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2016年05月29日

山法師

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5月10日火曜日の朝は雨上がりで、いつものように庭を掃除していると、それまでピンクの花びらで満開だったハナミヅキの花が散り、それに代わるように、ヤマボウシの花が咲いて、その少し雨に濡れた姿が、美しく感じられた。それで、その心境と共に、フェースブックに、ハナミズキも散りヤマボウシの季節。とコメントした写真をなんとなく投稿した。

その2週間後の5月24日火曜日の早朝に、母が危篤だという連絡が入院先の病院からあり、奥方と長男と共に駆けつけると、暫くして私の弟夫婦と妹も揃い、まだ意識がはっきりしていた状態から、臨終に至る4時間近くの間、兄姉家族で一緒に見送ることが出来た。

このコトが、母に対するせめてもの感謝のしるしとなっていればとおもうのだけれど、こんな機会に恵まれたのは、数年間の転々とした入院期間中に、弟の奥さんと妹のご主人と私の奥方が、血の繋がりがないにも関わらず、その要所要所で、献身的に面倒を見てくれたお陰があってのことだと、臨終のすぐ後に、感謝の気持ちが湧いてきたりした。

26日の葬儀は家族葬として執り行う事にし、祖母を家の庭から送り出したように、母がいつも掃除をしてくれていた家の庭から送り出す事にした。お通夜だけは、社員と職人と協力会社と近隣のごく一部の人だけの一般焼香をしたが、葬儀では、一般焼香をせず、親族だけで、棺の母とお別れをすることになった。

庭に面した部屋の祭壇から棺は庭に出されて、親族でぐるりを取り囲みながら、祭壇に飾られた花が、棺の中に入れられて、いっぱいになってきたその時に、葬儀屋さんの長が、家を建てさせてもらった施主でもあるのだけれど、庭のヤマボウシが綺麗に咲いているので、それを切ってもエエですかと耳打ちしてくれた。勿論、頷くと、妹の手によって、丁寧に、一枚一枚のヤマボウシの花びらが、母の顔の廻に咲き誇った。

父の死と母の死に際して、沸き起こる感情に、少し違いがあるのが、「私」にとっては面白い出来事で、それは、死にゆく母のこのお腹から私が生誕したのだという感謝のような感情なのだろう、父に対する気持ちとは別の次元の感情だった。早朝会社の前を毎朝掃除をし水撒きをしてくれていた母。それにしても、あの山法師が、こんな役目を担ってくれるとは.....。合掌

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2016年05月22日

3パーティー

快晴で、暑いぐらいの日曜日。お出かけ日和で、西宮の石川さん設計で、うちで施工をした、目神山にあるR邸で、BBQパーティーのお誘いがあり、お伺いすると、当然ながら日本式エンカイスタイルとは違うわけで、ベランダに置かれた円形のバーベキューコンロで、ご主人が、自らが焼いてくれたお肉が、皆にサーブされ、部屋の中のあちらこちらの席に座って、ビールを片手に食しながら、いろいろな方々とコミュニケーションをするわけで、日本の奥さんと西洋のご主人カップルが数組あり、もちろんR家もそうで、当たり前だのことながら、そのお子さんたちはハーフなわけで、この日、10人ほどいたお子さんたちが、全員ハーフであるというのは、「私」の経験値のなかでも珍しい光景で、ぁっ、そうそう、1名の純血日本男児がいて、うちの長男夫婦が子連れで参加し、こんなん、あれですけど、ワタクシのマゴは、とっても日本的な顔であることを、はっきりと認識したアフタヌーンパーティだった。

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そういえば、今週の金曜日の夜は、大工さんと手伝いさんとの月1回のミーティングがあり、その後に、とんちゃん食堂@木村工務店加工場というのを催すことが恒例化してきて、総務担当のとんちゃんが、食事を用意してくれて、カウンターに並べたお総菜や白ご飯やカレーなどをそれぞれが好き勝手に取りながら、立ち食いスタイルで、食べて、満腹になり、飲んで、大工と手伝いと現場監督と設計と総務経理がアーダコーダと、さりげなく会話する夜であり、こんな光景を見ているうちに、いつか、オープンとんちゃん食堂@木村工務店加工場として、施主の方や設計の方や「まちのえんがわ」関係の方々など、オープン参加を受け入れる日をつくって、職人さんと交流できるパーティーも良さそうに思えたイブニングパーティーだった。

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土曜日のお昼には、第一回生野区未来を想う交流会「まちカフェ」というのを生野区まちづくりセンターのハシヅメくんから、「まちのえんがわ」で催したいという意向があり、生野区持続可能なまちづくりのミーティングで、親しくしているコトもあって、仕事をしている土曜日の午前中だったが、加工場にテーブルを置いて、お受けするコトにした。

20名近い生野区好きのひとが、集まった2時間のミーティングの当日の様子はハシヅメくんのブログを参考にして頂きたいが、自分たちが住むまちを自分たちの手で住み良くしていこうという人がいて、それを行政がフォローアップしようという交流の場を「まちカフェ」と称して、それは、まちに小さなエエ感じの「界隈」をあちらこちらに形作るコトを、住民自らやっていこうという集まりでもあり、そのコトは、最近「まちのえんがわ」でも、エエ感じの小さな「界隈」を形作る、まちの「オープンスペース」としての「縁側」という、立ち位置に、バージョンアップしようと模索中でもあるわけで、定期的にまちを想う人が出会い、交流ができるのも良さそうに思えたモーニングパーティーだった。

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西洋と東洋の出会いと融合というのはとっても魅力的な「コトバ」で、ハーフの子供達をみると「カワイイ」と共に、その「融合性」に魅力を感じるわけで、3連続したパーティーをこうして振り返ると、違うカテゴリーの交わりにくい人と人が出会い融合するオープンスペースとパーティーが、面白いのだと、今さらながらに、気付く、3パーティーだった。

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2016年05月15日

上品

金曜日の夜、中之島の公会堂で槇文彦さんの講演会があり、うちの長男が数年間、槇事務所に在籍していたことや、つい先日、同じく槇事務所に在籍して、展覧会に展示してある模型のほとんどを、ひとりで製作したという長男の友人が、大阪に遊びに来ていて、家で皆と一緒に食事をしながら、あれやこれやと話を聞く機会があり、そんな縁に後押しされて、講演を聴きに行くことになった。

そういえば、いままで、建築の講演を聞いた記憶をたどると、学生時代に、安藤忠雄さんが、大学の小さな教室で、講演する機会があって、住吉の長屋や中庭がガラスブロックで出来た家の説明を聴いて、学生だったこともあり、とっても印象的だったが、それからずーっと記憶になく、数年前に住宅を施工をした経緯で、竹原義二さんの退官記念パーティにお誘いを頂いて、そこで最終講義があり、黒板に自筆であれだけの図面を毎回毎回書いていたのか...と、その建築に対する情熱とエネルギーに驚いたりした。

中之島の中央公会堂が、2階席も含めて満員の状況で、6時30分開宴なので6時前に、設計担当のササオさんとタカノリの3人で会場に到着すると、1階はほとんど満席状態で、3人が並んで座れる席は、最後列付近にしかなかった。学生からいわゆるシニアまで、幅広い年齢層のおそらく建築関係者ばかりだろうが、こんなに沢山集まっている人気ぶりに少々驚いた。

87歳になる、いわゆる老人なのだろうが、かくしゃくとした姿で、静かに語りだし、その姿や立ち居振る舞いから上品なオーラが会場を包んでいたのだとおもう。自ら操作して、プロジェクターに映し出された写真や平面図を解説し、最後にはNYのWTC4を紹介するビデオを映して、終了予定時刻午後8時ピッタリに、ありがとうございましたのコトバだけを残して格好良く終わった講演で、だれひとり私語を発することもなく、静かな話し声を聞き取ろうと、会場内には心地良い静けさが包んでいて、講演というより、とっても素晴らしい一時間半の「講義」だった。

ほとんどが写真やパースや平面図を用いた解説だったが、その中で、ウィトルーウィウスの「用強美」を引用したコトバが表示された画面があり、その画面の解説とともに、多くの観客が、メモを一斉に取り始めた姿が、とっても印象的な光景で、その「用強美」のその美を美=formとし、それに歓び=spaceを付け加えて、スペースが、ひとに歓びを与える可能性を示唆した講義内容でもあり、その歓びが、講演タイトルの「ヒューマンな環境の構築を目指して」のヒューマンにつながるのだろう....。

もうひとつ印象的だった言葉に、ニーチェの孤独は私の故郷である...だったような、ちょっと記憶が曖昧だけれど、その言葉を引用して、都市の中の建物にあるオープンスペースで、独りを楽しむ人の写真と解説があり、確かに私自身もシニアな年齢になってきて、それにこれからますますの高齢化社会になるにしたがって、まちに遊具のある公園とは違う小さなオープンスペースがあり、そこで、ひとりを楽しめる場所があれば良いとおもうわけで、コミュニケーションを楽しむコトと、ひとりを楽しむコトのバランスが大切な時代になってきたのかもしれない。

10547565_677682958972534_3003159010236068942_nそうそう、NYで見た槇さんのWTC4は、硝子のオブジェのような建築と言いながら、存在を誇示するような建築ではなく、硝子に周囲の景色が映し出されて、自分の存在が消えるような建築で、あのビル群の中にあって、ある瞬間に建物が消えて見えなくなる事があり、そういう消えることそのものが、WTCへのオマージュであるのだと知って、建築に対する奥深さを感じたりもした。

講演が終わり、地下鉄淀屋橋まで、中之島の川沿いを3人で歩いていて、どうしても今日中に終わらせなくてはいけない仕事が残っているらしく、会社に戻る予定になっていたが、川に浮かぶ船家の鰻の看板を見て、友人の鰻屋さんが、北浜の阿み彦さんの関西風の鰻は一度は食べておかなアカンでぇっと言ってたそのコトバが、槇文彦と阿み彦という語呂の良さも含めて、急に想い出されてきて、それで3人で北浜まで歩いて、鰻を食べに行くことにした。

関西風の炭火で丹念に焼かれて薄い色のタレがかかった鰻は、肝吸いと共に、とっても上品で美味しい鰻で、先ほどの槇文彦さんの上品な講義と相まって、印象深い上品な夜になった。

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2016年05月08日

シニアーな人生の模索。

とっても心地良い天気の日曜日。住宅相談会がある日曜日で、お昼から、家族連れの方が、相談にお見えになって、うちで施工実績のある建築家に依頼するか、木村工務店の設計で依頼するかをお悩みのようで、建築家に依頼する場合と、うちの設計による場合の、それぞれの特徴をお伝えして、今までにも、何組かの方々に、建築家に依頼することに躊躇されている家族の後押しをした経験もあり、また、うちで設計をした経験もあるのだけれど、ハウスメーカーや建売住宅の、家を買うという感覚とは少し異にした、家を造るという感覚の第一歩目の踏みだしは、勇気のいるコトなのだと、お話を聞きながらあらためて感じた。

仕事と陽気が入り交じっている日曜日のせいか、時折、GWの想い出がフラッシュバックしてきて、3日4日と、昨年に引き続き、しまなみ海道のLINKさんという自転車乗りが集まる宿に、幼稚園、小学校、中学校の同級生3人で出かけた。3日は、雨が降り出しそうな生憎の天気で、午前中は、66歳になる宿の親父さんに先導してもらって、岩城島の積善山にヒルクライムと岩城島一周をし、よし正というお店で、レモンポークなるものを食した後から雲行きが怪しくなって、フェリーで生口島に戻ったあたりから、ポツリポツリと雨が降り出して、昼過ぎにライドを止めて宿に帰り着いた。

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↑ 造船所の光景が、フランク・ゲーリーの美術館のようで....

昼からは雨が降ってきたので、伯方島の塩工場の横にあるお風呂屋さんで塩温泉に浸かって、大山祇神社で自転車の安全祈願をし、宿に戻っても、まだ午後4時だった。海と先ほどヒルクライムした積善山が見えるサンルームで、どしゃ降りの雨を眺めながら、ビールを飲むことにしたが、これが、ちょっとした事件になるとは、まったくおもわず、あーだこーだと、小学校の放課後のように、楽しんで、夕暮れとともに食事の時間になるまで、500㎖缶を飲み続けた。といっても、私の事を知る人はご存じのように、私は一本もあれば充分だが、同級生のMくんは、留まることを知らずテーブルの上は見事に空き缶が並んだ。

同宿のひとが、若いひとり旅の女性と56歳と63歳のシニアーのおじさんで、私たちも57歳と58歳のMくんとNくんのシニアーな3人組で、美味しい料理とお酒で話が盛り上がった。流石に若い女性は、おじさんのたわいもない話に飽きたのだろう、早々に部屋に戻ったが、暫くして、ひとりで、4ℓほどビールを飲んだMくんも2階の部屋に上がって行った。勿論、その後も、宿の親父も交えて、リタイヤ-後の話など、うだうだとした楽しい話が続いていたが、突然、階段から人が滑り落ちるダダダダダという音がして、見に行くと、Mくんが、階段の一段目に座って、きょとんとしている顔があり、いわゆる、酔っ払って階段を落ちたというやつで、右足首をちょっとだけ痛そうに触りながら、何が起こったのか、本人も全くわからず、きょとんとしている顔がとっても印象的だった。

お察しのように、あくる日、Mくんの右足は見事に腫れていて、たまたま、63歳の方が、形成外科のドクターだったこともあり、ライド前に見てもらうと、ひょっとして剥離骨折しているかもしれないけれど...どうかな...大丈夫かな?と云いながらテーピングもして頂いたが、流石に自転車に乗れる状況ではなく、自転車を宅配に梱包し、新幹線に乗って、現在住む、東京に戻ることになった。あの時大山祇神社でもらったお守りは、自転車のためだけにしか効かないのか...とNくん。ライド途中で、重要文化財の曹洞宗祥雲寺に立ち寄った時は、Mくんが、皆の分も含めてお賽銭を投げ入れてくれたのに!なんという神々!。

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↑ 宿のサンルーム前の朝日と鯉のぼりと岩城島積善山

あの雨からうって変わって、朝日が見えるほどの快晴で、この日、大島の亀老山にヒルクライムをしようよ!とビールを飲みながら楽しみにしていたMくんを欠くことになって、一抹の寂しさもあったが、先行して走っていったシニアーのお二人と宿の親父も亀老山に登る予定だったようで、Nくんと二人で、向かい風の強風の中を後を追っかけて、登り口手前で合流し、一緒に亀老山をヒルクライムすることになった。

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左の積善山展望台と右の亀老山展望台。こうやって写真を見ると、ひとりいてないなっ!とおもいながら、階段のドタドタドタという音と、きょとんとした顔と、皆が出発する時の残念そうな姿を想い出したりするのだった。

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↑ 隈研吾の亀老山展望台は一度見てみたかったが、敷地の高低差や眺めの方角をよく検討されたエエ展望台だとおもった。

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亀老山で、ご一緒したシニア-なグループの仲間の方も合流し、50・56・57・58・59・61・63・66のシニア-な8人で一緒に走る事になり、初めてのひと、二回目のひと、数回のひと、幼稚園からの同級生、職業バラバラで、山小屋のようなLINKという自転車の宿で知り合った縁で、出会ったひとが、一番元気で速い最年長の66歳の宿の親父に引っ張っられながら走る、妙に楽しいライドとなって、友浦サイトというエエ感じにリノベーションされたレストランでのデジャブのようなワンシーンや、玉屋さんというケーキ屋さんで、シニア-な8人がケーキを食べる特別奇妙なワンシーンもあるのだけれど、きっと、それぞれが、汗かいて、ハッハッいいながら走って、食べて、飲んで、楽しんで、家に帰って、静かになった時に、それぞれのシニア-な人生の在り方をなんだかんだと模索しているのだとおもう。

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ついでに、大阪市生野区出身のベタベタな同級生シニア-3人は、家に帰って、私は、Mくんの様子をNくんにメールで聞き、「Mくんのレントゲンの結果:安心してください、折れてますよ!」と返信がきて、大笑いしながら悲しむわけで、3人で快気祝いライドを誓いつつも、やっぱり静けさとともに、それぞれが、シニア-な存在のスタイルを、あれやこれやと模索していたりするのだった。

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2016年05月01日

GWを振り返ってみると。

子供が大学生になるまでは、ゴールデンウィークになると、毎年のように、キャンプをしながら、日本各地を旅して、その記録が2004年から、このブログにあり、それが....。

2004GW「有田」
10年ほど前に長男と行った有田陶器市の楽しかった記憶が残っていて、その時は、有田から阿蘇へ行って、そこでキャンプをした。この2004年は次男を連れて、下関と門司を巡ってから有田の陶器市で白い陶器ばかりを買った。会社で今使っている湯飲みは、その時買った、湯飲み。やっぱり前回と同じように有田から熊本の阿蘇へ行って、そこでキャンプをしてから大阪に帰った。

2006GW「五島列島」
森小路教会を設計施工することになり、その勉強も兼ねて、というより、それをダシにして、五島列島の教会巡りをした。ほんとうに楽しかった。機会があれば、また五島列島に行きたい。特に野崎島での記憶は鮮明で、強烈な印象が残った。

2007GW「直島」
車中泊かキャンプばかりしてきた旅で、久しぶりに直島のホテルに泊まった。泊まるのなら、オーバルかとおもって、チョイ見栄をはって宿泊した。今までの旅では、観光地では、若者を見かけなかったが、直島は、若いカップルがいっぱいの観光地で、何よりも、その事に一番驚いたし、若者を惹きつける建築力というものを考えさせられた。

2008GW「丹沢」
次男が中学受験をする事になり、そのためにはゴールデンウィークも塾で勉強するのだという。お父さんが家でゴロゴロしていると邪魔なので、どこかひとりで遊びに出掛けて!と奥方から申し渡された。それで、友人が山小屋を営む丹沢へ出掛けた。

2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」
2004年以前は、「縄文の遺跡のある場所」というのが、個人的な旅のモチーフだったが、今までの旅と違う新たなモチーフが欲しかった。また、次男も中学生となり、一緒に旅行するのも、あと数回かと考えて、もう少しアカデミックな旅がないものかと模索しているうちに、好きな北斎をモチーフにして富嶽三十六景の描かれた場所を探す旅はどうかと思いついた。それにB級グルメも絡めてみようと。

2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」が、バカみたいだが、かなり楽しかった。いや、楽しかったのは、「私」だけで、奥方と次男は、バカみたいな旅に付き合わされて、迷惑やわと、ニコニコしながら言う。それに奥方は、年も年で、旅館に泊まらない旅は辛い。こうなったら、クラシックホテルを予約するので、それに合わせて、旅程を組んでね!という強い要望が出た。B級グルメはそこそこにして、建築を体験する事を付け加えた。今までで、最も密度の濃い旅だったとおもう。

2011年GW「丹沢」
東北の震災があり、世の中の空気が自粛ムードな感じで、1泊2日で、丹沢の堀山の家へ。長男と次男と私の男3人の山と山小屋の旅だった。

2012年GW「天草」とフェアーウェルパーティー
なぜ天草を目指す衝動が生まれたのか、きっと、五島列島の旅の思い出が良かって、その方面の5月の陽気を全身に浴びたかったからだろう。前年から「まちのえんがわ」をオープンしたこともあり、GWの最終日は、GWフェアーウェルパーティを庭で催して、旅とコミュニケーションを複合することにした。

2013年GW「出雲」と「自転車で飛鳥へ」とFWP「出雲の神々」
キャンプをしながら旅を続けるコトから、1泊2日の旅館旅と前年から乗り始めた自転車とFWP(フェアーウェルパーティー)の3つを組み合わせるGWにした。それにしても、久しぶりに出雲に行きたいと、なぜ思ったのだろうか。

2014GW「父の他界」と「巡礼のような自転車
連休中の4月30日に父が他界し、GWは静かに過ごしたが、一日だけ自転車に乗った。

2015GW「ソトメシ」と「小学生の放課後のような
長男は就職し、次男は受験生で、奥方は次男の面倒をみるために家にいるわ!と言い、私は小学校の同窓会で、同級生4人が自転車に乗っていることが発覚し、その4人で、1泊2日のしまなみ海道自転車旅をした。

さて、今年の2016GWの家族の大きな変化は、次男が大学生になって東京で下宿していて、家に居ず、昨年の秋から東京から戻ってきて、木村工務店に入社し、同居している長男家族と迎える初めてのGWとなり、「孫」という存在が誕生したこともあり、久しぶりに、5月人形を和室に飾ったりして、いや、こうして振り返ってみると、あらためて子供の存在が、GWの有り様を決めていたのだとおもうわけで、奥方が、東京に居る次男にLineで、「ここ10年、いつも次男と5月の連休旅行していたのに...と、お父さんが、横で、寂しがってるわ!」って送ると、「巣立ったことを前向きに考えよう!」と次男からメッセージが来たそうで、あっはは!、子供にケアーしてもらう歳になってしまたのだ(笑)

そんなこんなの2016年のGWが始まったわけで、今年の木村工務店は暦通りのお休みを頂戴し、29日の祝日のあと、昨日30日土曜日は、通常通りの営業をして、今日の1日の日曜日は休日で、明日の2日月曜日は、通常通りの営業をすることになっていて、3日4日5日を3連休として、お休みを頂戴する。皆さん、エエ、ゴールデンウィークをお過ごしください!

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そうそう、2004年のGWは、熊本の休暇村南阿蘇ファミリーオートキャンプ場のフリーサイトでキャンプをした。長男が小学生の時も同じ場所でキャンプをして、とっても雰囲気の良い場所だったので、次男の時もそうしたが、この震災でどうなったのだろうか...。

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