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2011年01月30日

サッカーと相談会と音宴の日曜日24時間

忍耐強く、アジアカップサッカー決勝のオーストラリア戦を見る。プレイしている人は、想像以上に忍耐が必要だったのだろうが、見ている、私たちも、かなり忍耐がいる試合だった。深夜、我慢しながら、延長まで、見続けての、あのボレーシュートは、気持ち良かったね・・・。スカッとしたね・・・・。

日曜日の午前零時頃に迷う。このまま寝て、早朝のランニングをするか、サッカーを見るのか。そうすると、奥方が、明日は、大阪マラソンやから、大阪城周辺には、規制があって、アカンとおもうから、サッカーとちゃう。という。確かにそうだ。そんな事もあって、サッカー観戦をチョイスすることにして、ひたすら忍耐しながら観戦したのだった。気がついたら、奥方の姿は見えなくなっていて、寝室で寝ているようで、結局、夜中の3時まで、ひとりでサッカー観戦。サッカーって、何人かで見たほうが、絶対的に楽しいよね。

最後はBS放送に切り替えて、優勝トロフィーをもらうところまで見て撃沈した。それにしても、あの長友を中盤に上げた選手交代は、アドリブなのかね。前から想定していたひとつのオプションだったのかね。と、ザッケロー二監督の采配も興味深かった。

今日は、2ヶ月に一度の日曜日の相談会があって、5時間ほどしか寝ていない、サッカーボケしている寝不足の頭を、朝風呂に入って目覚めさせて出勤する。まず、午前中のAさん。奥さんの実家の近くで、中古住宅を購入してリフォームを目指す。中古住宅の斡旋のお手伝いをしてもらっている、日住サービスのナリタさんと一緒に見つけた物件を購入する予定だけれど、思うように、物件の金額が安くならなかった。当然の事として、建築費に負担がいく訳で、コストパフォーマンスの良いリフォームをするためには、どのようなコストダウンをすれば良いのかと、設計のタナカくんと私と施主のご主人と奥さんとの4人で一緒に悩む。

昼からのBさん。建て売り住宅が並ぶ道路の突き当たりの一番奥。幅2mで道路に接道する変形敷地で、ご夫婦はマンション住まい。御夫妻の娘さんと娘さんの子供さんと、御夫妻の息子さんの3人で、その建て売り住宅に住んでいるという、不思議な状況。御夫妻が、今、考えている事は、老後の事をいろいろ考えて、マンションを引き払って、息子さんや娘さんたちと、集まって一緒に住みたい。それで、その建て売り住宅を建て替えたいけれど、耐震や予算や接道の問題が悩ましい。何よりも、将来の家族の誰に焦点をあてて、プランを考えれば良いのかと・・・・・。

今、再び、集まって一緒に住もうという、リフォームや新築の要望がチラホラあって、これはこれで、いまという時代を反映していて、なかなか興味深い。さて、どのような設計的アイデアが求められているのだろうか。と思索してみる・・・・。

午後3時からのCさん。先週に御夫妻でお見えになり、一時間ほど話を聞いているうちに、実は、建築家の林敬一さんのファンなんだけれど、相談するのにも、なかなか敷居が高くて・・・と。そんなこんなの状況を林敬一さんに説明し、その結果、今日のこの日曜日が、林敬一さんとお客さんとのお見合い日に設定されたという訳。そうそう、これをお読みになっている方々の中で、建築家との家づくりをやってみたいけれど、敷居が高くてと、思っておられる方が、いらっしゃるのなら、気軽に弊社にお問い合わせ下さい。

午後5時、第2回の音の宴を催す。それぞれが、自分の好きな5曲を持ち寄り、それを皆で聞いて、自分の好みで採点しながら飲み食いするというお遊び。今回のDJは、建築家のヤベさんとその施主でもある、カトウさんとタニガワさん、それに設計のオオタさんとプロデュースのヒヤマさんと私の6名。そうそうオーディエンスとして、建築家のイシイリョウヘイさんとカトウ夫人やタニガワ夫人が加わって、9名による、音宴となった。結果はカトウさんが、一等賞となり、深夜の午前零時前に、名残惜しく解散・・・・・。

そんな訳で、サッカーと相談会と音宴が入り乱れた、日曜日24時間。であった。

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2011年01月23日

ステイ

冬だから、寒いと言えば寒い。でも、穏やかだと言えば穏やか。そんな大阪の朝。先週の土曜日は、予期せぬ葬儀があり、全ての現場を停めて、全社員と大工と手伝いと協力業者で、告別式に参列した。翌日は、土曜日に打ち合わせ予定になっていた方々を日曜日に振り替えて頂いて、打ち合わせをした。その日曜日の朝は、流石に、様々な余韻が残っていて、メチャクチャに寒かった事もあって、まったく、ランニングをする気持ちになれず、走らなかったが、今朝は、そんなに寒くもなかった事も手伝って、なんだか走りたくて走った。

snapshot-1295756588.824062ジャクソンブラウンというアメリカのシンガーソングライターのアルバムに、「running on empty」 というアルバムと曲があって、なぜか、唐突に思い出す。レコードジャケットのライナーノーツと歌詞対訳には、孤独のランナーとあり、「・・・ むなしく走り続ける。わけもわからず走り続ける。太陽に向かって走り続ける。なのに、時の流れに追いつくこともできずに走り続ける。・・・」という歌詞だった。と、レコードアルバムを引っ張り出してきて、眺めてみた。

そんな、ランニング オン エンプティーな心境で走った訳では、全くないのだけれど、時として、走る事が、ちょっとしたブレークスルーをもたらすことがあるのかもしれない。とおもう。そういえば、間寛平のアースマラソンというのも、完走と聞くと、たいしたもんやな。と興味深くおもえるわけで、わけもわからずに走り、わけもわからなく「アメマ~」と叫ぶのも、時にはエエでぇ。とおもえるような、ここ数日。この一週間は、脳内に突然なリセットがかかったような感覚だった。

そうそう、その、「running on empty」 というアルバムのB面のラストにステイという名曲があって、それを思い出す。特に、曲の後半の、女性のコーラスが、「みなさんもう少し長くいてください。私たちはもう少し長く演奏していたいんです。・・・」という、熱唱あたりから、ぐっときて、奥方も、これ、これがエエね。昔から大好き。と唸る。

ナカタさんへのお悔やみのメールや電話やお花を施主の方々からたくさん頂戴し、どちらかといえば、先週は、その「ステイ」の心境。その一部だけ抜粋させて頂くと・・・。

「・・・・しばらくお目にかかっていなかったので残念です。
小さな頼み事でもわざわざ京都の果てまで駆けつけてくれて本当に有り難く思っていました。お茶を飲みながら仕事の愚痴を面白おかしく話して息抜きしていらっしゃったのが昨日の事のようです。・・・」

「・・・・ 昨年、我が家の工事現場にもたびたび訪れていただき、接した時間は少なかったのですが、いつも施主の立場に立った温かい言葉を掛けてくださいました。・・・」

「・・・・色々とご対応して頂き、これからもまだまだ頼りにさせて頂こうと思っていたので、非常に残念でなりません。 ・・・・」

「・・・築7~80年の3軒長屋の真ん中という事や、とても狭い周辺道路ということもあり、ご近所へのあいさつ回りに同行いただき不安に思われている両隣の方に丁寧に、そして大丈夫ですと自信を持って話していただき、とてもスムーズにあいさつ回りができました。
おかげさまで快適な生活を送らせていただいてます。
これも家が建った後のこと、建物自体はもちろんご近所との付き合いを大切に考えていただいた木村工務店さんのおかげです。・・・・」

仕事の関係の方々から
「・・・・また、当時、娘さんが結婚されるとうれしそうにおっしゃっていたことも、覚えています。 確か、京都の海岸沿いのご出身だったと記憶しています。 ぼやきながらも、人に愛される方だったと思います。・・・・」

「・・・現場に着いて、中田さんの顔を見ると、なぜかとてもあったかい気持ちになりました。仕事が終わると、いつも1時間くらいいろんな話を聞かせてもらいました。子供さんのこと、お孫さんのこと、中田さんの仕事の歴史。 とくにお孫さんのことをお話しされていたときの、少しはにかんだ笑顔がとても印象に残っています。
とにかく私は中田さんのことが大好きでした。
きっと誰もが中田さんのことを忘れないと思います。
あっちでも、中田さんらしく、みんなをあったかくしてください・・・」

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「ステイ」のようなコトバが、ナカタさんへ届いただろうか・・・。

とは言っても、時間というのは、無慈悲なもので、待ってくれる事もなく、まさしく、刻々と過ぎていくのだった。その週は、月1回の大工さんと手伝いさんのミィーティングがあって、その機会を利用して、ホームページに載せるための写真を会社の加工場で撮影した。気分は、サッカー日本代表。いや、坂本竜馬。ちょっと、はにかみながら、笑う職人さん達が、それなりの雰囲気になっているような・・・・。高熱や所要で欠席した大工さんもいて、もう1回撮影するかね? 次は、社員の撮影かね・・・・。と欲が出る。
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左がレギュラーメンバーの大工さん達で、平均年齢は30代のヤングダイクス。他に3組の準レギュラーの大工さんがいる。腕の善し悪しでレギュラーとなっているのではなく、それは、単に、大工さんとの関係性だけの問題で、例えば、私たちにとっての大棟梁のオキさんとか、キナミさんタニオカさんタバタさんは都合で参加していない・・・。右はレギュラーの手伝いさんで、平均年齢は50代。解体からちょっとした基礎工事や鳶や左官やその他、何でもこなせて、人柄も良い手伝いさんの御陰で、大きなリフォーム工事の仕事が出来ているようなものだなぁ。と、あらためて感謝。

そんな、大工さんや手伝いさんが仕事をしてくれたリフォーム工事で、2年前にお引き渡しをした、阿倍野のT邸が、リクルートのリフォーム雑誌の2011年冬号の表紙に掲載される事になって、これはこれで、嬉しい。本文にも木村工務店のリフォームを4ページに渡って紹介していますので、宜しければ、購入して、内容をご覧下さい。

年始から、おもいもよらない出来事があって、一旦、歩みを止め、見つめ直した上で、それでも、たゆまぬ歩みを続けていきたいと思いますので、今後とも木村工務店をよろしくお願い致します。

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2011年01月16日

運命

祭壇の前、最前列に座る。自分自身の姿が、ドラマの一場面での、配役のような感じがし、それは、妙な、現実感であって、かといって、胸に、大きな悲しみが渦巻いているわけではなく、ほとんど、無思考な状態が続く。祭壇を眺めている「私」の姿を、どこか、非現実感を伴いながら、「私」が眺めているという、不思議な感覚。そして、時折、唐突に、涙が溢れる。

1月12日水曜日の朝7時過ぎ、いつものように出社し、掃除をしていると、現場担当で、おもにメンテナンスを担当している中田 昇さんが、全く、いつものように、大きな声で、「おはようございます。」と2階の事務所に入ってきた。ひとの顔を見て挨拶をするのではなく、それは、まるで甲子園球場に入ってくる高校球児のような感覚で、事務所に入ってくるのだった。私も「おはようございます。」と、かなり離れた所から、言葉を返す。

その朝の挨拶に、どれほど、気持ちが救われたことか・・・・。と、いまとなってはおもう。

それが、中田 昇さんと交わした、最後の言葉になるなどとは、おもいもしない。胸騒ぎがあった訳でもない。その日の午前中は、うちのミカワさんや外部のスタッフを交えて、ホームページの打ち合わせをした。昼過ぎには、石井修さんの最後の作品となった、弊社で施工した目神山の家22に向かうため、電車を乗り継いで、甲陽園の駅に降り立っていた。

20人ほどの大学生達と一緒に、目神山の12番坂を歩き、目神山の家22で、1時間30分ほどの時間を過ごす。施主のご主人にも、親切に応対して頂き、ほんとうに有り難かった。この家の2階のダイニングテーブルの椅子に座ると、必ず、石井修さんと会話をした時の事を想い出す。特に、石井さんが私にむかって語った、「それが、正直な家やな」という「それ」と「正直な家」は、まるで、私に与えられた、公案のようなものかもしれないとおもう時がある。そんな話も含めて、何点かのエピソードを学生さんに語る。

夕方5時30分過ぎ、目神山で落ち合った、弊社設計のヤマガタくんが運転する車に乗り込もうとした、その時、私の携帯に、設計のタナカくんから電話がかかる。「いま、ナカタさんが倒れて、救急車がきて、心肺停止で、救急隊員が、胸を押さえて蘇生している最中で・・・・・」動揺もあり、唖然とした様子もあり、それでいて、それなりに淡々とした声の電話だった。

何のことか、理解できなかった・・・・。車の中に乗りながら、コバヤシくんからも電話がある。理解不能。思考停止。阪神高速を走る車の中で、私は、背広に着替えていた。この後に、先々代からの得意先の新年会があって、上六のシェラトン都に向かっている最中だった。

車の中での何回かの電話で、理解した事は、中田 昇さんが、倒れたという事。お昼は、普通に施主との打ち合わせをし、倒れる5分前には、弊社の会長の頼まれ仕事を快く受けて、元気に、自分の席に戻ったという。机に座って、暫くして、急に、胸の圧迫を感じたのだろう、うつ伏せになった。その後、自らの力で、床の上に仰向けに寝転がる。その間も、携帯に掛かってきた電話に対応しようとしたり、もう一度、起き上がろうとしたりしたと聞く。しんどいとは、言わなかったらしい。その場に居合わせた、社員のコバヤシ、タナカ、ツジモト、ミカワ、タツタが必死の応対をしながらも、唖然とした心境だったのだと聞く。そして、救急車がやってきて、今、病院に向かっているところなのだと。

これから、座敷での会食があるので、携帯にはでられないとおもう。私が、電話を切ったら、メールで、事態を報告して欲しいと伝える。その時、私の心の中では、ナカタさんは、以前、病気で入院した時も、不死身のカムバックをして、今は、社員の誰よりも元気なので、必ず、蘇生する。と、最悪の事態。が、繰り返し葛藤していた。

8人の座敷。高級日本料理。途中に、コバヤシくんから携帯に何度か電話がかかる。が、切る。何度か、メールをチエックする。が、こない。度々携帯をチェックするごとに、最悪のシナリオへの覚悟が、徐々に出来てくる。しかし、それにしても、この時の日本料理は、とっても微妙な味覚だった。それに、会話の中での、私の笑顔の奥には、微妙な不安感が、漂っていたに違いない・・・・。

地下鉄谷町九丁目の駅で、やっと奥方と連絡が取れた。小声で話す。訃報。地下鉄小路駅に到着し、寒波の夜道を淡々と歩き、9時40分、会社に、ようやく、辿り着いた。社員が残っていた。私は、ちょっとした呆然と悲しみと怒りが同居した不思議な状態だった。理解しがたいという、ちょっとした唖然。ほんとうに死んだという、ちょっとした悲しみ。なぜ蘇生しなかったのだという、ちょっとした怒り。事の成り行きを聞く。そうそう、メールをして欲しかったとも言ったのだが、その場の雰囲気から、そのような内容を、メールで伝えにくいという、そんな社員の心境を、ようやく理解する・・・・。

お通夜があり、告別式が滞りなく終わった。

中田 昇さんは63才で、定年退職後も在職し、若い現場監督の応援と、主にメンテナンスを担当してもらっていた。「家守り」というコトバが呟かれる時代背景からすると、ほんとうに貴重な存在だった・・・。社員で富士登山に行った時、誰よりも先頭に立って、小走りで登った・・・・。丹波の山間に建てた木造住宅、今田町の家の基礎工事をするために、いつもいつも斜面を走って登り、駈け下った・・・・。今年の初出で、お正月に孫さんと一緒に特急電車に乗った話を、あの笑顔で、嬉しそうに語った・・・・。社長、大丈夫。ワシやっとくから、マカシトキ。と、何度も言ってくれた・・・・。何度も何度も真剣に言い合いの喧嘩をした。そしてあくる日は、お互いに、ちょっと気まずく、でも、ケロッとして、「おはようございます。」と言い合った・・・・・。

故人のご冥福をお祈りするとともに、これまでの貢献に謹んで感謝の意を捧げます。

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2011年01月09日

年頭所感

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お正月に宿泊したホテルの露天風呂から日の出を見た。しばし、考えた。いわゆるクラシックホテルを増改築し、リニューアルしたらしい。建築を媒介にして、自然に接しているわけで、建築空間や食事やホスピタリティー(おもてなし)やそこで寛ぐ時間に、お金を払っているわけで、そのなかでの建築空間の占める割合は、かなり大きい。建築のもつ力。というと、大げさすぎるが、そんな事をふとおもった。

確か、経済3団体の年頭所感だったのか・・・・

日本経済は長期の景気低迷にあえいでいますが、個々の企業とすれば「守り」から「攻め」へ転じる時にきています。つまり、新事業の推進やビジネスモデル再構築による「成長戦略」の展開であり、企業はそれ無しには持続可能性を維持できません。

新事業やビジネスモデルの再構築を助けるための「建築力」が求められているのだ。と、リニューアルされたホテルを体験して感じた。同様に、住宅に於いても、新しい住まい方や今までの住まい方の再構築がなければ、いまとこれからの家族関係やライフスタイルが成立しにくいのが、現代社会なのだろう。それに相応しい住まいへの建築力や工務店力が求められているのだ・・・・・。

ホテルで、我、何となく、思う。客室やメインダイニングやロビーでの、素敵な内装が、大切な要素のひとつだろうが、それ以上に、心地良い、嫌みのないディテールが、より求められているのだな。と。内部空間偏重の座敷牢的、ラブホテル的空間よりも、外部空間との、心地良い関係性をもつための空間、例えば、露天風呂とか、縁側的な部分とか、そういうものが、より求められていて、そのための窓やその他のディテールが、ほんと大切だな。と。そういえば、年末に立ち寄った京都とらやでも、同じような事を感じた。

昨年末の宴での事。ある設計者が、笑い飯は笑われヘン。銀シャリがスキ。スタイルよりもディテールが大切なのだ。と言った。なるほど。別の設計者から、最近の職人や現場監督の良心と意識の問題を指摘された。確かに。

いま、求められている、住まいや家づくりとは、それは、いったい、何なんだろうか・・・。そんな事を皆と一緒に模索しながら、施主さんや設計事務所さんや職人さんや社員と、家づくりの「良好な過程」を一緒に共有できる、プロフェッショナルな集団として、精進していきたいものだな。と、ほんとにおもう。

建築のもつ力が、自然環境や地域社会や界隈に与える影響と恩恵を模索しながら、ちょっとした社会貢献が出来ればエエね。ささやかだけれど役に立つ工務店として、存在したいものだね。を、2011の年頭所感としておこうかね・・・・・。

年賀状2011

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2011年01月02日

継続

2011年なのだ。

赤倉温泉のスキー場のホテルの客室の机に向かって、このブログを書いている、私のいまとここ。それにしても、12月31日と1月1日は、あっという間に過ぎてしまうな。と、振り返ってみると、あらためておもう。

12月29日は、木村工務店の仕事納めで、社員と大工と手伝いさん総勢25名ほどで、大掃除をした。木村工務店の伝統のようなもので、若い時は、馬鹿馬鹿しい。と、おもった事もあったが、いまは、残しておきたい、「日本的方法」のひとつ。だとおもう。

IMG_1800午前7時30分頃から午後12時まで、皆で分担して掃除をする。こんなに、掃除に一生懸命になるのは、この時ぐらいだね。掃除の後は、3階にある会議室に集まって、納会。舟盛りのお寿司とか、唐揚げとか、コロッケとか、それにビールと日本酒、ちょっとだけワインも。いつも、誰かが、話題にまつりあげられて、酒のアテになり、ワイワイガヤガヤと盛り上がるのだけれど、今年の突っ込まれ役は、確か、トクちゃんだったけ。そうそう、入社2年目のM嬢は、一升瓶で、堂々と、お酒をつぎに廻るまでに、成長したのだった・・・・。

IMG_1803その29日の夕方から、矢部達也さん設計で、弊社で施工した、「コトバノイエ」が、大阪ガスのコンテストで、最優秀賞を受賞した、祝勝会と忘年会が、コトバノイエでおこなわれて、正式発表は2月らしいが、40名ほどが、出入りしながら、かなり盛り上がった。iphoneのカメラの記録によると、建築家のヤベさんが、施主のカトウさんから贈られた、お祝いのケーキを、廻りを取り囲でいる皆さんからの祝福のコトバを、全身全霊で浴びながら、まるで、子供の如く、勢いよく、その蝋燭の火を吹き消したのが、22時45分の出来事だった。

30日の午前0時をまわった深夜まで続いた、タカヤマ建築事務所House_Sその宴会の影響と、休みに入った、気楽さで、30日は午前9時頃まで、寝た。そんな時間まで寝るのは、年に1、2回ほどかね。だいたい、最近は5時30分頃に目が覚めて、それは、単に、老化現象なのだろう。

夕方の5時頃、タカヤマ建築事務所の高山さん設計、弊社施工で、今年のグットデザイン賞を受賞した、「House-s & no201」のカットハウスno201で、髪の毛をカットしてもらい、ついでに、一年間の穢れも一緒に切り落としてもらった。のかも。本年の最後から2番目のお客さんだった。

ScreenClip31日、朝から、ランニング納めをした。9月から始めて、今日までのランニング回数は15回、トータル距離は142km、トータルカロリーが10969caloriesだそうだ。年末の最後に、心身を祓う。そんな感覚のランニングだったのかもしれない。ルートは、いつものように、清原神社から暗峠街道を経由して大阪城へ、復路は、東成の商店街から布施の商店街、白夜行街道を抜けて、家に辿り着く、約10kmの道程だった。

31日の午前中は、ここ3年ほど、なぜか、住宅専門誌、新建ハウジングの住宅産業大予測を読む。年末のこの号は、毎年、出来映えが素晴らしく、年末の楽しみでもある。2011年度版も、なかなかの力作で、読み応えがあった。

お昼からは、なんだかんだ、家の用事で、バタバタしているうちに、時間はあっという間に過ぎ、気が付けば、夕方になり、年越し蕎麦を食べ、紅白歌合戦の後半を見て、ゆく年くる年で、新年を迎えるという、しごくオーソドックスな年末年始の過ごし方なのだ・・・と、こうやって振り返ってみると、そうおもう。

IMG_18111月1日は、毎年、朝から、家族で、「おとそ」をする。今年は、私たち家族4人と、父母の6人。祖母は入院している。「新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。」と、両親にしろ、奥方にしろ、子供にしろ、あらたまって、キッチリと礼節をする。というのは日本的方法なんだろう。大掃除と同じように、反抗的だった若い頃もあったが、いまは、その良さを理解できるようになった。

日本酒で、乾杯をして、お年玉を渡し、おせちを食べて、雑談で、暫し盛り上がり、その後、地元の清見原神社へ初詣。偶然、小、中学校の同級生の家族の初詣に出くわした。久しぶりの再会に、握手を交わしながら、家族写真の撮影をかってでる。「はい、撮しますよぉ、パチリ。」これが、本年最初の、撮影だった。

夕方頃、奥方の実家に行って、奥方の兄弟姉妹子供達14人で、鍋をする。子供達のお年玉の「集金と配付」も兼ねて、ここ数年続いている、お正月の行事でもある。そうそう、子供達がゲームで遊んでいる横で、BSテレビのイチロウと糸井重里の対談をチラチラと見たのだ。なかなか面白い対談で、対談の場所のデザインも面白かったな・・・・。

毎年、お正月の3日や4日や5日に、日帰りとか、1、2泊で、スキーに行くのだけれど、今年は、2日に行く事になった。2日に大阪にいないのも久しぶり。奥方によると、だいたい、旅館のキャンセルが発生し出すのは1週前で、その時をめがけて、めぼしい旅館に電話をして、キャンセルの状況を聞くのだと。その結果、とれたのが、赤倉観光ホテルで、2日からならOKで・・・。

という事で、今日、1月2日の朝の3時に起きて、車で、家を出た。北陸道から回ろうかとも思ったが、チェーン規制がひどかったので、中央道から行くことにしたら、朝の8時30頃には、ホテルに到着していた。そういえば、帰省で、東京から戻ってきた長男も行く事になって、半分以上の時間を運転してくれたので、楽ちん楽ちん。まぁ、こんな事が、長男とのコミュニケーションなのだ。とおもう。

高速道路のインターチェンジを降りてから、15分ほどで、スキー場のホテルに着くのって、昔と違って、赤倉って、意外と近いね。エエね。なんておもった。そういえば、初めて、スキーをしたのが中学2年の時で、夜行列車で、赤倉に行ったのが初体験だった。大学生の時に、友達3人で、夜行バスに揺られて、赤倉の春スキーに行ったのは、もう30年以上前のことで、それ以来の赤倉。

IMG_1832その赤倉は、朝から吹雪で、ホワイトアウト状態だったが、今、午後10時、雪は止んで、夜景が見える状態。なぜ、こんな所で、こんな日に、こんな時間に、こんなに足腰が悲鳴を上げている状況下で、こんな、ダラダラ書きのブログを書いているのか。ちょっと、馬鹿げているんじゃない・・・。とおもうのだけれど、まぁ、昨日の対談のイチロウには、遙かに及ばないものの、今年も、日曜日に書く「Voice of 木村工務店」は、「継続は力なり」として、続けていこうとおもう・・・・。

皆さん、あらためまして、「明けましておめでとうございます。」 本年も木村工務店共々、このブログも、ご愛顧下さいますよう、よろしくお願い致します。

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