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2014年02月23日

ブリキcafe

職人さんに触れる。材料とのコミュニケーションを体験する。ものづくりの心に気付く。なんていうのが、「まちのえんがわ」ワークショップのテーマなのだけれど、それは、2年間やってみて、その経験をまとめてみると、こんな感じの「言霊」かな、みたいな・・・・・。

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3年目になる、今年最初の本格的ワークショップが、本日の板金ワークショップで、やってみて、嬉しい出来事のひとつは、完成後の撮影に笑顔で応えてくれるコト。それに、様々な年齢層の方々が参加してくれたコトも嬉しい出来事で、カップルの参加があり、親子連れの参加があり、孫さん連れの参加があり、建築の設計者や現場監督の参加があり、ものづくり女子の参加があり、ものづくりおじさんの参加があり、うちで施工したマイホームに住んで頂いている方の参加があり、リピーターもあり、初参加もあり・・・・。

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↑ 「ものづくりガール」がエエのだ。あーだこーだと理屈を云う前に、ま、とにかく、やってみよ。みたいな空気感があって、「自ら」、みたいな「自主性」を感じる・・・。
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↑ 父と子のものづくりの光景もエエ感じ。息子さんの作業風景をじっと見守る父親の姿があって、後半に、作業が飽きてきて、そのうえムツカシイ作業になって、それを手伝う父の姿があって、そういえば、うちの奥方が、うちの息子が小さい時に、一緒に「ものづくり」をしたったらエエのに!と何度も諭されたが、ついぞ実現しなかった・・・。やっておけば良かったなぁ・・・と、羨ましくおもえた。

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↑ 「ものづくりおじさん」が向かい合って、一生懸命作業する光景があって、きっと、こういう姿が、それとなく、子供達の心像風景に、エエ影響を及ぼすのだとおもう・・・・。

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今年の「まちのえんがわ」ワークショップとしては、「建築のチカラ」を使うという課題があって、カウンターやテーブルや椅子や照明を工夫して、ものづくりの雰囲気を眺めることができる、一日だけのカフェをオープンすることにしていて、ワークショップの参加者だけでなく、付き添いの見学者や、ふらっと立ち寄った人たちにも、居心地が良い空間を提供できればという主旨なのだけれど、そうそう、こう書いてみると、ほんとうは、「ワークショップのチカラ」というのがありそうで、一生懸命頑張ってものづくりをしようとする、プリミティブなエネルギーに接すると、初心を忘れずに、ものづくりに精進せなアカンなぁ・・・みたいな、シンプルな心を授かるような空気感が漂う気がし、もちろん、うちの職人や現場監督や設計も、それに私も含めて、「横柄」な態度に陥るコトも多々あるのが実状で、そういう意味でも、こんな空気に触れると、反省を促されるのだけれど、ま、とにかく、「ものづくりの心」に気付く、そんなワークショップカフェに、なるのかどうか・・・・。

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↑↓ 職人の作業を見つめるワークショップ参加者の姿が美しかったりする。「シゴト」の時のほうが、こういう態度を忘れがちになったりするのだなぁ・・・、
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↑↓ ワークショップ参加者の皆さんが、一斉に、田楽と呼ばれる木槌で、板金を叩く音が加工場に響いて、話し声が一切聞こえず、シーンとしたものづくりの空気感が漂う中の、無意識の即興的現代音楽が、とっても心地良い響きだった・・・・。
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写真: 加工Barオープンしました。
↑ 無事にワークショップが終わり、3人の板金職人さんと今回のワークショップのフィードバックをしながら、板金でできた折り鶴を眺めているうちに、ふと小学生の頃に、折り鶴の、上にあがった尻尾を下に降ろして、ハサミで二等分して、二本の足にし、折り鶴の首をハサミで三等分にして、3つの頭にし、「キングキドラ」に改造した想い出を語ると、うん、今度、板金の折り鶴の要領で、キングキドラを試作してみますわ・・。なんていう、職人さんとのやりとりが生まれて、そんな、たわいのない会話から、モノづくりの発想が生まれたりするのが、ワークショップ縁側的cafeの可能性なのかもしれない・・・・。

などなど、ワークショップ終了後の心地良い疲労感をお互いに感じながら、一日だけのブリキcafeと加工barが閉店するのだった・・・。そうそう、来週の3月2日の日曜日は谷口智則さんによる絵本ワークショップです。もちろん、「ワークショップcafe」もオープンします。

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2014年02月16日

侘びてどうする寂びてどうする

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大阪の千日前に味園ビルというのがあって、昔からその前は何度も何度も通っていたが、入るのは実は初めてで、10代や20代の頃は、オトナのオッサンが遊ぶ、ちょっとH系な場所だと思っていて、いつかは、おじさんの諸先輩に連れられて、一度は行きたいお店だったが、1990年代の、私にとっての30代になると、そういうお店そのものが衰退していき、興味の対象にすらならなくなって、行く機会を失っていた。

ウィッキペディアによると・・・

1956年に建設された。 当時としてはモダンで高級感のある外観が評判を呼び、高度経済成長期の好景気も手伝ってかビル内のキャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナは連日の大繁盛をおさめた。1970年代にはインパクトの強いCM放映により関西圏で知名度を強めていった。その後も1980年代のバブル経済期まではミナミ千日前の歓楽街を代表する存在だったが1990年代半ばから低迷。一時期は2階テナントフロアの大半が空き物件という状況になったが、2004年に運営会社の方針でテナント料を大幅に下げ、若いオーナーが中心のバーや飲食店を誘致。東京の新宿ゴールデン街と並んで日本のサブカルチャー、アンダーグラウンド文化の発信地としても注目されるようになった。かつてはキャバレーユニバース」もあったが、2011年3月15日に営業を終了し、貸ホールになっている。

  1. ダンスホールの専属歌手にデビュー前の和田アキ子がいた。
  2. ピンク・レディーは売れる前に味園ビルのダンスホールと安く契約していたが、公演直前に大ブレークし長蛇の列ができた。
  3. サブカルチャー好きの若者やインターネット上からは「大阪ミナミの魔窟」「ミナミの魔窟」という代名詞で語られることがある。

それが、うちの長男が20代になった頃から、大阪のサブカルチャーの発信地として、オモロイ存在として、アンダーグランド的な人気が出てきたらしく、長男を通じて、その存在を再認識し、そのうち、うちの社員からも、遊びに行って、面白かったわ。と聞いて、機会があれば、行こうと思っていたが、そんな時に、家谷植景研究所のイエタニさんが、そのお店の前に大きなプランターを設置する工事を依頼されて、その仕事をした縁で、イエタニさん主催による「味園ビル建築探訪」という、お遊びのツアーが企画されて、それが、金曜日の夜の事だった。

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ところが、その日の夜は、打ち合わせが二つも重なっていて、どんなにあがいても無理なシチュエーションで、そのツアーには行かれへんわ。というコトになっていたのだが、前日から雪が降って、しかも、道に積もるほどの雪で、大阪では珍しい雪景色になった。いわゆる、「お足元がお悪い」状況が、突発的に発生し、それが引き金となって、二つの予定が、急遽キャンセルになるという、嬉しくないような嬉しいような複雑な心境が同時多発して、味園ビルの前に立つ私の姿を発見する「私」に至るのだった。

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誰もが入れる場所はそれ相応に見学したのだけれど、このツアーでは、バックヤードに案内してもらえたのが、オモロイ経験で、今は、倉庫件工作場として使われているホールに案内してもらった時には、かつて「LIFE」紙の取材を受けた時の写真を見せてもらって、あっ、当時、大まじめに、本気で造った建築だったのだ。と、妙な認識を持ち、「水中エアーステーションのあべのプール」が、同じ経営者だったと、そのポスターと共に知らされて、へぇーっという、妙なオドロキまで持った。ちなみに、小学生中学生の頃は、友達同士で、あべのプールに遊びに行くコトは、ちょっとした冒険的楽しみで、監視員の目を盗んでプールに飛び込んで、潜って、水中エアーステーションに入って、その中で数回呼吸をして、勢いよく水面に浮上した時の、その空と監視員とプール全体の光景が、うっすらとした記憶とともに蘇った。

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DSC09721今は倉庫になっている、洞窟のようなサウナでは、8割がゲイの人ばかりになってしまいましたわ。なんていうエピソードがあったりし、微妙な気分を味わいながら、洞窟探検をしたような錯覚に陥り、その後に案内された部屋では、新築当時の味園ビルを再現した模型を見せられて、その精巧な出来映えに驚くと共に、その模型を製作した大工さんが登場してきて、説明とそのお顔を拝見していると、あっ、ものづくりの好きな、社長さんと職人さんが、面白がりながら造った大まじめなビルだったのだと、今まで漠然と抱いていたチープで模造なビルだという誤解を改めた。

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大工さんの、ものづくり独特の、エエムードが漂う加工場に案内してもらって、木で造った精巧な電車の模型を見ているうちに、この味園ビルは、建築好きな社長と、ものづくりの方法を熟知した番頭さんがいて、それを支える、ものづくりの好きな職人さんや協力業者もいて、皆で集まって、本気で造った建築だったのだ・・・と。正統的な日本的数寄屋建築とは正反対な数寄的建築で、「わびさび」を追求するアカデミックな感覚より、「侘びてどうする寂びてどうする」的ムードがプンプン漂っていて、世間的に「粋」な建築と言われるより、私が好きなものを、面白いとおもうものを、本気で大まじめに、ちゃんとした素材を使って、キッチリと造って、そんな自分好みを、皆にオモロイなぁと感じてもらいながら、喜んでもらおうとした、サービス精神旺盛な建築ではないのかと、想像してみた。

そんなケンチクが、「時間」というフィルターを通過しながらも、「存続」できたコトで、「ものづくりの心」として、「建築のチカラ」として、ある種の感動すら与える建築になっているのかもしれない・・・・。

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そうそう、ツアーの最後に、大宴会場の間仕切りをフルオープンにして、たった14人だけのVIP宴会がセッティングされていて、そんなところにも、味園ビルオーナーの独特な「粋」に魅せられた。

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2014年02月09日

職人宴と建築家宴

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初午祭という社内の伝統的な行事があって、3階の会議室に、お稲荷さんが祭られていて、それで、毎年2月になると、神事をし、安全祈願と商売繁盛を願った後、おもに、現場で働く職人さんたちが集まってきて、宴を催す、ま、いわば「職人宴」。

それで、この機会を利用して、職人としての「施主」や「マチ」との接し方と共に、その「心構え」や「立ち居振る舞い」のようなものを確認し合うのだけれど、もちろん、木村工務店の工事現場でも、近隣にご迷惑をおかけしている事は少なからずあって、この場を借りてお詫びを申し上げると共に、そんな経験を職人の皆さんと共有しながら、合意しあう機会でもあって、あんな話こんな話をプロジェクターとパワーポイントを使って説明し、こんなのが宴会でのコミュニケーションを誘発する「きっかけ」になりながら、あれやこれや、うだうだ、がやがや、と宴が続く。

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左の写真は2012年、右が2013年で、昨年から、カウンターやテーブルを設置し、照明も白熱球をぶら下げ、会場の雰囲気にもチカラを注ぎだした。「建築のチカラ」というのが、確かにあって、その力を使って、施主やマチや地球環境に貢献するのが、私たちの「シゴト」であるのだけれど、語るほどに事は上手くいかないのが世の中というもので、それでも、そういうことへの「継続的アプローチへの姿勢」として、一夜限りの宴会でも、「建築のチカラ」を工夫してみるのが、というより、ま、そんな馬鹿げた遊びを大まじめでするのが、「オモロイコト」だと、「おじいちゃん」から教わり、「遊びが勉強の場」でもあるのだと「おやじ」から教わったのだった・・・・。

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社員が、カウンターの中に入って、職人さんたちを「お・も・て・な・し」するのも昨年から始めたコトで、やってみると想像以上に楽しく、今年はこんなカクテルを作るのだと、本まで持ち込んで、新に延長したbarカウンターで頑張る社員もあって、確かに、そんなことにチカラを注がずに、もっとシゴトにチカラを注ぐべきだという、ご批判もそのとおりのコトなのだけれど、これが我が社の「社員教育の場」なのだと、お許しを頂きたい・・・・。

DSC09384そういえば、昨年の初午祭の時に、イラストレーターヤマサキミノリ製作による、協力会社と職人さんの姿を伝える冊子を作るための協力を依頼し、それがひとつの形となったのだけれど、その冊子が縁で、建築現場で働く職人さんたちの本が出版される事になり、それなりに進化しているのが嬉しい出来事で、今年も報告と取材を兼ねながら、ヤマサキミノリさんに来てもらった。

精親会

ところで、増税前の駆け込み需要という特殊な社会状況が絡んでいて、それまでの建築産業の不況続きと、ここ20年ほどの職人就労人工の減少という、日本の職人に憧れを見いだせない社会状況があって、いま、理解しがたい職人不足と資材不足が、現実として、発露していて、こんな目先の「忙しい」状況が発生すると、「こんな宴」への参加人数が、減少し、職人さんの集まりが少なかったのが、とっても残念な事。本来ならば、忙しい時ほど、お互いに「職人」としての「親切丁寧」な「心構え」や「信用信頼」を得る「立ち居振る舞い」の大切さを確認しあう場でもあるのだが、そんなふうに機能しないのが、世の中というものだなぁ・・・。

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上の写真は、金曜日の夜に、中之島公会堂であった、生山さんの関西建築家大賞を祝う会の写真で、たくさんの建築家が集まった「建築家宴」で、何人もの知己の建築家と挨拶を交わしながらの楽しい宴だったけれど、そうそう、来年の初午祭は、多くの職人さんが集う「職人宴」にしたいものだなぁ・・・・。

追伸
先日、加工場で撮影があったテレビ番組は今週の水曜日の深夜2時からの「音楽のチカラ」で、HOME MADE家族がゲストで宇都宮まきさんと共に加工場にお見えになった。さてさてどんな番組になっていることやら・・・・。

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2014年02月02日

縁側的会話

冬なのに、春がやってきたような土曜日の夕方、「まちのえんがわ」に、柏原にある「根っこや」の女将さんが、ふらりと立ち寄られる。初対面。ワークショップの講師もしてくれている、ご近所の食堂「あそび菜」のお知り合いらしい。縁が縁を呼んで、縁側に並んで腰掛けながら、なんとなく、縁側的会話が始まる。

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そうそう、2月なのに暖かな土曜日と日曜日で、まるで春がやってきたかのような錯覚に陥ったに違いない、家に閉じこもっていたひとびとが、きっと、この陽気に誘われたのだとおもう、町の中に、ふらふらと、誘い出されて、自転車で道行くひとが増え、散歩するひとがふえ、「まちのえんがわ」にも、何人かのお客さんが、ふらっと尋ねて来られた。

土曜日の午前中には、「まちのえんがわ」の商品棚に骨董や珍しい小物を置いてくれている「ovest design」の笠井さんがお見えになって、喉の手術のあとで、話しにくそうにしながら、あれやこれやと語り合う。商品を置くだけでなく、その器を何処で、手に入れて、どんなところに惹かれて、それがどんな歴史があって、どんなふうに良いのか、珍しいのか、そんな物語を、ポップに書いて、「モノ語る」コトが必要ですよね・・・・なんていう縁側的会話。

先日、生野区の区役所のイさんの紹介で、生野区にお住まいの木工作家のヤグラさんって方が、ふらりとお見えになって、なんでも新聞記者をしていて、退職し、木工のおもちゃを作っているのだという。やっぱり縁側に並んで腰掛けながら、なんとなく縁側的会話をしているうちに、近いうちに作品を持ってきますわ。ってコトになり、この月曜日に、何箱にも詰められた、木工作品を持参された。それが、元新聞記者ということもあって、ペーソスがあり、シニカルであったり、コミカルであったり、社会性があったりし、思わずニタッと笑ってしまう作品ばかりだった。

そんな訳で、棚にその作品の一部が並ぶことになり、私は毎日の出勤と共に、「ええケツしてまっしゃろ」と書かれた作品の木のハンドルをくるくるとまわし、お尻がひょこひょことコミカルに動く姿を見て、ニタッと笑って、おはよう!と、呟き、出勤するのだった・・・。この土曜日のお昼過ぎに、そのヤグラさんの工房に自転車でお邪魔しようと、携帯電話の番号をクリックしていたら、偶然にもそのヤグラさんが突然、「まちのえんがわ」にお見えになり、縁の不思議を驚くと共に、今週7日金曜日のお昼に、「出張木工作業」として、「まちのえんがわ」の留守番と共に作業をしながら居座っりまっせ。という事になった。ご興味のある方は作品と共に「ものづくりの雰囲気」を味わいにお越し下さいませ。

そんな縁側的会話の最中に、新築を考え中のお父さんと息子さんのお二人連れの突然の来訪があって、こういうお話は、縁側的会話より、テーブル越しのゆったりとした椅子に座りながら、面と向き合って、キッチリとした会話をするのが、礼儀でもあり、相応しいので、2階の木村工務店事務所の応接室で、家づくりのお話を1時間30分ほどじっくりとして、お帰り際に、「まちのえんがわ」にご案内し、吉野杉の話などをしているその時に、「根っこや」さんの女将さんがお見えになった。

「まちのえんがわ」のお店を見に来られながら、自分のお店の前の車を停める土間を出来るだけ自然素材を使って、大きな車が入っても、削れないような土間に出来ないものか?というご相談で、いろいろ今までやってきているのだけれど・・・、何か・・・、エエ方法は・・・、なんていう会話と共に、「自然農法」をやっていて・・・という、縁側的会話が始まる。最近、日曜日に、ちょくちょく自転車で通っている柏原のその山の中に自然農法による農園があるらしい。縁とは、こんな感じのことなのか・・・

「私」は農業のことを全く知らず、それ故に、農業の理解にも乏しいのだけれど、なんでも聞くところによると、全く耕さずに、苗床を作って育てた苗を植えて、肥料もやらず、苗が大きくなるまでの暫くの間だけ、下草や雑草を処理し、周囲の下草より苗が大きくなってきたら、その下草は下の方で刈るだけで、引き抜かず、土の中を混ぜ返さず、肥料は全くやらず、土の中のバクテリアやその他、共存している生物たちの自然の力を借りるらしい・・・。見守り続けながら、ちょっとした手を加えるらしい・・・・。ひょっとして、間違った記述があるのかもしれないが・・・。

子育てと似ているなぁ・・とおもった。コドモが育つ時に、耕しすぎて、土の中まで掘り返し過ぎて、かき混ぜ過ぎて、ぐちゃぐちゃこじゃごじゃにしてしまって、自然の力が育たなくなってしまって、放置しておいた方が良かったのに・・・と、何度も何度も失敗を繰り返してきたような気がする。社員にも同じような事をしている時があって、きっとこれを読んでいる社員は、ニヤッとしているのに違いない・・。おそらく、赤ちゃんや新人のうちは、下草を引きながら守ってあげて、少し大きくなると、適度に下草を下の方で切るだけで、根っこは残したままで、見守りながら、大地の力を借りながら、うまく放置プレーをした方が、子育てにとっても社員にとってもエエのかもしれない・・・。

それで、こんな縁側的会話をしているうちに、その農園のある柏原あたりを一緒にサンデーモーニングライドをしているヨネクラさんが、那智勝浦に引っ越しする事になり、その送別会が、あそび菜で、あって、それに参加するために、造園のイエタニさんが、「まちのえんがわ」に、やってきて、そこで、「根っこや」の女将さんと縁側的な遭遇をし、あっ、そこ知ってる、気になってたお店、土間の件、ふんふん、なるほどなるほど、なんて感じで、こんなん、どうですか?、みたいなアドバイスもしながら、今度また、見に行きますわ。となった・・・・。

一年に数回だけ、こんな「縁側的会話」が混沌と錯綜しながら絡んでいく日があって、それは人間的縁の繋がりとともに、気候風土や天体の運行も含めた、いろいろな引力に、もちろん「建築的引力」も作用しながら、さざ波のように、押したり引き寄せられたりしつつ「縁側的会話」が繰り広げられて、そんな「縁側的会話」から「カオスの縁」のごとく、何かが生まれたりするのでしょうかね・・・・。

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