2007年04月08日

P1030666 車を運転していても、桜が美しいなぁ。と思えるようになったのはいつ頃からだろう。 そんなふうに考え出すと、中学生や高校生の頃は、全く、桜の記憶などないし、桜への興味など全くなかったなぁ・・・・。 小さい頃の桜の記憶を探ってみるけれど、さしたる思い出がない・・・。桜への思いは年齢がそうさせるのだろうか・・・・。

そういえば、長屋が並ぶ町並みの小さな前庭に植えられた桜が、大きく道にはみ出して咲いている、そんな桜の姿が、 小さい頃からの印象としてある。そんな桜が街角のどこかに数本はあったとおもうのだが、家の建て替えと共にどんどん切り取られ、 この街角から消え去っていった。「はみだす」事が許されにくい社会でもあるからなぁ・・・・。 緑の少ない町並みに彩りをあたえてくれていたのだなぁ・・・・と、春になって、道路の先を眺め、塀から道にはみ出る桜がなくなってはじめて、 小さい頃からの記憶の奥底のどこかに、桜が宿っていたのだなぁ・・・と知る。

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木村工務店では、本年も例年のように、社員や大工さんたちと花見をした。 感嘆の声をあげるにはまだまだほど遠い小さな小さな桜の木なのだけれど、それでも、一本の桜のおかげで、春の訪れを喜びながら、 祝宴をあげれるのはありがたい。ほとんどは、焼き肉を見て、桜は見ず。ってとこだけどね。

昨日は雨が降り、花見をしようと思っていた人たちは、残念だったのかもしれない。桜だって多くの人に愛でてもらえるところだったのに。 今朝、日が照って、おだやかな日曜日の朝。家の杉の床板や畳、栂の床板、米杉の デッキ、 漆喰の壁に映し出される朝の穏やかな日差しと影が心地よいと感じた。そんな影を見ながら、多くの人が桜見に出かけたのだろうかなと、 想像してみた。

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桜の美しさは、人の中に去来する、さまざまなブツクサを一瞬だけ止めて、いまここに、ほんの一瞬だけ、存在させてくれる。 なんてことをブツクサと考えてみたくなるような朝だった。桜の木で美しい大阪を作ろうという「桜の会・平成の通り抜け」 というプロジェクトが、大阪の下町にも広がればいいなぁ・・・・とさえ思えた。

 

 

投稿者 木村貴一 : 2007年04月08日 18:46 « ゴミ | メイン | 商売 »


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