2016年09月18日

構想力

早朝、薄らとした目覚めと共に、耳元に雨音が聞こえてきて、雨の連休だな。自転車もダメだな。とおもいながら、再びぐっすりと眠って、目が覚めたら午前8時だった。朝の8時で、ぐっすり眠った感があるのも加齢のせいかもしれないし、そういえば、先週に、人間ドックで胃カメラやCT検査があり、その送られてきた検査結果表を見るときのドキドキ感が、歳と共に微妙に増してくるコトに、加齢を感じたりして....。

ようやく今年のあの蒸し暑い夏が終わり、デッキに出て、椅子に座って、心地良い風が吹くのを感じるのが楽しい季節になって、雨音を聴きながら、デッキで、家の隙間から見える長屋と、道路と、どんよりとした曇り空を静かに座って眺めていると...、そうそう、最近、その隙間から見えていた倉庫のような建物が壊されて、300坪ほどの土地が空いたままになっていて、子供の頃は、その倉庫が建て替えられる前の空き工場で、ブロック塀を乗り越え忍こんで、探検ごっこなどと称して遊んだものだが、今やそんなことが許される大らかな時代でもなく...、ま、そんな事より、周辺の空き長屋もどんどん増えてきた。

最近の日経アーキテクチュアの松村教授という方の記事に

まちに眠る圧倒的な空間資源を可視化する術を持つ。どれだけの空き家、空きビル、空いているスペースがあるのかを鮮やかに可視化できれば、みんなで具体的に考え始める手掛かりとなる。それは、パッと見ただけで「利用の構想力」を刺激するものとなり得る

確かに、まちに眠る空間資源をどのように利用すれば良いのか「利用の構想力」を皆で一緒に考える時代がやってきているのだろうし、それと共に、そういうのを不動産情報としてだけでなく、「まちに眠る空間資源」として可視化し共有する作業とその窓口が必要とされていているのだろう。「まちのえんがわ」でも、生野区の行政の方々と共に、そんな可視化の取り組みを始めているが、それはそれでなかなかタイヘン。

いま、木造2階建てを平屋にする減築工事に取り組んでいて、それが、想像してた以上にタイヘンな作業で、大工さんの工事のやり方としての「構想力」に頼り切っている状況。もともとは、空き部屋となった2階を放置して、後々の維持管理費や光熱費の増大を招くより、1階をリフォームするこの際に、減築し、もう少しコンパクトに住んで、温熱環境的にも快適な家にしていこうという計画で、それに、もし家族が増えて部屋が足りなくなっても周辺に空き家がいっぱいあるではないか.....と。

デッキで雨音を聴きながらそんなコトを考えて、ふと本棚に向かい、何気なく本を手にとったのが、井伏鱒二の「鞆ノ津茶会記」で、こんな本いつ買ったのだっけ。きっと、コトバノイエの加藤さんの古本で、木村家本舗の時に残ったやつだったのか.....。そうそう、今年も昨年に引き続き、木村家減築工事中のため、コトバノイエの加藤さんと一緒に続けてきた木村家本舗の開催は中止となり、来年こそは是非復活したいと願っているのだけれど....。それにしても、「装丁の美しい本」が、コトバノイエにあり、そのコトバノイエの装丁に拘った本が、「まちのえんがわ」にも並んでいて、そしてそのほんの一部が木村家の本棚にも並んでいるわけで、数年、本棚に飾られていて、開いた事もなかった本にふと手を伸ばした

つい先日の「旅的」で、鞆の浦へ旅をし、ここ3年ほどは毎年、本に出てくる大三島や大崎下島や弓削島や因島を自転車で巡っていて、何よりもこのブログを書く前にテレビで見ている真田丸に出てくる戦国武将がタムリーに登場し、そういえば安国寺の恵瓊は鞆の浦だったし、とあらためてその周辺の景色を想い浮かべながら読み、その上、昨年の冬に初めての茶会で夜噺の茶事を体験して、茶事という出来事に外国人のような気分でカルチャーショックを受けたこともあり、そんな複層的な潜在意識が、この本を手に取らせ、綺麗な装丁からわざわざ本を抜き出したのだろう。

海といえば、海水浴やマリンスポーツや釣りしか連想しなかったが、しまなみ海道にロードバイクで数年間通い続けながら瀬戸内の海を見ているうちに、潮の流れというものを知り、かつては航海のために潮待ちがあって、潮待ちの港町として発展した、大崎下島の御手洗には、その独特の雰囲気が気に入って自転車で2度訪問し、同じようについ先日、潮待ちの港町、鞆の浦にも独特の魅力があることを知った。潮の流れが引き起こす船と人の往来と宿泊が瀬戸内の文化を造ってきたらしく、その瀬戸内海の行き止まり的な大坂で、豊臣秀吉が活躍し、そのさまざまな戦国時代の出来事が、瀬戸内の潮待ちの港まち鞆の浦の茶事という視点から描かれていて、井伏鱒二の構想力の面白さに引き込まれながら、雨のお陰もあって、家から一歩も出ずに読み切ってしまった。

真田の視点から描く戦国時代も三谷幸喜の構想力なのだろうし、関ヶ原の戦闘シーンを見せずに、サスケの報告だけで、ほんの一瞬に終わらせたとか...。確かに、今までからあったコトやモノやスペースを新たな構想力で、編集し、利用していく時代なんだとおもえた雨の連休の日曜日だった。

投稿者 木村貴一 : 2016年09月18日 23:59 « 瓦コースターな夜 | メイン | まちのえんがわワークショップ=体験型講座+サムシングエルス »


Share (facebook)