2011年10月30日

そして誰もいなくなった

木村家本舗という、新たな「縁」を繋げるイベントを終えたのが、10月23日日曜日のコト。その日、うちの次男が、学校からホームステイでアメリカへ行くことになって、その準備とか見送りとかで、奥方は大わらわだった。もちろん、木村家本舗も開催中だったので、奥方はまさしくバタバタしていた。

ここで、少し、注釈を加えると、木村家本舗の正式発音は「キムラケホンポ」で、木村家(キムラケ)で、まぁ、それは、漫才の中川家みたいなもので、つまり、「キムラさんのおうちでする古本屋さん」から発祥された。そんな訳で、この発音の仕方によって、ネイティブがどうかを見分けたりして・・・・

その次男のホームスティ中の2週間ほどの期間を利用して、同じ学校に通う奥さんどおしで、イタリア旅行を企てたのが、我が奥方。もちろん、木村家本舗を頑張ったご褒美として、行くのぉ。というものの、その木村家本舗が始まる、何ヶ月も前から、そのご褒美を用意しているあたりが、流石。その出発が、10月25日火曜日の朝のコトだった。

つまり、7日間の延べ人数で、200人ほどの出入りがあった、あの賑やかだった、木村家本舗のイベントが終わり、訪問者は誰もいなくなり、本来の「家族の家」に戻るのかとおもいきや、息子だけでなく、奥方も、どこかに行ってしまった・・・・。

そして誰もいなくなった・・・・

もはや、単なる「家」となって、かつては、ツタイミカのマンガ皿が置かれてあった、2400mmの長さのあのテーブルに向かい、Yチエアーに独りポツンと座って、ブログを書く、いまここの「私」。先週とのギャップの激しいこと激しいこと・・・・。

その上、この週には、年に4回しか、それも、コンペの4回しか行かないゴルフが、一日おいて2回もあり、どの2回とも、天気は、雲ひとつない秋晴れのスカッとした天気なのに、スカッとしないスコアーしが出ない、この腕を嘆いてみたい心境だった。何時かは、「メンバーに恵まれまして・・・、」何て云う、おきまりの文句で、優勝の挨拶をしてみたいものだなぁ・・・。

建築という現場生産の「ものづくり」において、もっとも大切なコトのひとつは、「コミュニケーション」という問題で、それは、設計士や現場監督や職人さんが、家を造るために、「建築に貢献」し、「施主に貢献」し、「技術者どおしが貢献」するという、「貢献」という大前提がないと、良好なコミュニケーションは成立しにくいなぁ・・・と感じる今日この頃。

そのコミュニケーションの「潤滑油」として、ゴルフがその役目を担う場合も多々あって、建築の専門工事業者の中には、ゴルフ好きが多く、ゴルフを「接待」としてではなく、コミュニケーションの「潤滑油」とするのも、それはそれで、エエではないのかとおもう。本来的には「接待」は、コミュニケーションの「潤滑油」程度の軽やかなコトだったのだろうが、肥大化と賄賂化と談合化が、いきすぎてしまったのかもしれない・・・。

kawamtoまたその上に、今日のこの日曜日は、弊社の設計士の川本建太くんの結婚式があって、社員共々で、お祝いをした、たいへん良き日でもあったのだが、主賓の祝辞を依頼されると、もちろん、心より引き受けるのだけれど、その一週間前ぐらいから、どんな挨拶にしようかと気になりだして、それに、意外と、社員のコトを知っているようで知らない「私」にも気付いて、心の片隅で、祝辞のコトを気にしている一週間でもあった。

独りっきりの「おうち」で、日々の食事のコトや、一週間に、二回もあったゴルフの用意や洗濯物、それにプレー前日のちょっとした緊張感もあり、また、結婚式の服の用意や祝辞の前のほんのちょっとした心労もあって、勿論、奥方の名誉にかけて、声を大にして、用意周到に準備をして出発してくれているのであります。と公言するものの、木村家本舗が終わって、ほっとするどころか、気の抜けない日々が続いて、神様は悪戯好きなのね・・・・とおもう。

昨日の土曜日の夜、そのゴルフから帰って来た時に、ツタイミカが、マンガ皿の搬出にやってきた。誰もいないひっそりした、どちらかと云えば、「ひとけ」のない木村家を見て、「賑やかな木村家本舗しか知りませんからねぇ・・・」と独特のあの笑顔で、まるで、マンガ皿のように、クゥクゥクゥクゥクゥと笑った。傍らにいた、ミカワ嬢が、「天照大神がお隠れになっているようですね。賑やかにして、呼び戻さなくては・・・・」と呟いた。

おうちで静かな独りも悪くはないが、なるほど、「家」というものは天照大神が照らしていたのだな・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2011年10月30日 23:02 « 「住宅相談会」と「まちの縁がわ」 | メイン | 多謝 »


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