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2015年07月26日

虹とキールアーチ

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海の記念日に、しまなみ海道にある輪空LINKというペンションに泊まって、自転車で島々を回る事が、ここ3年、恒例行事のような約束事になっていて、行く前には仕事のことや、家のことなど、なんだかんだと障害が出てくるのだけれど、ま、そんなのをやりくりして、遊びだけれど、友人との約束を守ることを大切にするわけで、明治生まれの祖父は、よく、「遊びの段取りが出来ないものが仕事の段取りが出来るかぁ!」と社員に言っていて、一生懸命遊んで、次の日は何食わぬ顔で一生懸命仕事をするのが、社風のようなもので、そういえば、夜中の何時まで飲んでも次の日の朝7時30分頃までには、どんなことあっても遅刻せずに出てくるのも当たり前の事だった。

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この前々日は結納のため喜多方を日帰りし、次の日の土曜日は夜遅くまで打ち合わせが続き、その後、日曜日のブログを前倒しで書いているうちに夜の12時を回り、それでも朝4時30分頃起床して5時30分に自動車を運転し、しまなみ海道の生口島まで走る「私」がいて、その道中に、ふと、別行動の奥方は裏磐梯の温泉に浸かり、東京の次男に会いに行っている姿を想像して、ま、約束して遊ぶということも、なかなかハードな事だなとおもいながら山陽道を走っているわけで、それでも、生口島のペンション輪空の目の前で、こんな虹を見たり、日の出を見たりすると、そんな内的なブツクサなど一気に吹き飛んでしまうのだった…。

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輪空のマスターのイチムラさんとウィリエールのキタムラくんに先導されながら生口島から高根島に渡ると、その橋が、今噂のキールアーチになっていて、この橋を渡る前にDSC01989穴子丼を食べて、そうそう、しまなみ海道には、意外と美味しいお店があちこちにあって、それが毎年足を運ぶ動機でもあるのだけれど、そのお店で、キムラさん、なんで国立競技場って金額があんなに高くなったりして、ありえんよね。と広島弁で聞かれていたので、あの橋のようなアーチが2本あって、それで屋根を支えていて、しかもこの島と島の距離より長いかもしれず、それに、もっとアールの角度が緩く、それゆえに下に垂れる力が強くかかって、その力に耐えるために、巨大な基礎を造る必要性があって…。なんていう、数日前の上棟式で構造のシモヤマさんから聞いた話をえらそうに語る「私」。

海の記念日は、とびしま海道を全周回る予定で、フェリーで岡村島に着いて、上大島に向けて、漕ぎだして3Kmほどののころで、ウィリエールキタムラくんのタイヤが大きな音とともにバーストして、パンクなら直せるが、タイヤが裂けてしまうと無理で、泣く泣くペンションまで引き返し、タイヤ交換し、それで、急遽予定を変更して、偶然、輪空に立ち寄った地元のライダーのお二人に先導してもらって、大三島のピザ屋さんに行くことした。そこで、その地本の方とピザを一緒に食べながら、大阪への帰りに、ラーメンやお好み焼きを食べるために尾道に寄るといつもいっぱいで、どこかエエとこないですかね。と聞くと、東尾道の「むらかみ」というお好み焼き屋さんを薦めてくれた。

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Iphoneのグーグル地図に音声案内してもらいながら、帰り道に素直に、そこに立ち寄ると、広島風お好み焼きを作る店主の所作がとっても丁寧で、その作る姿を見ながらあれやこれやと世間話をすると、大阪の天神橋に長らく住んでいたそうで、立ち飲み屋の話や天六のガス爆発の話で盛り上がり、家ではホットプレートで大阪風のお好み焼きを作るのですけど、広島風のお好み焼きは鉄板の火力が強くないと出来んのです…。なんていう話を聞きながら、時間をかけて丁寧に出来た広島風お好み焼きが、とっても美味しくて、広島出身のキタムラくんは、おいしいお好み焼き屋さんの共通しているところは、ほんとに丁寧に焼くのですよ…と。

確かに、職人さんは仕事が丁寧でないといけないよなぁ…。それと、現場監督はコミュニケーションが丁寧でないといけないよなぁ…と、中国道の宝塚の渋滞の中で、あの丁寧なお好み焼きを焼く所作を残像のように想い出しながら、一気に会社モードに切り替わっていった…。

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2015年07月19日

幾久しく

結納という儀式が今という時代に必要なのかどうか、家と家が結ばれるという考え方が必要なのかどうか、そういう習わしのようなものを、素直にやってみる事に、あまり違和感を感じなくなってきたのは、木村工務店の三代目として、さまざまなものを受け継ぐ立場になって、いろいろな伝統行事のようなものを少々の葛藤を繰り返しながら経験してみると、意外とエエではないか!とおもえるようなものが多々あって、そんな個人的な感覚が、「私」のどこかに存在しながら、長男の結納を納める儀式を体験することになった。

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縁というのは摩訶不思議なもので、午前11時頃、福島県会津若松の隣の喜多方の駅前に佇む奥方と私と長男の姿があって、そこに到着するまでには、丁度、台風11号が関西方面に接近し、伊丹空港から福島空港まで飛行機が飛ぶどうか、前々日ぐらいからやきもきし、前日には夜中まで眠れなかった奥方の姿があり、それは、昨年の夏のNY旅行の日に、関空から成田まで台風で飛行機が飛ばず新幹線でぎりぎり間に合った「私」の姿を想い出させて、故に、それはやっぱり「私」が招いた出来事と縁なのだという小さな噂が社内で広まっていた。

結納は日本全国どこでも同じようなものだと、なんの疑いもなく思っていて、大阪の男子と会津の女子が婚約をする事になり、大阪の木村家が受け継いできた結納のしきたりに従って、品々を揃えて、喜多方のT家にお伺いし、近くの料亭で、教わったとおりの位置関係で品々を並べると、そこの女将さんが、会津では、木村家の屠蘇(とそ)とT家の屠蘇をひとつの盃に混ぜて注ぎ、3枚に積み重ねた杯を小さい盃から男性と女性で盃を酌み交わし、中の大きさの盃で父親どうしが盃を酌み交わし、大きな盃で母親同士が盃を酌み交わすのが習わしで、どうしますか?やりますか?と聞かれて、勿論、その土地の習わしに従うのが礼儀であり、夫婦揃って、快く受け入れて、体験することにした。

結納の品々を前にして、両家が分かれて、男性側の「私」が口上を述べる訳で、何よりも「幾久しく」というコトバを使うのは初体験であり、そのコトバの音感がとっても新鮮で、発してみると神聖な気分にすらなるわけで、幾久しくよろしくお願い致します。とお互いの父親どおしが、口上を述べあって、関西風の儀式が終了し、その後、会津のしきたりに従って盃を酌み交わしたのだけれど、それがおもいのほか心地良く、両家の中に心構えのようなものが芽生えたのは確かで、夜噺の茶事での千鳥の杯をちらちらと想い出しながら、二人の婚約を祝った。

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そうそう、こんな品々を並べることは会津にはないらしく、地方によって全く違うことを初めて知るのだけれど、そういや、私だって、奥方とは大阪人どうしなので、ホテルで結納を交わし、儀式としてはあまり鮮明な記憶として残らない都会的な婚約式だったが、藁葺き屋根風民家のような大きな料亭の神棚の前に並んだ結納の品々のその前の窓の外には、青々とした田んぼと雲に覆われた磐梯山が真っ正面に見えて、なんだか日本を感じたなぁ…。

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2015年07月12日

山小屋の魅力

土曜日。神奈川県丹沢の塔の岳に至る表尾根の途中にある堀山の家で、その小屋の親父のヒゲさんの一周忌の集まりがあって、そうそう土曜日は設計の打ち合わせにお客さんが二組お見えになる日だったが、設計のタナカくんに、お頼みし、日曜日も住宅相談会に参加出来ず、お越し頂いた二組の方々には申し訳なかったが、30年ちょっとのお互いに大阪と東京神奈川を行き来するわりと深い付き合いがあって、それにそこで出来た友人たちと共に一緒に偲びたかったこともあり、無理矢理のスケジュール調整となった。

朝4時45分に起きて、お風呂に入って、そDSC01552ういえば、前日はイシカワさん設計の茨木の住宅の上棟式があって、変形な建物だったので、ササキ棟梁が手加工で上棟した住宅で、夜8時頃まで、上棟の宴が続いて、会社に帰ると、現場担当のフルカワくんが、きっと日本酒をぐっとあけた勢いが残っていたのだろう、皆で飲みにいきましょぉ!と、上棟式に参加していた、トミマス工事部長や、材木屋の岡房商店のシンチャンやMK電気のカヤくんと私を誘い、で、近くのあそび菜であーだこーだと仕事の話で沸騰するほどの勢いが続いて、ようやく深夜0時近くに終演し、で、現場担当くんは勢いありすぎて、とうとう路上に嗚咽するほどで、それをバケツで何度も水を運んで、深夜の道路掃除をする協力会社の二人の涙ぐましい姿があり、会社3階の和室に現場担当くんを布団を引いて寝かしつけて、家に帰って、深夜に山の用意する「私」の姿もあり、なので、どうしても、朝風呂に入ってから出かけたかった。

山の用事とは別に、少々大きな届け物があったので、5時30分に車ででかけたのだけれど、第二京阪、新名神、伊勢湾岸道、第二東名など、高速道路が良くなってきて、高速走行のストレスが大幅に改善されてきたので、おもいのほか早く着いて、駐車場で1時間以上ゆっくり休憩してから登山を開始する余裕があった。途中に何人かの山小屋の知り合いとすれ違たり、一緒に登ったりしながら、近況を話したりするのが、常連山小屋スタイルな登り方で、確かにだんだん山頂など、どうでも良くなってくるわけで、頂上に行かずそこの山小屋でストップしてしまうのを超常(頂上)現象だぁ! などと、おやじギャクを言うのがちょっとした習わしのようなもので、そんな山の楽しみ方がなんとなく麻薬的だったりする。

途中のベンチで休んでいた70前後のAさんに、久しぶりです、体調はどうですか。と声をかけた。癌で、余命一年と言われて、それからこの尾根を登山するようになって、投薬と共にもうかれこれ6年が経過し、そんな姿を山小屋で会って見聞きしていたのだけれど、登山の途中に会うのは初めてなので、休憩がてら声をかけると、この山を歩くことで、不思議に免疫力がついて、癌が小さくなっていたのですが、また癌が再発してきて、いま新しく開発された薬を実験のように投薬して、それで、また小さくなってきて、でも残念ながら小屋まで行く力がなくなって、それでも毎週のように上がって途中で引き返し、山登りを続けているのです。と、美しい目で、話してくれた。そんなのが、余韻として、「私」のどこかに残りながら、登山を続けたりする…。

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ここ最近は、この場所で、必ず写真を撮影する。ここだけが、地面の土の色が独特に良く、それは、土そのものが良質で、その踏みしめられた土が「三和土(たたき)」のように美しくなっているからなのだろうが、木々の囲まれ具合と、尾根のような橋のような道幅と、土と緑の境界線、なによりも道のゆるやかな曲がり具合。そんな組み合わせが心地よく感じさせるのだろ…。

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山小屋の簡素な鎧貼りの外壁の杉板が、こんな風雨の中でも以外と長持ちするのだなぁ…とか、丸太の芯持ちの建物は足場丸太のような細い柱で造った小屋でもそこそこしっかりしているよなぁ…とか、ダルマ薪ストーブを囲む宴や木々に囲まれたアウトドアーでの夕宴や夜宴や朝のまったりした時間などなど、そんなのが「私」のどこかに知らず知らずに定着して、それを建築的な表現として、どこかに造りたくさせるのだろう…。

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2015年07月05日

左官しごと

左官屋さんというコトバに親しみを感じるのは、町の工務店の子供として生まれ、家の前が事務所と加工場だったので、小さい頃から大工さんと同じように左官の職人さんやその親方と接する機会が普通にあって、祖父の代からの左官屋さんは、その息子さんたちがお医者さんになって廃業し、その弟子たちもバブルの頃にもっと儲かる職種に変わり、それで、数年間は、何軒かの左官屋さんと取引をしていたが、いろいろな縁が重なって、十年以上前に、左官山本組のヤマモトさんと知り合って、今や木村工務店の左官屋さんとして、なくてはならない存在となった。

そういえば、親父が幾度となく語っていた話に、昔は大工を右官といい、左官は左官であって、その右官だった大工がワンランク上がって、ダイ(大)・コウ(工)となったんや、と言っていたが、インターネットの時代となり、グーグってみると、確かにそれなりにそういう説があるらしく、大工さんは木を扱い、左官屋さんは土を扱い、板金屋さんは金属を扱い、それぞれが独自の道具を造って、その道具を使いこなしながら、それぞれの材料の特徴を活かした建築を造る職人さんたちで、そんな職人さんたちが、日本建築を支えてきてくれたのだと思えるようになってきたのは、そういう材料とコミュニケーションをするひとたちに焦点をあてた、「まちのえんがわ」ワークショップをするようになってからだとおもう。

今日は、その土とコミュニケーションをする左官屋さんをメインにした「まちのえんがわ」ワークショップで、最初の年は、泥団子を作るワークショップとして左官のヤマモトさんと一緒にやってみると、おもいのほか人気で、翌年にNHK文化センターからワークショップの講師としての依頼があり、それでヤマモトさんと二人で、小学生を中心に4回ほどやってみたが、その後はヤマモトさんに全てお任せして、今年の夏休みにもヤマモトさんはNHK文化センターで泥団子教室をやるらしい。そうそう音楽の力というテレビ番組から泥団子製作の依頼があってホームメード家族という音楽グループがうちの加工場に来て、ヤマモトさんを先生としてテレビ放映があったのが2014年の1月のコトだった。

そんなこんながきっかけとなって、今年の6月からヤマモトさんは、「左官山本塾」という許認可を取得した左官学校を始めて、今までの行きがかり上、私もその講師として参加するコトになり、工務店での日常的な、さまざまな出来事を語りながら建築の仕事を伝える役目として6月23日に山本塾を訪問したのだけれど、その時の塾生たちが、このワークショップを手伝いに来て参加者のサポートをしてくれた。

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ちなみに、先週のフクロウワークショップと今週の左官ワークショップが連続し、もちろん、左官ワークショップは年間スケジュールに組み込んだメインのワークショップなのだけれど、フクロウの都さんと知り合った縁で、フクロウカフェを簡単に開催する程度の軽~い気持ちで、無理矢理空いているスケジュールに押し込んで応募してみると、メインの左官ワークショップを上回るフクロウ人気に何よりも驚いたのは「私」で、それで本格的なフクロウワークショップに昇華して、それは左官に対する右官のようなポジションだったフクロウが、まるで大工(ダイコウ)に昇華したような勢いで、左官にはいつもライバルが出現する運命なんだな…。

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日常的に親しみが薄れている左官仕事を生活の中の一部に取り込めないかと考えて、30cm画の板に左官コテでモルタル塗りをし、その上にデコレーションをして、そこに時計をつけて、左官塗り時計を製作する事を考えたのは、「まちのえんがわ」でヤマモトさんと縁側噺から発想したわけで、そうそう、うちで施工しているアーバンリサーチのグランフロントや、なんばパークスや、くずは店や、千里店の壁は、左官山本組の漆喰塗りで、プラスターボードでないラスボード下地の本格的な漆喰塗りでもあって、それとは気付かないけれど、なんとなく落ち着いたエエ雰囲気の白い壁になるのが、左官漆喰壁の良さで、クロスやペンキ塗りより平米単価は高いのだけれど、予算と格闘しながらも、マイホームの壁のどこかには、「左官しごと」を採用して欲しいものだなぁ…。

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