2011年04月10日

チャリティー花見

チャリティー花見の宴を催す。いやぁ、実は、その当日の朝もどうしようかと迷う気持ちもあって、でも、自粛より、やるのならチャリティーが「普通の流れ」なのかとおもい、社員と大工さんと手伝いさんの30名ほどで、粛々と催した。

IMG_2125社員のミカワ嬢が、空き缶で手造りの義援金BOXを作成してくれて、それが、人間味があって、柔らかな気持ちにさせてくれる。そこにまず私が、1000円札を入れる。この金額が多いのか少ないのかケチなのかどうかわからない。孫さんのように100億の甲斐性があるわけでもないので、皆で、ささやかな、身の丈のチャリティーをその都度、何度も何度もしていこうというのが、意図。それにミカワ嬢がコインで続く。それがバランス良く、ほっとする。

乾杯の前に、私から皆に、チャリティーでもあると伝え、まずは、乾杯し、食べる前に、このBOXに入れるようにお願いして、IMG_2138参加者の一人ずつに缶を持ち回った。社員も大工さんも手伝いさんもポケットや財布から、今持っている小銭をわしづかみにしたりしながら、笑顔で、まるで、お賽銭のようにカンカンに入れてくれた。1円玉、5円玉、10円玉、100円玉、500円玉、たまに1000円札。ほとんどが、仕事着のままの参加で、皆が、いま労働し終えた、その労働の一部を義援金として捧げてくれた、身の丈感覚。集まった18,496円は少ないのかもしれないが、ささやかな気持ちとして、お届けしたい。

思い起こすと、3.・11が勃発したその二日後の3月13日(日)に小中学校の同窓会があって、それが、バスで久美浜までカニを食べに行くツアーで、しかも、その企画と幹事をしていて、それで、あたふたと幹事数人と中止するのかどうかの相談をし、結局は行く事にして、朝8時のバスに乗り込んだ。出発のマイクを持った第一声で、この震災で亡くなった人々のために、まず数秒間の黙祷を促して出発をしたのが、この震災で、一番最初にした黙祷だった。それから、社員の朝の集まりや会議、大工さんとのミィーティングなどで、数回の黙祷をしてきた。

3.・11以降に工事契約したり、工事中のお施主さんに、その方と弊社の連名で、赤十字社に義援金として送金し、その送付票をお引き渡しの書類に添付する事にした。金額はごくわずかで、ささやかな金額だけれど、この状況下で、工事契約をして頂いた感謝として、工期の遅れを辛抱強く受け入れて頂いたお礼として、それにまた、この震災中の工事であった事を記録として残しておきたいという意味があるのかもしれない・・・・。

花見を終えて、様々な事をおもう。生活するためのエネルギーというより、楽しんだり、少しだけ贅沢に消費するエネルギーの一部を、わずかな金額だけれど義援金に変換してみようかとおもう。送電線から送られてくる電気エネルギーに感謝できるような「フクシマ」として収束して欲しいとおもう。世界の国々と仲の良い関係を保ちながら、エネルギー資源を輸入して、安全でクリーンなエネルギーを創エネし、バランスの良いエネルギー国家になってほしいとおもう。夜型より朝型の社会の方が、電気消費のエネルギーは減るのではないのかとおもう。でも閑散とした暗い都会は寂しいなとおもう。いや、キャンプ場の暗い夜は案外心地良いとおもう。住むには危険が伴う津波や原発の地域のこれからの都市計画はどうするのが良いのだろうかとおもう。さて、どんなバランスで省エネの慎ましい生活がエエのかなとおもう。

いろいろなことをおもう・・・・。いや、これからは、おもうから、為すやね・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2011年04月10日 22:15 « 文明 | メイン | 影響 »


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