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2015年12月27日

未年な一年。

今年最後のブログというコトバも、かれこれ12回目になろうとしていて、昨晩、ピザ釜で焼くピザ作りワークショップの講師をしてくれた、あそび菜で食事をしていると、マスターのイワオさんが、木村工務店と「まちのえんがわ」を外から見ていると淡々としているようやったけど、考えてみれば、キムラさんは、長男と同居して、孫も生まれて、変化の一年やったね。と言われた事をいま想い出して、ま、そんな話をするのが、今年最後のブログというものなんだろう。

「未年」は何かが起きたり何かの予兆が出始める年だとされるらしいが、確かに今年のお正月に考えてもみなかった出来事は、次男が東京に住む事になり、その入れ替わりのように、10年間東京に住んでいた長男が、秋から大阪に帰ってきて、夫婦二人きりの生活はあっという間の6ヶ月間で終了し、そのうえ、東北の女性と結婚した長男と、大阪の生野区の小路のど下町の我が家で同居することになり、そのまたうえに、男子を無事出産して、「生命」という神秘に、じいじいという立場で遭遇するようになって、それは始まったばかりの出来事なのだけれど、そんなことが、ここ3、4ヶ月の間にぐぅぐぅいと濃密度に詰まって、いやその心準備のようなものが、その6ヶ月前ぐらいから始まって...と、振り返って文章にすればそうだが、現実は案外、淡々として、「Let It Be」なんていう感じで流れるものだった。

同居する前に、祖父も祖母も父も母も居なくなった母屋をリフォームして、私たち夫婦がそこに移り住む計画だったが、木村工務店の工事を最優先するために、大工が、空いてこず、5月の連休明けから、工事は内部解体をしたのみで、いっこうに進捗せず、協力業者の間では、小路のサクラダファミリア状態ですね。といわれる始末で、リフォーム未だ道半ばの年だった。そういえば、今年の木村工務店の仕事を振り返れば、工程の遅れで、お客さんに、多大なご迷惑をおかけした現場があり、現場監督や設計担当者のコミュニケーション不足によるご不満も頂戴して、もちろん社長の経営責任でもあるわけで、そんな結果を社員全員で真摯に受け止めてカイゼンを目指している途上の「未年」でもあった。

社員の入れ替わりもあり、現場監督のツジモトくんが独立し、入れ替わりのようにシノダくんが中途入社してきて、総務のミカワさんが寿退社でロサンゼルスに移住した入れ替わりに、ご近所の小路に住むとんちゃんが中途入社してきて、今年初めて木村工務店の大掃除と納会を経験するひとが、設計担当として勤務する長男も含めて、3名いるというのも珍しい年なんだけれど、そんなこんなで、明日12月28日は、午後から大掃除と納会で2015年「未」年を締めくくる事にし、2016年「申」年は、1月6日に、協力業者と一緒に清見原神社で参拝して新年会をし、一年の無事を祈願すると共に活力を喚起することで、木村工務店の新年の始まりとするのが伝統で、1月7日からは通常営業を致します。

今年一年、木村工務店と「まちのえんがわ」とともに、このブログをお読み頂き、ありがとうございました。「私」と面識のある方々は勿論のこと、このブログ上でしか交流のない方々にも感謝しつつ、皆さん、良いお年をお迎え下さい!

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2015年12月20日

ピザ笑顔

長男に男子が誕生し、「孫」と呼ばれる生命体と遭遇して、月並みに「カワイイ」というコトバを発した事が、今週の大きな出来事で、フェースブックに孫を抱く私の写真を載せると、多くの方々の祝福を頂戴して、そんなのが、いまという時代性なのだろうが、それは、3月の「私」が誕生した日の一週間後の大相撲の大阪場所で、栃錦という横綱が優勝し、私の祖父が、病院から私をこっそりと連れ出して、その横綱に抱かれている「記念写真」があって、その写真を額に入れて私の子供部屋に飾っていたのが母で、そんなのが記憶のどこかに定着してあり、きっとその潜在意識のようなものが、こんな行動に駆り立てたのだとおもう。

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祖父のように喜びを素直に単純に表現出来るのは、ある意味、大したものだな。とおもうのだけれど、父は、そのような素直な表現がわりと苦手なタイプだったし、私も、周囲から「じいじ」として祝福されると、なんだか照れる感じがして、嬉しいのだろうが、微妙な戸惑いがあって、ま、辛うじてフェースブック的な表現手段とこのブログに頼ることで、なんとか表現しているのだろう。

朝8時頃、長男の奥さんが陣痛になって、急いで病院に行く姿を、自宅の庭の掃除中に確認して、無事を祈って送り出すと、そのまま8時30分頃から、うちの家のリフォーム工事の断熱材の件で、北海道キムラのサトウさんと現場で打ち合わせをしていたら、9時過ぎに携帯電話に無事に誕生したというメッセージが飛び込んで来て、そのあまりにも早い速攻に驚きと喜びと安堵が同居しながら、ちょうど、長男が生まれた時は、私は、帝塚山で住宅の設計と現場監督として、現場の作業中で、午前8時30分頃に急に呼び出されて、それでそのまま軽トラックに乗って病院に駆けつけて、同伴分娩をして、午前10時過ぎに回転しながら出てくる生命体を見た後、暫くしてまた現場に戻った、そんな記憶が蘇った。

それはそれとして、本日は、「まちのえんがわ」では、ピザ釜でビザを作るワークショップで、3年前に蓄熱暖房も兼ねて、ピザ釜を作ろう!といい出すと、うちのトミマスくんが、インターネット等で調べながら設計施工して、ピザ釜を製作してくれて、これがなかなか効率が良く、美味しく焼けるピザ釜で、なのに、そのわりには、活動率が低かったが、料理ワークショップを担当してくれているあそび菜マスターのイワオさんが、生地とソースから作ってピザ釜で焼く料理ワークショップの提案があって、それが、今まで以上に良い料理ワークショップになった。
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↑2012年 製作途中のピザ釜

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↑ イワオさんのレクチャーでワークショップ開始

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↑ ピザのソースとパン生地を皆で一緒に作る

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↑ ピザ生地が発酵するまでの1時間30分を隣の人間国宝でもあるイワオさんのLIVEで楽しむ。参加した子供達がカスタネットやシンバルを持ってバックバンドをやってくれて、カワイイ!が会場内に。

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↑生地の発酵に喚起する。

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↑ 発酵したピザ生地を伸ばしてソースをつける。

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↑ いよいよソースを塗った生地をピザ釜へ入れて、焦げないように回転させながらエエ色具合で完成!

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↑ ピザが焼けた喜び。

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↑ ピザを切り分ける喜び。

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↑ ピザ笑顔!

12391060_856342427815623_5738121485494457035_nなによりも沢山のピザ笑顔が誕生したことが嬉しかったのだけれど、ピザ生地発酵待ちコンサートで、カワイイ少年少女バックバンドをしゃがんで眺める私の姿を見て、「すっかりじいじのシャチョウ。笑」と、いじられるフェースブック投稿があり、また、このブログを書く背後では、長男の奥さんのお母さんと妹さんが、東北から赤ちゃんを見に来て、嬉しそうにしている姿もあって、ま、そんなこんなで、数々の喜ぶエネルギーにあと押しされて、「じいじ」としての人生もトライしてみようかとおもう。

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2015年12月13日

風邪の心象

早朝目が覚めると、なんだか喉や鼻がおかしい。まだ、夜明け前。自転車に乗ろうとかと思っても体が起き上がろうとせず、前回のブログにあんな事書いた呪縛なのか…。だいたいブログに継続などと書くと、違う方向に向かったりするもので、ブログの内容も考えものだな。昨日は、会社の忘年会があって、その3時間ほど前には、リフォーム工事の竣工パーティがあり、ところが朝から微妙な風邪気味で、鼻がねっとりしていて、喉がくしゃくしゃして、薬を飲んで治まっていたが、加工barでの2次会が終わったあと、瞬時に寝りに陥ると、一気に風邪が爆発したのだろう…。そのまま二度三度寝たり起きたりしながら、あれは夢の中なのだろうか、鼻腔に違和感を感じながらもがいている姿があって、起きると、午前10時を回っていた。

20151212_120702958_iOSここ数年は、がんこ平野郷の蔵の部屋を借り切って忘年会をやるのが恒例で、この大きな木組みの下で、お酒が大好きだった親父と飲んだのは2年前の事だったな...とか、誰よりも賑やかで大酒飲みで面倒見が良く木村工務店の工事や見積の基礎を築いてくれた福本顧問が参加できなくなって4年ほど経つが、体の調子はどうだろうか...とか。酒癖がちょっと悪かったけど、楽しい酒で宴会を盛り上げてくれていた辻本くんが今年退社して、1年前はこの席にいたが、いま頑張っているのだろうか...とか。そんな、想い出のようなものが、ほんの瞬間的に蘇る空間というのが、きっとあって、真壁作りの木組みの蔵をリフォームしたこの宴会場は、そんなのを見守ってくれる空間なのだろう...。

忘年会の3時間前に豊中O邸リフォーム工事の竣工パーティがあって、参加した方々が、偶然にも知り合いの方ばかりだったのには、縁というものの摩訶不思議を体感するのだけれど、そのお宅も4度目のリフォーム工事らしく、座敷だけは、初代からそのまま引き継がれていて、今回もまったく手を加えることがなく、そんな座敷という木の空間が、家と家族の歴史を見守ってくれているのだとおもう...。

20151212_124703145_iOS例年2次会は、布施のスナックに行くことがほとんどで、おそらく何十年もそうだったが、加工場の断熱防音工事をしたお陰で以前ほど音漏れがしなくなったので、今年からは加工barでする事にした。現在手刻みで構造材を加工中の加工場に横たわる丸太を眺めながら、スタンディングbarで飲むのも、なかなかの気分で、かつて2次会のスナックで何度も勃発した激しい人間関係やカラオケ合戦から一転して、加工barでは、かなり和らいだ雰囲気で、しっとりとしたオトナな2次会となったのは、この木組みのトラスの下で、数々の家の構造材の加工がおこなわれ、祖父や親父の社葬もおこない、初午の祭りごとをし、お餅つきもしたり、それに最近では数々のワークショップで、何百人のひとがものづくりを楽しんでくれて、そんなのをこの木組みのトラスが見守ってくれる、そんなパワーのようなものが「木組み」には宿っているからかもしれない...。
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今日「まちのえんがわ」では、お昼からステンドグラスの田中共子さんによる4組だけの小さなワークショップを「まちのえんがわ」内で実施する事になって、その準備具合をノソノソ見に行って、スタッフのアオキさんと、ステンドグラスのトモコちゃんに、おはよう、どう?と声をかけたら、猛烈なかすれ声で、へなへなした裏声しが出ず、大きく笑われる始末で、やっぱりまだ、風邪なのだと再認識して、もう帰って休んで下さい!と微笑まれながらソソクサと家に戻って暖炉に火を付けることにした。

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冬になって暖炉に火を付けてガンガン燃やしながら本を読むか音楽を聴くのは冬の楽しみで、部屋全体がまろやかに暖かくなる心地良さは、床暖房やエアコンや温風ヒーターの暖かさとは全く違って、暖かさにも「質」があるのだと体感するきっかけになって、その暖炉が置かれている部屋は戦前の長屋をリフォームした空間で、上を見上げると小屋組の丸太が3本掛かっていて、やっぱり家族間のさまざまな出来事をその木組みが見守ってくれているのだろう...。

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体の奥まで暖かくなるような感じがする暖炉の火の横で体を癒やしながら音楽を聴くことにして、マイルスの「ソーサーラー」と「ネフェルティティ」にすることにしたのは、マイルスの大きな変換点を録音したアルバムで、若い頃はまったく理解出来なかったが、歳を追うごとに好きになるアルバムというやつで、木村工務店もちょっとした変換点であるからかもしれないし、DSC06857そういえば、ここ十年ほど、冬になると、丹沢で作ったリースを持って遊びに来てくれていた丹沢堀山の家のセツと、暖炉とJAZZを酒のあてにしながら深夜まで四方山話を繰り広げるのが冬の「ルーティーン」だったが、それも昨年から途絶え、木組みの下の暖炉とマイルスが、そんなのを懐かしく思い起こさせてくれたのは、風邪の心象のせいだな...。

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2015年12月06日

夜明け前

早朝6時過ぎ、あたりはまだ薄暗く「夜明け前」のエエ感じ。何ともいえない秋冬の寂しげなムードの中、久しぶりに自転車で十三峠を往復してみる。1ヶ月ぶりの運動で、ペダルを回すとちょっと嬉しい気持ちが湧いてきて、それにしてもなんだかんだ朝が小雨だったり、土曜の夜が遅くなったり、早朝から所用があったりと、そんなちょっとした内的ブツクサに耳をかざず、少し強引にでも、「とにかくやり続けないと」、継続なんてできないもので、ま、「続ける」というのはそんなもんだなぁ....という内的ブツクサを後方にすり抜けさせながら夜明け前を疾走した....。

今日は日曜相談会の日で、そういえば設計のタナカくんも最近ランニングを始めたらしく、都島の自宅から会社まで10kmほどをランニングでやってきて、それから打ち合わせに望んだようで、そんなこんなで、二人で呼吸量をいっぱいに増やしてから日曜日の打ち合わせを始めたわけで、きっとお互いにこうして、仕事と肉体と精神のバランスを取ろうとしているのだろうね。

午前中のAさんは、ご夫妻と小さなお子様連れでお越しになり、最近分譲された土地を購入予定で、奥さまが、在来工法で構造設計をきっちりしている工務店に依頼したいという事で弊社の話を聞きにこられた。もう何十年も木造2階建ての新築工事でも構造設計事務所に構造設計を依頼していて、それは、基礎の適正な大きさと鉄筋量を知りたかったり、屋根の小屋組の適切な梁の大きさや木組みのバランスを知りたかったりし、開口部を大きく取りたい時もあり、また吹き抜けを取りたい場合もあって、そんなさまざま要件のなかで、当然ながら安心安全な構造にしたいわけで、それには構造設計者のアドバイスと計算は重要だとおもう。

そうそう、在来木造の仕口が断面欠損が出来て弱わくなるので、仕口を金物で継ぐ工法の方が強いですよ。という営業トークを聞いて、在来木造に不安を抱いたそうで、確かに金物工法はラーメン構造となる良い工法だが、その金物を使い構造設計をしてもらうための費用と利権関係があって、同じように構造的な費用が発生するのなら、伝統的な在来工法の構造設計費に費用をかけて、在来工法による自由度の高い設計を模索していきたいというのが、木村工務店の方向性なのだろう。

お昼からのBさんもご夫妻と小さなお子さま連れでお越しになって、この方も土地を購入予定で、ご主人が、組織事務所で大規模な建築設計をされていて、木造住宅の経験は少なく、自分で計画されたごく簡単な計画案を持ってお越しになった。建築家の伊礼さんの家が好みであるという...そんな話題を中心にしながら、2階LDKの屋根の形と、どれぐらいの木の量を見せるのか、「低い室内高」が好みであるとか、そんなことをお互いに確認したりし、木造2階建て住宅として建築できるように図面化しながら概算見積を目指す事になった。

午後3時からのCさんもご夫妻とお子さま連れでお越しになって、中古マンションを購入したリフォームをお考えで、奥さまは、うちで施工したお宅の奥さまの同僚で、こちらはハウスメーカーの設計をされているそうで、持参された不動産用のマンション図面をコピーし、それに修正液を使って、いまの間取りを消して、新しいリフォームプランを設計のタナカくんが即興で手書きしながら、アーダコーダ、ワイワイガヤガヤと4人のコトバが飛び交って、その場でプランを一緒に作り上げた。その背後ではお子さまが模型やおもちゃで遊びながらうろちょろしていて、こんな雰囲気の中で、セッションのようにして生まれてくるプランには、独特の喜びでがあったりする...。

今回は3組とも小さなお子さまが一緒で、打ち合わせの最中に、お子さまが遊んでいる、ちょっとしたガサガサした雰囲気が、適度なバックグランドミュージックになって、そんな雰囲気の中で一緒に考えたりするのが、意外に良かったりし、そんなように感じるのは、歳のせいなのかもしれないが、それより、ほとんど、酸欠になりかねないほど濃厚な打ち合わせが3本続いたのをなんとなく乗り越えられたのは、タナカくんも私もお互いに、ランニングと自転車で呼吸量を増やしておいたお陰に違いないと、そう思うことにしようとおもう...。

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