2007年01月21日

価値

日曜日の今朝、新聞を見ようとした時だ。「はい、昨日の朝刊」と言って、2冊の新聞を渡された。そうそう、 昨日の朝は新聞が遅れたので、見れなかったのだ。この頃ちょくちょくある。折り込みの数が多い日とか、雨の日とか、 朝の7時になっても到着しない時がある・・・・。その日、奥方が2階の窓から外を覗くと、若い新聞配達員が、 涙を拭きながら遅れた新聞を配っていたのだとか・・・・。

最初の一、二回は文句も言ったのだけれど、最近は、まぁ、ええかぁ・・・ってな気分にもなってきた。雨の日の朝は、 今日も遅れるかなぁ・・・・・、大丈夫かなぁ・・・と、こちらまで心配になってくる。私は、その配達員の顔も姿も見たことはないのだけれど、 頑張って欲しいなぁ・・・なんておもう始末だ。おそらく、私の内面の中では、インターネットでニュースが見れるので、まぁ、ええかぁ。 という気分になっているのかもしれない。いやぁ、それとも、経営者という立場から考えて、微妙な心理状態になっているからかもしれない・・・ ・。

そういえば、年賀状の配達も遅れ気味だったなぁ。建築の世界でも同じような傾向にあるのかもしれない・・・。 社内にだってそんな部分がないわけではないのか・・・・?と反省してみた。これは一体何だろう・・・。責任感というものの欠如なのか。 プロ意識の欠如なのか。社会全体にそんな何らかの因子があるのか・・・・。と考え事をしながら新聞を眺めると、 テレビの納豆騒動の記事が一面を大きく飾っていた。

こういうのを価値の捏造というのだろうかなぁ・・・・。建築の世界にも多々あるのかもしれない・・・・。そうだ、 構造偽装も同じジャンルだな。う~ん、断熱の様々な工法や良い家とは・・・。なんていう話なども、価値が捏造されていないのかどうか、 あらためて検証してみても良いのかもしれない・・・・。

そうだ、先月号の新建築住宅特集という雑誌に内藤廣さんという建築家が造った家と文章が掲載されていた。そこには『・・・・(中略)・ ・・・・だから、建物の中に設計者の意図や意識が混ざり込むことは出来るだけ避けたい、と考えている。   デザインを意図的に後退させること、こだわりすぎないこと、価値を捏造しないこと、やりすぎないこと、 可能であれば未完成のまま投げ出すこと、建物として無理をしないこと、機能にしたがって淡々とつくること、意識的に凡庸であること、 などを心がけるようにしている。要約すれば「意図的に無為であること」となる。モノをつくりつつ、意図的に無為であることは難しい。 クリエイティビティから距離をとりつつ、さりとてモノづくりとしての緊張感だけは保持しなければならないからだ。・・・・(中略)・・・・』 という文章があって、それを思わずおもい出してしまった。納豆騒動とその文章が妙にシンクロして、 うちの工務店の造る住宅もそうありたいものだなぁ・・・・なんて、思い描いてみたのだ。


 

 

投稿者 木村貴一 : 2007年01月21日 20:50 « 土地さがし | メイン | この一週間 »


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