2014年02月02日

縁側的会話

冬なのに、春がやってきたような土曜日の夕方、「まちのえんがわ」に、柏原にある「根っこや」の女将さんが、ふらりと立ち寄られる。初対面。ワークショップの講師もしてくれている、ご近所の食堂「あそび菜」のお知り合いらしい。縁が縁を呼んで、縁側に並んで腰掛けながら、なんとなく、縁側的会話が始まる。

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そうそう、2月なのに暖かな土曜日と日曜日で、まるで春がやってきたかのような錯覚に陥ったに違いない、家に閉じこもっていたひとびとが、きっと、この陽気に誘われたのだとおもう、町の中に、ふらふらと、誘い出されて、自転車で道行くひとが増え、散歩するひとがふえ、「まちのえんがわ」にも、何人かのお客さんが、ふらっと尋ねて来られた。

土曜日の午前中には、「まちのえんがわ」の商品棚に骨董や珍しい小物を置いてくれている「ovest design」の笠井さんがお見えになって、喉の手術のあとで、話しにくそうにしながら、あれやこれやと語り合う。商品を置くだけでなく、その器を何処で、手に入れて、どんなところに惹かれて、それがどんな歴史があって、どんなふうに良いのか、珍しいのか、そんな物語を、ポップに書いて、「モノ語る」コトが必要ですよね・・・・なんていう縁側的会話。

先日、生野区の区役所のイさんの紹介で、生野区にお住まいの木工作家のヤグラさんって方が、ふらりとお見えになって、なんでも新聞記者をしていて、退職し、木工のおもちゃを作っているのだという。やっぱり縁側に並んで腰掛けながら、なんとなく縁側的会話をしているうちに、近いうちに作品を持ってきますわ。ってコトになり、この月曜日に、何箱にも詰められた、木工作品を持参された。それが、元新聞記者ということもあって、ペーソスがあり、シニカルであったり、コミカルであったり、社会性があったりし、思わずニタッと笑ってしまう作品ばかりだった。

そんな訳で、棚にその作品の一部が並ぶことになり、私は毎日の出勤と共に、「ええケツしてまっしゃろ」と書かれた作品の木のハンドルをくるくるとまわし、お尻がひょこひょことコミカルに動く姿を見て、ニタッと笑って、おはよう!と、呟き、出勤するのだった・・・。この土曜日のお昼過ぎに、そのヤグラさんの工房に自転車でお邪魔しようと、携帯電話の番号をクリックしていたら、偶然にもそのヤグラさんが突然、「まちのえんがわ」にお見えになり、縁の不思議を驚くと共に、今週7日金曜日のお昼に、「出張木工作業」として、「まちのえんがわ」の留守番と共に作業をしながら居座っりまっせ。という事になった。ご興味のある方は作品と共に「ものづくりの雰囲気」を味わいにお越し下さいませ。

そんな縁側的会話の最中に、新築を考え中のお父さんと息子さんのお二人連れの突然の来訪があって、こういうお話は、縁側的会話より、テーブル越しのゆったりとした椅子に座りながら、面と向き合って、キッチリとした会話をするのが、礼儀でもあり、相応しいので、2階の木村工務店事務所の応接室で、家づくりのお話を1時間30分ほどじっくりとして、お帰り際に、「まちのえんがわ」にご案内し、吉野杉の話などをしているその時に、「根っこや」さんの女将さんがお見えになった。

「まちのえんがわ」のお店を見に来られながら、自分のお店の前の車を停める土間を出来るだけ自然素材を使って、大きな車が入っても、削れないような土間に出来ないものか?というご相談で、いろいろ今までやってきているのだけれど・・・、何か・・・、エエ方法は・・・、なんていう会話と共に、「自然農法」をやっていて・・・という、縁側的会話が始まる。最近、日曜日に、ちょくちょく自転車で通っている柏原のその山の中に自然農法による農園があるらしい。縁とは、こんな感じのことなのか・・・

「私」は農業のことを全く知らず、それ故に、農業の理解にも乏しいのだけれど、なんでも聞くところによると、全く耕さずに、苗床を作って育てた苗を植えて、肥料もやらず、苗が大きくなるまでの暫くの間だけ、下草や雑草を処理し、周囲の下草より苗が大きくなってきたら、その下草は下の方で刈るだけで、引き抜かず、土の中を混ぜ返さず、肥料は全くやらず、土の中のバクテリアやその他、共存している生物たちの自然の力を借りるらしい・・・。見守り続けながら、ちょっとした手を加えるらしい・・・・。ひょっとして、間違った記述があるのかもしれないが・・・。

子育てと似ているなぁ・・とおもった。コドモが育つ時に、耕しすぎて、土の中まで掘り返し過ぎて、かき混ぜ過ぎて、ぐちゃぐちゃこじゃごじゃにしてしまって、自然の力が育たなくなってしまって、放置しておいた方が良かったのに・・・と、何度も何度も失敗を繰り返してきたような気がする。社員にも同じような事をしている時があって、きっとこれを読んでいる社員は、ニヤッとしているのに違いない・・。おそらく、赤ちゃんや新人のうちは、下草を引きながら守ってあげて、少し大きくなると、適度に下草を下の方で切るだけで、根っこは残したままで、見守りながら、大地の力を借りながら、うまく放置プレーをした方が、子育てにとっても社員にとってもエエのかもしれない・・・。

それで、こんな縁側的会話をしているうちに、その農園のある柏原あたりを一緒にサンデーモーニングライドをしているヨネクラさんが、那智勝浦に引っ越しする事になり、その送別会が、あそび菜で、あって、それに参加するために、造園のイエタニさんが、「まちのえんがわ」に、やってきて、そこで、「根っこや」の女将さんと縁側的な遭遇をし、あっ、そこ知ってる、気になってたお店、土間の件、ふんふん、なるほどなるほど、なんて感じで、こんなん、どうですか?、みたいなアドバイスもしながら、今度また、見に行きますわ。となった・・・・。

一年に数回だけ、こんな「縁側的会話」が混沌と錯綜しながら絡んでいく日があって、それは人間的縁の繋がりとともに、気候風土や天体の運行も含めた、いろいろな引力に、もちろん「建築的引力」も作用しながら、さざ波のように、押したり引き寄せられたりしつつ「縁側的会話」が繰り広げられて、そんな「縁側的会話」から「カオスの縁」のごとく、何かが生まれたりするのでしょうかね・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2014年02月02日 23:21 « 職人宴と建築家宴 | メイン | 筋肉 »


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