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2009年07月26日

一緒に

中学生になった息子の友達二人が、少し遠方から遊びに来ていて、お昼ご飯を食べていると、インターホンが鳴り、画面から、「遊ぼ!!」と、元気な、男子の声が聞こえてきた。小学校の時の同級生で、地元の中学から少し遠方の中学に行ったために、久しぶりに聞く声のようだった。

息子が「友達来ているから、今日は遊ばれヘン」と言うと、モニター画面から、もっと元気な声で、「オレも、同じ、友達やでぇーー」と、訴えるような叫び声。室内では、笑い声が起こり、私も奥方も、妙に、納得している・・・・・。

息子が、「ちょっと、気を使うしなぁ・・・、どうしようかな・・・」と迷っているので、「一緒に遊んだらぁエエやん!!」と、こちらからヤジを飛ばすと、室内で、友達どうしの話し合いが始まり、「僕はかめへんでぇ」「僕もどっちでもええで」・・・・と。モニターの向こうでは、二人の男子が、自転車にまたがり、ふざけあいながら、返事を待っている・・・・。

そんな訳で、友達と友達が出会い、一緒になって、何かひとつの事で、遊ぶのかと、思いきや、ひとつの部屋の中で、背中と背中を合わせ合い、体を寄せ合いながら、別々の方向を向いて、手持ちのテレビゲームをしている・・・・・。たまに、一緒に、テレビ画面に向かって、テレビゲームをし・・・・・。1、2時間ほど、「一緒」に遊んで、バイバイ・・・・と、それぞれ別れて行った・・・・。

一緒に遊ぶと言うことは、何かひとつの事を一緒にするというよりは、同じ時間と空間を一緒に共有するという事のようだ・・・・・・。

・・・・・・

堺の某お屋敷にお伺いする。数年前、お風呂とお便所のリフォームをさせて頂いたお宅で、ここ数年、皆が集まって、一緒に、 なにわ伝統統野菜プロジェクト 楽畑 をしているのだと云う。それで、家族一緒に、見学にお伺いする。

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井戸から汲み上げた水で、畑の水やりを楽しんだりしながら、ぐるぐると歩き廻って、畑の説明をお伺いする。この少し外れでは、まだ、大きな水田も残っていて、堺も広くて様々。畑から、お屋敷の縁側に戻って、時折吹く涼しい風を肌で感じながら、雑談をする。

勝間南瓜 (こつまなんきん)玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)毛馬胡瓜(けまきゅうり) 聞いたことあるような、ないような。とにかく、舌をかみそうな名前であって、そのうち、「私」も、野菜作りに、挑戦してみようかなぁ・・・と、思う気持ちはあるものの、やっぱり、今は、宣言は止めておこう・・・・・・。

それはそうと、京都の「俵屋」さんに泊まったお話をお伺いする。「部屋は、うちの家の雰囲気と、そんなに変わらないけれど、布団の素晴らしさ。こんな布団で寝たことない・・」と、聞くと、あぁ、一度泊まってみたい・・・・と、素直に、憧れてしまった。

布団を手摺りに干して、太陽の光をあてるのが、美観的に良くないという、見解もあるものの、太陽のエネルギーを受けた、ふかふかの布団の気持ちよさは、格別だとおもう。「私」など、天気の良い日に、車から、手摺りに干した布団を見ると、「あぁ、ここのひと、今日の夜、気持ち良く、眠りはるのやなぁ・・・・」と、その気持ち良さを想像してしまう。

キャンプ旅行ををしていて、最終日に旅館に泊まった時などに、何よりも嬉しいのは、ふかふかの布団と、シーツ。やっぱり、布団はエエなぁ・・・・と、体全身が、喜ぶ・・・・・。縁側での会話では、「人生の大半が、寝ているのやからねぇ・・・・・・・・・」と、仰った。確かに。

家づくりの中では、「寝るだけの部屋」なのか、「心地良く寝れる部屋」なのか、という事柄は、話題にのぼりそうで、以外と、等閑(なおざり)になりがちだなぁ・・・・と、少々の、反省をしてみようと想う。

そうそう、リフォームでは、年齢が行けば行くほどに、「一緒に寝る部屋」の意味合いが複雑になる・・・。イビキとか、テレビの音とか、寝る時間とか、起きる時間とか、照明の明るさとか、暗さとか、冷暖房の利き具合とか、暑がりとか、寒がりとか、・・・・・・・・・。でも、お互いの「気配」は感じておきたい・・・・・と。

家づくりにおける、多様な、一緒の過ごし方を、もう一度見つめ直してみようとおもう。

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2009年07月19日

インタホーンとお茶と北斎と富士とB級グルメの旅とその8(完)

インターホーンが、ピンポーンと鳴り、奥方が、インターホンのボタンを押す。液晶画面に何かの勧誘の女の人の姿がフェードインして現れる。柔らかい口調で、「資料の内容を見て下さい」。と、カラーモニターの画面越しに、語りかけてくる。それに受け答えをしながら、奥方は、インターホンの画面のおばちゃんに向かって、「はーい。わかりましたぁー、またぁー、見ときますぅー」と、愛想の良い返事をしながら、モニター画面に向かって、何度も、頭を下げていた。

訪問者の人には、こちらの姿がみえないわけで、食卓の椅子に座りながら、奥方とモニターに映るオバチャンの姿を両方同時に眺めていると、何だか、可笑しかった。うちの家でも、つい最近、価格が安くなったこともあり、モニターなしのインターホーンからカラーモニター付きのインターホーンに替えたばかりの事で、そういえば、新築やリフォームをしている最近のお宅では、ほとんどが、そういう機種を取り付けているので、それぞれの家庭で、ちょっと可笑しな光景が展開されているのだなぁ・・・・と、想像してみた。

モニターの奥では、ノーメークやからぁ・・・とか、部屋が散らかったままで、イヤヤワー・・・・とか、パンツ一丁の姿のままやでぇ・・・・とか、髪の毛濡れたままでぇ・・・とか、・・・・・・・、ひょっとして、訪問者が押すインターホーンのボタンの向こうでは、想像も絶するような光景が広がっているのかもしれない・・・・・。

そんな事を考えている、その傍らでは、セミの鳴き声が、どんどん大きくなり始めていて、気付いたら、もう夏だなぁ・・・・と、奥方の入れてくれた、日本茶を飲みながら、パソコンの画面に向かっている「私」。

「北斎と富士とB級グルメの旅8(完)」

時として、夏でも、熱い日本茶が、美味しいとおもう。「このお茶、もう最後の一杯に近いから・・・・」と、奥方が、一言、付け加えながら、テーブルの上に置いてくれたのには、訳があって、それは、ゴールデンウィークの旅の途中で、偶然に立ち寄って、買った、富士宮市のお茶やさんに、大変、親切にして頂いた印象があって、そのお茶を飲むと、その親切な印象も飲む事になるからだった。

北斎富嶽三十六景山下白雨

この旅の北斎と富士の最終撮影目標は「山下白雨」という絵で、それは、富士宮市あたりで描かれた絵なのだという。朝、8時過ぎにその周辺に到着すると、霧雨。かすかに見える富士山。もう少し雲が退くと、頂上まで見えそうなのだけれど・・・・。

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雨なので、車の中から、撮影を試みるが、撮ったこの写真を、今、振り返って見ると、「もう、これぐらいで、エエのとちゃぅ・・・」というような、諦めムードになっていた様子がよくわかる・・・・・。
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それでも、気を取り直して、撮影してみると、北斎は、富士山の右端に見える、瘤のような、小さな頂きを、描くときに、省いたのだなぁ・・・・、編集したのだなぁ・・・・と、気付く。富士山を右端に寄せて描いたのには、デザイン性だけでない、「実情」もあったのだろう・・・・。それにしても、描くときに、どこをどう工夫すれば、そうなるのかは、解らないけれど、それでもやっぱり、北斎の絵は、「私を見守る富士山」のように思える・・・・・。

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まぁ、そんな訳で、右端にずらした富士山の撮影も試みるのだが、この状況下で、それに、私の写真技術とセンスでは、撮影は無理だと、はっきりと気づき、早々に諦めた。

富士山よりも、茶畑に興味を示したのが、奥方だった。「お茶、買う、買う」と、外国人が話す日本語のように叫びはじめた。大成功とはいかなかった北斎と富士の撮影だったけれど、もう、これで、充分満足することに決めて、お茶やさんを探すことにした。そして、撮影場所の直ぐ近くで、偶然にも、出会ったのが、写真の御茶屋さんで、「やまぜん製茶鈴木園」というところだった。

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お茶の葉の「緑」と、なんとも言えない「香り」。献上茶指定園というのだそうだ。そうか、天皇に献茶をするという、そういう習慣が日本には、あるのだなぁ・・・、珈琲や紅茶は、どうなんだ・・・・と、その、「緑」と「香り」の中で、脳内が、呟いていたのを思い出す。

お茶を買いながら、この場所に偶然にも行き着いた、そのとりとめのない、北斎と富士とB級グルメの旅の話をし、お店の奥さんからは、お茶のお話を聞く。元気そうな子供さん二人が、興味深そうに、私たちをのぞきこんでいた・・・・。

ついでに、美味しい「富士宮やきそば」のお店をお伺いすると、「どこの家でも、家で作って食べるので、お店に行って、食べる事は、めったにないから・・・・」と、言いながら、地図を書いて、教えてもらう。そうそう、そういうのが、その土地独特の食文化と味なのだ・・・・。大阪のたこ焼きだって、お好み焼きだって、そうなんだ・・・。車に乗る前には、富士山の湧き水まで、プレゼントしてもらった。ありがとう。

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近くのスパー銭湯で、朝風呂に入り、住宅街の中にポツンとある、お店で、富士宮焼きそばを食べ、「田貫湖からの富士が美しいよ」と教えてもらたので、立ち寄って見るも、雨で、富士山は見えなかった。

DSC08020(1)その湖から近い猪の頭オートキャンプ場で、泊まることにした。疲れが溜まっていたのだろう、木立の中に囲まれて、ぐっすりと眠る。翌朝も雨。渋滞予想の高速道路を避けるため、早々にキャンプ場を後にする事にした。午前中に東名・名神を使って大阪に向かうと、お昼には、自宅に帰り着いた・・・・・。(完)

と言う訳で、もう、お盆がやって来るという季節になってしまい、ついこの間の出来事だったはずのゴールデンウィークの旅も、かなり前の事に思えてきた。何だか、ちょっと、間抜けな感じ・・・・。

高速道路が、1000円なのか、ただになるのか、それぐらいの違いしか、理解できていない、私の政治情勢があり、また、どうなっているのか、よくわからない経済情勢が絡んでいて、インターホーンの向う側の出来事のように、その、裏側で、どんな混乱が起きているのか、知るよしもない・・・・・。

それでも、やっぱり、お盆休みはやってくる訳で、世の中はどうであれ、それはそれなりに、楽しみでもあって、子供だって、楽しみにしているのだろう。まぁ、楽しみ方を工夫しながら、あまりお金を使わない、省エネな旅行でもしてみようかともおもう。

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2009年07月12日

鰻 「北斎と富士とB級グルメの旅7」

鰻が好きか? と問われれば、素直に、「好きだ」と答えたくないのだけれど、まぁ、好きな方だ。「私」は、どちらかと言えば、グルメという訳でもなく、カレーで充分。うどんで充分。確かに讃岐うどんツアーをしてみて、「こし」のあるうどんを食べて、「旨い」と唸ったのだけれど、出汁をすすりながら食べる、あの「へなへなにょろにょろ」のうどんも好きで、それを食べる事の方が、圧倒的に多い。

出汁をすすった瞬間、出汁の味が、目にしみ込みそうになって、ぐぅっと眼をつぶりながら、また、出汁をすすりながら、にょろにょろのうどんを食べる時のあの感覚がエエなぁとおもう。まあ、それは、地域性とその地域特有の文化の違いにもよるのだろう。

この数日前、浜松の白焼きの鰻を頂戴し、食べる機会が二度ほどあって、どれも美味しかった。それを食べながら、「鰻」をおもう。それは、ゴールデンウィークの「北斎と富士とB級グルメの旅」で、三島の鰻屋さんに行ったのだけれど、その事の潜在意識の中には、様々な「鰻」にまつわる出来事が絡み合っていて、「鰻」を食べると、支離滅裂な「私と鰻」を想うことになるのだった。

堺で鰻屋「竹うち」を営む友人が居て、最近は、改装工事をお手伝いさせても頂いているのだけれど、大学生の頃、そのお店とその階上にある住まいに、よく、遊びに行った。そこの、鰻が好きだ。石畳敷きの土間に、そのままの鰻を入れたケースが何段も高く積み上げてあって、井戸水をくみ上げた水を、上から、ちょろちょろと24時間落とし続けている。その水の流れる音が、ピチャピチャと土間に響く。そして、備長炭の炭火の熱気とカラカラという音。

鰻屋の店主であり、今は亡きその友人の父親が、「鰻」が好きかと聞くので、「大好き」と、その時は、素直に答える。そして、どこが美味しかったのかと聞かれる・・・・・。祖父と旅行をする度に、その地域の通ではない、大衆的に有名で、流行っている鰻屋さんに連れてもらっていたので、伊勢の「川はち」とか。三島の「うなよし」の話をし、人がいっぱいで・・・、なんて話をする。何度も断っておくけれど、私は、単なる鰻好きで、グルメではなく、味をよく知っている訳でもない。学生の頃は、なおのこと、そうだ。

小学生の頃に、確か、誕生日か何かのお祝いついでに、祖父に、お寿司屋さんに連れて行ってもらうと、鰻だけを15皿ほど頼んだ記憶がある。今から思えば、よくも、まぁ、黙って、見逃してくれたものだとおうも。この歳になると、そういう事に対する、少しばかりの、感謝の念もわく。まぁ、そういう、単なる、鰻好きな訳け。

13才前後の4、5年間ほど、伊豆に、富士山の見える小さな小屋があって、夏休みの3週間ほどを、そこで、祖父や祖母や兄弟と過ごした。それで、たまに、三島まで行き、「うなよしの鰻」を食べた。旨かったという記憶より、流行っていたという記憶が大きい。何時の時か、小学校の時の友人Uくんを連れだって、その伊豆に、遊びに行った時があり、やっぱり、三島で鰻を食べた。

その時、そのUくんは、鰻の骨が喉に刺さるのが「イヤヤねん」と、言いながら、一本ずつ、鰻の骨を抜き取って、丁寧?に食べる。その滑稽な記憶が、映像として鮮明に残り、時として、今でも、鰻を食べる度に、その記憶が蘇り、ひとりで、ほくそ笑む。もし、私が鰻を食べていて、独り笑いをしていたら、その記憶が蘇っているのだとおもってもらって、間違いない。

ついでに言うと、そのUくんとは、高校生の頃、スケートボードが、まだ、日本で、ほとんど売られてなかった頃に、一緒に遊ぶ。Uくんが言うのには、スケートボードをするのに相応しい場所がなく、探したあげく、何百メートルもの直線が続く、大阪の地下街の虹の町を、思いつき、人通りが少なくなる、閉店間際を狙って、ガードマンに追いかけながら駆け抜ける時のスリル。「たまらんわーー」と。彼はいま、生野区の巽北で、鉄板焼きの店MUDDYを営む。

それで、その、三島の鰻屋さんと、それにまつわる、鰻の骨を含めた「鰻の話」を友人の親父である鰻屋のご主人にする。そして、数ヶ月後のある日、その親父さんに会うと、「親子で、新幹線に乗って、三島まで、鰻、食べに行ってきましたでぇ」と、職人さんの、商売人の、独特の大阪弁のイントネーションで、いう。そして、「まぁまぁやな」・・・・・と、ほんの短いセンテンスと余韻だけを残して、その話題の全てが終わった。

働くようになって、「鰻」を食べながら、時として、その時の「まぁまぁやな・・・・」を思い出す。それは、その三島の鰻屋さんにたいする言葉というよりは、自分の店と自分の店の鰻に対する、職人として、そして店主としての自負であり、姿勢なのではなかったのかと・・・・・。

 

「北斎と富士とB級グルメの旅7」
「私」も店主となった今、その「まぁまぁやな」に含まれた、様々なニュアンスの全てを、何時か、確かめてみたいと思っていた。そして、今となっては、かなわない事だけれど、出来れば、その体験をネタにして、その親父さんと、語り合えれば嬉しいのに。とも、おもう。

それで、三島で鰻を食べる。狭い階段に、前後身動き出来ない状態で、もたれかけながら、30分以上も待って、ようやく、鰻にありつく。大阪では、考えられヘン事。とにかく、繁昌している。繁昌しているというその事そのものが凄い事だとおもう。「鰻」の事は、「まぁまぁやな」の件は、鰻屋「竹うち」の親父の後を継いでいる、私の友人と、何時か、語り合おうとおもう・・・・・。

そうそう、家族3人で、食べ終わったら、既に、午後8時を廻っていた。
ここまで、来たのだから、ついでに、「伊豆の家」に立ち寄る。
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DSC07927「手入れをしない家」というものが如何に、容易く、朽ちて行くものか、と、この目ではっきりと、確認する・・・・・・。そして、不覚にも、12才頃の自分自信の「頭」に出会う。不思議な感覚。なぜか、ジャイアンツの帽子だった。きっと、たまたま、三島で買った帽子が、ジャイアンツだったのだろうか・・・・。記憶がない・・・・・。

早朝、鮮やかな富士山ではないけれど、富士山は見えていた。それで、急いで、富士宮市に向かい、「山下白雨」だけは、何とか撮影したいと願った。


PS
それにしても、今日は、暑い。朝、セミの声も聞いた。夏がやって来たのだ。 そうそう、土用の丑だ。大阪府 堺市 鰻(うなぎ)料理(蒲焼)専門 鰻や 竹うちは、如何ですか!

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2009年07月05日

いのち

早朝、掃除をしていると、大工のSくんやって来て、「社長、あのぉ、花壇に、ネコが・・・」というので、見に行くと、花壇の草花の上に、眠るかののように、横たわっているネコが、亡くなっていた。きっと、夜の間に、何かが、起こったのだ。

ところが、それを、どうしたら良いものかと、暫し、悩む。持ち主を捜すのか・・・・。それよりも、何よりも、そのまま放置しておくわけにもいかない。とにかく、動かさなくては・・・。と、脳は、そのように、指示していたのだが、お恥ずかしいことながら、触る勇気がでなくて、体がそのように動かなかった。

そういう時って、一体、何に恐れているのだろうか・・・。自分でも不思議なのだけれど、触る事に躊躇する「私」がそこにいて、「ためらい」が、体全体に充満していた。そうそう、保健所に電話をしたらエエのだと、思いつく。それで、奥方に電話をして、聞くと、「今日は、土曜日やし、来てくれるかな・・・。早く、何とか、してあげてぇ・・・」という。

と言われてみても、触る勇気が出ず、その辺りを、行ったり来たり、ただただ、うろちょろしている、「私」。そうこうしているうちに、経理担当のK林くんが、出社してきて、ネコの事を言うと、「そうですか、全然気付きませんでした。」と言って、軽やかに、ビニール袋を用意して、花壇に上がって、簡単にネコに触って、「もう硬直しているので、結構、時間がたってるとおもいます。」と言いながら、開いている目を閉じさせながら、丁重に、ネコを袋に入れた・・・・。ただただ、傍らで、唖然としながら、感心して見守る「私」。

暫くして、奥方から電話があって、「会社に行こうとおもうけど、もう、ネコ、何とかしたのぉ? よう、見やんから、会社に行くの、ためらうワー」と言う。それで、K林くんの話をすると、「なに、それ、いやぁ、情けないワー、自分で、でけへんかったん。それにしても、K林くん、凄いワー」と。えー、そこまで、言うかぁー、自分は、見ることもでけへん、って、言ってたやん・・・・・。

RIMG0483その時の、脳というものは、支離滅裂だとおもう。「おくりびと」という映画を見たい。と、そう思った。 近くでネコを飼っている人の事が思い浮かんだ。現在リフォーム工事中の現場で、仮設のネコの家を造った写真を思いだした。昔飼ってた、ミニチュアシュナウザーが亡くなった時に触れた体温を思いだした・・・。

きっと、「死」を扱うっていう事柄には、様々な、何かが、含まれているのだろう・・・・・。

そういえば、数日前には、会社に、文鳥が迷い込んで来た。大騒ぎしながらも、皆に、なつく様子が、なんともカワイかった。誰かが、段ボールの、「巣」を造って、一泊させた。会社の前に、「迷い鳥」の張り紙をすると、次の日、近くの散髪屋さんのお祖母さんが、尋ねてきて、「皆が、かわいがっていた鳥を逃がしてしまって、どうしようかと、心配し、悩んでいたんです。」と・・・・・。無事、飼い主の元に戻る・・・・。

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後日、写真に映る、黒い足下の二人が、元気にしているかどうか、散髪屋さんまで、のぞきに行ってきました。元気でしたよ。と。

そうそう、数日前は、何故か、毎年のように、ダイニングに、迷い込んでくる、「青すじアゲハ」が、今年も、やって来た。突然、テーブルの上に現る。なぜ、ここに、毎年、やってくるのだろうかと、本当に不思議におもう。でも、何となく嬉しい。

今年は、テーブルの上で、右向いたり、左向いたり、羽根広げたり、閉じたりと、ポーズを1時間ほどとって、写真撮影を促された。それで、モデルの如く、撮影をしてみる。そして、気が付くと、いつしか、消えて、いなくなった。

このまま、ここで、亡くなるよりは、そのほうが嬉しいともおもう。いつしか、どこかで、亡くなり、そして、いつしか、どこかで、生まれ変わった「青すじアゲハ」は、来年もやって来るのだろうか・・・・・。

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