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2009年02月22日

加工バー

正月の駅伝を見ていると、あの、「たすきをつなぐ」という事が、意外にも感動的で、不覚にも、涙すら流れそうになる・・・・・。

なんで、突然、そんな光景を思いだしたのかといえば・・・・。

昨日、会社の加工場で、協力業者の社長さんやその会社の職人さん、勿論、うちの社員や大工さんや手伝いさんなど、 90名ほどが集まって、初午の稲荷祭りと安全祈願祭を楽しんだ。

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会社の創業時からある「お稲荷さん」を通じて、神主さんに、「現場の罪」を祓い清めてもらい、「現場の安全を願う」という、 ちょっとした神事だ。全員が、御神酒を頂いた後に、20分ほどの時間をもらい、パワーポイントを使って、 最近の木村工務店での取り組みを皆さんにお伝えする。

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家づくりの流れをどのように考えるのかは、それぞれだろうが、木村工務店では、このように捉えていて、例えば、駅伝のごとく、 設計から施工へ「たすき」が渡されたりするわけだ。

まぁ、そんな中で、施主から渡された「たすき」の最終ランナーが、「職人」さんで、皆が「つない」だ「たすき」を最後に受け取って、 実際に家を造り、アンカーとして、「お引き渡し」へと導き、施主に「たすき」が返される・・・・・。

ところが、その職人さんが木村工務店の社員かと言えば、そうではなく、うちの会社以外の仕事もする職人さんがほとんどで、どれだけ、 木村工務店の事を知ってくれているのだろう・・・・・。幸いにも、ほとんどが、長く取引をし、顔見知りの業者であり、 職人さんでもあるわけだ。大工さんなどは、うちの仕事しかしない大工さんが、ほとんどだけれど、それにしても、「いま」 という時代だからこそ、職人さんにも伝えておきたい事が・・・・・。

「つなぐ」・・・・。そして、「たすき」を受け取って一生懸命に走り、ゴールする。駅伝を思いだした。職人さんには、何度か渡された 「たすき」の最終ランナーだという自覚を持って欲しい・・・。施主がそのたすきを受け取ろうと待ち望んでいることも・・・・。ついでに、 日本の文化や日本の環境を守り育てる役目も「継ぎ」「繋ぐ」ランナーでもあるのだと・・・・。

現場の職人さんどうしでも、次の職人さんに仕事をつないでいく。考えてみれば、「私」も3代目として、木村工務店の「たすき」 を渡されて、それを「継ぎ」「繋ぐ」役目も担う。日本の国だって、縄文時代から脈々と「たすき」が受けつがれていて、「いま」 という時代を迎えているわけだ。確かに、今は、ちょと、ヘンな政治状況だといえるけどね。

懇親会は、それなりの盛り上がりをみせる。職人さんどうしの親睦もあったとおもう。もちろん、飲酒がすぎて、とある政治家のように、 しどろもどろの会見のごとく、しどろもどろの現場とならぬように、きっちりとした「現場」、きっちりとしたことをする「現場」 でありたいと願う・・・・のだった。

追伸
やっぱり、今回も前夜祭をしてしまう。それは、鉄骨屋さんに、炭火焼き用の鉄板を作ってもらい、それの焼き入れをする・・・ という名目があったものの、味見と称して、当日の焼鳥や、げそを食べてしまう・・・・。

これを読んでいる社員の奥さんがいるとすれば、夜が遅くなったのは、それは、れっきとした、前日の準備であり、仕事なのだぁ・・・と、 言うことにして頂きたいと願うのです。

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あぁ、そうそう、加工場に、仮設のスクリーンを設置し、その横では、大工が研ぎものをし、社員は、鉄板の焼き入れと試食をし、 手加工の材木を乗せかけている、「うま」の上に座りながら、スクリーンに、TVやDVDやYouTubeを流してみると、独特の雰囲気 で、 エエじゃない・・・・。

今度のWBCは、スポーツバーならぬ、この加工バーで、かまどで、焚き火をして、鉄板焼きをしながら、スポーツ観戦をするかも・・・・ 。それも、仕事のうちという事で・・・・・・。

 

 

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2009年02月15日

芝生

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グレーの色で囲まれた、コンクリートの階段をくるくると回り、ゲートでチケットを見せ、何段かの階段をゆっくり上がる。暗闇の中に、 バァァーっと照明が光り、鮮やかなグリーンの芝生が目の前に広がる・・・・。

カッコエエなぁ・・・。

鮮やかな芝生を見た瞬間、私の「目」が、喜んでいた。眼球の奥が気持ち良さそうだった。家の庭にも芝生を植えたいな・・・・と、 おもった。少し前にテレビで見た「鳥取方式の芝生」 がよぎっていく・・・・。今年の6月には、「芝生」に挑戦してみようかなぁ・・・・・。

DSC06082 サッカーを見に行こう。日本代表のサッカーを見に行きたい。と言い出したのは、 小学生の息子だった。試合の前日が彼の誕生日でもあって、プレゼントを兼ねて、気軽に、エエよ。と返事する。

が、よくよく、話を聞くと、試合は、横浜であるらしい・・・。エェー、大阪から横浜まで行くのぉ・・・。試合が終わるのは、 午後9時30頃で・・・。次の日は仕事で・・・。どうして、帰るのぉ・・・。と、いろんな事が、頭の中で、錯綜しだす。でも、まぁ、 そう簡単には、チケットは取れヘンとおもうし・・・。などと、軽やかに、そのブツクサを流すのだった。

と、東京にいる長男が、弟のために、携帯電話で、「アタック」をしまくった・・・・らしい。「4枚チケット取れたぁでぇ。」と、 嬉しそうに電話がかかってきた。兄弟愛というものは、確かに、美しいと言えるのだが、今回は、そんなに頑張らんでも、エエんとちゃうのぉ・・ ・・と、何だか、やけに、にやけてしまう。

奥方は、その晩のホテルを予約予約。やれ中華街だの・・・。元町だの・・・。横浜横浜。と、それぇ、サッカーと関係ないやん。 ちょとちょっと、チケットが、一枚10万円で売れるんやて。40万円。サッカー行くのん止めとこか。と・・・・・・。

てんやわんや。の末、車で日帰りと、あいなる。そんな訳で、早朝、大阪を出発し、横浜の日産スタジアムに到着したのが、午前10時頃。 もう既に第一駐車場は満車で、係員の案内で、第二駐車場へ。空きスペースが少しあったものの、試合開始は、午後7時30分なのに・・・・と、 少々ビックリする。

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スタジアム周辺では、応援団とおぼしき人達が列を作って並んでいた。周辺では、グッズ販売設営の真っ最中。なんだか、急に、 日本を応援しようよ!という気分になってくる。 グッズにある、日本代表のタオルマフラーでも買おうかなぁ・・・と、言うと、どうせ、 家に帰ったら、どっかに、ほりっぱなしになっていると、おもうし・・・・。と、言われ、意気消沈。じゃぁ、サッカーのユニホームでも・・・ と、おもうが、背番号10の中村俊介のレプリカモデルとやらは、15,750円もして・・・。それが、安いのか高いのか・・・・と、 考えているうちに、足が、新横浜駅に向かっていた。

DSC06102 中華街でお昼ごはんでも食べようという事になった。といっても、横浜初心者。 地下鉄に乗ると、 「赤いくつ」というバスがあり、1回100円で、ぐるぐると周遊しているのだとか。 ちょっとした気恥ずかしさも、 なきにしもあらずだが、ここは、やっぱり、観光者として、ただしくバスに乗ることにする。

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混み合って、立ちぱなしのバスの中で、どうのこうの、ああだこうだと、話し合い、取り敢えず、赤レンガ倉庫というところで、 降りてみる事に。外から見ると人気のない様子だったのだが、中に入ると、人でいっぱいだった。文房具フェチの息子の影響で、 店内のカワイらしい文房具屋さんで、スタビロ(STABILO)  ペン68 ファイバーペン の黒を一本だけ、横浜記念に買うことにする。 全く、横浜とは関係有りませんが・・・・。

赤レンガ倉庫から港を見 ると、「横浜港大さん橋」の姿が見えた。 機会があれば、行ってみたとおもっていたので、この際、是非是非。まぁ、でも、その前に、「赤いくつ」にて、中華街へ行き、 長男と合流し、昼食でも・・・・。

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中華街はすごい人人だった。流石に、活気があってエエじゃない。中華街大通りを歩きながら、長男と携帯で連絡を取り合って、 落ち合う場所を探していると、竹を植えてあって、エアーポケットのような店の前で待つことになった。店を探すのも面倒だし、 何~にも知らないので、ついでに、ちょと高そうだけれど、その店で、飲茶でもどぉ。尋ねてみると30分待ちだった。 時間が来たら携帯に連絡をしますよ。というので、まぁ、しばし、中華街をブラブラして、楽しむ・・・・・。

DSC06159 何の因果か、久しぶりに、家族4人で食事をし、それが横浜で、それも中華街で、 そして聘珍樓というお店で、 後でネットで調べると、老舗で、確かに、美味しく、ゆったりと食事ができ、それはそれで、「 静かに」語り合った、 不思議な時間だった。

DSC06176 元町元町。という奥方の連呼を男3人で、けちらして、横浜港大さん橋国際客船ターミナルへ。 あぁ、長ったらしい名前だけれど、その、大さん橋に歩いて向かう。えぇ!あんなところまで、歩くのぉ。という奥方を、 ショッピングなら3倍の距離でも平気なはずなのに・・・と、なだめすかしながら、ようやく到着する。

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「雨仕舞い」という防水処理も大変だったろう・・・・。床のデッキ貼りも大変だったろう・・・・。 芝生がグリーンならもっと素敵だったろう・・・。それにしても、スタジアムでは、この時期でも芝生はグリーンだったな。 スタジアムの芝生の手入れもたいへんなんだろうなぁ・・・・。

そろそろ日本代表の試合が近づいてきた。やっぱり、「赤いくつ」に乗り、地下鉄を乗り継いで、新横浜駅の地上に上がり、コンビニで、 夜食を買い、歩き出す。と、大挙して、大きな声で歌を歌いながら、競技場に向かって、行進しする、オーストラリアの応援団に、偶然出会う。

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DSC06246 まるで、オーストラリアの応援団の一員になったかのように、一緒に練り歩く。とにかく、 彼らは陽気なのだ・・・・。日本の応援団はどんな感じなんだろう・・・・。と、会場が近づくに従って、ワクワクしてくる。時には、 日本日本。にっぽんにっぽん。ニッポンニッポン。と、ナショナリズムを楽しんでみるのもエエではないか・ ・・・・・。

試合開始の2時間前だったけれど、会場に入ることにする。もう既に長蛇の列。競技場内では、きっと、 オーストラリアの応援団の声をかき消すように、日本の応援団が大きな声で応援をしているのだろうなぁ・・・・と、想像しながら階段を上がる。 それは、オーストラリアの応援団と一緒に歩いてきた影響だとおもった。

パーンとしたライトに照らされた鮮やかな芝生。「オレ」もこんなピッチの上で、大観衆の前で、サッカーをしてみたい・・・・。 とおもった。サッカーは出来ないんですけど・・・・・。

それが、意外にも、会場内は、シーンとしていた。私の席から向かって左手に、数少ないオーストラリアの応援団が陣取り、旗が揺らめき、 かすかに歌声が聞こえていた。右手の日本の応援団はシーンとして、静まりかえり、旗も静止した状態だった。

試合の始まるずっと前から、応援合戦が繰り広げられているのかとおもっていたので、少々、がっかりするが、 目の前の芝生を見ているだけでも気持ちがエエ。芝生を見ながら、コンビニで買ってきた、おにぎりでも食べる。

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試合開始の一時間前だった。選手が練習のためにピッチに現れた瞬間、右手の日本の応援団から、地響きのような音が、突然、唸る。 歓声が、会場内に、怒濤のように、響き渡った。何本もの旗が、大きく揺らぎ出した。

「静から動」へ。一瞬、鳥肌が立った。 カッコエエ。まぁ、ちょっと、大げさやけどね。それでも、それは、実に、 日本的な応援だとおもった。何だか、戦国時代の戦(いくさ)もこんな雰囲気だったのか・・・、太平洋戦争でもこんな感じで日本軍は・・・と、 想像が、脳内を駆け回りはじめた。なぜか、サイレント・ ウエイという方法論が、思い浮かぶ。唐突にも、マイルスのイン・ ア・サイレント・ウエイというアルバムも、なぜか、思い出す。

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 右の応援席から、何度か、ウエーブが起こるが、この正面スタンドまで、ウエーブは、伝わらず、応援席で、終わる。 こちらまで、こいよぉこいよぉ。とおもうのだが、6万人の観客と一体になりながらのウェーブは、ついぞ出来ずじまいだった。 おしいシュートがゴールからそれる度に、何度も何度も、おもわず席を立ち、あ~ぁあ~ぁ。と、ため息をつきながら試合が終わってしまった。

0-0の結果という欲求不満を残しつつ、席を立ちながら、息子は、どちらのチームでもエエから、とにかく、ゴールネットを揺らして、 得点が入って欲しかったわー。せっかく横浜まで来たのにな。と・・・・・・。

「私」も、同じようなおもいを抱きながら、車に乗り込んで、エンジンをかける。ほとんど、横浜エリア内で、 親子とも静かな寝息を立てだした。高速道路で、大阪に向って、ひた走りに走る。夜中の2時30分過ぎ、試合よりも、 芝生のグリーンの心地良さを目に焼き付けながら、寝床に潜り込み、そして、死んだかのように寝むった。

 

 

 

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2009年02月08日

リフトで北欧デザインと出会う。

P1170563 机の上に、今、これを書いているノートパソコンがあって、その横に、 何気なく置いてあるパンフレットを見ると、「北欧デザインな旅」とあった。

へぇー、そんな旅行の企画が成り立つという事は、それなりの数の人が、北欧デザインに、関心を持っているのだなぁ・・・。そういえば、 このパンフレットを持ってきたのは、奥方で、「こんな旅行に行ってみたいぃぃ・・・」と言いながらさりげなく机に置いた。

そうそう、昨日、リフォーム雑誌の取材があった。その家にも北欧デザインの家具や照明器具が何点か置いてあり、住まい手が、 以前から持っておられた家具や照明器具が、配置された。居心地がエエなぁ・・・と、思いながら、取材の後も、結構、長居する。                

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もちろん、このリフォームも、木村工務店の設計と施工なのだけれど、敢えて言うなら、お施主さんとの「協働設計」だとも言える。 工務店の設計に携わっていて、最近、思うのは、「工務店の設計」は、提案力とか創造性というよりも、どちらかと言えば、編集作業、 編集力のように感じる事が多い・・・・。お客さんの要望を中心において、様々な建築的な要因やデザインをどのように「素直」に編集し、 まとめるのか・・・。特にリフォームではその傾向が強い。もちろん、編集作業における、創造性や提案力というのも存在するだろうけれど・・・ ・。

そのお宅では、壁や天井は漆喰塗料で、床には北海道産のカバ材を使っている。いわゆる自然素材で出来ていて、取材中も床は、 スリッパを履かなくても全然冷たくなかった・・・・・・。えぇ、なんで、そんな話を今、敢えて書いているのかと、言えば・・・・。

実は、今日、突然、日帰りで、スキーに行って、帰ってきたところ。今もパソコンをタイプしながら、体の節々が、 ギシギシと悲鳴をあげている状態なのだ。

日曜日の午前中の打ち合わせが、急遽キャンセルとなる。今日は、小学校のPTAの集まりで、竹原義二さん設計の「土と陶の工房 美乃里(みのり)」 へ行く予定もあり、それなりに楽しみにはしていたのだけれど、今更、行けるようになったと言うのも、迷惑をかけそうだし・・・。それで、 そんな話を家でしているうちに、小学生の息子と二人で、スキーに行こうよと言うことになった。奥方は「私はパス」と、きっぱりと宣言する。

まるで、春のような陽気。気持ちの良い青空。白い頂きの山々がくっきりと見えて、すがすがしい。クワッドリフトに乗ると、 隣のカップルが会話する。「床暖房の上で寝てたらムチャクチャ気持ちエエワ」「おばあさんみたいに、コックリコックリと寝てしまうワー」 と彼女。彼氏が「床暖房のない、普通のフローリングはムッチャクチャ冷たいなぁ」「冷たすぎて、スリッパというか靴でも履かんとアカンワ」 「フローリングちゅうのは、だいたい西洋の、靴の文化のもんやでぇ」「あれは・・・」という時に、リフトが終着し、私たちは右へ、 カップルは左へとそれぞれ別れて、滑り出す。

その話を聞きながら、私の脳は、くるくると回転していた。9年ほど前にリフォームした子供部屋は、 仕事で余った床材ばかりを集めてきて、バラバラの床材で貼った。ほとんどが、合板のフローリングだった。他の部屋や玄関廊下が、 杉やチークや栂という無垢の床材だったので、その冷たさの違いはほんとうに、「顕著」だった。子供達は、廊下の杉材と比べながら、 子供に対する差別だぁぁ。と愉快に抗議した。私にとっても「エエ勉強」になった。その出来事が、高速回転中の脳内で、フラッシュバックする。

昨日のリフォーム取材で、体験した、床暖房のない、道産カバの床材の心地良さを・・・・、 合板のフローリングとの違いを教えてあげたいぃ・・・・と、リフトの横に乗りながら、脳が、高速回転で、呟いていた。そして、 錯綜するかのように、そのお宅の北欧デザインが、目の前をよぎる。垂直に、まっすぐと伸び上がる木立の間に挟まれて、リフトが進む。

床の断熱材があるかないかの問題も大きいかもしれない・・・・・と、やっぱり、脳内は高速回転する。もし、「それは、つまり・・・・ 云々」と、リフトの横で、カップルに語りかけていたとしたら、それは、れっきとした、「おやじ」だな。「私」も「アラフォー」 とお別れするのは、もう間近に迫っている。パソコンをタイプしながらも、体は既に、「おやじ」だな。と、今も脳内は呟いているのだった。

まぁ、そんな訳で、今日は、リフトで北欧デザインと出会った。という事にして、ぐっすりと寝ようとおもう・・・・・。

 

 

 

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2009年02月01日

かまど

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コトバノイエにお邪魔する。それは、矢部達也さんの設計で、木村工務店で施工させていただいた家だ。確かに、今、 家族が住んでいる家なのだけれど、古本屋さんでもあるわけで、それが一体全体どういう事なのかを説明するのも「ややこしや」。で、 時間の都合上割愛させていただくとして、兎に角、インターネット上にも店舗があって、 その本屋さんの企画の中に○○さんが選んだ30冊という企画がある。そのセレクターの一人として「私」が呼ばれて、セレクトする事になった。

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それで、どんなものを選んだのかは、まぁ、コトバノイエインターネットショップで発表される時に見ていただくとして。何というのか、 その途中に、建築家のI井さんとY部さんと、その仲間とお友達が、コトバノイエ新年会と称して、お集まりになり、当然の結果として、 私もその渦の中に、どっぷりと、どっぷりと巻き込まれてしまう。

今、脳内が、くどくどと焦り、言い訳がましく呟いているのは、つまり、「私」には、日曜日にブログを書くという、 暗黙の鎖が絡みついていて、それで、つまるところ、途中で、宴を抜け出そうと、何度も、脳裏が呟いていたのだが、その「居心地の良さ」 に翻弄され、午後1時にお伺いしたのに、気がついたら、夜の10時になってしまていた。それでも何とか、家に辿り着き、今、 これを書いているのは、23時をまわり、あの24時までは、もう数十分足らずなのだった・・・・。

そう言えば、居心地の良い宴の脱出のきっかけになったのは、コトバノイエに続くTシャツの家を施工中の設計者・ 矢部さんが、その家の暖炉の話をし、それは、夏になると、暖炉を取り外すのだぁ。というではないか・・・。えぇ、そんな事が出来るのぉ。・・ ・・。そうそう、そう言えば、昨日、会社で、お餅つきをして、「かまど」の煙突を移動式にして・・・・。そうだ、 その話を書くために家に帰らなくては・・・・。

と言って、まぁ、疾風の如く、立ち去る事にした。参加者の皆様には、きっちりとしたお礼を申し上げることも出来ず。ましてや、 奥様にはお料理のお礼も言えず・・・。誠にもって、それは、ブログというもののせいなのだぁ。という言い訳で、お許しを頂くと共に、 何よりも「感謝」なのです。

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昨年に引き続き、 今年も、お餅つきをする事にした。勿論、うちの社員とその家族の事を第一義とするのだけれど、それでも、もう少しだけ、範囲を広げて、 うちで施工させていただいた方で、小さな子供さんのいるお宅をセレクトし、葉書を出すことにした。(もし、葉書が届いていない人がいたら、 ご一報を)。こちらが不慣れで、お餅をつける量に限りがあり、こうなってしまったのだけれど、来年はもう少し、範囲を広げようとおもう。 今年は、これぐらいで、ご容赦を・・・・・。兎にも角にも、参加していただいた皆さんには多大な「感謝」。

で、昨年は家の庭でお餅をついたけれど、今年は、雨の事も考慮して、加工場でする事にした。じゃあ、かまどで、薪を焚くのは、 どうするのぉ・・・。ガスでするかぁ。いやぁ、それはやっぱり、焚き火でしょぉ。そしたら、煙をどうするぅ・・・・。と、まぁ、 どうでもエエといえば、どうでもエエのだけれど、なんというのか、そんな事を大真面目に考えるのが、意外と楽しい・・・・・。

DSC05736そんな訳で、ブロックと板金による手作りかまどは止めて、既製品の鋳物かまどを買ってきて、 板金屋さんに急遽来てもらい、煙突を取り付ける事にする。 ひとつはフレキ配管で、移動式にしたのが、ミソ。それは、 弊社のT桝くんのアイデアによるものだった。

前日、かなり強い雨が降る中で、設置をし、燃焼テストをしてみると、ごっつうエエ感じではないかぁ・・・。そうこうしているうちに、 何人かの社員が集まってきて・・・・。かまどの火をみながら、ワイワイ・・・・。そのうちに、お酒が出てきて・・・・。鉄板が出てきて・・・ ・。肉を買いに行って・・・・。

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つまり、前夜祭と称した宴会が、盛り上がる。総じて、前夜祭癖というものが、会社の伝統にあり、それは、もう止めにしようよ!。 という、掛け声は、確かに、その日も起こったものの、結局は、やっぱり、掛け声だけに終わり、何でも、前夜祭の二次会までもが、 存在したらしい・・・・。

そんな訳で、「かまど」の設置を楽しんだ御陰で、前夜祭も、本番のお餅つき大会も、それに、 お餅つきが終わった後に大工さんが集まってきた、後夜祭も楽しく過ごす事が出来た。その上、まるで、 ぬかるみの世界であるかのようなコトバノイエを何とか脱出するきっかけが出来たのも「かまど」の御陰のようだった。
I Love 「かまど」
I Love 「お餅つき」
ですね。

 

 

 

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