2011年05月08日

印象が存在すると心の中の時空がゆがむのか。

朝、3時半に目をさまし、シャワーを浴びて、4時に車に乗り込んで出発する。後の座席には、次男が毛布を持ち込んで、眠たい。とひと言呟いて、いきなり眠りこむ。どうしても行きたいわけやないけど、まぁ、行ったるわ。っていう感じ。昨年一年間は、いろいろと旅をして、お金も使ったので、今年のうちの家族旅行は、自粛ムード。それに、世の中で、今、起こっている出来事に、相応しているのかもしれない。

奥方は家が好きだから、何処へも行かずにゴロゴロするという。というより、一泊二日で、神奈川県の丹沢にある知りあいの山小屋に行こうかと誘うと、「ゴメンゴメン、登山靴の底がとれたままで買っていないから、行きたいけど、我慢するわ。」と大阪のおばちゃん的断り方。「なんやったら、靴、買ってきたるでぇ。」と突っ込むと、「山ガールになる年齢制限を超えているから、絶~~対にいかへん。」と強い、お断り。これが、ちょっとしたホテルに宿泊して、温泉にでも入って、美味しい料理でも食べて、私の奢りで。という事になると、奥方のノリもかなり違うのだろうが、今年のゴールデンウィークの、うちの家族のムードは、こんな雰囲気だった。

近畿道に乗り込んで、すぐに第二京阪に入り、京滋バイパスを通って、ちょっとだけ名神を通過して、新名神高速道路に入る。新名神はトンネルの幅も広く、信楽と甲賀の山里の高いところを通過していくので、天空のラピタとは言い過ぎだが、独特の気分感があってエエ感じ。新名神から東名自動車道路に入り、そこから伊勢湾岸道を通る。途中に長島温泉のジェットコースターを眺め、名古屋港にかかる大きな橋を渡る。この道路も幅が広く。海の眺めや名古屋の工業地帯の眺めもあって、やっぱり独特の気分感があるので好きな高速道路。それで、東名の豊田ジャンクションに辿り着く。

名神だけをひたすら走り続けて豊田まで辿り着いていた時より、道路と眺めの変化も多彩で、それに時間も距離も圧倒的に短縮されて、ここまでのドライブはここ最近のお気に入り。感覚的には2時間ちょっとという時間感覚。ところが、豊田から富士川サービスエリアまでの区間が何とも辛い時間感覚で、浜名湖の眺めとか由比でいきなり現れる富士山には驚かされるが、道路の雰囲気も含めて、ちょっと苦手な高速道路。いつも右車線の車の数の方が多くて、左車線の車の数はパラパラ。その割には、右も左もそんなに車速がかわらないので、とにかくトロトロと渋滞するのだった。

このあたりを走ると、いつもケンミン性の違いを何となく感じる。関西方面で右車線をトロトロ走っていると、後から突っ込まれそうな勢いの車があって、最近でこそクラクションをならしたり、右ウィンカーを付けたりする様子をほとんど見かけないが、かつては、そんな車をよく見かけた。それに比べて、このあたりは、皆でのんびりと右車線を走っているような雰囲気で、ひみつのケンミンショー的違いなのだろう・・・・。

5月3日の早朝も静岡辺りの事故が重なって、眠気を誘うほどの渋滞が続いた。豊田から富士川までに、2時間ちょっとの時間がかかった、早朝の快適なドライブの2時間ちょっとの時間感覚と渋滞の2時間ちょっとの時間感覚との印象の違いは大きい。

アインシュタインの理論実証 米衛星、時空のゆがみ観測

2011年5月6日14時7分
地球の周りの時空のゆがみとGP―Bの観測のイメージ=米航空宇宙局提供

質量が存在すると、ボウリングのボールが載ったトランポリンみたいに時間と空間で構成される4次元の「時空」がゆがむ、というアインシュタインの一般相対性理論の予言が、米航空宇宙局(NASA)の人工衛星「GP―B」の観測で確認された。天才の考えの正しさが改めて実証された。
・・・・・

という、朝日新聞の記事が最近あって、「印象が存在すると心の中の時空がゆがむ。」という理論があるのかどうか知らないけれど、渋滞の中で、パンを食べたり、お茶飲んだり、音楽に聞き入ったりしつつ、印象の違いによる時空のゆがみを矯正しながら運転するのだった。そうそう、このあたりの道路を走ると、2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」の思い出が蘇る。それが、ひたすら遠く長く感じている高速道路の渋滞の心の時空間のひずみに、ほんの瞬間の解放をもたらすのだった。

そんな話を帰宅後に奥方とすると、「今年は質素に生活するけど、去年、一昨年と旅行にお金を使って、時にはもったいないと感じるけれど、エエ思い出が出来て良かったのとちゃう・・・。少々のお金使って思い出を作る事は出来るけど、お金で思い出は買われへんやん。私も家族で旅行した事、たまに思いだして、良かったなぁ・・と、ひとりでニタニタする時あるねん・・・・。」と。

そんな渋滞の影響で、5時間ほど掛かって足利のサービスエリアに到着し、はじめての休憩をとる。サービスエリア内のスターバックスでコーヒーとパンをテイクアウトするために並ぶ。並びながら、別に、こんな所で、結構な値段がするスターバックスのコーヒーをわざわざ並んでまで飲まんでも、安いコーヒーで十分とちがうのぉ・・・と、心の中が呟いていた。いや、きっと、渋滞の影響が心の時空にひずみを作っていて、そのひずみを解消するのに、プチ贅沢が必要だったのだろう・・・・・。渋滞とサービスエリア内のスタバでの売り上げの相関関係はどうなっているのだろうかね。

大井松田で東名を降りて、10時すぎに小田急の渋沢駅前に到着する。東京に住む長男と待ち合わせをしていて、それが、いろいろなタイミングが重なって、兄弟と私の3人で登山することになっていた。車で、仮眠しながら長男の到着を待って落ち合い、コンビニで、昼食のパンなどを買って登山口の大倉に到着する。車を駐車して、登山靴に履き替えて大倉尾根を登山する。途中、知りあいの大倉高原の家のオーナーと震災の事など話しながらコーヒーを飲む。そこを出発してすぐに、「長い時間、休憩して、話をしていたなぁ。」と次男が呟いた。

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それなりにきつい登りを登って、標高900mぐらいにある堀山の家が知りあいの小屋で、25年ほどの付き合いになる。そこから標高1490mほどの塔の岳山頂までは、かなりきつい登りもあって、大倉尾根の核心部なのだけれど、もう何十回もこの尾根を登っていて、このかた一度も一気に山頂に行ったことがなく、この堀山の家で、まるで、捕獲されたような生き物のごとく、ここで知り合った友人達と話し込んで、飲んで食べているうちに、気が付けば日が暮れてしまい、深夜遅くまで、アーダコーダと語り合うのが、ここでの正しい登山なのだろう・・・・。心の時空間がゆったりと、でもあっという間に流れるのだった。

次の日は、早朝から起きて、鳥のさえずりを聴きながら、木立の間から垣間見える、真っ白な頂の富士山を眺める。朝食のあと、小屋の数人と一緒に、頂上までの往復登山をする。まぁ、取り敢えず、山登りにきたでぇ。という証拠を残す程度の登山感覚。それなりに急な登山道だが、あれやこれやと世間話をしながら登っているうちに頂上に着く。それにしても、ここ数年で、若い人たちが増え、山ガールも急速に増えて、それはそれで賑やで華やかな山もエエのではないかとおもう。

そんな訳で、午前10時すぎには再び、堀山の家に戻って、また、いろいろな人とあれやこれやとコミュニケーションをしながら時間が流れていくのだった。そして、午後3時すぎに下山する。兄弟二人がほとんど走るかのごときスピードで下山するその後姿を親のメンツにかけて汗を流しながら必死で追いかけていくものの、あっという間に姿を見失い、ところどころで、二人が私を待つ姿に遭遇するのが、妙な喜びであった。

午後4時過ぎに車に乗り込み、コンビニに立ち寄る。渋滞に備えて、普段あまり口にしない、スナック菓子やジュースや甘いものを大量に買い込んで、長男を駅に送り届けて分かれ、彼は東京へ私たちは大阪に向けて渋滞の東名高速道路に突っ込んでいくのだった。沼津から豊田ジャンクションまで、繰り返し何度も何度も渋滞する東名高速道路上の車の中で、渋滞中に巻き起こる心の時空のひずみを無理矢理に矯正するために、常に口に何かを放り込でいた。午後11時すぎ、一度も休憩することもなく大阪に辿り着き、一泊二日の超私流丹沢登山が終わる。

きっと、この登山スタイルそのものが、仕事の質量による心の時空のひずみを矯正してくれているのだとおもう・・・。そうそう、中学3年生の次男は、夜な夜な続く、オトナの屈託のない会話を目を輝かせて興味深そうに聞いていた。大阪に着いてからの「たのしかった」のひと言が嬉しかったねぇ。

投稿者 木村貴一 : 2011年05月08日 20:01 « 静寂の15分間 | メイン | 3・11以前のゴールデンウィーク »


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