2006年09月17日

地鎮祭とイナウ(北海道の旅その6)

RIMG0024RIMG0020昨日、よくいうところの狭小間口の敷地で、地鎮祭があった。 2間間口のテントが敷地の中に収まるかなぁ・・・どうかなぁ・・・と現場監督が心配するほど、間口の狭い敷地で、 ぎりぎりいっぱいだった。いつもは2間×4間のテントの2間側を南北に向けて設営するのだが、 この敷地は間口が西に向いていたので、いつものようにテントを設置することが、できなかった。

いままで、かなりの数の地鎮祭に出席させていただいているが、確かに、もっとも間口が狭い住宅のひとつだなぁ・・・・。そういえば、 地鎮祭で、テントを設営できない敷地が数件あって、それらは、山の斜面で、木が生い茂っていて、テントどころか、 人間がまともに立てる場所を探すのすら難しい状況だった。

RIMG0019今から7、8年ほど前に建てた「今田町の家」 を思い出す。山の中に地鎮祭の祭壇だけが、かろうじて設置できる平らの場所を見つけて設営し、参列者は山の斜面で、 木にもたれかけながら、何とかまっすぐ直立しようとするのだが、斜面の方に向かって体が傾いて、 何ともアンバランスな状態で神主さんの祝詞奏上を聞いていたのだ。私の身体には、その時の体の記憶が、 いまだに刻み込まれているなぁ・・・。この写真は、前述の狭小間口の家での地鎮祭の祭壇だ。御幣といわれる神に捧げる備え付けが中央にある。 「今田町の家」ではこれを設置できる平らな場所すらなかったのだ。この「狭小間口の家」では、 2間×4間のテントを南北に設置出来る広さがなかった・・・・・。 そんな状況でも、快適で良い家になれば・・・・と願う。

一般的には地鎮祭の儀式は一生に1度あるかないかだと思う。職業柄、私は沢山の地鎮祭に参列したが、実のところ、 自分の家の地鎮祭を経験したことがないのだ。両親や祖父から受け継いだイエをリフォームし続けているという訳だ。

RIMG0022初めて地鎮祭を経験する参列者は、確かに戸惑うと思うなぁ。日常的には全く見かけない光景だ。 そこで、今回の地鎮祭から「地鎮祭の次第」を制作して掲示することにした。主に、施主がするのは、「穿ち初めの儀」 (うがちぞめのぎ)と言って、鋤を持って、円錐状に盛った砂に1回2回3回と穴をあける作業だ。「施主」 と呼ばれる代表者がそれを行う。そういえば、今回の地鎮祭の後、「子供達皆にもさせてあげれば良かったな・・・」 というお父さんの声があった。確かにその通りだなぁ・・・、皆で行っても良いのかもしれない・・・。それとも、 穿ち初めをする父親の後ろ姿を眺めながら、大きくなったら僕もいつか・・・・と、 子供の記憶に留めておくのも良いかもしれないなぁ・・・・。

あと、「玉串奉奠の儀」(たまぐしほうてんのぎ)が何とも気恥ずかしくて、ぎこちない。私もそうだし、 参列者の皆がそんなふうに感じるのだと思う。玉串という「木の枝葉」を祭壇に捧げ、「二礼二拍手一礼」をする。神主さんのそれは、 ほれぼれするように美しい・・・・・。と思う反面、ちょっと、滑稽にも写る。そういう光景が日常から薄れていき、見慣れなくなり、 まるで異文化を見るように思えるあたりが、今の日本社会の状況を反映しているのだろうかなぁ・・・・。靖国問題の日中関係よりも、 もっと奥底に潜んでいる「日本」という問題の何かがあるのかもしれないなぁ・・・・。

誰もが「苦労」と「大金」で、手に入れた「自分の土地」なのだが、その「大地」を「恵み」として、「祈り」と共に「感謝」を捧げる。 確かにそんな機会は地鎮祭という、一生に一度の時にしか、ないのかもしれないなぁ・・・・・。それにしても、「エコロジー」や「環境問題」 の基本は、そんな「大地」とか「恵み」とか「感謝」というところにあるのではないか・・・・・・。と、格好良く思えるのも、やっぱり、 地鎮祭の時の神主さんが厳かに奏す、「祝詞奏上」(のりとそうじょう)を聞いている時だけなのかぁ・・・・・。昨日の地鎮祭の新酒拝戴 (しんしゅはいたい)の時、神主さんが、「お酒を神様の恵みとして頂戴する」と仰った。そして乾杯をする時、「献杯」 と唱和して皆で感謝と挨拶を酌み交わした。
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RIMG0018北海道の屈斜路湖のコタンに 到着したの は夕暮れ時だった。「イナウ」 と呼ばれる「木弊」が湖からの夕日に照らされて、美しい影をつくりだしていた。思わず見とれて、佇んだ。「湖」と「緑の大地」と 「夕日」と「木陰」と「静寂」。その美しい木の下の穏やかに盛り上がった緑の大地の上に湖に向かってさりげなくイナウが佇む。 「祈り」というものが自然とわき上がってくる、そんな「場」だった。職業柄として見慣れている、 地鎮祭の祭壇と御幣と背景の青と白の幕の光景とダブった。そして、その起源をダブらせてみた・・・・・。

コタン~2いつもいつも、紅白の幕のデザインを見ると不思議に思うのは、 いったいこの幕をデザインしたのは誰なんだろう・・・・。なんで、めでたいと思うのだろう・・・・・と。 そんなデザインとデザイナーの起源を垣間見たような気がした・・・・。え、勘違いってぇ・・・・。

RIMG0252そうそう、この地にはもうひとつの要素、「癒し」があった。それは、 湖と木に囲まれた露天風呂の存在だった。無料で開放されていて、男女の仕切りは真ん中の岩だけだ。奥方は躊躇した。 それは自信があるのかないのか・・・・まぁ、そんなことが大問題なのかどうかぁ・・・兎に角、足湯だけを楽しんでいた・・・・。

200609~2露天風呂に入って「静寂な湖」を眺めていると、湖で泳ぎたいという衝動が抑えきれず・・・・・ 、露天風呂から飛び出して、湖で泳いでみることにした。おもいのほか、遠浅で、適度に冷たくて、湖に浮かんで、 仰向けになって空を見上げてみると、夕焼けの残照が美しく、このまま、どこかに吸い込まれていきそうに思えた・・・・・・。

それにしても、この美しい場所は、「神」から与えられたというだけでなく、「誰か」が毎日掃除をしているようだった・・・・。 目立たない力として「美しい環境」を維持していく、「ヒトの力」というのも格好いいなぁ・・・・・・。

 

 

 

 

投稿者 木村貴一 : 2006年09月17日 13:52 « 工務店 | メイン | ソトメシ(北海道の旅その5) »


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