藤浩市を比べるな! と強くペダルを漕いで奥方を抜き去った。

 

Share (facebook) 


2006年01月22日

冬の日差しを楽しむ

今朝の大阪は寒い。
でも、快晴だ。
冬の朝の日差しが心地よかった。
RIMG0056
RIMG0042
RIMG0041
RIMG0063
RIMG0064
RIMG0067
RIMG0068 
RIMG0071
RIMG0069
RIMG0073
RIMG0074
RIMG0035
RIMG0016
RIMG0015
RIMG0017
RIMG0018
RIMG0087
RIMG0062
RIMG0034

RIMG0006
RIMG0009
RIMG0008
RIMG0033
RIMG0004
RIMG0005
RIMG0007
RIMG0027
RIMG0025
RIMG0028
RIMG0013
RIMG0010
RIMG0011
RIMG0012
RIMG0037
RIMG0038
RIMG0036
RIMG0040
RIMG0043
RIMG0082
RIMG0110
RIMG0081
RIMG0014
RIMG0095
RIMG0093
RIMG0075
RIMG0076
RIMG0100
RIMG0101
RIMG0066
RIMG0024
RIMG0022
RIMG0026
RIMG0031
RIMG0030
RIMG0085
RIMG0084
RIMG0097
RIMG0096
RIMG0057
RIMG0058
RIMG0059
RIMG0060
RIMG0061
RIMG0099
RIMG0083
RIMG0051
RIMG0052
RIMG0053
RIMG0049
RIMG0044
RIMG0045
RIMG0046
RIMG0047
RIMG0123
RIMG0126
RIMG0111
RIMG0112
RIMG0113
RIMG0114
RIMG0118
RIMG0115
RIMG0116
RIMG0117
RIMG0127
RIMG0109
RIMG0128
RIMG0122
RIMG0077
RIMG0104
RIMG0133
RIMG0132
RIMG0105 RIMG0130 RIMG0131 
写真を並べながら思った。
冬 の日差しを楽しみ、
夏の日陰を楽しむ家。
そんな家造りが出来ればいいなぁ・・・と。

 

Share (facebook) 


2006年01月15日

無垢という質

無垢材の床の感触が心地よいなぁと感じる。それは無垢材という「見た目」から受け取る印象が心地よいなぁ・・・ という感覚とはまた違って、触れて、伝わる「感触」として心地よいなぁと思う。なぜか、よく判らないがそんなふうに感じるのだ。 そしてそれが、床材の種類によってその感触がまた違う。それぞれが個性を持っているのが面白いなぁと思うのだ。国産の「杉」「ヒバ」「檜」 「から松」「楢」「栗」・・・外材の「チーク」「パイン」・・・etc・・・ 目をつぶって当てろと云われても正確には当てられないだろうけれど、それなりの感触の違いがあり、それが魅力的だと思う。

ところが、無垢材の床といっても合板の上に無垢材をスライスした単板を貼ってあるのがある。例えば15mmの床材があるとすれば、 3mmほどの単板を貼り、残りの12mmが合板で出来ているという床材だ。じゃぁ、15mmがまるまる無垢で出来ているのと何が違うのぉ・・ ・ていう訳だ。無垢材は「縮む反る捻る」と、まぁ、なんというか生身の人間の心のようなものだなぁ・・・。合板で出来た「見た目」 無垢材はそんな現象は起こらない。というよりそんな現象が起こらないように矯正し整形してあるわけだ。見た目を残し、 内面に宿る個性を殺してある。そのまんま無垢材と合板で出来た見た目無垢材も確かに「見た目」はよく似たものだが、 触った時の体感温度が確かに違うのだ。機会があればふたつを同時に比べて欲しい・・・。無垢材独特の感触の暖かさがある。 無垢の床の厚み全てが呼吸をしているというような感触かな・・・・。 合板の床材には例えば3mmの厚みの呼吸しか感じ取れないと云っても良いのかも知れない。

ところが、ところが、この呼吸をしている無垢の床材の上に厚塗りのウレタン塗装を施した製品もある。そうすることによって、 手入れをしやすくしようというわけだ。それに光沢を持たそうともするわけだ。それはそれで、それなりに理解はできる。確かに手入れがし易い。 簡単に拭けば終わり。っというので、便利だ。ところがところがところがでぇ、 ウレタン塗装をしている床とそのままの無垢の床とを同時に触れてみると、ウレタン塗装をしている床は、はっきりと「冷たい」。 呼吸を止められて死んでしまったかのような感触さえする。良いとか悪いとかの問題ではなく、「感触」が違うのだ。そこで、 無垢の床材の呼吸を止めないようにと植物性で浸透性のある塗料が使われる場合も多い。オスモとかリボスとが云われる塗料が有名だなぁ。 それをお手本にした国産の塗料も沢山出回ってきた。

無垢の床材を塗装するかどうかも悩ましいところである。まぁ、一般的には自然塗料とか云われてる塗料で塗るのが普通だろうが、 無垢の床材は塗装しなくても別にかまわないのではないのかと思うことが多い。わたしたちは、昔ながらの美装業者を「洗い屋」 さんと呼んでいるのだが、その人達に塗装されていない無垢材を上手に洗ってもらうと新品のように美しくなる。 新品というより洗いざらしのジーパンのように風合いの良さを保ちながら綺麗な床材になる。それが何となく好きなんだなぁ・・・・。 リフォームの時、床や柱や梁という無垢材を「洗い屋」 さんによって洗いざらしのジーパンのような感覚でウオッシュしてもらうのもお勧めだなぁ・・・。(あれぇ、前にも書いたっけ?)

さて、自邸をリフォームした時、子供部屋の床をどうするか考えた。工務店らしくといえるかどうか・・・、兎に角、 今まで使って余った床材ばかり集めてコラージュして貼ることにした。無垢材もちょっとはあるが、 ほとんどが合板で出来たフローリング材だった。子供部屋やし、まぁ、そんな程度でええかぁ・・・っと。他の部屋は皆、無垢の床材だった。 「杉」「栂」「チーク」など。1年ほどすると息子がブツクサ文句を言い出した。差別やぁ・・・と。俺の部屋だけ床冷たい・・・と。 「他の部屋は無垢材やから直接座っても気持ちええけど、俺の部屋は直接座ったら冷たいでぇー。カーペットでも敷いてくれぇー」と。

ケチらんと子供部屋の床も、安もんでもええから無垢材にしておけば良かったかなぁ・・・と、それなりに反省している。子供達にこそ、 「無垢」という感触に親しみ、「無垢」という感覚を学び、「無垢」という質を育てていく必要があるのではないのかなぁ・・・・と。

 

 

 

Share (facebook) 


2006年01月08日

玉串奉奠

社員全員がスーツ姿で勢揃いして新年の挨拶する日、それが当社の仕事始めの日となる1月6日だ。「現場」 を中心に動く小さな工務店の社員のスーツとネクタイ姿を見るのは入社当時の面接以外ないのではないのかなぁ・・・・。兎に角、 正装をして皆で新年の挨拶をかわす。それはそれで、当社の中で長らく続く良い「しきたり」だと思うのだ。2時間ほどのミーティングをし、 皆で一年の抱負を語り合い、その後、地元の神社へ参拝する。そのあたりのくだりは、前にも書いたかな。 玉串奉奠 (たまぐしほうてん)という儀式をする時だった。席をたった瞬間、腰に違和感を覚えた。ぎく・しゃくした。 老人のような腰つきで歩くのを何とか、ぐぅいーっと修正しながら歩き、パンパンと柏手をうって、玉串を奉奠した。

今年は雪が多いということもあり岐阜の鷲ヶ岳スキー場に出かけた。私事になるが、 というより私事ばかりつらつらと書き並べて、「まぁ、聞いてよね」というのがブログなのだけれどね、長男と次男が10歳離れている。で、 10年前に長男とこのスキー場に来たときはスノーボードはまだ、ほんの少しだった。どちらかといえば、スノーボーダーはまだ、 邪魔者扱いのような感じだった。ところが、今はスキーの方が少なくてスノーボードの方が圧倒的に多い。何だか、スキーの方がダサイ (もう死語かな)って感じだ。この10年の変化は大きい。ホテルの夕食だって、ディナーのような雰囲気から、バイキング形式に変化していた。 確かにこの方が、お腹いっぱい食べられて、子供は喜ぶ。内容もそれなりに豪華だ。でもなぁ・・・・っていう気持ちも沸々と湧いてくる。 もう少し「落ち着いた雰囲気」で食事をしたいなぁ・・・。ライトアップされた雪景色などを見ながら・・・・なんて思うのはすでに、 年をくった証拠なのだろうかなぁ・・・・・。それよりもなによりも、この10年間でもっとも変化が大きいのは46歳になる私の肉体だった。

10年前に長男とスキーを滑っている時は筋肉痛はあくまで、筋肉が少し張っているという程度の感覚だった。ちょっとだけ「痛」 だなぁという程度であった。ところが、今、次男と滑る私の体からはもはや「痛」を通り越し、肉体からの「悲鳴」を聞いたのだった。 確かに筋肉が嘆いている声を聞いたのだ。リフトに乗っている時、リフトの滑車が支柱のあたりで響く、 ガタガタいう音に同調するかのように筋肉がギャーギャーとわめいていたのだった。

この40歳台とは中途半端な年齢でもある。若くもなく年寄りでもなく・・・・。40台前半はまだまだ「若者」よりだった。 ところがどうだろう、40歳の後半、しかもリフトの上で、自分の「老い」の姿をはっきりと垣間見た。 なんだか見てはいけないものを見たようだった。筋肉が衰えだし、「きしみ」だしていく様子を垣間見たのだった。それまで、幾分、 観念的だった「死」というものが着実に「肉体的な死」というものに向かっているのだと実感してしまったのだ。え、ちょっと、 大げさすぎるって・・・。しかし、 その肉体的衰えに反発するようにこころは若々しいままで生きたいものだという思いが湧いてきたのも事実だった。 この中年という年になると不思議に青春時代というものを振り返ってしまう。なぜなんだろう。まぁ、そんな出来事のひとつが先日のブログにも書いた。 それなりに一生懸命青春を生きたのだろうか・・・と反省するのだろう。 青春をよく生きたかどうかが役に立つのはこの年齢以降になってからなんだろうなぁ・・・・っと。この年齢以降、 こころに活力をあたえてくれるのが青春時代の生き方なんだろうなぁ・・・って、いまじぶんに反省してもなぁ・・・ もうどうしようもできないしなぁ・・・・なんていう嘆きも、あの時の肉体の悲鳴に含まれていたのかもしれない。

それにしても、我が肉体には逆らうように、せめて、 こころは若々しくありたいものだと願う一歩が老人のような腰つきの玉串奉奠であったのだと思うことにした。

 


 

Share (facebook) 


2006年01月01日

伝統的文化と過ごすお正月

大阪のお正月の朝は快晴で穏やかな日和だった。朝8時頃、家族揃って、近くの清見原神社に初詣に出かけた。 親しくしている宮司さんと新年の挨拶を交わそうかと思ったのだが、 徹夜明けで、お休みの様子だったので、またの機会にすることにした。家族4人が揃うのも久しぶりだった。庭続きの実家で「おとそ」をした。 毎年の恒例のいわゆる我が家の伝統的な行事だ。最近はこれもなかなか良いものだなぁ・・・と思えるようになった。学生の頃は「伝統」 なんていうものや、祖父や父への反発心などもあり、我が家にとってはそれなりに大切な「おとそ」を何回となくすっぽかした。今にして思えば、 亡くなった祖父にとっては楽しみな「行事」であったのだろうなぁ・・・悪いことしたなぁ・・・などと、自分の子供が18歳ちかくになって、 ようやくそんな気持ちが湧いてきた。

RIMG0116ほとんど、一年に一度しか使用しない座敷に両親と弟の家族と私たちの家族が集まって、 皆で、「あけましておめで とうございます。」と挨拶を交わした。親しき仲にも礼儀あり。なんてとこだろうかな・・・・。 そうそう、今、これをお読みの皆さん、明けましておめでとうございます。旧年中、ご愛顧いただいた皆さん、 どうも有り難うございました。本年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

「おせち」をどうするかも、それなりの問題ではある。まぁ、私は食べるほうの立場ではあるのだが、家で作るのと買うのと、 どうしようかなぁ・・・・ってわけだ。田作(ごまめ)や黒豆は母親のが美味しいなぁ・・・とか、吉兆のおせちでも・・・ なんて思ったりもするが、高価やしなぁ・・・とか、時には中華のおせちもどおかなぁ・・・とか、それはそれで、ちょっとした楽しみでもある。 毎年、大晦日に黒門市場に行って鯛を買うというのが、おじいちゃんの楽しみでもあったので、その「伝統」 はそれなりに今も受け継がれていたりするのだ。今年は親父の趣味かぁ「おとそ」がワインになっていたりして、う、う、う、やはり、 赤い杯に日本酒がぁ・・・と思わないでもなかったが、赤ワインということで、時には変化もあって、良しとするかな。

別に伝統に拘ったわけでもないのだが、羽子板を子供達としてみた。羽子板の「木」に羽根の丸い「木」があたる「音」が心地よい響きで、 穏やかなお正月の青空とマッチしていた。羽根が優雅に舞い降りる姿に心が奪われて、一瞬、時が止まったような感覚に陥るあたりが、 バトミントンのようなスポーツとの違いなのだろうなぁ・・・。スポーツとは違う「楽しみ方」があった。ついでに、独楽まわしもした。 子供に紐の巻き方を教えたりしながら、久しぶりに独楽を回してみると、いきなり、すっと手のひらに乗った。ちょっと子供に対して、 自慢げにする親としての私・・・・。ここまできたら、ついでにたこ揚げをしようということになった。まぁ、あとは福笑いが残るぐらいかなぁ・ ・・と思いながら、私の弟や妹の子供達を連れだって会社の屋上にあがった。それはそれは、 気持ちの良いぐらいの青空と穏やかで無風の日和が大阪全体を包んでいるようだった。少し凧を揚げる真似事をしたが、直ぐに諦めた。 子供達のなんでぇ・・・、もうちょっと・・・っというブーイングを今日の日和のごとく穏やかに無視して、「無風じゃぁ、 やっぱり凧は揚がれへんでぇー」っと、捨て台詞など残しながら、そそくさと退散した。

夕方からはおじいちゃんの墓に家族で参ったあと、奥方の実家に行き、奥方の両親や兄弟やその子供達と賑やかに「おとそ第2部」 を楽しんだ。今年のお正月は私たち家族にとっては、実に、伝統的な雰囲気のお正月であった。これなら、着物でも着たら良かったかなぁ・・・・ なんて考えながら、時には「伝統的文化と過ごすお正月」も良いものだなぁ・・・・・と。

そうだ、そうだ、最後になてしまったが、もう一度ご挨拶を・・・・。

当社で施工させていただいた方で、これをお読みの皆さん、良いお正月をお迎えでしょうか! ご家族の皆さんにとっても、「家」 にとっても素敵な一年でありますように・・・・(*^_^*)。

私と面識のある方でこれをお読みの皆さん、明けましておめでとうございます。お会いする時にはお互い笑顔でお会いしたいものです。 良い一年でありますように・・・・・(*^_^*)。

そして、そして、お会いしたことは一度もないけれど、このブログをお読みの皆さん、どうも、お読みいただき有り難うございます。また、 新年明けましておめでとうございます。何かのご縁があって、出会う機会があれば、その時は是非、笑顔でお声がけください。

皆様にとって素敵な一年でありますように・・・・(*^_^*)

 

 

Share (facebook) 


« 2005年12月 | メイン | 2006年02月 »