2015年07月05日

左官しごと

左官屋さんというコトバに親しみを感じるのは、町の工務店の子供として生まれ、家の前が事務所と加工場だったので、小さい頃から大工さんと同じように左官の職人さんやその親方と接する機会が普通にあって、祖父の代からの左官屋さんは、その息子さんたちがお医者さんになって廃業し、その弟子たちもバブルの頃にもっと儲かる職種に変わり、それで、数年間は、何軒かの左官屋さんと取引をしていたが、いろいろな縁が重なって、十年以上前に、左官山本組のヤマモトさんと知り合って、今や木村工務店の左官屋さんとして、なくてはならない存在となった。

そういえば、親父が幾度となく語っていた話に、昔は大工を右官といい、左官は左官であって、その右官だった大工がワンランク上がって、ダイ(大)・コウ(工)となったんや、と言っていたが、インターネットの時代となり、グーグってみると、確かにそれなりにそういう説があるらしく、大工さんは木を扱い、左官屋さんは土を扱い、板金屋さんは金属を扱い、それぞれが独自の道具を造って、その道具を使いこなしながら、それぞれの材料の特徴を活かした建築を造る職人さんたちで、そんな職人さんたちが、日本建築を支えてきてくれたのだと思えるようになってきたのは、そういう材料とコミュニケーションをするひとたちに焦点をあてた、「まちのえんがわ」ワークショップをするようになってからだとおもう。

今日は、その土とコミュニケーションをする左官屋さんをメインにした「まちのえんがわ」ワークショップで、最初の年は、泥団子を作るワークショップとして左官のヤマモトさんと一緒にやってみると、おもいのほか人気で、翌年にNHK文化センターからワークショップの講師としての依頼があり、それでヤマモトさんと二人で、小学生を中心に4回ほどやってみたが、その後はヤマモトさんに全てお任せして、今年の夏休みにもヤマモトさんはNHK文化センターで泥団子教室をやるらしい。そうそう音楽の力というテレビ番組から泥団子製作の依頼があってホームメード家族という音楽グループがうちの加工場に来て、ヤマモトさんを先生としてテレビ放映があったのが2014年の1月のコトだった。

そんなこんながきっかけとなって、今年の6月からヤマモトさんは、「左官山本塾」という許認可を取得した左官学校を始めて、今までの行きがかり上、私もその講師として参加するコトになり、工務店での日常的な、さまざまな出来事を語りながら建築の仕事を伝える役目として6月23日に山本塾を訪問したのだけれど、その時の塾生たちが、このワークショップを手伝いに来て参加者のサポートをしてくれた。

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ちなみに、先週のフクロウワークショップと今週の左官ワークショップが連続し、もちろん、左官ワークショップは年間スケジュールに組み込んだメインのワークショップなのだけれど、フクロウの都さんと知り合った縁で、フクロウカフェを簡単に開催する程度の軽~い気持ちで、無理矢理空いているスケジュールに押し込んで応募してみると、メインの左官ワークショップを上回るフクロウ人気に何よりも驚いたのは「私」で、それで本格的なフクロウワークショップに昇華して、それは左官に対する右官のようなポジションだったフクロウが、まるで大工(ダイコウ)に昇華したような勢いで、左官にはいつもライバルが出現する運命なんだな…。

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日常的に親しみが薄れている左官仕事を生活の中の一部に取り込めないかと考えて、30cm画の板に左官コテでモルタル塗りをし、その上にデコレーションをして、そこに時計をつけて、左官塗り時計を製作する事を考えたのは、「まちのえんがわ」でヤマモトさんと縁側噺から発想したわけで、そうそう、うちで施工しているアーバンリサーチのグランフロントや、なんばパークスや、くずは店や、千里店の壁は、左官山本組の漆喰塗りで、プラスターボードでないラスボード下地の本格的な漆喰塗りでもあって、それとは気付かないけれど、なんとなく落ち着いたエエ雰囲気の白い壁になるのが、左官漆喰壁の良さで、クロスやペンキ塗りより平米単価は高いのだけれど、予算と格闘しながらも、マイホームの壁のどこかには、「左官しごと」を採用して欲しいものだなぁ…。

投稿者 木村貴一 : 2015年07月05日 22:26 « 山小屋の魅力 | メイン | フクロウと加工場 »


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