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2013年01月27日

キムラノミックス

ピーンとする寒さ。それが早朝、ランニングをすると、以外と心地良い。サウナのあとに水風呂に入ったような感じ。この季節がランニングにするには一番エエのかも。そうそう、土曜日は音宴新年会の企画があって、通算で4回目の音宴となる予定だったが、出席者多数が風邪のため中止となった。今年の大阪は例年になく寒いような気がする。

音宴というのは、参加者それぞれが5曲を持ち寄って、静かに音楽を聴きながら飲んだり食べたりする宴会で、全く個人的な感覚で5曲を採点をするというのもあって、その採点というのが、どうも変なプレッシャーを与えて、気軽に和めない空気が醸し出される。前回の音宴では建築設計のNくんが、自分の5曲が終わったあと、ホッとして、次の人の順番には完全に熟睡してしまってヒンシュクをかったほどだった。「私」も数日前から風邪をひきそうな弱気な気配で、まぁ、次回からは採点はなしで、軽やかな音の宴会になればとおもう。

そんな訳で、ヘンなプレッシャーに気を使うのもシンドイので、軽やかな5曲にしようとおもって、高校や大学時代の20歳頃までに聞いたラブソングの中からちょっとだけヒネリを加えて5曲を選択することにした。「my Love song」

●1曲目↓
20頃に同級生の男女5、6人でコンサートに行って、一緒にコンサートいった女の子数人がホテルに追っかけして、なんていう想い出。それで2年ほど前にビルボードライブに、当時のメンバーとコンサートに行ったりして・・・


●2曲目↓
当時、ものすごく、聞いたわけではないが、裏声が印象的だったし・・・

●3曲目↓
ザバンドのラストワルツという映画も男女数人で一緒に見に行った。映画イージーライダーにも使われていたアルバム(Music From Big Pink)の「ザ・ウェイト」や「ロック・オブ・エイジズ」なんかも好きだったが、やっぱりアルバム「南十字星」が断然好み。

●4曲目↓
ニールヤングの「アフターザゴールドラッシュ」のレコードは20歳前の「私」の再生回数ナンバーワンレコードだった。そのレコードが「私」から長男に引き継がれたのが嬉しい。

●5曲目↓
大阪での2回のコンサートも想い出深い。3人で一緒にコンサートに行ったその一名は数年前に亡くなった・・・。アルバム「LIVE」や「エクソダス」は、ほんと、よくよく聴いた。バックコーラスのアイスリーズが入っているアルバムが好みだった。

ところが、4日ほど前の夜な夜な、この5曲を決めたのだけれど、20歳を過ぎた頃からは、これらの曲を聴くことがどんどん少なくなって、JAZZばかりを聴くようになっていた。それで、「my Love song」の「my」にこだわると、JAZZの「Love song」 も入れたい気分に襲われる。そんなこんなで、JAZZとウエストコーストのLove song が共存できる、なんかエエ方法ないかな、と考えて思い出したのが、IPADのソフトに「DJAY」というミキシングのソフトがあって、JAZZとウエストコーストの音楽をミックスして、ニタニタしながら個人的に楽しんでいた、その2年ほど前にミックスした5曲のうちの4曲を使うことにした。木曜日の夜な夜な、唐突に、あと1曲をミックスして作る。題して「キムラノミックス」

1曲目:I Can't Tell You Why (Eagles)+「ウィ・ウォント・マイルス」のジャン・ピエール
2曲目:スティーリー・ダン のaja+ソニーロリンズ・You Don't Know What Love Is
3曲目:ジャックジョンソンの一曲+エリックドルフィーのOut to Lunch!の一曲
4曲目:ニールヤングのonly love can・・+ ジョンコルトレーンのクレセント、ワイズワン
5曲目:ボブマリーのone love + マイルスのサムディ・マイプリンス・ウィルカム

この5曲を1曲にミックスし、土曜日にインフルエンザで数日間学校を休んでいて、もうほとんど回復状態になっている次男に無理矢理聴かすと、大笑いして、5点満点の1点やな、まだまだやな、とニタニタ笑いながらの酷評。2曲目と3曲目と4曲目は意外と「いける」とおもうのだが・・・、マイルスが入ると、確かに、かなり「ヘン」で「ファニー」。

「アベノミクス」はアベ総理とエコノミクスを併せた造語で「ノ」は接続語の「の」ではなくエコノミクスの「ノ」だそうだ。「金融政策」と「財政政策」と「民間投資」の3つを「大胆」と「機敏」と「喚起」にミックスする成長戦略らしい。「キムラノミックス」もやってみてわかる事は、ミックスは「テンポ」と「間合い」と「モード」が合わないとうまくいかないのだ・・・と

ps
ちなみに、Only love can break your heart (Neil Young) by Cocodrilo at Osaka Fucho
というのがあって、そこで、ガホンをたたいているのが最近リフォーム工事でお引き渡しをしたお施主さんで、設計の打ち合わせの時はニールヤングの話で盛り上がったりした。工事中の様子はこちら →

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2013年01月20日

水蒸気

DSC03123土曜日、お餅つきをする。会社のお餅つきが復活してから、かれこれ5年ほど経過し、最初は、諸先輩からやり方を学んで、おそるおそるやり出したのだけれど、今年などは「私」も含めて、だんだんと慣れてきて、社員の皆が、お餅をしっかりと突くようになって、笑顔も溢れてきた。小さな子供さんがいる社員の家族を中心にしながら、お子さんのいるお施主さん、それに今年からは、「まちのえんがわ」のワークショップに参加して頂いたお客さんにもお声がけした。

毎年、お越し下さる皆さんが、お菓子など手土産を持ってきてくれて、有難く頂戴するのだけれど、なんだか申し訳ない気持ちもあって、それで、思い切って、ひとグループ1000円という「寄付金=ドネーション」を頂戴するコトにした。それがエエのかどうかよくわからないが、まぁ、これにてお気遣いなく、生ビールやお酒や珈琲やジュースを飲んで、おでんやカマドピザやお寿司なども食べて、お餅を持って帰って頂ければという想い・・・。

それにしても、お餅つきというのは、「自然の恵みのお米」を「お餅」という食べ物にするために、「手仕事」で作られた「道具」と、「水蒸気」のエネルギーと、多くの「ひとの手」によって突いて捏ねて丸めて作られる「協同作業」の食べ物だな・・・。と、あらためておもう。鉄のカマドにくべた薪の火の力で、お釜のお湯を沸かし、手作りの檜の蓋の5分(ぶ)穴から水蒸気を噴出させ、pln_ani蒸籠(せいろ)という道具でお米を蒸す。お湯が沸いて水蒸気となって噴出する光景は、とっても力強さを感じさせる。考えてみれば、薪を燃やしてお米を蒸す換わりに、原子力を使って、水蒸気でタービン回して発電すれば、原子力発電だな・・・。

                                                                          「原子力発電ってっどんなしくみ」より引用

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水蒸気のエネルギーを利用して電気エネルギーを生み出すように、「木」が燃える「火」のエネルギーと穴の空いた木の蓋という手作りの道具によって、「水」を水蒸気に変えて、その「水蒸気」のエネルギーが「餅米」を「餅」という、エネルギーを持った食材に変容させる。餅米はまるでタービン本体そのもので、それを臼に入れて杵という道具で突く作業が、タービンを回す作業にあたるのだろうか。人の「手力」によって餅米というタービンをぐるぐると回して、あたかも電気エネルギーのようなお餅というエネルギーを宿した食物が誕生する。それを「手」という「道具」で小さく丸めて食べるのが、電気を流して家電製品という道具を利用するようなものなのか。

お餅には神聖なエネルギーが宿ると言われているらしい・・・・・。

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今年は、それぞれの家族単位で、お餅を突き、丸めて、自分たちで突いたお餅を持って帰ってもらった。お餅つきという日本的な協同作業が、社員や職人さんやお施主さんや「まちのえんがわ」のお客さんなどなど、人と人との繋がりや家族と我が家と工務店など「関係性を維持」する役目を果たしてくれるのかもしれない。私たちも徐々にお餅つきに慣れてきたので、来年はまたもう少しその輪と和を広げていけたらとおもう・・・・。

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2013年01月13日

恵み

お正月の挨拶回りや挨拶にやって来た人との賀詞交換が終わった頃に、「えべっさん」があって、若い頃は商売繁盛を願うより、お祭り気分のデートのために、何度か今宮戎にいって、そのあと食事して、なんていうパターンだった。30代40代はそんなん行って、神頼みして、どうすんねん!。みたいな、反発心もあり、あまり行かなかったが、ここ5年ほど、また「えべっさん」に行きだした。心底、商売繁盛を願う立場と年齢になってきたのだ。自分のためだけでなく、家族や木村工務店と関わるいろいろなひと達のことをおもうと、商売が繁盛しますように!と願う、素直な気持ちだけがあれば、それでエエのだ。とおもえるようになってきた。

新年の挨拶回りは、おもに、企業の所にお伺いする。1年にこのお正月の挨拶の1回だけしか会わない社長さんもいて、いまの木村工務店は住宅の新築とリフォームがメインの仕事なのだけれど、中小企業の改修工事のお手伝いをするのも大好きな仕事で、世の中の景気の変化やその時代を牽引する産業、職種、それにその会社の経営的手腕を学べて、現場の変化を肌で感じ取れるのが嬉しい。

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そうそう、うちの協力会社に建材の販売をするイナバという建材商社があって、新年の挨拶には5、6人ほどで、笛と太鼓を打ち鳴らしながら、日の丸の扇子を持って、337拍子で、景気づけにやって来てくる。こちらがちょっと赤面するほど派手なのだけれど、バブルの頃は床材などの初荷をトラックに満載してやってきたものだった。ここ十年ほどは、お客様の好みが多様化し、床材の好みも千差万別で、床材を在庫することが、まったくなくなって、初荷のトラックもなくなった。

そんなこんなで、初荷はないのだけれど、若いひとたちが、「活気」という初荷を積んでやってくるのだった。かなり馬鹿げたスタイルで大きな声を出す。それ故に活気づくのだろう。丁度、2階の応接室で設計の打ち合わせをしていたお客さんは、あっけにとられて見守り、たまたま通りかかった、ご近所のくるみ保育園の園児たちも、いったいなんだこりゃぁ。というポカーンとした表情をし、保母さんが馬鹿みた~いを含む満面の笑みでお返しし、周りを取り囲む社員やお客さんも笑顔を送る。これが新春に相応しい「工務店的光景」なのだろう・・・。

新年会で正月気分をリセットし、挨拶回りで新年の心意気を示し、えべさんで商売繁盛を願っているうちに、通常の設計の打ち合わせが始まり、現場での作業も一気にトップスピードになって勢いよく進む。そういえば、この土曜日のこと、新築の木組みの家の上棟が今月後半にあって、その構造材の「木配り」のためにお施主さんと一緒に吉野へ向かう。「木配り」というのは、どこにどの木をどちらに向けて使うかを決める作業で、昔は棟梁がやっていたが、最近うちの会社では、お施主さんと設計担当と現場担当と材木屋さんと「私」が集まってあーだこーだと言いながら決める。

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↑ 吉野についたら、「こばし」で焼き餅を買う。社員も楽しみに待っている。
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↑ 吉野の「丸岡木材」で床の180mm幅、30mm厚の杉板を検品する。
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↑ 吉野、「阪口製材」で木配り。
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↑ 蔵王堂近くの「やっこ」で、柿の葉寿司とあんかけうどん。
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↑ 蔵王堂はいつ見ても軒の出の持ち出しの木組みが圧巻で、ため息がでるばかり・・・

「木の家」の良さは「自然の恵み」をなんとなく肌で感じられるところがエエのだとおもう。特に吉野に行けば、吉野という風土が持つ歴史的記憶のようなものが漂っていて、阪口製材近辺は、日本で一番古い木材団地だそうで、「木」との「対話」に歴史的重みを感じさせる。山と川。自然の恵みからできた素朴で美味しい食べ物。自然の恵みの木を何代か先の人たちと山や川や海や自然のために育て、住まいを潤す。そういえば、この木のこちら側が「いの一番」ね。という番付をしたのだ。「木配り」が「気配り」になったそうな。自然の「恵み」に感謝できる今年となりますように。なんだか吉野に行くとこんな気持ちになった・・・・。

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2013年01月06日

風土と変化

そうそう、八方でダイヤモンドダストを見た。とっても神秘的だった・・・。
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ダイヤモンド‐ダスト 【diamond dust】
太陽の光できらきら輝く細氷(さいひょう)寒冷地で、晴天の日、気温零下15度以下無風湿度の高いとき、空気中の水蒸気が細氷となって浮遊する現象。日を受けて金色や虹色に輝く。

お正月の5日の朝は白馬の八方にいて、それが前日までの雪から、メチャクチャにエエ天気になって、八方の第一ケルンから晴天のアルプスの山々を見たのは初めて。ケルンで息子と二人で記念撮影をし、ちなみに奥方は休憩と称してホテルで寛いでいた。スキー板で歩きながらケルンを後にする時、その傍らで70歳を越えてそうなおじさんスキーヤーたちが、関東弁の声と笑顔で、生涯最後のケルンになりそうだなぁ・・・と呟いた光景が不思議に印象深い残像となった。それにしてもケルン周辺は誰もが笑顔だった。

そういえば、3日は白馬五竜でスキーをし、リフト券にシニア券の設定があって、50歳以上が1000円引きだった。見事に適応されて、金額が安くなった喜びがあるのだけれど、あっ、俺、もうシニアなんや。と自己認識を迫られた感じで、それがあのケルンでの残像の引き金になったのだろうか。あっそうそう、黒門市場と鶴橋市場で買ってきた食材で、お正月のおとそを両親とうちの家族でし、その時に親父が、こうやってお正月をあと何回迎えられるのかな。と考える歳になったわ・・・という微妙な抑揚を持ったコトバが、きっとケルンの残像の伏線となって結びついていたのだ。

白馬のスキー場でもっとも印象深かった出来事は、外国人が沢山来ていたことだった。、主にオーストラリア人なのだろうか、リフトやコンドラでは何回も隣り合わせに乗り、小耳にはさむ英会話が理解できない「私」を心の中で嘆きながらスキー板をリフトからぶらぶらさせた。大浴場のサウナでも洗い場でも横に並んで一緒に温泉を楽しんだ。女湯にも外人さんが入っていたよぉ。と奥方が語った。浴衣を着た西洋人の男女が大浴場に向かう姿とすれ違う事にも慣れてきた。ホテルの夕食時にはあちらこちらから英語の会話が必ず聞こえた。スキー場の食堂では、外国人と席を譲りあって、サンキューという英語か日本語か判別しにくいコトバを笑顔と共に発した。外国人のインストラクターに引率された外国人の子供達がヘィーと奇声を発しながら滑り降りる様をリフトの上から眺めていると、外国のスキー場にやって来た「私」と錯覚するほどだった。

英語の案内パンフレットが何枚もあって、ホテルのスタッフも英語を話し、従業員にも外国人スタッフが何人もいた。あっ、世の中は「変化」しているのだ。映画の台詞を引用すれば、「変化」は「現場」で起こっているのだ! 海外から日本のパウダースノーと日本文化を体験するためにやって来ているのだろう。「日本」の風土とその「風土」がもたらす「日本文化」に対する好意的なムードを感じるだけに、お風呂に入る時に日本人として、ちゃんとした入り方でお風呂に入ろ。という気持ちにさせられた「私」の内面的「変化」がオモロイ出来事だった。多くの外国人の日本文化に対する目が日本人の日本文化に対する心の「変化」をもたらすのだろうか・・・。


本日は、木村工務店の初出で、日曜日だけれど6日という日にちがお正月の初出の伝統になっていて、社員全員でお正月の出来事と今年の抱負のようなものを静かに語り合った。その後、大工や手伝いや協力会社の方々と一緒に、弊社で施工した地元の清見原神社で恒例の参拝をし、77名で新年会を催して正月気分をリセットした。そういえば新年の新たな「変化」は、宴会場が変わった事と何十人かがピザ釜二次会を突発的に始めた事だった。そんなこんなで、明日より「2013木村工務店」が始動いたします。

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2013年1月1日木村工務店屋上からの「大阪の下町の初日の出」です。
あらためまして、皆様、あけましておめでとうございます。
本年も「日本」の「大阪」の「生野」の「小路」のこの「風土」がもたらす「木村工務店」を
ご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

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