2011年09月11日

ちょい「脱皮」

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設計のマイタニさんに、キムラさん、これ知らんかったら、「もぐり」やでぇ!と暫くの間、脅されていた。神戸市の箕谷駅から呑吐湖の側に、「箱木千年家」という住宅があって、ウィッキベディアでは806年に造られたとあり、実際は1400年代に建てられたのだと、本にはあって、まぁ、そんなコトより、兎に角、最古の住宅らしい。

この土曜日。実は、先週のあの台風の日に、マイタニさんと学生とで行く予定だったのだが、延期になった。「私」的には、打ち合わせがあったのだけれど、この際、「もぐり」という汚名を返上すべく、お施主さんや弊社のスタッフに助けられて、何とか時間を工面し、マイタニさんの解説付きで、学生と共に訪問した。
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DSC01423建築架構的には、壁の90センチほど手前に木組みの架構が四方に廻っていて、架構と外壁という構成になっていたのに興味がそそられる。それで、上記の写真のような、柱と壁による空間が発生し、それは、まるで、「床の間の発生」を垣間見たような気分。

外に居るだけで、汗をかく、9月なのに暑い日中の土曜日。なのに、中に入ると「ひんやり」としていた。それは、なぜなんだろう。とマイタニさんとちょっとした論考をすすめながら見学する。室温そのものは、外気温と、そんなに大差はないのだが、内部の土壁と土間に触れると「ひんやり」しているのだった。体感温度は室温と内壁床天井の表面温度との二分の一だそうだ。室内の表面温度が低いので、体感温度が低く感じるのだろう。

外が、これだけ、暑いのに、なぜ、クーラーもないのに、土間と内壁の表面温度が低いのだろうか。と話し合う。夜間に室温が下がって、土間と土壁の温度が下がる。昼間は太陽熱で屋根や外壁の温度が上昇するが、茅葺きの厚みや土壁の厚みのおかげで、その熱が内部まで伝わらず、いわゆる、夏期日射取得係数μ(ミュー)値が低いので、室内の壁や土間の表面温度が夜間の低温を蓄えたままになる。その上、開口部が極端に少ないので、日射もほとんど入らない状態。また、天井がかなり高く、熱気を排出しやすい仕組みになっていて、室内が夜間の温度をキープしやすい状況なのだ。と。冬は囲炉裏や竈などで、熱を造って、壁に熱を蓄えるのだろう。風通しの良い家とは違う、夏、涼しい家の原型なのかと考えてみる。

そうそう、外壁は、大壁といわれる、柱が見えない壁。プリミティブで原始的な感じ。昨年のゴールデンウィークに旅して訪れた、尖石縄文遺跡にあった竪穴式住居と似通っていって、大地から土の壁がニョキッと盛り上がって屋根を支えているような感覚。それにしても、この当時すでに「縁側」があるのだな。と、今、写真を見比べて、再認識する。

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上の写真は、千年家のその横に、江戸時代に造られた住居が併設してある。こちらは、開放的で、千年家が、「土壁」が盛り上がった感覚なら、こちらは、「柱」が大地から立ち上がった感覚。ちなみに、千年家の柱や梁や床材は、チョウナといわれる道具で、加工されていて、木材にその跡が残っているのが荒々しくて男性的。柱も太くて少し歪で、表面もガタガタで、面取りも大きい。それに比べて、こちらに使われている木材は丁寧に鉋がけがされていて、所謂、柱が光っていて、面取りも小さくて真っ直ぐ。同行した学生が、こちらの方が好きですわ。と言ったように、モダンな感覚。

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右が千年家で、軒高も低く土壁。左が江戸時代の建物で、外壁は建具と板貼りで開放的で、軒高も高くなっている。この二つの建物の造られた年月の間には、大工道具の技術革新があって、オガと台鉋(ダイガンナ)と云われる大工道具の発明がエポックメイキング。

木を縦に切るのは難しくて、それまでは、木を石のように、楔で割って、出来た木材をチョウナという道具を使って表面加工をしていた。それが、オガといわれる鋸(ノコ)の出現によって、木を縦に切る技術革新がもたらされた。木から柱や梁や板材を鋸で切り取れるようになって、それまでは、木の表面がガタガタだったので、チョウナしか使う事が出来なかったが、台鉋といわれる道具が発明され、今、大工さんが持っているのと同じ鉋を使って、木材の表面を平滑で綺麗に加工が出来るようになった。また、オガを使う木挽きという職業が生まれて、柱材や板材を量産出来るようになって、室町江戸時代のあの町並みが生まれたのだ。と。これ、「村松貞次郎の大工道具の歴史」からのうけうり。因みにこの本は木村家本舗のプロデューサーでもあるコトバノイエのカトウさんから頂いた。

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それにしても、歴史の隙間を垣間見る感覚。

 

 

江戸時代に建てられた「はなれ」の内部は開放的で、土壁や板壁に囲まれた「千年家」を見た後に比べると、障子や襖といわれる「建具」というもので部屋を区切ったり繋げたりする、その「日本的感性」と、外部空間と内部空間の間を繋ぐ「縁側」の広がりに、あらためて気付かされる。
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↓ 左 江戸時代の座敷 _____________↓ 右 千年家の囲炉裏の部屋
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なぜか、千年家の部屋の方が新鮮に感じられ、この感覚の違いが面白い。左の畳と右のチョウナで削られたガタガタだがあじのある床。ちなみに、下の写真がチョウナ


上の左が北斎の富嶽三十六景の遠江山中図で、木挽きがオガで縦に木を切る姿。右上がオガで下が台鉋。これらが技術革新をもたらした大工道具だというのだ。室町江戸時代の座敷の鴨居や長押や柱は台ガンナがあってこそ生まれた室内空間だと・・・・。ところで、北斎のこの絵を見ていると、このお盆に見た、馬頭町広重美術館の広重と隈研吾の建築を唐突に思い出したのだが、それはまた・・・・。
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そんな訳で、ちょい「もぐり」のキムラから、ちょい「脱皮」をもたらしてくれた、箱木千年家見学だった。

投稿者 木村貴一 : 2011年09月11日 21:34 « 番宣 | メイン | 縁 »


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