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2015年09月27日

長屋にまつわる人々。

生野区で空き屋リノベーションアイデアコンクールというのがあって、ちょうど1年前に親父から相続した4軒長屋の端の1軒が長らく空き屋だったので、空き屋コンクールのモデルとして応募すると、うまく採択されて、その現地見学会が今日の日曜日のお昼からあり、30人ほどのひとたちが、見学に来られた。

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「戦前」なんていうコトバが、なんとなく不思議なコトバのような感じが最近してきて、ま、それはともかく、その戦前に建てられた長屋が、空襲で焼けることもなく残って、親子4人とか、なかには、祖父母も含めて3世代6人家族が住んでいる超高密度な長屋もあって、子供たちが成人すると、緑の多い郊外に憧れて、5軒に1軒が長屋だといわれる生野区の町から外に出るのが、フツウの事だった。

その親の世代が80歳代を超えてくると、ひとり暮らしや介護の問題などなど、生野区は16.3%が高齢単身者らしく、亡くなったり、介護などで、空き長屋が増えてきて、その生野区の空き屋率は22%だという。まさしくうちの4軒長屋の1軒の空き屋がその比率を的確に物語っていて、人口減少も含めて、これからどんな町になっていくのが良いかが問われていて、もちろん日本全国の地方都市がかかえている問題でもあるのだろう…。

その4軒長屋と「まちのえんがわ」は20mほどの距離にあり、見学会のあと、何人かのひとたちと、縁側に座り、あれこれと話をしていると、突然というか偶然というか、リフォームの相談に、ご夫妻がお越しになった。お話を伺うと、東成の長屋にひとり暮らしをするお父さんが、足腰が弱くなり、それで、今住んでる家に引き取って介護をするために同居を考えたリフォームをしようかという要望で、最近、こういうリフォームが増えてきて、私自身の介護の経験からしても、1階に寝室と便所と洗面所は必須で、お風呂は、あるにこしたことはないけれど、訪問介護入浴もあるし、食事も何とかなりそうな時代だな…とおもう。

ま、こんな感じで、空き長屋が増えてくるのだけれど、同じような戦前の長屋が、「まちのえんがわ」の前に、空き3軒長屋としてあって、それが、つい2週間ほど前に、そのうちの1軒に学生二人がシェァーハウスして入居することになったのは、まちにとっても嬉しい出来事で、室内の壁と天井の一部は、自分たちでリフォームするらしく、先ほどのご夫妻が帰られた後に「まちのえんがわ」にやって来て、天井をどうしたら良いかアドバイスしてもらえませんか…と若者二人が尋ねて来た。

イタリアの山岳都市に行ってみると、崖の上に立つ集合住宅というか、小さな広場を中心にした集合長屋的集落で、多くは観光地ぽくなっていたが、そんな小さなオープンスペースが、「ほっとした」気持ちを与えてくれて、そこで寛いだり考えたりするのが楽しみだった。生野区の長屋のまちにも、遊具のある公園とは違うオープンスペースがあれば、まちに潤いを与えるのかもしれないし、ひょっとして、道と縁側の組み合わせが、ちょっとしたオープンスペースとして機能するのかもしれない…。

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↑ チビタ・ディ・バニョレッジョの小さな広場

長屋にまつわる多くのひとびとが、日曜日のお昼から出入りするさまを「まちのえんがわ」に座ってなんとなく関わりながら、観光地的ではない、生活が営われる、「長屋な集落」と「縁側」と「オープンスペース」のあるまちを思い描いて見た…。

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2015年09月20日

節目

そういえば、シルバーウィークって、いつから出来たのかね。休日でも仕事が出来る二つほどの現場は動いているのだけれど、基本的に会社と現場は休みで、それで、とってもエエ天気だったので、早朝から自転車に乗って、柏原の葡萄坂を登り、のどか村で休憩し、信貴山に上がって参拝して、ブドウ畑から大和の景色を眺め、龍田大社にお参りし、三郷のカフェフェンチーナでひとりモーニングをして、大和川の土手沿いを走って帰ってきて60kmほど。1ヶ月半ぶりに自転車に乗ると、なんかヘロヘロだったなぁ…。

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自転車で走りながら、その間、あのイタリアンなお盆があったなぁ…とか、長らく肩に入っていたチタンプレートの撤去手術をしたよなぁ…とか、河内堅下の駅前を通過すると、寝屋川の事件の事を想い出して、このあたりなのかなぁ…とか、仕事の問題や心配事なども時折よぎり、ま、でも、途中からは、体のヘロヘロ疲れに神経がいった。

家に帰って、ラグビーワールドカップ日本代表と南アフリカとの試合をyoutubで見ていると、どうしても全試合をビデオで見たくなり、2回も見てしまった。後半ロスタイム前後の一連の日本選手のプレーでは、なんとなく目頭が熱くなるほど、感動して、なんなんだろうね、最後の最後まで勝ちに拘って強いものに挑戦するあの姿勢が良かったのかね…。

前日に荒れる国会中継とデモを見て、日本の将来に微妙な空気感が漂い始めて、そんな時のラグビー日本代表の歴史的勝利があって、政治が与えた陰鬱なメンタリティーの直後にスポーツが力強いメンタリティーを与えて、ラグビーと聞けば、なんとなく前森首相の姿を想像したりして、国立競技場問題では話題のザハは、応募を断念したというニュースもあり、政権の立場からしてもこの歴史的勝利は、有り難いニュースなのだろうし、運の強さのようなものを感じるなぁ…。

そうそう、あの国会のあと、塩爺の亡くなったニュースが飛び込んできて、小さい頃から布施の塩爺の屋敷の前は自転車で通っていて、良質の大阪弁を喋る、エエ感じの大阪人として好きだったなぁ…。そういえば、うちの長男が塩爺の孫さんと幼稚園の同級生で、家に遊びに行って帰ってくると、なんで、うちの家には警察官が立っていないのかと、聞いてきたりして、丁度、大臣をされている頃だったのだなぁ…。

なんだかシルバーウィークは節目みたい…。
ま、それはそれとして、皆さん、エエ、シルバーウィークを!

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2015年09月13日

「広場」と「オープンスペース」

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今月号の新建築という雑誌の中に「Another Utopia」 という槇文彦さんの記事があって、市民参加型の「オープンスペース」の構築を提唱していて、オープンスペースがコミュニティーの核になりえるのでは、という提案で、従来の公園や憩いの場という概念を否定し、オープンスペースはもっとさまざまな知的考察の対象となり得るのではないかという提言でもあって、それが、「私」にとって、とってもタイムリーな記事で、なるほど、そうだよなぁ…。なんておもいながら読んだ。

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そもそもの始まりは「イタリア中世の山岳都市」という本を建築の相談にお越しになったお客さんが勧めてくれたのがきっかけで、廃版になっていたその本をアマゾンの古本として980円で手に入れて、食卓のテーブルの横の本棚に置いて、なんとなく眺めていた。山岳都市というのがイタリアにはあるのだと初めて知り、あのサッカーの中田が所属したペルージャも大きな山岳都市だと知って、ほぉーっとおもい、イタリアに行く機会があれば、山岳都市を巡ってみたいものだなと、おぼろげな憧れを持つようになった。

それが突然、降って湧いたようにイタリア山岳都市建築の旅が巡ってきた。長男が木村工務店の入社前にヨーロッパの建築を1ヶ月かけて廻る旅をしていて、うちのお盆休暇の始まる日がミラノに到着する予定日で、それを知った奥方が、仕事の問題や家族の問題などなど、ちょっとリフレッシュしたほうがエエよ、おもいきって、山岳都市を見にイタリアに行けば!と投げかけてくれたのが、お盆の2週間ほど前の出来事だった。もちろん、「私」のなかのさまざまな要因に基づく「躊躇」が右往左往し続けていたが、ま、取り敢えずぐらいの気持ちになったのが5日前で、奥方にエミレーツ航空をインターネットで予約してもらい、それでも仕事の都合によっては前日にキャンセルするぐらいの気持ちもあったので、ミラノのホテルとレンタカーは長男に予約してもらって、そのホテルで待ち合わせることと、ローマ空港から帰る日時だけを決めるのが精一杯だった。

そんなこんなで、あたふたばたばたしながらなんとなく旅立ち、現地午後4時前にミラノのドウオモとガレリア近くのホテルで無事に落ち合って、そそくさと街にくりだしてすぐに心を奪われたのが、広場(オープンスペース)の存在だった。この時以降、ミラノ、ベローナ、ベニス、フィレンツェ、サン・ジミニヤーノ、シエナ、アッシジ、チビタ・ディ・バニョレッジョ、カルカータ、ローマ、サン・グレゴリオ・ダ・サソッラ、ポーリ、ナポリ、これらの訪れた町の大小さまざまな「広場」で腰をかけ、ことあるごとにテーブル席に座っては、ビールを飲み、次の日の旅程を考え、インターネットで次の日のホテルを予約し、道行く人々を眺め、さまざまな思いを巡らし、これからの事を語り合ったりもし、もちろん時には食事もして、オープンスペースで意識的に寛ぐ事が、オープンハートを呼び起こしたのかどうか、とにかく広場(オープンスペース)の存在とその使い方が、次の旅を導いてくれた。

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↑ チビタ・ディ・バニョレッジョ
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↑ チビタ・ディ・バニョレッジョの広場。
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↑ シエナのカンポ広場 
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↑ カルカータ
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↑ カルカータの小さなオープンスペース

カルカータのまちは、少しだけ大きめの広場を中心に小さなオープンスペースがあちらこちらに迷路のように点在し、ある時期、ユートピアのようなコミュニティーが存在したのだろうなぁ…と想像させられて、そういえば、宮崎駿の「千と千尋」のモデルでもあるらしく、あらためて、小さな「オープンスペース」に魅了された。

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2015年09月05日

「コトバノイエ」と「建築の力」

コトバノイエ9.5周年パーティーというのが、時折激しく雨が降る兵庫県川西で催されて、矢部達也さん設計で、木村工務店で施工した住宅のことで、その住人というか、お施主さんがカトウさんで、本好きが高じて、本棚が構造体になった平屋のその住宅の名称を「コトバノイエ」と呼んでいて、この住宅ができて、そのお宅の部屋やデッキでソトメシと呼ばれる宴を催すようになり、その宴に誘われて、「私」も参加するようになってから、施主と設計者と施工者のあらたな関係性のようなものが始まって、きっと、この住宅がなければ、木村家本舗も始まらなかったし、「まちのえんがわ」も誕生しなかったとおもう…。

この住宅が出来るまでは、施主と設計者と施工者の関係性は、はっきりとしたビジネス上の一線が引かれた状態で、どことなくビジネスライクだったが、ソトメシの宴に度々参加するうちに、その一線がうっすらとした線になって、というより、川岸の右岸と左岸に分かれてお互いに川を行ったり来たりしているような、川というはっきりとした一線があるような関係性だったのが、なんとなく、川から海に濯いで、一隻の船に一緒に乗りながら大波小波に揺られて漂っているような関係性になって、勿論オトナとしてのお互いの立場の違いは守りながら、遊びも含めたさまざまな事を一緒にやるようになってきて、その関係性があってこそ、カトウさんやヤベさんと一緒に木村家本舗というオープンホームなイベントを催すようになり、その経験がオープンカンパニーのような「まちのえんがわ」に繋がっていったのだとおもう。

25坪ほどの平屋の住宅におそらく百人近い人たちが出入りした賑やかなパーティーで、特別イベントごとがあるわけでもなく、立食形式で食べたり飲んだりしながら、あれやこれやと、時間と空間を共有し、たわいもないコミュニケーションをすることそのものが、楽しいことだと伝えてくれたりする訳で、それに間接的には「建築の力」のようなもの、それはこのコトバノイエという建築が巻き起こしたコミュニケーションでもある訳で、「建築」という行為の面白さを伝えてくれているともいえる訳で、勿論、いままでの反省として、建築によって、クレームのような不愉快なおもいを作り出してしまった経験もあって、あらためて、「建築の力」に身が引き締まるおもいがした。

そうそう、本日は住宅相談会の日でもあり、午前中のAさんは、男性ひとり住まいの住宅の建て替え工事の計画案の打ち合わせで、間口2間奥行き4間ほどの住宅の間取りに、さほどバリエーションがあるようにはおもえないが、それでも、現在のライフスタイルとこれからのライフスタイルをまじめに考える事が、その住まい手に相応しいプランを作り出したりする訳で、まさしくコトバノイエは、カトウさんの本読みのライフスタイルをしっかりと考慮して設計したヤベさんのプランが、今日のようなイベントに繋がったのだとおもう。

お昼からは、造園家のイエタニさん夫妻と建築家のオカさん夫妻とうちの夫婦とステンドグラス作家のトモコちゃんとで、大丸の味吉兆で、食事会をする事になっていて、それは、近く大丸が取り壊される事になって、その味吉兆の庭を設計施工したイエタニさんが、とり壊される前に食事をしようよと呼びかけてくれて、ま、そんな「建築の力」的な食事会で、ところが、東京にひとり住まいする次男が、一昨日に、風邪とアレルギーが突発して、急遽大阪に帰ってきて、その看病で、うちの奥方が出席出来なくなり、その代わりに9月1日から木村工務店に入社する事になった長男が代役となって、食事会に出席するというドタバタがあったりして、それでも、きりっとした料理でランチを共にしながらのコミュニケーションは独特に楽しい。

午後3時からのBさんは、3階建ての3階に自宅のある計3戸の小さな共同住宅の計画案の打ち合わせで、そのBさんが、「イタリア中世の山岳都市」という本を私に勧めてくれて、まったくイタリアの建築に興味を持っていなかった私に、山岳都市の魅力を教えてくれたその縁が、イタリア山岳都市建築旅行に繋がったりし、あらためて、「建築の力」に驚いたりしたわけで、ま、その話はまたいつかするとして、とにかく、この打ち合わせが終わって、「まちのえんがわ」のスタッフのアオキさんや、トンちゃんや、ソンさんと一緒に、ワイワイ言いながらコトバノイエに向かったりし、なんか、とっても沢山の方々と、さまざまなコミュニケーションをした一日だったなぁ…。

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