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2015年10月25日

豊かな暮らしに繋がる「インテリア・整理収納・おそうじ」

肌寒いなぁ…と感じる、そんな秋晴れの日曜日。「まちのえんがわ」ワークショップは、金城貞美さんによる「インテリア&整理収納ワークショップ」で、奥方の友人、といっても次男の同級生のお母さんが、このイベントをきっかけに、同窓会のように十数人が集まって、ランチを共にしたりしながら、ワークショップに参加頂いて、「インテリア」「整理収納」「おそうじ」が「豊かな暮らし」につながるのだという、とっても楽しい金城節による2時間のセミナーだった。

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「冷たい」「暖かい」と「軽い」「重い」というインテリアスケールの説明から始まり、「ナチュラル」とか「モダン」とか「クラシック」や「シンプル」「エレガント」などのコトバを組み合わせながら、自分のインテリアの好みを知ることの解説があって、ま、そんなコトバの分類に違和感を持つ建築家も沢山いるのだろうが、それはともかくとして、自分自身が暮らしている家のインテリアに無頓着でいることは、とっても多くの時間を過ごマイホーム故に、ひとの潜在意識の何かに与える印象や影響は大きく、それ故に牢獄などのような自由を束縛する室内が存在し、ひとの精神に強制的に影響を及ぼす「インテリア」の中にひとを押し込んだりするのだろう…。

わりと頻繁に自宅のリフォームを繰り返していた工務店の息子として育ったことが潜在意識のどこかに影響を受けていたのだろうが、小学校高学年や中学生の頃には、自分の部屋のインテリアに興味を持っていて、しょっちゅう、飾り物をしたり、机やベットや本棚や洋服タンスを自分で移動しながら配置を楽しんだりしていた。

それはともかく、自分の過ごす部屋の「インテリア」に興味を持つことは、楽しい暮らしの大切な要素のひとつで、それ故に、「整理収納」を考える必要性にも迫られるわけで、いやもちろん、モノが溢れて、納まりきれず、とんでもない状況に陥るゴミ屋敷のような極端な例のように、モノの問題は、もらい物や捨てられない物、買い過ぎや捜し物や無駄な物などなど、実利的な要素を主軸にしてとらえるのが「筋」だが、自分にとって「豊かな暮らし」、居心地の良い「インテリア」という、新たな軸を考慮して、「整理収納」の問題を考えるのが、「オモシロイ」のだと、教えてくれる内容であった。

考えてみれば、会社だって、「インテリア」「整理収納」「おそうじ」のルーティンが「豊かな会社」につながるといえるわけで、建築業界では、現場のそれらが「豊かな現場」に繋がるのだろうし、「ものづくり」にとっても、「インテリア・整理収納・掃除」が大切な要素なのだと、トヨタのカイゼンなどが、指し示している訳で、そうそう、生野区のものづくり百景で訪問した「小さな工場」は、どれもこれもが、「インテリア・整理収納・おそうじ」が格好良かったりした。

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↑ 木曜日に訪問した宝石加工の現代の名工である多田商店さんの作業机

ま、ところが、面倒くささなどから、自分の家の「インテリア・整理収納・おそうじ」がおろそかになって、言うほどに、豊かな暮らしにならないように、会社や現場は、ことさらで、これらの要素を軽視する傾向も未だにあるわけで、それにしても、これら3つの要素が、「豊かな暮らしや会社や現場やものづくり」に繋がる大切な要素なのだと、あらためて気付かされるセミナーだった…。

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2015年10月18日

足跡

日曜日の朝に、ランニングを始めたのが2010年9月で、2012年の「まちのえんがわ」ワークショップに参加してくれたウィリエールのキタムラくんに自転車に乗ることを誘われて、それが意外とオモシロイ事を知って、それでマイ自転車を買い、2013年の3月からは、日曜日の朝のランニングを自転車に変えて、2015年10月の日曜日の今朝に至るのだけれど、その6年間、Iphoneのrunkeeperというアプリを使って記録をしていて、その記録を見てみると1ヶ月に4回の日曜日を走った月は6回ほどで、なんだかんだ、前日が遅くなって起きられなかったり、雨だったり、用事があったりして、ま、そんなもん。それと、ランニングでも自転車でもスピードとか時間とかは、いわゆる平均より遅いらしいが、日曜日の早朝の1時間から2時間ほど走って、家に辿り着いて、15分ほど静かに過ごして、お風呂に入って、スッキリして…。というのに拘りがあるのだろう。

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↑ ランニングの足跡.............................................. ↑ サイクリングの足跡

もともとのきっかけは、50歳をすぎて、運動不足で、体がブクブクしてきて、健康診断の数値でもメタボの仲間入りらしく、それでランニングを始めたが、あまり体重は痩せることはなく、運動不足解消とストレスの発散になっていた程度だった。自転車に切り替えてからは、不思議に体重が3kgほど痩せて、いや、なんでこんな話かというと、本日の「まちのえんがわ」ワークショップは瓦コースター製作のワークショップで、うちで家造りをさせていただいたお施主さんも、いつもの常連さんが2組参加して下さって、そこで、突然、「おめでとうございます」なんて言われて、このブログで息子さんが…。というので「ありがとうございます」と、もちろん嬉しく答えるのだけれど、そういえば日曜日のブログも2004年1月から始めて、2005年6月以降は連続して、かれこれ10年になる。

いやいや、それで、ワークショップ終了間際に東大阪で新築工事をさせて頂いたご夫妻が、二人で自転車に乗って、立ち寄ってくれて、あれやこれやとアウトドアーの四方山話をしながら、今朝も自転車で十三峠往復してきましたわ。というと、その施主の方は、私、2往復する時がありますわ…。わっ、それ凄いですね。なんていう、たわいもないお互いの自慢話をするのが楽しかったりするのだけれど、奥さんが、そういえば、キムラさん、痩せてちょっと顔ひきしまったんと違いますぅ!。なんて言われると、いや自転車に乗ってからね…なんていう話をしながら嬉しかったりして、ま、皆さんそんなふうに褒めて頂ければ珈琲でもご馳走しますわ(笑)

ちなみに、そのお宅には、アウトドアーリビングがあり、リビングキッチンとフルオープンできる木製建具で繋がっていて、昨日はそこで、バーベキューして、それがとっても気持ち良かったので、次回は、たこ焼きにしようとおもって、それで天気も良く、自転車に乗って道具屋筋までガスのたこ焼き器を探しに行ったその帰りに立ち寄ってくれたのだそう。

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そんな家の外部空間で食べる食事を「ソトメシ」と呼んで、推奨しているのが建築家のヤベさんで、昨日は、ワークショップのような形式で、ヤベさんと大阪工業大学の学生が設計して、木村工務店と春本大工のコラボで施工している、ほたる食堂というリフォーム工事があり、そこで使う椅子を、「まちのえんがわ」ワークショップで製作しているケンチクイスBB1にして、その椅子を学生たちが製作するためにうちの加工場にやってきて、その打ち上げで、皆で一緒に焼き鳥を食べながら、イタリア旅行の話になった。イタリアの小さな広場の心地良さと、道に張り出たテーブル席での食事の心地良さの話になり、そんなのが、「ソトメシ」を勧める起源なんだよな…と。

そうそう、本日の瓦コースターワークショップは、うちの屋根屋さんで、瓦虎工業の社長の息子さんの渡辺くんと、淡路瓦製造会社の大栄窯業の道上さんが講師として、18人ほどで、いぶし瓦のコースターを製作して、そのレクチャーでは、瓦の持つ、吸水性と速乾性が素晴らしく、その特性を活かして、コースターを作ることで、瓦の良さを理解してもらおうという取り組みらしく、また瓦は遮熱性や断熱性も良いのだけれど、それに、フツウに瓦をかまどで焼くとヨーロッパの町並みにある茶色い色になり、そんな瓦を日本で使うとすぐに、苔が瓦に生えてくるそうで、その瓦を煙で「燻す」ことで、あの銀色の「いぶし瓦」になり、表面が炭素皮膜で覆われて、水分をはじき耐候性があがるのだとか。そんないぶし銀の瓦屋根の町並みを造りたいというのが、二人の想いだった…。

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そういえば、そのイタリア旅行では、1500kmほどをフィアット500をレンタカーで借りて、おもに山岳都市を見て廻ったのだけれど、その車で走ったり歩いたりした足跡をrunkeeperで記録し、グーグルアースに読み込んだのがこれらで、感覚的にはランニングやサイクリングの延長線上のドライブであり街歩きで、確かに、からっとした気候のイタリア山岳都市の瓦と街並みは茶色だなぁ…。

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↑ ベニスの足跡....................................................... ↑ ローマの足跡
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↑ 一部赤い線が繋がっていないのは取得忘れ
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↑ サンジミニアーノの足跡..................................... ↑ シエナの足跡
クリックし拡大して見て頂ければ…。

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2015年10月11日

神社と高層ビル

長男の結婚式が、この10日の土曜日大安に、地元氏神さんの清見原神社にて、親族だけで執り行われて、うちで施工している神社なので、若い夫婦自らが、この神社で結婚式を挙げると言い出したのは、すごく有り難い事で、それにしても、30年前の「私」たちの結婚式は、ホテルの中の神前結婚式だった記憶が蘇ってきて、それ以降に何度も結婚式に参列したが、ほとんどが、ホテルや結婚式場に付属する教会の結婚式だったので、「ほんまもんの神社」で挙式を経験するのは初体験だった。

勝手知ったる我が家のような感覚すらある清見原神社で、もちろん宮司さんとも親しく、それに、工務店という職業柄、地鎮祭という儀式がよくあるので、DSC05850「玉串奉奠」や「二礼二拍手一礼」のような作法に慣れていることもあり、服装こそモーニングを着たが、普段着の延長線上のような気楽な感覚で臨んだものの、新婦の打ち掛け姿を見て、生の雅楽が演奏されると、それなりの気分になってくるわけで、こんな時の「雅楽」って、厳かで素晴らしいなぁ・・・と聴きながら記憶に残る結婚式となった。

何となく不思議な感覚になるのが、盃を酌み交わす儀式で、新郎新婦の三三九度も独特のムードが漂うのだけれど、御親族御固めの儀なるものもあり、新郎新婦のように、それぞれの親同士が巫女さんによって注がれた盃を酌み交わすわけで、そういえば、会津の喜多方での結納を交わした時にも同じ儀式をした事を想い出し、それに、夜噺の茶事での千鳥の盃までもが蘇ってきて、こういう盃を酌み交わす儀式を通じて、心が通い合う「きっかけ」のようなものがうまれるわけで、そういえば、玉串奉奠の儀は、玉串を神棚に捧げ、二礼二拍手一礼の儀式と人の願いを通じて、神というか自然(じねん)というかそういう何かと人とが、通じ合う儀式のような感じでもあるわけで、人と人のコミュニケーションや人と自然とのコミュニケーションを深めるための日本文化のもつ風習とか知恵みたいなものは面白いなぁとあらためて思った。

その後、親族だけの食事会のような披露宴を阿倍野ハルカスのホテルの中にある小さな宴会場で催したのだけれど、近くに住んでいるのにハルカスに行くのは初めて。外観のデザインに、これでエエのかなぁ…みたいな感覚があるものの、DSC05904ビルの中から見る大阪の景色はなかなかのもので、そうそう、上から見ると、天王寺公園に出来た新しい「てんしば」が何となくエエ雰囲気で、遊具とかがない、芝生だけのオープンスペースなら、確かに行ってみたいし、いま、都市のなかに、従来の公園とは少し違う、広場というかオープンスペースが、この大阪の街にも何カ所かあれば良さそうに思えたのは、都市の高層ビルからの「俯瞰」のおかげなのだろう。

DSC05864ちなみに、会場に流れたバックミュージックは、長男が持ち込んだマイルスのフォア&モアだったのには少々の驚きと喜びがあったが、神社と雅楽と結婚式、高層ビルとマイルスと披露宴が、親子がお互いに共有できる何かには違いなかった。

そんなこんなで、長男の神前結婚式と、愛と涙と笑いの祝宴が終わり、自分自身が祖父母や両親に祝福されたあの日から30年が経過し、今度は、自分たちの子供を祝福する順番がやってきて、それを体験しながら、ついに「人生」というものを「俯瞰」する年齢になってきたのだと、神社と高層ビルという両極端な建築の中で、実感するのだった…。

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2015年10月04日

木村家本舗

10月の体育の日の祝日を含む土日月の連休の3日間を「木村家本舗」といって、オープンホームを始めたのが2010年で、それから5年連続で続けてきて、今年もその季節がやってきたので、楽しみにしてくれている方々もおられるかと思うのだけれど、今年は「1回休み」をすることにした。

そもそもの始まりは、家を新築施工をしたコトバノイエのカトウさんと一緒に、カトウさんの家の古本をうちの家に持ち込んで、アート的な要素も織り交ぜながら、飲んだり食べたりして、コミュニケーションをしながら、「ひとのおうちで」楽しい時間を過ごそうとよ!という「遊び」を「オープンホーム」として始めて、それに、工務店の「私」が住む家と庭というのを見せて一緒に過ごせる事も、ま、ビジネスとしてもオモシロイかなとおもえて、はじめた。

うちの家は、祖父が戦前戦後に自分で設計施工した何棟かの長屋をひとに貸しながら、そのひとつに自分たちが住み、家族が増えるに従って、隣の長屋を合体してリフォームを繰り返し、時には長屋を解体して庭を造ったり、隣接していた小さな町工場を解体して2階建ての木造住宅を新築したりもし、ある時は、その家を曳家して、庭を大きくしたりして、それは庭というより広場のような存在で、一番多い時は、4世代9人が、その広場のようなオープンスペースを囲んで暮らしていた。

私が高校生ぐらいの時に、暮らしていた長屋の一部を解体して2階建てを新築したのが親父で、私は26歳の時に結婚することになり、その庭に面してかつて曾祖母が住んでいた7坪ほどの平屋の上に増築をして暮らすことになった。祖父母の棟と親父の棟と私たち夫婦の棟が広場のような庭のようなオープンスペースを中心にして暮らすことになって、15年ほど前には、その庭に面していた賃借人が住んでいた長屋をその住人の移転をきっかけに、その長屋を合体して、私たちの居間や子供部屋にリフォームした。そのリフォームがビフォーアフターのテレビ番組などに登場することになり、木村家本舗の舞台になることにもなった。

家という箱物だけがメインであればオープン「ハウス」だが、オープン「ホーム」故に、木村家の家庭事情が、微妙な形で、さまざまに反映するわけで、2010年に木村家本舗を始めてから、祖母が亡くなり、母が介護施設に入り、昨年は父が亡くなって、広場を囲む家族が、私たち夫婦と次男の3人になり、この4月からは、その次男が長男の後を追うように東京でひとり暮らしを始めることになって、ついに、私たち夫婦二人だけの木村家本舗になってしまった。それは当初、祖父母が結婚して二人で長屋に住んだ状況と同じなんだろう。

夫婦二人だけの、いわゆる夫婦水入らずの生活が、何年間続くのだろうかとおもっていたら、この9月に長男が東京の槇文彦設計事務所を辞めて、木村工務店に入社する事になり、今住んでるこの家で同居する事になって、5ヶ月間だけの夫婦水入らずの暮らしとして、ほとんど想い出もなく終了し、再び3人になった。それに、9月27日の日曜日には、福島県の喜多方で結納を交わしたDSC05583長男のお嫁さんが、うちの家に引っ越してくる事になって、木村家本舗でも活躍する、庭のクスノキとモミジの下のテーブルで、ウエルカムパーティを開いて、新しい家族を迎え入れた4人暮らしの同居が始まった。

その若い二人の結婚式を、うちで施工した地元の清見原神社で執り行う事になり、その日が、10月10日大安で、通常は木村家本舗の開催日なのだけれど、そんなこんなで、今年の木村家本舗を休止することは当然のような成り行きで、ま、それもこれも木村家本舗というオープンホーム故の出来事として、端で見守ってもらいながら、来年は再開することを目指したいとおもう…。

そうそう、うちの長男は、お嫁さんと共に、私たちの孫にあたる赤ちゃんも今年暮れ頃に授かる予定で、なんかいろいろな順番が違うような気もするけれど、ま、それは、流行という事にして、そんな家族の変化に伴って、家をリフォームをするのが、工務店を生業とする木村家の伝統で、その伝統を引き継ぐ3代目としては、その伝統に従って、新たないまの暮らしにあったリフォームを模索するのが、シゴトでもあるわけで、私たちの家を長男夫婦に譲り、私たちは、親父が住んでいた家と祖父の住んでいた家をリフォームして、私たち夫婦と次男と母親の住まいとする計画で、庭というオープンスペースを囲みながら世代が交代して暮らしていく家族(ホーム)と家(ハウス)を模索しながら、来年は、少し変化した、木村家本舗というオープンホームを開催したいとおもう…。

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