2013年05月26日

出雲の神々

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池の上に「紙」をそっと置いて、その上に硬貨を乗せる。その紙が沈むスピードによって、良縁を占うらしい・・・。出雲の八重垣神社にあった占いで、良縁を求めているわけではないのだけれど、なんだか面白そう!やってみない・・・と奥方が言い出して、100円の紙を買って、夫婦で試すことにした。ついでに、やや気後れ気味な次男の分も買う。五月連休の出雲旅行での出来事。

それなりに多くのひとが池の周りを取り囲んでいて、十円玉や百円玉が乗せられた紙が沈んでいくのを神妙に見守っている。なかなか沈む様子もなく、それぞれの願いをこめながら10分以上見守っている様子だった。ちなみに15分以内に沈むと良縁が早く起こるしい・・・。それで、奥方が、池の上に紙をそっと置いて、ほんの少しだけその紙を見守ったあと、10円玉を紙の上に載せる。それからおもむろに、池の手前で待機していた次男の方に向かって歩み出して、今、池の上に置いたから、一緒に見守ろう!と言って、皆で一緒に池の方を振り向いたら、もう既にその紙は沈んでいた・・・。ほんの10秒。願い事もなにもしないまま、あっっという間に沈んでいった「神」。その様子に、周囲のひとも、「私」も、静かに驚く・・・。

それを見た後、次は「私」の番。同じように紙をそっと置いて、3秒ほど経過してから、10円玉をそっと置く。流石に、奥方のように直ぐに沈むことはなく、このまま15分以上待つのかと思っていたら、30秒ほどしたらゆっくりと静かに沈みだした・・・。願い事を念じる間もなかった・・・。その次は、次男で、10分ほどかかって沈んだのだけれど、その間、神妙に待ち続けている姿がエエ感じ。そういえば、なかには、途中で紙に穴が空いて硬貨だけが沈んで、紙が浮いている姿が何枚もあって、そんなのを神妙に見守っている姿こそ美しかったりする・・・・。独特の色調の池の周りで、「紙」を見守る何人ものひとびとの姿が、不思議な印象を与える、この池は、クシナダヒメか池底で見守っているらしい。

次男曰く、おとうさんとおかあさん、紙に書いてある文章読んだ?、それぞれ違う文章書いてあるのに・・・。すぐ、沈むのは、それはそれでエエとおもうけど、もうちょっと落ち着いて読んでからやりやぁ・・・と、夫婦揃って窘められる始末。確かに、神妙さ少なく興味本位で占ない、沈む早さに少々浮かれ気味だったのが、池の底で見守るクシナダヒメをして、ヤマタノオロチの「バチ」あたりとなって、鎖骨を骨折したのだろうか・・・。なんてふうに、少々、こじつけがましくなってしまうほど、少々不憫な左腕。

伊勢神宮アプローチ

そういえば、出雲大社を訪れてみて、鳥居からのアプローチが伊勢神宮とまったく違う事にに不思議な印象を持った。伊勢神宮では、橋を渡って右に折れ、五十鈴川で清めて左に折れ徐々に坂道を上りながら、右に折れてゆるやかにカーブしながら、最後は左に折れて拝殿にアプローチして行くのに対して、出雲大社では、鳥居をくぐると、一直線で、しかも下り坂で、拝殿にアプローチしていく。

出雲の直線的なアプローチがあってこそ、あの伊勢神宮の日本的なアプローチが誕生したのだろうか・・・・・?

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そうそう、出雲の熊野大社に詣でる。川があって赤い橋があって鳥居があって本殿があって、伊勢神宮とは違って、直線的なアプローチなのだけれど、雰囲気がとっても牧歌的で、神社なのに、「軽やかさ」があって、それはそれで、とってもエエ雰囲気。まるで映画のセットのような川と緑と橋と神社。なんでも神代から火を守り伝える出雲の一之宮らしい。

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とっても天気が良くて、気候がエエ、5月も後半になってしまった、本日の日曜日。ふとよぎった心像風景が、ゴールデンウィークに訪れた、出雲、熊野大社の、あの牧歌的な光景なのでした・・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2013年05月26日 23:59 « 「見立て」の旅 | メイン | 記憶のない記憶 »


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