« 2011年12月 | メイン | 2012年02月 »

2012年01月29日

音タク(オタク)

自分の好みの5曲の音楽を人に聞かせて、その聞いた音楽を何の客観性もなく、cameraroll-1327848607.624932まったくもって自分の趣味だけに基づいて10点満点で採点し、その結果を争い会うというのは、確かに、悪趣味で、なのに、それを「音宴」と称して、性懲りもなく、3回目として催すコトになったのが、先週の日曜日のお餅つきの後の出来事だった。

それは、自分の趣味を人に採点されたくないわ。という、至極当たり前の気持ちであるはずのに、その採点結果が発表されて、思いの外、自分の選択した曲の評価が低いと、俺の趣味など、解ってたまるかぁ。あいつら、音楽解ってへん。というような、妙に悔しい気持ちが湧き起こり、自分の選曲ミスを後悔しながらも、自分の音楽趣味に対する評価の低さに、憤りのようなものが沸々と湧いてきて、その事が、自分の中の小さな小さなプライドのようなもに傷がつき、それゆえに、妙な感情が尾を引いて残るのが、とっても不思議。

だったら、そんな悪趣味な、点数を付けて争うような音宴をしなければ良いのだが、他の人が一生懸命チョイスした5曲を聴くのは、ほんとうに楽しくて、意外な発見や、新たな音楽との出会いもあって、それに、あらためて、自分が好む曲が何なのかが理解できて、それ故に、自分の偏った嗜好性も発見し、また、高校生や大学生の頃に聴いた、スタンダードなエエ曲がかかると、かつての若かりし頃に聴いたその曲とその当時の思い出に対する高評価と感謝のような気持ちが湧いてきて、高得点を入れる。

いや、実は、そんな感情的問題や論理的問題そのものより、その時間、その音楽に対して、真っ正面に向き合って、一生懸命に聴く、というその行為が、五感を刺激するとっても心地良い個人的体験があり、それに、その体験を数人で共有するという、妙な音楽共有体験が生まれて、それが、この音宴の楽しさの本質ではないのかとおもう。結局のところ点数を付けるのは、この遊びを大まじめに取り組むための、方便にすぎないのでないのかと・・・・。

第一回目のメンバーによる音宴では、点数としては「私」が最高点であったので、妙なな満足感が生じ、第二回目音宴は、第一回目とはまた別のメンバーによって催されて、そこでは、コトバノイエのカトウさんが最高点で、それ故に、この回は、「私」の中には、妙な感情が暫くの間、ぐずぐずと引きずっていた。今回の第三回目は、第一回目のメンバーによる音宴で、特に、感情的違和感を抱いていた、第一回メンバーによるリベンジ力が、沸々と煮えたぎっていて、ところが、もともとは、東北の震災前後に開くコトになっていたのだが、あの震災の突発によって、延び延びになっていた事も沸々力に拍車がかかっていたとおもう。

それ故に、どのメンバーの選曲にも、その人なりの真剣さが、ひしひしと伝わって、かなりの聴き応えがあって、今回は設計のマイタニさんが、プログレッシブロックによる5曲を選曲し、最高点を獲得したのだけれど、なんと言っても、今回の参加メンバーのひとり、Uさんが、リベンジを果たすために、数日前から、沸々とした日々を過ごし、前日には、家で音楽をかけながら、奥さんに、これ、どう、エエ曲やろ。といろいろと確かめながら大きな音でかけ続けたために、同居する母親に、音が大き過ぎる。うるさい!と、窘められたそうだ。もはやそれは、40も後半にさしかかった、大人であるコトを忘れた、ほとんど高校生のような心理状態だったのだろう・・・。

それに、前日は、ほとんど寝ることなく選曲し、当日は、自分が愛用するレコード針まで持ち込んでやって来るという、気合いの入れようで、その上に、遊びというものの、何とか評価されたい、とする気持ちが、かなり強かったのだろうか、渾身の5曲をかけ終わり、ほっとし、最終のDJを勤めるマイタニさんのプログレッシブロックを聴いているうちに、暖炉の横で、熟睡をする姿が・・・・・。

一週間たった今、振り返ってみても少々滑稽な姿は、他の人が「一生懸命チョイス」した曲を聴かずに寝るとは何たる事かという、憤りのようなものを、「私」も含めた残りのメンバー全員が、その時その場で、少々だけれど感じていた事で、もちろん、大人の単なる遊びであるが故に、咎める訳もなく、それは、アカンでぇ・・・とう程度の嗜めと、翌日にUさん本人から謝罪メールのようなものもあって、この音宴に対する、「私」も含めた、メンバー間の妙な真剣さが、やっぱり滑稽と云えば滑稽。

こんな音宴の何が、人を真剣にさすのか?きっとこれがオタクの心境というやつだなぁ。

PS
ちなみに、今回の「私」のチョイスをカミングアウトすると
テーマはマイルスにおける変化するコトと変化しないモノ
1曲目 マイルス : Cookin’         : My Funny Valentine
2曲目 マイルス : Kind of Blue     :So What
3曲目 マイルス : Four&More      :So What
4曲目 マイルス : in a Silent Way :Shhh/Peaceful
5曲目 マイルス : We want Miles  :Jean Pierre
マイルスの「Nefertiti」を入れたかったのだなぁという迷いがずっとあって、今振り返ってみても、そのコトが、面白い心理状態だったなぁ・・・・。とおもう。

Share (facebook) 


2012年01月22日

お餅つきと日本的文化

朝、目が覚めると、午前9時を回っていた。何だか、腰が重たい。それに、ちょっと痛い。なぜなのか一瞬思い出せなかったが、そうそう、昨日、会社でお餅つき大会をして、「私」にしては、それなりに、かなりのお餅をついて、杵を振り上げては降ろし振り上げては降ろしと、けっこう楽しんだのだ。それが原因だなぁ。布団から起きて立つと、太ももにも張りがある。日曜日の朝の午前6時頃からのランニングのコトなど、問題外の状況で、走る気などまるでなかった。

そういえば、もともと社員の家族が集まって、うちの庭で始めたお餅つきも、社員の家族だけでなく、OBのお施主さんで、小さな子供さんがいらっしゃる方を中心にして来てもらうようになり、雨天の事なども考慮して、会社の加工場で催すようになった。昨年は、現場監督のナカタさんの突然の訃報で、急遽お餅つきを中止したし、それにあの震災もあって、日本国内もうちの会社も不穏な2011年だったとおもう。

心機一転。
Go Ahead 2012。

昨年の暮れに、「まちのえんがわ」という路面店をオープンしたこコトもあり、このお餅つきも、「まちのえんがわ」プロジェクトの一環として、また、これから始めていく「ワークショップ」の景気づけの役目も担いながら、なによりも、お餅つきという日本的要素をたっぷりと含んだ文化というものの継承と伝達のためにも続けていこうとおもう。

DSC05753

DSC05773DSC05770
DSC05884DSC05804

DSC05810DSC05808

DSC05798
DSC05790
DSC05762
DSC05696
DSC05700DSC05708
DSC05718DSC05748
DSC05736DSC05734
DSC05740DSC05738
DSC05776DSC05818

DSC05688お餅をつくまでの、いわゆる面倒くさい準備があって、これが、ものづくりのプロセスと同じく、これも面白いのだ。とおもえる中年がいなければ、成り立たないのがお餅つきだとおもう。お餅をつくための杵や臼だけでなく、おDSC05686米を蒸すための道具やお餅を丸めるための道具立てなどなど、うちは昔ながら、竈でお湯を沸かし、竈で蒸すので、そのために建築廃材を薪として使うこともあって、それらの段取りも中高年がする・・・。

そうそう、竈の「火」の側は人気の場所で、火を燃やし、火を見て、火の熱さや臭いを感じる。という行為の中には、不思議と癒される何かがあって、その側には何人かがたむろし、何気ないコミュニケーションが発生する。竈で火を燃やすというのは、お餅つきでの何よりもの楽しみのひとつだなぁ・・・・。

今朝、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんと顔を合わすと、社長、昨日、元気ですね。お餅、ちょっと、つきすぎですよ。きっと明日は足腰パンパンになってますよ。と、皆で話していたんですよね。と云われる。いや、全くそのとおり、少々パンパン、少々腰痛し、とカミングアウト。まぁ、でも、よくよく考えて見れば、今までは、何人かの年寄りの先輩達にお餅つきを指導をしてもらっていたが、今年からは、若手が積極的にお餅をつくようになって、賑やかで、威勢が良くて、活力があって、楽しかった。きっと若い人たちから元気をもらったのだとおもう。ありがとう!

そう考えて見ると、活力そのものが、お餅をつくるためのエネルギー源であって、活気が、杵と臼の間に挟まれた餅米をお餅に変容させるわけで、そうやってついたお餅には、活力パワーが宿っているのだ。と信じてみようかとおもう。いや、確かに、今朝食べたお餅は、特別美味しかったような気がするのだ・・・・。

基本的には男子がお餅をついて女子がお餅を丸めるわけで、そういう協同作業の中にも、日本的文化の何かを垣間見る。何人もの家族がお子さんと一緒にお餅をついた光景は、確かに微笑ましかったし、そういえば、現場監督のモリタくんの奥さんがお餅をつき、それを見守る娘さんが、DSC05874お母さんに「頑張って!頑張って!」と声援を送りだし、それを笑顔で見守るお父さんと周囲のひと達。加工場中に、なんとも言えない暖かいムードが漂う瞬間でもあった。「子供力」だなぁ・・・・。それで、これ以降、皆がこれを真似て、おっさん声の「頑張って頑張って」コールが加工場内に響き渡る。

DSC05868

それにしても、何よりもお餅つきで面倒なのが後片付けという作業で、しかしながら、ものづくりのプロセスでは、必ず必要で、また一番大切なコトのひとつ。この面倒くささを軽快に乗り越えられるのがどうかが、お餅というものづくりを継続するコツなのだろう・・・。幸いにも、社員とその家族の皆さんが後片付けを気持ち良く手伝ってくれて、心地良く2012年のお餅つきを終えるコトが出来たのも、とっても嬉しい出来事だった。

DSC05918DSC05920DSC05936
DSC05924
DSC05940

ちょっと面倒で、それゆえに独特の楽しさがある、「ものづくり」と「そのプロセス」。その一端を知り、学び、遊ぶ場としてのお餅つき。参加して頂いた、まさしく、老若男女の皆々様に感謝すると共に、お餅つきという日本的文化にも感謝しておこうかとおもう。

PS
このお餅つきのあと、「音宴」という温熱のノイケさんを中心とした仲間でのお遊びが、木村家本舗であって、それが深夜まで続いたのが、朝、起きられなかった原因だな・・・。その様子は、また何時か。

Share (facebook) 


2012年01月15日

写真力

IMG_2748IMG_2733土曜日。夕方、小路から神戸元町まで電車で行く。近鉄線が阪神線と合流し、奈良から三宮まで直通で繋がったと聞いていたけれど、乗車したことがなかった。それで、鶴橋から近鉄線に乗り、阪神線に繋がるのをへぇーっほぉーと、ちょっとした嬉しがり気分で、電車に乗る。何がオモロイのか理解できないけれど、電車に乗るだけで楽しい時が、確かにある。

昨年、木村家本舗で女性3人の写真展を開いて、写真展というものに全く興味がなかった「私」というこの存在が、コトバノイエのカトウさんの企画と、それを受けて、写真家のノモトヒロヒトさんのディレクションによって、3人の女性写真家が選ばれて、その数々の写真を見て、少しは写真に興味がもてるようになった。
IMG_2746
その3人のうちのひとり、この上の女性の写真を撮った山元彩香さんの写真展が元町であって、それを見に行くための電車乗りだった。彼女は20代の女性で、リトアニアまでひとりで出かけて、森で、女性の写真を撮るのだと。会うと、ほんとうに普通のカワイラシイ女の子なのに。何が彼女をそうさせるのか、不思議な感じ・・・・。

「写真を買って家に飾る」なんていうライフスタイルを考えたことがなく。山元彩香さんから、家に飾ってよぉ。と云われても、それが、そのぉ、見ず知らずの女性が、うちのダイニングの壁に飾られて、食事しながらそれを見ていると、その子の人生を考えるやん。とぼけてみる。寝る前に、ダイニングの電気消したときに、その写真から、出てきたりせぇへん。と突っ込んだりする。そんな事ないです。今度写真持って行きますから飾って下さい。と云うのだが、果たして、「写真家の写真があるLIFE」とはいかなるものなのか・・。

何て云う話を元町の中華料理屋さんで、木村家本舗の写真展をディレクションしてくれたノモトヒロヒトさんも交えて、ほとんどが30歳までの若い男女15人ほどが、中華の廻る円卓を囲みながらワイワイガヤガヤ。「私」は飛び抜けて最年長。それで、冒頭の写真が、そのノモトさんの写真。「LIFE」というシリーズ。ブルーのダウンを着ているのがノモト氏。握手をしている女性がヤマモトアヤカ氏。

それにしても、あの震災を真っ正面から撮影した建物のファサードはとってもインパクトのある写真だとおもう。昨年の夏に気仙沼に行った経験の中で、確かに、建築好きな「私」という存在の一部に棲息している私の中の誰かが、ファサード、撮りたい。真っ正面から撮りたい。と呟いていたが、周辺に漂う「沈黙」によって、堂々と写真を撮れる勇気、いやいや、勇気と云うよりも、その行為によって畏敬の念を失うコトへの震えなのだろう、道で、写真を撮ることなど全く出来なかった。ノモトさんは、おそらく、心の中に去来する、もっと様々な葛藤の中で、ファサードを真っ正面から、ある意味、堂々と、客観的に、撮ったのだろう・・・・。

IMG_2738円卓のテーブルから、チンジャオロースや、ハルマキや、スブタや、ギョウザや、などなど、けっこう美味しかった中華をぐるぐる回して取りながら、そんなコトを問いかけてみる。すると。実は、この写真を発表するにあたって、住まわれている人、一軒一軒を尋ねて、許可をもらいに行ったのだという。もう今は、完全に撤去されて跡形もなくなってしまった、冒頭の写真のファサードの持ち主は、おじいさんが造った建物なのだと、涙を流して、喜んで、許可してくれた・・・・と。 ノモトヒロヒト写真展LIFEのページを一読してみて下さい。

写真力か・・・。

Share (facebook) 


2012年01月08日

天狗倒し

1月3日。京都と兵庫県の県境にある日本海に面した久美浜で、カニづくしの料理を食べて満腹感になり、その上その日は、ハチ北高原スキー場でスキーをして、足腰がパンパンな状態で、夜の9時過ぎに布団に入ると、あっという間に寝むりに落ちた。家族4人ともがほぼ同じような感じ。

ま夜中。勿論、真っ暗闇。和風旅館の12畳の間に4枚の布団が並べられていて、家族4人が枕を並べて寝ていた。こんな寝方をした事って、何時以来の事なのかと考えてみるが思い出せない・・・。全員が、ぐっすりと寝ている、その時に、外から、突然、「どす~ん!!」という大音響が鳴り響く。それは、ピカッ、ドォーンと雷がすぐ側で落ちる音を遙かに上回る大きな音に聞こえた。

熟睡中の4人が飛び起きる。何?、何!、という息子二人の声。「私」は布団の中で目をつぶったまま、雷と違うかぁと呟く。奥方は素早く起き上がって、窓の側まで行って、カーテンを開て確認する。辺りは真っ暗闇で、何ごともなかった事を確認し、大丈夫やわ。と呟いて、床に着く。そのコトバを聞いて、全員が再び眠りに落ちた。

その日の朝から雪がしんしんと降り出していた。朝風呂に入って、朝食会場まで行って朝食を食べていると、女将が挨拶に来て、あれやこれやと話をしているうちに、昨日の夜中の話になって、あの大きな雷の事をこの地方では、「雪おこし」と呼んで、雪が激しく降るときの合図なのだ。と云う。今日の道路はまだ大丈夫だけれど、明日の朝あたりは凍結して道も危険になるだろうねぇ・・・・と。

深夜は、寝ぼけた状態で、ただの雷やな。なんていう、ちょっと冷めた心のありようだったが、女将の話を聞いているうちに、とっても不思議な体験をしたのだと思えてきた。確かに、とてつもなく大きな音だった。奥方は、夢の中で、戦争が起こって、爆弾が飛来してきたと思ったらしい。確かに、日本海の向こうには、テポドンを持つ国がある。それで、ビックリして飛び起き、窓際に駆け寄り、窓の外を見て、爆撃の炎があがっていない事を確認し、ほっとしたのだ・・・・・と。

そんな事をフェースブックに書くと・・・・・

木村 貴一 1月4日

夜中にめちゃくちゃ大きな雷の音がして、ビックリして家族全員目が覚めた。それを雪おこしと云うらしい。朝から雪の久美浜。— 碧水御苑にいます。

  • 矢部 達也
    ホンマでっか?
    1月4日 10:09 ·

  • 木村 貴一
    ウソちゃいまっ。ホンマホンマ!
    爆弾落ちたとおもうほど。
    うちの奥方、夢の中で、戦争起こったと思って、起きて、窓の外見て、炎あがってないのを見て、安心したらしい。
    1月4日 10:25

  • 河田 昌裕
    昔は「天狗倒し」とも呼ばれて、山中で遭遇すると、妖怪の仕業と恐れたそうです。
    1月4日 11:36

  • 木村 貴一 河田さん、
    あれ、天狗倒しとも云うのですか、
    いや、ほんとうに馬鹿でかい音でした。
    1月4日 15:09

  • 河田 昌裕
    水木しげる先生が、戦争中の体験で語ってました。真夜中に、天狗が大木を倒すような音が響くことから、「天狗倒し」なのだとか。世界中に同様の現象があるそうです…。
    1月4日 16:13

雪起こし、雪下ろし、天狗倒し、古杣(ふるそま)、いろいろな呼ばれ方をする怪音現象が世の中にはあるらしい。自然の神秘というものをあらためて体感したお正月で、そうそう、5日にはUSJを初体験し、乗り物酔いでクラクラした状態だったが、五感で体験するというのはやっぱりエエなぁ・・・とおもえたお正月でもあった。

さて、木村工務店では1月の6日が初出で、7日より通常営業が始まり。現場も動き出しています。また、「まちのえんがわ」も7日8日9日とスタッフが常駐しておりますので、皆さん、お気軽にお越し下さい。

Share (facebook) 


2012年01月01日

縁側で年始。

新年明けましておめでとうございます。

2004年からこのブログを書いてきて、元旦が日曜日だったことがなく、初めての1月1日日曜で、流石に、ブログを書く気があるような、ないような、とっても複雑な気分・・・。そんな気分の、いまとここは、午後9時をまわり、奥方の実家の食卓のテーブルの前に座りながら、背後には奥方の姉妹家族がテレビを見たりトランプをしたりする笑い声があって、正月気分満載。

背後から、奥方の妹の旦那さんが、ブログ読んでるでぇ・・・という意外な声援があり、その上、出来るのなら、看護婦さんの忘年会に参加したいわ。というヤジまで飛んできて、またそれを聞いた、女性陣が、それなになに、となって、また、ひとしきり、その話をして、盛り上がったりして、有難くもあり、めんどくさくもあり、いやいや、心の中では、結構喜んでいるのだなぁ・・・・・。

そういえば、12月29日は、木村工務店の伝統で、午前中に大掃除をして、お昼は皆で食事とお酒の納会をし、一本締めで終える。社員だけでなく大工さんと手伝いさんも一緒なので、まぁ、ここに参加するメンバーが、直系の木村工務店ファミリーなのだろう。一年間の出来事を踏まえて、誰かが酒のあてになって、どちらかと言えば、吉本新喜劇的に、わいわい言って、一年を洗い流すのは、いまこの年になると、大掃除という習慣と共に、先人達が残してくれた、日本のエエ伝統なのだ。と感じる。

毎朝、5時30分過ぎに目が覚めるのだけれど、12月30日は、目が覚めたら8時をまわっていた。その上、少し風邪気味。長男が東京から帰ってきたので、廃材の薪で、暖炉を付けて、その側で一緒にゴロリとなりながら、あれやこれやと、四方山話をしながらお互いにレコードをかけ合う。

IMG_2534IMG_2536IMG_0066IMG_0067

そのうち風邪気味の眠気が突然襲ってきて、気がついたら寝ていた。暫くすると、背後で、ウイニングイレブンのテレビゲームをする兄弟の声が聞こえてきて、それを見ながら、ゴロンとしているうちに、「私」も次男と対戦するが、コテンパンにやっつけられて、「あっはっはっ」と軽やかに笑い飛ばし席を立つ次男。その残像のような声を耳に残しながら、またゴロンとしてるうちに寝てしまった。そして、時折、フェースブックを覗いて寝る。時折、本を読み、そして、また寝る。寝て起きて寝て起きて寝た1月30日だった。

1月31日朝の6時前、目が覚めると爽快だった。それで10kmのランニング納めをし、スパー銭湯に行って、一年の垢も洗い流す。それにしても、久しぶりによく寝ると、脳の中にあるゴミのようなものや、雑音のようなものや、バグのようなものが、睡眠と共に取り除いてくれて、脳を最適化してくれたような感じで、スカットした。

奥方は、昨日の「私」の様子を察知して、我慢してくれていたのだろう、銭湯から帰ってきた、この日の「私」の顔を見て、はいはい、大掃除です。えっっと、担当は、リビングの床と窓硝子ね。次男は、このデッキの床と自分の部屋ね・・・と、命令が飛んできて、それに付け加えるように、これからの男性は、家の手伝いをせんとねぇ・・・と、駄目出し。

やっぱり、無垢材の床は、絞った雑巾で水拭きするのが一番だと、自分で拭いてみて、あらためて思う。うちのリビングは、木童土佐栂という無垢の栂材で、オイルも何も付けていないので、拭けば拭くほど、ジーパンの洗いざらしのような良さと艶が出て良いのだけれど、それにしても拭く頻度が少なすぎるなぁ・・・と反省する。勿論、オイル拭きはオイル拭きでそれなりにエエのですけどね。窓は、少しの洗剤で水拭きし、次にワイパーで水を切り、それから乾拭きする。というのが、プロの洗い屋さんがする順序。その通りにすると、かなりプロっぽく綺麗になるのだが、ちょっとすると、すぐイヤになって、プロフェッショナルというのは、それをずっと続けて、早く出来るかどうかなのだなぁ・・・と、大掃除で、あらためて気付いたりして・・・・・。

そんなこんなで、12月31日も日が暮れて、本を読んだり、フェースブックを見たりしながら、ガキの使いスペシャルで少々大笑いし、長渕剛の歌や石川さゆりの津軽海峡冬景色を聞いて涙する奥方を横目で見ながら紅白歌合戦を見て、行く年来る年が始まると、うちで施工をした、地元の清見原神社に、家族4人で向かって、初詣をする。という、典型的な日本の正月っていうパターンで、小さな幸せ気分。

1月1日の朝は、両親を交えた家族で、「おとそ」をし、暫くしてやって来た、うちの兄弟の子供達と一緒に、わいわいがやがやと新年の喜びを分かち合い、長男とは、昨年暮れにオープンした「まちのえんがわ」で腰掛けながら、あれやこれやと話をしていると、故郷に帰ってウオーキング中のコトバノイエのカトウさんから電話があって、「まちのえんがわ」から新年の挨拶を交わす。そうこうしていると、うちの妹が初めて「まちのえんがわ」にやってきて、なんだかんだ。そんなこんなで、家に戻ろうとしている時に、「まちのえんがわ」でゴソゴソしている「私」の姿を見て、近所のひとが、知り合いと一緒に、初詣の道すがら立ち寄って、それに向かいの自宅にいる親父まで、巻き込んで、話がはずんでいるうちに夕方になってしまい、慌てて奥方の実家に向かう。何十年も続く恒例で、暮れに奥方とうちの両親とが一緒に黒門市場に行く。そのふぐでワイワイと鍋をして、そして、いまここ。

IMG_2571IMG_2576IMG_2584IMG_2590

というわけで、初詣、おとそ、「まちのえんがわ」での縁側コミュニケーション、奥方の実家でテレビの漫才ドリームマッチを背後で聞きながらのブログ書き、で始まった2012年。あらためまして、本年もこのブログ共々、木村工務店をご愛顧賜りますよう、よろしくお願い致します。

Share (facebook) 


« 2011年12月 | メイン | 2012年02月 »