2016年09月04日

シークエンス

日曜日の朝。台風の影響で、雨が降るのかとおもっていたら、意外とエエ天気。生駒山に向けて、自転車を走らせると、朝日が直接目に入るぐらいの高さに差し込んできて、とっても眩しいが、日の出のエネルギーを感じる朝だった。

「まちのえんがわ」の南側の道は、東西に一直線で、東を向くと、長屋と長屋の隙間に、生駒山が見える。朝6時頃、朝日が、その道に、低く直線的に差し込むと、夏から秋に季節が移り変わる気配も差し込んできて、なんとなく憂いのようなものを感じる季節の気配。ランニングや自転車に乗るまでは、そんな事に気付かなかったが、朝の運動を長く続けてくると、季節の移り変わりを自転車で移動しながら、次々と見えてくる景観の連続性と変化で、感じるのが面白く、それを建築では、「シークエンス」というのだろうが、そんなのを建築的な視点で楽しみながらライドしたりする。

本日は、住宅相談会の日で、午前中のAさんは、計画案に対する概算見積を提示する日だったが、母の納骨の日と重なり、挨拶だけを済ませて、谷町筋にある鳳林寺のお墓に向かう。ちなみに、この鳳林寺のホームページには・・・・

元和元年(1615年)五月大坂夏の陣のとき、真田幸村のために茶臼山の本陣を追われた徳川家康公は現在の谷町筋あたりに逃げたといわれております。山の記録によれば「元和元年夏大坂の役徳川家康公が来山され休息をしていかれた」とあります。両者を勘案すれば家康公は真田幸村の巧妙かつ果敢な攻撃にあって、逃げ道を失い、わずかの従者に守られ敵陣に迷い込み、山に隠れて難を避けたものと思われます。

現在の住職のお話には・・・

時は慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。真田幸村に追われ當寺に及んで来られたのは・・何と、徳川家康公。住職は、人の命に敵も味方も無いとの想いから、家康公をかくまいました。

窮地を免れた家康公は、二代将軍秀忠公に「大坂城再建の折にはその高さ鳳林寺の本堂の高さを越えぬよう。」お言葉を残されたとのことです。再建された大坂城は本堂の高さを超えぬように建造されたようです。

その逸話の信ぴょう性を高めるような事実があります。當寺は夏の陣の後、その年に家康公より摂津一国僧録の朱印を授けて頂いております。又、米倉丹後守をはじめとする4人の大坂城代の御墓が、現存しております。もし、家康公が真田幸村から逃れていなければ・・日本の歴史から江戸時代は消えていたかもしれません。

祖父のお墓から曹洞宗の鳳林寺さんのお世話になっていて、祖母も父もそして母もここに永眠することになって、最近は、ちょっとした営繕工事もさせていただいているのだけれど、それにしても、この日曜日のブログを書く前には、NHKの真田丸を楽しみに観ていて、そんな意味でも、とってもタイムリーな話なのだが、ここのお寺が、こんな由緒があると知ったのは、ほんの数分前の出来事で、納骨の後の住職さんとの世間話から、あらためてこのお寺に興味を持ち、先ほどはじめて鳳林寺のホームページを開いて知る事になった次第。暑い日差しに蒸し蒸しした空気の中で汗を流しての納骨式と、鳳林寺のクーラーが効いた会館での冷たいお茶と住職さんとの会話。

納骨の後、兄姉家族で、近くのシェラトン都ホテルのレストランで昼食をした時、駐車場を移動する電動バスの運転手さんが、今日は、黒い服を着て、何か・・・、だったのですか...とさりげなく世間話のように、ぼくとつとした口調でコトバを発するので、近くのお寺で母の納骨をしたあと、皆で食事に来た事を静かな声で返すと、このあたりは、お寺が多いですからね。故人はそういうコトを喜ぶといいますもんねぇ・・・。というコトバと共にバス停に着いた。

午後からのBさんの打ち合わせには、40分ほど遅れて参加したが、数ヶ月前にお越しになった方で、成人した子供さんお二人とご両親の大人4人が住む延べ床が29坪ほどの住宅の計画で、ま、シェアーハウスのような感じで、紆余曲折しながら、お父さんが書かれたプランをお持ちになって、それを建築的に成立するように、外観や採光や収納やディテールを考えるのが、私たちの求められている事で、そんなのも工務店としての大切な役目でもある。

午後3時からのCさんは、若いご夫妻で、初めて、弊社にお越しになり、1年半ほど、高槻で新築住宅の土地を探していたが、うまく見つからず、それに、家を相談しながら、ちょっとしたディテールなんかを一緒に考えて家づくりをしたいというご希望で、建築家のセンスと設計にお任せするスタイルやハウスメーカーやハウスメーカー的工務店が提案する住宅を買うスタイルもあり、注文住宅と云いながらもひとつの決められたコードから逸脱が出来ない注文住宅のスタイルも多いが、元来、工務店的な家づくりのスタイルは、お客さんが好む家のモードを汲み取って、それに相応しい建築的コードをチョイスし、適応し、編集作業するのが、モーダルコーダルな家づくりのひとつの建築的スタイルで、その逆の建築的コードが優先のお客さんもあり、そんな時は、お客さんの好みのモードを引き出していく作業が大切だったりして、そんな家づくりが木村工務店スタイルなんだとおもう。

先週今週とメンテナンスの対応でお叱りを頂戴し、社内体制も含めて、反省する週でもあったが、さて、今回のこのブログ、シークエンス的なブログとなったのかどうか....。

投稿者 木村貴一 : 2016年09月04日 22:33 « まちのえんがわワークショップ=体験型講座+サムシングエルス | メイン | 工務店の流しソーメン »


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