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2014年12月28日

ゆく年くる年

木村工務店と「まちのえんがわ」では、今日12月28日日曜日からお正月休暇になって、新年の1月6日火曜日が初出となるのだけれど、今までは28日に仕事納めをし、29日の午前中に社員と手伝いさんで大掃除して、お昼に納会をするのが通例だったが、2年ほど前から28日午前中に現場の仕舞いをし、午後に現場から戻ってきて、会社と加工場と倉庫と自動車の大掃除をする事に変更し、それで大工さんもほとんど全員が大掃除に参加できるようになって、その後の納会では30人ほどで賑やかにお酒を酌み交わして、大掃除の労を労い、モノと人への感謝と共に、一本締めで一年を締めくくった。
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DSC07550弊社会長がこの4月30日に亡くなって、昨年の納会での左のこんな写真を眺めると、あの酒好きで酔っぱらった姿がもう見れないのかとおもうと少々寂しくおもえてくるのだが、そういえば、木村工務店のこの伝統的に続く、文字を書き込めるシンプルなEvernote Camera Roll 20141228 211145スタイルのカレンダーに拘り続けたのも亡き会長で、このカレンダーをお施主さんにお届けするようにと、12月になると毎日のように「配ったかぁ!」と社員に問いかけ続けたものだった。木村工務店のロゴや標語のコピーライトや住所などの配置まで自分でデザインをすることを最後まで譲らなかったし、昔のバージョンは、紙の質感がザラッとした書きやすいタイプだったが、印刷所の都合で、ツルッとしたタイプになったのをいたく嘆いていたものだった。そんな想いのようなものを受け継いでいくのが大切な「仕事」でもあるわけで、今年は少し発送が遅れたが、木村工務店共々このカレンダーもご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

そうそう12月23日の祝日に、うちで施工をした都島にある「KATACHI」というカフェスペースで、「まち」に生きるあらゆる人々で「まち」と「まちづくり」に関心を持つ人々の「街屋集団」という集まりがあって、そのクリスマスパーティーの余興として10313821_10152868335722226_8832168665796547671_n「NYの休日」のお話をすることになり、スライドを見ながら、建築とJAZZを中心にあれやこれやと話をした。フェースブック上の自撮りの写真は、「旅のそこで一句」のような心境であって、そんなのもスライド写真にしながら、1時間半ほど話し込んで、それなりに好評だったようで、ほっとしたが、そのための写真資料をパワポイントで1週間ほど前から少しずつ製作しているうちに、様々な事がフィードバックされてきて、ある建築家が旅に行って自分の撮った写真をスケッチが出来るぐらい細部まで何度も何度も眺めてようやくその建築を理解しはじめる・・・というような雑誌のインタビュー記事を読んだ記憶があって、なるほどなぁ・・・と思えてきて、「フィードバック」という事の大切さをあらためて実感し、来年の会社のテーマにしようかとおもうくらい・・・。それにしても、こういう「機会」を楽しめるようになってきたのも、「55」ゴーゴーという歳がそうさせるのだとおもう。

日曜日に書くこのブログも10年ほど続いて、考えみれば、自分の事を「フィードバック」してみる「機会」でもあるわけで、書いた後には、今日も何とか書けたわ・・・という「ほんのささやかな喜び」のようなものがあって、そんな「喜び」を味わいたいがために書き続けているのかもしれないわけで、そんなのに、今年一年間お付き合い頂いた、「私」をご存じの皆さん、それにまだ会ったこともない皆さんの影ながらのエネルギーに感謝して、2014年午年最後のブログにしようとおもう・・・。それでは皆さん素敵なお正月を!!!

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2014年12月21日

シティーボーイな日曜日

12月の住宅相談会の予定が、「まちのえんがわ」とのスケジュール調整が上手くいかず、年末の押し迫った今日の日曜日になってしまって、それでも予約があったのだけれど、それがキャンセルになって、久しぶりに全く予定のない日曜日になった。

昨日の土曜日には、奥方のお友達で、ちょっとした改装工事もしている奈良のNクリニックの忘年会があって、奥方と一緒に参加した。院長先生とプロパーの男性と私以外は女性ばかりが25人ほどいる忘年会で、その場にいるだけでもエエ気分になれたりするのは、もはやかなりのおじさんになってしまった、はっきりとした証しだとおもうのだけれど、先週の土曜日は、木村工務店の野郎ばかりのかなり激しい忘年会だったので、部外者にとっての女の園は座っているだけで、和みますわ。

忘年会疲れも少しあって、早朝はダラダラしながらも、朝7時過ぎから久しぶりに自転車に乗って十三峠に上がってみると、途中で左足のふくらはぎが激しく痙って、頂上手前で自転車から降りた。家に帰ってすぐにそんな話を次男にすると、俺なんかサッカーでしょっちゅう痙ってたわ。ちなみに彼は高校のサッカー部のキャプテンをしていたので、ちょっとしたキャプテン面をこちらに向けながら、寒いのに準備運動せえへんかったからやな!、それに水飲みたらんかったんとちがうかな!なんてキャプテンから言われると、妙に歳や筋肉の衰えをかんじたりするのだった・・・・。

奥方が、次男が大学受験のための本を買いたいと言ってるので、ミナミまで一緒に行って、お昼に「インデアンカレー」でも食べヘン!というので、そそくさと朝風呂に入って、3人で車で出掛けることにした。スイスホテルの駐車場にとめて、ロビーにアジア系観光客が沢山いるのに少し驚きつつ、高島屋の外商の窓口に寄って、そうそう、前回高島屋に来たのは、あのNY旅行のティファニーのための下見に付き合わされた時で、歩きながら、左手薬指の指輪の感触を感じつつ、何となく苦笑してしまった。

道具屋筋の裏を通って、そういえば最近このあたりを裏ナンバとよんでいるらしく、明日はこの近くで材木屋さんと設計事務所と工務店仲間による忘年会がある。ナンバグランド花月の前は、開演前らしく、吉本新喜劇を見るお客さんでいっぱいで、向かいのたこ焼き屋さんもかなりの行列を連ねていて、アジア系の観光客もいっぱいで、いままで、ここのたこ焼きを一度も食べた事ないわって想いながら、吉本の前のジュンク堂に入る。

うちの生野区小路近辺だけでも、歩いていけるところにオバチャンや若い子がやっている小さなたこ焼き屋さんが6軒も7軒もあったが、最近は大きなチェーン店なども出来て、小さなたこ焼き屋さんは、めっきり減ってきて、それでも歩いていける距離に3、4軒はあるのだが、大阪の他の町の地元のたこ焼き屋さんはどうなっているのだろうか。

そうそう、ここの本屋さんは、かなり久しぶりで、1階の雑誌の場所は落ちつかなくて、圧倒的にスタンダードブックストアー心斎橋の方がエエ雰囲気だとおもうのだけれど、2階の専門書売り場は品揃えも多く分かり易くて結構好きで、奥方と息子は3階の参考書売り場に直行したのだけれど、私はエスカレータを上がって左手すぐの哲学書やビジネス書などがある筋から順番に、様々なジャンルの通りを一筆書きで通過しながら、タイトルを眺め、たまに手に取って読み、また戻して、タイトルを眺めながら歩いているうちに、なんとなく「知識」欲みたいなものが湧いてきて、あれもこれも乱読してみたい気分に、徐々に徐々になってくるわけで、こういう「通り」は私のなかの何かが刺激されて好きだなぁ・・・。

建築のジャンルのある筋は一番最後に見るのだけれど、本屋さんで暫く過ごすと、腸の調子がムズムズして肛門に力が入ってきたりするわけで、それは印刷のインクのせいらしいが、古本屋さんではそんなに感じないので、新鮮なインクのせいなのかね。ま、とにかく、建築のコーナーではほとんど気力が失せていて、早送りで通過し、雰囲気だけ味わった感じになったのだけれど、自分の専門分野の本だけは、まったく見たくない気分の時があって、きっと今日はそんな日だったのだ。

3冊ほど本を収穫して、千日前を通り抜け法善寺横町を通過して、インデアンカレー南店に入って家族3人カウンターに並んで食べる。たまに食べたくなる辛いカレーで、頭の天頂にエネルギーのツボか何かがあって、食べた後にそれが汗をかいて開いてるような感じがして、それがエエのだろう・・・。その後、ぶらぶら歩いて、丸福珈琲店でカレーの後の珈琲を飲む。40歳中半を過ぎてから珈琲は必ずブラックで飲むようになったが、ここの珈琲だけは砂糖とミルクを入れて飲むのが好みで未だにそうしている。ミナミで20歳頃から好きだった喫茶店は、村野藤吾のプランタンとかJBLパラゴンのあるバンビとかここ丸福だったが、いまではこの店しか残っていなくて、もちろん奥方とは数え切れないほど来ているが、次男とは初めてだな。

「まちのえんがわ」土日スタッフのアオキさんは、平日は無印良品難波店のスタッフをしていて、それでファミリーセール券を頂戴したので、駐車場までの帰り道に立ち寄って、収納ボックス等をゲットして、家に帰る。家と「まちのえんがわ」は歩いて10秒ほどで、お礼がてら、「まちのえんがわ」のアオキさんと、あれやこれやと歓談し、家に戻って、薪を2階の居間まで3往復して運びあげて、暖炉に火を入れて、ゴロッとしながら本を読むことにしたのが、午後2時を回った時刻で、ま、成り行きで、こんな、いわゆる「シティーボーイな日曜日」になった・・・・。

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2014年12月14日

火のエネルギー

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今年最後の「まちのえんがわ」ワークショップは、三つの火による自力忘年会とタイトルされた料理ワークショップで、その三つの火とは、ガスの火とカマドの薪の火と囲炉裏の炭火で、それで、午前中の準備が段取り良く出来たので、開始までの時間に暖をとるために、炭を上の写真のように円形に設置して、中心に3つほどの燃えた炭火を置いて、ゆっくりとした時間を過ごしてみると、徐々に徐々に中心からゆったりと、時々炭がはじける独特の音色を奏でながら、火が燃え広がる姿が心地良かった。

忘年会真っ盛りな時節で、襟を立てマフラーを巻いてポケットに手を突っ込んで寒いなぁと横に歩く人に呟きながら道を歩くそんな寒い冬でもあるわけで、この土曜日は会社の忘年会を、ここ数年の恒例でもあるのだけれど、がんこ平野郷にマイクロバスの送迎付きで向かって、蔵を改修した宴会場を貸し切り、35名の「身内」で催した。

「身内」という表現はちょっとヘンだが、雇用関係としての社員以外に、大工さんや手伝いさんも一緒に参加するのが木村工務店の通例で、家族と兄弟姉妹の親戚が集まったような感じ。そうそう、「私」が入社してから初めて、親父が同席しない忘年会になって、勿論、寂しさもあるが、会社という組織が持続するためには、世代交代は避けて通れない道でもあるわけで、そういえば、来年早々に辞めて独立する社員が2名いて、入れ替わって新たな社員が2名と大工の見習い2名が入社する予定で、さてさて来年の忘年会はどんな雰囲気になっているのかと想像し、中心から外に徐々に燃え広がる炭火の輪のように、さまざまな想いを共有しながら輪が広がればとおもう・・・・。

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スケジュールの都合で、木村工務店と「まちのえんがわ」の忘年会が土曜日と日曜日の二日続けになって、そのうえ先週は丹波遠足で猪の肉を食べたわけで、流石に朝は、ちょっとした疲れのような、面倒くささのようなものがふらっとやってきたが、準備のための炭火の火と竈の薪の火を眺めているうちに、内なるエネルギーが落ち着いてきて、それは「火」の恩恵なのだとおもうのだけれど、そうそう、燃焼する炭火の写真を見ていると漢字の「火」の文字に見えてきたりして・・・。

↓ 竈の火でピザを焼く。
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↓ 囲炉裏の炭火で鰺の切り身やイカのげそを焼きダッジオーブンで鶏を調理する。
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↓ ガスの火でオイルサーディンをつくる。
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↓ 鰯の手開き、鰺の三枚おろし、イカの解体を講師の「遊び菜」マスター岩男さんが実演したあと、皆で和気藹々と調理する。
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↓ お子さんも一緒に遊んで食べる。
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調理をしながら、つまみ食いをするのが美味しかったりするわけで、いや、そんなことより、女性の方々が、一緒に集い、真剣に調理をしながら、時には会話を交わす、和気藹々な光景をみると、なんか、とっても幸せなムードが空間に漂うわけで、オープンキッチンの形と間取りも含めて、これもひとつの「ものづくり」であって、クリエィティビティとも呼べるわけで、料理というのは、もっとも人に寄り添ったエエ「ものづくり」だな・・・とあらためておもう。

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調理が終わるとテーブルの上に盛りつけて、一緒にワインで乾杯し、皆で、長く大きなテーブルを囲んで食事を共にすることが、ものづくりの後のひとつの祝祭であると思うわけで、それは、大工さんの棟上げの後の上棟式の宴のようでもあって、そういえば、おまけに、講師の岩男さん自らギターを持ち込んで、クリスマスソングを歌うというプレゼントもあって、なんだか、ちょっとした喜びを感じる一日は、「火のエネルギー」のお陰だったのかなぁ・・・・。

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2014年12月07日

命のエネルギー

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丹波でツリーハウスを見ると、なんだか急に造ってみたい気分に襲われて、それで、この敷地のどこかに、「まちのえんがわ」で、というか木村工務店で、ツリーハウスを造るわ!なんて事を軽々しく云って、そんなのをここでこうして書いてしまうと、あっ、また、シャチョウ、あんな事云ってしまってるでぇ!と社員や職人さんたちの声が聞こえてきそうで、ま、そんなのをちょっと楽しみながら、とにかく春か秋のエエ日和に、社員や職人さんやその家族とかがいっぱい集まって、それに今まで一緒に家づくりをした家族の皆さんも集まってもらってもエエよね、とにかく、あーでもない、こーでもないとわいわい言いながら、ツリーハウスを造って、一緒にお昼ご飯食べたりし、夜に焚き火で、上棟の宴を催したりして、そんなんどう!

とうとう冬がやってきたな・・・。そんな感じのする今日の日曜日は、「まちのえんがわ」の丹波遠足があって、昨年に引き続いて、丹波の猟師の足立さんのお宅で、獅子肉と鹿肉を食べるツアーで、昨年は酒造に立ち寄ったが、今年は「おおじこどもの森」で、ツリーハウスを見学することにして、DSC02185ロープのブランコやステージもあり、森の前には小学校があって、子供達が遊びに来て、自分たちの秘密基地のような居場所を造ってあり、そんなのが羨ましく思えてきて、「私」など、長屋と長屋の間の路地を駆け回りながら鬼ごっごをする事が遊びだったので、「里山の森」で駆け回る子供達の姿を想像すると、エエなぁと思うわけで、いや、もちろん小学生時代に遊んだ路地裏や道に「ローセキ」で線を引いてケンパをしたりし、とにかく道と路地を駆け回っていてた頃はそれなりに楽しい想い出で、動きと共に心身に刻み込まれた躍動感みたいなものが、「生きる」という感覚のひとつだったのかもしれない・・・。そうそう、都会の下町に住んでいると、森に対する憧れのようなものもあって、そんな欲求を満たすために20代30代はキャンプをしていたのだとおもう。

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猟師の足立さんの話を聴くのは、ほんとうに面白くて、仕掛けの罠を造る話などは、大工の棟梁や、ものづくりの職人さんたちと、共通する何かがあって、今流のコトバで言えば、それをクリエーティビティと呼ぶのかもしれないが、面倒くさい事を面倒くさがらずコツコツとやり続ける人たちのことだとおもう・・・。そういえば、そんな手仕事的な仕事の後継者がいない事も今の時代に共通する出来事なのだろう。

鹿肉の絶品のたたきや、塩こしょうだけで食べれる猪の焼き肉も、まったく臭みがなく、食の基本は塩味だけで食べる事だ!という足立さんのコトバを体感するのだけれど、なによりも鹿や猪の命を奪って、野菜や米だって、その生命を奪って、それを食して、自分のエネルギーにしているのだから、その命に敬意をはらって、余すことなく食べる方がエエし、食しない殺生は良くないのでは・・・と語る。そんな話を聴きながら食べる食事は、それなりの趣があって、ハートにも栄養を与えられたような気がしてきて、年末に行くのが楽しみのひとつになってきているのだけれど、DSC02287もう、わしも歳で、肉の臭みを無くすためには、息がある間に血を抜く事が必要で、罠に掛かった、80kg以上もあるような猪と格闘して、川まで引きずって運んで、内臓まで綺麗に洗い出して・・・。そんな体力なくなってきて、来年あたりは、もう辞めようかとおもってる・・・と語る。そんな話を聴くと、心臓やレバーも有難く食すことになり、「生命」とか「生きる」とかそんなコトを「肉」を食べながら考えさせられるのだった・・・。

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