Voice of 木村工務店 http://WWW.kimuko.net/blog/ ja 2012-05-13T23:43:44+09:00 原初的エネルギー http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/05/post_395.html DSC01908DSC01906DSC01832
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本日は、「まちのえんがわ」で、ステンドグラス作家の田中共子さんによる、ステンドグラス製作と硝子工事のワークショップがあって、参加者には小さな娘さんとお母さん、小さな息子さんとお父さん、大学生の娘さんとお母さん、同級生の男女のカップル、夫婦、同僚、などなど・・・。2月から本格的に、毎月一度催しているが、皆と一緒に、真剣と笑顔、集中とリラックスで、「ものづくりの共有体験をする」というのは、あらためて楽しいコトだな・・・と思う。前回もそうだったか、こちらが、皆さんから、ものづくりの原初的エネルギーをもらったような感じ。

DSC01926ちなみに今回は、うちの協力業者の三木板硝子さんに協力してもらって、Low-E硝子の性能の違いや、フィルム硝子の張り方などを実演してもらいながら、ほんのちょっとした硝子のレクチャーをおこなった。

そうそう、その前日の土曜日のこと・・・・

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リフォーム工事をさせて頂いたKさんからお父さんがお亡くなりになったという訃報が届く。確かに、リフォームの設計打ち合わせをしている時から、父が癌で、その親孝行のためにリフォーム工事をするのだという話だった。もちろん、その時に、何となく、最悪の事態を考える一瞬はあったのだが、実感として、ピンとこない訳で、それ故に、そんな事は起こらないのだと想像して、ほとんど忘れていた。

お引き渡しの時のお父さんの「笑顔」もはっきりと記憶に残っているのだけれど、設計担当のカワモトくんや現場監督のツジモトくんがメンテ等でお伺いした時は、元気そうでしたよ。という報告と共に時が流れていた・・・・。

そして突然の訃報。葬儀に参列すると、娘さんお二人から、涙と笑みが同居した表情で、感謝の意を頂戴する。「私」のこころの中には、悲しさと嬉しさが同居した妙な心境が唐突に沸き起こって、思わず、ぐっとくる。リフォームをした事を凄く喜んでくれたお父さんは、亡くなる二日前も家で過ごしたのだと。左がお礼状の中の一文。

甲斐性がある娘さんお二人だなぁ・・・と、こんな状況がほんとうにやって来て、あらためてそうおもう。こちらこそ哀悼と感謝の気持ちであると共に、ワークショップとは全く違う形で、「ものづくりの原初的エネルギー」を頂戴した感じ。

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木村貴一 2012-05-13T23:43:44+09:00
シェア http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/05/post_394.html ゴールデンウィークがやってくると、「旅」の衝動にかられて、それは、「組織」で働き、動いているので、組織の「責任」と「成果」から解放されて、それを一時的に放棄して、ただただ漂いたい。という衝動で、「そうなんとちゃう!」と指摘してくれたのはコトバノイエのカトウさんで、「ゴールデンウィークのエンディングを楽しむ宴会」でのひとこま。

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そんな宴会を催すのは、今回が初めてで、今までは、ゴールデンウィークの最終日を明日からの仕事に向けて静かに過ごすことで、いわゆる遊びと仕事モードを切り替えていたのだろうし、「私」もひとりで、「内」や「外」やでゆったりと過ごしながら、本を読んだり、音楽を聴いたり、ブログを書いたりしながら、心を整えて、「責任と成果という仕事モード」に切り替えていたとおもう。そんなゴールデンウィークの最終日を皆でシェアしたらどうなるのだろうか。というのが本日の、「ゴールデンウィークのエンディングを楽しむ宴会」で、最終日ゆえに襲ってくる「ウツ」を皆で払拭し、ゴールデンウィーク中の思い出を「分かち合おう」と・・・・・。

そんな訳で、「私」のゴールデンウィーク。

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GWの前半は神奈川県の丹沢にある堀山の家で宿泊し、25年来通っているが、こんな大勢の登山者を見たのは初めてで、山ガールと共に老若男女が溢れて、とっても賑やかで活気のある山だった・・・・。

DSC00889DSC009135月3日午後3時すぎに大阪を出て、午後11時頃、博多の屋台で遅い夕食の木村家。

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5月4日朝、天草の入り口にあたる三角西港に偶然立ち寄って休憩する。明治三大築港のひとつらしい。こんな場所に。と驚く。港の敷石がエエ感じだったなぁ・・・・。

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天草への道中に、かかしを集めた草地に遭遇し、立ち寄る。地方は地方なりに考えて楽しんでいる姿があって、それはそれで、素朴に楽しい・・・。

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天草、牛深のレンゾピアノ設計によるハイヤ大橋と内藤廣の物産館を見る。こんな橋が、ここに、本当に必要だったかどうかは疑問だが、観光という「人を惹きつける魅力」になっているのは確か・・・・・・。途中の円形の分岐は後から造られたらしい。観光資源としての橋なら、あれがない方が、もっと美しかったにちがいない。

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崎津天主堂を見る。エエ漁師町だな・・・・。五島列島で鉄川与助の教会建築を見て以来の久しぶりの再会。近くの大江天主堂より崎津天主堂の方が断然エエ。とおもう。

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「まちのえんがわ」で企画している住宅風呂巡礼の温泉ソムリエぐっちに対抗して、温泉ソムリエたかいち。源泉掛け流しとご馳走と夕日の天草、五足のくつ泊だった・・・・。

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旅館で珈琲を飲んで、独特のエエ空気感のある天草の海岸沿いをドライブし、陶器市をみたり、富岡城をみたり、宴会のための海産物を買い込んだりし、深夜まで渋滞する高速道路をひた走りに走って大阪へ到着した5月5日の子供の日。

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そして、5月6日。天草の海産物や近江牛やオードブルやワインなどなど、それぞれが持ち寄った食材で、それぞれのゴールデンウィークをシェアしたGW最終日だった・・。

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木村貴一 2012-05-06T23:59:00+09:00
モーダルコーダルな旅 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/04/post_393.html ゴールデンウィークが始まって、いや、それが、いつものGWは、仕事の様々な状況で、少々の心配事があったとしても、休むために、奮闘努力しながら、345あたりに、キャンピングカーで各地を彷徨う事に、じわじわとした喜びが迫ってきて、GWに突入する。

ところが、そのキャンピングカーのエンジンが焼き付いて、動かなくなって、廃車にするかどうかの瀬戸際で、自動車屋さんで、動けないまま、静かに横たわっている。キャンピングカーといってもハイエースを改造した小さなキャンピングカーで、かれこれ15年ほど乗っているので、もはやうちの家族にとっての別荘。

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25年以上前に結婚してすぐ、ステーションワゴンで、キャンプをし、観光地の駐車場やサービスエリアで車中泊をしながら旅に出掛けた。後部席で寝られるようにカーテンなんかもつけたりして・・・。それで、子供も生まれて、数年してからタウンエースを改造したキャンピングカーを手に入れて、北海道や東北北陸四国山陰九州屋久島など各地を旅し、16年ほど前には、写真のようなハイエースのキャンピングカーに乗り換えて、主に、GWとお盆を中心に旅を続けていた。

「私」にとってのキャンピングカーの魅力は、例えば、午後10時すぎに家を出て、夜中の適当な時間にサービスエリアで仮眠をし、夜明けと共に起き出して、車を走らせて、目的地を目指す。なんていうスタイルで、適当な駐車場で泊まる事もあれば、キャンプ場で泊まる事もあり、ホテルにも泊まる事もあって、夕方にホテルに到着して、翌日の朝、ゆっくり過ごし、朝遅く宿を出る。という、「ゆとり旅」も贅沢な感じがして、それはそれで大好きなのだけれど、ホテル泊とは違って、泊まる場所を気にせずに、夜や早朝に自分たちのペースで食事して移動してどこでも寝れられる自由度がキャンピングカーの魅力で、移動できる距離や、訪れる場所にも幅が広がった。そうそう、大きくゆったりとしたキャンピングカーより、せせこましい、小さなキャンピングカーの方が好みで、かといって軽では、ちょっと小さすぎるかな。

「旅」を大まじめに考えると、旅行の移動や食事や宿泊の時間配分には汎用的なパターンがあって、それがうまく旅行ができる「コード」として存在しているようにおもう。飛行機旅行のコードや、電車旅のコード、レンタカーの旅コード。車でも車種によって微妙な旅コードが変化するようにおもうし、歩き旅のコードに自転車旅のコード。などなど。それに、北海道な気分や沖縄な気分、高級ホテルに泊まる気分やキャンプな気分、建築を見て回る気分、山を歩く気分、スキーな気分、縄文な気分、北斎な気分、アートな気分、B級グルメな気分、などなど様々な「モード」をその汎用的な旅「コード」の上に乗っけて旅行する。

「短期間」のキャンピングカーによる車中泊の旅をしばらくするうちに、私たち家族にとっての、あらたな旅「コード」がうまれてきて、それをうまく使えば、短期間の旅で、様々な旅「モード」を同時に多彩に組み合わせられるコトに気がついて、それに、家族それぞれの個性の違いによる気分(モード)の違いまで、同時に反映させるには、キャンピングカーの旅が最適なように思えて、ここ10年ほどは、そんな旅のスタイルを成熟させてきた。それをマイルスの「in a silent way」な旅だとか、モーダルコーダルな旅だとか、独り言をいいながら楽しんでいた・・・・・。

ここ5年ほどは、長男と二人でこの車をシエアーしていて、長男はそんな旅のスタイルを受け継いでくれて、休みのたびに、いろいろな友達と旅に出かけて、ところが、帰ってくる度に、車のあちこちが傷だらけで、ボコボコになって、その度に長男の友達が入れ替わり立ち替わり、私に誤りに来てくれて、そして、その度に、将来うちで家を建ててくれたらエエので、それでチャラね。と何人に言ったコトか・・・・。

そんなボコボコゆえに愛着のある車が、老朽化と長男のちょっとした不注意も重なって、水漏れを起こしていたことに気付かずにエンジンを焼き付かせてしまい、四国からレッカー車に乗って、帰還したのがつい先日の事。落胆する長男。まぁ、でも、ボロボロな事もあって、これからの休日は「まちのえんがわ」で過ごしなさい!という暗示でもあるのだと解釈して、未練なくスッパリとキャンピングカーを諦めようと決意してみた・・・・。

が、本当に、GWがやってくると、なんとなく寂しい気分が襲ってきて、それが、ボロボロだけれど、なんとなく愛着のあるキャンピングカーが「居ない」からなのだと気付き、そうそう、12年間ほど飼っていて、毎晩、私の右足下に体を寄せて寝ていたミニチュアシュナウザーが亡くなった時と同じ気分なのだ・・・・・と。

そんな訳で、少々センチメンタルな気分のゴールデンウィークですが、木村工務店では、暦通りの休日で、1日、2日は営業し、3日4日5日6日とお休みを頂戴します。「まちのえんがわ」は29日、30日、5日、6日と営業しております。

それでは、皆さん! 素敵なゴールデンウィークを!

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木村貴一 2012-04-29T04:35:39+09:00
「まちのえんがわ」の縁 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/04/post_392.html うちの協力業者が25社ほど集まって、年に2回、ゴルフコンペをしていて、それが、かれこれ80回ほどになって、これだけ続くと、これもひとつの伝統といえば伝統になるのだろう。それを率いる「私」が、あまりゴルフ好きでない事もあって、存続が危ぶまれるのだけれど、成績は最悪にも関わらず、気心の知れた仲間とゴルフするのは、それはそれで楽しい。まぁ、そんな訳で、続けることに意義を見いだしながら、存続していこうかとおもう・・・・。

そのコンペが終わって、夕方、会社に戻ると、中古住宅を購入したリフォーム工事の請負契約があって、会社にお見えになったTさんご夫妻と、引き締まった空気の緊張感の中、でも和気藹々の雰囲気も宿しながら、それに、少々ゴルフで日焼けした顔の言い訳もしながら工事請負契約をする。この住宅は、住宅医ネットワークの長期優良住宅先導事業の補助金をもらってリフォーム工事をすることになっていて、耐震改修工事と断熱改修工事をする。

ところで、そのTさんとの初めての出会いは、昨年の10月の協力業者のゴルフコンペが終わって、会社に戻ってきて、まだ、「まちのえんがわ」が正式オープンする前の準備期間中として、店をオープンしていた時だった。たまたま自転車で通りかかって、「まちのえんがわ」に興味を持ったTさんが自転車から降りた時、ゴルフが終わって会社に戻ってきた「私」と、「まちのえんがわ」の前で、偶然出会ったのが始まり。契約の日と出会った日が、協力業者とのゴルフコンペが終わった後の会社に戻った時なのだ。というのが、「縁」とか「巡り合わせ」の不可思議だなぁ・・・・。

小中学の同級生に通称、エーパンがいて、「私」は、自宅も会社もこの小路にあって、ここにずっと住み続けているのだけれど、エーパンは、仕事や結婚で八尾に住んでいた。同窓会で一度、再会したことはあるが、それもかなり前の事だった。それが、フェースブックのお陰で、改めてお互いが友達になり、それぞれの日常の様子を垣間見るようになった。エーパンは、SHOW-COMPANYというミュージカルの音楽製作とプロデュースをしているのだと知る。「私」が「まちのえんがわ」というのを造って活動している様子を知ると、小路に住むエーパンのお母さんにその事を伝えて、いちど覗いて見たらどぉ。と、言ってくれた。

ある日、エーパンのお母さんが「まちのえんがわ」に遊びに来てくれた。昔の思い出が蘇ってきて、エーパンの家に遊びに行って、一緒にプラモデルを作ったり、ミニカーで遊んだり、壁新聞や人形劇の製作を一緒にしたり・・・。その同じ部屋で、エーパンのお母さんが、仕事として何かを造っていて、遊ぶ背後で、ミシンか何かの、「ものづくりの音」が聞こえてくるのが、「印象」として深く刻まれていた。

そんな思い出話を「まちのえんがわ」に腰掛けて、お茶を一緒に飲みながら、エーパン母に伝え、あれやこれやと四方山話をする。その話の中で、エーパン母は、「折り紙」をやり続けていて、教えているのだと聞かされると、折り紙ワークショップを「まちのえんがわ」でお願いできませんか・・・・と依頼する。

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その折り紙ワークショップをこの20日の土曜日に催して、参加してくれた人たちは、こんな方々だった・・・・・。

タカヤマさんの設計で、うちで家を建てた、高槻のSさんが、子供さん達と一緒に来られた。ちなみに、プランターのワークショップにも参加。うちの近所に住んでおられて、インテリアデザインのお仕事をするKさんの娘さんが、姉弟で参加された。ちなみに娘さんは小学生だけれど、全てのワークショップに参加されている、「ものづくりガール」。

八尾で造園をするTくんが、木村家本舗の縁で、お友達になって、今回、奥さんと娘さんを連れてワークショップ初参加。西宮の苦楽園で施工した家のオープンハウスにお見えになったAさんは、設計の石川さんと先輩後輩の仲で、それも和歌山の建設会社の娘さんで、現在はその会社にお勤めとの事。和歌山からお子さんと一緒に車で参加。

DSC0022350代になる、「おっさん」お二人が真剣に、いや、それも、めちゃくちゃ大まじめに折り紙に取り組んでいて、ひとりは、近所のお食事処「遊びな」さんのマスターで、ワークショップ皆勤賞。いまひとりは、プランター製作のメインコーディネーター家谷さんで、このコンビの折り紙姿は、ちょい笑える・・・・。

70代のエーパン母と、何と今日は、「フェースブック友達」になって、その上に、こんなメッセージまで頂戴した。「今日はありがとうございました。若いエネルギーを、たくさん、いただきました。」と。こちらこそ、「まちのえんがわ」の縁に感謝です。

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木村貴一 2012-04-22T23:26:58+09:00
多肉男子 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/04/post_391.html DSC00185

多肉植物を育てる男子を多肉男子と呼ぶらしい。
今日、「まちのえんがわ」では、「廃材プランター製作と多肉植物」というワークショップを催して、参加して頂いた、赤ちゃんから初老までのまさしく老若男女の皆さんと、楽しい時間を過ごせて、いやそれ以上に、「ものづくり」のハートを皆さんに教えようとした私たちが、どちらかと言えば、参加者の皆さんから、ものづくりの姿勢やその喜びを教えられたような雰囲気で、それが今日のこのワークショップをお手伝いしたスタッフ全員の共通認識だった。

その、参加された皆さんの熱気に煽られて、うちの現場監督のツジモトくんとトクモトくんが、皆さんが帰られた後に、ゴソゴソと自分たちの廃材プランターを製作しはじめ、それに多肉を植え付ける時のとっても嬉しそうな姿があって、そしてその完成した作品を眺めて喜ぶ、その瞬間の写真をもって、彼らはめでたくも「多肉男子」となったわけ。

その勢いがそのまま持続して、このワークショップのメインコーディネーターの家谷植景研究所の家谷さんと、多肉男子となった現場監督二人と、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんと「私」の五人で、近くの居酒屋の「遊びな」さんに慰労会に行く。ちなみに、遊びなのマスターは、このワークショップに毎回参加してくれている。そうそう、ミスチルのコンサートが当たったといって、高校一年生の息子と二人でコンサートに行った奥方が、午後10時過ぎに合流して、つまり、言いたいコトは、皆さんから頂いた、エネルギーの余韻で、気がついたら午前零時をとっくに回っていて、「私」はそそくさと、このブログを書くために家に帰って、これを書くいまとここ。残り5名は、一緒にどこかに行ってしまった・・・・。

あの五人、こんな時間、つまりもうすでに午前2時になっていて、なのに、どこでなにをしてどんな話をしているのだろうかと、「私」のある一部分が時折気にかけながらも、「私」の別のある一部は、ワークショップのシーンがフラッシュバックしていて・・・、そうそう、全体的には、女性の参加者の方が多かったのだけれど、なんだか、小さな男の子の印象的なシーンが蘇る。

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ワークショップにお見えになった時、背中に背負うバックパックから収納に包まれた「差し金」がニョキッと出ていて、それがとっても印象的で、「私」は、大学生の頃に、ケルティーのベージュ色のバックパックにウイルソンのテニスラケットさしていて、それが、忍者のようだと、よく親から揶揄されたのを思い出した。スポーツ道具や楽器などより、「差し金」が出ているのが、想定外のカッコ良さだった。

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フィニュシュという道具、それは、コンプレッサーからのエアーを利用する、少々危険な道具であるのだけれど、前々日から、安全な使い方が出来るための下準備を社員や大工と模索したこともあって、また、事前にその危険性をパワーポイントで説明した事もあってか、なんとも、カッコエエ姿勢で、男の子がフィニュシュを打つのだった。その姿勢、その姿に、スタッフ全員が感激した。

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近所の4人の男の子の兄弟が、祖母に連れられてワークショップに参加してくれた。やんちゃそうな男の子が、フイニュシュを打つ時には、ふざける事もなく、慎重に、交代交代で、仲良く打つ、その姿が印象的で、最後に多肉を植える、その姿にも、心奪われた。4人兄弟の多肉男子の誕生の瞬間だった。

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お父さんが設計をしているという、ひとりの男の子が、腰袋をさげて、参加者の机の周りの足下に気配りしながら、木くずが溜まっているのを見ると、箒で、掃除をして回っていた。その姿が、可愛さを通り越して、「さま」になっていて、とってもカッコ良かった。後で聞くと、親から指示されたのではなく、自主的にそうしていたのだと・・・・。


新しい世代の男の子たちは、ちょっとセンチメンタルな多肉男子を遙かに超えて、逞しく、成長していくのだろうか・・・・・。

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木村貴一 2012-04-15T23:59:00+09:00
家を楽しむ。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/04/post_390.html 4月1日日曜日。
この日、第五回住宅風呂巡礼を目神山でする。第四回は、お風呂に入る温泉ソムリエぐっちと、建築家のギターリストという、とんでもない設定で、「いったいキムラさん、あれ、何ですかぁ!」 と、喜んでくれる人もあったのだが、顔をしかめる人もあって、住宅風呂巡礼というのは、本来的には、各地の温泉を巡り、気持ちよさそうに温泉に浸かる温泉ソムリエぐっち氏が、様々な住宅のお風呂に入って、気持ちよさそうに浸かるシーンを通じて、「家を楽しむ」というスタイルを見つめ直してみようよ。という真面目に住宅のお風呂を巡礼する旅であって、ここは、もう一度、その原点に戻って、普通に楽しくお風呂に入るシーンを撮影するコトになった。
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4月2日月曜日。
午前10時すぎ、社内で設計担当の3名と定例のミーティングをしていると、突然、顧問で、見積を手伝ってくれている、75歳になるフクモトさんが、てんかんを起こして、倒れる。それIMG_3017で、救急車に同乗して八尾の徳修会病院に行った。幸い、無事で、お医者さんも淡々としていたのだけれど、そのフクモトさんは、「私」がまだ、幼稚園に通う前の頃に、その私を仕事中の車に乗せて、寝かしつけたのだという。急ブレーキをかけたら、前にゴロンと倒れよったわ。なんて事を時々若い社員にも話す。その「私」が、フクモトさんの付き添いで2回も救急車に同乗することになった。ちなみに、病院からの帰りにタクシーに乗り、小路まで。と伝えると、お客さん、ひょっとして、昨年の暮れにも乗りませんでしたか?と聞かれた。偶然にも同じ運転手さんだった。「巡り巡る縁」の不可思議。

4月3日火曜日。
IMG_3020加工場では、大工が構造材の刻み加工をしていて、ここ最近は、加工場をワークショップのためのスペースとして利用しているのだけれど、元来は、木材を加工するための加工場であって、その、「ものづくりの空気感」があってこそのワークショップ会場。久しぶりにその本来的な用途としての利用だった。ところで、大工が鉋の刃を研ぐ姿はカッコエエとおもうし憧れもする。その大工が研ぎものをする時に、その台に対峙して、先日のワークショップで、谷口智則さんのライブペインティングで描かれた絵があって、その絵の、ほのぼの感と、大工の研ぎの緊張感とが、絶妙のバランスなのか・・・・・。

4月4日水曜日。
午前中に現場監督になりたいという、現在は住宅の営業をしている男性が面接にやってきた。職業として、何をしたいのか。何になりたいのか。何がむいているのか。なんていうのは、本当にムツカシイコトだとおもう。職業っていうのは、一種の賭のようなものかもしれないが、「続けること。好きこそものの上手なれ。」が、自分に合った職業としての確率を高くしていくのかもしれない。しかし、そんなコトバが、いまの時代に通用するコトバになりえるのかどうか。そうそう、昼からは、お施主さんとの設計打ち合わせが3件連続で続いて、もちろん、それぞれに設計担当者がいるのだけれど、流石に3本目が終わると少々疲れて、いや、そんなコトより、きっと「私」は打ち合わせが好きなのだ。と、振り返って見ればそう思えてくるのは、単に、そんなコトをもうかれこれ30年近くも続けているからだけなのだろう・・・・。

4月5日木曜日。
タカヤマ建築事務所のタカヤマさん設計による堺の長屋のリフォーム工事で、着工のお祓いをお施主さんと設計者と施工者で執り行う。その様子は、現場ブログに書かれてあるのだけれど、それはそれとして、以前の長屋の住人が、随所に、デザインを施してあって、それがなんとも楽しげで、それを発見する度に、ウキウキした気分になる。そのデザインが、イマという時代に通用するデザインとはいえないかもしれないけれど、「家を楽しむ」という、その雰囲気がとっても嬉しい。デザインって何かねぇ・・・と考えてみた。

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4月6日金曜日。
午前中、打ち合わせで、京都の長屋にお伺いする。住まい手が、長年パリで住んでいたこともあって、その「家を楽しむ」センスに魅了される。建具も古建具屋さんで、本当に上質な建具を購入して入れ替えているので、なおいっそう、空間が引き締まって見えた。前日に見た堺の長屋のデザインセンスが南蛮的なら、この京都の長屋のデザインセンスは、数寄屋的なのか。
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夕方から、木村家の自宅で、枝垂れ桜の花見があって、7分咲き程度だったが、それでも、花見はやっぱり楽しい。もともとこの枝垂れ桜は、私たち夫婦が結婚した年に、奥方の実家がある堺の金剛の園芸店で購入した、ほんとうに小さな桜の木だった。それが、庭の片隅にひっそりと植えてあったのだけれど、10年前に、海平造園のウミヒラさんが、庭の主役として、枝振りを整えて、「家を楽しむ」桜として、育ててくれた。お陰でここ5年ほど、社員と大工さんと手伝いさんら30人ほどで、花見をする。そうそう、うちの若手も、最近は花見の段取りを覚え、手伝い、片付けてくれるようになって、こんな宴を通じて、あれやこれやと学ぶ事が、日本の文化なのかもしれない・・・・。

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4月7日土曜日。
暮らし向上リフォーム研究会なのでご一緒している、女性設計士の澤木さんの自邸のオープンハウスが神戸の住吉山手であって、お伺いする。雑木林に囲まれた立地の素晴らしいこと!暖炉だけで家中が暖かくて・・・。「家を楽しむ」っていうのが、とってもエエ感じだった。そういえば、下には住吉川が流れていて、10年ほど前に、ひとりで、この住吉川の上流にある西山谷を渓流シューズを履いて、沢を登り、六甲山に上がったその日のコトを久しぶりに思い出した。

4月8日日曜日
朝から地鎮祭があって、うららかで、雲ひとつない天気で、あっ、ようやく、ほんとうに、春がやってきたのだ。という穏やかなムードが参列者の中に漂った地鎮祭だった。
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昼から設計の石井良平さん主催によるお花見が目神山であって、ほとんどが設計の立場の人たち。それが、生憎、桜は蕾のままで、生まれて初めての、花の咲かないお花見となった。流石に、浮かれた気分までには昇華しきれなかったかもしれないが、それはそれで、印象深いお花見だった。そういえば、夕方の花見を終える頃には、開花しだした桜もちらほら。
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そうそう、今年の目神山でのお花見のハプニングは、イシイリョウヘイさん案内による、目神山12番坂にある石井修建築の解説だった。その12番坂にある様々な建築を皆で巡っていると、「日本の家」というものを、どのように造っていけば良いのだろうかと考えさせられた・・・・・。

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その後は、故石井修さん設計の自邸である回帰草庵で寛ぐ。かつて、石井修さんが健在だった時に、このコルビジェの椅子に寝転がって北向きの庭を眺めて寛いでいたのだと聞かされた、その椅子に座り、笑顔で、家のコーナーを楽しむ設計のヤベさん。この名作の居間で、堂々とギターを弾き語る、設計のオオタさんとそれに併せて熱唱するヤベさん。故石井修さんの奥さんから拍手が起こったのがせめてもの救いだなぁ・・・。造園のイエタニさんは、不法侵入者のごとく、外を歩き回って、外から家を眺める。それぞれが、回帰草庵の広いリビングダイニングで、それぞれの居場所を見つけて、家そのものを楽しんだ。そうそう、「家を楽しむ」コトへの回帰・・・・。

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木村貴一 2012-04-08T23:59:00+09:00
パスポート http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/04/post_389.html 月曜日の朝、8時まえ、会社にいると、奥方からお呼びがかかる。会社と家とは歩いて数秒。何か、とんでもない事態が起こっているのだと、悲壮な声で叫んでいる。なんや、それ、なんのことなん。と大阪弁で答えて、パソコンのクリックを止め、2階の事務所の階段を下り、一方通行の4m幅の北向きの道路を数十歩歩いて、ごちゃごちゃとした行き止まりの西向き道路を左折する。数十歩で、家の前に着いて、電子錠の暗証番号を指先で押しながら、ピピピピと鳴る音とともに数字を確認していると、電動モーターのジャァーという作動音とともに解錠し、ヒバの玄関扉を開ける。

IMG_3001玄関に入ると、左側に本棚があって、陽気のいい日には、朝日を浴びて、フロスト硝子越しに写る木の葉の陰と面陳の本がエエ雰囲気に見える時があって、その朝は、そんなエエ日和の朝だった。その玄関を開けると、杉の床板の上に、大型の旅行鞄が二つ、バァーンとオープンして置いてあって、その横に奥方が鎮座していた。そして、兄弟二人が、もうやってられへんわ。というような顔をして、鞄を開けて、何かを探している。奥方は、なんだか高校生が修学旅行に遅れそうになって悲壮な顔をしているような雰囲気で、と言っても、もうすでに50代なわけで、とってもアンバランスで、滑稽な雰囲気。

その日、奥方のお父さんが、自分の娘姉妹と娘の子供たち孫を連れて、シンガポール旅行に行く事になっていた。今年80歳になることもあって、死ぬ前に皆をどこかに連れて行くのだという。本人は、ヘルニアの手術の失敗で40年以上も車椅子の生活をしているのだけれど、その事をもろともせず、活発に出掛ける。数十年前に、車椅子のまま、ひとりで、玄関を出入りし、車にも乗れて、もちろん、便所やお風呂にもひとりで入れるように、「私」が設計しリフォームした。いや、そんな事より、「私」もその歳になった時に、そんな旅行に連れて行ける甲斐性があるのかどうか・・・・。

朝、8時すぎには、ここ小路を出ないと、関空の出発に間にあわなかった。「あんたら兄弟二人だけで、旅行に行って!」と奥方が、叫ぶ。話の断片を聞くと、自分のパスポートを何処かになおしこんで、解らなくなって見つからないのだという。玄関の扉を開けて、その様子に唖然として棒立ちになって、眺めている「私」。その私にむかって、「ちょっと、これ夢、夢やよね」と聞く。本人はメチャクチャ真面目な顔をしているのだけれど、とっても滑稽で、でも、そこはぐっと笑いを堪えながら、「現実!夢ちゃう!」と答えると。ワぁーと涙が出ない鳴き声で叫ぶ。旅行に行かれへんやん・・・・・。

確かに、数ヶ月前から、娘と父親の間にある、「私」が知る事も出来ない、微妙で深い愛情関係があるのだろう、親子で楽しみにしていた。その旅行当日の朝、うちの玄関での大騒動。兄弟が、折角、綺麗に整理して納めてあった鞄をひっくりかえしながら、「ほんまアホちゃう。俺らに、パスポートだけは、絶対大事やから、なくしたらアカンでぇーとあんだけエラソウに言っときながら、このザマね。」怒っているのか笑っているのかそれが同時に共存するとっても微妙な表情で、なんか、吉本新喜劇。

前日は、日曜日で、このごろ、夜遅くまで、宴会とかがあって、このブログを書き始める時間が午後10時や11時をまわって、気がついたら夜中の2時になっていた。その横で、明日の旅行の用意を、いわゆる「完璧」やわ。と声にまで出して片付けていた奥方。そして、時折、四方山話をする。そうそう、知り合いのレイコちゃんが、泥棒に入られて、それも午後4時頃から午後7時ぐらいの間らしいわ。彼女の見解によると、目線から上のものは荒らされなかったけれど、目線から下のものはメチャクチャ。隠す時は、目線から上ね。と、ブログを書く横で、呟きながら、旅行の間の「私」の食事も含めて、綺麗に整理整頓していた。

玄関から2階のLDKに向かう。流石に、悲壮な空気が家族間に漂い始めていて、時間も迫ってきた、このままでは、旅行、どうなるのぉ・・・・と。その整理整頓されて美しい状態だった部屋が、一瞬にして、パスポートを探すために、まるで泥棒が入ったように散乱した状況だった。「それにしても、つい数時間前の午前2時までは、あったのだから、この家のどこかにあるのだし、まさか、この短時間に泥棒でも入ったのではあるまいし。」と捨て台詞を言う「私」。

その「泥棒」というコトバに奥方が反応した。唐突にドタドタとキッチンに向かってゴソゴソしながら鍋の音がカランカランと聞こえてくる。それで、「あったわ!見つかったわ!」と叫ぶ奥方。だいたい、物語の結末は、あっけないものだし、この騒動の結末も、あっけないものだった。息子たちから、一斉に、「ほらな!」と、それはまるで声援。

出発に遅れないために、車で皆を送っていきながら、車の中には、旅行に行ける喜びと、この騒動の笑いと、呆れが、ぐるぐると渦巻いていて、奥方から言い訳のような、顛末のような話を聞く。つまり、旅行の間に、うちに泥棒が入ったらアカンので、といっても、「私」は、仕事が終われば、家に居るのだけれど、兎に角、旅行中に、泥棒が入られた時のために、目線から上のキッチンの収納の中の鍋の後ろに、いろいろと隠したのだという。ついでにパスポートも丁寧に隠して仕舞ったのが夜中の2時のコトだったと・・・。

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木村貴一 2012-04-01T11:49:56+09:00
花粉症week http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/03/week.html 花粉症という症状が唐突にやってきたのが、先々週の月曜日の事だった。確か初午祭という職人さん達の安全祈願と懇親会を開いたのが、その前々日の土曜日の事で、その余韻があって、風邪でも引いたのかと思っていたら、鼻水がずるずると落ちだして、ティッシュをつまみながら箱から取り出すというあの動作を何回繰り返したことか・・・・。

最初は市販の鼻と喉の薬を飲んだのだけれど、眠気が襲ってきて、顔の前に膜がかかったようなドロンとしたあの状態。そんな症状のままで、打ち合わせが何件もあって、ズルズルという鼻水とゴホゴホと咳き込む事を繰り替えしながら、会話を繰り返す。ここ最近は、鼻水は収まってきたが、微妙に鼻水が喉へ流れ込んできて、ゴホゴホしている。きっと、皆さん、不愉快だったに違いない。この場をかりて、あらためて、陳謝。

さて、その、ここ二週間ほど続く「私」の花粉症2weekでの出来事。

「まちのえんがわ」のモビール製作とライブペインティングのワークショップに参加して頂いたAさん宅へリフォームの現地調査に同行する。打ち合わせのなかで、花粉症に効く薬のアドバイスまでしてもらったのだけれど、子供部屋の中に、子供さんが作ったモビールが、飾ってあって、何だか、それが、とっても嬉しかった。

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もちろん、今までにもワークショップで作った作品が家で飾られている何枚かの写真を送ってもらっているのだけれど、「実物」を見ると、よりワークショップを開催したのだなぁという、主催者としての実感と責任感のようなものまで湧いてきて、こんな小さなワークショップだが、その事を通じて、「ものづくり」の「喜び」や「面倒くささ」や「不完全さ」を共有体験し、ひいては、家に飾られてある自分の作品が、それぞれの内面にある、創造性や自主性を思い起こすきっかけに繋がればとおもう・・・・。そうそう、送ってもらった写真の何枚かを紹介すると・・・・

関西大学藤井
関西大学川辺
細川さん小路・KW3
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先週の日曜日。住宅相談会があって、3組の方々と、花粉症が最悪の状態になっている状況下で、打ち合わせをした。そのひと組にお医者さんがいて、その方も花粉症で、お互いにティッシュで鼻をかみながら打ち合わせをするという可笑しな状態だった。漢方の小青竜湯を教えてもらって、そのお陰で、眠気がなく、鼻水がズルズルする症状は改善されたが、タンが喉に流れ込んで咳き込む症状に未だ悩まされる・・・・。

今週は、地鎮祭が2件も重なるという珍しい週で、そんなのは、4、5年に一度あるかないか。もう3月の後半で、春分の日を過ぎたというのに、寒い日が続いて、そのうえ雨もよく降って、春一番の風も吹き荒れて、いづれの地鎮祭も既存の家の解体作業があったので、地面を整地する作業やテントを張る作業に大わらわだった。

解体工事と地鎮祭の日程調整に、この気まぐれな春の自然現象が、ガッツリと絡んできて、現場監督の「段取り力」という工程調整能力が問われた二つの地鎮祭だったが、幸いにも、何ごともなかったかのように「無事」に地鎮祭が終わって、あらためて、「無事を事とし」という老子のコトバの重みを体感した地鎮祭だった。そうそう、もちろん地鎮祭の間は咳き込まないように、我慢していたのだけれど、いつもに比べて、2礼2拍手1礼での2拍手に精彩がなかったのは、花粉症のせいだという事にしておきたい・・・。

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本日の日曜日。花粉症を吹き飛ばしたいという事もあって、ランニングをする。もちろん、先週も、けだるい体にもかかわらず、ランニングをしたのだけれど、流石に、途中でしんどくなって、何度も何度も歩いて、距離もいつもより1Kmほど少なく、今までで一番しんどいランニングだった。それに比べて、今日は、時折、鼻水が出て、咳き込むものの、先週に比べれば、随分と「まし」で、どちらかといえば快適なぶるい。

昼前に少し寝て、体力を回復してから、午後からは、石川友博建築設計事務所による苦楽園・N邸新築工事のオープンハウスに行く。外構工事はまだ残っているのだけれど、たまたま東京から帰省していた長男を同伴しての見学。うちの長男は、もともとW大学の文学部だったのだけれど、2年ほど前に、突然、Wスクールをして、W大学の建築の専門学校に通うと言い出して、今に至る。「職業」というのは不思議なものだなと、つくづくおもいながら、やっぱり、時折、花粉症の症状がでて、咳き込むオープンハウスだった。

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夕方、そのオープンハウスから会社に帰ると、「まちのえんがわ」でお酒とアテを持ち込んだ宴会が始まっていた。この「まちのえんがわ」の新たな使い方を提案してくれたのが、設計の矢部達也さんで、同じく設計の石井良平さんとその所員のナガエさんや造園の家谷さんが集まっていて、夜遅くまで、あれやこれやなんだかんだ。建築の話が題材になって、尽きることなく続くのだった・・。おそらく、このブログを日曜日に書き続けるという「私」の「趣味」のために、終わってくれなかったら、深夜まで続いていたのだろう・・・・。それにしても、相変わらず、時折、花粉症で咳き込む「私」。

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そんな訳で、体のどこかに、けだるさを感じながらの花粉症2week。もうそろそろ、花粉症から解放されたいものだね・・・・・。

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木村貴一 2012-03-25T23:59:00+09:00
フェースブックな誕生日 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/03/post_388.html 3月14日はホワイトデーで、それがいつから始まったのか知らないが、1959年3月14日に「私」が生まれた時には、なかったはずで、この日が誕生日の「私」にとっては、エエ迷惑といえばエエ迷惑で、つまり、チョコレートか何かをお返しするという習わしなのだと云う。誰が云っているのだ。そんな殺生な。と大きな声を出したい気もするが、まぁ、そこは、少し気弱なので、このブログの力に頼る「私」。

ほんのちょっとだけホワイトデーの日程を決めた人に憤りがあり、オトコの意地のようなものを、時には少しだけかざしてみたい気持ちもあって、まぁ、例え、義理チョコであっても、嬉しいわけだけれど、今まで、ホワイトデーにお返しを買った事はなく、誕生日のプレゼントをもらう代わりに相殺やね。と言い続けている。

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そういえば、歳がとるに伴って、ケーキの大きさが、どんどん小さくなり、勿論、家族と食べるだけなので、こちらも小さくてエエよ。というわけで、今年は、「五感」のケーキらしい。それにしても、ろうそくの数だけはどんどん増えてくる状況で、ケーキの大きさと比して、アンバランスな事。今年など、ケーキの形態からしても、させる場所を探さなくてはならない状況で、今後ますます厳しい状況になるのだろう。果たして、100本なんて日がくるのかどうか・・・・。

ところが、その誕生日に異変が起こった。フェースブックの「友達」から、誕生日おめでとうのメッセージが30数件届く。ここ何十年も、ほとんど家族か、両親からしか、誕生日を祝うメッセージをもらったことがなく、もちろん、それが至極普通の事であり、誰か他に祝ってもらいたいという気持ちもなく、そんな訳で、フェースブック上で表示される、本日は○○さんのお誕生日です。というメッセージを見てもお誕生日のメッセージを送ったことがなかった。

にもかかわらず、面識のある数人の方々からメッセージをもらうと、それはそれで、やっぱり嬉しいわけで、「私」の心理なんてというのはいたって単純なのだ。その日は、お昼からの予定がキャンセルになったこともあって、お礼を書いているだけで半日が流れていくという、今まで経験した事がない、フェースブックな誕生日だった。返信を書きながら、これからは、誕生日のメッセージを送るのもエエもんやな。そうそう、社員にもちゃんとせねば・・・と呟いていた。

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木村貴一 2012-03-18T22:46:33+09:00
3・10初午祭 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/03/post_387.html DSC083703月10日土曜日の夕方から、社員と大工さんや協力業者の職人さんたち約75名ほどが集まって「初午祭」という安全祈願祭をする。何時の頃からか知らないが、昔からお稲荷さんが会社に祭ってあって、氏神さんの清見原神社の神主さんにお祓いをしてもらい、玉串の奉奠と神酒を頂戴し、安全祈願をした。

勿論、それだけでも良いのだが、この機会を利用して、木村工務店の現場で働く職人さん達と、同じ価値観を共有出来ればという趣旨で、1時間ほどの時間をプロジェクターを使って、あれやこれや、なんだかんだと説明をする。その後は、懇親会として、おでんとか、汁ものとか、焼きそばなど、もちろん生ビールもあって、それらを社員やうちの奥さんなど、皆で手作りしながら、経費をあまりかけずに、素朴な宴会で盛り上がった。

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こんな事を加工場でやり出したのが、3年ほど前で、それまでは、3階にある会議室で、うちの母親がおでんやおにぎりを作って、もう少し小さな規模で、職人さん達とワイワイとコミュニケーションをしていた。そうそう、父親から社長を受け継いで、それと一緒に、おでんづくりや稲荷祭も受け継いだのだ。こういう「まつりごと」が古くさいとおもう、気持ちもあったのだけれど、やってみると意外にエエもので、場所を加工場に移し、社員で手作りし、パワーポイントを使って、「価値観の共有」なんていう、それっぽい「コトバ」を使うコトで、「今」にあった形式への編集作業とアレンジをした。

こういう、職人さんたちとのコミュニケーションの潤滑油の役目をしてくれる、日本的な「まつりごと」があったお陰で、大工さんも含めて、塗装屋さんや左官屋さんや電気屋さんや水道屋さん、などなど、様々な職人さん達と、木村工務店の「ものづくりの仲間意識」が育まれてきたのだなぁ・・・・・と、今にしてようやく、思えるようになった。

今っぽく、「組織はチームだ。チームで貢献して成果をあげよう。」「コミュニケーションとチームワークと自己啓発と人材育成を真摯な態度で考よう」「情報とコミュニケーションは別物。コミュニケーションが成立するためには体験の共有が必要。大工さんと話をする時は大工の言語をつかい・・・・」などなど、ドラッカー的コトバをふんだんに使いプロジェクターとパワーポイントの助けをかりて語るものの、すでに日本的な「祭」や「政」や「宴会」などを催す事そのものの中に、それらドラッカー的コトバが、「遊び」の要素を含めた「共有体験」を伴いながら、神妙かつ面白可笑しく学ぶ「お祭り」として、存在していたのだなぁ。と感じる。

こんな伝統的な行事を催し、経験している事が、「まちのえんがわ」での木村工務店ワークショップの土台と下地になっているのだろう。ワークショップでは「材料とのコミュニケーション」というのをテーマとして掲げていて、それは、村松貞次郎著の大工道具の歴史にある「材料と対話をしそれをモノにするための対話の通訳者になってくれるのが道具である」というのがモチーフ。

その「まちのえんがわ」は、あの3.11というデキゴトがなければ、誕生しなかった訳で、そのいきさつの一部は、ブログ「穀雨」にあるのだけれど、あの日までは、10年ほど沸々と暖めていた木村工務店の路面店としてのアイデアが、いまひとつ形になりきれず、実現出来る状況ではなかった。

それが、3.11から1ヶ月ほど経過したある月曜日に、温熱環境と1985アクションを主催する野池さんによる野池学校があって、その後の懇親会の居酒屋での事だった。3.11の時に、もし、「まちのえんがわ」のような機能とコミュニケーションの場があると、勿論、その時は「まちのえんがわ」という名前がうまれていなかったけれど、そういう何かが、工務店の機能の拡張としてあれば、どうなっていたのだろうか、何かの役目を担えるのだろうか?という、酒宴の軽いのりと、でも大真面目な話題だった。「私」から皆に、そんなのを作ってみたいと云えると、それは会社の「縁側」みたいなものやね。という返しがあって、宴席が、あーだこーだと盛り上がった。そして、翌日に、ノイケさんからメールで送られてきたのが、こんな写真だった。
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セミナーの後の懇親会という、どちらかといえば、縁側的コミュニケーションに近い居酒屋での会話で、3.11というデキゴトを話題にしながら、曖昧で漠然としたコミュニケーションを通じて生み出されたのが「まちのえんがわ」だともいえる。もちろん、このコトバのおかけで、それまで、曖昧としいたものが、「ひとつの形」になり始めた。

今、3.11があったその週の日曜日に書いたブログ「粛々」を読み返した。あの3.11からの一年間を振り返ってみると、ちょうど、昨日の3.10に催された、安全祈願祭という神事と、最近は使うのに少々の気恥ずかしささえ伴う「絆」というコトバが似合いそうな「ものづくりの仲間」たちとの宴会によって締めくくられたのだなぁ・・・・・。

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木村貴一 2012-03-11T23:59:00+09:00
LIVE! http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/03/post_386.html DSC08328
まちのえんがわ」主催で、谷口智則さんという絵本作家にによるモビール製作とライブペインティングというワークショップを木村工務店の加工場で催す。そのライブペインティングでは、普段は自転車置き場となっている壁に、絵を描く事になっていた。この壁に向かって大工さんが砥石でノミやカンナを研ぐ壁でもあって、何よりも、大工さんや手伝いさんや現場監督や、どちらかといえば、この絵本のような絵とは、全く「縁」のない職人気質な人たちが、毎日通過する壁だった。

DSC08187DSC08192その壁に向かうタニグチさん。それを見守る観客。両親に連れられた子供さん達が目を輝かせて最前列で見入る。その子供さんひとりひとりから動物の名前が飛び出す。トラ!ゾウ!キリン!サル!リュウ!サイ!親子のリス!イルカ!クジラ!タコ!テラノザウルス!などなど、尽きることなく連呼する子供達。その名前を聞いて即興で書き始めるタニグチさん。「見事!」なのだ。

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DSC0824550匹近い動物やサンタやピノキオが黒の線画で描かれた。山があり、海があり、空があり、動物たちが窓から顔を出す家がある。拍手が起こる。勿論、色付けをする予定だったが、もう4時を過ぎていたので、サイン会をする時間的な余裕がなくなっていた。それで、一端、作業を止めて、絵本を買った人たちにサイン会をする。その後、子供達と、この絵の前で記念撮影をして帰る笑顔のファミリー・・・・・。

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暫くして、数人しか残っていない、例の壁に、再び向かって、色を付け始めるタニグチさん。色に誤魔化されない、リアルなデザイン性としての白黒。光と影としての白黒。そんな白黒の世界からカラーの世界へと。そのフルカラーに変貌していく過程を背後から見守り続けると、色が、動物一匹一匹に、息吹を吹きかけ、命を宿すように見えてくる。山や海や家々に生命の気配が宿る瞬間でもあった。

近所からワークショップに参加した何人かの人たちが、家に帰って夕食を食べ終わり、色が付いた状態を見るために、この場所に戻ってきた。そして、誰もが「うゎーっ」というため息をもらす。きっと「生命の気配」を感じるのだなぁ。そのうちのひとりは、落ち込んだり元気がない時は、この絵を見に来ます・・・・と。

月曜日の朝。突然出現したこの絵を見た職人さん達は、どんなリアクションをしてくれるのだろうか・・・・。いままで、こんな絵と全く「縁」のなかった人たちに、この絵が、どんな「縁」をもたらすのだろうか・・・・。

PS
そうそう、昨日の土曜日、住宅風呂巡礼第4回撮影が、大阪茨城の建築家、橋本健二さんの自邸で催された。ちなみに橋本さんは、最近の高島屋にある吉兆を設計したひとでもある。こちらも「まちのえんがわ」プロデュースなのだけれど、今日の雰囲気とは全く異にする、かなり常軌を逸したムードだった。コドモ向けの世界とオトナ向けの世界との違い。とでも表現すれば良いのだろうか・・・。土曜日と日曜日にたて続けに起こった、この二つの出来事に共通するコトは、「モノづくり」と「LIVE!」なデキゴト。なのだ・・・・。

Making of 住宅風呂巡礼・大阪茨城・橋本邸編

主演:温泉ソムリエぐっち
助演:橋本健二(建築家)ギター生演奏
撮影:多田ユウコ
演出:矢部達也
企画:木村貴一
協力:加藤博久
観客:矢部夫人・加藤夫人
制作:まちのえんがわ
special thanks:橋本健二邸

このビデオ撮影は「私」。

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木村貴一 2012-03-04T23:59:00+09:00
好気密好断熱好すすきの http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/02/post_385.html IMG_2851

北海道に行く。仕事の関係で、北海道に行くのは初体験。北海道の住宅資材商社の株式会社「キムラ」の大阪営業担当、サトウさんからのお誘いがあって、北海道ホームビルダーズショーと北海道の断熱住宅を見て回る、いわゆる視察旅行。木村工務店の木村として、ブログ上では、「キムラ」と発音し、その北海道の住宅資材商社が「キムラ」さんで、いや、実にややこしい、うちの「キムラ」とそちらの「キムラ」さんとの関係性。

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23日朝、雨の関空から雲海を飛行して、千歳に着くと雪が降っていて、北国にきたのだ。と五感で体感する。北翔クロテックというドームで開かれている建材ショーを見る。大阪でもほとんど、こういうショーには行ったことがなく、興味がそそられるわけでもないのだが、それを北海道で、わざわざ見るというのも、かなり馬鹿げた事で、でもまぁ、そんな馬鹿みたいな事が、嫌いなわけではなく、いわゆるちょっと「いちびり」な旅。

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かつては、馬の品評会が催されたドームらしい。そこに金物や建材などのブースが所狭しと並べてあって、その中の札幌版次世代省エネ基準を説明するコーナーに案内されて説明を受ける。Q値がミニマムレベルで1.5以下、トップランナー基準では0.5以下の木造住宅を造るというのが札幌の提案らしい。関西ではQ値が2.7以下が次世代の基準で、2.0以下を目指しましょうよ。というレベルなので、札幌はとんでもないハイスペックな数値。それが良いのかどうかは疑問だが、気密断熱先進国であることは確かなようだ。

そのコーナーに、温熱環境のスターでもある、南雄三さんが偶然来て、それに北海道キムラの会長さんもやって来て、温熱談義がはじまる。「高気密高断熱」というコトバが持つ、苦しそうなイメージの誤解を解くために「好気密好断熱」というコトバを使えばどうだろうか・・・などなど。断熱気密先進国北海道ならではの談義だった。

それよりも、Q値なんていう一般の人にはわかりにくい数値は、それはそれで良しとして、関西に住む「私」たちにとっては、冬は、暖房をした室が22度になれば、暖房のない便所や洗面所は何度になるのですか。15度ですか。10度ですか。それ以下ですか。例えば、冬の夜の便所が15度になるためには、どんな好気密好断熱のスペックにすれば良いのですか?その時、部屋の結露は大丈夫ですか?部屋の換気はどうすれば良いですか?壁内結露は発生しませんか?そして、そのための気密の施工はどうすれば良いのですか。断熱材の種類と施工はどうすれば良いのですか。なんていう疑問に対する経験値の積み重ねと、その答えが、北海道の気密断熱技術にはありそうだった。

夜。その南雄三さんを交えた北海道と東北の工務店の人たちとの食事会があって、断熱気密後進国の関西としてはどうすれば良いのですかと皆さんに問うと、関西では、断熱材のスペックより、「気密」をきっちりする事だねぇ。という野次が飛んでくるのだった。

翌日、30年前に建築された旧荒谷邸を見学する。この荒谷邸というのは、ブロック造に外断熱を施した外壁が板貼りで100坪の住宅。手作り木製建具のトリプル硝子仕様で、太陽エネルギーを窓から取り入れるパッシブハウスでもあり、ブロックやコンクリートの床に蓄熱される。そこで、南雄三さんを含めた数人とで、現在の住人で、荒谷先生の弟子でもある、イラン人のタギさんから、濃密度な説明を受ける。驚いた事は、部屋の中は23度で、南面中面北面もブロックの表面温度が23度で、心地良く快適な部屋で、住人の奥さんは半袖のTシャツだった。また、そのためのエネルギー消費の少なさも驚きだった。

何よりも植物のグリーンが美しく生き生きとしている姿に驚かされる。それは一年をとおして快適な室内環境が維持されている、何よりもの証なのだろう。30年も前に、日本人が、世界に先駆けて、快適で心地良い温熱環境のパッシブハウスを完成させるべく積み重ねてきた努力。そして、その努力に注視しなかった、建築界や「私」・・・・。

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↑ 南国の「はまゆう」がとっても生き生きと緑緑している姿に驚く。
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そうそう、雪の「すすきの」を案内してもらったのだ。そこで、札幌の最後の締めは、ジンギスカンとラーメンなのだ。さぁ、一緒に行きましょうよ。と誘われて、深夜1時すぎに食べるジンギスカンの味。それが、意外に食べられるし、美味。そのうえ、野菜が甘くて美味しいかった。深夜なのに途切れることなくジンギスカンを食べにくるお客さんたち。

この北海道旅行で、驚いた出来事は、北海道の高気密高断熱のレベルの高さ。旧荒谷邸という30年も前に快適な温熱環境を造るためのコツコツとした努力と進取の気性。それと雪のすすきのの独特のエエムードと深夜のジンギスカンなのだった・・・・・・。

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木村貴一 2012-02-26T23:59:00+09:00
ものづくりの姿勢 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/02/post_384.html DSC07038DSC07012
木村工務店の加工場に午前9時すぎに行く。今日は、銅板レリーフ製作と板金ワークショップを催す日で、それを、1階にある加工場で、午後、13時30分すぎから、開始するコトになっていた。この加工場には、かつては、木工の機械が、ぎっしりとぎゅうぎゅう詰めにあって、特に、帯鋸といわれる、丸太を真っ二つに切る大型機械にレールと台車があって、林産地にある製材工場と全く同じ機械が、この都会の下町の中にあった。

小さい頃は、その帯鋸やプレナーなどの機械で削られた大量の「おが屑」の中に潜り込んで、よく遊んだものだ。数十年前、いわゆる「合理的」な時代という「変化」がやってきて、工務店の世界も、木材を大工さんが手で加工する時代から、プレカット加工と呼ばれる大型機械加工という「合理化」の時代がはじまった。

そういう時代の変化と共に、創業者で、大工だった祖父が他界した事もあって、おもいきって、全ての機械を処分したのが、15年ほど前の事だった。そして、木材の加工場から加工ができる「スペース」に生まれ変わり、とは言っても結局は、軽トラックの駐車場と材料置き場になっているにすぎなかった。それが良かったのかどうか・・・・。

転機は、地元の清見原神社の増築工事のために、うちの大工にとっての棟梁の中の棟梁とよばれている沖大工が、この加工場で、一年かけて、吉野檜を手加工し、一年かけて現場作業をして、神社を造った、その姿に接した事だった。その過程で、オキさんから、「ものづくりの姿勢」というものを学んだ。
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「手加工」という合理的でないものの中に、潜む何か・・・。機械とは違う道具の世界。沖棟梁に敬意を表する若い大工達が、手加工を望むようになった。それと共に、処分した機械の中で、角だしプレナ-は、残すべきだったのかも。という後悔が湧いてきて、廃業する材木屋さんから、新型のプレナーを買った。そんなこんなで、再び、一年に何度か、手刻みで、木材加工するようになり、駐車場と資材置き場から、ちゃんとした「加工場」としての「空気」を取り戻し始めた・・・。

その「加工場」で、プロフェッショナルとしては、木材を手加工したい。一般の人たちには、ものづくりのワークショップを通じて、材料とのコミュニケーションを提供したい。そして、何よりも皆で、「ものづくりの姿勢」を共有したい。それが、「まちのえんがわ」でプロデュースする、木村工務店ワークショップの基本姿勢なのだろう・・・・。

DSC06963そうそう、板金ワークショップの準備のために、午前9時すぎに、加工場に行ったのだ。人気のない加工場に暖をとるために、竈に火を付ける。それと、昨日に急ごしらえした、パワーポイントを表示するためのプロジェクターの準備作業。

暫くすると、スタッフのアオキさんもやってきて、あれやこれやと準備しているうちに、あっという間に、午後1時頃になり、参加者がボチボチやってきて、銅板レリーフ製作のワークショップがはじまる。が、その参加者の真剣で楽しげな空気に少々驚くとともに、嬉しい気分も舞い降りてきたのだ。そこには、ともすれば、プロフェッショナルな職人が置き去りにしてしまった、材料に愛情を注ぎながら、道具を使って、真剣に一生懸命造るという、「ものづくりの姿勢」があった。

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午後3時の休憩を利用して、板金の職人さん達が、ガルバニウム鋼板を使って、実際の屋根葺きのデモンストレーションをやってくれる。プロの職人の技術や材料の事を一般の人に、いかに分かり易く説明するのかが、今、プロフェッショナルとして、問われているコトなのかもしれない。そんな訳で、心木ありの瓦棒葺きや心木なしの瓦棒葺き、一文字葺きなど、唐草や吊子や棟包みの説明も交えて実演する。

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そんなこんなで、銅板を薬品で洗い流す作業をし、額にも入って、銅板レリーフ製作は、全員無事に完成し、皆で記念撮影をしたりしながら、ものづくりの「楽しさ」と「不完全」さを共有して、終了する。その後の職人さんとの懇親会も終えて、いま、このブログを書く「私」。そして、こんなコトバがふと脳裏をよぎった。「まちのえんがわ」に何度も立ち寄ってくれる近所のスヤさんのコトバで、「まちのえんがわ」で催すワークショップは、「まちの縁日」とちゃいますか・・・と。

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そんな訳で、「まちの縁日」で、一緒に遊んだ皆さんに、とっても感謝です。

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木村貴一 2012-02-19T23:56:13+09:00
穏やかな日曜日。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/02/post_383.html 午後4時をすぎ、午後5時頃になって、日が傾きだして、テレビ番組の「笑点」がはじまり、座布団一枚という、関東的な笑いで、上品に笑う。日が暮れて「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」の家庭的な笑いでクスッと笑い、その微妙な笑いのセンスで、ビミョウに笑っているうちに、何となく、明日の仕事のコトが気になりだし、それで、少々、「鬱」な気分が、じわ~っとやってくる。特に、穏やかな日曜日に限ってそうで、このまま日が暮れることがなく、明日も、穏やかな日曜日が続いて、もうちょっと、いや、もっと、もっと休みたい・・・・。

そんな日曜日が、社会人になってから味わうようになり、特に30代や40代の頃には、夕方にやってくる「鬱」な気分を振り払うかのように、朝早くから夜遅くまでどこかに出かけて、とことん遊びきって、その夕方に味わう微妙な「鬱」から逃れようとした。のかも。と、いま、思う。穏やかで、家庭的で、自分のライフスタイルをゆったりと楽しむ日曜日であればあるほど、夕方に、やってくる、あの微妙な感情。皆さんは、そんなコトないですか・・・・。

今日は、冬にしては穏やかな日和。先週に引き続き、次男とランニングする。走り出してすぐに、どんどん距離が離れて、遙か彼方に行ってしまい、ほとんど独りで走るのと同じ状況で、それで、内面に押し寄せるハッキリとした感情は、圧倒的な体力の違いに、くやしがる私。それでも、やっぱり、ランニング後の爽快感は、とっても魅力的。

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家に帰りつくと、妙なタオルが置いてあって、これ、どうしたのぉ。と聞くと、次男の誕生日に、同級生の友達二人がプレゼントしてくれたのだという。中3らしい、「いちびった」プレゼントに、微笑ましくおもいながら、きっと、これ、買うとき、恥ずかしかったやろうな。と聞くと、そうそう、なんか、二人でレジにいきながら、これキムラのプレゼントやからなぁ。と会話しながら買ったらしいでぇ・・・と。冬の朝の穏やかな日差しを感じながらその光景を思い浮かべてほくそ笑む。

ランニング後の爽快な気分と、中学生らしい光景を想像したコトと、冬の穏やかな日和と、予定が全くない日曜日がシンクロしたコトもあって、朝10時頃、「まちのえんがわ」に立ち寄る。土曜日と日曜日と祝日と月曜日はスタッフのアオキさんが常駐してくれている。二日前に店の前に植木鉢を並べて、その「緑力」のお陰で、なんとなくウキウキした気分になれるコトも後押しして、ダウンジャケットを着込んで、日向ぼっこをしながら雑誌を眺める、そんな穏やかな日曜日。

IMG_2809401546_155735257876347_100003196225589_216397_1507540887_nそうそう、その植木鉢の中に、段々畑風の鉢があって、家谷植景研究所の家谷さんがデザインし、うちの手伝い職人さんが現場の廃材で、製作し、それに、うちの協力業者の海平造園の息子さんが植栽を選んで植え込んだ、「まちのえんがわ」的連携による作品で、道行く人が立ち止まって、興味を示して、聞いてくるそうだ。そんな話を聞くと、「まちのえんがわ」の道路の家々の前に、この段々畑風の鉢がおかれた「まちの千枚田」を想像してみる・・・・。

そういえば、来週の19日の日曜日からは、本格的に木村工務店ワークショップを催す予定で、まず、その第一弾が、板金ワークショップ、その次が、絵本ワークショップ、そして「縁側植栽学」として、こんな段々畑風植栽をつくる予定で、それから、ステンド硝子のワークショップへと続く・・・・。

松村貞治郎著の「大工道具の歴史」には、「材料と対話をし、それをモノにするための、その対話の通訳者になってくれるのが道具である」とあって、参加者が、板金や植栽や硝子などなど、様々な材料とコミュニケーションが出来る、そのきっかけとして、木村工務店ワークショップがなれたら良いのになぁ・・・・と願う。

昼からは、家で、ゴロゴロ。ちょっと、昼寝。そしたらしばらくすると、ご近所のお食事処の「遊びな」さんが、近くのカフェohanaさんの女性オーナと、そのお友達を連れて、「まちのえんがわ」にお越しになって、皆で、とりとめのない、縁側的コミュニケーションを楽しんだ。

そんなこんなで、何となく、久しぶりに、穏やかな日曜日だったのだ。それで、やっぱり、夕方近くになると、あの微妙な感覚がやってくるのだった・・・・。まぁ、それでも、やっぱり、穏やかな日曜日がエエ。「ハウスよりホーム」を味わえる穏やかな日曜日。その魅力。その味わい。そんなマイホームでの穏やかな日曜日を味わいたいがために、家をリフォームし、新築し、自分のライフスタイルを楽しむ家を造ろうとするのだろうか・・・・。

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木村貴一 2012-02-12T23:24:24+09:00
オトナの遠足 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/02/post_382.html 土曜日の夜のコト。お父さん、明日の日曜日、走るのぉ、と中3の次男が聞いてくる。もちろん、走るでぇ。と言いながらも、ちょっとした迷いがあって、それはつまり、今日のこの日曜日は、「住宅風呂巡礼」という、かなり真面目だけれど、ちょっとふざけた、お遊びを企画していて、それで、福井まで遠征に行くことになっていた。その出発が午前9時。福井まで運転もするつもりだったので、午前6時頃に起きて10Km走って、お風呂に入って、それから、福井までの250Kmを運転して・・というのも、少々ハードな気がしたが、めったに次男からそんなふうに声がかかる事もないので、ちょっい見栄を張った。

朝6時すぎ、次男と一緒にランニングをする。生野区の小路から大阪城を半周し、帰路の6kmを過ぎたあたりで、次男が、ペースをあげるわ。じゃぁ。といって、軽々と「私」を抜き去って、あっという間にその姿が見えなくなった。こうなると、一気に疲れのようなものがどっと出て、体が急に重くなり、しんどいなぁ。と「私」のなかの「誰か」が呟きだした。ひとの心理というのは、オモロイなぁと走りながら苦笑する。家に帰り着くと、次男はすでにお風呂に入って余裕の様子だった。ちくしょう。という気持ちと、何だかちょっと嬉しい気持ちとの共存状態。

午前9時すぎ、その住宅風呂巡礼・福井編のメンバーが三々五々、うちの家に集まる。木村工務店のお施主さんでもある、コトバノイエのカトウさんがサーブに乗って現れた。主演の温泉ソムリエグッチさんと写真家の多田ユウコさんが撮影機材を積んだ車に一緒に乗り合わせてやってくる。設計の矢部達也さんと奥さんが電車でやってきた。うちのダイニングで皆で一緒に珈琲を飲んだあと、車で福井に向かう。6人のオトナが、1台の車に乗り合わせて、それは、まるで、オトナの遠足なのだ。

住宅風呂巡礼というのは、温泉ソムリエぐっちと名乗る、不思議な人物がいなければ成立しない巡礼で、もともと彼は、温泉ソムリエとして、各地の温泉を巡って、その入浴シーンを自分撮りしていた。その彼と木村家本舗で知り合って、温泉だけではなく、有名無名住宅のお風呂に入浴するシーンを撮影しようよぉ。と何気なく声をかけると、はい、やりましょぉ。と、いとも気軽に返事がかえってきた。

いわゆる、今まで経験したことはないれど、なんか、ちょっとオモロそうな事を、お金にもな~んにもならない事だけれど、兎に角、大まじめにそれをやってみりゃぁ、どないかなるやろぉ。という感覚なのだろう。そういうのを大阪弁では「いちびり」な精神というのか。そういう、ちょっとした遊び心を持つ、お調子者(いちびり)のぐっちさんがいての住宅風呂巡礼。

それに、若き女性写真家の多田ユウコさんが、そういう「いちびり」に相乗りしてくれて、そのうえ建築家のヤベさんが、大まじめなお遊びとして、進路と方向が間違わないように、手綱を握ってくれるコトになる。そのうえのうえに、オーディエンス件、ご意見番として、コトバノイエのカトウさんも意識的に「いちびり」になってくれた。

そんなこんなで、第一回はうちの家。第二回はヤベさん自邸。そして、今日の第三回は、ヤベさん設計で竣工して間もない福井の家にお邪魔するコトになった。うちの奥方をして、皆、あほちゃう!福井まで、そんなコトしに行くのぉ!と、住宅風呂巡礼者として、いちびり者として、有難きお褒めのコトバまで頂戴した、福井へのオトナの遠足・・・・。

午後12時すぎ、雪の福井に到着。ヤベさんのお薦めとコーディネートで、まずは福井の永平寺町にある「けんぞう」という蕎麦屋さんで腹ごしらえ。旅で、地元の美味しいものを食べるというのは、旅の楽しみのひとつで、これを地産地消と呼ぶのだろうか・・・。

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午後13時すぎ、その蕎麦屋さんからすぐ近くの福井の家に到着し、住宅風呂巡礼の撮影を開始する。その撮影風景を、住まい手のご家族が、笑い声と共に、一緒に楽しんでくれた姿が、住宅風呂巡礼者にとっての一番の喜び事なのかもしれない・・・。

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午後15時まえ撮影を無事終了する。撮影の様子は、「まちのえんがわ」での掲載に譲るとして、撮影終了後は、福井の家のご家族から、「へしこ」や「ぜんまい」やなどなど、手料理をご馳走になった。私の今までの旅では、たんなる旅行者として、食事処で、食事をするのが通常だったが、地元の家庭料理を地元の家庭で、その家族と一緒に食べられるというのは、住宅風呂巡礼冥利につきる事だなぁ。とあらためて、感謝の気持ち。

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DSC06432午後18時30分、話がはずんで、少々長居しすぎた感じ、さて、そろそろ、大阪に帰らなくてはと、ようやく福井を出発した。もうすっかり日が暮れて、月が出ていた。通過する福井の街には除雪の雪が積もっていて、閉店間際の福井駅のお土産物屋さんに立ち寄って、「ソースかつのたれ」とトマトドレッシング「越のルビー」を手に入れたのも、旅の基本ってとこだなぁ・・・・。

午後10時すぎ、大阪に到着し、皆で、旅の無事と喜びを分かち合って解散した。そして、日曜日に書く事に自分で決めている、このブログを書く、いまとここ。ということで、ランニングという家族の事情やブログを書くという仕事の事情などなど、遠足の前後に、あれやこれやと、絡みついてくるところが、オトナの遠足の醍醐味なのだろうか・・・・・・。

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木村貴一 2012-02-05T23:59:00+09:00
音タク(オタク) http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/01/post_381.html 自分の好みの5曲の音楽を人に聞かせて、その聞いた音楽を何の客観性もなく、cameraroll-1327848607.624932まったくもって自分の趣味だけに基づいて10点満点で採点し、その結果を争い会うというのは、確かに、悪趣味で、なのに、それを「音宴」と称して、性懲りもなく、3回目として催すコトになったのが、先週の日曜日のお餅つきの後の出来事だった。

それは、自分の趣味を人に採点されたくないわ。という、至極当たり前の気持ちであるはずのに、その採点結果が発表されて、思いの外、自分の選択した曲の評価が低いと、俺の趣味など、解ってたまるかぁ。あいつら、音楽解ってへん。というような、妙に悔しい気持ちが湧き起こり、自分の選曲ミスを後悔しながらも、自分の音楽趣味に対する評価の低さに、憤りのようなものが沸々と湧いてきて、その事が、自分の中の小さな小さなプライドのようなもに傷がつき、それゆえに、妙な感情が尾を引いて残るのが、とっても不思議。

だったら、そんな悪趣味な、点数を付けて争うような音宴をしなければ良いのだが、他の人が一生懸命チョイスした5曲を聴くのは、ほんとうに楽しくて、意外な発見や、新たな音楽との出会いもあって、それに、あらためて、自分が好む曲が何なのかが理解できて、それ故に、自分の偏った嗜好性も発見し、また、高校生や大学生の頃に聴いた、スタンダードなエエ曲がかかると、かつての若かりし頃に聴いたその曲とその当時の思い出に対する高評価と感謝のような気持ちが湧いてきて、高得点を入れる。

いや、実は、そんな感情的問題や論理的問題そのものより、その時間、その音楽に対して、真っ正面に向き合って、一生懸命に聴く、というその行為が、五感を刺激するとっても心地良い個人的体験があり、それに、その体験を数人で共有するという、妙な音楽共有体験が生まれて、それが、この音宴の楽しさの本質ではないのかとおもう。結局のところ点数を付けるのは、この遊びを大まじめに取り組むための、方便にすぎないのでないのかと・・・・。

第一回目のメンバーによる音宴では、点数としては「私」が最高点であったので、妙なな満足感が生じ、第二回目音宴は、第一回目とはまた別のメンバーによって催されて、そこでは、コトバノイエのカトウさんが最高点で、それ故に、この回は、「私」の中には、妙な感情が暫くの間、ぐずぐずと引きずっていた。今回の第三回目は、第一回目のメンバーによる音宴で、特に、感情的違和感を抱いていた、第一回メンバーによるリベンジ力が、沸々と煮えたぎっていて、ところが、もともとは、東北の震災前後に開くコトになっていたのだが、あの震災の突発によって、延び延びになっていた事も沸々力に拍車がかかっていたとおもう。

それ故に、どのメンバーの選曲にも、その人なりの真剣さが、ひしひしと伝わって、かなりの聴き応えがあって、今回は設計のマイタニさんが、プログレッシブロックによる5曲を選曲し、最高点を獲得したのだけれど、なんと言っても、今回の参加メンバーのひとり、Uさんが、リベンジを果たすために、数日前から、沸々とした日々を過ごし、前日には、家で音楽をかけながら、奥さんに、これ、どう、エエ曲やろ。といろいろと確かめながら大きな音でかけ続けたために、同居する母親に、音が大き過ぎる。うるさい!と、窘められたそうだ。もはやそれは、40も後半にさしかかった、大人であるコトを忘れた、ほとんど高校生のような心理状態だったのだろう・・・。

それに、前日は、ほとんど寝ることなく選曲し、当日は、自分が愛用するレコード針まで持ち込んでやって来るという、気合いの入れようで、その上に、遊びというものの、何とか評価されたい、とする気持ちが、かなり強かったのだろうか、渾身の5曲をかけ終わり、ほっとし、最終のDJを勤めるマイタニさんのプログレッシブロックを聴いているうちに、暖炉の横で、熟睡をする姿が・・・・・。

一週間たった今、振り返ってみても少々滑稽な姿は、他の人が「一生懸命チョイス」した曲を聴かずに寝るとは何たる事かという、憤りのようなものを、「私」も含めた残りのメンバー全員が、その時その場で、少々だけれど感じていた事で、もちろん、大人の単なる遊びであるが故に、咎める訳もなく、それは、アカンでぇ・・・とう程度の嗜めと、翌日にUさん本人から謝罪メールのようなものもあって、この音宴に対する、「私」も含めた、メンバー間の妙な真剣さが、やっぱり滑稽と云えば滑稽。

こんな音宴の何が、人を真剣にさすのか?きっとこれがオタクの心境というやつだなぁ。

PS
ちなみに、今回の「私」のチョイスをカミングアウトすると
テーマはマイルスにおける変化するコトと変化しないモノ
1曲目 マイルス : Cookin’         : My Funny Valentine
2曲目 マイルス : Kind of Blue     :So What
3曲目 マイルス : Four&More      :So What
4曲目 マイルス : in a Silent Way :Shhh/Peaceful
5曲目 マイルス : We want Miles  :Jean Pierre
マイルスの「Nefertiti」を入れたかったのだなぁという迷いがずっとあって、今振り返ってみても、そのコトが、面白い心理状態だったなぁ・・・・。とおもう。

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木村貴一 2012-01-29T23:59:00+09:00
お餅つきと日本的文化 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/01/post_380.html 朝、目が覚めると、午前9時を回っていた。何だか、腰が重たい。それに、ちょっと痛い。なぜなのか一瞬思い出せなかったが、そうそう、昨日、会社でお餅つき大会をして、「私」にしては、それなりに、かなりのお餅をついて、杵を振り上げては降ろし振り上げては降ろしと、けっこう楽しんだのだ。それが原因だなぁ。布団から起きて立つと、太ももにも張りがある。日曜日の朝の午前6時頃からのランニングのコトなど、問題外の状況で、走る気などまるでなかった。

そういえば、もともと社員の家族が集まって、うちの庭で始めたお餅つきも、社員の家族だけでなく、OBのお施主さんで、小さな子供さんがいらっしゃる方を中心にして来てもらうようになり、雨天の事なども考慮して、会社の加工場で催すようになった。昨年は、現場監督のナカタさんの突然の訃報で、急遽お餅つきを中止したし、それにあの震災もあって、日本国内もうちの会社も不穏な2011年だったとおもう。

心機一転。
Go Ahead 2012。

昨年の暮れに、「まちのえんがわ」という路面店をオープンしたこコトもあり、このお餅つきも、「まちのえんがわ」プロジェクトの一環として、また、これから始めていく「ワークショップ」の景気づけの役目も担いながら、なによりも、お餅つきという日本的要素をたっぷりと含んだ文化というものの継承と伝達のためにも続けていこうとおもう。

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DSC05688お餅をつくまでの、いわゆる面倒くさい準備があって、これが、ものづくりのプロセスと同じく、これも面白いのだ。とおもえる中年がいなければ、成り立たないのがお餅つきだとおもう。お餅をつくための杵や臼だけでなく、おDSC05686米を蒸すための道具やお餅を丸めるための道具立てなどなど、うちは昔ながら、竈でお湯を沸かし、竈で蒸すので、そのために建築廃材を薪として使うこともあって、それらの段取りも中高年がする・・・。

そうそう、竈の「火」の側は人気の場所で、火を燃やし、火を見て、火の熱さや臭いを感じる。という行為の中には、不思議と癒される何かがあって、その側には何人かがたむろし、何気ないコミュニケーションが発生する。竈で火を燃やすというのは、お餅つきでの何よりもの楽しみのひとつだなぁ・・・・。

今朝、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんと顔を合わすと、社長、昨日、元気ですね。お餅、ちょっと、つきすぎですよ。きっと明日は足腰パンパンになってますよ。と、皆で話していたんですよね。と云われる。いや、全くそのとおり、少々パンパン、少々腰痛し、とカミングアウト。まぁ、でも、よくよく考えて見れば、今までは、何人かの年寄りの先輩達にお餅つきを指導をしてもらっていたが、今年からは、若手が積極的にお餅をつくようになって、賑やかで、威勢が良くて、活力があって、楽しかった。きっと若い人たちから元気をもらったのだとおもう。ありがとう!

そう考えて見ると、活力そのものが、お餅をつくるためのエネルギー源であって、活気が、杵と臼の間に挟まれた餅米をお餅に変容させるわけで、そうやってついたお餅には、活力パワーが宿っているのだ。と信じてみようかとおもう。いや、確かに、今朝食べたお餅は、特別美味しかったような気がするのだ・・・・。

基本的には男子がお餅をついて女子がお餅を丸めるわけで、そういう協同作業の中にも、日本的文化の何かを垣間見る。何人もの家族がお子さんと一緒にお餅をついた光景は、確かに微笑ましかったし、そういえば、現場監督のモリタくんの奥さんがお餅をつき、それを見守る娘さんが、DSC05874お母さんに「頑張って!頑張って!」と声援を送りだし、それを笑顔で見守るお父さんと周囲のひと達。加工場中に、なんとも言えない暖かいムードが漂う瞬間でもあった。「子供力」だなぁ・・・・。それで、これ以降、皆がこれを真似て、おっさん声の「頑張って頑張って」コールが加工場内に響き渡る。

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それにしても、何よりもお餅つきで面倒なのが後片付けという作業で、しかしながら、ものづくりのプロセスでは、必ず必要で、また一番大切なコトのひとつ。この面倒くささを軽快に乗り越えられるのがどうかが、お餅というものづくりを継続するコツなのだろう・・・。幸いにも、社員とその家族の皆さんが後片付けを気持ち良く手伝ってくれて、心地良く2012年のお餅つきを終えるコトが出来たのも、とっても嬉しい出来事だった。

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ちょっと面倒で、それゆえに独特の楽しさがある、「ものづくり」と「そのプロセス」。その一端を知り、学び、遊ぶ場としてのお餅つき。参加して頂いた、まさしく、老若男女の皆々様に感謝すると共に、お餅つきという日本的文化にも感謝しておこうかとおもう。

PS
このお餅つきのあと、「音宴」という温熱のノイケさんを中心とした仲間でのお遊びが、木村家本舗であって、それが深夜まで続いたのが、朝、起きられなかった原因だな・・・。その様子は、また何時か。

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木村貴一 2012-01-22T23:58:40+09:00
写真力 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/01/post_379.html IMG_2748IMG_2733土曜日。夕方、小路から神戸元町まで電車で行く。近鉄線が阪神線と合流し、奈良から三宮まで直通で繋がったと聞いていたけれど、乗車したことがなかった。それで、鶴橋から近鉄線に乗り、阪神線に繋がるのをへぇーっほぉーと、ちょっとした嬉しがり気分で、電車に乗る。何がオモロイのか理解できないけれど、電車に乗るだけで楽しい時が、確かにある。

昨年、木村家本舗で女性3人の写真展を開いて、写真展というものに全く興味がなかった「私」というこの存在が、コトバノイエのカトウさんの企画と、それを受けて、写真家のノモトヒロヒトさんのディレクションによって、3人の女性写真家が選ばれて、その数々の写真を見て、少しは写真に興味がもてるようになった。
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その3人のうちのひとり、この上の女性の写真を撮った山元彩香さんの写真展が元町であって、それを見に行くための電車乗りだった。彼女は20代の女性で、リトアニアまでひとりで出かけて、森で、女性の写真を撮るのだと。会うと、ほんとうに普通のカワイラシイ女の子なのに。何が彼女をそうさせるのか、不思議な感じ・・・・。

「写真を買って家に飾る」なんていうライフスタイルを考えたことがなく。山元彩香さんから、家に飾ってよぉ。と云われても、それが、そのぉ、見ず知らずの女性が、うちのダイニングの壁に飾られて、食事しながらそれを見ていると、その子の人生を考えるやん。とぼけてみる。寝る前に、ダイニングの電気消したときに、その写真から、出てきたりせぇへん。と突っ込んだりする。そんな事ないです。今度写真持って行きますから飾って下さい。と云うのだが、果たして、「写真家の写真があるLIFE」とはいかなるものなのか・・。

何て云う話を元町の中華料理屋さんで、木村家本舗の写真展をディレクションしてくれたノモトヒロヒトさんも交えて、ほとんどが30歳までの若い男女15人ほどが、中華の廻る円卓を囲みながらワイワイガヤガヤ。「私」は飛び抜けて最年長。それで、冒頭の写真が、そのノモトさんの写真。「LIFE」というシリーズ。ブルーのダウンを着ているのがノモト氏。握手をしている女性がヤマモトアヤカ氏。

それにしても、あの震災を真っ正面から撮影した建物のファサードはとってもインパクトのある写真だとおもう。昨年の夏に気仙沼に行った経験の中で、確かに、建築好きな「私」という存在の一部に棲息している私の中の誰かが、ファサード、撮りたい。真っ正面から撮りたい。と呟いていたが、周辺に漂う「沈黙」によって、堂々と写真を撮れる勇気、いやいや、勇気と云うよりも、その行為によって畏敬の念を失うコトへの震えなのだろう、道で、写真を撮ることなど全く出来なかった。ノモトさんは、おそらく、心の中に去来する、もっと様々な葛藤の中で、ファサードを真っ正面から、ある意味、堂々と、客観的に、撮ったのだろう・・・・。

IMG_2738円卓のテーブルから、チンジャオロースや、ハルマキや、スブタや、ギョウザや、などなど、けっこう美味しかった中華をぐるぐる回して取りながら、そんなコトを問いかけてみる。すると。実は、この写真を発表するにあたって、住まわれている人、一軒一軒を尋ねて、許可をもらいに行ったのだという。もう今は、完全に撤去されて跡形もなくなってしまった、冒頭の写真のファサードの持ち主は、おじいさんが造った建物なのだと、涙を流して、喜んで、許可してくれた・・・・と。 ノモトヒロヒト写真展LIFEのページを一読してみて下さい。

写真力か・・・。

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木村貴一 2012-01-15T23:06:04+09:00
天狗倒し http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/01/post_378.html 1月3日。京都と兵庫県の県境にある日本海に面した久美浜で、カニづくしの料理を食べて満腹感になり、その上その日は、ハチ北高原スキー場でスキーをして、足腰がパンパンな状態で、夜の9時過ぎに布団に入ると、あっという間に寝むりに落ちた。家族4人ともがほぼ同じような感じ。

ま夜中。勿論、真っ暗闇。和風旅館の12畳の間に4枚の布団が並べられていて、家族4人が枕を並べて寝ていた。こんな寝方をした事って、何時以来の事なのかと考えてみるが思い出せない・・・。全員が、ぐっすりと寝ている、その時に、外から、突然、「どす~ん!!」という大音響が鳴り響く。それは、ピカッ、ドォーンと雷がすぐ側で落ちる音を遙かに上回る大きな音に聞こえた。

熟睡中の4人が飛び起きる。何?、何!、という息子二人の声。「私」は布団の中で目をつぶったまま、雷と違うかぁと呟く。奥方は素早く起き上がって、窓の側まで行って、カーテンを開て確認する。辺りは真っ暗闇で、何ごともなかった事を確認し、大丈夫やわ。と呟いて、床に着く。そのコトバを聞いて、全員が再び眠りに落ちた。

その日の朝から雪がしんしんと降り出していた。朝風呂に入って、朝食会場まで行って朝食を食べていると、女将が挨拶に来て、あれやこれやと話をしているうちに、昨日の夜中の話になって、あの大きな雷の事をこの地方では、「雪おこし」と呼んで、雪が激しく降るときの合図なのだ。と云う。今日の道路はまだ大丈夫だけれど、明日の朝あたりは凍結して道も危険になるだろうねぇ・・・・と。

深夜は、寝ぼけた状態で、ただの雷やな。なんていう、ちょっと冷めた心のありようだったが、女将の話を聞いているうちに、とっても不思議な体験をしたのだと思えてきた。確かに、とてつもなく大きな音だった。奥方は、夢の中で、戦争が起こって、爆弾が飛来してきたと思ったらしい。確かに、日本海の向こうには、テポドンを持つ国がある。それで、ビックリして飛び起き、窓際に駆け寄り、窓の外を見て、爆撃の炎があがっていない事を確認し、ほっとしたのだ・・・・・と。

そんな事をフェースブックに書くと・・・・・

木村 貴一 1月4日

夜中にめちゃくちゃ大きな雷の音がして、ビックリして家族全員目が覚めた。それを雪おこしと云うらしい。朝から雪の久美浜。— 碧水御苑にいます。

  • 矢部 達也
    ホンマでっか?
    1月4日 10:09 ·

  • 木村 貴一
    ウソちゃいまっ。ホンマホンマ!
    爆弾落ちたとおもうほど。
    うちの奥方、夢の中で、戦争起こったと思って、起きて、窓の外見て、炎あがってないのを見て、安心したらしい。
    1月4日 10:25

  • 河田 昌裕
    昔は「天狗倒し」とも呼ばれて、山中で遭遇すると、妖怪の仕業と恐れたそうです。
    1月4日 11:36

  • 木村 貴一 河田さん、
    あれ、天狗倒しとも云うのですか、
    いや、ほんとうに馬鹿でかい音でした。
    1月4日 15:09

  • 河田 昌裕
    水木しげる先生が、戦争中の体験で語ってました。真夜中に、天狗が大木を倒すような音が響くことから、「天狗倒し」なのだとか。世界中に同様の現象があるそうです…。
    1月4日 16:13

雪起こし、雪下ろし、天狗倒し、古杣(ふるそま)、いろいろな呼ばれ方をする怪音現象が世の中にはあるらしい。自然の神秘というものをあらためて体感したお正月で、そうそう、5日にはUSJを初体験し、乗り物酔いでクラクラした状態だったが、五感で体験するというのはやっぱりエエなぁ・・・とおもえたお正月でもあった。

さて、木村工務店では1月の6日が初出で、7日より通常営業が始まり。現場も動き出しています。また、「まちのえんがわ」も7日8日9日とスタッフが常駐しておりますので、皆さん、お気軽にお越し下さい。

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木村貴一 2012-01-08T23:59:44+09:00
縁側で年始。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2012/01/post_377.html 新年明けましておめでとうございます。

2004年からこのブログを書いてきて、元旦が日曜日だったことがなく、初めての1月1日日曜で、流石に、ブログを書く気があるような、ないような、とっても複雑な気分・・・。そんな気分の、いまとここは、午後9時をまわり、奥方の実家の食卓のテーブルの前に座りながら、背後には奥方の姉妹家族がテレビを見たりトランプをしたりする笑い声があって、正月気分満載。

背後から、奥方の妹の旦那さんが、ブログ読んでるでぇ・・・という意外な声援があり、その上、出来るのなら、看護婦さんの忘年会に参加したいわ。というヤジまで飛んできて、またそれを聞いた、女性陣が、それなになに、となって、また、ひとしきり、その話をして、盛り上がったりして、有難くもあり、めんどくさくもあり、いやいや、心の中では、結構喜んでいるのだなぁ・・・・・。

そういえば、12月29日は、木村工務店の伝統で、午前中に大掃除をして、お昼は皆で食事とお酒の納会をし、一本締めで終える。社員だけでなく大工さんと手伝いさんも一緒なので、まぁ、ここに参加するメンバーが、直系の木村工務店ファミリーなのだろう。一年間の出来事を踏まえて、誰かが酒のあてになって、どちらかと言えば、吉本新喜劇的に、わいわい言って、一年を洗い流すのは、いまこの年になると、大掃除という習慣と共に、先人達が残してくれた、日本のエエ伝統なのだ。と感じる。

毎朝、5時30分過ぎに目が覚めるのだけれど、12月30日は、目が覚めたら8時をまわっていた。その上、少し風邪気味。長男が東京から帰ってきたので、廃材の薪で、暖炉を付けて、その側で一緒にゴロリとなりながら、あれやこれやと、四方山話をしながらお互いにレコードをかけ合う。

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そのうち風邪気味の眠気が突然襲ってきて、気がついたら寝ていた。暫くすると、背後で、ウイニングイレブンのテレビゲームをする兄弟の声が聞こえてきて、それを見ながら、ゴロンとしているうちに、「私」も次男と対戦するが、コテンパンにやっつけられて、「あっはっはっ」と軽やかに笑い飛ばし席を立つ次男。その残像のような声を耳に残しながら、またゴロンとしてるうちに寝てしまった。そして、時折、フェースブックを覗いて寝る。時折、本を読み、そして、また寝る。寝て起きて寝て起きて寝た1月30日だった。

1月31日朝の6時前、目が覚めると爽快だった。それで10kmのランニング納めをし、スパー銭湯に行って、一年の垢も洗い流す。それにしても、久しぶりによく寝ると、脳の中にあるゴミのようなものや、雑音のようなものや、バグのようなものが、睡眠と共に取り除いてくれて、脳を最適化してくれたような感じで、スカットした。

奥方は、昨日の「私」の様子を察知して、我慢してくれていたのだろう、銭湯から帰ってきた、この日の「私」の顔を見て、はいはい、大掃除です。えっっと、担当は、リビングの床と窓硝子ね。次男は、このデッキの床と自分の部屋ね・・・と、命令が飛んできて、それに付け加えるように、これからの男性は、家の手伝いをせんとねぇ・・・と、駄目出し。

やっぱり、無垢材の床は、絞った雑巾で水拭きするのが一番だと、自分で拭いてみて、あらためて思う。うちのリビングは、木童土佐栂という無垢の栂材で、オイルも何も付けていないので、拭けば拭くほど、ジーパンの洗いざらしのような良さと艶が出て良いのだけれど、それにしても拭く頻度が少なすぎるなぁ・・・と反省する。勿論、オイル拭きはオイル拭きでそれなりにエエのですけどね。窓は、少しの洗剤で水拭きし、次にワイパーで水を切り、それから乾拭きする。というのが、プロの洗い屋さんがする順序。その通りにすると、かなりプロっぽく綺麗になるのだが、ちょっとすると、すぐイヤになって、プロフェッショナルというのは、それをずっと続けて、早く出来るかどうかなのだなぁ・・・と、大掃除で、あらためて気付いたりして・・・・・。

そんなこんなで、12月31日も日が暮れて、本を読んだり、フェースブックを見たりしながら、ガキの使いスペシャルで少々大笑いし、長渕剛の歌や石川さゆりの津軽海峡冬景色を聞いて涙する奥方を横目で見ながら紅白歌合戦を見て、行く年来る年が始まると、うちで施工をした、地元の清見原神社に、家族4人で向かって、初詣をする。という、典型的な日本の正月っていうパターンで、小さな幸せ気分。

1月1日の朝は、両親を交えた家族で、「おとそ」をし、暫くしてやって来た、うちの兄弟の子供達と一緒に、わいわいがやがやと新年の喜びを分かち合い、長男とは、昨年暮れにオープンした「まちのえんがわ」で腰掛けながら、あれやこれやと話をしていると、故郷に帰ってウオーキング中のコトバノイエのカトウさんから電話があって、「まちのえんがわ」から新年の挨拶を交わす。そうこうしていると、うちの妹が初めて「まちのえんがわ」にやってきて、なんだかんだ。そんなこんなで、家に戻ろうとしている時に、「まちのえんがわ」でゴソゴソしている「私」の姿を見て、近所のひとが、知り合いと一緒に、初詣の道すがら立ち寄って、それに向かいの自宅にいる親父まで、巻き込んで、話がはずんでいるうちに夕方になってしまい、慌てて奥方の実家に向かう。何十年も続く恒例で、暮れに奥方とうちの両親とが一緒に黒門市場に行く。そのふぐでワイワイと鍋をして、そして、いまここ。

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というわけで、初詣、おとそ、「まちのえんがわ」での縁側コミュニケーション、奥方の実家でテレビの漫才ドリームマッチを背後で聞きながらのブログ書き、で始まった2012年。あらためまして、本年もこのブログ共々、木村工務店をご愛顧賜りますよう、よろしくお願い致します。

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木村貴一 2012-01-01T23:47:29+09:00
ワークショップ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/12/post_376.html 「ワークショップ」というコトバの意味をウィッキペディアで調べると

ワークショップは、学びや創造、問題解決やトレーニングの手法である。参加者が自発的に作業や発言をおこなえる環境が整った場において、ファシリテーターと呼ばれる司会進行役を中心に、参加者全員が体験するものとして運営される形態がポピュラー。・・・・

完成された作品を見る。という形式ではなく、一緒に、ものづくりの過程を体験することによって、何かを学んだり、理解していこうとする、ひとつの手法の事なのだろう。12月1日に正式にオープンした「まちのえんがわ」では、その「ワークショップ」を企画していて、あれやこれやと、話し合っている。

「家」を完成されたプロダクト商品のひとつとして「買う」というのも、素敵な行為のひとつで、物を買うという行為に潜む独特の楽しさと高揚感には、いかんともしがたい魅力があって、特に、高額の商品としての「家」では、インターネットであらゆる情報をくまなく取得し、モデルハウスで慎重に確かめながら、家を比較して買うというのが今の主流なのだろう。

「家を商品として買う」という考え方が、ひとつのタイプとすれば、家を「ものづくり」のひとつと捉えて「家づくり」をするという考え方もあって、木村工務店はそちらのタイプ。家づくりの過程をお客さんと一緒に共有しながら、お客様のライフスタイルが活かされる家を志向する。出来たときの商品価値が最も高いプロダクト商品に対して、そこに住む住まい手にとっての住んでからの商品価値が高まっていく家を志向する。

ところが、それが、そうすんなりとは行かい場合があって、「ものづくり」の過程に潜在的に潜む「不完全さ」が立ちはだかる。その上、工事現場での職人さんによるものづくりのプロセスがブラックボックス化されていて、見えなくなっている昨今、木村家本舗にお見えになった二十代の女性グループは「左官」というのを見たことがないし、知らない!と軽やかに言い切った。

そんなこんなで、「職人さんによるワークショップ」を通じて、建築というものづくりの職種と過程、ものづくりの「面白さ」と「面倒くささ」「不完全さ」を知り、学んでもらいながら、「家づくり」の「過程」を「お施主さんと設計士と現場監督と職人さん」とで「共有」し、住まい手の「ライフスタイル」が活かされる家を造っていこう。というのが、「まちのえんがわ」で催す木村工務店ワークショップで、それが木村工務店スタイルだともいえる。

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建築の工事に「板金」という工種があって、木村工務店では松倉商店さんと山口板金さんがその仕事をしてくれているのだけれど、「ブリキの鉛筆立て造りと板金工事」というワークショップを企画中で、その試作品を銅板で造って持ってきてくれた。ついでに、板金で折った折り鶴。へぇー、板金で折り鶴が造れるのだと、「私」も初めて知った。

長男の縁で、下北沢で「cafe スロコメ@下北沢」 、経堂で、お湯かふぇ「さばのゆ@経堂」を経営するコメディライター&プロデューサー 須田泰成さんが、ふらりと「まちのえんがわ」へお越しになって、「初めての「まちのえんがわ」体験、とても良い時間を過ごさせていただきました。 このようにブログに書かせていただきました。 」とメールまで頂戴し、

そして、こんな路地の縁側が、
様々な人たちが行き交う広場であり、
街の劇場であり、産地と街をつなぐ交易の場(市)であり、
あるいは、知恵や情報を交換したり、教えたり、学んだり、
新しいアイディアが熟成したりする大学や研究所のような空間になったり、
無限の可能性が秘めているのです。

というメッセージをもらった。大阪の福島でお店をオープンしたとの事で、楽しいワークショップを一緒に企画できるのかもしれない・・・・。

cameraroll-1324824685.67083123日の祝日、コトバノイエの造園を手がけた家谷さんが、ふらりと「まちのえんがわ」にやって来て、あれこれと話をするうちに、「路地裏植栽学」というのを教えてもらう。それで、早速、「まちのえんがわ」の近くの何本かの路地裏通りを一緒に歩き回りながら、長屋の家々の前にある植木鉢の植栽を眺め、それなりの素朴な面白さを体感する。そこに、プロとしてのちょっとしたアドバイスとか、隠し味的エッセンスをさりげなく加味したりして、町並みを形成するための手助けが出来ないものかと話し合う。来年の春頃には、「路地裏植栽学ワークショップ」を開催する予定。

cameraroll-1324824221.728232「まちのえんがわ」の土日祝は、スタッフの青木さんが常駐してくれているのだけれど、そのアオキさんの縁で、絵本作家の谷口智則さんが、今日のお昼にお見えになる。絵本作家の方とお話をするのは初体験。話をしているうちに、絵本の事も少しずつ理解できてきて、なるほどなるほど。子供達と一緒にするワークショップで、住まいの中に飾れるモビールのようなものづくりのワークショップとか、紙芝居などなど・・・。3月頃に開催する予定。

ワークショップといコトバを聞くと、ジャズファンとしての「私」は、「ミンガス・ジャズ・ワークショップ」というのが、いつも浮かんできて、「プレゼンツミンガス」を筆頭に、「ブラックセイントアンドシニアーレディー」とか「ブルースアンドルーツ」とか「oh yeah」「道化師」「直立猿人」などなど、好きなアルバムがいっぱいあって、若い時は、音楽を創造する過程を表現するようなその手法に心が強く惹かれた。そんな意味では、「木村工務店・建築・ワークショップ」なのかもしれない・・・。

さてさて、気付いてみると、これが、今年最後の「Voice of 木村工務店」で、今年お読み頂いた皆様には心からお礼を申し上げると共に、来年は、「まちのえんがわ」を通じての「ワークショップ」など、新たな展開を考えておりますので、来年もご愛顧くださいますよう、よろしくお願い致します。

それでは、良いお年を!

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木村貴一 2011-12-25T23:59:00+09:00
男宴昼宴女宴 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/12/post_375.html 金曜日の夜、社員と大工と手伝いさんの30人ほどで忘年会をする。がんこ寿司の上層部の方のお宅をリフォームをした御縁があって、がんこ平野郷の倉造りの部屋を貸し切って、それに、マイクロバスで会社から送迎してもらえる事も幸いして、皆が会社に集合し、バス一台に乗り込んで、平野郷に向かい、食べて飲んで語って、また、マイクロバスに乗り込んで、会社に帰り着くという、忘年会のパターンが、ここ3年ほど続く。

「男の中に女が二人」という、「男宴」で、職人と現場監督と設計士が、時にはIMG_2483、けっこう真面目に熱く語り合い、時には、どちらかと言えば、悪ふざけな事をしながら、心底笑い合う。毎年の事だが、行きのバスはシーンとして静かなのに、帰りのバスでは、皆が酔っていて、賑やかなんていうのは、遙かに通り越して、怒号が飛び交う状態で、内輪では、オモロイが、外から見れば、かなりの馬鹿。なのだ。とおもう。お作りとお寿司と天ぷらと鍋と飲み放題という、味も量も場所も含めて、コストパフォーマンスがかなり高い「男宴」だった。「感謝」

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IMG_2485二次会は、社員の全員というわけではないが、かなりの社員と大工さん数人とで、布施のスナックに行って、カラオケをする。これも、毎年のようなパターンなのだけれど、夜の世界に、めっぽう強いS大工が、毎年のようにスナックを予約してくれて、そういう意味でも、大工さんと社員は、ひとつのチームのような感じなのだろう。

それにしても、二十歳ぐらいの、女の子と会話する機会など、めったにないのは、うちの子供達が、男二人だという事が原因なのかもしれないが、若い女の子と、なんともぎくしゃくした、歯切れの悪い会話をする50を過ぎた、おっちゃんなのだと、自覚したね・・・。

この週の土曜日のお昼には石川友博建築設計事務所設計による、木造2階建て住宅の上棟式があって、土曜日にしか休みを取れないお施主さんの事情や、その日に、設計のイシカワさんが、夕方前から、結婚式に出席するという所用があり、また、弊社の工程としても、もう一週間、上棟を早める事がムツカシイ状況だという、様々な要因が重なっての、お昼の上棟式となった。

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そんな事情もあって、ほとんど、お酒が飲めない状況でもあるので、宴としては、盛り上がりには少々欠けるのかもしれないが、大工二人が「鉋対決」をして、「光る柱」が、建物の角に、ひっそりと養生されて、佇んでいるというエピソードもあり、冬の晴天に恵まれて、上棟式用として簡易に作る合板のテーブルの上に、冬の柔らかな日差しが差し込んで、かなり高級な、なだ万のお弁当を照らし、その柔らかな日差しを感じながら、大工や鳶や現場監督と共に、設計のイシカワさんやお施主さんと一緒に喜びを分かち合い、一緒に食べる「昼宴」は、印象に残る、お昼の上棟式になった。「感謝」

その日の夜、産婦人科医院の忘年会に夫婦でお誘いを頂戴し、最近、ミュシュランの二つ星に認定されたという、奈良の「無窓庵」に向かう。偶然にも無窓庵さんとは、不思議な御縁があって、女将の息子さんが、奈良にあるうちの祖母の土地で、日本蜜蜂の蜂蜜を採取されていて、そんなご縁で、うちの会社まで、わざわざその蜂蜜を届けに来て頂いたりし、また一度だけ、食事をした経験もあって、工務店の私たち夫婦が、唐突にも、お医者さんと看護婦さんの忘年会に現れたのには、たいそう驚かれていた。

その女将の驚きより、きっと「私」のほうが、驚いた顔をしていたのかもしれない。それは、突然、いや、唐突に、30人中男4人の「女宴」に迷い込んで、しかも、いつもいつも、職人や現場監督や設計士という、かなりむさ苦しい男どもと「男宴」ばかりを経験しているわけで、その上、前日、いや、ほとんど当日の超早朝まで続く男宴の余韻が残っていた直後のこの状況で、しかもしかも、座敷に車座状態のお膳が並んでいて、その上座に座らされると、ほんとうに、つい先ほどまで、上座から、野郎達の顔と風体を眺めていた私の「目」は、お膳の前に座る看護婦さん達の姿に、少々ドギマギしながらも、かなり、キラキラとして、喜んでいたはずなのだ。
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料理もお酒も、大変美味しくて、しかも、この人数でするには、丁度良い座敷の大きさで、こんなエエ場所で、「女宴」を催すと、他の場所では二度と出来ないだろうなぁ・・・と、羨ましい限り。

ところで、この宴で、もっとも盛り上がったのは、豪華景品付きのビンゴゲームで、唐突な参加者でもあるという、妙な気遣いも発露し、綺麗どころの看護婦さん達と、右手を高らかに挙げて、レッツビンゴーと一緒にかけ声をあわせる、とってもベタな司会をさせていただいた・・・・。

IMG_2512その上、二次会は、10人ほどで、なんと、奈良から大阪のミナミまでタクシーで出かけて、ノリノリのエレキギターの生演奏の元でのカラオケライブバーを深夜まで楽しんで、こんな忘年会を経験できるなんて、めったにない事で、ほんとうに「感謝感激雨あられ」という、まったくもって、おじさん的な喜び表現しか、思い当たらない。

「男宴」「昼宴」「女宴」いずれにしても、様々な「縁」のおかげであって、感謝の大安売りも感謝の値打ちが下がるので、なんと表現すれば良いのか、コトバが見あたらないが、この三つの宴で縁をもった皆々様に、深々と一礼を拝しておきたい・・・・。

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木村貴一 2011-12-18T23:58:00+09:00
心が最も強く動かされたもの http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/12/post_374.html 朝6時頃、外は真っ暗。ランニングをするために走り出す。西向きの道路に出たら、目の前に、見事な大きな月が出現して、ちょっと魅とれる。脳の中では、走るのを止めて、写真でも撮ろうかな。とか、そうそう昨夜は皆既月食だったな。とか、「月夜の朝」だな。という、妙なコトバが脳の中を巡っていて、ランニング中の、脳内に浮かんだコトバや感情を記録できる装置があれば、一度、記録し再生してみたいものだなぁ・・・・。

木村 貴一
Just completed a 10.87 km run with RunKeeper

12月7日水曜日に中之島の中央公会堂の小会議室で、「第11回関西建築家大賞表彰&トークイベント」というのがあって、ATERIA ASHの矢田さんがその大賞を受賞し、弊社で施工したES house-02がその受賞作品のひとつに選ばれた。
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式場では、審査建築家の香山壽夫さんが、講評を述べられて、印象的だったのは、「それぞれの建築家の行っていることを虚心に見せていただき、そしてその結果、心が最も強く動かされたものを選ぶことにいたしました。」と述べられた後、「付け加えるなら、その建築の中に、長く居たい。もっと長く居たい。とおもわせるものを選定しました」「それはルイスカーンの語った言葉でもあります。」と語られた事が、心に強く響いた。そうそう、竹原義二さんと香山壽夫さんと矢田朝士さんによるトークイベントもとっても良い鼎談で、その後の懇親会にも誘われて同行し、一緒にお話をする機会もあって、実に楽しい時間だった。それにしても、ランニングの時と同じように、この時の、脳内に去来した言葉や感情を記録したかったねぇ・・・。

週初め、以前のブログのタイトル、「雑誌掲載」にも書いた、丹沢の山小屋、堀山の家の主人が、リースを届けがてら、遊びにやって来た。ジャズを聴きながら、四方山話を深夜遅くまでする。年上だが、ジャズの話が出来る唯一の友人で、その日は、なぜか、ローランドカークを聴きながら、彼の独特のドロっとしたサウンドの中にある、カークの持つ可愛らしさのようなもの、をお互いに共感しあいながら語りあった。コルトレーンのクレッセントを聴きながら、エルビンジョーンズのシンバルの微妙なタッチと抑揚の話とか・・・。そうそう、やっぱり、この時に、去来した、感情の記録と再生が出来ないものかねぇ・・。
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木曜日、関西大学の学生が、大工を目指しているという事で、弊社に見学に来る。たまたま、この数日間、大工が、構造材の手加工をしていて、いわゆる、グットタイミングだった。これも、何かの「縁」っていうやつかねぇ・・・・。午前10時から午後5時頃まで、「まちのえんがわ」で本を読んだりしながら、加工場にて、ササキ大工とベッショ大工が作業する墨付けや刻みを静かにじっと見守り続けていた。休憩時間には職人さん達に混じって、一緒に休憩をしていたようだ。

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今という時代は、大工になるためには、厳しい時代なのかもしれない。親方にとっては、若い大工を育てるための金銭的余裕に乏しい時代なので、職人として、いわゆる、何とか使いものになる状態までの3年間ほどの費用を賄える余裕がないのだろうし、会社組織としても、同じ状態なのだといえる。まぁ、しかし、考えようによっては、大学院や専門学校に行くかわりに、大工のもとで、まずは、2年間ほど、無給で、修行してみるという過程を想定すると、学費を払う事を考慮すれば、ひょっとすれば、学校よりも有意義なのかもしれない・・。ただ、そんなふうに、きっちりと教える事が出来る大工がいるのかどうか。学生を教えるのに相応しい仕事があるのかどうか。また、そんなふうに考える学生がいて、そういう事は、社会的に、コンセンサスの得られる形態なのかどうか・・・。と、やっぱり、脳内で、思考や感情が、くるりと円弧を描きながら、何度か回転していた。

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造園家の家谷さんからお誘いがあって、arte空間研究所の生山さんとコラボレーションした動物病院を見学。「植栽塔」という、みたこともない、建築的な「植木鉢」を初体験。いつものあの家谷さんって、実は凄いやん。と言いながら、一緒に珈琲飲んだ・・・・・。

というウォールを金曜日のフェースブックに載せた。家谷さんはコトバノイエの外構や造園を手かげているのだけれど、木村家本舗やその他、様々なイベントでご一緒なって、何時も、一緒に、あれやこれやなんだかんだと楽しく会話する仲で、それにしては、実際の仕事を見るのは、2回目。それが、普段の物静かな姿からは想像も出来ないほど、アバンギャルドな造園に、かなり度肝を抜かれた。植栽をするためだけの塔屋を大きな植木鉢として、建築家に提案したそうで、勿論それは、動物病院の広告塔になっているのだけれど、かなり、斬新で、刺激的。それに、「今でなく、10年後に植物が育ち、塔屋を、草が覆っていく、経年変化による良さを・・・」というコトバが、印象的言葉として残る。きっと、この建物を見学した時間の、その空間の立ち位置での、「私」の感情がうごめいた記録を、このブログ上で、再生出来るのであれば、面白いだろうなぁ・・・・。

その日、午後10時頃になっても、加工場で、大工が、なにやら、ゴソゴソと作業をしている音があって、何だろうかと見に行くと、「鉋削り対決 ベッショ大工VSササキ大工」という、どちらが綺麗に柱を削れるのかという鉋削り対決をしていた。どちらも真顔で目は真剣。ベッショ大工が鉋で削って、美しく光った柱を触ったササキ大工が、もう一方の面を美しく光らすために、負けじと挑戦する構図。そんな事を楽しめる大工って、羨ましいな・・・と眺めた。

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「心が最も強く動かされたもの」「もっと長く居たいと思わせるもの」というコトバを聴くと、ランニングの距離と時間と場所を記録する機械のように、その場所と時間ごとの感情の喜怒哀楽など、心境を記録できる時空間感情記録装置があって、心のうごめきを記録し、再生し、眺めてみたいものだなぁ・・・。

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木村貴一 2011-12-11T23:59:00+09:00
Making of 住宅風呂巡礼 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/12/making_of.html 温泉ソムリエぐっち」という、誠に怪しい名前をもつ、グッチさんと知り合ったのは、木村家本舗というイベントに、様々な偶然的な「縁」が重なって、お越しになり、それで、名刺交換をしながら、お互いに、今まで行った、温泉の話をして、盛り上がった。

暫くして、何気なく、彼のホームページを見て、気付いたことは、各地を巡る温泉の写真に、必ず、湯船に浸かりながら、頭に手ぬぐいを載せた自分自身の写真が、写っている事。ちょっと不思議で、ちょっと怪しい感じで、ユーモラス。会って、会話をしていることもあって、少々笑いながら見ていた・・・・。

各地の温泉ばかりを巡るのも、テレビ番組を含めて、食傷気味で、それに、私自身もそれなりに温泉を巡っていて、ちょっと、飽きてきた感じもし、まぁ、それでも、やっぱり温泉は好きではあるものの、何というのか、ほどほどで十分な感じ。そんな内的なムードを宿しながら、彼のホームページを見ていたら、あっ、そう、そう、温泉ソムリエぐっちが、住宅にある、気持ちよっそうなお風呂に入って、タオル頭で、気持ちよさそうにお風呂に入る、あのちょっとユーモラスなシーンを撮って、日本全国にある、有名無名住宅建築の素敵な家風呂を巡る旅はどうだろうか・・・と思った。

そんな訳で、ぐっちさんからは「やりましょ!やりましょ!」という軽やかな、返事があって、まず、手始めに、うちの木村家のお風呂のシーンを撮る事で合意した。そんなベタな話題を建築家のヤベさんに話すと、意外にも、その企画に軽やかに乗っかってくれて、工務店の企画としては上出来!、などと、お褒めのコトバかどうかはべつにして、有難くも、「住宅風呂巡礼」と名付けてくれた。

今朝の午前9時前、写真家のタダユウコさんが、車に機材を積んでやって来た。そうそう、建築家のイシイリョウヘイさん主催による「ヤネメシ」パーティーで、隣の席に座ったのが、通称タダユウで、彼女は、その草屋根と天窓との隙間にはまりこんで、骨盤を強打するという、草屋根に落ちた唯一の女性カメラマンとして、名誉な負傷をしたのだけれど、きっと、かなり酔っぱらっていたのだろう。その酔いのせいもあってか、住宅風呂巡礼の撮影を、大まじめなお遊びとして、「付き合うわ!」と宣言してくれた。

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12月4日日曜日午前9時
温泉ソムリエぐっち、怪しい笑顔と軽やかなピースサインと共に、靴を脱いで、我が家にあがる。

 

DSC04400 1階にある、お風呂を確認した後、お風呂にお湯を入れる。2階のデッキにて、3人で朝食を食べながら、なんやかんや、ぐたぐたと会話をし、お湯が入るのを待つ。ちなみに、朝食は、奥方の美味なモーニングサービスなのだ。と、奥方もたてておく・・・。
DSC04408 入浴剤を入れるのだというのだった。つまり、写真に、アレが丸見えになるので、白濁するのがエエのだというのだった。用意した入浴剤を入れるものの、全く、無色で、それで急遽、奥方が、泡の出る入浴剤を探してきて、浴槽に注いで、泡を立てる・・・・。
DSC04418 温泉ソムリエぐっち、流石に慣れているのか、素早く服を脱いで、温泉に浸かり、髪の毛をオールバックにし、顔を洗い流しながら、撮影モードに入る。ちょっとした、役者のよう。ヤマグチタカシから温泉ソムリエぐっちに変貌していくのだ。
DSC04440 写真家タダユウ、これこっちにおきましょ。これこうしましょ。とテキパキと判断して、周辺を整えて、カメラを構えているうちに、ほんとうに、カメラマンいやいや、カメラレディーに変貌していくのだった。ぐっちさん、すでに頭にタオル。

うちのお風呂は、午前の早い時間帯は、朝日が入って、それが、アルミサッシュのフロストガラス面に、木々の陰影が写って、美しく見える日があり、昨日の雨模様のうっとおしい天気と違い、今日の朝は、お天道様の光が入る、絶好の撮影日和になった。勿論、タダユウが、それを見逃す訳がなく、ますます、本気の後ろ姿。
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温泉ソムリエぐっち、タダユウから「どや顔」を要求されると、堂々と「どや顔」を披露して答える。「どや顔慣れ」している感じ。
DSC04460 温泉ソムリエぐっち、「私」が要求する本を読みながら浸かってや!という要望に、快く応え、お風呂用の本読み台を設置する。すると、手に持て本を読んだほうがエエわ。という、タダユウからの駄目だしが出て、take2撮影開始。

手に取るのは、建築家、磯崎新の「建築における日本的なるもの」それを声を出して読み始める。
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窓硝子を開けてのtake3の撮影開始。
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タダユウ激写!
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タダユウ、まるで、盗撮!
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タダユウ、怪しい構えで、ぐっちさんの背後から、トグサとトグサの隙間にレンズを差し込んで撮影を開始する、その位置からカメラを覗くと・・・・。
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タダユウ、ついに、2階のデッキからお風呂を覗き込んで撮影を開始する。ますます怪しい撮影風景。
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温泉ソムリエぐっち、そんな事には全く動じる様子もなく、あっっっ。気持ちエェェェ、と終始、優雅にお湯に浸かる。流石、温泉ソムリエ。
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温泉ソムリエぐっち、そろそろ、のぼせてきたのか、妙な、腕と足のポーズをとる。
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写真家タダユウコによる撮影が無事終了した後、ぐっちさん、お風呂での自分撮りの技を披露してくれる。
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自分撮りも無事終了!

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撮影終了後、昨日、奥方が、北新地のムジカで買ってきた、紅茶を飲みながら、ぐっちさんが持ち込んだ、テレビ出演のDVDを見て大笑いし、和む。

つまり、それで、住宅風呂巡礼の撮影現場は妙に和むのだ。と書き置きしておこうとおもう。次回1月は、「コトバノイエ」か「カットザコーナー=ヤベタツヤ自邸」のどちらかへ巡礼する予定で、12回巡礼シリーズになるのかも。そうそう、この企画は、「まちのえんがわ」による第一弾の住宅巡礼企画とでもしておこうかとおもう。

そういえば、12月1日木曜日大安午前9時、二礼二拍手一礼と御神酒による神事で、「まちのえんがわ」が、しめやかにオープンしました。「住まいのライブラリーとワークショップと縁側カフェ」というのがキャッチフレーズになるのでしょうか。

よろしければ、お気軽にお越し下さい。

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木村貴一 2011-12-04T23:48:59+09:00
分岐点 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/11/post_373.html 地下鉄千日前線の小路駅は、大阪の下町のごく普通のおっちゃんおばちゃんが乗り降りする駅で、うちの会社と家がある駅。奥方と二人で、その小路駅から、難波に向かい、地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田で降りる。梅田から阪急神戸線で、夙川に向かう。出発待ちの電車の座席に座わっていると、地下鉄の乗客と比べて、何となく、雰囲気が上品。

阪急甲陽線に乗り換えるために、夙川駅で降りると、駅の中に、スーパーの成城石井が入っていて、それを見るなり、奥方が、うわー、駅ナカに、成城石井があるわ、凄いわ。流石、ちょっと違うわ。という。なんだか田舎もんのようだけど、めったに、二人で、電車に乗ることがない上に、奥方は、夙川駅で降りるのも、甲陽線に乗るのも初めて。

出発待ちの電車の座席に二人並んで座って、待っていると、乗客は、梅田より、もっともっと上品な感じがする。暫くして、電車が走り出して、その窓から流れていく光景が、夙川の並木と、閑静な住宅の景色で、それに、停車する駅で、乗り降りする乗客や駅のムードも。やぱり上品。

電車が動きだして、暫くすると、奥方が、どこで道間違ったのかなぁ・・・と呟く。え、それ、何のコト。と返すと、大学生の頃は、結婚したら、この阪急沿線で住む予定やったけれど、なんで、大阪の生野区の小路になってしまったのかなぁ・・・・。そうそう、今、ここで、人生を振り返って、ちゃんと、「検証」してみようよ!!と言う。もうお互いに、50歳を超えたのだ。

今や、すっかり、大阪のおばちゃんとなって、小路や布施や今里の下町周辺を自転車でブイブイと乗り回し、それも、それなりに、ご機嫌な様子で、ママチャリを乗っている姿を見ているのだけれど、たしかに、こんな日和りの良い日に、この電車の雰囲気ならば、本当は、この周辺の駅を乗り降りする私の姿があって、ママチャリを乗り回す今の私の姿と、目の前の乗客とを置き換えて眺めているのだろう・・・・。どこで、人生の間違いが起こったのかと、「私」に問う。もちろん笑顔ですけど、30年ほど前に戻って検証せよ。と笑顔で訴求するのだった。

確か、それは、大阪、ミナミの、アメリカ村と呼ばれるあたりでのコトで、今は、アップルのお店が建っている角のあたりから、北側の歩道を三角公園の方角に向けて歩いている、3、4人の女性のグループがいて、それは、当時二十前の女子グループ。

当時のアメリカ村には、ギャラップとか、マイウエイとか、ペパーミントとか、いう古着屋さんが数件と、エルパソとか、パームスという喫茶店とか、数件のディスコとか、とにかく数件のお店がパラパラとしかなく、ガランとした状態で、学校なども残っていて、でも、心斎橋筋の押し合いへし合いしながら歩く、賑やかなムードとは全く違う、独特の、のんびりとした、エエムードがあって、それを、当時の、若い世代が好んだのだとおもう。

密集して店舗が並ぶ心斎橋と違い、通りをかなり、歩いて、ポツンポツンと、店舗があるのを、のんびりと、たわいもない話をしながら、若い故に、ふざけたりもしながら、ぶらぶらと歩いて、店を回わって、服や靴を探し、喫茶店に入るのが、楽しかったのだと、今、振り返って、おもう。限りなく上向きに進み続けると思われた経済情勢と、世の中のアメリカ文化迎合的雰囲気が、学生をそんなムードにさせたのかもしれない・・・・。

確か、「私」は、そのアメリカ村の南側の通りを、三角公園の方角から、御堂筋と心斎橋を横切って、周防町筋にある、喫茶店に向かうために、歩いていたのだ。誰と待ち合わせしていたのかは、思い出せないが、少し、急ぎ気味に、歩いて、西から東に向かっていた。道路を挟んで、北側の歩道を東から西に、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩く女性グループがあって、そこに目を向けると、その中に、大学で建築学科の同級生の友人の彼女がいて、お互いに目が合って、通りを挟んで、声を掛け合う。

それは、ほとんど、すれ違い状態で、「私」からすれば、一対多の状況だったので、その時、その当時の奥方の顔を見たのかどうか、それに、その姿の記憶もないが、そのグループの中にいたのだ。という存在の記憶と、その時の状況だけは、はっきりと、克明に記憶に残っていて、今でも、そのアメリカ村の通りを歩くと、時々、その記憶が蘇ってくる。奥方も、そうそうと頷く。

甲陽園駅に向かう、阪急電車の座席に二人並んで腰掛けて、走馬燈のように流れる上品なムードの車窓をながめながら、その記憶が蘇って、その話をすると、そうそう、それそれ、あの時、あの瞬間、あれ、あれ、、あれが、分岐点やったのね。この阪急甲陽線に乗るかもしれなかった私と、地下鉄千日前線に乗る私。成城石井で買い物をするかもしれなかった私と布施のスーパー万代で買い物をしている私。苦楽園や目神山の邸宅に住むかもしれなかった私と生野区小路の長屋をリフォームして住んでいる私。あの一瞬に「分岐点」があったのね・・・・・・と。

それは、先々週の日曜日に催された石井良平さんによる、「ヤネメシ」パーティへ向かう電車での出来事だった。この週の23日の祝日には、矢部達也さん設計で、弊社で施工した「コトバノイエ」で、「特別理由のないオープンコトバノイエ」という、かれこれ6年目を迎える家でのオープンハウスがあって、木村家本舗でお会いした多くの人を含む、50人近い人たちと、飲んだり食べたり話しをしたりと、楽しい時間を過ごした。

その帰り道の事。奥方と二人で、今回も、やっぱり、初めて乗る、能勢電鉄妙見線の、夜の、小雨まじりの、一の鳥居駅の、プラットホームで、二人並んで、座って、電車を待つ、その時に、向かいのプラットホームの、椅子を眺めていると、なぜか、あの「分岐点」が、蘇った。

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木村貴一 2011-11-27T23:50:18+09:00
ヒューマンウエア http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/11/post_372.html 「まちの縁がわ」プロジェクトというのが、12月1日オープンに向けて、本や備品や内装や棚やワークショップの準備などなど、調整作業をしているま最中で、なのに、つまり調整中なのに、朝の8時前から、夜の8時過ぎまで、シャッターは、開けて、オープン状態にしていて、それは、オープンまでの工事の作業の様子から、本の設置作業や打ち合わせの様子などなど、「まちの縁がわ」が出来るまでの「ものづくりのプロセス」をオープンにして、あからさまにしていこうと・・・。

そんな訳で、通りを行く人が、この店何?と、興味をもったり、不思議な様子で、通り過ぎていく。時折、立ち止まって、覗いていく。工務店なのに、本屋さんのような雰囲気。でも、本屋さんでもなさそう。それに、店に誰もいなかったり、時折、誰かが座っていたりして、店に入っても良いのかどうか躊躇する。これお店なの、事務所なの、ライブラリーなの、オープンしているのかどうか、まったくもって定かでない・・・と。

そんなこんなで、12月1日のオープンに向けて、こんな一文を葉書で送る事にした。


まちの縁がわ_小学生3「まちの縁がわ」とは、
住まいの「ライブラリー」として、
それぞれの「ライフスタイル」に思い巡らす、
木村工務店の路面店です。
「家づくり」のプロセスを伝えるお店として、
新たなご縁を結ぶ場所であります。

寛ぎと憩いのカフェスペースとして、
「ものづくり」を学ぶ場として、ホームページのリアル版として、
「住まいの相談室」として、出会いの「縁側」として、
皆さまに親しまれるスペースとなれば幸いです。

また、イベントを発信する「木村工務店ワークショップ」として、
住宅相談会、お餅つき、木村家本舗、左官教室、端材で工作、塗装教室、・・・・、
といった様々なイベントを発信していきますので、
ご家族やお友達をお誘い合わせの上お越し下さいませ。


ここ最近は、打ち合わせの後に、1階の「まちの縁がわ」に立ち寄ってもらったりしながら、いろいろなご意見をお伺いし、フィードバックを繰り返しながら、調整作業を進めている。木曜日の夕方4時頃の事、「まちの縁がわ」に着座して、パソコンで作業をしていたら、近くの小学生が自転車でやってきて、店の前を、覗き込んだりしながら、うろちょろしていた。丁度その時、うちの奥方が、店の前を通りかかった。その小学生が、「ここ何ですか、入っても良いですか?」と尋ねる。「エエよ。エエよ。どうぞ。どうぞ。」と奥方。「おじゃまします。」と礼儀正しく、子供が中に入って、素直に、まったくもって、自然に、吉野杉の床板に腰掛けた。

今までは、不思議な事に、大人は、入ってきても、すぐに腰掛けない。ちょっとした、躊躇い(ためらい)があって、立ち話になる。どうぞどうぞと促してからも、躊躇(ちゅうちょ)しながら、ぎこちなく、腰掛ける場合が多い。DSC03709そういえば、先日、大学生と一緒に、服部緑地の日本民家集落博物館を見学した時の事、南部曲屋で、解説をしてくれたおじさんが、縁側に座る学生に向けて、ハードウエアーとソフトウエアーというコトバがあるが、縁側というのは、ヒューマンウエアーと呼べるのかもしれませね。と言ったのが、とっても印象的だった。

ひょっとして、私たちは、建築的なヒューマンウエアの作り方と使い方を忘れてしまったのかもしれない。さて、眠れる遺伝子を呼び覚ませる事が出来るのでしょうか・・・・。

DSC03728その小学生は、腰をかけて、本棚を眺め、「本見てもエエのですか」と聞くので、「どうぞどうぞ、遠慮せんと・・」と答えると、おもむろに手に取ったのが、青い色の背表紙に「死ぬまでに見たい世界の名建築」と書かれた本だった。腰掛けて、本を見ながら、「これ、カッコエエなぁ・・・」と呟く。「私」も掘り座卓式のテーブル席から立ち上がって、「どれどれ」とそちらに向かう。ごっつい厚みの本を床板の上に置いて眺める小学生。

暫くして、その友達が、自転車でやってきて、「ここに入ってもエエのぉ」と言いながら、中に入って来て、友達の横に腰をかける。同じように、本棚を見て、一番下の棚にある「琳派」という尾形光琳などが載っている、渋~い本を手に取って、本の中をパラパラと見ながら、「この写真、カッコエエな」と呟いた。チラッとしか、その本を見ていないのに、「そやぁ、カッコエエやろ!」と見栄張った「私」。

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その友達の友達が吸い寄せられるように自転車でやって来て、遠慮気味に中に入ってきた。3人が並んで、もう一方の棚のほうに向かって立ちながら、「このでかいのぉ、何?」と聞くので、「オガという鋸ぎりで」「ほら、この、絵と一緒」、北斎の富嶽三十六景遠江山中の絵を指し示すと。「へぇ~~」。・・・・。・・・・。

あの石、カッコエエな。と、会社の前にある石を指して言うので、イサムノグチの人が、作ったんやでぇ。と言って、インサムノグチの本を見せると、暫くその本を手に取って眺めて、唐突に、今、何時? と聞。4時55分。と答えると、あっ、もう、帰らなアカンわ。「また来てもエエですか」「エエよぉ」「ありがとうございました」と言って、扉を開けながら、「イサムノグチ・・・」と呟いて、帰って行った。

まちの縁がわ_小学生6まちの縁がわ_小学生5

次の日の朝、「まちの縁がわ」の前を通勤する、小学校の校長先生と「おはようございます」と、毎朝の挨拶を交わす。偶然にも、高校時代の同級生が、地元の小学校に赴任してきている。そうそう、昨日、こんな事があって・・・・と、写真を見せながら、話しかけると、「迷惑かけてへんか・・」「挨拶、ちゃんとしてるか・・・」「行っても大丈夫か・・・」と心配する様子。「礼儀正しかったでぇ・・・」と答える。お互いに「ありがとう」と言いあって仕事に向かった。

同日。朝。棚の取り付け作業前に、ササキ大工が、縁がわに座って、本を読んでいた。お昼。先日、住宅特集の表紙になった、スガアトリエのスガさんが、ふらりとお見えになって、「まちの縁がわ」で、本を読みながら、昼食中の「私」を待ってくれていた。店の感想など聞きながら、仕事のお話を・・・・。同日。午後。設計の林敬一さんが、夜に、お施主さんと打ち合わせをする事になっていて、その数時間も前から、ノートパソコンを持ち込んで、「まちの縁がわ」で図面を書いていた。そしたら、例の小学生が、またやってきて、「死ぬまでに見たい世界の建築」を眺めて、礼儀正しく帰って行ったのだと・・・。その応対を、ハヤシケイイチさんが、してくれていて、「あの小学生、なんや、ムツカシイ本読んでましたよぉ・・・」と言うコトバを耳にしながら、その光景を想像すると、なんとなく、笑らけてきた・・・・・。同日。夜。「まちの縁がわ」で、ハヤシさんと二人並んで、机の上のコンピュータに向かい、1時間ほど一緒に作業をした。道行く人から、見れば、不思議な光景だったかもしれない・・・。

IMG_0028IMG_0029「まちの縁がわ」2011年11月18日

ヒューマンウエアとしての「縁がわ」を通じて、「集い繋がる広がる」となれば、素敵だなぁ・・・・と願う。

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木村貴一 2011-11-20T23:57:22+09:00
ヤネメシ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/11/post_371.html 屋根の上で、食事をする宴を「ヤネメシ」と名付けたのは、建築家のヤベタツヤさんだったのかどうか、それは定かでないが、建築家のイシイリョウヘイさんから、その「ヤネメシ」のお誘いがあった。石井修さん設計による、「回帰草庵」という名建築があって、その草屋根の上に、タープを張って、宴を催すというのだった。

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この草屋根の下に、あの超有名なリビングダイニングがある。↓ 正確には、そのリビングは、上の写真の右下の方角の写っていない屋根の下にあるのだけれど・・・・。
DSC03992DSC03955建築されてから35年ほどが経過し、ほとんど、山と一体化されて、どこからが山で、どこからが屋根なのか、全く判別できない状況の「草屋根」。上の写真の天窓の下には、2世帯住居になっている、子供世帯のキッチンがあって、3寸勾配の屋根に、手作りしたベンチをかけて、テーブルをしつらえて、炭火で串焼きをするという・・・。

皆で、串にさされた、焼鳥や、椎茸や、肉などを、ワイワイと食べるのだと思っていた。いや、フツウは、そう思うでしょ。それが、全く、違った。イシイリョウヘイさんは、鍋奉行ならぬ「串奉行」として、炭火の前に君臨するのだった。そのまわりをお客さんが、丁重に取り囲む。そして、もはや暴君のごとき様相で、誰ひとりにも、串を触らせることなく、ひたすら串を焼き続けて、一本ずつ、お客さんに、丁寧に、配膳するのだった。

午後1時過ぎから、日が暮れた午後6時過ぎまで、お客さんに一本の串も触らせることなく、まるで、私たちは、イシイリョウヘイパークで飼い慣らされた動物のごとく、ひたすら与えられた、串を食べるのだった。オーダーストップを発するか、ネタがなくなるまで、延々続くような感覚。ところが、それが、めちゃくちゃに美味い。そして、楽しい。

何というのか、それは、建築設計の感覚で、串焼きを設計し施工しているような雰囲気。まず、建築でも、一番大切なのは、「素材」なのだ。と。それで、ネタには、とにかく拘る。あちらこちらから、良質のネタをセレクトし、集めてきたのだという・・・。串も自ら、一本ずつ串を刺し、その串の刺し方にも拘っているような感じ・・・。「炭」の素材にもこだわりの雰囲気が漂い、見るからに、上等そうな、細長い炭。

「私」の友人の鰻屋のタケウチくんが、「串刺し3年焼き一生」という諺を教えてくれたのだが、まさしく、その「焼き」を一本ずつ丁寧に、しかも、6時間ほどの間、まったくもって、集中力をきらすコトなく、火加減と、具材の焼き加減と調味料を全く独りで調整し続けるのだった。その集中力は流石に設計のプロ。きっと、図面も、こんな集中力を発揮しながら書き続けるのでしょうね・・・・・。

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串の出し方の順番や下ごしらえと準備も、それは、まるで、見るからに、設計図のような雰囲気で、用意周到に、準備されているのであって、客人は、カトウさん夫妻、写真家のタダユウコさん、施主のシオザワさん、石井良平事務所のナガエさん、建築家不動産を主催するクヤマさん夫妻、私たち夫婦にイシイリョウヘイ夫妻。そうそう、そういえば、日もすっかり暮れてから、grafのオーナーのハットリさんも、到着したのでした。

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それにしても、これだけの人間をひとりで、串だけでなく、ワインを開けたりしながら、軽やかに「もてなす」「姿」に、そして、今日のこの日までの下準備の大変さを想像してみても、それにそれに、この草屋根という、気付いてみると、圧倒的な存在感のある「場」、このイシイリョウヘイワールドには、教えられるものがあったね・・・・。
とっても「感謝」です。

PS
草屋根だけでなく、独特の雰囲気を醸し出す、薄暗い、リビングダイニングの素晴らしさをあらためて、体験する。これで、何度目かだが、毎回、あらたな発見がある。石井修さんが好んで座っていたというコルビジェの椅子が、未だにその位置にあって、今日はお留守で、どこかに出かけています・・・。なんていう雰囲気で、まだまだ故人の「気」が宿っていた・・・。「合掌」。
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↑ それにしても、このコーナーの使い方の、この素晴らしさ。
↓上の写真の対面にある丸テーブルの角からの眺め。
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暖炉の「火」の素晴らしさも再体験する。うちにある「薪ストーブ」とは、また、ひと味も、ふた味違う「暖炉」の素晴らしさ。それは、「焚き火」が、家の中でできる感覚であり、暖炉からの、煙の「におい」と、「火」の燃える形の美しさに、魅了させられた。

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木村貴一 2011-11-13T23:54:45+09:00
「住宅相談会」と「まちの縁がわ」 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/11/post_370.html 1ヶ月に一度ほど、日曜日に、住宅相談会を催していて、全くお客さんがいらっしゃらない時も年に1度ほどあり、それが前回で、1組の時や2組の時もあり、様々。本日は、3組+1組のお客さんが重なったという、1年でも珍しい日だった。

9時頃にFさんがお越しになった。現在、お父さんの事務所がある場所に、小さな小さな賃貸マンションを造る計画で、うちで提案したプランにに対して、こんな案にして欲しいという、その要望をお伺いする打ち合わせだった。日曜日しか休みが取れない人も多く、予約が詰まっていたが、1時間の中で、集中して、お打ち合わせをする。

職業が、住宅金融公庫のローン債務不履行者に対する整理をするお仕事だという。それは、住まい手の年齢によって、債務不履行になっている人が多かったりするのですか?とお聞きすると、まだ、統計はとれていないのですが、年齢ではなく、住宅を建ててから10年から15年の人が多いのです・・・・と。

確かに、考えて見れば、15年前に今の経済情勢を予測出来た人は少ないだろう。給料も経済もどんどんどんどん、まだまだまだまだ上がり続けていくのだ。と、思えた時代だった。今のように、仕事が減り、売り上げが減少し、就職難が訪れ、それに、何度も大地震がやってきて、こんな原子力発電の問題まで勃発するとは、想像できなかった。振り返ってみれば、土地や建物に多額のお金を費やした時代だったのだな・・・・・。

その方が言うのには、こんな仕事に携わっていると、家は有り余っているのを実感するので、これからは新築ではなく、賃貸したり、リフォームをする時代だと、はっきりと認識しているのに、自分自身も住むつもりの小さな賃貸マンションを建てようとする、この矛盾をひしひしと感じていて、でも、自分の年齢を考えても、やるのなら今しかないのかなぁ・・・・と。皆が、シチュエーションは違っても、同じようjに、迷っているのだとおもう。

10時、ご夫妻と男の子二人のお子さん連れでお見えになったAさん。大阪市内のご実家を譲り受けて、新築をしようという計画で、もちろん、リフォームも考えるのだけれど、増築を繰り返していて、かなり、ヘンな状態になっているので、やっぱり新築しかないのかな・・・。というお話がスタートだった。

玄関に土間があり、キャンプ道具やスキーの道具などが仕舞えればれば・・・。それに、仏壇があるので、法事の事もあって、和室は8畳ほど必要で、それにそれに、先祖があるのを常に意識して欲しいので、いつも仏壇のある和室を通過してからリビングダイニングに行けるようにして欲しい・・・・。というのは、とっても珍しい要望だった。本棚がリビングに欲しい。収納は一カ所にあれば、共働きなので、洗濯と洗濯物を干す作業がうまく出来れば・・・などなど。

LDKを中心とした住まい。という事に於いては、日本の住まいのスタイルには、さほど大きな違いはないが、食事の仕方やテレビの見方や収納などなど、細かい部分では、それぞれの家庭によって、多様性があって、それを、細かく対応しながら、編集作業を繰り返して、その家族にあった家づくりをするのが、木村工務店のスタイルなのだとおもう。

「家そのもの」が持つ価値というよりも、「家」によって、「新たなライフスタイル」がもたらされるという、そういう「付加価値」を造りだす、そのための努力が、木村工務店の家づくりのスタイルであって、それには、「家づくりの過程を一緒に共有する」というコトが、大切で、そういうコミュニケーションを施主と設計士と現場監督と職人さんが、ひとつのチームとなって、地道に面倒くさいコトを続けて行く以外に、そんな付加価値を創り出す道はないのではないのか・・・・・というのが、最近、感じているコト。

応接室や会社の玄関で、子供達が元気よく遊び、時々、その騒がしさに、お父さんが、子供を窘めたりしながら、初めての顔合わせが、進んだ。こういう、雰囲気と過程の中からこそ、その家族に応じた、「家」とその家族の「ライフスタイル」が産まれるのだとおもう・・・・。

帰り際には、会社の1階ガレージをリフォームして、「箱物」としては完成した状態の、「まちのえんがわ」に案内する。「まちのえんがわ」は、木村工務店の路面店であり、住まいのライブラリーであり、住まいのライフスタイルを考える場であり、木村工務店の仕事を伝える場であり、木村工務店のホームページのリアル版であり、新たな縁を結ぶ場所でもある。今日は、「まちの縁がわ」の、コンテンツである、古本の搬入と本を棚に展示する仕事が、コトバノイエの加藤さんによって行われていて、その作業の真っ最中だった。

午後1時過ぎ、業界では有名な設計事務所の設計士である、Kさんが、お見えになる。デザインイーストというイベントに、木村家本舗のフライヤーが置いてあって、それに興味をもったKさんが、開催日には行けないのだけれど、両親のセカンドハウスの計画があって、その相談をしたいので・・・。というコトだった。セカンドハウスと言っても、大阪市内に、両親や親戚や知り合いが、集まれる場所として、出来れば、借家をリフォームして住めれば・・・と考えているので、その家探しから、お願いできますか?というのがその概略だった。そんなセカンドハウスを大阪市内に作ろうという、そういう考え方もあるのだなぁ・・・と、興味を持ってお聴きする。同じように、帰りがけに、「まちの縁がわ」に寄って頂きながら、本も家具もすっかりなくなってしまった、木村家本舗にも、少しだけ、うちの奥方が、案内した。

午後3時、Tさんがお見えになる。先週に書いた、「そして誰もいなくなった」号で、一週間に2回もあった、ゴルフの話をしたが、その1回目の協力業者とのゴルフの会が終わって、会社に戻り、作業をしようとして、「まちの縁がわ」の前を通過したその時に、偶然、、ロードバイクに乗った男性が、通りかかって、目が合った。「ここ、何ですか、工務店ですか、何の場所ですか?」と、言って、自転車を止められた。それで、「まちの縁がわ」の意図を説明して、まだ、コンテンツが未完成の中を案内して、お話をお聞きする。

それが「縁」で、本日の相談会に、ご夫妻でお越し頂く。ある小学校の地域を限定して、建て売り住宅を探していたのだが、どうも納得いかず、家づくりを諦めかけていたその時に、偶然、「まちの縁がわ」に出会ったのだと・・・。不動産会社の日住サービスのナリタさんが、たたき台になる物件を用意しくれていて、設計のタナカくんと一緒に、あーだこーだと物件を検討する。土地や中古住宅探しというのは、まさしく「縁」と「決断」の問題であって、いつもながら、単純には行かない、ムツカシイものだなぁ・・・・とつくづくおもう。

そんな訳で、次回、一緒に物件を見るお約束をして、ご縁を持った、「まちの縁がわ」を、ご夫婦で、見てもらう。夕方5時過ぎ、まだまだ、カトウさん夫妻は、本棚の編集作業の真っ最中だった。、ツイッターやFacebookには、

 加藤 博久
「まちのえんがわ」の雑誌の棚ができたよ。

http://t.co/sOmGAgu1

20111107とあり、今は、メインの本棚の奮闘中だった。それは、なかなかの格闘状態でもあって、本の数と種類にも熟慮する要素が多々あって、そんなこんなで、まぁ、今日の作業としては、この状態で終えて、また、後日という事となったのが午後7時過ぎのコトだった。

「まちの縁がわ」は、まもなく、グランドオープンで、それは、不完全だけれど、成長していく「まちの縁がわ」として、また、皆さんに親しまれる、木村工務店ワークショップとして、オープンする予定。それに、「住宅相談会」や「お餅つき」「木村家本舗」「左官教室」「塗装教室」「障子貼り教室」「ブリキで小物造り」「端材でブックエンド造り」「スプーン造り」「リース造り」や「加工場アート展」「加工Bar」などなど様々なイベントを「まちの縁がわ」から提供しつつ、オーソドックスな「住まいの相談室」としての機能と共に、新たな「縁」を結んでいく予定です。・・・・。

そんな訳で、様々な「縁」が重なった日曜日だった。感謝。

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木村貴一 2011-11-06T23:56:33+09:00
そして誰もいなくなった http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/10/post_369.html 木村家本舗という、新たな「縁」を繋げるイベントを終えたのが、10月23日日曜日のコト。その日、うちの次男が、学校からホームステイでアメリカへ行くことになって、その準備とか見送りとかで、奥方は大わらわだった。もちろん、木村家本舗も開催中だったので、奥方はまさしくバタバタしていた。

ここで、少し、注釈を加えると、木村家本舗の正式発音は「キムラケホンポ」で、木村家(キムラケ)で、まぁ、それは、漫才の中川家みたいなもので、つまり、「キムラさんのおうちでする古本屋さん」から発祥された。そんな訳で、この発音の仕方によって、ネイティブがどうかを見分けたりして・・・・

その次男のホームスティ中の2週間ほどの期間を利用して、同じ学校に通う奥さんどおしで、イタリア旅行を企てたのが、我が奥方。もちろん、木村家本舗を頑張ったご褒美として、行くのぉ。というものの、その木村家本舗が始まる、何ヶ月も前から、そのご褒美を用意しているあたりが、流石。その出発が、10月25日火曜日の朝のコトだった。

つまり、7日間の延べ人数で、200人ほどの出入りがあった、あの賑やかだった、木村家本舗のイベントが終わり、訪問者は誰もいなくなり、本来の「家族の家」に戻るのかとおもいきや、息子だけでなく、奥方も、どこかに行ってしまった・・・・。

そして誰もいなくなった・・・・

もはや、単なる「家」となって、かつては、ツタイミカのマンガ皿が置かれてあった、2400mmの長さのあのテーブルに向かい、Yチエアーに独りポツンと座って、ブログを書く、いまここの「私」。先週とのギャップの激しいこと激しいこと・・・・。

その上、この週には、年に4回しか、それも、コンペの4回しか行かないゴルフが、一日おいて2回もあり、どの2回とも、天気は、雲ひとつない秋晴れのスカッとした天気なのに、スカッとしないスコアーしが出ない、この腕を嘆いてみたい心境だった。何時かは、「メンバーに恵まれまして・・・、」何て云う、おきまりの文句で、優勝の挨拶をしてみたいものだなぁ・・・。

建築という現場生産の「ものづくり」において、もっとも大切なコトのひとつは、「コミュニケーション」という問題で、それは、設計士や現場監督や職人さんが、家を造るために、「建築に貢献」し、「施主に貢献」し、「技術者どおしが貢献」するという、「貢献」という大前提がないと、良好なコミュニケーションは成立しにくいなぁ・・・と感じる今日この頃。

そのコミュニケーションの「潤滑油」として、ゴルフがその役目を担う場合も多々あって、建築の専門工事業者の中には、ゴルフ好きが多く、ゴルフを「接待」としてではなく、コミュニケーションの「潤滑油」とするのも、それはそれで、エエではないのかとおもう。本来的には「接待」は、コミュニケーションの「潤滑油」程度の軽やかなコトだったのだろうが、肥大化と賄賂化と談合化が、いきすぎてしまったのかもしれない・・・。

kawamtoまたその上に、今日のこの日曜日は、弊社の設計士の川本建太くんの結婚式があって、社員共々で、お祝いをした、たいへん良き日でもあったのだが、主賓の祝辞を依頼されると、もちろん、心より引き受けるのだけれど、その一週間前ぐらいから、どんな挨拶にしようかと気になりだして、それに、意外と、社員のコトを知っているようで知らない「私」にも気付いて、心の片隅で、祝辞のコトを気にしている一週間でもあった。

独りっきりの「おうち」で、日々の食事のコトや、一週間に、二回もあったゴルフの用意や洗濯物、それにプレー前日のちょっとした緊張感もあり、また、結婚式の服の用意や祝辞の前のほんのちょっとした心労もあって、勿論、奥方の名誉にかけて、声を大にして、用意周到に準備をして出発してくれているのであります。と公言するものの、木村家本舗が終わって、ほっとするどころか、気の抜けない日々が続いて、神様は悪戯好きなのね・・・・とおもう。

昨日の土曜日の夜、そのゴルフから帰って来た時に、ツタイミカが、マンガ皿の搬出にやってきた。誰もいないひっそりした、どちらかと云えば、「ひとけ」のない木村家を見て、「賑やかな木村家本舗しか知りませんからねぇ・・・」と独特のあの笑顔で、まるで、マンガ皿のように、クゥクゥクゥクゥクゥと笑った。傍らにいた、ミカワ嬢が、「天照大神がお隠れになっているようですね。賑やかにして、呼び戻さなくては・・・・」と呟いた。

おうちで静かな独りも悪くはないが、なるほど、「家」というものは天照大神が照らしていたのだな・・・・。

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木村貴一 2011-10-30T23:02:40+09:00
多謝 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/10/post_368.html 木村家本舗という催しが終わり、いまの時刻は、10月24日月曜日の午前0時30分で、毎週日曜日にブログを書くという、誠に持って個人的ゲームのような遊びは、成立せず、そういえば、確か、昨年の木村家本舗のオープニングパーティーがそんな状況であって、やっぱり今年もか・・・。木村家本舗のエンディングパーティーでは、もはや日曜日のブログ書きは諦めるしかない。

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これが、今年の木村家本舗、最後の写真で、テーブルの脇に置かれた「私」のカメラでカトウさんが撮影したのだろう・・・。午後11時を過ぎ、このライブラリーを提供しくれたカトウさん夫婦が帰られた。お互いの労を労った握手をかわす。最後のお客さんは、建築家のヤベさんで、二人っきりのデッキで、30分ほど語らう。実に、心地良いひと時。午前零時を過ぎて、ヤベさんが帰られた後、ほんとうに、誰もいなくなった、このダイニングテーブルで、いま、パソコンに向かう、ひとりっきりの「私」。

そうそう、今朝、目が覚めたのは、午前7時30分で、いつもなら、5時30分頃に目が覚めて、ランニングをするのだが、まったくもって熟睡して、そんな意識すら起こらなかった。奥方が、今日は走ったのぉ。と、何となく嬉しそうに聞く。日曜日の10kmのランニングを続ける「私」に少々の敬意を表しながらも、継続できなかったのを、喜ぶ側面もあって、いやぁ、確かに、律儀に、日曜日にランニングして、ブログを書くというのも、「嫌み」といえば「嫌み」

前日のトークショーの服部滋樹x木村貴一 ナビゲーターBOOKS+コトバノイエ 加藤博久 は、10人ほどの予定が、当日参加が重なって、27名ほどの参加があり、狭い「大ホール」がいっぱいになるという、参加者の方々には深く感謝したい気持ちでいっぱいで、それとともに、その後の懇親会を小路の「なんどきや屋」で催して、なんどき屋名物の最後に出されたカレーライスで、超満腹感と共に、何だか気分的には、これで、全イベントが終了したという、錯覚に陥り、疲れが毛穴からカレーライスと共に吹き出しそうな感覚を伴いながら、猛烈な睡魔に襲われて、ベットに倒れ込んだ。それが午前零時をかなり過ぎた出来事だった。

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そして、いまここ。

「縁」を持った皆さんに対する「多謝」と共に、短いブログにて、眠りにつきたいとおもう。
また、いつかお会いしましょう!

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木村貴一 2011-10-24T01:33:34+09:00
準備 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/10/post_367.html 朝、5時30分に、パッと目が覚める。雨かどうか、デッキに出て、天候を見る。止んでいる。アスファルトや木のデッキや土は濡れ濡れ。まぁでも良かった。何となく晴れそう。今日の木村家本舗のイベントは三つあって、一つは写真展。これは、加工場でするので、雨の心配はいらない。昨日は雨にもかかわらず、盛況だった。もう一つは、大村君による■Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場で、天気でないと困るぅ。あと一つは、■ graf tea salon et autum garden 茶事 : graf 川西万理で、ガーデンと名の付くとおり外。天候が何よりも大切・・・・

DSC02856それにしても、昨日の雨は思った以上に激しくて・・・。そうそう、その雨の中で、木村家本舗があり、その日の様子は、木村家本舗のホームページに掲載するとして、そのイベントが終わったあとに、うちのベッショ大工の家の竣工パーティーがあって、社員皆で、お邪魔する。

奥さんの親と二世帯で同居する家を自分で基本設計し、自分で大工仕事をしながら建てられるのは、大工ならではで、羨ましい限り。何よりも、家のデザインかどうのこうのという問題よりも、そういう、「ものづくりの過程」を家族で共有しながら、一緒に住む家を建てるという、その行為の中に、幸せの源泉があるのだとおもう。仲良く暮らす家として、末永く愛される家になってほしいと願って、最後は皆で一本締めをした・・・・。

そういえば上棟式も雨だったね。と、ベッショ君の奥さんが帰り際に呟いたが、帰り道は、それなりの雨が降っていた。明日のコト、つまり、今日のイベントのコトが気になったが、家に帰ると、その前日も宴会があったので、ほんとうにベットにバタンと倒れた瞬間に、意識がなくなり、まさしく死んだように寝た。

DSC02696DSC02700その前日の宴会は、暮らし向上リフォーム研究会という野池さんが主催する研究会がうちの会社の三階の会議室であり、その後の懇親会をうちの家=木村家本舗で、催すコトになって、時折激しく降る雨の中、15人ほどで、あれやこれやと盛り上がった。その上に、木村家本舗の写真展を加工場でするための準備作業がその日に重なり、社員全員と女性写真家の3人で、会場造りをし、キュレターの野本さんや、カトウさんも、成り行きを確認しにやって来て、その慰労会も一緒に重なるという、もう、何の宴会だか、全くよく分からない状況になって、おそらく、うちの奥方が、もっとも戸惑いながら、右往左往して、活躍したのだとおもう。感謝。

その暮らし向上リフォーム研究会では、耐震補強の構造評点1を確保するという、その問題をどう解釈し、どう位置づけをするのかで議論したり、ネガティブ情報の取り扱い方や、シロアリ、雨漏り、などなど、それらが、成果となって発表出来ればとおもう・・・・。

そうそう、午前5時30分に目が覚めたのだった。天気を確認し、いつものように走ろうという気持ちが沸き起こって、それで、ゴソゴソとランニングの用意をし、走り出す。西の空には月。午前6時30頃の大阪城には、ウォーキングやランナーの人たちが、かなりいて、昨年の今頃よりメチャメチャ多い。きっと、大阪マラソンの準備運動なのかもしれない・・・・。そういえば、ランニングを始めてから一年が過ぎたのだ。

ランニングを終え、15分ほど静かに過ごした後、朝風呂に入ってすっきりする。髭そって、歯を磨いて、身支度し、庭に出てみると、落ち葉だらけだった。きっと、昨日の激しい雨のせいだな。それを掃除し、ゴミを捨てに道路に出て、暫くしたら、赤い、ルノー・キャトルがバタバタというエンジン音とともにやってきて、カワイイイ車の中から、長身の大柄な大村君がニョキッと現れた。それが午前9時の出来事。そらは青空。

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セッティング前に、木村家本舗の中と、写真展の加工場と、まちのえんがわをひととおり案内して、駐車場に戻ると、大村君はセッティングを開始した。その時、ど派手なカスタマイズされたエスティマがバリバリという音と共に、現れた。それが、ベッショ大工の車で、そうだ。そうだ。昨日、カメラを置き忘れたのだ。それを、今日のコトを考慮して、わざわざ朝から届けに来てくれた。窓が開いて、昨日のお礼とともに、カメラを渡してくれる。こちらこそ、ありがとう! どうも、最近、もの忘れが、始まりだしているような感じ・・・。

DSC02878私は、庭に戻る。まだデッキは濡れている。朝ご飯に、プロテインとパンとコヒーを食べることにして、口にパンを入れている時に、携帯が鳴った。grafの服部さんで、キムラさん、まだ声、寝てるでぇ。が第一声だった。今日の茶事の準備のための到着が10時頃になるらしい。

そのコーヒーがまだ飲み終わらないうちにカトウさん夫妻が独特のエンジン音と共に、サーブで到着した。おはようございます!と挨拶をかわして、それぞれの準備に入る。私は、マキタのコードレス掃除機で、玄関周りの外から中、廊下、階段、2階デッキ、2階のLDKと掃除していると、grafの服部さんと川西万里さんが静かな音の車で到着し、レンジローバーから降り立った。茶事の準備に入る前の服部さんを写真展とまちのえんがわに案内して、暫し、歓談する。

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こんな感じで、■Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場の準備が整った。その畳にカトウさんが座ってツイイターをし、大村君はスタンバイして、お客さんを待つ。

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garafの川西万里さんとそのお友達が、■ graf tea salon et autum garden 茶事 の準備に追われながも、庭が、どこかのホテルのガーデンのような雰囲気に変貌していく。不思議といえば不思議。服部さんは、うちの次男の自転車に乗って、小路から布施に向かって、みかんを買いに走って、それを陶器に入れると、いっそう、場の雰囲気が昇華して、エエ感じになって、これで、スタンバイOK。

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奥方はリビングダイニングで、片付けと拭き掃除に大わらわ。次男は、少々ふて腐れ気味で、なんで、俺の家に知らん人がこんなに沢山やってくるのかぁという態度と顔で、英検の試験があるらしく、その試験前に本を見ている。まぁ、家族もスタンバイOKっていう雰囲気か。

そして、気付いたら、もう、午前11時になっていて、5分ほどしたら、ひと組目のお客さんがやってきた。2階から玄関に降りると、うちの専門工事業者の川端建具さんで、木製建具を担当する川端さん夫妻とそのお友達二人がお見えになった。こうして、準備が終わり、木村家本舗の10月16日日曜日オープン5日目が始まった・・・・。

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木村貴一 2011-10-16T23:56:53+09:00
陽気 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/10/post_366.html 実にエエ気候。最高に心地良い季節。特に戸外が圧倒的に気持ち良い。10月8日の土曜日に、「木村家本舗」というイベントをオープンしたのだけれど、この心地良い季候に誘われて、窓は全開で過ごす。部屋以上に、庭やデッキで過ごす時間がとっても居心地が良い。きっと、多くの人が、あちらこちらの公園や郊外に出て、この数日間のとっても気持ちの良い気候を楽しんでいるのだろうなぁ・・・。

DSC02512今年の一番のりは、建築家林敬一さんの事務所に勤めていた設計のシモカワさんで、2歳になる女の子を自転車に乗せてやってきてくれた。久しぶりの再会で、嬉しい。そんなことを Facebook に書くと、私の知り合いが、彼と同級生だと、名乗り出て、以外な繋がりを知って驚く。Facebookというものが、新たな「縁」を結ぶ、縁側的な役割をしているのだな。

それにしても、1~2歳の子供と二人っきりになるのは、何ともいえない「恐怖」があって、泣かれたらどうしようかとドギマギするし、おむつを替えるのもどうもね・・・。っていうのが、「私」。でも、若いシモカワくんは2時間以上も二人っきりでいられるのは、とっても勇気があるねぇ・・・なんて、話すと、いや、最近の若いお父さんは、半分ぐらい、そんな感じで、平気ですよ。と云う。

いやぁ。そんなのムリムリと云っているのは、私やカトウさんや吉野からわざわざやってきてくれた、阪口製材の息子さんのサカグチさん。建築家のコンドウさんは、私には奥さんの持っているような、お乳が出ませんからねぇ・・・と、とっても微妙な言い訳をしていた。さて、皆さんはどっち・・・・。

DSC02516さてさて、ゆっくりとした出足だったが、午後3事頃から、OB施主のお客さんがゾロゾロとお見えになった。うちの会社の駐車場の裏で、眼鏡の3D金型を造る山岡製作所の社長さんが、ふらりとお見えになった。息子さんの家もリフォームしている。

こういうイベントの楽しさのひとつは、家づくりではない、コミュニケーションをする楽しさ。人の出入りが少ない時は、いろいろな話をじっくり聞けたりし、またあれやこれやと、私も話す。山岡さんからは、眼鏡の製造の歴史を聞くのが面白かった。私は途中で席を外したが、カトウさんにとっては、初対面だったけれど、全開の窓の袂で、話がはずんでいたようだった。

なんでも、今の大阪市生野区の田島で、昔から鏡を磨く技術があって、いつしか硝子を磨くことになり、それで、ついでに、べっ甲で、眼鏡も造るようになったのだと。べっ甲って、水が糊の役割となって、くっつくのだそうだ。へぇ・・・。それが150年ほど前の出来事だというから驚き。ある日、福井から人がやって来て、眼鏡を造る技術が、福井の人々の冬の仕事として、伝授されて、眼鏡製造の町、福井になったのだと・・・。ある時、映画でロイド眼鏡が流行し、そんな眼鏡を造ってくれという大阪人がいて、セルロイドで型抜きで造る技術から、やがて、鋳型に流し込んで造る技術をDSC02520山岡さんのおじいさん達が造りだし、それが、2.5Dの鋳型の技術に発展し、数年前には、アメリカのスタンフォードの人たちが、この小路の町に沢山やってきて、アメリカのコンピューターの技術と、日本のCAMの技術が融合して、3Dの眼鏡をつくる技術が産まれて・・・。などなどと、一部、間違っているかもしれないが、そんな四方山話を聞くのが、実に楽しい。

DSC02530昨年も沢山の古本を買って頂いた、タカヤマさん設計によるSさん親子が、今年もやってきてくれて、あちらこちらで、寛いでくれた。昨年は、工事中に、このイベントがあり、今年は、完成した家から、この木村家本舗にやって来てくれたのは、とっても嬉しい出来事。

なのに、ご主人が、千葉へ転勤するコトに決まって、来週には、単身赴任するのだと云う。超大手企業って、イジワルなのね・・・・。まぁ、それでも、Sさん一家が愛する家で、奥さんが心地良く過ごしている姿を思い描けるのは、ある意味、幸せなコトでもあって、亭主がたまに帰ってくるぐらいが、丁度、エエのと違いますぅ。なんていう冗談を交えながら、エールを送った。

DSC02548うちの経理部長のコバヤシくんの同級生で、ただ今リフォーム工事が終盤にさしかかっているKさんが、家族でお見えになった。コバヤシくんも、会社からこちらにやって来て、庭のデッキや、あちらこちらで、ゆったりと過ごしながら、あれやこれやと話をする。

木村家本舗の玄関前の行き止まりの道に偶然迷い込んできた若い二人の男性がいて、偶然にも私と玄関前の道路で居合わせて、それで、行き止まりやでぇ、と告知し、迷いついでに、木村家本舗にでも迷いこんでみるぅ?と、声をかけてみると、そのうちのひとりが、じゃぁ。と云って、入ってくれた。まぁ、彼らにしてみればワナにはまったような、とってもおかしな「縁」。でも、それなりに喜んでくれた。

その後は、昨年コンクリートの外断熱の家を施工した、DSC02552OB施主のNさんが、次の店舗工事の打ち合わせを兼ねてお見えになり、設計のヤマガタくんも会社からこちらに来たり、一緒に会社に戻ったり。ただ今、計画中のSさんも立ち寄ってくれて、あっそうそう、長男の同級生で、高校生の頃、よくうちに泊まりに来て、やんちゃに遊んでいたトガワくんが、彼女を連れて、来てくれたのも、それぞれの成長と時の移ろいを感じさせられる嬉しい出来事だった。

15日16日の写真展の準備も兼ねて、キュレターをしてくれている、印象的丸坊主頭の野本ヒロヒトさんが、女性写真家の詫間のり子、山元彩香さんを連れ、会場セッティングの事前打ち合わせに来てくれて、うちの工事部長のトミマスくんを交えながら、あれやこれやなんだかんだ・・・。

こんな感じで、初日の木村家本舗の幕が開いた・・・・。そしてオープニングパーティー。

うちの社員。grafのスタッフ。写真家のメンバー。ツタイミカ、ヤマサキミノリの、やべガール。ミカワ嬢の同級生の女性トリオ。カトウさん夫妻。近くに住むチーママのトンちゃん。退院リハビリ中の顧問フクモトさんも家から駆けつけて、それに会長も飛び入り参加して、それにそれに私たち夫婦。などなど30数名が、異業種交流のごとき様相で懇親する。そういえば、この宴で、カトウさんより「現場監督」=「クリエーティブディレクター」という命名がなされて、きっと何時しか、うちの現場監督の名刺には、そのように刻印されているコトでしょう?

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「縁」を結ぶ可能性が薄い人たちが、木村家本舗という「縁」で出会い、楽しく「宴」を催し、新たな「縁」を結ぶのは、実に楽しい。それもこれも、この陽気のお陰だな。いや、ひょっとすれば、それは、妖気だったのかもしれない・・・・。まぁ、でも、とにかく、この気候に感謝したい。

PS
そうそう、ツタイミカさんによるマンガ皿が実にエエ感じ。
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↑ レイアウトを考えるツタイミカ
↓ マンガ皿を見た、大人も子供も笑顔する。
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今月号のANA翼の王国の「ANA  MEETS ARTS」に紹介されていて、長谷川祐子さんの文章には・・・

「マンガ皿」は文化と人間の肉体を繋ぐその瞬間をテーマにしているのではなかろうか。

料理は作られればそれで終わり、ではない。口に入れる行為が食物と人間とを脈絡付ける儀式である以上、その接点はおろそかにしてよいものではない。

もちろん、古来、人類はその重要性を知悉していたから、器に関して、長い研鑚と深い考慮を重ねてきた。「マンガ皿」のおもしろいところは、そうした文脈を現代の問題へと昇華させている点にある。

食事という行為を食事が持つ文化を「読み取る」行為へと一歩推し進めようとする姿勢が、「マンガ皿」にはある。「食べる前に読め!」と提言するかのような愛らしくも鋭利なお皿たちを前にすると・・・・

ツタイミカ本人は、そんなに深く考えてませんけどねぇ・・・。と、ホンワカと語りました。
時間があれば、是非、ご覧下さい。

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木村貴一 2011-10-09T23:55:31+09:00
貢献 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/10/post_365.html 「善良な管理者として・・・」というコトバが、建築の契約書の中にはあって、それは、例えば、台風などがやってきた時に、台風養生もせず、その管理している現場だけに被害があって、世間の他の現場には、被害がほとんど発生していない時は、善良な管理者としての義務を怠っている。というようなニュアンスなんだろう・・・・

曖昧だけれど、奥行きの深いコトバだとおもう。それで、ある広告代理店に勤める方のリフォーム工事の契約があって、その契約の内容を説明し、契約した後に、雑談の中で、日本の広告代理店が世界一の規模だそうで、アメリカに世界一の規模の広告代理店の企業があってもよさそうなのに、なぜ、日本が世界一なのですか・・・・と問う。

と、例えば、ある日本の広告代理店は、トヨタも日産もホンダも、所謂、ライバル会社の広告を同時に、同じ企業の中で、取り扱う訳で、それは、企業の新商品などの情報が漏れる可能性もあるのだけれど、そこは、社内の中で、社員が、いわゆる、「善良な管理者として・・・」良心をもって、仕事をして、情報を守り合う。そして、クライアントは、その事に信頼する。そんな事が日本人同士の中では、可能であるので、それで、一社で、広告を扱う量が、かなり多いのだ。・・・・と。

「善良な管理者として・・・・」というのは、「プロフェッショナルとしての良心」のコトなのだろうし、心構えと自分の立ち位置と姿勢を示すコトバなのだな。と、そんな話を聞くと、あらためて、考えさせられて、日本人の持つ特質なのか・・・と、印象深く、心に残ったイイ話。だった。まぁ、でも、原発に関連する様々なコトは、「善良な管理者として・・・」どうなんだろうか。という疑問と議論が、心の中で、沸々と湧いてきたのも確か。

さて、この10月8日の土曜日から第二回木村家本舗がはじまるわけで、その打ち合わせのために、プロデュースをしてくれている、カトウさんが、今日のこの日曜日、木村家本舗にきて、あれやこれやと、いやぁ、実は、ほとんどが、四方山話なんだけれど、午後3事頃から午後9事頃まで、話題がつきるコトなく話続けた。そうそう、そういえば、近くに住むトンちゃんが、「家の玄関の鍵が開かへんので、どぉしょぉ!」というSOSがあって、それを見に行って、暫し、会話を中断したのが、いかにも工務店的ではあった・・・。

何というのか、お互いに、「善良な管理者として・・・」シゴトをしようよ。という、暗黙の了解があるのだとおもう。この木村家本舗は、皆が無報酬で参加してくれていて、勿論、代金をもらう商品やイベントはあるものの、基本的には、何らかの「文化的貢献」をしてみようよ。というのが、奥底で静かに流れているリズムなのだとおもう。そんな事をカトウキムラの二人が中心になって楽しみながら、勿論、それなりの苦しみも伴いながら、いろいろな人たちを、ちょい強引、ちょいムリムリに巻き込みつつ、「文化的な繋がり」を広げていく、「貢献」的「遊び」なのだとおもう。

それで、木村工務店も大いに関わっているので、商売抜き。なんていう偽善的なコトバを堂々と使うのも可笑しいのだけれど、社員の皆は、シゴトを調整して、本や家具を運搬したり、写真展示会場設営などに、「貢献」してくれる予定で、こんな作業を通じて、皆で一緒に、「貢献」というものを学ぶ機会になればとおもう。

grafの服部さんも会社ぐるみで参加してくれて、木村家本舗のあちらこちらに新作家具も含めて、置かれるのだけれど、もちろん、それは、木村家本舗というイベントゴト以上に、文化的なものに広く「貢献」していこうとする企業姿勢なのだとおもう・・・。この機会に、暮らしの中に置かれたgrafの家具を体験してみては・・・・

写真家の野本ヒロヒトさんも自分のシゴトをやりながら、女性写真家をキュレイションしてくれて、ほんと、無報酬の「貢献」なわけで、女性写真家の方々も、人が集まるのか集まらないのかよくわからないイベントにノモトさんを信頼して参加してくれる。感謝。「私」は、この機会に、ノモトさんから「写真」を教えてもらおうと考えているので、もし、時間がとれる方は、私と一緒に、ノモトさんから写真を学んでみませんか・・・・。

この9日の日曜日には、建築を設計する「林敬一 / 高山佳久 / 近藤英夫 」の三名が木村家本舗に遊びに来られて、この機会に、建築家と会ってみたいとか、住まいの相談をしてみたいとか、そんな方々がいらっしゃるのなら、「私」が、仲をとりもちますので、お越し下さい。勿論、三人とも、何かに「貢献」してみる。というのがテーマなので、リラックスしたムードだとおもいます。

そんなこんなで、この8日からはじまる木村家本舗は、私たちにとっては、「善良な管理者として貢献する・・・」っていうのを学びつつ、皆さんと一緒に、寛ぎ、楽しむ、遊び。なのだとおもう・・・。都合がつけば、遊びにお越し下さい。

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木村貴一 2011-10-02T23:58:53+09:00
雑誌掲載 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/09/post_364.html 穏やかな風。秋晴れ。実にエエ気候。実に心地良い。一番エエ季節のひとつだなぁ。そんな良き日和に、うちの専門工事業者、米田建材さんの息子さんの結婚式があって、主賓として、招かれ、キンチョーしながら、いきなりトップバッターで挨拶をする。もちろん、だいたいは考えていくのだけれど、前に立って話し出してみると、全く違うコトバが浮かんできて、それでも、やっぱり、考えてきた話に戻るものの、三分の一ほどは、予定通りには話せないままに終わる。まぁ、だいたい、そんなもんだな・・・・・。

えっー、結婚式。という、ちょっと、冷めた目の部分も、「私」のどこかに隠れ潜んでいるのだけれど、うちの社員の結婚式も含めて、出席すればするほど、覚めた感覚になって、最後の場面では、目頭が熱くなっていくのは、そんなはずはないのだ。と、言い聞かせてみるものの、涙が出そうになる。きっと、「歳」のせいなのだ。

まぁ、目頭が熱くなるほどのコトではないが、「雑誌掲載」という嬉しい出来事が二つあって、まず一つ目。今月号の「住宅特集」という雑誌の表紙と巻頭の記事になった。今まで、4回ほど、掲載されたが、表紙、巻頭は初体験。すがアトリエの管さん設計で、弊社の守田拓生が現場監督を務めた堺・S邸新築工事で、引き渡しの前の一週間は、現場監督も職人さんも大奮闘だった。工事中の現場の様子はこちら

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設計の管さんからも喜びと、お礼の電話があって、現場のモリタくんや大工さんやこの仕事に関わった様々な専門工事の職人さんの苦労が報われた感じ。ちょうど、この建物の構造設計をした下山さんと、金曜日の夜にお会いするイベントがあって、お互い、握手して、苦労を労った。

そのシモヤマさんのイベントは、大阪市の羽根建築工房さんで開かれたイベントで、シモヤマさんが、木構造について語る、勉強会のようなもの。暮らしの中の構造と題された話は、なかなか、興味深く、ためになったね・・・。そういえば、1985プロジェクトのノイケさんとマイタニさんにもお会いする。

もう一つは、今月号の「BEPAL」の山の宿という特集で、20年来通っている丹沢の「堀山の家」が大々的に取り上げられたコト。丹沢に遊びに行く時は必ずここで泊まっていて、今まで、あえて、小屋の名前をださなかったのだが、雑誌に載ったついでに、この際、もぉエエか。現在の小屋のオーナーとは学生時代からの友人で、一年に一度、丹沢のリースを持って、大阪まで遊びに来てくれる仲。ちなみに、木村工務店のホームページにある、トップで入れ替わる大きな写真の一場面に出てくるリースは、この丹沢の堀山の家のオーナーの奥さんが製作するリース。

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↓ 堀山の家の写真。プロは流石に上手だ。雰囲気抜群。見間違うほど・・・。前オーナーが自力で小屋を増改築する姿を数年間見守り続けた。
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↓ 小屋オーナーの写真。ランプの写真も堀山の家の写真。ここで学んだ、建築的なコトのひとつは、送電線から送られてくる電気エネルギーを使わない生活。
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↓ これで、もはや、オトナの隠れ家でなくなってしまったが、まぁ、それはそれで良しとし、こうなったら、若い人が沢山、堀山の家に訪れて欲しいとおもう・・・・。「堀山の家
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↓「私」が撮った小屋の写真、雑誌のプロの写真と比較はしないでほしいが・・・
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↓堀山の家までの「道」。1時間30分ほどの適度のしんどさで、この小屋からあと1時間30分ほどが頂上。それが、登山の核心部なのだけれど、堀山の家を頂上だとする「頂上現象」組が沢山いて、「私」もそのひとり。ここで泊まって皆でぐたぐたと語りあう。
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書店で二冊の「雑誌掲載」を是非ご覧下さい。それにしても、今夜は寒いぐらいで、過ごしやすい夜だねぇ。・・・・。

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木村貴一 2011-09-25T23:20:20+09:00
番宣 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/09/post_363.html 「待宵」「中秋の名月」「十六夜」「立待月」「臥待月」「更待月」と、昔の人は、中秋の名月をメインイベントとして、その数日間、満ち欠けしていく「月」を眺めて、「暮らしを楽しむ」、その姿がカッコエエな。とおもう。それも一日ごとに、いやぁ、実にカッコエエ「タイトル」を付けているのが心憎い。テレビのない時代の「オトナの遊び」なのだとおもう。勿論、女子や子供も楽しめる遊びでもあって、あっ、そうそう、オトコが考えたと勝手に思い込んでいるのが、「私」がオトコだからで、きっと、「遊び」は「オトコ」が考える戯言なのだと、何となく考えているからだろう・・・・。

「待宵」9月11日日曜日。満月をワクワクして待つ、そんな心境になりたいものだが、「月」の事は、すっかり忘れていた。朝、ランニングをし、スパー銭湯に行き、家族はそれぞれ、どこかに出かけていて、ひとり、家で、ゴロッとしたり、ブログを書いたりした。そうそう、この日曜日の夜は、結構な時間を費やしてブログを書いたのだった。今思い返しても、月の記憶がない。

「中秋の名月」9月12日月曜日。夕方からお施主さんとの打ち合わせがあり、その後、社員が日々、掲示板に書く、現場報告を読んでいるうちに時間がすぎ、22時頃、家で晩ご飯を食べている時に、思い出した。「中秋の名月」なのだと。南面の窓を全開にして、「月」を観る。

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「十六夜」9月13日火曜日。夜、コトバノイエのカトウさんと写真家のノモトさんとデザイナーのヤマサキミノリさんと弊社のミカワ嬢の5人で木村家本舗の打ち合わせをする。ノモトさんのキュレイションにより、女性写真家たちの写真展を、大工が構造材を刻む加工場でしようかという企て。デッキに出ると、南東の夜空に、欠けているのか欠けていないのかよくわからない月が出ていて、皆で、眺める。

「立待月」9月14日水曜日。夕方から、grafのカワニシマリさんが、カトウさんに連れられて、電撃的訪問となった。木村家本舗の家の雰囲気を見てもらいながら、あれやこれやと打ち合わせをする。それで、graf 川西万理さんによる茶事をするコトになる。気楽な会話をしながら中国茶を入れて・・・。それが、つまり、「私」は、未体験なわけで、「私」そのものが、どんなものか楽しみにしている状況。打ち合わせが終わり、会社に戻って、事務作業をしたあと、帰り道の道路に立って、欠け始めた月を眺める。

「臥待月」9月15日木曜日。夕方から大今里で、リフォーム工事の契約があって、お伺いする。説明責任という約束事が、ますます大切な時代になっていて、もちろん、何度も契約書を読んで説明をしてきているのだが、いつもながら、あの、契約書の文言は、読みにくいし、内容を説明するのも、ムツカシイものだな。と、毎回毎回おもう。「月」は、帰り道の自動車からなんとなく眺めたのか、全くもって記憶が不安定。

「更待月」9月16日金曜日。夜、材木屋さんの岡房商店の社長がお見えになって、打ち合わせをする。帰られた後、事務処理をしている間に、「月」のコトはすっかりと忘れてしまった。この日、月を見たのか見なかったのか、記憶から完全に欠落している。

月をテーマにして、その満ち欠けを暮らしの中で楽しむ。という、そんな時代に「進む」コトが、ちょっと面白いし、本当に必要とされているのかもしれないな・・・・。と大真面目に考えるようになったのは、あの東北の震災での津波と原発の出来事があってのコトだとおもう。人間のもつ文明とは、文化とは、それはいったい何なのだろうか・・・と。

DSC018179月17日土曜日。「forward to 1985 energy Life」 という大集会が名古屋であって、弊社の設計のヤマガタと工事のトクモトの三人で、一緒に、車で参加したのだけれど、そのパネリストの討論を通じて、「省エネな暮らし」を「お金を使って」大まじめに「楽しむ」時代がやってきたのだ。と、体感した有意義なイベントだった。

ちなみに、夕刻、名古屋で、櫃まぶしを食べて、三人で帰阪したのも楽しい出来事。そういえば、櫃まぶしも一杯の鰻どんぶりを4回に分けて、それぞれの食べ方で楽しむ文化で、月の満ち欠けを楽しむ文化と似通っている。そうそう、「月」のコトは頭の片隅にもなかった・・・。この日は、月の正式タイトルがないので、まぁ名付けて、「忘月」。
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あれやこれやで、「月」をモチーフとして、まったくもって、こじつけがましいが、「コトバノイエのカトウさんとキムラコウムテンのキムラさん」が、「暮らしを楽しむための大まじめなオトナの遊び」としてやってみようよ。というコトで、始まった「木村家本舗」も第二回目になった。そのスケジュールが決まったのだ。と云いたいがための、お「月」様。


||||||| 木村家本舗 BOOK IN RESIDENCE 2011 ||||||||
10月の週末のオープンホームとライブラリー
10月8日/ 9日/10日/15日/16日/22日/23日の7日間
OPEN : 11:00 - 18:00
下町の長屋をリフォームした木村邸で、オープンハウスと古本屋をやってみようということで昨年企画した「木村家本舗」。
それが思いもよらぬ盛況となり、調子に乗って第2回を催すことになりました。
去年と同じことを繰り返しても面白くないので、今年はもう少し進化させて「オープンホームとライブラリー」と称し、木村家の心地よい空間で、ゆったりと寛いで本でも読んでいただこうと企画しました。
また、ご来場いただいた方に愉しんでいただけるよう、去年はなかったドキュメント・ムービーの上映、建築家相談会、写真展、お茶会、トークショーなどのイベントも予定しております。
みなさまお誘い合わせの上お越しいただければ幸いです。
***********************
EVENT SCHEDULE
<10月08日>
■ オープニング・レセプション 17:00 - 21:00
<10月09日>
■ 「世界の中心で、イエーッとさけぶ / the movie」12:00 - / 16:00 -
JIA近畿支部住宅部会の7月例会として開催された建築トークショーのドキュメントを上映します。
■ 建築家ってどんな人たちなんだろう? 14:00 - 17:00
これから住宅を建てたい、建築家の設計した家で暮らしてみたいと考えている人のために、ふだんあまり接する機会のない建築家の方と、話していただける場を設けました。
参加建築家 : 林敬一 / 高山佳久 / 近藤英夫
<10月15日>
■ 写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 11:00 - 18:00
写真家野本ヒロヒトさんのキュレイションによる、気鋭の女性写真家たちの写真展。
ふだんは鑿や金槌の音が響く加工場の空間に、女性ならではの繊細な感覚の写真が展示されます。
参加写真家 : 多田ユウコ / 詫間のり子 / 山元彩香
<10月16日>
■ 写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 11:00 - 18:00
■ graf tea salon et autum garden 11:00 - 17:00
茶事 : graf 川西万理
「秋の庭。山茶花が咲く頃。あたたかな香ばしいお茶や秋の果実を使った甘いお菓子をどうぞ。木村家の庭にて深まる秋のアフタヌーンティーをお楽しみくださいませ。」
■ Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場 11:00 - 17:00
好漢大村クンが、愛車ルノー・キャトルに古本を積み込んでやってきてくれます。
<10月22日>
■ トークショー「モノづくりのプロセス、そして未来」
服部滋樹 X 木村貴一 at 木村家ガーデン 19:00 – 20:30
大阪を代表するクリエイティブ・ユニット「graf」を率いる服部滋樹と大阪の下町生野区で3代続く工務店を経営する、木村家本舗店主木村貴一によるトークショー。
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)
茨木市 cafe 百花 による珈琲のケータリングがあります。
予 約 : 06-6751-4414(木村工務店 参川まで)
<10月23日>
■ クロージング・パーティー 17:00 – 21:00
感謝をこめてのささやかな宴、そして木村工務店の新しいプロジェクト「まちのえんがわ」のお披露目。
|||||| 会期を通じての展示 ||||||||
■ graf / Narrative 11 この秋発表されたグラフの新作家具
■ ツタイミカ / マンガ皿
■ 写真家 野本ヒロヒトの新作シリーズ発表


こんなスケジュールで、ちょっと私的解説を加えてみると・・・

graf / Narrative 11:開催期間を通じて、grafの家具が体験出来ます。実際の生活をしているスペースで、家具を体験出来る、それもgrafの家具。是非是非、体験を。

ツタイミカ / マンガ皿:不思議なお皿をつくるヤベガールです。建築家ヤベさんがプロデュースをする女性クリエーターのコトを「やべガール」と呼びます。ツタイミカさんは、JIN's EYEWEAR DESIGN CONTEST 2008 優秀賞、第17回アイリス生活用品デザインコンクール 学生奨励賞、Tokyo Midtown Award 2010 柴田文江賞という1988年生まれの女性デザイナーです。暮らしの中にあるマンガ皿を体験ください。

ヤマザキミノリ/ 木村家本舗のフライヤーとフリーペーパー:やべガールのひとりで、イラストレーターです。YCOJIWAという不思議なホームページをご覧ください.。ご来場頂いた方々に、お持ち帰り頂ける「ペーパー」を、ただ今製作の真っ最中なのです。ガンバレヤマサキミノリ!

写真家 野本ヒロヒトは、酒飲みで、酔っぱらいですが、眼差しは真摯です。風貌を遙かに上回る、カッコエエ写真なのです。是非、彼のホームページをご覧ください。さてさて、常設展示は、どんな作品が展示されるのか、楽しみです。


オープニング・レセプション 10月8日(土)17:00 - 21:00は、夕方ぐらいから、生ビールとおでんによる、気楽なパーティーです。木村工務店の社員も出入りするでしょうし、OBのお施主さんなど、久しぶりに、○○に会いたい。と思われる方は、是非この日かクロージングパーティーにお越しください。

「世界の中心で、イエーッとさけぶ / the movie」10月9日(日)12:00 - / 16:00 -は、この木村家本舗のプロデューサーである、カトウさんが、コトバノイエと呼ばれる自邸を建てるにあたって、建築家のヤベさんとの出会いから、その家を建てるエピソードを「施主」の立場から語る貴重なトークショーの録画ビデオです。建築家との家づくりをする「施主」になろうかどうかと迷っている皆さんにとっては必見のビデオです。是非、参考にしてご覧ください。

建築家ってどんな人たちなんだろう? 10月9日(日)14:00 - 17:00 は、弊社で施工をした建築家のタカヤマさんとハヤシさんとコンドウさんが、お見えになります。具体的な家の相談も出来ますし、建築家って、どんな人なのか、会ってみて、簡単な会話でもしてみたいと思われる方は、気軽にお越しください。本のついでに、チラッと見るだけもOK!です。

そうそう、

yabetatsuya9:25pm via Web

木村さん、やべガールの説明ですが、建築家ヤベさんがプロデュースする女性クリエーター、じゃなくて、やべがナンパした元女子大生、に訂正お願いします。

と「ヤベ」さんからツイートがきた。見た目は取っつきにくいが、ヨッパラうと、実に、楽しいヒトなのだ。「建築家ってどんな人たちなんだろう」には、仕事があって、「出演」できないのが、とっても残念。この場で、皆さんにご紹介しておく。

写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 10月15日(土)と16日(日)11:00 - 18:00 は、多田ユウコ / 詫間のり子 / 山元彩香 は、かなり有名人の女性写真家ですよ。とキュレイションをした写真家のノモトさんが、お酒を飲みながら、でも、真剣な眼差しで、語っていました。「私」は、まだ作品を見たコトはないのですが、楽しみです。それより、カミングアウトすると、写真のコト、全く理解できてません。そういえば、購入できる作品もあるそうです。ちなみに、多田ユウコさんは建築家のタカヤマさんの建築写真も撮影してはりますし、前回の木村家本舗にもお越し頂きました。彼女の摩訶不思議なコトは、時々、巫女さんになるのであります。

graf tea salon et autum garden 茶事 : graf 川西万理 10月16日(日)11:00 - 17:00 は、grafの川西万里さんが、中国茶を野点しながら、心地よい会話と共に、ゆったりと楽しくお茶を飲む、茶事です。実は、「私」も未体験で楽しみなんです。

Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場 10月16日(日)11:00 - 17:00は、d&bという工務店で現場監督をしている大村くんが、愛車ルノー・キャトルのトランクに古本積み込んで、木村家本舗横の駐車場で古本を販売する企てです。昨年の木村家本舗にもやってきてくれました。

トークショー「モノづくりのプロセス、そして未来」 服部滋樹 X 木村貴一 at 木村家ガーデン 茨木市 cafe 百花 10月22日(土)19:00 – 20:30 は、grafの服部さんと「私」という、「ものづくりの組織」を持つ二人の、「模索と格闘」のトークショーです。司会はカトウさんで、きっと鋭い質問と突っ込みが飛んでくるのだとおもいます。要予約なのですが、当日でも大丈夫、OKでしょう?・・・・。でも、出来れば予約してください。

クロージング・パーティー 10月23日(日)17:00 – 21:00は、このプロジェクトに関わった人々を含めて、感謝と&Love&Peaceな宴として、賑やかに楽しくやりたいとおもいます。 建築家の人も集まるでしょうし、社員や、いろいろ・・・。


木村工務店の新しいプロジェクト「まちのえんがわ」のお披露目10月23日(日)は、木村工務店が、まちの人々と「繋がり」を持つための「縁側」としての「まちのえんがわ」であり、「まちのライブラリー」でもあります。また、イベントを発信するスペースであり、建築家と出会えるスペースでもあり、木村工務店の仕事を伝える場所であり、木村工務店に関わる人たちが、住まいに関する「専門知識」を皆さんに分かり易く解説するために努力するスペースでもあります。まだ、工事中で、本も並んでいない状態なのですが、そうそう、これから急ピッチで進めなくてはなりません・・・。

あっ、そういえば、「まちのえんがわ」は、「キムラさんの頭の中身」だといわれました。

そんな訳で、「まちのえんがわ」は、月の満ち欠けを楽しむお月見の文化のように、「ものづくりのプロセス」を楽しみ、伝える縁側です。また、木村家本舗から繋がる、「暮らしを楽しむ遊び心」をもった文化を広げる、「木村工務店の縁側」でもあります。

つまるところ、今日のブログは「木村家本舗」と「まちのえんがわ」の「番宣」なわけで、皆さん!よろしくお願いします・・・・!

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木村貴一 2011-09-18T23:58:53+09:00
ちょい「脱皮」 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/09/post_362.html DSC01367

設計のマイタニさんに、キムラさん、これ知らんかったら、「もぐり」やでぇ!と暫くの間、脅されていた。神戸市の箕谷駅から呑吐湖の側に、「箱木千年家」という住宅があって、ウィッキベディアでは806年に造られたとあり、実際は1400年代に建てられたのだと、本にはあって、まぁ、そんなコトより、兎に角、最古の住宅らしい。

この土曜日。実は、先週のあの台風の日に、マイタニさんと学生とで行く予定だったのだが、延期になった。「私」的には、打ち合わせがあったのだけれど、この際、「もぐり」という汚名を返上すべく、お施主さんや弊社のスタッフに助けられて、何とか時間を工面し、マイタニさんの解説付きで、学生と共に訪問した。
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DSC01423建築架構的には、壁の90センチほど手前に木組みの架構が四方に廻っていて、架構と外壁という構成になっていたのに興味がそそられる。それで、上記の写真のような、柱と壁による空間が発生し、それは、まるで、「床の間の発生」を垣間見たような気分。

外に居るだけで、汗をかく、9月なのに暑い日中の土曜日。なのに、中に入ると「ひんやり」としていた。それは、なぜなんだろう。とマイタニさんとちょっとした論考をすすめながら見学する。室温そのものは、外気温と、そんなに大差はないのだが、内部の土壁と土間に触れると「ひんやり」しているのだった。体感温度は室温と内壁床天井の表面温度との二分の一だそうだ。室内の表面温度が低いので、体感温度が低く感じるのだろう。

外が、これだけ、暑いのに、なぜ、クーラーもないのに、土間と内壁の表面温度が低いのだろうか。と話し合う。夜間に室温が下がって、土間と土壁の温度が下がる。昼間は太陽熱で屋根や外壁の温度が上昇するが、茅葺きの厚みや土壁の厚みのおかげで、その熱が内部まで伝わらず、いわゆる、夏期日射取得係数μ(ミュー)値が低いので、室内の壁や土間の表面温度が夜間の低温を蓄えたままになる。その上、開口部が極端に少ないので、日射もほとんど入らない状態。また、天井がかなり高く、熱気を排出しやすい仕組みになっていて、室内が夜間の温度をキープしやすい状況なのだ。と。冬は囲炉裏や竈などで、熱を造って、壁に熱を蓄えるのだろう。風通しの良い家とは違う、夏、涼しい家の原型なのかと考えてみる。

そうそう、外壁は、大壁といわれる、柱が見えない壁。プリミティブで原始的な感じ。昨年のゴールデンウィークに旅して訪れた、尖石縄文遺跡にあった竪穴式住居と似通っていって、大地から土の壁がニョキッと盛り上がって屋根を支えているような感覚。それにしても、この当時すでに「縁側」があるのだな。と、今、写真を見比べて、再認識する。

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上の写真は、千年家のその横に、江戸時代に造られた住居が併設してある。こちらは、開放的で、千年家が、「土壁」が盛り上がった感覚なら、こちらは、「柱」が大地から立ち上がった感覚。ちなみに、千年家の柱や梁や床材は、チョウナといわれる道具で、加工されていて、木材にその跡が残っているのが荒々しくて男性的。柱も太くて少し歪で、表面もガタガタで、面取りも大きい。それに比べて、こちらに使われている木材は丁寧に鉋がけがされていて、所謂、柱が光っていて、面取りも小さくて真っ直ぐ。同行した学生が、こちらの方が好きですわ。と言ったように、モダンな感覚。

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右が千年家で、軒高も低く土壁。左が江戸時代の建物で、外壁は建具と板貼りで開放的で、軒高も高くなっている。この二つの建物の造られた年月の間には、大工道具の技術革新があって、オガと台鉋(ダイガンナ)と云われる大工道具の発明がエポックメイキング。

木を縦に切るのは難しくて、それまでは、木を石のように、楔で割って、出来た木材をチョウナという道具を使って表面加工をしていた。それが、オガといわれる鋸(ノコ)の出現によって、木を縦に切る技術革新がもたらされた。木から柱や梁や板材を鋸で切り取れるようになって、それまでは、木の表面がガタガタだったので、チョウナしか使う事が出来なかったが、台鉋といわれる道具が発明され、今、大工さんが持っているのと同じ鉋を使って、木材の表面を平滑で綺麗に加工が出来るようになった。また、オガを使う木挽きという職業が生まれて、柱材や板材を量産出来るようになって、室町江戸時代のあの町並みが生まれたのだ。と。これ、「村松貞次郎の大工道具の歴史」からのうけうり。因みにこの本は木村家本舗のプロデューサーでもあるコトバノイエのカトウさんから頂いた。

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それにしても、歴史の隙間を垣間見る感覚。

 

 

江戸時代に建てられた「はなれ」の内部は開放的で、土壁や板壁に囲まれた「千年家」を見た後に比べると、障子や襖といわれる「建具」というもので部屋を区切ったり繋げたりする、その「日本的感性」と、外部空間と内部空間の間を繋ぐ「縁側」の広がりに、あらためて気付かされる。
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↓ 左 江戸時代の座敷 _____________↓ 右 千年家の囲炉裏の部屋
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なぜか、千年家の部屋の方が新鮮に感じられ、この感覚の違いが面白い。左の畳と右のチョウナで削られたガタガタだがあじのある床。ちなみに、下の写真がチョウナ


上の左が北斎の富嶽三十六景の遠江山中図で、木挽きがオガで縦に木を切る姿。右上がオガで下が台鉋。これらが技術革新をもたらした大工道具だというのだ。室町江戸時代の座敷の鴨居や長押や柱は台ガンナがあってこそ生まれた室内空間だと・・・・。ところで、北斎のこの絵を見ていると、このお盆に見た、馬頭町広重美術館の広重と隈研吾の建築を唐突に思い出したのだが、それはまた・・・・。
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そんな訳で、ちょい「もぐり」のキムラから、ちょい「脱皮」をもたらしてくれた、箱木千年家見学だった。

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木村貴一 2011-09-11T21:34:44+09:00
http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/09/post_361.html 「まちのえんがわ」というプロジェクトを進めていて、DSC01225木村工務店の1階にある車一台分の車庫スペースに、「衣食住」の「住」に、興味と関心を持つ皆さんに、住まいに関する「専門知識」を、セレクトされた雑誌や本やカタログを通じて提供し、「まちのライブラリー」として、縁側のような場所を造りだそうとする試みで、ただ今、大工工事の真っ最中。

土曜日、台風が近畿地方に接近し、大阪市内では、予想に反して雨は多く降らなかったのだけれど、そうそう、そういえば、先週の土曜日に突然襲った、あの集中豪雨の方が、凄くて、何でも一時間の大阪の降雨量としては記録的な数字だったらしい。

P8270037その影響で、会社の前には水が溢れ出し、長靴を履かないと歩かれない状況になって、20センチほど道路に水が溜まった。車が通過すると、その勢いで、まるで津波のように水が、ドバッと押し寄せてきて、工事中の「まちのえんがわ」にまで水が進入し、慌てて、倉庫にある土嚢袋を取りに行き、積み上げて水を食い止める。

その台風が過ぎ去って、どんよりした天気の今日の日曜日の朝。突然雨に降られるのもイヤだな。という、ちょい弱気な気分になって、毎週恒例の日曜の朝のランニングは止めた。結局、その1時間ほどの間は曇ったままだったので、それなりの後悔も沸き起こった訳で、まぁ、そんな時もあるわな。などと、心が心を慰めている状況。

この5月に庭に植えたシロツメ草が、一面の緑になって、カッコ良かったのに、夏の暑さと、落ち葉の手入れを怠った影響かで、緑がまだらになり出した。ランニングもしなかったので、シロツメ草の間に絡まった落ち葉拾いを1時間ほどする。「庭仕事」のようなコトは、ほとんど経験がないのだけれど、しゃがみ込んで草と土に触れながら過ごす一時間は、ランニングと同じように、終わった後は、しんどいけれど心地良い気分になれるのだ。ってコトを知ったのが嬉しい収穫だった。

そうこうしている時に、コトバノイエのカトウさんが、建築図書専門店の柳々堂さんの女性店主を連れてお見えになった。何でも100年以上も続く建築の専門書店だというのだから敬服する。コーヒーを飲んだり、食事をしたりしながら、「まちのえんがわ」に置く建築専門書のアドバイスをもらう。実にためになる話だったなぁ・・・。ご協力に感謝。

お昼を過ぎてから、建築家のヤベさんのご紹介で、「マンガ皿」という不思議な作品をつくるツタイミカさんと「よこじわーるど」というFreeペーパーを制作するヤマサキミノリさんが、コトバノイエのカトウさんプロデュースのもと、うちの家にお見えになる。二人とも20代の女子。先週に告知をしたように、今年も木村家本舗を催すコトになり、そこに、「マンガ皿」の展示と木村家本舗フリーペーパーの製作を依頼するコトになった。

50代のオッサン二人と20代前半の女子二人が、テーブルを挟んで、コーヒーやお茶を飲みながら、「大まじめな遊びの催し」について語り合うその姿。その時は、何とも思わなかったが、今こうして、文章に書いてみると、ちょい不思議な光景だたのかもしれない。隣の部屋で、奥方や息子が聞き耳をたてながら、このエエ年したオッサン二人の姿を滑稽に見ていたのだろうか・・・・・。

カトウさんの持つハブ機能によって、三人の女性と縁をもった楽しい日曜日だった。

「まちのえんがわ」も「木村家本舗」も当然ながら、建築空間との関わりが大いにあって、勿論、工務店をしているので、建築空間には興味があるわけで、大好きなのだけれど、旅に行っても建築を見るのだな。とオモワレルと、意外とそうではなくて、建築を見るコトを意識して旅に組み入れるようになったのは、ここ5年ほどのコト。なぜか、奥方や息子がそれなりに建築に興味を持つようになっていて、旅の中のひとつのイベントとして、「一緒に建築を見る」という時空間が案外楽しい。とようやく最近気付いたのだった。

このお盆の気仙沼・那須・東京の旅では、那須の二期倶楽部と隈研吾三部作といわれる建物と七石舞台という作品を見る。松岡正剛・内藤廣・和泉正敏の三人による七石舞台というのが那須の二期倶楽部にあって、朝食を食べた後、朝の七石舞台を見学する。その「場」の雰囲気とディテールが独特でとっても不思議な感じ。

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石と石の間で、緑を映し出しているのがステンレスで、周りの緑をそのステンレスが取り込んで、それが、石との組み合わせで、不思議な浮遊感を醸し出す。石とステンレスが自然な形のままぴったりとくっついている、その技術の高さにも驚かされるが、朝日がそのステンレスに反射するので、その上に立つと下から顔にライティングがされたようになり、とっても不思議な雰囲気をもつ顔としてステンレス面が反射する。

家族三人がそのステンレスの上に立って、記念写真をお互いに撮りあうという、超ベタベタな家族写真撮影会を楽しむ気にさせる、摩訶不思議な舞台。奥方など、息子に向かって、ここで、結婚式したらエエのに。と言う。確かに、結婚式の舞台としても使用するらしい。ちなみに石の製作者の和泉正敏さんとは何度も面識があって、うちの会社の前にある石のオブジェは、和泉さんの作品。

七石舞台は、石とステンレスと周囲の自然環境とそこでの催しや宴がひとつの「縁」として結ばれていくような雰囲気。「木村家本舗」も「まちのえんがわ」もそんな「縁」を結ぶ空間になれればとおもう・・・。

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木村貴一 2011-09-04T23:52:41+09:00
テーブルを囲んでゆったりと時空間を共有する。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/08/post_360.html 土曜日に、中古住宅を買ってリフォームをしたお宅に、食事に招待されて、大工のセンさんと設計のタカナくんと現場監督のツジモトくんの4人でお伺いする。二歳違いで続く3人兄弟の子供さんがいて、ご夫妻を交えて、長さ1800mmの無垢材のテーブルを9人で囲む。その皆で食卓を囲む雰囲気が、とっても楽しく嬉しくエエ感じだった。

あらためて、テーブルを中心にして人が集まってコミュニケーションをする時代だなとおもう。それにしても、接近した男の子三人の姿は、賑やかで逞しくて可愛らしい。これからの厳しい21世紀の日本を担う男の子が育っていかなくてはならないのだなぁ・・・・・・。ま、とにかく子供さん達に感謝。勿論ご両親にも。
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8月15日お盆の早朝6時40分のフェリーで気仙沼大島を後にする。折角、ここまで来たのだから海岸沿いを仙台に向けて被災地を見ながら走る。という、そんなドライブもあるかもしれないが、家族3人とも、気分的に、そんな「ドライブ」をしたくなかった。それで、もと来た道を引き返し、一関ICから那須ICまで東北自動車道を一気に走る。

キャンプをした後に、真新しいシーツのベットに飛び込んだ瞬間の、あの何ともいえない悦楽的な感覚。布団はエエなぁ・・・とつくづくおもう。二期倶楽部というのが、今夜のお宿で、震災の前から奥方が予約をしていた。大阪で、那須なんていうコトバをいうと、那須の御用邸やな。なんていうツッコミが返ってきて、もちろん初めての土地。それどころか、「私」は栃木県初体験。埼玉や千葉にも通過以外には行った事がない。そういや、まだ、ディズニーランドも未体験ゾーンなのだ。
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ホテルに泊まって、ゆったり食べる楽しみ。ゆったり寝る楽しみ。夜に、家族だけで、2時間近くもかけて、食卓のテーブルを囲んで、ゆったり食事をするなんていうのは、ほとんどない。朝など、1時間近くもかけて、ゆったり家族で食事をするなんて、皆無に等しい。確かに、今まで食べた中でも、美味しい料理のひとつだったけれど、美味な料理はテーブルに留まらせる手段であって、テーブルを囲んでゆったりと時空間を共有する事の方に力点があるのだ。と、この土曜日の9人の食卓を体験して、あらためて、そうおもう。きっとこの震災にあった人々も、ゆったりとテーブルを囲む時間を持ちたいのだろう。

さてさて今年も10月の週末に、コトバノイエのカトウさんプロデュースの元、木村家本舗を開催することになりました。今年のテーマは「オープンホームとライブラリーの七日間」です。昨年の「オープンハウスと古本」から少し進化して、ゆったりと過ごせる時空間を提供できればと計画しています。随時詳細をお知らせ致しますので、昨年お越し頂いた方は、また再会できることを。初めての方は、今年こそ是非、お会いしましょう!

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木村貴一 2011-08-28T23:09:59+09:00
ケセンヌマとツイッター http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/08/post_359.html ツイッターやフェースブックというのは、面白いメディアだとおもう。まったくもって、くだらない呟きだが、そのくだらない呟きを自ら発することで、今までと違う、コミュニケーションが生まれたりする。

木村貴一 Takaichi Kimura
@kimutaka1木村貴一 Takaichi Kimura
夕刻、自宅を出発し、今、北陸道、富山立山ICを通過。新潟を経由し、気仙沼へ。
8月12日 HootSuiteから

こんなツィートを発したのは8月12日の夜の11時過ぎで、前日に、旅行に持って行く予定のこのノートパソコンの調子が悪くて、再インストールをしていて、その作業が長引き、深夜2時頃までかかってしまった。そんな状況下で、12日の午後7時に、旅行の準備も中途半端な状態のまま、無理矢理に旅立つ。奥方と中3の次男との3人旅。大阪から気仙沼、気仙沼から那須、那須から東京、東京から大阪。おそらく、次男と一緒にする、こんな旅行も、あと2、3回なのだろう。

そんな訳で、たった2時間ちょっと運転しただけで、睡魔がおそってきた。今までの旅は、何千キロあろうと、ほとんどひとりで運転してきたが、年のせいもあるのだとおもう。大阪から長浜のあたりで、運転を代わってもらうことにした。奥方も、こころよく引き受けてくれて、後ろの席で1時間ほど仮眠をし、目が覚めて、「いまここどこ」とあたりを見回して、寝ぼけ眼で、ツィートしたのだった。

ツイイターからは・・・
BOOKS+コトバノイエ
kotobanoie BOOKS+コトバノイエ
@kimutaka1 服部さんが気仙沼にいるはずですよ。気仙沼小学校だったかな。
8月13日

フェースブックからは・・
8月12日 23:25 (HootSuiteから)

河田 昌裕 お気をつけて
8月12日 23:33

Mari Koga Have a safe drive and good time

自分の事を「発する」というのは、なかなかムツカシイもので、「私」にとっても、まったくもって、得意ではないのだけれど、なんらかの「貢献」をする。ということが必要とされる、この時代においては、待ち受ける情報より、まず、自らが自らの情報を発信することで、新たなコミュニケーションを作りだす事が、求められているのかもしれない・・・・。そうそう、今、こうやって振り返ってみると、ひとつのコメントは、ニューヨークに住む、知り合いのJAZZシンガーからで、それを北陸道の富山あたりで読んでいるのだから、不思議といえば不思議。ツイッターやフェースブックというのは、確かに、新しいコミュニケーションのツールだとおもう。

目が覚めてからは、奥方と運転を代わり、走り、仮眠し、また走り、福島あたりの渋滞に巻き込まれ、運転を代わってもらい、また走り、一関のインターチェンジを降りたのが10時頃で950kmほどのドライブだった。一関から気仙沼の国道を走る間に、突然、携帯電話が鳴る。いったい、誰、仕事?、と思っていたら、grafの服部さんからの電話で、ツィッターが取り持つ縁で生まれたコミュニケーションだった。

先ほどまで、気仙沼にいたのだが、今、一関から電車に乗るのだという。DSC00110ほんとうにすれ違いだった。ほんの数十分前まで、一関を通過するついでに、JAZZ喫茶ベイシーを一見したところだった。もちろん、こんな朝にジャズ喫茶が開いているわけがない。聞くと、気仙沼で子供達のための家具を作るらしい。また食事でも。と会話しながら、それぞれの旅へと向かう。

気仙沼のフェリー乗り場で、気仙沼大島でボランティアをする上野くんと落ち合い、grafの服部さんとの間を携帯電話でつなげて、ちょっとしたハブの役目をする。関西に住む、「私」を含む3人が、この東北地方の大震災と貢献と携帯電話とツイッターによって、なぜだかよく理解できないが、「ケセンヌマ」という縁で繋がる不思議。

さてと、「東北と地震と津波と建築」をどのように理解したらよいものか・・・・・。津波や地震に強い建築を造るという以前に、どんな場所に住むのか、どんな場所で仕事をするのか。何を職業としてそこで住むのか、もしくは仕事をするのか。そこで、どんな自然災害のリスクを負って住むのか、もしくは仕事をするのか。気仙沼では、そんな問いと思考が脳内を巡っていた。

「沈黙」が覆っていた。車から降りて写真を撮るなんていうムードと気分じゃなかった。それでも、車の運転席から、窓ガラス越しに、数枚だけは、撮っておきたいという、外者の微妙な心境・・・・。
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聞いた話だが、ある漁師が言うのには、「海からの恵みものを頂戴して生活をしてきた。この津波も海からの頂き物なのだ。だから・・・・」と。海に生きる人たちは、そういうリスクを背負って、海と共に生きてきた、逞しい人達なのだろう。そんなリスクを負う必要がないひとは、津波という自然災害の大きなリスクを伴う場所に住まない方がエエのだろうし、そんな場所を住宅地として開発しない方がよいのではないか。旧市街地以上に新市街地のより悲惨な状況。「傲慢」さというコトバ。それらが、その場所での思考回路だった。

沈黙とともに、フェリーで気仙沼大島に渡って、キャンプをしながらこんな夜のツィートをした。 家族3人とウエノ君で、焚き火と満月の下で語り明かした夜でもあった。

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Photo on 2011-08-13 at 22:14.jpgkimutaka1 木村貴一 Takaichi Kimura
焚き火と満月の夜 ow.ly/i/fHPc
8月13日

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木村貴一 2011-08-21T22:44:55+09:00
沈黙 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/08/post_358.html お盆休暇が始まっていて、木村工務店では、13日から17日まで、休暇を頂戴している。そんな訳で、今年のお盆はどうするかと考えている時に、野池学校や暮らし向上リフォーム研究会の事務局をしている上野さんと親しくなり、彼は、建築の設計を生業としているのだけれど、ボランティア活動も高校生の時から続けているのだという。それで、いま、気仙沼大島でホランティアをしているのだと・・・・。

そんな話から、いろいろな状況が、前後したが、結局のところ、気仙沼大島で、キャンプをしながら、タープの下で、このパソコンを打っている「私」のいまとここ。「私」は、ボランティア活動の経験がないので、どちらかといえば、ボランティア活動をしている人をボランティアしにいくような感覚。ウエノくんは、テントに寝泊まりしながら、こんな感じでパソコンを使っている。テントの中には、建築の本がちゃんと置いてあるのが、笑える。いやいや、ちょっと感激する。
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勿論、いま、この時期に、東北に行くのには、それも、ほとんど、観光なのだけれど、確かに、ハードルが高い。風評もいろいろあって、まるで、放射能を浴びにいくようないわれ方もされて、息子など、おとうさんやおかあさんは、年がいっているからエエけど、俺、まだまだ若いから・・・・。なんていう風評の影響が誠しやかにはびこる。確かに、行く場所にもよるのだろうし・・・・・。

それでも縁があって、ウエノくんが、フェリーの予約をしてくれたりして、気仙沼発の午後2時40分のフェリーに間に合うために、前日の夕刻に大阪の自宅を出発して1000kmを走る。そして、到着した気仙沼の町には「沈黙」の空気が漂っていた・・・・。

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↑ 気仙沼大島の津波被害の様子をレクチャーしてくれるウエノくん
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↑ 海岸に流れ着いた家の梁や柱かあった。燃え跡もある・・・・
   この木を見ていると、いろいろのでき事やかつての生活まで想像してしまう・・・
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↑ 海水浴客がいない、日本で1、2を争う綺麗な砂浜。いつかは人が戻って来るのか。
多くの瓦礫は撤去されたが、暫くすると、また瓦礫が打ち寄せてくるらしい・・・

そんな訳で、この夏の旅はもう暫く続く。
皆さんにとってエエお盆休暇でありますように。

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木村貴一 2011-08-14T21:59:09+09:00
受け継がれる職人気質 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/08/post_357.html 木曜日の朝、ふらっと、左官屋の阪井さんがやって来た。いや、正確に言うと、もと左官屋さんで、もう15年以上前に引退をしているサカイさんで、それは、年齢的な事ではなくて、これからは、左官屋さんの仕事はどんどん減っていくし、その上、二人の息子さんが、医者になるといって、医学部に行っしまった。左官屋を継がない。それで、廃業する事にした。というのだった。

そのサカイさんのお父さんは、丸坊主の大きな体の人だった。私がまだ、小学生の頃、その左官屋さんのサカイさんと、材木屋さんの岡房商店のオカフサさんの先代社長が、二人で木村工務店にやってくると、私を呼んで、お小遣いをくれた。それは、子供にとっては嬉しいハプニングであって、そんな事が何度もあったと、鮮明な記憶として残る。

いま、50という年齢になって、その出来事を思い返すと、それは、左官屋さんや材木屋さんが、仕事上での木村工務店の先代や先々代の社長に対する感謝であったのだろうし、それが、その孫としての私へのお小遣いとして表現されたのであろう。また、立派に育ちや!という、メッセージでもあったのだろうとおもう。

「三つ子の魂百までも」というコトバがあるが、小さな時に受けたそういう恩のようなものは、大きくなっても潜在意識のどこかに潜伏していて、材木屋さんや左官屋さんに対して無意識に好意的な印象を持っている「私」に気付く。もちろん何らかな形で、その恩をその左官屋さんや材木屋さんの次の世代の人に、返そうという、目に見えない力に動かされている時があって、悪意に取れば、マクドナルドの子供戦略的だが、そこは意識して好意的にとらえ、その好意を返せる機会には返しておこうという気持ち・・・・。

大学を卒業して、木村工務店の現場監督をしている時には、その左官屋のサカイさんに、皆がノブちゃんと呼んでいたのだが、左官職人の考え方や癖を教えてもらい、左官仕事の技術を端から見る機会に恵まれたのは、今にしておもうと、有り難い事だった。

ところが、そのノブちゃんが、息子さんにその左官技術を継がせず、左官という職業を放棄した事に対して、微妙な憤りを感じていた。いや、ほんとうに、その木曜日までは、ノブちゃんの先代に対しては、お小遣いをもらったという、懐柔されたのかも知れないにしても、それなりの好意持っていたが、ノブちゃんには、左官という職業の面白さを教えてもらいながらも、憤りを感じていた。

ノブちゃんは、蓬莱のアイスキャンデーと共に、古びた箱を携えて、数年ぶりにフラリと会社にやってきて、なんでも、倉庫を整理していたら、真っ新のこんな「箒目」というものが出てきて、これは、漆喰に、これを使って模様を付けていく道具で、昔昔は、こういうものを使って、壁に模様を付けたのだ。と解説をしてくれた。私は、未だに、木村工務店の事を忘れずに気に掛けてくれて、わざわざ届けてきてくれた、その気持ちが嬉しかった。

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弊社の会長を含めた三人で雑談をする。ノブちゃんの息子さんの話に及ぶと、長男の方は、医者でも研究の方に従事していて、論文がサイエンスやネイチャーという雑誌にも掲載されて、アメリカ在住で日本とアメリカを行き来して、講演も数多くしているのだと。

そんな話を聞いているうちに、そうか、日本の職人的な気質とそのハートは、左官職人には受け継がれなかったが、左官職人が持つ、根気強さとか、粘り強さとか、手先の微妙な力感覚の繊細さとか、そういう気質が、医師として、受け継がれたのかもしれないなぁ・・・・・。と思えてきた。

表面的なスタイルや職業は違っても日本の職人が持つ、そのハートや気質が、職種を変えて受け継がれていくのだなぁ。10数年前の「私」の浅はかな憤りをちょと恥じた。
Thanks 三代にわたるサカイさん。

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木村貴一 2011-08-07T21:55:38+09:00
うしろ姿 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/07/post_356.html 夏休みに突入している中学校三年生の次男が、朝のランニングに一緒に走ると言う。今まで、一緒に走ったのは3度目か4度目か、それがよく思い出せない。最近、どうも、記憶が曖昧になってきて、着実に老化に向かっている感じ。朝の5時30分に、息子に起こされて、ランニングに出掛けると、大阪城を周回し終わったあたりから、息子がぐんぐんとスピードを上げていき、どんどん離されていく、その後姿を見ながら、走りに付いて行けないのは、自分のお腹周りのぶよぶよした肉のせいだぁ。いや減らない体重のせいだぁ。あと2Kgほど体重を落とさねば。などなどと言い訳がましく呟く「心」と付き合いながら、走る。

走りながら、なでしこJapan澤選手の「苦しい時は私のうしろ姿をみなさい」というコトバを唐突に、思い出す。いま、息子の後姿をみて走る「私」。こんな状況下では、このコトバをどう解釈すればよいものか。と、少々苦笑いしながら走る。それにしても、その息子の後姿には、それなりの嬉しい気持ちもあるのだった・・・・。

ところが、10Kmのランニングで、その手前3Km辺りから、急速に失速する息子。喉が渇いたというのだが、清見原神社にお賽銭を投げ入れてしまい、生憎、お金を持ち合わせていなかった。親の立場として、ちょっとだけ後悔しながらも、そのまま走り続け、マイペースを維持したまま、息子を抜かして、走り続けた。息子は「私」のうしろ姿をどのように見ていたのだろうか・・・・・。


この土曜日、木造二階建ての構造見学会というのを久しぶりに実施する。長期優良住宅で、木の家整備促進事業でもあって、上棟以降の内装工事までの工事工程を公開する事になっている。沢山の人が、来場するわけでもなく、すごくマニアックな感じ、お施主さんも一緒に参加して頂いて、ご来場頂いたお客さんには、構造的な内容や、吉野の阪口製材の杉材を説明した。

お客さんが帰られたあと、構造設計を依頼している木構造研究所田原のタハラさんと所員の女性が構造チェックにお見えになって、久しぶりにお会いした田原さんと雑談も交えながら、お施主さんの前で、チエックをしてもらう。

辛口のタハラさんが、吉野の阪口製材の杉材の品質の良さを誉めて、こういう天然乾燥の杉材なら米松に近いヤング係数が出る時があって、強度も強いし、何よりも、大工さんが手加工で、仕口をキッチリとビシッと納めているのは見事で、プレカットだと機械が一気に削るので、ガサガサとなって、どうしても仕口がゆるくなってしまう。手加工するとゆっくりと、丁寧に削るのでで、仕口の強度もまして・・・・・・。

ちなみに、ヤング係数とは
木材や鋼材等の材料によって異なる材料の変形しにくさを表す係数。
材料密度、質量などによって変化する
数値が大きいほどたわみにくい材ということになる
と書いてあって、簡単に言えば、木材のの強さで、いえば、
ベイマツのヤング係数が110とすれば、スギは75ほどで、
阪口製材のスギは110近くの数値がでるのではないのかというのが、
先ほどのタハラさんのお話。

構造用合板の釘の打ち方のチエックとその話題になる。最近でこそ、どこの工事現場でも、CN50という釘の仕様をNC50という釘と間違って使用するという事はないだろうが、合板への釘の打ち方には、ちょっとした面倒くさい、ルールがあって、それは、釘が合板の中にまでめり込まないように、表面キッチリに打つ事が必要で、でないと、必要な強度が出にくいと言われている。

木構造研究所田原さんのホームページから引用すると
─▼──────────────────────────────


釘のパンチング

また、現在主流の機械打ちの場合、釘打ち機の圧力設定を高めにして釘打ちすることが多いため、釘頭が容易にめり込み、半ばパンチングが起きている状態となる。(下図)


現場における構造用合板+釘(NC50)の間違った釘を打ち込んだ時の釘頭のめり込み状態
耐力壁2.5倍仕様(OSBパネル厚9)の間違った施工
釘がCN50ではなく、NC50であり、さらに釘がかなりめり込んでいる。

現場における構造用合板
+釘(N50又はCN50)の適切な釘の打ち込み状態


適切なCN50釘での施工
───────────────────────────

フミノ棟梁と施主をを目の前にして、上記の引用と同じようなタハラさんの現場でのナマ説明があって、もちろん、フミノ大工とワダ大工は、合板の表面にキッチリと釘を打つために、機械で釘を打つのだけれど、その釘を合板のちょい手前で止めて、最後は金槌で打つという、もう一手間をかけていて、そんなプロ同士の説明と会話が続く・・・。

DSC03184_sタハラさんが言うのには、この前に京都での現場があって、そこの施工が芳しくなかったので、施主に説明をして、合板を全てはがして、もう一度やり替えてもらった。という事だった。この現場は、木材もキレイで、仕口も良く出来ていて、合板の釘打ちも良く出来ていて、ほんと、良く出来ている・・・・・と、フミノ大工を前にして、誉める。

DSC03337フミノ大工が、今まで、人生で、誉められて育ってきていないので、どうも居心地、メチャクチャ悪いですわ。と、キリッとした笑顔で、はにかんでいた。「私」は、喜びすぎて、帰りに、交通事故に合わんように気いつけやぁ・・・と、ちょっと茶化す。タハラさんは、こういう現場は気持ちエエですね・・・と言いながら帰って行かれた。

まぁ、そんな訳で、そのうしろ姿を皆で見送ったのであった・・・・・。

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木村貴一 2011-07-31T21:51:33+09:00
デジタルテレビが省エネ冷蔵庫に取って代わった日。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/07/post_355.html 月に一度、日曜日に住宅相談会を実施していて、3組がお越しになる日もあれば、ひと組の日もあって、今日は、3組で、午前中の、そのひと組目の方は、岡山県在住で、堺にある実家に帰る予定になっていて、その堺にあるコンクリート造平屋の建物が、どんなふうにリフォームの可能性があるかの相談だった。

わざわざ、岡山県から家族でお越し頂いた。初めてお会いした人と、まだ見ぬ現地の建物に想像をめぐらしながら、お話をお聞きし、家族の持つ背景や土地の持つ背景を感じ取り、その家族のライフスタイルに想いをめぐらすのは、素敵な経験であって、個人的にはこちらこそが、感謝したい気持ち・・・・。

正午、ほんの少し前、アナログデジタルの切り替えの瞬間を見るため、会社から直ぐ近くの自宅に急いで帰える。家にはソニーのトリニトロン6インチアナログテレビKV6AD1があって20年ほど前に、車載用テレビとして買って、そのテレビを、10年ほど前に、キッチンのテレビとして、本棚の中にひっそりと置いていた。ダイニングテーブルの前に、シャープの21インチ液晶テレビを買うまでは、その6インチのテレビの前で家族3人が立ったままテレビ番組を見入る。という、とっても不思議な光景の日々が続いていた。

主に、奥方がキッチンの作業をしながら見るテレビなのだが、「私」はこのテレビの大きさと映像が好きで、立ちながら小さな6インチテレビを見るという通称「立ち見」をする時が、かなりあった。それにしても、テレビ映像が映らないテレビほど役に立たないものはないので、今日は、そのテレビとお別れする日であり、奥方などは、これを機会にキッチン用のテレビとして、新しいテレビを買うかどうか、家電の折り込みチラシを、朝から楽しそうに見ていた。6インチのテレビの前に二人で立って、笑っていいともの秒読みを見る。4秒前、3、2、1、・・・と、そこで、アナログ放送のあの「青色の画面」が現れるのが楽しみだった。

ところが、切り替わった瞬間。そのまま、デジタル放送が流れた。あれぇ。えっ。タモリが歌い出している。おかしい。NHKにチャンネルを替えると、デジタル放送の正午のニュースが流れている。そんなはずは・・・。青色のあのアナログの画面が現れるはず・・・。それが、普通に映像が映っている・・・。

という事は、うちのUHF用のテレビアンテナの向きがデジタル放送の向きと偶然に同じだったのか?事前調査をしていた訳ではなく、写らんかったら写らんかったで、まぁエエか。ケーブルテレビに接続しているテレビがあるし・・・、というノンビリした家族のムードだった。アンテナは、今設置しているUHFアンテナが偶然に使えたとしても、地上デジタルチューナーが必要だとホームページにも書いてあるのだが、なぜか、そのまま見れている。なぜなのだろう・・・。シーク機能が付いているからなのか・・・。全く理解出来ていない「私」。

もっとも、大騒ぎしているのは、奥方だった。えっ!なんでぇ!ブルーバックちゃう!見れてるぅ!嬉しい!いや、残念!せっかく、新しいテレビに替えようと思っていたのに・・・嬉しいような嬉しくないような複雑な心境。・・・・と。という訳で、はっきりとした事実は、歴史的といっても、かなり大げさすぎる表現なのだが、兎に角、そのブルーバックに切り替わる歴史的瞬間を見逃したのだった。

さて、昼からのお客様は、大阪市内の鉄骨造3階建て2世帯住宅に住んでいて、家族が結婚をして出ていかれたり、ご主人や祖母がお亡くなりになったりと、奥さんひとりの住まいになった。その家を減築などして、独り住まいの快適な住まいにしたいという事で、娘さんとお二人でお見えになる。

施主というコトバは、家を建てるお客様というニュアンスだが、単に家を買ったり、建てるお客様というコトバを越えて、その家族の背景や、その建物と土地の背景、施主の社会的背景や住む地域風土、果ては地球環境まで含めた、家を建てる人の様々な背景を含蓄する広がりのあるコトバかもしれないなぁ・・・・と、リフォームに至る経緯のお話しをお伺いする度に、そんな事をおもうのだった・・・。

その2組目と3組目の間に、奥方から電話があったのだが、あれやこれやとバタバタしていたので、「只今、電話に出る事ができません・・・」と電話を切った。

3組目は、近所の方で、昨日の土曜日の夜に、突然お見えになって、急遽、本日のこの時間にお打ち合わせをする事になった。工場兼事務所を20年ほど前に施工させて頂いて、数年前に、ご長男の家を中古物件を購入してリフォームをし、今回は次男の方も中古住宅を購入してリフォームする事になって、東成のその現地を設計のタナカくんと一緒に見に行くことになった。その場所が、最近お引き渡ししたばかりで、戦前の長屋をリフォームした工事のその家の前の道路に面する、少し斜め前の家だったのには、いやぁ、実に、驚いたなぁ・・・・・。

その打ち合わせが終わり、会社に帰ってから、奥方に、何の用事かと、電話をすると、もう、エエねん。用事、終わったのぉ。もう、冷蔵庫買い終わったからぁ!、と言う。えっ、それぇ、何のこと?

そう言えば、数日前に、米谷良章設計工房のマイタニさんが製作した。「冷蔵庫買い換え省エネ度合いは何%」というとってもエエ資料があって、それを奥方に手渡していた。そこには、沢山の数値が並んでいて、その数値をたどっていくと、 我が家の冷蔵庫は1998年製で450リッターであり、その消費エネルギーは850kwh/年で、それを2010年製の同じ450リッターの冷蔵庫にすると、メーカーによる違いはあるものの、消費電力は約220kwh/年となり、約75%の消費エネルギーを減らせる。と書かれてあって、今週の我が家のダイニングテーブルの上には、その資料と各社の家電メーカーの冷蔵庫のカタログが、散乱している状況が続いていた。

残念にもデジタルテレビに買い換えられなかったので、省エネするために、冷蔵庫を買い換える事にしたわ!と言のだった。そういえば、最近、急激に、冷蔵庫の調子がおかしくなり、氷がうまく出来ないとか、なんだかんだと、冷蔵庫の悪口をぼやいている姿があって、いやぁ、きっと、冷蔵庫の調子が悪くなるように、念力を掛けていたに違いない。これは、主婦の誰もが共通にもつ、強力な念力だと、信じて疑わない「私」。

そんな訳で、地デジ化の日は、住宅相談会の日で、冷蔵庫を買い換えた日なのだ。

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木村貴一 2011-07-24T23:45:22+09:00
日常。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/07/post_354.html 確かに、セミが鳴かない。朝、一瞬だけ、空耳のように、セミの鳴き声を聞いたが、ほんとうに、一瞬だった。いや、ほんとうは、空耳だったのか・・・。静かな夏で、きっと芭蕉さんが生きていたら、静けさがない暑い夏を寂しく思っているに違いない。

Evernote 20110717 215406今朝の新聞の折り込みチラシには、関西電力のチラシが入っていて、「13時から16時のピーク電力の節電にご協力下さい」というしっかりとした紙質のチラシだった。関電からのこのチラシに対しては、はい協力しましょう。という気持ちと共に、そもそもの原因は・・・という、複雑な感情が湧いてきて、今年の夏は、セミのかわりに、原子力発電の問題によって、多くの人の鳴き声が、ミィミィーと響いているかもしれない・・・・。

早朝にランニングをし、シャワーを浴びてから、朝風呂に行った。なんという矛盾。だと今頃気付いた。家に帰ってから、午前中は端居しながら、本を読んで過ごす。奥方はクーラーを掛けて、自分の仕事をパソコンでしていた。あっ、これじゃぁ、家族全体では節電の協力になっていないじゃないかと、ようやく、その矛盾に気付いた。それで、お互いに、怒号と笑いを織り交ぜながら、昼からは節電に協力するために、クーラーを切ることにし、それぞれなりの端居をすることになった・・・・。

私たち3人家族の一年間の電気消費エネルギーは8000kwhほどあって、大阪府の3人家族の平均は6000kwhほどなので、平均をかなり上回っている、贅沢な使い方なわけで、それは、おもに、冬の電気式床暖房による消費が大きい事に起因しているのかもしれない。「1985プロジェクト」のコアーメンバーのひとりとしては、まったくもって、恥ずかしい数値なのだが、これを平均の二分の一にするのが目標値な訳で、さてさて、これから私たち家族の節電はどうなっていくのか、我ながらちょっと心配でもあるのだが、まぁ、兎に角、工夫とちょっとしたお金をかけて「節電文化」を楽しんでみようかとおもう。

ところで、70代になる両親の住居では、午前中は涼しい風で、窓を開けてすごしている様子。お昼を過ぎてからは、窓を閉めて、クーラーを掛けて過ごしているようだ。これじゃぁ、ピーク電力の削減にはなっていないじゃないかぁ。て奥方に話すと、一番、暑い時にクーラーを掛けてこそ気持ちがエエのよ。我慢ばかりして、気付いたら脱水症状になっていたらどうするのぉ・・・何ための電気。何のための節電なの。と。確かに確かに。ほんとうは、私たちの節電の方が間違っているのかもしれない・・・・。

電気によってもたらされる快適性とは?電気を創り出す技術とは?電力事業とは?本当の意味での節電とは?文明とは?バランスとは?と、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマという原子力問題によって、過去、現在、未来に渡ってのライフスタイルを考えさせられるねぇ・・・・。

そうであっても、電気の事ばかり考えている訳にはいかない、日常は山あり谷ありで、淡々と過ぎていくのだった。

「月曜日」午前中、週1回の朝礼があり、設計ミーティングや経理ミィーティングがあって、また、ホームページの打ち合わせがあったり、施主がお見えになったりと、あっという間に過ぎる。午後から産婦人科の内装リフォームの打ち合わせに参加する。流石に、産婦人科に行く機会がないので、その「感覚」をつかむまで、暫し時間がかかった。夕方には、提出したコンクリート住宅のお見積書のコストダウンの打ち合わせに、お施主さんが来社。夜はパソコンで、あれやこれや。と、月曜日の慌ただしい1日が終わる。

「火曜日」午前中、「まちのえんがわ」というプロジェクトの社内設計打ち合わせをした。

「まちのえんがわ」とは
「住まい」に関する「専門知識」を
「町の人々」に提供する「縁側」
その「専門知識」を
「責任」を持って「設計」と「施工」ができる
「ものづくり」の「ネットワーク」

木村工務店の1階ガレージに小さな店舗として、

小路 まちのえんがわ Garage
木村工務店WorkShop

として10月頃オープン予定です。また、P7120140その時には、ご愛顧賜りますよう、宜しくお願いします。午後からは、堺でリフォーム工事の見積提出があって、設計のタナカくんに同行する。その後、東大阪で、「木の家整備促進事業」による木造2階建て住宅の上棟式があり、社員や大工さんや手伝いさんと、上棟を祝った。上棟式というのは、いつも、嬉しいし。楽しい。お祝い事だなぁ・・・・。

「水曜日」タカヤマ設計さんによる木造2階建て新築工事の社内検査があって、01トミマス部長と現場担当のツジモトくんと、チェックをする。お昼の時間を利用して、タカヤマ設計、弊社施工によりグッドデザイン賞を受賞した「カットハウス no201」で、ちょっと伸びすぎた髪の毛をカット。髪の毛を触ってもらっている間に、気持ち良くなって、コクリコクリと居眠りしていた。昼間は事務所であれやこれや。夕方には、最近、お引き渡したリフォーム工事の外構の打ち合わせに、設計のヤマガタくんと現場監督のフルカワくんに同行して、お話をお伺いする。

「木曜日」午前中、古いお得意さんの依頼があって、確認申請関係の手続きを依頼しているカシワギさんに同行してもらって、生野消防署に行って、危険物販売所のアドバイスを受ける。午後から、天王寺でのリフォーム工事の契約があり、設計のヤマガタくんとトミマス部長とで執り行う。夕方は堺でのリフォーム工事の契約があり、設計のカワモトくんと現場担当のフルカワくんと3人でお伺いする。重なる時には不思議と重なるというのが、ほんと、世の中の不思議だとおもう。

P7080152「金曜日」富士灯器さんという海洋レジャー関係のライトなどを製造販売している会社の社屋塗り替え工事があって、そのお引き渡しに、トミマス部長と現場担当のタツタくんと一緒にお伺いする。社長の息子さんの家を新築させて頂いたご縁で、会社のメンテナンスに携われるのは、ほんとうに有り難い事。感謝です。午後から大阪ガス関係の会社の人が来社されて、お打ち合わせをする。夕方には、豊中でリフォーム工事の見積提出があって、設計のヤマガタくんと見積担当のトミマス部長と3人でお伺いした。

「土曜日」午前中、米谷設計のマイタニさんと、関西大学の授業の件で、下打ち合わせをする。2年前から後期だけ関西大学の木造設計製図の授業を講師として受け持っていて、この2年間はMs設計の三澤文子さんと一緒に授業を担当し、学生と付き合って、私もいろいろと勉強になった。今年は、米谷さんと一緒に授業を受け持つことになり、その下打ち合わせをした。昼前から、野池さんが主催する「暮らし向上リフォーム研究会」の会議が弊社の3階会議室であって、設計事務所さんや工務店さんが12人ほどで、あれやこれやと、ざっくばらんに打ち合わせをした。「部品交換型」ではない「暮らし向上型」のリフォームを研究し、広めていこうという研究会で、10月頃にはホームページが完成し、その活動が、正式な形になるとおもう。夕方には旭区でリフォーム予定の御夫妻が来社されて、計画案の打ち合わせを設計のタナカ部長とヤマガタくんを交えて、2階応接室で、あれやこれやと、賑やかに打ち合わせをする。

そんなこんなで、一週間があっという間に過ぎた。

「日曜日」の今朝、5時30分頃からランニングをする・・・・・。セミの声を一瞬聞く・・・・・。と、そんな日常に、節電が割り込んできたのだな・・・・。

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木村貴一 2011-07-17T22:48:05+09:00
端居(はしい)する。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/07/post_353.html

「室内の暑さを避けて縁先や風通しの良い座を占め涼をとることをいう。 また縁先から水が打たれて涼しげな庭の風景を楽しむことや冷房設備が一般に普及した今日においても風呂上がりの夕方など団扇を使いながらの端居は格別である。 」
http://www.a.zaq.jp/haiku/07/4c/4c_003.htm

「家の端近くに出て座っていること。特に夏、涼をとるため縁先などに出ること。」http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/175873/m0u/%E3%81%AF%E3%81%97/

「夏、縁側などに出て涼を求めてくつろぐこと。「端」とは家屋の端で、つまり縁側のようなところ。夜分とは限らないが、夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、涼しい風にあたってほっとするひとときである。「納涼(すずみ)」は外に出て涼を求めることが多いが、端居は家にいて涼を得るのである」 http://kigosai.sub.jp/kigo500a/305.html

「端居」というコトバを知る。恥ずかしながら、全く知らなかった。家の便座の前の壁に貼ってある24節気カレンダーに「端居」とあり、いやぁ、おそらく、去年も、それに一昨年も、そのコトバが書いてあったのかもしれないが、きっと、私の脳ミソは、興味のある情報しか受け入れようとしない、都合のエエ脳だったのだ。全く、そのコトバを気にとめていなかった。

もちろん、風通しの良い家への意識の芽生えは、数年前からハッキリとあって、今にして反省すると、それは、スタイルとして模索し、楽しんでいる程度だったのかもしれない。何と言っても、これほど深刻な原子力の問題と向き合わう機会がないと、「端居」というコトバを本気で考えて、クーラーを出来るだけ使わないような生活を始める気にはならなかっただろう・・・・。

DSC03222現場で端居する。土曜日。炎天下の中、天王寺区でリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備業者が集まって、器具説明をする。涼しい居場所を求めて、それぞれが、ウロウロする。家の前の、高いマンションに囲まれた3mほどの道路に、なぜか風が、勢いよく通り抜ける。そこに数人が集まって、涼む。昔のヒトが、道路に床几(しょうぎ)などを持ち出して、夕涼みした光景を思い出した。クーラーがまだ設置されていない状態なので、あちらこちらの窓を開け放つと、確かに風の通り抜ける「端」があって、設計のカワモトくんと現場監督のタツタくんと、そんな居場所を見つけては、涼む。いやいや、端居する。

家で端居する。日曜日の午前中、家の中の涼しいところを見つけて、端居する。うちの家は2階にLDKがあって、それに、天井の断熱材は、今の基準からすると低く、たいして入っていなくて、その上、天窓もあって、暑い。先日、お引き渡しをした戦前の長屋では、天井に155mmの断熱材を入れ、土壁の外側に断熱材をはり付けて、いわゆるQ値が2.3ほどになった家を体感すると、断熱材の素晴らしさを、あらためて、感じて、まずは、断熱リフォームだな。とおもうものの、いやいや、それより前に、まずは「端居」なのだ。

SONY DSCSONY DSC

1階の座敷に端居して、パソコンをする。北向きの玄関戸を開けたままにすると、風がよく入る。それに、薄暗さが心地エエではないか・・・。暫くして、庭の木陰に出る。庭土に白ツメ草を植えた効果が、なんとなくあって、熱気がなく、草むらにゴロンと寝転がりたい気分にさせる。木陰の下で、キンチョウの蚊取線香をたいて、サーキュレータを掛けて過ごす。じわーっと暑いが、心地よい。椅子を少しずつ動かしながら、風の流れる場所に端居して、短パンランニングで、過ごした。風が吹き、木漏れ日がゆらいで、心地良さを誘う。その「ゆらぎ」がとってもエエ感じ。

SONY DSCそんな「苦労」を「私」がしているのに、2階のLDKに上がると、息子と奥方が、クーラーをかけて、気持ち良くパソコンをしていた・・・・。部屋に入った瞬間、いやぁ、それが、確かに、涼しくて、心地良い。まるで楽園楽園。

いやいや、それじゃぁ、「いま」は、アカンのです。麻薬的な心地良さ。電力マフィアに犯された心地良さと呼ばなくては・・・。まぁ、取り敢えず、クーラーのそばの小さなソファーが置いてあるコーナーに暫し端居する。それが、やっぱり、涼しくて、気持ちエエのですわ・・・。

と言っても、「ゆらぎ」と「薄暗さ」による心地良さにも、ナチュラルハイな魅力があって、今日は麻薬的クーラーと暫し縁を切って、1階に端居する・・・。

午後1時頃になり、ピーク電力の削減に協力するために、家のクーラーを止めて、家を出て、「都市の中を端居」しようと、家族で、話がまとまる。まぁ、単に、息子の買い物があったのと、新しくなった大阪駅を見学しながら、ついでに、都市の中を端居しようという、こじつけに過ぎないのだが・・・・。

都市で端居する。立体的な繋がりが出来た大阪駅のショッピングモール。以前よりっずっとエエ感じ。節電のため、さして涼しくない、店舗で、ショッピングをし、風の広場や空中農園で、端居する。けっこう、大勢のひとが、都市の中を端居しているのだ。それはそれなりに、皆さん、心地良さそう・・・。

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SONY DSC日が沈んでも、まだまだ明るい夕刻に、帰宅した。2階のLDKには熱気が溜まっていて、窓を開け、熱気を追い出しながら、クーラーを掛けるが、夕刻になると、西風の吹き込む居場所があり、そこへ端居する。サヌカイト石の風鈴が鳴り響いて、体感温度が下がったような気がし、その居心地の良さを奥方とシエアーした・・・・。

端居を楽しむのが、以外と楽しい。節電にも繫がる。と言うことは、今、求められている建築とは、端居が出来る建築なのか・・・・・。

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木村貴一 2011-07-10T22:15:24+09:00
「すまいは夏をもってむねとすべし」かぁ・・・・ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/07/post_352.html 暑い。密集した都会。それに節電。

SONY DSC猛暑日の午後の2時。大阪市内、戦前に建てられた土壁の長屋を外側断熱をし、次世代省エネ基準という最新の基準を満たしたリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備の業者が器具説明に集まって、使用方法などいろいろと説明をする。メインのクーラーは、後日、家電業者が来て、取り付ける予定になっていたので、隠蔽配管が必要だった1階6畳個室のクーラーだけが取り付いた状態でのお引き渡しだった。

広々とした1階LDKと吹き抜けがある部屋に向けて、その西面の個室の引き戸を全開にして、その小さなクーラーだけをかけて、器具説明をする。断熱効果がかなり高いので、窓を閉めて、その小さなクーラーだけで、吹き抜けを含めた部屋を冷やそうとしていたが、8名ほどが、部屋の中に集まって器具説明をしていたので、人間の熱気というか、人間の持つ熱量だけでもかなりの熱量と暑さで、小さなクーラーの冷気の量をかなり上回っている感じがして、なかなか冷えそうになく、汗が流れた・・・。

そんな事にうっすらと気付いて、東西の路地に面した北窓。インナーガレージに面して西日が入らない西窓。庭に面した大開口のリビングの東窓を開けると、西と北から東の開口部に風が流れだして、それに、西面個室のクーラーの冷気も、その風に乗って流れてきた。いやぁ、実に心地良い・・・。

断熱効果の高い家は、クーラーBOXのように、内部のいちど冷えたクーラーの冷気を貯めておく効果が高いのは、察するとおりだが、内部の人間の熱量を貯めておく効果も高いので、完全に冷え切るまでは、窓を開けて、風を通して、内部の熱を放出した方がエエのだろう。もちろんそのために風の流れる窓を設計しておく事が一番大切だが・・・。

高気密高断熱の家が、冬を旨とすべし的で、夏を旨とすべし的家にはどうなんだろうか、というイメージもあったが、断熱材が外部から侵入する熱気に対しての、遮熱効果もあるわけで、この戦前の長屋の断熱改修では、専用の遮熱材は使用していないが、それでも、その日、33度の外気温に対して、2階でも、あの、むっとした熱気は感じられなくて、我慢できる程度の暑さで、むしろ風を考慮した窓から、涼しい風が吹き抜けて、心地良かった。

そんな訳で、夏のクーラー消費を極力減らすためには、南面の窓は日射遮蔽を考慮して、庇が長いとか、葦簀を使っているとか、ゴーヤで遮蔽しているとか、様々な工夫が必要であろうし、東面と西面にも朝と夕方の時間帯を考慮した日射遮蔽と風通しの、バランスと工夫が必要であろう。それに、北面の風の道も考慮しなければならないのだろ。

夏の住まいには、住まい方の工夫が必要だな・・・と、あらためて思う。クーラーを贅沢に使う事が、今までは、お金の問題で、モッタイナイという程度の問題だったが、原子力発電の問題が大きく絡んできたことで、クーラーは使うけれど、クーラーの消費エネルギーを極力減らすために、時間帯によって、開口部の日射遮蔽をこまめに、面倒くさがらずに、調整する工夫が必要になってきたし、それに、全くクーラーを使わないための工夫と我慢がより大きなテーマなのだろう。特に、密集した都会では、建築的な工夫、それをパッシブな建築と呼ぶのだろうが、そういう建築的な装置にお金を費やして、解決していくしか道はなさそう・・・・・。

吉田兼好の「徒然草」の時代背景とは全く違う、新たな「家の作りやうは、夏をむねとすべし」の「ネオ徒然草」がいっぱい出てくるのかね・・・・。そうそう今回は、戦前の長屋を断熱改修工事した「夕焼けの空」なのでした。

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木村貴一 2011-07-03T23:56:52+09:00
節電技術 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/06/post_351.html 暑い。もうすでに、夏だなぁ・・・。

弊社の1階の作業場にある職人事務所には、毎朝、7時前から手伝い職のマツモトさんやドウニシさんやタナカさんやヨッシヤンが待機して、現場に向けて出発の準備をしている。おはよう!っと言い合うのが、毎日の朝の日課で、時には、職人さんから反ってくる、おはようございます。の挨拶から、元気をもらう。

ここ数日は、加工場で、木造住宅の構造材を大工が手刻みをしているので、フミノ棟梁と毎朝、顔をあわす。そういえば、清見原神社の手加工をしている時は、沖棟梁と顔をあわすのが、毎日の楽しみと日課で、それが約一年間続いた。大工の手加工の時は、加工場に、杉や檜の構造材の香りがほんのりと香り、鑿(ノミ)と金槌と木が奏でる「音」が響く。その「音」には人間味があって、どんな演奏家にも出せない「音」で、ある意味、幸せを感じる「音」だとおもう・・・・。

SONY DSC朝、フミノ大工と顔を合わす。「暑いねぇ。」「昨晩は、クーラーがないと我慢でけへんかったなぁ」と、お互いに話し合う。どちらも大阪市内に住んでいて、「電気のありがたさが、わかるねぇ・・・・」と。クーラーを使うことに少々の罪悪感のようなものを感じる雰囲気があって、気はつかっているけど・・・とお互いに共感しながら、「何とか我慢したい気持ちはあるけど、我慢できませんわ」と棟梁が語る。確かに、大工さんは、加工場の熱気の中で、じわっと汗をかきながら、黙々と作業をしている訳で、家に帰っても、暑いのは辛いだろう・・・・。

弊社2階にある事務所では、クーラーをかける台数を減らして、如何に、省エネすれば良いのかを、皆で、工夫をしていて、それに、インターネット上に掲載されている、省エネ実験を読んでは、「よしずを窓の外に置くと、約20%の省エネになると書いてあるでぇ。さぁ、よしず、よしず、何とか、窓の前に取り付けるでぇ・・・」と、大声で、鼓舞しているものの、そうそう簡単単純には進行しない。そんな訳で、作業場に比べれば、メチャクチャに涼しい事務所に帰ってきた社員の何人かは、「天国やな」と呟く。そんな天国にいる「私」と「棟梁」との我慢度の差は歴然としているだろう・・・・・。

Forward to 1985」という省エネなプロジェクトに参加している「私」である割には、うちの家の電気消費は、贅沢な部類に入るとのだとおもう。誰よりも、このプロジェクトの成果を出さなければいけないのは、うちの家なんだろう。もちろん、3年ほど前から、そのことに気付いていて、2年ほど前に、省エネ改修をしようよ。と試みたものの、子供の学費に回すので、ちょっと後回しやね。と奥方が呟き続けている間に、「3・11」が勃発した。

その3年前のうちの家の省エネ目標は、断熱材の強化。窓硝子のペアガラス化。フイルム式の電気床暖房をガス温水床暖房に変更。太陽熱温水器の設置。エコウィル。木製の雨戸の板をよしずに変更。価格が安くなれば太陽光発電とかエネファームだった。太陽熱温水器とガス給湯器の組合せを見学するために、長府まで行ったが、この3年間で、実際に行った省エネは、25年間使ったクーラーを新品にしたことと、夏の間のクーラーの効率をあげるために、SONY DSC午前9時頃から午後4時頃まで、南面の窓の障子を閉める事だった。本当は、障子を閉める代わりに、木製のよしず雨戸を窓硝子の外に設置する「つもり」だった・・・。

そうそう、そういえば、最近、土の庭に、シロツメクサを植えて、一面グリーンにした。これによって、省エネ効果が、どれほど、うまれるのだろうか・・・・

この「3・11」以降の今、現状のうちの家で、そんなに予算をかけずに出来る省エネの優先度を考えると、ほとんどが白熱電球である照明器具を、まず、LED電気に変更する事なのだろうと考えて、各メーカーのカタログを取り寄せて調べてみるものの、硝子面積が小さくて、変な、「がたい」が付いている、そのデザインになじめず。また、E26とE17の口金があって、どれがどれであれがこれでと調べて分けるのもめんどくさくなり。その上ルーメン表示もややこしくて、60Wの電球を取り替えるのには、800ルーメンほどが必要らしく、それには電球色はなく昼光色ばかりで、60Wのまん丸い白熱級と同じデザインのLEDはないのかねぇ・・・・。

なんて、考えている間に、ほんまもんの夏がやってきた。クーラーの温度を下げたり、我慢してクーラーをかけないでいると、白熱球の電球がとっても熱く感じる昨今。そんな訳で、密集した都会に住んでいると、「電気のありがたさ」を痛感する訳で、かといって、原子力発電のあの恐ろしさを容認する気持ちには到底なれず。趣味的な感覚であった「省エネ」がリアルな社会問題としてたたきつけられている今、「あなたは、この夏をどう工夫するのですか?」と背後から声が聞こえる・・・・。えっ、大阪人は素直にお上には従いませんでぇ・・・・とかなんとか、言いながらも、会話する大阪のおっちゃんもおばちゃんも誰もが、「Setuden」をそれなりに真面目に考えている事は確か。

そうそう、大阪のおばちゃんの我が家の夏の節電技術は、昼間のクーラーが効いた喫茶店で、長時間ねばる技術らしい・・・・。この夏は、「私」も私なりの節電技術を工夫して、楽しんでみようとおもう。

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木村貴一 2011-06-26T22:53:23+09:00
くだらない話 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/06/post_350.html どんよりした空、降りそうで降らない雨。と思っていたら、雨が降り出して、あっ、やっぱり雨かぁ。降り出したな。と呟くと、暫くして、止む。そして、やっぱりどんよりした空、降りそうで降らない雨。と思っていたら・・・・と、同じ光景が何度か続く。

雨なら、ランニングはやめて、寝ようと考えて、朝、目が覚めると、例のどんよりした・・・の光景だった。それで、いつものようにランニングをする。大阪城内や途中の道でも、ウオーキングやランニングの人たちが、何人もいて、妙な仲間意識を感じたりするのが不思議だなぁ・・・。ランニングを終えて、2、3回に1度、高井田のユーバスというスーパー銭湯に行く。7時30分過ぎのことで、今日は、珍しく、奥方も一緒に行くという。

男湯女湯が分かれるところで、待ち合わせの時間を決めて、お風呂に入ることにしたのだけれど、これって、現代版の神田川なのかぁ? それは、あまりにも、照れくさい。私の学生時代の卒業設計は、「The 松の湯」という、大型のお風呂屋さんで、当時は、スーパー銭湯というコトバもなく、まして、大型銭湯が出来るなど、想像も出来ない時代で、それはそれなりの評価であった。

「松の湯」という名称は、当時のテレビ番組で、堺正章主演で森光子とか浅田美代子が出演していた「時間ですよ!」のお風呂屋さんの名称から拝借したもので、大阪市内の生野区には、今でも、銭湯がそれなりの数が残っていて、小学生の頃は、家にお風呂はあったものの、おかみさん時間ですよの雰囲気のように、たまに友達と行く銭湯は楽しみのひとつだった。そう言えば、最近は、近くの戎湯さんが、省エネも兼ねて、うちの廃材を取りに来て、ボイラーを燃やしている・・・・。

卒業してからは、そんないきがかり上、いちおう、各地の露天風呂や温泉を興味を持って、入ってきた。いま、ぱっと思いつくのは、そうそう、知床のカムイワッカ湯の滝。30分ほど川を遡上して、その水がだんだんに温かくなり、滝壺のようなところで、入浴した思い出。川を上った身体感覚と共に、20年ほど前の記憶として残る。そう言えば、長男はそんな影響か、大阪に帰ってくると、久しぶりに会う友達と一緒に必ず銭湯に通う。

そんなこんなで、それなりのお風呂好きで、まぁ、お風呂に、どんな順番で、どう入るか。なんていうのは、メチャクチャに、くだらない話なのだけれど、時には、お風呂帰りの車の中で、そういう話をする訳で、今日は、電気風呂に入る話をする。昔から、大阪の銭湯には電気風呂というのがあって、小さい頃は、なんだか感電死しそうな気がして、入る勇気がなかって、足をちょとだけ軽く浸けて、ウワー怖わー。とかなとか言いながら、皆で大騒ぎして楽しんだのだが、最近は、ランニング後のマッサージも兼ねて、好んで入る。体中の筋肉が自分の意志とは関係なく、ぶるぶるびりびりする感覚が、とっても大好き。

奥方に、以前、その話をした時は、いやぁ、気持ち悪いわ。とかなんとか言っていたのが、今日などは、試しに電気風呂に入ってみると、体中ビリビリ来て、家の前にあるマッサージ屋さんの電気よりきつくて、凄かったわ。なんて言う。そうそう、塩サウナで、隣に座った全然知らん、おばちゃんが、背中に塩、もんであげるわ。っと言って、塩を体に付けてくれて・・・。ほんと、下町やなぁ・・・と実感するわ。とエエ意味で呟く。ちなみに、奥方の実家は、ニュータウンの住宅地で、銭湯の経験がない。

朝のランニングの時に、昨晩にテレビを見ながら「おかき」を食べすぎた影響で、走り出して、急に、気分が悪くなり、100mほど、嘔吐(えずき)ながら走ったので、朝から近所迷惑やろなぁと、車の中で語ると、そういやぁ、家に居ている時に、外で、自転車に乗って、ゲボー、とかなんとか大きな声で言いながら、通り過ぎるおっさんが、たまに居て、こんなん、神戸方面やニュータウンでは、絶対いてへんし、下町やなぁ・・。と、あまり好ましくない雰囲気で呟く。そんなことが、下町を実感する要因なのだと、結婚して25年目にして、朝風呂帰りの車の中で、知るのだった。

それにしても、「節電」が、お上からの御達しになると、電気風呂は、御法度なのでしょうかねぇ・・・・。という、支離滅裂な、とってもくだらない話。

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木村貴一 2011-06-19T22:17:55+09:00
五月晴れの四国吉野川 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/06/post_349.html bigsmile (47)bigsmile (32)2011-06-06 131

会社の社員と協力業者で行く研修旅行で、「ラフティング」をしようという事になったのは、毎回、詰め込みの研修旅行も辛い・・・、時には、楽しいイベントを! という要望が多くあって、以前、家族で四国のうどんツアーをした時に、四国吉野川の大歩危小歩危でのラフティングをチラッと見て、何時かは、やってみたいと考えていた。それで、3年ほど前から、そんな話は、チラチラとしていたのだけれど、それでは、今年にそれを・・・という事になり、題して、「ラフティングと安藤建築と金刀比羅宮の旅」

異常気象なのか、梅雨入りが2週間も早く、前日まで、大歩危ラフティング半日ツアーの川は、雨の予報だった。精親会という名称で、55回目を迎えるこのバスツアーは、雨の経験がない、珍しいジンクスなのだけれど、流石に、今年は、雨だなぁ・・・。と、皆も諦めムードであった。ところが、当日は、青空が見えて、エエ天気。そのうえ、インストラクターのリーダーが言うのには、先週から降り続いた雨で、水量が多く、川もちょい激流で、ラフティングにはもってこいのコンディションで、天気も最高。おそらく今シーズンで最高の日だと、陽気な笑顔で、皆の前で語る。

今年は、あの震災や、それに仕事の状況もなかなか厳しい環境下のもと、旅行に行くような雰囲気でもなく、中止するのもありかな。という迷いがなかった訳ではない。ただ、社員や業者の意向は、行こうよ!という流れであって、その皆の思いに乗っかるカタチで、実施する事にしたことが、天気を晴れに導いてくれたのだろう・・・・。

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6月5日の日曜日の朝、社員、大工、手伝い、専門工事業者の56名が大型バスに乗って、生野区小路を出発し、淡路島に向かった。まぁ、研修旅行という名目ながら、慰安旅行という名目もあって、どちらが、表の名目か裏かは、確かに判断に困る。兎に角、大量のビールとお酒が積み込まれ、大量に消費されていくのだった。あっ、いま、反省すると、東北地方のお酒を積むべきだったなぁ・・・・・。

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淡路夢舞台で安藤建築を見学する。2班に分かれて、係員の人に案内をしてもらうと、なるほど、そうなのぉ。なんていう部分が何カ所かあって、例えば、あの楕円の広場の最上部の手摺りは水辺線の形と高さに合っているのだそうです・・・。なるほど、ほんと、そうやな。いやぁ、そんなところまで、考えていたのか・・・と。2011-06-05 032国際会議場や茶室を見学出来たのも、意外な収穫だった。そうそう、型枠大工のモモヤマさんも旅行に参加していて、このコンクリートの「トッカド」は、カドの型枠がバレないように「セパ」をこうとって、こうして、ベニヤの小口にもテープを貼って・・・、などなどと、職人さんの解説付きもあり、こういうのが、団体旅行の面白さであるとおもう。

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昼からは、四国、金比羅温泉に到着し、金刀比羅宮に参拝をする。案内人の軽妙なダジャレを聴きながら歩く。もちろん、生粋の大阪人の大工フミノくんは、お笑いへの礼儀として、そのダジャレに突っ込みを入れる事を忘れない・・・。おかげで、600段以上の階段の登りは、汗をかきながらであったけれど、笑いが絶えない、楽しい参拝になった。今回の旅行の最大の収穫は、ラフティングによってうまれた、妙な「絆」であったけれど、金刀比羅宮で、出会った、鈴木了二設計による社務所と緑黛殿の良さには、独特の感動があって、私にとっては、隠れた、大収穫でもあった。

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神社の伝統的な木製の手摺りと階段。それと不思議な調和を持つ、鉄の階段と手摺とコールテン鋼の錆びたデッキ。それに鉄のH鋼の柱とその柱の上に伝統的な斗栱(ときょう)をのせて、オーソドックスな木組みの垂木と屋根が浮く。ブルーの扉と木々の緑。

参拝者の誰もが、何の違和感もなく、すぅーっと通り過ぎる建築であるのだけれど、建築的にやっている事は、ちょっとやそっとでは真似の出来ない凄みを感じた・・・・。そんな事を設計のヤマガタくんや、現場監督のモリタくんらと、その建築を眺めながら、アレヤコレヤと語り合う。学生の頃から、鈴木了二さんの「物質思考」というのを興味を持って見ていたけれど、いまいち、ピンと来なかったが、この階段の光景を見て、物質思考というコトバの持つ力を再考できる機会を得て、有り難かった・・・・・。

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夜は、ちょっとした総会と宴会。うちの総会は、名ばかりな感じがして、これで、エエのかと、社長としての自己反省もあるのだけれど、何よりも、オーソドックスな宴会のスタイルが、若い人や私にとっても、非日常的であり、独特の楽しさと、独特のコミュニティー感があって、緊張感を伴った親近感がうまれるのが、エエのだとおもう・・・・。


そして、6月6日の月曜日の朝が、今回の旅行のメインイベントのラフティングだった。「五月晴れ」。56名中46名、26才から70才までの幅広い年齢層が、7艇のゴムボートに分乗して吉野川に乗り出す。勿論、インストラクターが、キッチリと付いて、後で舵を取ってくれるので安心。

bigsmile (8)70才になる仮設資材の中村建機のナカムラ社長は、ゴルフもシングルの腕前なのだけれど、ラフティングに参加し、その上、3メートルの岩場から、飛び込みにも挑戦したのだった。ビッグスマイルという会社でラフティングに乗ったが、飛び込みは、その会社の高齢者記録だそうだ。ちなみに、ピースをして飛んでいるのは現場監督のモリタくんで、その横で70才のナカムラさんが飛ぶ。

bigsmile (9)60才になる弊社相談役のムラカミさんは、この10年間で、最も楽しい出来事で、兎に角、笑った笑った、オモロかったオモロかった。と子供のように騒ぐ。ボートの先端で、サングラスをかけてオールで漕ぐ姿を見て、誰かが、村上水軍の到来だぁ・・・と叫んでいた。

50才後半の増田タイルのマスダさんは、ボートに乗るまでが大騒ぎ。100kg以上ある、体重とお腹のため、ウエットスーツのチャックが締められず、何人かで手助けをするが、ダメだった・・・。ヘルメットも合うヘルメットがなく、bigsmile 01 (46)インストラクターの帽子を特別に借りる。その姿がなんとも滑稽で、皆の爆笑を誘っていた。体重をものともせず、飛び込みにも果敢に挑戦し、ドボ~ンという巨大な音と強大な波しぶきが巻き起こり、いっそうの笑いを誘う。今日は1年分、笑ったでぇ。と大きな笑顔で語るが、いや、実は、皆から、1年分、笑われたのだとおもう・・・・。ありがとう。

ちなみに、冒頭2枚目の写真は、最終飛び込み者として岩から飛ぶ「私」

そんなこんなで、20代30代40代や50代60代70代が、子供のように、大はしゃぎし、吉野川の渓谷に、ウォーとか、ウヮーとかいう、おっさんの声が響き渡り、それはまるで7艇の海賊船のようで、誰もが、パイレーツ・オブ・カリビアの、あの海賊船が島に上陸するシーンを思いだしていたのだとおもう・・・・。

そうそう、芭蕉の句を思いだした。「五月雨をあつめて早し吉野川」 やったっけ・・・・。

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木村貴一 2011-06-12T20:52:14+09:00
木の文化とは http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/06/post_348.html 「木のいえ整備促進事業」というのがあって、木造の長期優良住宅を建設する時に100万円の補助金が出て、それに地域認証材を一定量使うと20万円プラスされ、合計で120万円の補助金が出る。年間50棟以下の工務店で、1社5戸までの数量制限があるのだけれど、その地域認証材を使う住宅を初めて建てることになった。

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お施主さんと設計担当者と現場監督と材木屋さんで、地域認証材を取得している、吉野の阪口製材まで、杉の構造材の「木取り」に行く。木取りというは、木材をどの箇所に、どの向きに、どの面を見せて使うのかを決める作業で、ワイワイガヤガヤと、この面を下端にして、こちらがわを「に」の「6番」に使うわ。なんていう具合に決めていく。以前にも書いたが、「い」の「1」といわれる箇所が、所謂「いの一番」。この阪口製材の天然乾燥された杉は、独特の光沢があって、美しい。阪口製材の社長は、天然乾燥に拘る。

vcm_s_kf_repr_882x588そういえば、先日、豊中でリフォームしたお宅で、設計担当と現場監督と大工と私が食事に招待して頂いて、その席で、話題にのぼったのが、光る杉柱。建物の構造の都合で、抜くことが出来なかった米栂の柱を杉の柱に入れ替えた。その1本の柱を大工のササキが、1日かけて、鉋がけをした。ササキ大工に聞くと、ここ最近、長い間、鉋がけをしてなかったので、どうしても鉋をかけたくて、かけたくて、我慢できなくなり、朝から午後3時頃まで、一心不乱に、杉の柱に鉋がけをしたのだそうだ。確かに、独特の光沢で、杉柱が光る。それにしても、こういう大工の心意気はカッコエエねぇ・・・。

一本の杉。その杉の苗を山に植え、育て、間伐し、伐採し、運搬し、乾燥し、製材をし、家の構造材となる。、それを先日のように木取りをして、大工が手加工をする。ある日、上棟式を迎えて、竣工し、家となり、やがてマイホームとして、家族の生活を黙って見守り続ける。その一本の木に愛着をもって関わる様々な人々。「木の文化」とは、何なのだろうかねぇ・・・。

そうそう、本日の6月5日日曜日と明日6日月曜日は社員と協力業者の研修旅行のため、臨時休業をします。ご理解のほどよろしくお願い致します。

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木村貴一 2011-06-05T00:13:14+09:00
五月雨の日曜日 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/05/post_347.html 雨。それもけっこう降っている。いつもの五月雨とは違う感じ。もはや梅雨入りだそうだ。

会社の社員と協力業者の50人ほどが集まって、バス1台で、毎年旅行をする。それは、6月の第一週の日月で、丁度、来週だというわけ。数えて今年で56回目になり、聞くところによると、弊社の会長が、雨が一番降らない日曜日を調べると、梅雨入り前の5月の最終週か、6月の最初の日曜日だったらしい。そんな訳で、引き渡しなどが重なる事も少なく、この日程が決定されたと・・・・。確かに、私がこの会社に入ってからかれこれ25年以上になるけれど、一度も雨の旅行の経験がない。

運動会というのは、秋のイメージだったけれど、最近は雨の影響をさけての事か、この時期に開催される学校も多く、うちの大工さんの中にも、娘の運動会と重なって、旅行には行けないんです。なんていう人もいて、そうそう、秋は運動会の季節で、社員も重なる事があるかもしれないので、今の時期なら季節もエエし、旅行に行きやすい。と考えて、日程を選択したのだ。と聞いていた。

今日のこの大雨の早朝の8時に、お引き渡しがあって、それは、日曜日の9時から娘さんの運動会があるので、それまでにという事だった。生憎の雨で、運動会は中止となり、そう言えば、うちの息子の運動会も土日と連続して中止だった。あの震災が影響を及ぼして、梅雨入れが2週間も早まったのだ。とは考えにくいが、それにしても大型台風までやってきて、いやぁ、実におかしな世の中。様々な物事が延期や中止に追い込まれていく・・・・・。

Bitches Brew無事お引き渡しを終えて、激しく降る雨の中を車で走る。こういう時は、大きなボリュームで音楽を聴くのが、何となくの気分。それで、IPHONEをFMで飛ばして、カーステレオに繋ぎ、ボリュームをかなり上げ気味にしながら、曲をシャッフルすると、いきなりかかった曲が、マイルスのビチェズブリューだった。この嵐のような雨には相応しい、うねるようなサウンド。

音楽の事は良く理解出来ていないが、それよりも、どんな、「ものづくりのプロセス」を踏むと、こんな、うねるようなサウンドを産み出すことが出来るのかが、「私」の興味の中心で、マイルスの一連の全てのレコードが、ものづくりの聖書のような存在。好き嫌いは別にして、そういう意味では、マイルス先生から学ぶ事は多い。ただ、このアルバムは、私にとっては愛重版とは言い難く、まぁ、たまには、これから家に帰って、じっくりと聞いてみるかなという、モードならぬムードだった。それにしても、このジャケットはいつ見てもインパクトがある。

そんな気分で家に帰り着く・・・。

DSC02030うちのダイニングテーブルは2400の長さがあって、朝食や昼食は、大きなキッチンカウンターで済まし、夕食はこのテーブルで食べる事がほとんど。帰宅時間の都合で、家族一緒に食べるのは、日曜日ぐらいで、ただ、夜な夜な、食卓のテーブルに一緒に座りながら、三台のノートパソコンを机に並べて、別々にインターネットを眺めている時間が増えてきて、これが、これからの家族のコミュニケーションなのだ。と呼ぶのかどうかは微妙な問題。ま、それよりも問題なのが足下。パソコンの電源の配線が、足下に這いずり回って、かなり邪魔な上に、AC電源のアダプターのBOXが大きくて、ごつごつして見苦しく、何とも落ち着かない気分だった。

2週間前の日曜日の夕方に、急に思い立って、家族一緒にホームセンターに行き、白いネットと結束バンドとマルカンを買って来た。ネットを机の天板の下に取り付けて、コード類をそのネットの中にほりあげてみたらどうだろうか?と考えたわけ。ところが、材料は買ったものの、作業は出来ずにそのままで、それよりも、2週間ほど、食卓のテーブルの横に白いネットが鎮座していて、そこから、「早よ、しいや!」と言う奥方の声がかすかに漏れていた。

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そんなこんなで、音楽を聴く気分で帰ってきたが、目に飛び込んできたのは、その白いネットと、かすかな奥方の声。まだ10時前でもあったので、重い腰を上げて、作業をやってみることにした。テーブルの下に仰向けになりながら、はさみやペンチや金槌を持って、まさしく日曜大工姿。たいした作業ではないのだが、家では、めったにないみれない姿・・・。

「結婚して、だまされた事は、建築の仕事をしているから、日曜大工みたいな事をしょっちゅうやってくれると思っていたのに、全くせえへんやん。そんな家の事やってくれる旦那さん、憧れやったやけど・・・・」と、机の下で這いつくばる私への奥方からの叱咤激励だった。「大工さんも含めて、建築に携わる人は、家では、似たようなもんと思うけどな・・・」と這いつくばりながら、精一杯の言い訳で応戦をした。

まぁ、そんな雰囲気で、何とか完成にこぎ着けるごとができて、いやぁ、これで、面目も含めて、ちょっとはスッキリした気分になり、さてさて、このコードラックが、本当に、うまく機能して、役立つのかどうか・・・・。

季節はずれの激しい五月雨。このうっとうしさが、配線のゴチャゴチャをすっきりさせたいという気持ちの負荷に置き換わって、「私」を突き動かしてくれたんだろうなぁ・・・。

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木村貴一 2011-05-29T23:46:22+09:00
大阪の企業家 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/05/post_345.html 堺筋本町の地下鉄に乗るために歩いていると、大阪企業家ミュージアムという看板を見つける。少し時間があったので、ミュージアムの地下の入り口まで降りて、様子を伺うと、こちらで入場券を買って下さい。と言うので、あっ、お金いるのや。と思いながらも、300円という金額でもあり、その行きがかり上、入館することになってしまった。もちろん、ちょっと覗いて、15分かそこらで、帰ろうと考えていた。

 大阪企業家ミュージアムについて

施設理念
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大阪は、今日まで数多くの優れた企業家たちを輩出してきた。

これら企業家たちは、時代の変化と人々の暮しや社会のニーズを逸早く察知し、果敢なチャレンジ精神とたゆまぬイノベーションで、社会経済の発展や人々の生活向上に大きく貢献するとともに、自立自助の気概をもって自らの社会や街づくりを担ってきた。 「企業家精神」は、まさに「民」のまち大阪が誇る文化である。

一方、あらゆる意味で構造転換を迫られる現在は、まさに変化の時代である。変化の時代こそチャンスの時代であり、そのチャンスを生かすことが企業家の本領である。 今こそ大阪の財産であり、DNAともいえる「企業家精神」を思い起こし、変化を友として新たな時代を切り拓くべきである。

大阪企業家ミュージアムは、企業家たちの高い志、勇気、英知を後世に伝えるとともに、その気概を人々の心に触発することを通じて、企業家精神の高揚、次代を切り拓く人づくり、ひいては、活力ある社会づくりをめざすものである。

「意志」「自助」「創意」「挑戦」「先見」「変化」「志」なんていう。コトバの「羅列」に惹かれたのだと思う。この7つのコトバが全て揃わないと、こんな企業家にはなれないんだろうなぁと思いながら、ポスターを眺めた。105人の企業家。へぇ、あっ、そうなんや。ぐらいの感覚。

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彼らは時代の変化をいちはやく感じ取り、市場のニーズを的確にとらえ、それらを事業化することで、社会・経済の発展や生活向上の原動力の役割を果たしました。 ここでは、明治以降3つの時代ブロックにわけて、紹介します。
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クリックして大阪企業家ミュージアムのホームページを見て欲しい・・・

全く名前の知らない人ばかりなのに、その第一ブロックから、以外と引き込まれていく。
こういう人たちが、「近代大阪の経済基盤」を作ったのか。そして、「大阪を東洋のマンチェスターに」しようと志したのか・・・確か、何時か、学校で聞いたコトバだな。「貿易を発展」させ、「新しい金融の仕組みを作る」。へぇ、生命保険制度の基盤を作ったのも大阪なのか・・・。なんていう具合で、聞き込んでしまう。言い忘れていたけれど、首から音声案内のラジオをぶら下げて、イヤホンを付けている状態。

第二ブロックの「大衆社会の形成、消費社会の幕開け」のいきなりが、「都市空間を創造する」で、これは、私のシゴトに関わる話。大林組と竹中工務店と辰野金吾が紹介されていて、この工務店というコトバは、竹中工務店さんが作ったコトバだそうで、そこには・・・

「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている。 ちなみに、「工務店」という名を作り、社名としたのは同社が初めてである。

とあって、竹中さんや大林さんの歴史を知ると、流石だなぁ、凄いなぁとおもう。こうしてうちの会社も、工務店という名前を名乗っている限りに於いては、竹中さんに感謝しないといけないなぁ・・・・。なんていう気持ちも湧いてきた。

「製造・化学に新たな地平を拓く」では、薬品メーカーの名だたる会社が大阪創業だと知って、あらためて感心する。武田さん、田邊さん、塩野義さん、藤澤さん、森下仁丹にキンチョール。なるほどねぇ・・・という具合で、妙に感心してしまった。

「鉄道開発で生活圏を広げる」「重工業発展の基礎を築く」「モノを通じて生活の近代化をもたらす」「食生活の洋風化を押し進める」「レジャーとショッピングを演出する」「新聞事業を開化させる」のそれぞれのコーナーでは、あの会社も、この会社も、と誰もが知っている企業ばかりで、もう既に30分は経過していて、時間が経つのを忘れてしまって、早々に引き上げるどころか、こうなったらじっくり見てみようという気持ちに変わっていた。

第三ブロックの「豊かな時代の形成、復興から反映へ」では、「現代大阪の再生に力を尽くす」「エネルギーで経済成長と生活の豊かさを支える」「電化で生活スタイルを変える」「新しい暮らしと都市空間を創造する」「独自の技術でモノづくりに挑む」「流通に革新をもたらす」「現代人の食文化を創る」と、よく知る名前の人がどんどん登場して、ますます興味深さが増す。

それにしても、カテゴリーの分け方が分かり易くて、3.11以前の社会を形成したコトバとして、頭がすっきりと整理されていく感じ。それじゃぁ、3.11以降は、どんなカテゴリーや、どんなコピーライトによって、象徴されていくのだろうか・・・・・。

既に1時間ほど経過していた。帰りがけに、ミュージアムの女性の係員の方と会話をする。こんなに沢山の企業家が大阪から誕生し、日本の経済と文化を創り出していたのだと知って驚いたし、是非、子供や社員を連れて、もう一度来てみたい・・・・と。

そういえば、もともと、この大阪企業家ミュージアムに立ち寄るきっかけになったのは、「おおさか地域創造ファンド」というのがあって、3月に、突然、、それに応募してみようとおもいたち、いままで、一度も書いた経験がない、事業企画書とやらを、いろいろな人に協力してもらいながら、「まちのえんがわプロジェクト」として作成し、大阪商工会議所へ提出したのが、その日の午後3時の出来事であって、採択される確率は全くもって低いのだけれど、取り敢えず、完成し、提出し、ほっとした、その帰り道の遭遇だった。

ほんの小さな計画を考えるのにもアップアップしていたその直後だけに、105人の大きな企業家の姿を見せられると、自分のちっぽけさにあらためて気付かされるのだけれど、まぁしかし、これぐらい大きな差があると、「ふつうのまちのおっちゃん」として、小さな事をコツコツとやね。と思いながら地下鉄に座っている私がいた。

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木村貴一 2011-05-22T23:45:53+09:00
静寂の15分間 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/05/post_346.html いやぁ、実にエエ気候、心地良い風。

日曜日の朝は、ランニングをしていて、自宅から大阪城まで走るのだけれど、5月に入って、大阪城内をランニングする人の数が、どんどん増えて、それはまるで増殖中というコトバがあてはまる雰囲気。

早朝、まず、家を出る時に、iphoneにある RunKeeperというソフトを立ち上げて、UEのイヤフォンを耳に差し込み、小銭を手に握って玄関扉を開けてスタートする。今日は、半袖半パン。先週までは、半パンの下に、スパッツをはいていたのだけれど、流石に暑くて。靴は、2月までは、次男の運動靴を借りて走っていて、それを「伊勢神宮とアウトレット」ドライブに出掛けた時に、竜王のアウトレットで買ったランニングシューズのNikeのエアーに履着替えてから、かれこれ11ラン目になった。

走りだして、3分ほどの距離にある、うちで施工をした清見原神社に立ち寄って、その手に握ったお賽銭を投げ込んで、2礼2拍手1礼でお参りする。そんなに信心深い方ではないので、おそらく、自社で施工をした。というのが、そうさせるのだとおもう。毎朝、境内の掃除をしているおっちゃんに、おはようございます。と挨拶をして、なぜか、行ってきます。と声を掛けてから、鳥居をくぐって、走り出す。

途中、ウォーキングをしている知りあいの人に会うこともあって、挨拶を交わしたり、今日などは、家の近くで、数年前に引退した大工のアキヤマ棟梁が散歩している姿に偶然出くわして、「アキヤマさん!久しぶり!」と後姿を見て追い越しながら声をかけると、「おぅ!、なんや、走ってんのかぁ!」と笑顔。「そぉやねん!」と後を振り向きながら会話をしつつも、立ち止まることなく、通り過ぎていく・・・。

本日のランニングは・・・
Just completed a 9.90 km run with RunKeeper
Average Pace 6:49 / km | Average Speed 8.80 km/h | Elevation Climb 25 m
ScreenClip(1)

ランニング中にiphoneにあるipodからランダムにシャッフルされてかかった曲は・・・

Neil Young : Only Love Can Break Your Heart [After the Gold Rush]
Charies Mingus : Wednesday Night Prayer Meeting [Legendary Jazz]
Miles Davis : Concierto de Aranjuez [Sketches of Spain]
Miles Davis : Joshua/Go-Go [Four & More]
Miles Davis : Hand Jive [Nefertiti]
Lennie Tristano : Line Up [ Lennie Tristano]
Miles Davis & Quincy Jones : My Ship [ Miles & Quincy Live At Montreux]
Charlie Parker : I Remember You [Now's the Time]
Bob Marley & the Wallers : Jammin' [Exodus]
Tatsuro Yamasita : Funky Flushin [Greatest Hits! of Tatsuro Yamasita]
Michael Jackson : Man in the mirror [This is it]
Miles Davis : Pfrancing [Someday My Prince Will Come]
Bill Evans : Autumn Leaves [Autumn Leaves]
Tom Waits : Little Raine [Bone Machine]

走りながら、JAZZを聞くのが、もう一つの楽しみでもあって、全く、ランニングには相応しくない曲ばかりがかかり、立ち止まって聞き入った方が良いのかもしれないが、勿論、少々のロックやクラシックもシャッフルされてかかり、その軽やかさと単純さにホッとする瞬間も多い。一度、iphoneの調子がおかしくて、曲を掛けずに走った時は、何となく耳寂しいながらも、実に快適で、ペースも一定して乱れる事も少なくて、ランニングそのものには、音楽がない方が、エエなと思った。

それでも、やっぱり、スタートの時に、イヤホンを耳に突っ込んでしまう。汗で、イヤホンがずれることがあって、めんどくさいなと思う。音楽を聴くどころでなくて、走るだけでめいっぱいの時も多い。そんな中で、時折、耳元で印象深く入り込んでくる音。マイルスのトランペットの音であったり、コルトレーンのサックスの音に心奪われて、ハッとする。一時期のマイルスのドラマーであった、トニーウィリアムスの微分積分をするようなドラムに乗る時もある。コルトレーンのドラマーであった、エルビンジョーンズの繊細でリズミカルなシンバルに感動しながらランニングのペースを上げる時もある。ビルエバンスのベーシストであったスコットラファエロのベースに煽られる時もある。おそらく、私の耳が、聞き込んできたJAZZのマンネリ化を打開するために、新たな状況下のもとで聴いて、新鮮な印象を持ちたがっているのだとおもう・・・・。

走り終わって、冷蔵庫に冷やしている水を飲んで、家のデッキで15分ほど、静かに座る。ランニングの後のこの静かな時間も心地良い。今日などは、心地良い風が吹いて、その風の心地良さがランニングの後だけに、「しみいる」感じ。

そんな風をどうしたら家に取り込めて、心地良い家になるのだろうか・・・。また、風力発電として、ほんとうに上手く利用で得きるのだろうか・・・・と、ふと、大まじめに考えていたりして、それは、3.11の、特に、原子力問題が大きな影響を及ぼしているからなのだろう・・・・・・。

1985-mark

という取り組みがあって、1985年当時の家庭の電力消費量は現在の約1/2で、産業部門の電力消費はそのままの状態にして、今の家庭の電力消費量を1/2にすると、その量は現在の原子力発電量の1/2と近い値になり、ということは、1985年当時の家庭の電力消費の生活をすると、原子力発電量を半分に減らす事ができるという取り組み。また、その量は、今のピーク電力の20%減にあたり、その量が、原子力発電による発電量と近い数値となって、すなわち、1985年当時の家庭の電力消費の生活にすると、産業部門の消費はそのままでも、原子力発電所をなくす事が出来る可能性があるよ! という取り組みだという訳。ちなみに前にも書いたが、1985年は結婚の年でもある・・・・。

これは、私も懇意にしている、温熱環境のスペシャリストでもあり、工務店のコンサルタントでもある野池氏が提唱する運動で、「Forward to 1985 energy life」というプロジェクト。で、詳しいことは、バーナーをクリックして読んで欲しいが、私たち工務店にとっては、どういう家づくりとライフスタイルをすれば、家庭の消費電力を1/2にする事ができるかが、工務店に問われているミッションであるとおもう。

また、それは、3月20日のブログ「シーベルト」の後半に書いた内容であり、それをもっと掘り下げて突き詰めたのが、「Foward to 1985 energy life」で、その一部を引用すると・・・・・

パッシブデザインの意義
パッシブデザインとは、設備に頼らず、太陽や風のエネルギーをうまく活用、調節する建物にすることで、室内環境を向上させようとする設計法を指します。もちろんそれによって省エネに結びつくことになります。

わが国の伝統的な建築では、とくに夏の暑さをしのぐ工夫としてのパッシブデザインがありました。ところが安価で便利なエネルギーが使えることになって、そうした工夫は失われてしまいました。たとえば、いまの住宅のほとんどは日射遮蔽にまったく考慮されていないことがわかります

伝統的なパッシブデザインの発想に加え、断熱性を向上させ、日射熱によって暖房するという現代的なパッシブデザインを行うことにより、快適性と省エネルギーが両立することになります。これから、わが国では様々な場面で「我慢」を強いられてくると思うのですが、十分なパッシブデザインを考えることによって、その我慢が少しでも和らぐことになるはずです。ただ我慢するのではなく、こうした知恵を働かせることで、前向きに、楽しく、省エネや省電力消費に向かっていけるのではないでしょうか。

またもちろん、パッシブデザインが十分ではない住まいにおいても、太陽や風などの“自然の力”をうまく使う知恵はたくさんあるはずです。このメッセージによって、そうした暮らしの知恵を見直し、集めていくことになればとてもうれしいです。以下に、これまでの私の研究や実践から学んだ、快適性と省エネルギーとを両立させる暮らし方を挙げておきます

パッシブデザイン要素
ここでは何よりも窓に関連する動き(動かし方)が重要です。
●冬の晴れた日の日中には、できる限り雨戸やシャッター、カーテンなどを開けることが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します(とくにパッシブソーラーを導入した住宅では必須的な事柄)
●冬の夜間には、逆に雨戸、シャッター、カーテンなどをすべて閉めておくことが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します
●盛夏の日中では、何より日射遮蔽が重要です。使用していない部屋では日射遮蔽部材(雨戸やシャッター、カーテンなど)を閉めておくようにしてください。使っている部屋だけ、うまく日照を採るように工夫して
ください。
●外気温が高い(目安は30度以上)場合は、通風よりも日射遮蔽のことを重視してください。風が欲しい場合には扇風機を活用してください。
●盛夏の夕方以降において外気温が低くなってきたら、室内に溜まった熱を排出させるために、できるだけ窓を開けてください。

■湿気
●梅雨時期など、湿度が高く比較的高温になっているときには、窓を開けることによって室内に湿気を呼び込むことになります。涼感を得たいのであれば、扇風機をうまく使ってください。

■設備
●エアコンは比較的エネルギー消費量が少ない機器です。もしエアコンが設置されているなら、エアコンをうまく活用することに工夫してください。
●もしひとつの空間に複数台のエアコンがあるなら、複数のエアコンを同時に動かさず、まずは1台を使うことを考えてください。エアコンは“一生懸命動いているほど”効率がよくなるからです。
●エアコンなどヒートポンプを使った暖房設備を除けば、電気を使った暖房設備や給湯設備はエネルギー消費量が多くなります。深夜電力を利用していれば電気代は節約できますが、エネルギー消費量は多くなりま
す。そのことを頭に入れて、うまく使うようにしてください。
●エコキュートのモードを確認して使ってください。省エネモードにして使わなければ、エコキュートであってもエネルギー消費量は多くなります。
●家電を購入する際には省エネルギー性能にも関心を持ってください。

長々となってしまったが、、今日のような5月の心地良い風と太陽。そんな自然エネルギーとエエ関係性を持ちながら、断熱や遮熱やライフスタイルを工夫した居心地の良い家づくりをしたいものだなぁ・・・と、ランニングが終わった後の心地良い風が吹くデッキ。そこでの静寂の15分間に、しみいる風の声だった・・・。

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木村貴一 2011-05-15T22:30:00+09:00
印象が存在すると心の中の時空がゆがむのか。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/05/post_344.html 朝、3時半に目をさまし、シャワーを浴びて、4時に車に乗り込んで出発する。後の座席には、次男が毛布を持ち込んで、眠たい。とひと言呟いて、いきなり眠りこむ。どうしても行きたいわけやないけど、まぁ、行ったるわ。っていう感じ。昨年一年間は、いろいろと旅をして、お金も使ったので、今年のうちの家族旅行は、自粛ムード。それに、世の中で、今、起こっている出来事に、相応しているのかもしれない。

奥方は家が好きだから、何処へも行かずにゴロゴロするという。というより、一泊二日で、神奈川県の丹沢にある知りあいの山小屋に行こうかと誘うと、「ゴメンゴメン、登山靴の底がとれたままで買っていないから、行きたいけど、我慢するわ。」と大阪のおばちゃん的断り方。「なんやったら、靴、買ってきたるでぇ。」と突っ込むと、「山ガールになる年齢制限を超えているから、絶~~対にいかへん。」と強い、お断り。これが、ちょっとしたホテルに宿泊して、温泉にでも入って、美味しい料理でも食べて、私の奢りで。という事になると、奥方のノリもかなり違うのだろうが、今年のゴールデンウィークの、うちの家族のムードは、こんな雰囲気だった。

近畿道に乗り込んで、すぐに第二京阪に入り、京滋バイパスを通って、ちょっとだけ名神を通過して、新名神高速道路に入る。新名神はトンネルの幅も広く、信楽と甲賀の山里の高いところを通過していくので、天空のラピタとは言い過ぎだが、独特の気分感があってエエ感じ。新名神から東名自動車道路に入り、そこから伊勢湾岸道を通る。途中に長島温泉のジェットコースターを眺め、名古屋港にかかる大きな橋を渡る。この道路も幅が広く。海の眺めや名古屋の工業地帯の眺めもあって、やっぱり独特の気分感があるので好きな高速道路。それで、東名の豊田ジャンクションに辿り着く。

名神だけをひたすら走り続けて豊田まで辿り着いていた時より、道路と眺めの変化も多彩で、それに時間も距離も圧倒的に短縮されて、ここまでのドライブはここ最近のお気に入り。感覚的には2時間ちょっとという時間感覚。ところが、豊田から富士川サービスエリアまでの区間が何とも辛い時間感覚で、浜名湖の眺めとか由比でいきなり現れる富士山には驚かされるが、道路の雰囲気も含めて、ちょっと苦手な高速道路。いつも右車線の車の数の方が多くて、左車線の車の数はパラパラ。その割には、右も左もそんなに車速がかわらないので、とにかくトロトロと渋滞するのだった。

このあたりを走ると、いつもケンミン性の違いを何となく感じる。関西方面で右車線をトロトロ走っていると、後から突っ込まれそうな勢いの車があって、最近でこそクラクションをならしたり、右ウィンカーを付けたりする様子をほとんど見かけないが、かつては、そんな車をよく見かけた。それに比べて、このあたりは、皆でのんびりと右車線を走っているような雰囲気で、ひみつのケンミンショー的違いなのだろう・・・・。

5月3日の早朝も静岡辺りの事故が重なって、眠気を誘うほどの渋滞が続いた。豊田から富士川までに、2時間ちょっとの時間がかかった、早朝の快適なドライブの2時間ちょっとの時間感覚と渋滞の2時間ちょっとの時間感覚との印象の違いは大きい。

アインシュタインの理論実証 米衛星、時空のゆがみ観測

2011年5月6日14時7分
地球の周りの時空のゆがみとGP―Bの観測のイメージ=米航空宇宙局提供

質量が存在すると、ボウリングのボールが載ったトランポリンみたいに時間と空間で構成される4次元の「時空」がゆがむ、というアインシュタインの一般相対性理論の予言が、米航空宇宙局(NASA)の人工衛星「GP―B」の観測で確認された。天才の考えの正しさが改めて実証された。
・・・・・

という、朝日新聞の記事が最近あって、「印象が存在すると心の中の時空がゆがむ。」という理論があるのかどうか知らないけれど、渋滞の中で、パンを食べたり、お茶飲んだり、音楽に聞き入ったりしつつ、印象の違いによる時空のゆがみを矯正しながら運転するのだった。そうそう、このあたりの道路を走ると、2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」の思い出が蘇る。それが、ひたすら遠く長く感じている高速道路の渋滞の心の時空間のひずみに、ほんの瞬間の解放をもたらすのだった。

そんな話を帰宅後に奥方とすると、「今年は質素に生活するけど、去年、一昨年と旅行にお金を使って、時にはもったいないと感じるけれど、エエ思い出が出来て良かったのとちゃう・・・。少々のお金使って思い出を作る事は出来るけど、お金で思い出は買われへんやん。私も家族で旅行した事、たまに思いだして、良かったなぁ・・と、ひとりでニタニタする時あるねん・・・・。」と。

そんな渋滞の影響で、5時間ほど掛かって足利のサービスエリアに到着し、はじめての休憩をとる。サービスエリア内のスターバックスでコーヒーとパンをテイクアウトするために並ぶ。並びながら、別に、こんな所で、結構な値段がするスターバックスのコーヒーをわざわざ並んでまで飲まんでも、安いコーヒーで十分とちがうのぉ・・・と、心の中が呟いていた。いや、きっと、渋滞の影響が心の時空にひずみを作っていて、そのひずみを解消するのに、プチ贅沢が必要だったのだろう・・・・・。渋滞とサービスエリア内のスタバでの売り上げの相関関係はどうなっているのだろうかね。

大井松田で東名を降りて、10時すぎに小田急の渋沢駅前に到着する。東京に住む長男と待ち合わせをしていて、それが、いろいろなタイミングが重なって、兄弟と私の3人で登山することになっていた。車で、仮眠しながら長男の到着を待って落ち合い、コンビニで、昼食のパンなどを買って登山口の大倉に到着する。車を駐車して、登山靴に履き替えて大倉尾根を登山する。途中、知りあいの大倉高原の家のオーナーと震災の事など話しながらコーヒーを飲む。そこを出発してすぐに、「長い時間、休憩して、話をしていたなぁ。」と次男が呟いた。

              DSC01982DSC01994

それなりにきつい登りを登って、標高900mぐらいにある堀山の家が知りあいの小屋で、25年ほどの付き合いになる。そこから標高1490mほどの塔の岳山頂までは、かなりきつい登りもあって、大倉尾根の核心部なのだけれど、もう何十回もこの尾根を登っていて、このかた一度も一気に山頂に行ったことがなく、この堀山の家で、まるで、捕獲されたような生き物のごとく、ここで知り合った友人達と話し込んで、飲んで食べているうちに、気が付けば日が暮れてしまい、深夜遅くまで、アーダコーダと語り合うのが、ここでの正しい登山なのだろう・・・・。心の時空間がゆったりと、でもあっという間に流れるのだった。

次の日は、早朝から起きて、鳥のさえずりを聴きながら、木立の間から垣間見える、真っ白な頂の富士山を眺める。朝食のあと、小屋の数人と一緒に、頂上までの往復登山をする。まぁ、取り敢えず、山登りにきたでぇ。という証拠を残す程度の登山感覚。それなりに急な登山道だが、あれやこれやと世間話をしながら登っているうちに頂上に着く。それにしても、ここ数年で、若い人たちが増え、山ガールも急速に増えて、それはそれで賑やで華やかな山もエエのではないかとおもう。

そんな訳で、午前10時すぎには再び、堀山の家に戻って、また、いろいろな人とあれやこれやとコミュニケーションをしながら時間が流れていくのだった。そして、午後3時すぎに下山する。兄弟二人がほとんど走るかのごときスピードで下山するその後姿を親のメンツにかけて汗を流しながら必死で追いかけていくものの、あっという間に姿を見失い、ところどころで、二人が私を待つ姿に遭遇するのが、妙な喜びであった。

午後4時過ぎに車に乗り込み、コンビニに立ち寄る。渋滞に備えて、普段あまり口にしない、スナック菓子やジュースや甘いものを大量に買い込んで、長男を駅に送り届けて分かれ、彼は東京へ私たちは大阪に向けて渋滞の東名高速道路に突っ込んでいくのだった。沼津から豊田ジャンクションまで、繰り返し何度も何度も渋滞する東名高速道路上の車の中で、渋滞中に巻き起こる心の時空のひずみを無理矢理に矯正するために、常に口に何かを放り込でいた。午後11時すぎ、一度も休憩することもなく大阪に辿り着き、一泊二日の超私流丹沢登山が終わる。

きっと、この登山スタイルそのものが、仕事の質量による心の時空のひずみを矯正してくれているのだとおもう・・・。そうそう、中学3年生の次男は、夜な夜な続く、オトナの屈託のない会話を目を輝かせて興味深そうに聞いていた。大阪に着いてからの「たのしかった」のひと言が嬉しかったねぇ。

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木村貴一 2011-05-08T20:01:49+09:00
3・11以前のゴールデンウィーク http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/05/post_343.html ゴールデンウィークがやってくると、旅に出たくなる。個人的で、もっとも大きな要因は、ここ大阪市内の生野区で生まれ、育ち、この場所を離れた最も長い期間が2ヶ月ほどしかなく、おそらくそれが原因だと思うのだけれど、時々、無性に、まだ見ぬ場所に憧れるのだった。それに、建築という仕事をやっていると、現場というのが、土曜日でも工事をしているので、連続して堂々と、皆で、一斉に休めるのは、お盆とお正月とゴールデンウィークぐらいなもので・・・、いや、実は、あれやこれやとそれらしい理由をつけて、旅に出ているだけで、旅そのものに麻薬的な魅力があるのだとおもう。

まぁ、そんな訳で、ゴールデンウィークに、どんなところに旅をしたのだろうかと振り返ってみようと思った。おそらく、振り返ろうという、そんな気にさせたのは、3・11の東北地方の大震災の影響だとおもう。このブログを書き出したのが2004年で、その2004年から2011年までのゴールデンウィークの旅を調べてみると・・・。2004GW「有田」・2005GW「東北」・2006GW「五島列島」2007GW「直島」2008GW「丹沢」2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 だった。よく見れば、記録から欠落しているのは「東北への旅」で、2005年の3月から5月までの3ヶ月間ほどは、ブログを書く事を滞っていた時期だった。

そういえば、あの震災の直後に思いだしたのは、2005年のGWの東北への旅の記憶で、奥方も同じように旅の記憶を思い出したのだと言う。大阪から車で、猪苗代湖に行き、キャンプをし、磐梯山を巡って一気に北上して青森まで向かい。三内丸山遺跡を見学してから南下した。乳頭温泉に浸かり、遠野で偶然知った風力発電を見学し、宮沢賢治を訪れ、わんこそばを食べ、帰りには、初めて東京暮らしをする事になった長男の下宿を訪れた。そんな楽しい旅の記憶と共に、5月の大阪と東北の寒暖の差に驚き、花粉症なども併発して、体調を崩し、苦々しい経験が、身体の記憶に刻まれた旅でもあった。それでも、何時かは東北地方の太平洋側の海岸線を北上しようとおもっていたのだが・・・・。

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2004GW「有田」
10年ほど前に長男と行った有田陶器市の楽しかった記憶が残っていて、その時は、有田から阿蘇へ行ってキャンプをした。この年は次男を連れて、下関と門司を巡ってから有田の陶器市で白い陶器ばかりを買った。会社で今使っている湯飲みは、その時買った、湯飲みだなぁ・・・・

2006GW「五島列島」
森小路教会を設計施工することになり、その勉強も兼ねて、というより、それをダシにして、五島列島の教会巡りをした。ほんとうに楽しかった。、機会があれば、また五島列島に行きたい。特に野崎島での記憶は鮮明で、強烈な印象が残る・・・・

2007GW「直島」
車中泊かキャンプばかりしてきた旅で、久しぶりにホテルに泊まった。泊まるのなら、オーバルかとおもって、チョイ見栄をはって宿泊したのだった。今までの旅では観光地で若者を見かけなかったが、直島は、若いカップルがいっぱいの観光地であり、何よりも、その事に一番驚いたし、若者を惹きつける建築力というものを考えさせられた・・・・

2008GW「丹沢」
次男が中学受験をする事になり、そのためにはゴールデンウィークも塾で勉強するのだという。お父さんが家でゴロゴロしていると邪魔なので、どこかひとりで遊びに出掛けてと奥方から申し渡された。それで、友人が山小屋を営む丹沢へ出掛けた・・・・

2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」
2004年以前は、「縄文の遺跡のある場所」というのが、個人的な旅のモチーフだったが、今までの旅と違う新たなモチーフが欲しかった。また、次男も中学生となり、一緒に旅行するのも、あと数回かと考えて、もう少しアカデミックな旅がないものかと模索しているうちに、好きな北斎をモチーフにして富嶽三十六景の描かれた場所を探す旅はどうかと思いついた、それにB級グルメも絡めてみようと・・・・・

2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」が、バカみたいだが、かなり楽しかった。いや、楽しかったのは、「私」だけで、奥方と次男は、バカみたいな旅に付き合わされているだけやでぇ・・・と、ニコニコしながら言う。それに奥方は、年も年で、旅館に泊まらない旅は辛い。こうなったら、クラシックホテルを予約するので、それに合わせて、旅程を組んでね!という強い要望が出た。B級グルメはそこそこにして、建築を体験する事を付け加えた。今までで、最も密度の濃い旅だったとおもう・・・・。

2011GW
そんな訳で、今年はどうしようかと考えた。3・11以降のゴールデンウィークなのだ。それに、次男も子供から少年への道を歩み始めていて、それぞれが、それぞれなりの予定があるのだと言う。中学3年の次男曰く、「まぁ、しょうがないから、一泊二日だけ、お父さんに付き合ったるわ!」なのだそうだ・・・・・。

という事で、木村工務店のゴールデンウィークは以下の日程で頂戴致します。皆さんにとって、有意義なゴールデンウィークでありますように!

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ゴールデンウィークの旅 木村貴一 2011-05-01T23:54:46+09:00
穀雨 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/04/post_342.html Evernote 20110424 133438我が家のお便所の壁に貼ってある、24節気カレンダーを見る。それを見ているポーズを想像されると、気恥ずかしいが、20日に穀雨とあり、「春の雨が田畑を潤し、穀物の生長を助ける」と書いてあった。確かに、20日前後には、雨が降って、うっとうしい天気が続いたが、それが、「潤す」と「生長を助ける」というコトバに繫がるのだと知ると、心のベクトルの向きを変えれば、春の雨は雨で、有り難くて、エエもんだな。とおもえてくる。

今、議論されている税制の問題も、感覚的には、1%の増税は辛いし、払いたくないが、1%の義援金なら、消費を増やして、気持ち良く支払ってもエエのではないかとおもう。この1ベクトルに内在する力の向きを示すのが、政治力のような気がするが、それが、ムツカシイのだな。自己反省もしながら考えてみる。それにしても、ベクトルと書くと、ベクレルの事を連想してしまい、明らかに、3・11以降の影響というやつで、あれ以降はこのブログもそれに関連する話題ばかり・・・。

この週の月曜日に野池学校というセミナーがあった。温熱環境や省エネを教えているノイケさんが主催する学校で、そういえば、昨年の暮れには、ノイケさんの友人とで「選曲アワード」という音宴をうちで催して、盛り上がった。

そのノイケさんによる「1985」というプロジェクトがあり、1985年当時の家庭の消費エネルギーの生活に戻ると、原子力発電の問題を含むエネルギー問題が解決できる可能性があるという、面白い提案とプロジェクトだった。それに、ごく私的には、1985は、結婚の年でもあり、その当時の慎ましやかでシンプルな生活に戻るのも、確かにエエなとおもう。これも3・11以降の問題で、ベクトルの向きの問題のひとつだな・・・・。

その学校のあと、ノイケさんを含めて、数人で懇親会をする。そういえば、その日も穀雨だった。会食の軽いのりの中で、木村PJ[1]s私が、「工務店力」のベクトルの向きをこんな向きに使ってみたいう話題を出すと、暫し盛り上がり、翌日、メールのやりとりと共に、それを纏めた形で、こんなコピーライトが送られてきた。そんな訳で、この週は、穀雨と共に、工務店力のベクトルの向きを考慮した「まちのえんがわ」というプロジェクトの事を考えた、妙な一週間だった。このプロジェクトも穀雨によって生長して欲しいものだ・・。

金曜日。パラパラ降る穀雨の中、透明の傘をさして、地下鉄小路駅に向かう。IMG_2183改札機で、icoca をあてがって、構内に入ると、駅員さんが、脚立を立て、天井からの水漏れをペットボトルで受けていた。ペットボトルの底をカットして、天井にくっつけて水を貯め、それを呑口に細いホースを繋いで、排水溝に落とす作業をしていた。天井に二本の点滴がぶら下がっているような雰囲気で、ちょっと可笑しい。「記念写真でも撮っときますわ。と駅員さんに言うと、誰も修理してくれへんので、自分でやってますねん。」と笑顔。電車に乗るのに急いでいたので、写真は手ぶれしまくっているのだけれど、穀雨のワンシーン。

DSC02656土曜日。雨の中で、木造2階建ての地鎮祭があった。式が始まってから、本格的に雨が降りだして、テントの上に落ちる雨音と共に、神主さんの祝詞奏上を聴く。この穀雨が、土地を潤し、この家と家族の生長を助ける雨となりますように・・・・・。

さまざまな穀雨の中のワンシーン。なのだ。

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木村貴一 2011-04-24T20:44:28+09:00
文明 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/04/post_341.html 「文明災」というコトバを耳にする。復興構想会議の特別顧問となった梅原猛さんの言葉で、それを知ったのは、11日の月曜日のこと。

梅原猛・哲学者――原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に - 11/04/05 | 12:18

今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。

そのためにやるべきことは二つ。

まず、代替のエネルギーとして、太陽光エネルギーの研究をすすめるべきだ。これまで、原発を推進する研究に莫大な研究費を投じてきた。その研究費を、太陽光エネルギーに投入する。日本企業も京セラなどはこれまでも取り組んできたが、それ以外の企業も本気で取り組むべきだろう。

もう一つは、過剰なエネルギーを浪費するような生活から脱却すること。今原発が賄っている電力は全体の3割程度。太陽エネルギーによる代替とともに、一人ひとりが生活を改めることが重要だ。

原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。

今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。
・・・・
(聞き手:島 大輔 =東洋経済オンライン)

DSC02504この月曜日に、木造2階建て住宅の上棟式があって、ここ数年、リフォーム工事が増え、新築工事の割合がめっきり減って、それだけに、上棟式というのは、今まで以上に、嬉しい式典であり、木組みの下での会食は、幸せな気分になる。話題は、必ず震災の事に及ぶ。お施主さんの仕事での震災の影響の話などだが、ここに来て、原発の影響による、省エネの事が、より大きな関心事に移っているように感じる・・・・。

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火曜日の午前中にリフォーム工事の現場定例打ち合わせに行く。この震災の前に着工していたのだけれど、ユニットバスの搬入予定が、3・11以降だったために、ユニットバスの入荷が大幅に遅れている。遅れるのは、仕方ないですよぉ。と笑顔で答えてくれるお施主さん達。こういう皆の気持ちが、間接的にだけれど、震災の支援になっているのだとおもう。

DSC02532同じ火曜日のお昼からリフォーム工事の定例打ち合わせに参加する。こちらはユニットバスの入荷が遅れていだけでなく、構造用合板と断熱材の入荷が遅れて、大工さんが「手待ち」の状態になりそうだったけれど、なんとか、ぎりぎりのタイミングで手配が付いて、ほっとひと安心。何よりも、大工さんがほっとした様子で、一生懸命仕事をしていた。材料が入荷しないと、職人さん達の仕事が出来ない訳で、ユニットバスを施工する職人さん達は、仕事が出来ず、「あそんでいる」状態なのだそうだ。震災の影響がじわっと忍び寄る。

DSC02530同じように、お施主さんは、遅れるのは仕方ないですよ。と誰もが、気持ちのどこかで、自分達の事より、震災で困っている人たちのことを気遣っているのだった。現場から自転車での帰り道、桜の下を通り抜ける。今年の桜は、いままでのどの年より、格別に色が白っぽくて、ある意味美しい色合いだと眺める。まさか、震災の影響ではあるまいか・・・・。

水曜日。協力業者の瓦寅工業さんの会長がご逝去されて、その社葬が阿倍野であった。瓦組合の理事長を歴任されておられ、阪神大震災では、屋根瓦の修復のために、多大な尽力をされて、その功績もあり、勲章を拝受したのだと聞き及ぶ。そんな話を聞きながら、今度の震災の大きな特徴は、あらためて、津波と原発の問題なのだ。特に、原発に対する考え方が、ひとりひとりのライフスタイルにまで、影響を及ぼそうとしているのだと、頭のどこかでぐるぐると廻っていた。

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木曜日。一年に2回だけ催す、協力業者とのゴルフコンペをチャリティーゴルフコンペとして、28人で実施した。勿論、花見と同様に、開催するのかどうかという迷いもあったけれど、弊社の会長自らがティッシュボックスをリメイクして作成し、その募金箱に集まった56,000円は、楽しんだエネルギーを義援金として変換したエネルギーとして届けたいとおもう。

その木曜日の夜。設計の打ち合わせがあって、施主のお仕事が、土産物の製品を商う仕事で、この震災の影響で、外国人観光客が来なくなって、浅草に卸す商品が全く売れなくなり、パートの人たちも減らさなくてはならないかもしれない、リフォームもどうしようかと迷うぐらいで、死活問題だと嘆く。原発の影響による経済的損失の影が、あちらこちらに忍び寄る。

金曜日。数年前に1階のリフォーム工事をさせて頂いたお宅が外壁の塗り替え工事をする事になり、そのお引き渡しがあって、久しぶりにお伺いし、あれやこれやとお話しをする。2階のリフォーム工事がまだ残っていて、その工事の時には、夏を涼しくするために、断熱材や遮熱や風通しの事を考えたいです。というのが、冷暖房費のランニングコストだけの事でなく、原発の事を意識したエネルギー問題が、いまや共通に考える話題のひとつになっていて、それは凄い出来事だとおもう。原発問題が、はっきりと、皆の意識を変えているのだった。

土曜日。新築工事の設計打ち合わせがあり、長期優良住宅の補助金が閣議決定されているのだけれど、正式発表が遅れている。そのために、申請と着工が伸びている現場があり、ここにも震災の影が忍び寄る。

その土曜日の午後。堺に民家のリフォーム工事の現地調査に参加する。弊社のトミマスくんとタナカくんと床下を覗いて、ネコの死骸を発見し、撤去したのは、所謂、想定外の出来事であったのだけれど、それよりも、原子力発電の事を考えるとね。オール電化。良いのでしょうかね。プロパンガスの地域では、どうしましょうかねぇ。という施主の悩みは、大阪であっても原発問題を自分たちの事として真剣に取り組み始めている悩みなのだとおもう。

日曜日。住宅相談会があり、施主の方との、太陽光発電やオール電化やガス給湯器や床暖房や断熱材の話題が、CO2の問題意識ではなく、日本のエネルギー問題への意識に変わってきているのだと実感する・・・。

「文明」というコトバを聞いて、久しぶりに聞く、忘れかけていたコトバで、新鮮な印象を持った。こうやって、この一週間、いろいろな人と接すると、誰もが、こころのどこかで、文明って何。となんとなく問いかけているのかもしれないと思えてくるのだった・・・・・。

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木村貴一 2011-04-17T19:56:00+09:00
チャリティー花見 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/04/post_340.html チャリティー花見の宴を催す。いやぁ、実は、その当日の朝もどうしようかと迷う気持ちもあって、でも、自粛より、やるのならチャリティーが「普通の流れ」なのかとおもい、社員と大工さんと手伝いさんの30名ほどで、粛々と催した。

IMG_2125社員のミカワ嬢が、空き缶で手造りの義援金BOXを作成してくれて、それが、人間味があって、柔らかな気持ちにさせてくれる。そこにまず私が、1000円札を入れる。この金額が多いのか少ないのかケチなのかどうかわからない。孫さんのように100億の甲斐性があるわけでもないので、皆で、ささやかな、身の丈のチャリティーをその都度、何度も何度もしていこうというのが、意図。それにミカワ嬢がコインで続く。それがバランス良く、ほっとする。

乾杯の前に、私から皆に、チャリティーでもあると伝え、まずは、乾杯し、食べる前に、このBOXに入れるようにお願いして、IMG_2138参加者の一人ずつに缶を持ち回った。社員も大工さんも手伝いさんもポケットや財布から、今持っている小銭をわしづかみにしたりしながら、笑顔で、まるで、お賽銭のようにカンカンに入れてくれた。1円玉、5円玉、10円玉、100円玉、500円玉、たまに1000円札。ほとんどが、仕事着のままの参加で、皆が、いま労働し終えた、その労働の一部を義援金として捧げてくれた、身の丈感覚。集まった18,496円は少ないのかもしれないが、ささやかな気持ちとして、お届けしたい。

思い起こすと、3.・11が勃発したその二日後の3月13日(日)に小中学校の同窓会があって、それが、バスで久美浜までカニを食べに行くツアーで、しかも、その企画と幹事をしていて、それで、あたふたと幹事数人と中止するのかどうかの相談をし、結局は行く事にして、朝8時のバスに乗り込んだ。出発のマイクを持った第一声で、この震災で亡くなった人々のために、まず数秒間の黙祷を促して出発をしたのが、この震災で、一番最初にした黙祷だった。それから、社員の朝の集まりや会議、大工さんとのミィーティングなどで、数回の黙祷をしてきた。

3.・11以降に工事契約したり、工事中のお施主さんに、その方と弊社の連名で、赤十字社に義援金として送金し、その送付票をお引き渡しの書類に添付する事にした。金額はごくわずかで、ささやかな金額だけれど、この状況下で、工事契約をして頂いた感謝として、工期の遅れを辛抱強く受け入れて頂いたお礼として、それにまた、この震災中の工事であった事を記録として残しておきたいという意味があるのかもしれない・・・・。

花見を終えて、様々な事をおもう。生活するためのエネルギーというより、楽しんだり、少しだけ贅沢に消費するエネルギーの一部を、わずかな金額だけれど義援金に変換してみようかとおもう。送電線から送られてくる電気エネルギーに感謝できるような「フクシマ」として収束して欲しいとおもう。世界の国々と仲の良い関係を保ちながら、エネルギー資源を輸入して、安全でクリーンなエネルギーを創エネし、バランスの良いエネルギー国家になってほしいとおもう。夜型より朝型の社会の方が、電気消費のエネルギーは減るのではないのかとおもう。でも閑散とした暗い都会は寂しいなとおもう。いや、キャンプ場の暗い夜は案外心地良いとおもう。住むには危険が伴う津波や原発の地域のこれからの都市計画はどうするのが良いのだろうかとおもう。さて、どんなバランスで省エネの慎ましい生活がエエのかなとおもう。

いろいろなことをおもう・・・・。いや、これからは、おもうから、為すやね・・・・。

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木村貴一 2011-04-10T22:15:49+09:00
影響 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/04/post_339.html DSC02465DSC02461

小さな窓越しに7分咲きの桜を眺める。モミジが芽吹きだして、小さくてカワイらしい葉っぱに生命力を予感させる。春がやってきたのだ。毎年毎年再生するのだ。と、少々センチメンタルな感覚になるのは、震災の影響だなぁ・・・・。

震災の影響で、合板が入らなくなっていて、3月15日付けで会社に送られてきたFAXには、東北地方の石巻、大船渡、宮古などに合板工場があって、「本社事務所及び工場設備等に被害が発生し機能していない状況」はまだしも、「連絡が取れず」なんていう報告があって、東北地方が日本の家づくりの「縁の下の力もち」であったと知る。3週間が経過した今現在、どんな状況になっているのか、正確な情報は把握出来ていない・・・・。
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ところが、3月22日付けの日本合板工業組合連合会のホームページには・・・

被災地以外の組合員企業が保有する、地震発生前の本年2月末日時点の国産針葉樹構造用合板の在庫量は約8万6千立方メートル(3×6×12ミリ換算で約430万枚)でありました。

被災地以外の組合員企業による国産針葉樹構造用合板の月間最大生産能力は、約16万立方メートル(同約800万枚)であります。

これは減産していた平成21年度の月間平均出荷量である約15万6千立方メートル(同約780万枚)と同程度となり、仮設住宅や緊急復興需要にも十分にお応えできるレベルかと考えます。

今回、国土交通省から(社)住宅生産団体連合会に対して供給要請のあった、概ね2ヶ月で約3万棟の応急仮設住宅の建設に必要な合板の需要量は、林野庁試算値で約1万2千立方メートル(同約60万枚)と見込まれています。

日本合板工業組合連合会といたしましては、最大限の増産態勢を整え、住宅建設及び災害復興のための合板の安定供給に全力を挙げて参りますので、関係者の方々におかれましては、投機的行為や過剰な仮需を慎み、エンドユーザーの皆様のお手元へ円滑に国産合板をお届けいただきますよう重ねてお願い申し上げます。

ということで、合板は十分にあるはずなのだが、なぜか市場には出回らない・・・・。断熱材も相変わらず不足状態が続く。4月4日に断熱材が入荷予定のある現場は1週間前に、「白紙に戻します」という一方的な電話で入荷しなくなった。キッチンメーカーのフードは、富士工業製が大多数をしめ、そこが震災の影響で生産に遅れが出て、キッチンの入荷が大幅に遅れている。IHヒーターの部品も生産が遅れているらしい。ユニットバスの排水トラップの部品が震災の地域で製造されていて、その影響でユニットバスの入荷が遅れているメーカーもある。便器も電子部品等が絡んでいて、基盤関係が震災の影響を受けているらしく入荷が大幅に遅れているメーカーもある。

人が集まると、あーだこーだとこの震災の話題になって、合板を製造するための刃物工場が被災していて、その影響があるらしいね。と、建築とは関係のない人からそんな話を聞かされて、そうなんですよ。と、溜息をつきながら、会食をする。

そんな事が、あれこれと重なって、リフォーム現場の打ち合わせに参加して、お引き渡しの工程をどうするのかを現場の担当者と機器メーカーの担当者とお施主さんを交えて協議した。それぞれの職人さんが、自分たちが出来る範囲で、可能な所まで完成させて、機器待ちにしましょうよ。という、当たり前と言えばしごく当たり前の結論になるのは、施主の方々も、被災地の人たちの事を考慮して、和やかに工程の遅れを受け入れてくれるからだろう・・・・。

DSC02417桜井谷窯跡群23号窯跡DSC02428

そのリフォーム現場の裏山を眺めていると、お施主さんが、遺跡なんですよ。と説明してくれて、エエ陽気だった事も手伝って、見学してみることにした。それが古代の登り窯の遺跡だと知って、その立て看板を読むと・・・・

この窯跡では土器が焼きあがった状態のまま残存しています。これは取り出す直前、天井部の崩落というアクシデントにより放棄されたと推定されます。この災いが私たちには幸いして、どのような器種をどのように窯詰めするのか、またー窯あたりの生産量はどれくらいかなど、古代窯業の実態解明に欠かすことのできない資料を提供'してくれます。そして、この地域が古代における窯業地帯であったことを如実に証明してくれる貴重な文化財であります。

「アクシデントにより放棄されたと推定されます。」というコトバに、脳裏では、この震災の事が絡みついてくる。いやぁ、3週間もテレビやインターネットやツィッターでそんな記事ばかりを見聞きしていると、そんなふうになってしまうのだな。地震と津波により壊滅状態の都市を放棄して、残したままどこかに移動すると、こんな遺跡状態になるのかもしれない・・・。フクシマ原発は、いずれ遺跡群として、この地域が古代における原子力発電所地帯であったことを如実に証明してくれる貴重な文化財であります。となるのだろうか・・・・。と。

奥方も友達が集まると、この震災の話題になるという。昨年に子供が社会人になって、夫婦二人になったある奥さんは、震災孤児を二人ぐらい引き取ろうかなぁ・・・・と、真面目な顔で呟いたらしい。ある奥さんは、フィットネスのジムに行くと、数人が集まって、ジムでこうしている方が、それぞれが家で電気を使わないから、省エネになっていると思うわ・・・と呟いたとか。それぞれなりの新たな省エネ手法を考えているのだった。消防士を知りあいに持つ奥さんは、大阪から震災の手助けに行き、多くの遺体を捜索して、帰ってきてから鬱な状態が続いているのだ・・・と呟く。

朝からランニングをする。大阪城公園では、開花している桜も一部だけあって、若い人達が、早朝から場所取りをしていた。ブルーシートや残材が、ゴミ置き場に山積みになっていて、震災の人たちの事をおもうと、その後始末の光景は、ちと寂しい気分にさせられる・・・。そうそう、10キロ、約1時間のランニングのエネルギーが、電気エネルギーに変換できないものかね。震動が電気エネルギーに変換されて、携帯電話の充電が出来るとか・・・・。いやぁ、まったく、その「影響」はでかいね。

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木村貴一 2011-04-03T19:33:49+09:00
電気エネルギー http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/03/post_338.html 「発電施設が電気に困っているのだ。」こんな姿を見ていると、複雑な心境に陥る。原子力発電所への外部電源は、火力発電所から送られてくるのだろうか、それとも水力発電所からなのだろうか・・・。「灯台下暗し」という諺がよぎる。こんな皮肉な出来事は、自分自身の身の回りにもありそうで、「人のふり見て我がふり直せ」という啓示ではあるまいかとさえおもう。

丹沢にある「堀山の家」という山小屋に25年ほど通っている。その小屋には、送電線からの電気はなく、水もない。それで、水はポリタンクを背負って近くの沢まで汲みに行く。いろいろな人がボランティアでボッカして、水を運んで汲み置きする。そのボッカというのは、ウィキペディアによると・・・・

歩荷(ぼっか、ボッカとも)は、運送形態の1種で、背中に荷物を背負って人間が目的地まで直接徒歩で運搬すること。また、運搬者そのものを指す。また、歩荷を職業とする人のことは強力(ごうりき)とも呼ぶ。

一般に背中に梯子のような形をした荷台(背負子)をつけ、それに箱詰めした荷物を何段にも重ねて乗せて運搬する。1回の運搬量は数十キログラムになることもしばしばである[1]。現在の日本においてはほとんどの歩荷は男だが、かつては女の歩荷も特に珍しくはなかった。

運送の形態としては原始的で、かつては日本ではどの地方でも見られたが、自動車などの交通具の普及や道路鉄道の発達、人件費の高騰などから徐々に減少した。20世紀後半には山小屋など、直接自動車道路がない場所に物資を運搬するときのみに使用されている。しかし、山小屋でもヘリコプターによる輸送が可能になり、現在、恒常的に歩荷を専門の職業とする人を見ることができるのは、尾瀬の尾瀬ヶ原地区と白馬岳の夏山期のみとされている。

送電線からの電気がないので、夜の照明はランタンを使う。それで、登山口から灯油をボッカして小屋まで上げる。もちろん、テレビはない。ラジオは乾電池。夏の暑い時に登山者のために冷えたジュースやビールを販売するために、冷蔵庫が必要になって、その電源を確保するために、ガソリンの発電機を回す。エネルギーはガソリンなので、ガソリンを登山口からボッカして小屋まで持ち上げる。それに、カセットガスを利用する冷蔵庫もあって、そのためのカセットガスもボッカする。

小面積のソーラーパネルもあり、バッテリ-などに蓄えながら使用するが、安定的に冷蔵庫に使うほどにはならないし、ラジオやカセットデッキ程度だが、それだけでも確かに有り難い。それにしても、裕福な小屋ではないので、大きな面積のソーラーパネルを設置する資金も乏しい。別の小屋で、ソーラーパネルを設置した小屋の人の意見を聞くと、投資した金額の割には、天候の影響もあって、安定した電気を確保出来なくて、もっと電気を創り出すためのエエエネルギーはないのかね。と悩む。

ちなみに、調理のためのエネルギーは、薪かガスで、鉄の容器に入ったガスボンベを誰かがボッカする。暖房は、薪ストーブ。冷房は、自然の冷気。そういえば、薪を確保するための労力もたいへん。それに、ストーブが、数年に一度の割合で、新調しなくてはいけないので、それを、登山口から小屋までボッカするのも一大イベントなのだ。

そうそう、数十年前に、小屋の主人が、お風呂を造った。その水は、雨水を樋で集めて、それを濾過し、その水をドラム缶に入れて薪で沸かして浴槽に注ぐ。完成した時に、一度だけ、入ったが、水も綺麗と言い難く、お湯もすぐに冷めてしまい、エエ湯加減とは言い難かった・・・。それに1人が入るためのお湯を沸かすエネルギー、所謂、給湯エネルギーの確保とその効率の悪さも手伝って、数回使用しただけで、ほとんど使われることもなく、今は撤去されて物置と化している。

小屋の基本は、雨風がしのげて、ゆっくりと寝られる事だと思うのは、被災者の姿を見ていても、あらためて、そうおもうのだけれど、生活エネルギーという観点に立つと、そんな小屋遊びの体験から、生活するためのエネルギー確保の大変さを実感し、特に送電線から送られてくる電気エネルギーの有り難さには、感謝のおもいすらあるものの、はたして、福島原発事故のような危険を冒してまで、送電線から送られる電気エネルギーを贅沢に消費する生活が必要なのかどうか。じゃぁ、どのような節電や家づくりがバランスのとれた生活エネルギーになるのだろうか。それに、日本という国では、エネルギーをどのように創造するのがエエのだろうか。と考させられる。

ツイッターに「発電施設が電気に困っているのだ。」と書くと、「逆永久機関」というリツィートが反ってきた。それを読んでいると、熱力学第二法則というコトバを思いだして、「熱力学第二法則、エントロピー増大を防ぐのは、「愛」か。」と、リツィートした。インターネットで調べると 熱力学第二法則 (Japanese) - ChristianAnswers.Netには・・・

熱力学の第二法則は、日常生活でなじみのある基本原理を描写しています。それは部分的には、普遍的な崩壊の法則です。それは、全てのものが最終的には時間と共にバラバラになり、崩壊してしまう究極の原因です。物質的なものは不変ではないのです。全てのものは最終的には変化してしまい、無秩序が増加します。どんな物でも買った日と同じように新しいままの物はありません。服は色あせ、すり切れ、最終的にちりに戻ります。2 全ての物は古くなり、すり切れます。死もこの法則の現れの一つです。熱力学の第二法則の影響は至る所に現れ、宇宙の全ての物に及びます。

毎年、この法則の無情な影響に対抗するために莫大な金額が費やされています(維持管理、塗装、医療費など)。結局、自然界の全てはこの法則に従っているのです。

    熱力学の第二法則: 物理学者ケルビン卿が専門的に次のように述べました。「熱源を冷やし、外部に仕事を行うだけという自然の過程は存在しない。」 もっとわかりやすく言うと、この法則は、宇宙の利用可能なエネルギーはだんだん少なくなっていく、という事実を述べたものであるということです。最終的には、利用可能なエネルギーは無くなってしまうでしょう。この事実から、どの自然のシステムにおいても、最も可能性が高いのは無秩序な状態であるということがわかります。放っておけばどの自然のシステムも崩壊します。3

エントロピーが増大するのを必死で食い止めようとする作業員。それは、日本の国と国民に対する「愛」なのだろうか。「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」が日本の国の在り方や日本人のライフスタイルを変える、きっかけなのだろうか・・・。

まずは、早期の収束を願いたい。

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木村貴一 2011-03-27T23:06:56+09:00
シーベルト http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/03/post_337.html それは、シューベルトではなく、シーボルトでもなく、「シーベルト」なのだ。と言うと、そんなオヤジギャグ、流行らんわ。と東京から帰ってきた長男に、一喝された。確かに。奥方は、それ、偉人さんやったけ、エジソンとちゃうけど、あっ、チャウチャウ、解った解った、アレアレ、それやん。知ってる知ってる。で、終わった・・・・。

この震災から1週間が経って、震災前と震災後で、「私」の中で、新たに学んだ事は、「津波」と「シーベルト」だった。あの時見た、衝撃的な津波のLIVE映像は、その後テレビで流れたのだろうか、あれから一度も見る事がない・・・。津波が引いた後の映像は、木造の基礎だけが残る映像であり、土台や根太や大引と言われるものが、基礎に取り付いたまま、残像のように残っている基礎の映像もあった。土台を残し、柱から上だけが、波に持って行かれた多くの木造家屋。構造設計の田原さんと電話で会話をすると、木造という建物は、地震のように、右や左に揺れる力には、まだしも、津波のように、一方向から一気にかかる力には弱いねぇ・・・。うん、なるほど、確かに。

「壊滅」というコトバも、ここ最近あらためて認識したコトバだ。壊滅都市を、どのように再興し、都市計画するのだろうか・・・。コンクリートの建物による復興?超高層?海辺の超高層マンンションから降りてくる漁民のおっちゃんおばちゃんの姿?・・・。土地の問題はどうするのだろうか・・。戦後というのは、こんな状態だったかと、ふと思った。きっと、これから様々な「基準」というものが、変わるのだろう。まずは、多様な議論が欲しい。

それにしてもやっかいな問題は「シーベルト」なのだ。マイクロなのかミリなのか、/年か/時か/日か/回か、語尾があいまいなまま報道され、困惑してしまう。年間に1ミリシーベルト/年が、一般人の限界値だという。いま測定された数値が例えば、0.5マイクロシーベルト/時間なら、 0.5マイクロシーベルト/時間の放射線を24時間浴びると、0.5マイクロシーベルト/時間×24時間=12マイクロシーベルト/日で、限界値の1ミリシーベルト/年を1000マイクロシーベルト/年に直し、1000マイクロシーベルト/年÷12マイクロシーベルト/日=83.3日間となって、0.5マイクロシーベルト/時間の放射線を24時間連続で、83.3日間浴びると危険なのだ・・・。という、こんな計算でエエのかどうか・・・。ちなみに、80日という数値から脳内では、小学生の頃に読んだ、80日間世界一周がよぎる。また、それをネットで調べる過程で、「被爆治療83日間の記録」というのに出くわした・・・。

そんな事を頭で、何となく考えている時に、ある人から、親しい人に向けたメールとして、私の稚拙な内容をもっと熟考した内容で数回に渡り送られてきた。その一部を引用すると。

・・・・(前略)・・・・
「避難する」という判断の閾値について考えます。
<前提条件>
・避難したい範囲から出るための時間(つまり被爆時間)を24時間とする
・屋内に居れば被爆量は減るが、安全側(状況としては危険側)を考えて、ずっと屋外にいると想定する
・これまでと同様、環境線量をすべて被爆するという仮定とする

【判断レベル1】
判断する数値の想定:一般市民の線量限度(自然からの線量被爆は除く)
数値:1mmシーベルト/年
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:1000マイクロシーベルト÷24h=41.7マイクロシーベルト/h

【判断レベル2】
判断する数値の想定:業務に従事する人の年間被爆量の上限
数値:50mmシーベルト/年
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:50000マイクロシーベルト÷24h=2083マイクロシーベルト/h=2.83mmシーベルト/h

【判断レベル3】
判断する数値の想定:成田-ニューヨークを飛行機で往復する線量
数値:86mmシーベルト
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:86000マイクロシーベルト÷24h=3583マイクロシーベルト/h=3.58mmシーベルト/h

【判断レベル4】
判断する数値の想定:臨床的な症状が出ない(専門医に行っても「問題のある所見なし」というような診断が出される)
数値:250mmシーベルト
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:10417マイクロシーベルト=10.417mmシーベルト/h

【判断レベル5】
判断する数値の想定:リンパ球の一時的な減少
数値:1000mmシーベルト
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:41667マイクロシーベルト=41.67mmシーベルト/h

【判断レベル6】
判断する数値の想定:将来的に致命的な癌の発生確率が0.04%として明らかになっている数値(この被爆量を受けた1万人に4人)
数値:1000mmシーベルト(レベル5と同じ)
上記数値から求められる、自分がいる場所の近くの放射線量の数値:41667マイクロシーベルト=41.67mmシーベルト/h

・・・・(後略)・・・・

同級生から電話が掛かってきた。東京に住むオー君から電話があって、どうも、政府の公表している数値が信用できないので、奥さんと娘さんを大阪に暫く移住させるつもりやけど、ウィークリーマンションもどこもかも空いてないので、どこか借家でもないかね・・・。という内容だった。おそらく、こんな事があちこちで起こっているのだ。避難するのかどうかの判断基準は、風評ではなく、引用のような理科的な考え方で、それぞれが判断するしかないのだろうが、より専門知識をもった政府レベルの人が誠実な計算をして欲しいところ・・・・。

そうそう、その上、今や、「シーベルト」だけでなく、「ベクレル」という単位も登場してきたのだ。もはや、テレビも私も、理科の授業の如く、頭の中は混乱ていて、世間では、「理科」と「風評」とで混沌としている・・・・。

「ベクレル」と摂取制限指標

「シーベルト」が放射線が人体に与える影響を示す単位であるのに対して、「ベクレル(Bq)」は、放射性物質の量を示す単位です。
ベクレルは、放射性物質を含む食品や水を食べたり飲んだりすることによる放射線の影響を防ぐために、安全基準の単位としても使われています。
放射性物質ごとの摂取の制限についての指標の値は次のとおりです。
放射性ヨウ素では、いずれも1キログラム当たりで、飲料水や牛乳が300ベクレル、野菜が2000ベクレル。放射性セシウムでは、いずれも1キログラム当たりで、飲料水や牛乳が200ベクレル、野菜や穀物、それに肉や卵、魚が500ベクレルとなっています。

「シーベルト」さんとのお付き合いだけで、充分なのだけれど、これからは、ベクトルではなく、「ベクレル」さんとのお付き合いまでしなくてはいけないのか・・・。それにしても、自衛隊員や消防隊員の「シーベルト」は本当に大丈夫なのか?と、NHKのホームページを見る。

放水後の放射線量 減少傾向に

東京電力は、20日午前11時前から記者会見し、福島第一原子力発電所の敷地内の放射線の量は、放水が始まった19日午後から、引き続き減少傾向にあることを明らかにしました。
東京電力によりますと、福島第一原子力発電所の3号機から北西におよそ500メートル離れた「事務本館」北側の放射線の量は、19日の放水が始まる前の午後2時に、1時間当たり3443マイクロシーベルトだった値が、20日午前8時半に、1時間当たり2625マイクロシーベルトに減少し、18時間余りで818マイクロシーベルト下がったことを明らかにしました。

週刊朝日には、こんな表が掲載されていて、それを引用すると。

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業務に従事する人の年間の被曝量の上限が50ミリシーベルト/年なので、ミリをマイクロに直し、50000マイクロシーベルト/年として、50000マイクロシーベルト/年÷3443マイクロシーベルト/時=14時間となって、14時間作業をすると限界値を越えると解釈すればエエのだろうか・・・・。まったくもって、その環境の中に、果敢に飛び込んでいく作業員のその「勇気」に感謝したい・・・・。

消防隊 被ばく線量基準下回る

東京消防庁によりますと、福島第一原子力発電所で、19日未明、放水活動を行った消防隊員およそ50人の被ばく線量は最大で27ミリシーベルトで、ふだんの活動での安全の基準としている30ミリシーベルトを下回ったということです。
部隊を率いた東京消防庁の佐藤康雄警防部長によりますと、今回の放水活動を行った隊員およそ50人の被ばく線量は最大が27ミリシーベルトで1人、15ミリシーベルト前後が3人、10ミリシーベルト以下が45人だったということです。
被ばく線量を計測する検査は、除せん後に行われたということで、隊員は全員改めて血液検査を受けるということです。
東京消防庁では、被ばく線量の安全の基準として、人命のためにやむをえない場合の活動でも100ミリシーベル未満とし、ふだんの活動では30ミリシーベルト未満としていて、今回はいずれもふだんの活動の基準を下回ったということです。

年間の被曝量の上限値、50ミリシーベルト/年となっていて、それに対して、ふだんの活動の30ミリシーベルトと人命のためにやむえない100ミリシーベルトというのは、30ミリシーベルト/回、100ミリシーベルト/回として、1回の被曝量の限界値だと解釈するのだろうか。良く理解できていないが、いずれにしても、一般人の年間の被曝量の限界値が1ミリシーベルト/年なのだ。消防団員も自衛隊員も被爆という事に関しては、一般人のレベルな訳で、それを50倍や100倍以上の危険を承知の上で挑み、また、ヒロシマ、ナガサキ、チエルノブイリに起こったあの結果が、被爆者の結論であるとするのなら、そういう目に見えぬ悪魔と戦い、国を守ろうとする、消防隊員や自衛隊員の「心意気」には、頭が下がる・・・・。


ところで、原子力発電の賛否は別にして、兎に角、これからの家は、送電線から送られてくる電気エネルギーをなるべく消費しない家が良いね・・・。そうすれば、原子力発電所の数を減らせるし、水力発電を建設するためのダムや環境破壊も減らせるし、火力発電のための天然ガスの輸入も減らせる。「ついでに」CO2の削減にもなるのだろう・・・

家で使うエネルギーは、家電エネルギーが30%ほど、照明が13%ほど、給湯が29%ほど、暖房が15%ほど、冷房が3%ほど、換気が5%ほど、調理が5%ほどだと言われている。あくまで、温暖な地域の平均値。そのそれぞれで、電気エネルギーを節電するにはどうすれば良いのだろうか・・・・。

家電と照明は、いわゆる節電と省エネ機器の性能向上で、電気の消費エネルギーを減らす事になるのだろうが、確かに、これが、家庭で使うエネルギーの半分近くを占めるので、節電する効果は大きい。それに家電や照明のエネルギーは、昼間で天気が良ければ、太陽光発電でまかなうことも出来そうだ。

給湯エネルギーと言われる、お湯を沸かすエネルギーをどう減らせばエエのだろう。主に、お風呂のお湯が最大の消費量になるので、その昔、詐欺まがいの太陽熱ソーラーっていうのが販売されて、社会的な問題になったけれど、太陽熱温水器を使えば、29%のエネルギー消費のかなりを減らせるので、企業が魅力的な製品を出して、復活して欲しいね・・・。一般的には、電気でお湯を沸かす時は、エコキュートなどで、省エネするのだろう。電気を使わないでお湯を沸かすのなら、ガスの給湯器やエコウィルやエネファームになるのだろう。ただ、災害時は、ガスより電気の復旧の方が圧倒的に早そう。そうそう、一般性はないが、薪も候補。災害時は特にね。

調理エネルギーが5%あって、電気をなるべく消費しないという観点でいけば、ガスレンジになる。でも、ガスだと、災害時の復旧が遅いとか、IHと違って、火事の危険性が大きいとか。そういやぁ、キャンプでは炭や薪を使うけれど、それもひとつの選択肢か。

換気で消費されるエネルギーが5%で、それに比べて冷房が3%だという数値には驚くのだけれど、5%の換気エネルギーを節減するのには、調理の時の換気扇以外の換気、例えば、便所やお風呂は、自然換気に頼るのが良さそうだ・・・・。

何よりも暖房の15%と冷房の3%をどうすれば良いのだろうか。暖房に関しては、まずは、家に、断熱材を入れて、断熱効果を高めて、電気でもガスでも灯油でも、兎に角、暖房のために費やすエネルギー使用量を減らす事が求められている時代で、CO2削減として、エコポイントなどが、国レベルの取り組みとして、推進されているが、原子力発電所削減ポイントにしてはどう・・・・?

暖房器具は、クーラーの電気の暖房でまかなうのか、深夜電力の蓄熱暖房を使うのか、電気床暖などなど。やはり、節電という観点では、ガスや石油だな薪だって・・・・。また、それとは別に、昼間は太陽熱を取り入れて部屋を暖めるというパッシブな方法も大切なのだが、南向きの大開口の家ばかりではないので、これはなかなかムツカシイ。

冷房エネルギーをどう削減するのかも大きな課題。全体量からすると僅かなのが意外な事実なのだけれど、夏の一時に電気消費が集中して、発電所がフル稼働になるのが問題なのだろう。夏のピーク時の発電を助けるという観点では、太陽光発電が役に立つのかもしれない・・・・。でも、やっぱり、クーラーを使わずに、夏涼しい家を造るというのが、あたりまえで、単純な目標なのだとおもう。という事は、屋根や壁の遮熱効果を高かめて、風通しの良い家を創るという事になるのだろう・・・・。

冷暖房費の削減にはパッシブな家が求められている。そのパッシブ(受動的)というコトバって、うちの現場監督のTは、cameraroll-1300629763.653741パッシブって、それ、ポジティブの事ですか?ネガティブの事ですか?と聞いたのだけれど、自然エネルギー利用のためのパッシブ建築設計手法事典には、パッシブな家というのは、「特別な動力機器を用いず、自然それ自体がもつ性質を建築的に利用して室内気候調整を行おうとするのが、パッシブ設計の考え方です」と書いてあった。節電する家という観点からも、ますますパッシブな家が求められるのだろう・・・・。

ところで、パッシブな家が増えて、節電された家庭の電気エネルギーが、電気自動車のエネルギーのために使われるのなら、「シーベルト」への不安は、なかなか解消されないだろうな・・・・。どんなエネルギーバランスが日本国にとってエエのだろうか。

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木村貴一 2011-03-20T23:56:14+09:00
粛々 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/03/post_336.html 事務所の2階にある応接室で、リフォーム工事の最終見積調整を、設計担当のカワモトくんや、見積担当のトミマスくんと、女性のお施主さんを交えて、打ち合わせをしている時に、揺れが来た。何となく揺れている・・・。大きな揺れではないが、結構、長い間揺れている。地震?と誰ともなく声が出る。施主の方が、ワー、気持ち悪い。と呟いた。

確かに、ゆる-い揺れだが、周期が長い。気持ち悪い揺れだった。応接室を出て、階段を降りて、道路に出ると、会社近くにある、整骨院のお兄ちゃんも道路に出てきて、お互いに顔を合わせながら、揺れたねぇ・・・。地震やね・・・。と言い合う。辺りを見回すと、何人もの人が、家から道路に出てきていて、まわりを見回している。向いの家の2階の窓が開いて、そのお宅の奥さんが、道路にいる私に、揺れてるねぇ・・・と。私もそれに答えて、揺れましたねと頷く。それが、3月11日午後3時前の事だった。

お施主さんとの打ち合わせを終えて、暫くすると、総務のミカワさんが、かなり、東北方面は、えらい事になってるみたいですよ。と言う。それで、3階に上がって、休憩室でもあり宿泊室でもある、和室のテレビを付ける。NHKから地震の報道が流れていて、全てのテレビが、一斉に地震報道だった。阪神大震災の時の事を思いだした。

あの時も、このテレビを付けて、朝から、社員皆で、テレビを眺めた。何となく凄いことが、起こっているなぁという程度だったのが、時間経つに連れて、その重大さを徐々に認識しだした。実際に工務店として、大阪から神戸に関われるようになったのは、1週間ほど経過してからだったと記憶する・・・。

テレビ画面が、ヘリコプターからの映像に切り替わった。海から波が押し寄せる映像で、単なる波でなく津波だった。いや、それが、LIVEな津波というものだと、その時に、初めて、知ったのだとおもう。その津波が、川をどんどん遡上していく。隣には、トミマス部長が横に座っていて、一緒に映像を視る。

以前のテレビ番組で、南海地震が起こって、淀川を津波が遡上し、堤防が決壊して、大阪の町が水没するというシミュレーション映像があった。それを思い出した。そのように、LIVE映像の津波が、どんどん遡上し、堤防が決壊し、木造住宅を巻き込んで、畑を潰して遡上する。まるでアメーバーのように、土地と建物を浸食していくLIVE映像だった。

現実とは思いにくい映像で、まるで映画のシーンのようで、人が、生命ある人が、生活をしている人が、その家の中に居るとは想像しにくいLIVE映像だった。アメーバーのような津波がどんどん押し寄せるその映像の中の、土手を走る車に、おーい、津波が来てる。そっちに行くな。とテレビに向かっておもわず声が出た。LIVEなのか、録画なのかと疑う、キョトンとした状況の「私」。それにしても、その後、あの建物の中の人や土手の車の人たちはどうなったのだろうか・・・・。

時間の経過と共に事の重大さを知る。

翌日のテレビ画面に映る「壊滅」の映像。あの時のLIVE映像のその後が、これなのか? それにしても、大阪でテレビを見る私が、そのLIVE映像で、状況を把握し、その場で、それをリアルに体験しているその人たちに、その事態を伝えられないという、何とも言えない不憫。・・・・。

それでも、震災の影響がない、ここ大阪では、粛々と、日々の業務が続く。土曜日にはタカヤマ設計による高槻の家のオープンハウスが行われた。その日の夜には、矢部達也設計事務所によるcut the corner のレセプションがあった。小学校と中学校の同窓会が、今日の日曜日にあって、それも久美浜までカニを食べる日帰り旅行だった。中止するのかどうかという議論もあったが、最終的には、粛々と行う事になった。同級生のNくんが、震災の影響のない地域では、経済活動を止めない事も、大切な事かもしれない・・・と語った。

いま、被災していない誰もが、心のどこかに、この出来事を気にとめながら、この事に哲学しながら、粛々と日々を生きているのだと思う。

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木村貴一 2011-03-13T23:35:59+09:00
シュールとアフォーダンス http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/03/post_335.html DSC02055

リフォームの現場に行くと、時々、シュールな光景に出会う。長屋2軒続きの家で、隣を借家として、貸していたのだけれど、その人が出て行かれて、ひとつの住まいとしてリフォームする事になった。その内部解体の現場を見に行く。

「夕焼けの空」という習字が壁に残っていた。ちょうど、夕刻で、日が暮れかかって、内部は、薄暗くなり始めていたところでもあった。一瞬、小学生の頃に、近くにあった、習字教室に通っていた事を想い出した。長屋の2階にあって、長屋として横並びに続いているのだけれど、1階と2階も住人が別れていて、二つ並んだ玄関の片方の玄関の扉を開けると、いきなり急な階段が現れて2階に上がる。その2階が習字教室だった。

その階段を上がる時の雰囲気と、その時の身体感覚。正座をして、座テーブルに向かって習字を習う時の寺小屋のようなその雰囲気。朱墨で、クルクルとまるをつけられたり、訂正されたりする時の感覚。そんな身体感覚が、一瞬だけ、蘇った。それとともに、何となく、ここの住人の姿を想像する。引っ越しする時も、この習字を残して、去っていった、その時の情景と心情は・・・・。

左上の柱には、プロマイドが貼ってあって、笑顔のあどけない、いわゆる清純派女性アイドルの写真で、よくよく見ると、酒井法子って、書いてあった。その名前を読んだ瞬間、声を出して、ウワー、ノリピーや。と叫ぶと、まわりから、何とも言えない、笑いが起こった。その瞬間に、これを一緒に見ている、現場監督のフルカワくんやの設計担当のヤマガタくんや、お施主さんと私が、このまわりを取り囲んでいて、それを眺めている、その様子と、目の前にあるこの「夕焼けの空」という習字とプロマイドと解体現場の情景と、その背景にある社会性を含めたものに、シュールだと想った。そして、シュールな光景やな。と呟いた。

ところで、このシュールっていう表現、これで、エエのかね。ウィッキぺディアによると、

シュールレアリズムとは、超現実主義の事で、「過剰なまでに現実」という意味だとあり、「現実(約束事などに囚われた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。」と。

今、話題のヤフーの知恵袋で、カンニング的に調べてみると、そのベストアンサーは、

シュールとは、
そもそもは「シュールレアリスム」の略語です。
画家で言えば、ダリやマグリットなどを想像していただければ分かりやすいかと思います。
そこから転じて「現実からかけ離れ、理解し難いもの」などを指す言葉になったようです。
良い意味か悪い意味かは、場面により異なる気がします。
「意味が分からなくてつまらない」 → 「シュールだね」 → ある種の社交辞令
「意味が分からなくて楽しい」 → 「シュールだね」 → 褒め言葉
「何言ってんのこいつ」という場合でも「シュールだね」で穏便に済ますことができる便利な言葉ですが、逆にニュアンスが難しいように思います。

とすると、私のシュールの使い方は誤りなのかもしれない。いやいや、シュールだね。なんて言う表現は、いたって、曖昧で、「私」もよくわからんまま、カッコヨク使っているのだ。という事なんだろうねぇ。その時は、「過剰なまでに現実的」な情景として、捉えていたのだろう・・・・。

こうやって、ヤフーの知恵袋を使って情報を得ようとしていると、なぜか、あのカンニング事件の事がよぎって、「あのカンニング事件には、アフォーダンスがある。」と表現するのは、どうなんだろうかねぇ・・・。と、ふと考えた。おやじギャグ的表現風に言う、アホのダンスという意味ですかぁ。ではなくて、いや、それが大正解かもしれないが、ヤフーの知恵袋では、

アフォーダンスとはなんですか?

身の周りの役立つ情報の事!

という回答で、こんな単純に割り切った回答で、確かに見事ですけど、割り切りすぎな感じで、例えば、答案に書くのには、ちょっと怖い感じ。それで、別の回答を見みると、

アフォーダンス(affordance)
これは、アフォード(afford)「~ができる」「~を与える」などの意味を持つ
動詞をアメリカの知覚心理学者によってつくられた造語である。
このアフォーダンス論を考えると、非常に複雑であり、また問題もあるので
ここでは一部触れることにする。
■アフォーダンスとは
・アフォーダンスは事物の物理的な性質ではない。
・動物にとっての環境の性質
・知覚者の主観が構成するものではない。
⇒環境の中に実在する知覚者にとっての価値のある情報である。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nitti/kaken/3/affodance.html

リンクを見ると、何となく解ったような解らんような。とにかく、「シュール」と「アフォーダンス」というコトバの使い方はムツカシイのだ・・・・。

今週、中古住宅購入のお手伝いをした、その不動産の決済が、滞りなく完了し、建物が引き渡された。その間に、リフォーム工事の設計も並行して行っていて、事前にリフォーム工事の工事契約も済ませていたので、タイミング良く着工となった。建物には、以前の住人の残留物があって、本来なら、内部解体工事が、直ぐに始まるのだけれど、その前に、お施主さんの希望で、地鎮祭のような、お清めとお祓いをする事になった。祭壇には、山の幸や鯛も並んだ、本格的なものだった。

中古住宅を購入する施主にとっては、初めて、住む土地でもあって、その土地の神様に、この場所に住みますよ。と伝えるのが、中古住宅購入での、地鎮祭のような、お清めのような、お祓いのような儀式なんだろう・・・。そのうえに、施主の奥さんが、「もの」には「もの」の命があって、以前の住人のその「もの」達に、壊しますよ。とお伝えするのだと。なるほど、エエ言霊だな・・・・。地鎮祭と同じように二礼二拍手で榊(さかき)をお供えした。

神主さんが、建物の外や屋上、それに各部屋を廻ってお祓いとお清めをする。3階の部屋には大きなポスターがあって、それは、日本ハムのポスターで、清純派アイドルの大きな顔写真だった。よく見ると、なぜか、またもや、ノリピーだった。その写真の方向に向かって、神主さんが、お祓いをした。

いやぁ、その時の光景は、シュールやね・・・。
神主さんによる、地鎮祭やお祓いは、アフォーダンスやね・・・。

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木村貴一 2011-03-06T23:18:11+09:00
バス宴 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/02/post_334.html 岐阜の高速道路の渋滞の帰りのスキーバスの中で、ノートパソコンに向かう。道路の両サイドの雪は、溶け出して、土の黒い部分が交じる、雪と土のブチ状態。スキー場でもパラパラと雨が降って、時には、雪になったりと、不順な天候だった。今年の冬は、かなり寒い冬だったが、寒さが徐々に暖かくなっていく、というより、一気に、いや、唐突に、春をお迎えするような感覚。もう、2月が終わろうとしているのだ。まさに、逃げていく。というコトバが相応しい・・・。

2年に1回ほどの割合で、社員や協力業者の有志が集まった、スキーツアーをしていて、うちの会社では、ゴルフ好きは、高齢化して、ゴルフが、コミュニケーションの役目「も」担うのは、どちらかと言えば、協力業者の社長さん達との関係で、社員の30代前後の若手と、若い大工さんと、協力業者の職人さん達が、17名集まってのスキーツアーは、若者とのバス宴&コミュニケーションでもある。

土曜の夜の11時に会社に集まって、生野区小路からバスに揺られて、岐阜のダイナランドに向かう。このツアーには、集合の2時間前に、会社の近くにある居酒屋に集まって、前夜祭をする。という変な、「しきたり」というか、「癖」があって、その宴会の参加者は、有志の中の有志数名で、流石に、ワタクシは、それには、参加しない。

そんな訳で、バスに乗り込む時には、もう既に、参加者の半数のひとが、ハイテンションな状態で、いわゆる「できあがって」いる。なので、夜の11時から夜中の3時頃まで、バスの中での、若者のハイテンションなバス宴が続く。今回は後部席が、向かいどおしになって、テーブルがある、サロンカーだったので、盛り上がりも絶好調だった。

協力業者の会長をしてもらっている、岡房商店のシンちゃんは、55を越えているのだけれど、その昔は、学生ツアーというスキーバスを何台もしたてて遊ぶ、その会長をしていて、というよりも、そういう学生ツアーの創始者のひとりでもあるという。そのシンちゃんを、うちのスキーツアーに強引に誘う。勿論、昔取った杵柄のていで、それなり楽しみにしてくれているのだと、ワタシは、勝手に、そうおもっている。

そのシンちゃんは、兎に角、参加するけど、バスの席は2席とってもらえへんかったら、寝るのが辛いから、行かへんでぇ。という要求を突きつけてくる。確かに、ワタシも、社長という特権をこの時ばかりは、絶対的に行使して、2席をもらう。まぁ。それぐらい、バスの中で、寝るというのは、辛い。そのうえ、後席では、ハイテンションの若者が、声高らかに、騒ぐのである、いや、ふざけあうのである。益々、寝られへんのですわ・・・・。

50を越えて、まともに寝ることも出来ない、どちらかと言えば、寝ることに関しては、かなり辛い若者向けスキーバスツアーを主謀するのは、馬鹿げた事のように、思える瞬間もあるのだけれど、実は、あの「馬鹿騒ぎ」、それも、かなりの大馬鹿者の集まりなのだけれど、それを側で、見聞きするのが、楽しくて、嬉しい。のだ。

2年前のスキーツアーでは、バスの運転手があまりの馬鹿騒ぎに、怒り出して、このままでは、スキー場まで、運行できません。と言われる始末。確かに、ワタシも、居酒屋かどこかで、見知らぬ若い社会人が、こんな馬鹿騒ぎをしているのを見ると、腹が立つに違いないとおもう。それで、今回は、会社の旅行を依頼している、旅行者の若い男性添乗員が、自分もスノボを練習がてら、同行してくれることになって、ひと安心。貸し切りバスという、密室空間での、ごく私的な出来事の世界として、お許しを頂きたい・・・。

今回も、スキー場に到着して、運転手さんに、騒ぎのお詫びを伝えると、ニコニコ顔をこちらに送りながらも、確かに五月蠅かったな。という、表情が所々に、吹き出していて、それでも思い直したように、もう一度笑みを返しながら、「とにかく、お客さんが、楽しそうに、喜んでもらえるのが、何よりですわ」と、言ってくれた。ちょっと涙ぐましい、プロ魂。

今回の寝るは、首枕を持ち込んで、幾分、睡眠の助けになったものの、それでも、寝たのか寝ていないのか、ほとんど判別がつかないほどの眠りの状態で、朝の5時をむかえ、ダイナランドでは、サンライズ営業というのがあって、朝の5時からリフトが運行していて、勿論、それに行く気満々の若者の勢いに乗せられて、朝の6時過ぎからスキーをする事になってしまった。・・・・・。

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kimuko_32:33pm via TwitBird

梅林にて。スキー行きたかった・・・http://twitpic.com/448pzq

kimuko_32:56pm via Echofon

社員と協力業者の有志で、貸切バスに乗って、ダイナランドへ、バス宴&スキー。そろそろ帰り仕度。http://twitpic.com/448zen

kimuko_34:14pm via Echofon

スキーの後の温泉。面倒臭いから、入らんでも。と思ったが、入ったら入ったで、やぱり気持ちエエねぇ。さて、帰りもバス宴が続くのか、それとも、爆睡か?http://twitpic.com/449sl9

 

帰りのスキーバスの中で、これを書く、そんな、いまとここ。バスの中は、静まりかえっている。流石に、バス宴は続かず、爆睡なのだ。時折、イビキすら聞こえる状況でもある。この馬鹿騒ぎとスキーの後の、心地良い疲れが生み出す、心地良い静寂が、このブログ書きを誘発するのだろう。そういえば、きっと、バスという密室空間で、寝たか寝ていないのか、朦朧(もうろう)とした状態にさせてくれる、あの夜中の馬鹿騒ぎが、「私」にも、カタルシスと共に、ある種のハイな状態を与えてくれているのだとおもう。
thanks 大馬鹿者達。

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木村貴一 2011-02-27T23:07:31+09:00
施主力 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/02/post_333.html 大阪ガス住宅設計アワードの表彰式というのが水曜日にあって、矢部達也建築設計事務所のヤベさん設計で、弊社で施工をした、「コトバノイエ」が、最優秀賞を受賞し、その表彰式でもあった。

ひと組、3人まで、出席出来るらしい。それで、ヤベさんのはからいで、施主のカトウさんと施工の木村工務店のワタクシを招待して頂いたのは、特に、施工者の私たちに気配りを頂いた事は、工務店という、ものづくりをする、現場監督や見積者や職人さん達を代表して、とっても有り難い事だった。

大阪ガスビルの8階食堂の一角で、表彰式があり、ガスビル食堂には、ちょっとした憧れもあって、一度は行って見たい食堂でもあったのだけれど、何となく、敷居が高く、それに、わざわざ・・・という感じもして、未体験だった。レトロなイメージを抱いて、会場に訪れたのだが、新たに改装されたのだろう、オシャレで、いま風な感じで、イメージの継承というのはムツカシイものだなぁ・・・とおもう。

待合のロビーで、今回の審査員のひとりでもある、中原洋さんに、久しぶりにお会いして談笑する。2003年の夏頃に、大阪ガスの雑誌「住まう」の取材のために、「私の自邸」を訪問して頂き、その時の様子をホームページに掲載してもらった。当時は、そういう業界の事に無知で、住宅建築に精通した有名な編集者だとも知らずに、しごく気軽にお話しをしながら、スタッフの方ともご一緒に、うちの奥方も交えて、たこ焼きなどを食べながら、歓談した。後々その高名を知って、暫く前の事だったのに、一瞬、汗が出た・・・そんな思い出。お会いした時に、うちの家のことをしっかりと記憶に留めて頂いていた事が、何よりも嬉しかった。

審査員長でもある、木原千利さんとも、初めてお会いする。実は、10年ほど前に、高校時代の同級生が、木原さんに、病院と住居併用の建物の設計を依頼していて、その時のプランが二つあり、どちらが、エエとおもう・・・・と相談された事があった。中庭のある、建築的には、かなり魅力的なプランを推薦したが、鬼門とか風水の問題で、別のプランで竣工した。そんな話を木原さんと談笑すると、あの時ね、あの中庭のプランね・・・。と、その時の事を語られて、中庭のあのプランが実現できなかったのが残念そうだった。建築家との家造りには、捨て去る事も必要なのだなぁ・・・と再認識する。

表彰式の審査員の挨拶に、「このコトバノイエの建築は、施主にも賞金の半分を渡してあげて下さい・・・」という、コメントがあって、会場内に笑いが渦巻いたのだが、確かに、建築家との家造りにおいては、「施主力」というのが必要なのかも知れない。施主の建築に対する理解力と辛抱が求められるのだろう。設計力と施主力との協働による建築力。それに、ものづくりをする工務店力もちょっと、付け加えておきたいところだね・・・・。

建築の持つ力、建築力というのが、話題にのぼった。コトバノイエの建築を通じて、施主のカトウさんは、自分自身の内向的なある部分が、解き放たれたのだ。と云う。この建築のおかげで、コトバノイエという古本屋さんを始めようと、思いついたのだと。過去の囚われからの解放をもたらし、住まうひとに、内的な自由を与える建築。エエねぇ・・・。

表彰式終了後、わざわざ、本町から、生野区の小路にある、チリトリ鍋の「げんや」まで移動し、ヤベ夫婦とカトウ夫婦とキムラ夫婦で、ホルモンを食し、その後、木村家本舗に移動して、深夜まで歓談した。カトウさんのツィートには・・・
kotobanoieFeb 17, 2:22am via Web

木村夫妻と矢部夫妻の前で、誕生日ケーキのふーができるとは、夢にも思いませんでした。望外の喜びです。どうもありがとうございました。

コトバノイエという建築を通じて、設計のヤベさんと施主のカトウさんと施工のキムラさんとが、不思議な繋がりと関係性を保ちながら、付き合いを続けている。もちろん、施主と設計者と施工者という、ビジネス的な関係性を背後に含めながらも、それらから解き放たれたサムシングエルスも存在しているのだろう。きっと、お互いどうしが、「良心」を保持しようと、ちょっとした努力をしていることからうまれる関係性なのかもしれない・・・。

そういえば、今週は、建築家の林敬一さんが設計し、昨年の秋にお引き渡しをした、西宮M邸のお施主さんから、お礼のお手紙を頂戴した。その文面の中には、「・・・・中略・・・・家と親友になれた私たちは、ほんとうに今を大切に「笑顔」を感じあえています。これもひとえに・・・・中略・・・・・」とあって、ここにも、建築家との家づくりからうまれる、施主の心の解放を垣間見て、何ともいえない、感動が湧いてきた・・・・。

今日の日曜日、大阪ガスの授賞式で、同じく受賞し、ヤベさんから紹介してもらった、設計事務所のアルファヴィルさんから、オープンハウスへのお誘いがあって、訪問する。沢山の設計関係のひとがお見えになっていて、偶然にも、先日、木村家本舗で催した、「音の宴」のDJをつとめた、カブハウスの久山さんと、建築家の林敬一さんにお会いする。そのツィートには・・・・

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アルファヴィルさんの茨木のオープンハウスに林さんとお邪魔し、現地で偶然木村工務店の木村さんとか屋根裏設計の中山さんとか・・・・・

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その住宅は、壁が斜めに傾斜し、平面が長方形ではなく・・・と、設計者は、見た事もないような、新しい空間性を創造する事に挑戦したのだろうし、きっと、その背後では、施主力も大きく貢献したのだろう・・・・。勿論、工務店力も必要不可欠だろう・・・。

建築家との家づくりには、工務店の設計施工では、創造できない、魅力的な空間性があって、それには、設計力はもとより、何よりも施主力なくしては、為し得ない事なんだとおもう。そんな施主になるのも、家づくりのひとつの選択肢だなぁ・・・・。

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木村貴一 2011-02-20T23:18:32+09:00
ラーメン http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/02/post_332.html DSC01840DSC01841DSC01811DSC01821
ベランダで、職人さん達と、ドーナツと缶コーヒーを一緒に飲んだ、そのマンションリフォームの引き渡しがあった。壁は、漆喰ペンキ塗り。床材には、久しぶりに木童の土佐栂を使った。淡いピンク色で、独特の堅さと柔らかさと暖かさがあって、好きな床材のひとつだなぁ・・・・。

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それが終わったあと、間口が1間半の長屋の全面リフォームの引き渡しだった。現場監督のツジモトくんが中心となって、設計のカワモトくんと大工のノブヤマくんの意向をうまくとり纏めて、補強工事から細かなディテールまでを調整してくれて、狭小だけれど、心地良いリフォームになった。こういう、現場監督と大工と設計の協働が、工務店の設計施工の良さだと思う。

そんなこんなで、10日の夜遅くに、引き渡しが終わり、会社に戻って、作業をしていると、奥方から電話がある。サトちゃんが来て、飲んで、待ってるでぇ。という。サトちゃんとは、私の妹の旦那の愛称。そのサトちゃんが、50才を越えて、スキーに「はまって」いるのだという。それで、一緒にスキーに行こうよ。というお誘いがあり、そんな訳で、明日の11日の祭日に、岐阜まで、車の日帰りスキーに行くことになっていた。ワタシにしても、「50才越え男二人スキー」のその姿は想像しにくいし、勿論そんな経験は初めて。

家に帰ると、サトちゃんは、ちょっと酔っ払いながら、スキーのビデオを見て、イメージトレーニングをしていた。その様子が、どことなく滑稽だったので、ちょっと、笑ってしまう。一緒に見ろ。というが、それは、丁重に、お断りし、雑談を交えながら、ご飯を食べ、暫くして、明日のスキーの用意をする事にした。

午後10時をまわっていた。明日は4時頃出発だと伝えると、サトチャンは、明日に備えて、寝るわ。と言って、そそくさと、寝床に向かった。普段は9時過ぎに寝るらしい。職業は整形外科医。とにかく、マイペースなのだ。そのマイペースぶりに、夫婦で苦笑しながら、スキーの用意や雑談をしているうちに、午後11時を廻っていた。それにしても、明日の事を考えると、ろそろワタシも寝よ。と、布団に入った、その瞬間に、電話が鳴った。

1年前から入院していた93才になる祖母の様態が、急変したらしい。という、父からの電話だった。急いで、服を着替えて、父と母を車に乗せて、3人で病院に向かう。看護婦さんは、酸素マスクを付けて、調整作業をしているところだった。暫くして、当直医がやってきて、事態を説明してくれた。どうも、突然、熱が出て、肺炎を起こしたらしい。このまま、最悪の事態の可能性もあるが、回復の可能性もあるのだという。一旦は、家に帰ってもらっても良ろしいですよ・・・・・と。

その雰囲気からして、スキーは中止する事にした。その事を、寝息をたてながら眠るサトちゃんを揺り起こし、iphoneのビデで撮影したその様子を見せると、ふらっと体を起こして、危ないかもしれんな・・・・と、呟き、そのまま、また、バタンと眠りこんだ。まるで、ドラマの一場面のようだった。そして、ワタシも寝りにつく。

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明くる朝、起きると、大阪には珍しく雪が積もっていた。記憶に残る、2月11日の祝日の朝だった。お昼前、祖母の様態と、スキー中止の知らせを聞いた、妹の家族がやってきて、うちの家族と一緒に病院に見舞いに行く。岐阜のスキー場に一緒にいるはずだった、病院に勤務するサトちゃんが、今は、よその病院で、うちの祖母の様態を見て、首を横に振っていた。いや、ほんと、人生とは不可思議だとおもう。時間を前後して、弟の家族も見舞いに駆けつける。

なぜか、ほんとうに、なぜか、皆で、ラーメンを食べようという事になった。ここから車で数分の高井田の金久右蔵門に行く事にしたが、その途中で、日曜日と祝日が休みなことに気付いた。もはや、すぐ近くまで来ていて、別の場所に行くのには、手遅れだった。とりあえず、前を通過することにする。と、それが、偶然にも、「臨時営業」だった。店内は、いっぱいだが、客待ちはゼロ。そして、その時のツィートがこれ・・・・・

kimutaka1Feb 11, 1:26pm via Echofon
予定外が、いっぱい重なって、金久右衛門で、ラーメン。  IMG_2012

そして、その日の夜、祖母は他界した。おいしいおいしいと言って、初めて食べた妹家族にとっての、そのラーメンは、忘れられない味となった事だろう。もちろん私たち家族にとっても。祖母の生前からの願いもあって、家族葬として、12日お通夜、13日告別式として、しめやかに執り行われた。

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小学校の6年生まで、なぜか、祖母が、着物を着て、毎回、私の参観に来てくれた。そんな思い出と共に、謹んで「感謝」の意を捧げたいとおもう。

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木村貴一 2011-02-13T23:13:25+09:00
癒し http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/02/post_331.html 土曜日、マンションリフォームの現場確認に行くと、お施主さんが、職人さんのためにドーナツを差し入れしてくれていて、3時の休憩に、職人さん達と、缶コーヒーを飲みながら、そのドーナツを食べて、歓談する。それが、どういうきっかけで、そういう話題になったのか、思い出せないのだけれど、家に帰ってからも、奥さんのお手伝いをして、簡単な大工作業や、器具の取り替えなどをするのかどうか・・・・。という話題だった。

電気工事のオカモトくんが、現場では、微妙な器具の位置出しや配線をとっても上手にこなすのだけれど、「家では、電球ひとつ取り付けるのが、イヤで、面倒くさいのですわ」と言うと、廻りを取り囲んで、一緒に休憩していた、塗装屋さんのテラガミくんや、設計のタナカくんや、その他、職人さん皆で、ニコニコしながら、うん、そうそう、と頷く。

こないだ、家のクーラーを取り付ける時も、器具だけ買って、自分で取り付けるのが、面倒くさくなって、家電屋さんで、取り付け共でやってもらって、取り付ける時に、監督だけしましたわ。と言うと、それを聞いて、同じ、電気工事の職人さんが、ほんと、そうですわ。うちなんか、奥さんと一緒に、ミドリ電化にクーラーを見に行って、奥さんが、店員さんに、取り付けは、旦那がするので、取り付け費を値引きして下さい。と言うと、クーラーは、取り付け費を含んでいるので、ダメです。と言われて、しめしめ。と思ったんですわ。

ところが、実際に買う時は、ヤマダ電器で買うことになって、同じように、奥さんが、取り付け費は引けますか。と聞いたら、はい、引けますよ。え~、引けますぅ。って、言いよったんですわ。横で、聞いてて、そりゃないでぇ、と思いましたわ。家でも、仕事のように、クーラー取り付けなアカンようになってしもたわ。と、ぞっとしましたわ。そのうえ、洗濯機も買って、主人が設置しますから、設置料引いてもらって・・・・。うゎー、言ってまいよったわ。洗濯機まで、取り付けなアカンようになってしもたわ・・・。と。そんな、現場での職人さん達との、たわいもない会話が、、実に楽しい。意外と、癒される。

という話を、第二名神高速道路をドライブしながら、助手席に座る奥方に、語る。後の座席では、息子がイヤホンで音楽を聴きながら眠る。何がきっかけで、伊勢神宮に行こうという事になったのか、よく、思い出せないが、午前11時頃に、大阪市内の自宅を出発した。

朝、ランニングをし、その爽快感を持続するためにも、銭湯に行こう。と、奥方を誘うと、行く行くという。それで、息子も誘う。と、こんな日曜日の朝、早くから、今、何時、7時半、え、眠たい。行かへん。と連れなく断られる。流石に、中学2年生の後半になると、ちょい、反抗期になって、小学校の時のような素直な少年ではなくなってきている。それはそれで、良い事なのだ。そんな訳で、車に乗って、5分ほどの高井田のユーバスへ、二人で朝風呂に入りに出向く。

ゆったりと、入るつもりだったが、それが、予想に反して、駐車場はいっぱい。お風呂の中は、おじさん、おばさんで、かなり、いっぱいで、ワタシも、まわりの皆と、同じ、れっきとした、おじさんなんだ。と、あらためて、寂しい認識をする。

いつものように、寝湯、露天風呂、サウナ、水風呂、塩サウナ、電気風呂、洗髪、体洗い、ひげ剃り、最後に、体を湯がく程度に、お風呂にに入って、あがり、着替え、そのまま、お風呂屋さんで、モーニングのスクランブルエッグを食べながら、家から持ってきた、朝刊を読む。

家に帰ると、10時前で、息子は起きて、食事室で、お腹を空かせながら、お笑いを見て笑っていた。日曜の朝からの、お笑いは、ちょっと、絶えられない。と、なぜか、その時は、そう感じた。その事を伝える。と、反抗期をむかえている息子との、ほんのちょっとした、バトルになってしまった。いつか、テレビで、アグネスチャンが、反抗期は、ホルモンのせいだ。と言っていたっけ。

暫くの時間が経過して、その様子に、奥方が、割って入って、そうそう、以前に行こうと言っていて、用事が出来て、行けなくなった、伊勢神宮へドライブをしに行こう。と言い出した。ついでに、竜王に出来た、三井のアウトレット。

「私」は伊勢神宮と法隆寺が結びつき、伊勢神宮を見た帰りに、西名阪道路の法隆寺インターで降りて、法隆寺を見れば、日本的なものと、中国大陸的なものとの違いを感じられて、オモロイのでは・・・と、おもうタイプなのだけれど、奥方は、伊勢神宮とアウトレットが結びつくタイプだった。当然、3人で、伊勢神宮とアウトレット。になる。

午後2時頃の伊勢神宮で、驚いた事は、予想に反して、駐車場がいっぱい。臨時駐車場までいっぱい。普通の冬の日曜日なのに・・・。それに、おじさん、おばさんでいっぱいの朝風呂と違って、伊勢神宮は、若い女の子達も、それに、若いカップルも沢山いて、暫くぶりの伊勢神宮に参拝すると、人の多さと、その人気に驚かされた。横で、奥方が、パワースポット、パワースポットと連呼していた。歩きながら、奥方のまわりでのパワースポットにまつわるお話しを拝聴する。知らぬ間に、奥方も、パワースポット教になっていのだ。

きっと、世の中全体が、「癒されたい」症候群なのだ。それにしても、いつ行っても、内宮の正面の階段に至までの、あの長いアプローチはエエな。とおもう。長い木の橋を渡り、右折れし、砂利を踏む音を聴きながら、広い砂利道を直線的に歩く。暫くして現れる右手の五十鈴川で手洗いをし、左折れをすると、木立が見える。直線的に天に向かって伸びる木立の間の緩い上り坂を歩く。左手にある、神社建築的建物群を見ながら進み、ほんの緩い左カーブの向こうに、突き当たりが見える。右手に象徴的な屏風のような塀。そこで、左に向く。木立の中。数十段の階段を見上げる。その一番高いところに、独特の形の鳥居と御門が見える。内宮の正殿は、何重にもある木の塀の向こうで、全く見えない。そんな静謐なムードの伊勢神宮には、日本的カッコ良さがあるねぇ・・・・。

そうそう、奥方が、ケチやな、あの中、建物、ちゃんと見せてくれてもエエのに。と、呟いたのが、印象的だった。確かに、そういう、こころも、一瞬湧いてくるよな。それと、若いひとも含めて、二礼二拍手一礼でお参りするひとが、増えたのも、印象的だったな・・・。

そんなこんなで、竜王の三井アウトレットに到着したのは午後5時をまわっていた。それでも駐車場は、ほぼ、満車だったのには、やっぱり驚かされる。流石に、ここは、若いカップルや家族連れでいっぱいだった。私も息子と仲良く買い物をする。消費する事が、癒しを誘発するのだろうか・・・・。

「ランニング」+「銭湯」+「伊勢神宮」+「アウトレット」+「ブログ」 = 「癒し」 なのか。

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木村貴一 2011-02-06T23:32:50+09:00
サッカーと相談会と音宴の日曜日24時間 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/01/post_330.html 忍耐強く、アジアカップサッカー決勝のオーストラリア戦を見る。プレイしている人は、想像以上に忍耐が必要だったのだろうが、見ている、私たちも、かなり忍耐がいる試合だった。深夜、我慢しながら、延長まで、見続けての、あのボレーシュートは、気持ち良かったね・・・。スカッとしたね・・・・。

日曜日の午前零時頃に迷う。このまま寝て、早朝のランニングをするか、サッカーを見るのか。そうすると、奥方が、明日は、大阪マラソンやから、大阪城周辺には、規制があって、アカンとおもうから、サッカーとちゃう。という。確かにそうだ。そんな事もあって、サッカー観戦をチョイスすることにして、ひたすら忍耐しながら観戦したのだった。気がついたら、奥方の姿は見えなくなっていて、寝室で寝ているようで、結局、夜中の3時まで、ひとりでサッカー観戦。サッカーって、何人かで見たほうが、絶対的に楽しいよね。

最後はBS放送に切り替えて、優勝トロフィーをもらうところまで見て撃沈した。それにしても、あの長友を中盤に上げた選手交代は、アドリブなのかね。前から想定していたひとつのオプションだったのかね。と、ザッケロー二監督の采配も興味深かった。

今日は、2ヶ月に一度の日曜日の相談会があって、5時間ほどしか寝ていない、サッカーボケしている寝不足の頭を、朝風呂に入って目覚めさせて出勤する。まず、午前中のAさん。奥さんの実家の近くで、中古住宅を購入してリフォームを目指す。中古住宅の斡旋のお手伝いをしてもらっている、日住サービスのナリタさんと一緒に見つけた物件を購入する予定だけれど、思うように、物件の金額が安くならなかった。当然の事として、建築費に負担がいく訳で、コストパフォーマンスの良いリフォームをするためには、どのようなコストダウンをすれば良いのかと、設計のタナカくんと私と施主のご主人と奥さんとの4人で一緒に悩む。

昼からのBさん。建て売り住宅が並ぶ道路の突き当たりの一番奥。幅2mで道路に接道する変形敷地で、ご夫婦はマンション住まい。御夫妻の娘さんと娘さんの子供さんと、御夫妻の息子さんの3人で、その建て売り住宅に住んでいるという、不思議な状況。御夫妻が、今、考えている事は、老後の事をいろいろ考えて、マンションを引き払って、息子さんや娘さんたちと、集まって一緒に住みたい。それで、その建て売り住宅を建て替えたいけれど、耐震や予算や接道の問題が悩ましい。何よりも、将来の家族の誰に焦点をあてて、プランを考えれば良いのかと・・・・・。

今、再び、集まって一緒に住もうという、リフォームや新築の要望がチラホラあって、これはこれで、いまという時代を反映していて、なかなか興味深い。さて、どのような設計的アイデアが求められているのだろうか。と思索してみる・・・・。

午後3時からのCさん。先週に御夫妻でお見えになり、一時間ほど話を聞いているうちに、実は、建築家の林敬一さんのファンなんだけれど、相談するのにも、なかなか敷居が高くて・・・と。そんなこんなの状況を林敬一さんに説明し、その結果、今日のこの日曜日が、林敬一さんとお客さんとのお見合い日に設定されたという訳。そうそう、これをお読みになっている方々の中で、建築家との家づくりをやってみたいけれど、敷居が高くてと、思っておられる方が、いらっしゃるのなら、気軽に弊社にお問い合わせ下さい。

午後5時、第2回の音の宴を催す。それぞれが、自分の好きな5曲を持ち寄り、それを皆で聞いて、自分の好みで採点しながら飲み食いするというお遊び。今回のDJは、建築家のヤベさんとその施主でもある、カトウさんとタニガワさん、それに設計のオオタさんとプロデュースのヒヤマさんと私の6名。そうそうオーディエンスとして、建築家のイシイリョウヘイさんとカトウ夫人やタニガワ夫人が加わって、9名による、音宴となった。結果はカトウさんが、一等賞となり、深夜の午前零時前に、名残惜しく解散・・・・・。

そんな訳で、サッカーと相談会と音宴が入り乱れた、日曜日24時間。であった。

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木村貴一 2011-01-30T23:57:26+09:00
ステイ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/01/post_329.html 冬だから、寒いと言えば寒い。でも、穏やかだと言えば穏やか。そんな大阪の朝。先週の土曜日は、予期せぬ葬儀があり、全ての現場を停めて、全社員と大工と手伝いと協力業者で、告別式に参列した。翌日は、土曜日に打ち合わせ予定になっていた方々を日曜日に振り替えて頂いて、打ち合わせをした。その日曜日の朝は、流石に、様々な余韻が残っていて、メチャクチャに寒かった事もあって、まったく、ランニングをする気持ちになれず、走らなかったが、今朝は、そんなに寒くもなかった事も手伝って、なんだか走りたくて走った。

snapshot-1295756588.824062ジャクソンブラウンというアメリカのシンガーソングライターのアルバムに、「running on empty」 というアルバムと曲があって、なぜか、唐突に思い出す。レコードジャケットのライナーノーツと歌詞対訳には、孤独のランナーとあり、「・・・ むなしく走り続ける。わけもわからず走り続ける。太陽に向かって走り続ける。なのに、時の流れに追いつくこともできずに走り続ける。・・・」という歌詞だった。と、レコードアルバムを引っ張り出してきて、眺めてみた。

そんな、ランニング オン エンプティーな心境で走った訳では、全くないのだけれど、時として、走る事が、ちょっとしたブレークスルーをもたらすことがあるのかもしれない。とおもう。そういえば、間寛平のアースマラソンというのも、完走と聞くと、たいしたもんやな。と興味深くおもえるわけで、わけもわからずに走り、わけもわからなく「アメマ~」と叫ぶのも、時にはエエでぇ。とおもえるような、ここ数日。この一週間は、脳内に突然なリセットがかかったような感覚だった。

そうそう、その、「running on empty」 というアルバムのB面のラストにステイという名曲があって、それを思い出す。特に、曲の後半の、女性のコーラスが、「みなさんもう少し長くいてください。私たちはもう少し長く演奏していたいんです。・・・」という、熱唱あたりから、ぐっときて、奥方も、これ、これがエエね。昔から大好き。と唸る。

ナカタさんへのお悔やみのメールや電話やお花を施主の方々からたくさん頂戴し、どちらかといえば、先週は、その「ステイ」の心境。その一部だけ抜粋させて頂くと・・・。

「・・・・しばらくお目にかかっていなかったので残念です。
小さな頼み事でもわざわざ京都の果てまで駆けつけてくれて本当に有り難く思っていました。お茶を飲みながら仕事の愚痴を面白おかしく話して息抜きしていらっしゃったのが昨日の事のようです。・・・」

「・・・・ 昨年、我が家の工事現場にもたびたび訪れていただき、接した時間は少なかったのですが、いつも施主の立場に立った温かい言葉を掛けてくださいました。・・・」

「・・・・色々とご対応して頂き、これからもまだまだ頼りにさせて頂こうと思っていたので、非常に残念でなりません。 ・・・・」

「・・・築7~80年の3軒長屋の真ん中という事や、とても狭い周辺道路ということもあり、ご近所へのあいさつ回りに同行いただき不安に思われている両隣の方に丁寧に、そして大丈夫ですと自信を持って話していただき、とてもスムーズにあいさつ回りができました。
おかげさまで快適な生活を送らせていただいてます。
これも家が建った後のこと、建物自体はもちろんご近所との付き合いを大切に考えていただいた木村工務店さんのおかげです。・・・・」

仕事の関係の方々から
「・・・・また、当時、娘さんが結婚されるとうれしそうにおっしゃっていたことも、覚えています。 確か、京都の海岸沿いのご出身だったと記憶しています。 ぼやきながらも、人に愛される方だったと思います。・・・・」

「・・・現場に着いて、中田さんの顔を見ると、なぜかとてもあったかい気持ちになりました。仕事が終わると、いつも1時間くらいいろんな話を聞かせてもらいました。子供さんのこと、お孫さんのこと、中田さんの仕事の歴史。 とくにお孫さんのことをお話しされていたときの、少しはにかんだ笑顔がとても印象に残っています。
とにかく私は中田さんのことが大好きでした。
きっと誰もが中田さんのことを忘れないと思います。
あっちでも、中田さんらしく、みんなをあったかくしてください・・・」

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「ステイ」のようなコトバが、ナカタさんへ届いただろうか・・・。

とは言っても、時間というのは、無慈悲なもので、待ってくれる事もなく、まさしく、刻々と過ぎていくのだった。その週は、月1回の大工さんと手伝いさんのミィーティングがあって、その機会を利用して、ホームページに載せるための写真を会社の加工場で撮影した。気分は、サッカー日本代表。いや、坂本竜馬。ちょっと、はにかみながら、笑う職人さん達が、それなりの雰囲気になっているような・・・・。高熱や所要で欠席した大工さんもいて、もう1回撮影するかね? 次は、社員の撮影かね・・・・。と欲が出る。
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左がレギュラーメンバーの大工さん達で、平均年齢は30代のヤングダイクス。他に3組の準レギュラーの大工さんがいる。腕の善し悪しでレギュラーとなっているのではなく、それは、単に、大工さんとの関係性だけの問題で、例えば、私たちにとっての大棟梁のオキさんとか、キナミさんタニオカさんタバタさんは都合で参加していない・・・。右はレギュラーの手伝いさんで、平均年齢は50代。解体からちょっとした基礎工事や鳶や左官やその他、何でもこなせて、人柄も良い手伝いさんの御陰で、大きなリフォーム工事の仕事が出来ているようなものだなぁ。と、あらためて感謝。

そんな、大工さんや手伝いさんが仕事をしてくれたリフォーム工事で、2年前にお引き渡しをした、阿倍野のT邸が、リクルートのリフォーム雑誌の2011年冬号の表紙に掲載される事になって、これはこれで、嬉しい。本文にも木村工務店のリフォームを4ページに渡って紹介していますので、宜しければ、購入して、内容をご覧下さい。

年始から、おもいもよらない出来事があって、一旦、歩みを止め、見つめ直した上で、それでも、たゆまぬ歩みを続けていきたいと思いますので、今後とも木村工務店をよろしくお願い致します。

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木村貴一 2011-01-23T20:05:23+09:00
運命 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/01/post_328.html 祭壇の前、最前列に座る。自分自身の姿が、ドラマの一場面での、配役のような感じがし、それは、妙な、現実感であって、かといって、胸に、大きな悲しみが渦巻いているわけではなく、ほとんど、無思考な状態が続く。祭壇を眺めている「私」の姿を、どこか、非現実感を伴いながら、「私」が眺めているという、不思議な感覚。そして、時折、唐突に、涙が溢れる。

1月12日水曜日の朝7時過ぎ、いつものように出社し、掃除をしていると、現場担当で、おもにメンテナンスを担当している中田 昇さんが、全く、いつものように、大きな声で、「おはようございます。」と2階の事務所に入ってきた。ひとの顔を見て挨拶をするのではなく、それは、まるで甲子園球場に入ってくる高校球児のような感覚で、事務所に入ってくるのだった。私も「おはようございます。」と、かなり離れた所から、言葉を返す。

その朝の挨拶に、どれほど、気持ちが救われたことか・・・・。と、いまとなってはおもう。

それが、中田 昇さんと交わした、最後の言葉になるなどとは、おもいもしない。胸騒ぎがあった訳でもない。その日の午前中は、うちのミカワさんや外部のスタッフを交えて、ホームページの打ち合わせをした。昼過ぎには、石井修さんの最後の作品となった、弊社で施工した目神山の家22に向かうため、電車を乗り継いで、甲陽園の駅に降り立っていた。

20人ほどの大学生達と一緒に、目神山の12番坂を歩き、目神山の家22で、1時間30分ほどの時間を過ごす。施主のご主人にも、親切に応対して頂き、ほんとうに有り難かった。この家の2階のダイニングテーブルの椅子に座ると、必ず、石井修さんと会話をした時の事を想い出す。特に、石井さんが私にむかって語った、「それが、正直な家やな」という「それ」と「正直な家」は、まるで、私に与えられた、公案のようなものかもしれないとおもう時がある。そんな話も含めて、何点かのエピソードを学生さんに語る。

夕方5時30分過ぎ、目神山で落ち合った、弊社設計のヤマガタくんが運転する車に乗り込もうとした、その時、私の携帯に、設計のタナカくんから電話がかかる。「いま、ナカタさんが倒れて、救急車がきて、心肺停止で、救急隊員が、胸を押さえて蘇生している最中で・・・・・」動揺もあり、唖然とした様子もあり、それでいて、それなりに淡々とした声の電話だった。

何のことか、理解できなかった・・・・。車の中に乗りながら、コバヤシくんからも電話がある。理解不能。思考停止。阪神高速を走る車の中で、私は、背広に着替えていた。この後に、先々代からの得意先の新年会があって、上六のシェラトン都に向かっている最中だった。

車の中での何回かの電話で、理解した事は、中田 昇さんが、倒れたという事。お昼は、普通に施主との打ち合わせをし、倒れる5分前には、弊社の会長の頼まれ仕事を快く受けて、元気に、自分の席に戻ったという。机に座って、暫くして、急に、胸の圧迫を感じたのだろう、うつ伏せになった。その後、自らの力で、床の上に仰向けに寝転がる。その間も、携帯に掛かってきた電話に対応しようとしたり、もう一度、起き上がろうとしたりしたと聞く。しんどいとは、言わなかったらしい。その場に居合わせた、社員のコバヤシ、タナカ、ツジモト、ミカワ、タツタが必死の応対をしながらも、唖然とした心境だったのだと聞く。そして、救急車がやってきて、今、病院に向かっているところなのだと。

これから、座敷での会食があるので、携帯にはでられないとおもう。私が、電話を切ったら、メールで、事態を報告して欲しいと伝える。その時、私の心の中では、ナカタさんは、以前、病気で入院した時も、不死身のカムバックをして、今は、社員の誰よりも元気なので、必ず、蘇生する。と、最悪の事態。が、繰り返し葛藤していた。

8人の座敷。高級日本料理。途中に、コバヤシくんから携帯に何度か電話がかかる。が、切る。何度か、メールをチエックする。が、こない。度々携帯をチェックするごとに、最悪のシナリオへの覚悟が、徐々に出来てくる。しかし、それにしても、この時の日本料理は、とっても微妙な味覚だった。それに、会話の中での、私の笑顔の奥には、微妙な不安感が、漂っていたに違いない・・・・。

地下鉄谷町九丁目の駅で、やっと奥方と連絡が取れた。小声で話す。訃報。地下鉄小路駅に到着し、寒波の夜道を淡々と歩き、9時40分、会社に、ようやく、辿り着いた。社員が残っていた。私は、ちょっとした呆然と悲しみと怒りが同居した不思議な状態だった。理解しがたいという、ちょっとした唖然。ほんとうに死んだという、ちょっとした悲しみ。なぜ蘇生しなかったのだという、ちょっとした怒り。事の成り行きを聞く。そうそう、メールをして欲しかったとも言ったのだが、その場の雰囲気から、そのような内容を、メールで伝えにくいという、そんな社員の心境を、ようやく理解する・・・・。

お通夜があり、告別式が滞りなく終わった。

中田 昇さんは63才で、定年退職後も在職し、若い現場監督の応援と、主にメンテナンスを担当してもらっていた。「家守り」というコトバが呟かれる時代背景からすると、ほんとうに貴重な存在だった・・・。社員で富士登山に行った時、誰よりも先頭に立って、小走りで登った・・・・。丹波の山間に建てた木造住宅、今田町の家の基礎工事をするために、いつもいつも斜面を走って登り、駈け下った・・・・。今年の初出で、お正月に孫さんと一緒に特急電車に乗った話を、あの笑顔で、嬉しそうに語った・・・・。社長、大丈夫。ワシやっとくから、マカシトキ。と、何度も言ってくれた・・・・。何度も何度も真剣に言い合いの喧嘩をした。そしてあくる日は、お互いに、ちょっと気まずく、でも、ケロッとして、「おはようございます。」と言い合った・・・・・。

故人のご冥福をお祈りするとともに、これまでの貢献に謹んで感謝の意を捧げます。

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木村貴一 2011-01-16T23:17:47+09:00
年頭所感 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/01/post_327.html DSC01377DSC01387DSC01326DSC01398

お正月に宿泊したホテルの露天風呂から日の出を見た。しばし、考えた。いわゆるクラシックホテルを増改築し、リニューアルしたらしい。建築を媒介にして、自然に接しているわけで、建築空間や食事やホスピタリティー(おもてなし)やそこで寛ぐ時間に、お金を払っているわけで、そのなかでの建築空間の占める割合は、かなり大きい。建築のもつ力。というと、大げさすぎるが、そんな事をふとおもった。

確か、経済3団体の年頭所感だったのか・・・・

日本経済は長期の景気低迷にあえいでいますが、個々の企業とすれば「守り」から「攻め」へ転じる時にきています。つまり、新事業の推進やビジネスモデル再構築による「成長戦略」の展開であり、企業はそれ無しには持続可能性を維持できません。

新事業やビジネスモデルの再構築を助けるための「建築力」が求められているのだ。と、リニューアルされたホテルを体験して感じた。同様に、住宅に於いても、新しい住まい方や今までの住まい方の再構築がなければ、いまとこれからの家族関係やライフスタイルが成立しにくいのが、現代社会なのだろう。それに相応しい住まいへの建築力や工務店力が求められているのだ・・・・・。

ホテルで、我、何となく、思う。客室やメインダイニングやロビーでの、素敵な内装が、大切な要素のひとつだろうが、それ以上に、心地良い、嫌みのないディテールが、より求められているのだな。と。内部空間偏重の座敷牢的、ラブホテル的空間よりも、外部空間との、心地良い関係性をもつための空間、例えば、露天風呂とか、縁側的な部分とか、そういうものが、より求められていて、そのための窓やその他のディテールが、ほんと大切だな。と。そういえば、年末に立ち寄った京都とらやでも、同じような事を感じた。

昨年末の宴での事。ある設計者が、笑い飯は笑われヘン。銀シャリがスキ。スタイルよりもディテールが大切なのだ。と言った。なるほど。別の設計者から、最近の職人や現場監督の良心と意識の問題を指摘された。確かに。

いま、求められている、住まいや家づくりとは、それは、いったい、何なんだろうか・・・。そんな事を皆と一緒に模索しながら、施主さんや設計事務所さんや職人さんや社員と、家づくりの「良好な過程」を一緒に共有できる、プロフェッショナルな集団として、精進していきたいものだな。と、ほんとにおもう。

建築のもつ力が、自然環境や地域社会や界隈に与える影響と恩恵を模索しながら、ちょっとした社会貢献が出来ればエエね。ささやかだけれど役に立つ工務店として、存在したいものだね。を、2011の年頭所感としておこうかね・・・・・。

年賀状2011

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木村貴一 2011-01-09T18:16:19+09:00
継続 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2011/01/post_326.html 2011年なのだ。

赤倉温泉のスキー場のホテルの客室の机に向かって、このブログを書いている、私のいまとここ。それにしても、12月31日と1月1日は、あっという間に過ぎてしまうな。と、振り返ってみると、あらためておもう。

12月29日は、木村工務店の仕事納めで、社員と大工と手伝いさん総勢25名ほどで、大掃除をした。木村工務店の伝統のようなもので、若い時は、馬鹿馬鹿しい。と、おもった事もあったが、いまは、残しておきたい、「日本的方法」のひとつ。だとおもう。

IMG_1800午前7時30分頃から午後12時まで、皆で分担して掃除をする。こんなに、掃除に一生懸命になるのは、この時ぐらいだね。掃除の後は、3階にある会議室に集まって、納会。舟盛りのお寿司とか、唐揚げとか、コロッケとか、それにビールと日本酒、ちょっとだけワインも。いつも、誰かが、話題にまつりあげられて、酒のアテになり、ワイワイガヤガヤと盛り上がるのだけれど、今年の突っ込まれ役は、確か、トクちゃんだったけ。そうそう、入社2年目のM嬢は、一升瓶で、堂々と、お酒をつぎに廻るまでに、成長したのだった・・・・。

IMG_1803その29日の夕方から、矢部達也さん設計で、弊社で施工した、「コトバノイエ」が、大阪ガスのコンテストで、最優秀賞を受賞した、祝勝会と忘年会が、コトバノイエでおこなわれて、正式発表は2月らしいが、40名ほどが、出入りしながら、かなり盛り上がった。iphoneのカメラの記録によると、建築家のヤベさんが、施主のカトウさんから贈られた、お祝いのケーキを、廻りを取り囲でいる皆さんからの祝福のコトバを、全身全霊で浴びながら、まるで、子供の如く、勢いよく、その蝋燭の火を吹き消したのが、22時45分の出来事だった。

30日の午前0時をまわった深夜まで続いた、タカヤマ建築事務所House_Sその宴会の影響と、休みに入った、気楽さで、30日は午前9時頃まで、寝た。そんな時間まで寝るのは、年に1、2回ほどかね。だいたい、最近は5時30分頃に目が覚めて、それは、単に、老化現象なのだろう。

夕方の5時頃、タカヤマ建築事務所の高山さん設計、弊社施工で、今年のグットデザイン賞を受賞した、「House-s & no201」のカットハウスno201で、髪の毛をカットしてもらい、ついでに、一年間の穢れも一緒に切り落としてもらった。のかも。本年の最後から2番目のお客さんだった。

ScreenClip31日、朝から、ランニング納めをした。9月から始めて、今日までのランニング回数は15回、トータル距離は142km、トータルカロリーが10969caloriesだそうだ。年末の最後に、心身を祓う。そんな感覚のランニングだったのかもしれない。ルートは、いつものように、清原神社から暗峠街道を経由して大阪城へ、復路は、東成の商店街から布施の商店街、白夜行街道を抜けて、家に辿り着く、約10kmの道程だった。

31日の午前中は、ここ3年ほど、なぜか、住宅専門誌、新建ハウジングの住宅産業大予測を読む。年末のこの号は、毎年、出来映えが素晴らしく、年末の楽しみでもある。2011年度版も、なかなかの力作で、読み応えがあった。

お昼からは、なんだかんだ、家の用事で、バタバタしているうちに、時間はあっという間に過ぎ、気が付けば、夕方になり、年越し蕎麦を食べ、紅白歌合戦の後半を見て、ゆく年くる年で、新年を迎えるという、しごくオーソドックスな年末年始の過ごし方なのだ・・・と、こうやって振り返ってみると、そうおもう。

IMG_18111月1日は、毎年、朝から、家族で、「おとそ」をする。今年は、私たち家族4人と、父母の6人。祖母は入院している。「新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。」と、両親にしろ、奥方にしろ、子供にしろ、あらたまって、キッチリと礼節をする。というのは日本的方法なんだろう。大掃除と同じように、反抗的だった若い頃もあったが、いまは、その良さを理解できるようになった。

日本酒で、乾杯をして、お年玉を渡し、おせちを食べて、雑談で、暫し盛り上がり、その後、地元の清見原神社へ初詣。偶然、小、中学校の同級生の家族の初詣に出くわした。久しぶりの再会に、握手を交わしながら、家族写真の撮影をかってでる。「はい、撮しますよぉ、パチリ。」これが、本年最初の、撮影だった。

夕方頃、奥方の実家に行って、奥方の兄弟姉妹子供達14人で、鍋をする。子供達のお年玉の「集金と配付」も兼ねて、ここ数年続いている、お正月の行事でもある。そうそう、子供達がゲームで遊んでいる横で、BSテレビのイチロウと糸井重里の対談をチラチラと見たのだ。なかなか面白い対談で、対談の場所のデザインも面白かったな・・・・。

毎年、お正月の3日や4日や5日に、日帰りとか、1、2泊で、スキーに行くのだけれど、今年は、2日に行く事になった。2日に大阪にいないのも久しぶり。奥方によると、だいたい、旅館のキャンセルが発生し出すのは1週前で、その時をめがけて、めぼしい旅館に電話をして、キャンセルの状況を聞くのだと。その結果、とれたのが、赤倉観光ホテルで、2日からならOKで・・・。

という事で、今日、1月2日の朝の3時に起きて、車で、家を出た。北陸道から回ろうかとも思ったが、チェーン規制がひどかったので、中央道から行くことにしたら、朝の8時30頃には、ホテルに到着していた。そういえば、帰省で、東京から戻ってきた長男も行く事になって、半分以上の時間を運転してくれたので、楽ちん楽ちん。まぁ、こんな事が、長男とのコミュニケーションなのだ。とおもう。

高速道路のインターチェンジを降りてから、15分ほどで、スキー場のホテルに着くのって、昔と違って、赤倉って、意外と近いね。エエね。なんておもった。そういえば、初めて、スキーをしたのが中学2年の時で、夜行列車で、赤倉に行ったのが初体験だった。大学生の時に、友達3人で、夜行バスに揺られて、赤倉の春スキーに行ったのは、もう30年以上前のことで、それ以来の赤倉。

IMG_1832その赤倉は、朝から吹雪で、ホワイトアウト状態だったが、今、午後10時、雪は止んで、夜景が見える状態。なぜ、こんな所で、こんな日に、こんな時間に、こんなに足腰が悲鳴を上げている状況下で、こんな、ダラダラ書きのブログを書いているのか。ちょっと、馬鹿げているんじゃない・・・。とおもうのだけれど、まぁ、昨日の対談のイチロウには、遙かに及ばないものの、今年も、日曜日に書く「Voice of 木村工務店」は、「継続は力なり」として、続けていこうとおもう・・・・。

皆さん、あらためまして、「明けましておめでとうございます。」 本年も木村工務店共々、このブログも、ご愛顧下さいますよう、よろしくお願い致します。

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木村貴一 2011-01-02T22:56:24+09:00
感謝 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/12/post_325.html まったくもって寒い。いや、どちらかと言えば、冷たい感覚。心身で冬を実感する季節が、ようやくやってきて、お正月が、もうすぐそこ、目の前。考えて見れば、これが今年最後のブログな訳で、そう思うと、この一年を反省してみたくなる。

そうそう、設計施工した森小路教会に、行くのを忘れていた事に気付いて、今日の午前中、一年ぶりに、日曜礼拝に参加する。私は、クリスチャンではないのだけれど、久しぶりに会う誰もが、笑顔で、「ようこそお越しを」と迎え入れてくれて、そんな事が、とっても嬉しい事だった。木村工務店もそんなふうに在りたいものだなぁ。と思う。

教会に行くと、普段、あまり接する事がないコトバとコトバの組合せに出会えるのが、嬉しい。「喜びと悲しみ」「笑いと涙」「沈黙と歌」「信仰の働き」「愛の労苦」「望みの忍耐」「光と塩」、これらのコトバの意味とそれが指し示すものを、ほんの一瞬ではあるけれど、思考し、自分の経験値と照合しようとする、そういう脳への刺激と脳内での編集作業が、心地良いとおもう。

私たちは、新しいことを学び、
また新しい径験を積んで過ごしました。
そのため少しでも良い仕事をすることができました。
また、少しでもよく人生を知ることができました。
私たちには、いっそう親密な友人が与えられ
いっそう親しい愛する者たちが与えられました
このようなことをすべて感謝します。

こんなコトバに接すると、流石に、この一年を思い起こしたい気分。

木村工務店では、この一年、どうだったのか、と振り返れば、ますますリフォームの比率が高まり、完全に新築の比率を上回っている。今年の前半は、多くの業者が、リフォーム市場に参入してきた影響なのだろう、リフォーム工事の相見積りが、急に増えて、受注出来にくい状況が続いて、苦戦した。

もちろん、コストに対する見直しもしたが、それ以上に、設計や見積や現場監督や職人との、ものづくりの、それぞれのステップを、よりきっちりとして、誠実なアプローチを目指そうと、皆との「意識の共有」にエネルギーを注ぐ事にした。そういう、ものづくりの過程を施主と共有できるところに、木村工務店の魅力を感じて欲しい。という、意識的な取り組みと精進が、今年の木村工務店であった。

Ms設計の三澤文子さんとの関わりがあって、MOKスクールや木造建築病理学通信に以下のような文章を書いた事もあり、2002年頃から今まで取り組んできたリフォーム工事を見つめ直した年でもあって、来年は、リフォームだけでなく新築も含めて、再構築と編集作業によって、お客様にとって、より分かり易い、仕組み化が出来ればとおもう。

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木造建築病理学通信 第7号
2010年11月10日(水) 発行
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このメール通信は「住宅医スクール受講者」「岐阜県立森林文化アカデミー・
木造建築病理学受講者」と、その関係者の方にお送りしております。
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(中略)
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5.住宅医意見交換
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*■「木村工務店がリフォームに強い工務店として売り込むそのわけとは。」
* 株式会社 木村工務店 代表取締役.社長 木村貴一氏
去る10月16日(土)MOKスクール大阪の人気特集「行列のできる工務店・設計事務所」で、 リフォーム設計・施工の達人工務店としてお話頂いた木村工務店の木村貴一氏に 必読の原 稿を頂きました。本当に必読です!
↓文章はこちら
http://hd-n.net/2009cgi/gallery/archives/52.html
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私生活では、ゴールデンウィークやお盆に、「旅する」という行為を通じて、新鮮な印象に遭遇し刺激を受けてきた。ここ何年もそういう機会を意識的に創造していて、もはや、それには、麻薬的な魅力があり、旅への禁断症状にさいなまれるほどで、そういえば、このブログも、旅ネタで、かろうじて、繋いでいるようなところが、大いにあり、そういう視点で見れば、ブログを書くために旅してるのかもしれない・・・・・。

その私生活と仕事の境界線が限りなく曖昧になってきて、家族まで巻き込んだ、「木村家本舗」というイベントを催した事が、今年の重大ニュースなのかもしれない。何十年にも渡って、何度もリフォームし、変化する木村家のリフォームは、10年前に、外と内の曖昧な空間を造った。それは、ある種の縁側的な場所でもあり、そこで、このブログを書き、食事をし、コミュニケーションをし、寛ぎ、季節を感じる場でもあって、そこが、木村家本舗のメインステージでもあった。

いつかのブログに「カオスの縁」というタイトルを付けたが、そういう「縁」にあたる部分で、様々な出来事が生じるように、内と外の曖昧な縁側という空間性もそうだが、プライベートと仕事の曖昧な部分とその「縁」に、生きる喜びや楽しみを増大させる何かが、まだまだあるのかもしれない。

木村家本舗の取り組みは、そういう発見を試みる実験でもあって、生活する場に本や家具や写真という商売を持ち込みながら、集い繋がる事によって、喜びや楽しみや寛ぎ、創造性や美や人間性を一緒に共有し、広げていこうという、遊びでもあった。そういえば、木村家本舗というイベントを通じて、「フラワーアレンジメント教室」や「音の宴」なども派生したのだった。

最近、「感謝」というコトバを大安売りしてしまっていて、特に、年末の大売り出しや歳末助け合い運動の如く、「感謝」を連発したい季節であるのだけれど、森小路教会で遭遇し、先ほど引用したあのコトバをもう一度読み返してみると、やはり、お決まりのコトバに行き着く訳で、施主の方々、木村家本舗に関わった方々、旅で出会った方々、学生の方々、木村工務店の社員や関連の方々、その他関わりをもった方々、家族、そして様々な出来事、そうそう、このブログを読んで頂いた皆々様、この一年間の、このような全てに「感謝」です。

良いお年を!

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木村貴一 2010-12-26T21:47:43+09:00
風土 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/12/post_324.html DSC01161

穏やかな、冬の月夜。デッキの椅子に座って、月を眺めても、我慢できる程度の寒さ。一昨日の夜は、かなり寒かった。マフラーが、暖かいと思える、そんな年の瀬を感じる気候の中で、会社の忘年会があり、社員と大工と手伝いの33名で、懇親を深めた。

先週は、協力業者との忘年会で、協力業者は、ものづくりの仲間のような感じだけれど、社員が家族とするのなら、大工さんや手伝いさんは、血の繫がった親戚のような感覚で、雇用関係では、社員ではないけれど、そうそう、派遣社員のような感覚なのかもしれない・・・・。

忘年会の前日の出来事。「木村家本舗」というイベントでの古本は、その故郷が、コトバノイエで、そのコトバノイエが、大阪ガスのコンテストで最優秀を受賞したらしい。正式発表は2月だというが、ツイッター上では、設計者のヤベさんと、コトバノイエのカトウさんと私との間で、こんなやり取りがあった。

やべたつやyabetatsuya やべたつや
@kimutaka1 29日、コトバノイエにて、コトバノイエ最優秀忘年会を開催します。

kimutaka1Dec 16, 11:53pm via Echofon
@yabetatsuya 29日は、苦しい.... でも、何とか、顔だけは.....

kotobanoieDec 17, 12:03am via Web
建築家、工務店、施主は三位一体でござる。 RT @kimutaka1: @yabetatsuya 29日は、苦しい.... でも、何とか、顔だけは.....

kimutaka1Dec 17, 12:09am via Echofon
確かに。RT @kotobanoie: 建築家、工務店、施主は三位一体でござる。 RT @kimutaka1: @yabetatsuya 29日は、苦しい.... でも、何とか、顔だけは.....

kimuko_3Dec 18, 8:29am via HootSuite
建築という、ものづくりの、良好な過程を共有したいですね・・・ RT @kimutaka1: 確かに。RT @kotobanoie: 建築家、工務店、施主は三位一体でござる。

BOOKS+コトバノイエkotobanoie BOOKS+コトバノイエ
それこそがセッション。矢部さんはマイルスか? トンちゃんはオノ・ヨーコか? ぼくはやっぱりテオ・マセロになりたいかも。 RT @kimuko_3 建築という、ものづくりの、良好な過程を共有したいですね・・・

kimutaka1Dec 18, 8:52am via HootSuite
私は、そういう環境を提供したい・・・。 RT @kotobanoie: それこそがセッション。矢部さんはマイルスか? トンちゃんはオノ・ヨーコか? ぼくはやっぱりテオ・マセロになりたいかも。 RT @kimuko_3 建築という、ものづくりの、良好な過程を共有したいですね・


ものづくりの良好な過程を施主や設計者や施工者と共有するためには、施主の言語と設計者の言語と職人の言語とそれに会社の意向という言語を理解し、それら四カ国語を流暢に使いこなせる、施工者の代表としての現場監督が、最も大きな役目を担うのだけれど、その現場監督の手となり足となって、実際のものづくりをするのは、職人さんで、そういう職人集団があってこその工務店だと・・・・、そうそう、先週のブログで書いたっけ。

たまには、忘年会のような飲ミュニケーションが、職人さんと現場監督と設計者の潤滑油のような役目や触媒のような役目をして、コミュニケーションを円滑にしたり、反応を促進したりするわけで、例えば、そういう環境を提供したりするのが、私の役目であるのかもしれないし、何よりも、ものづくりの良好な過程を共有できる「風土」を培うために、日夜精進するのが、私の大切な役目なのだろう・・・・。

そういう意味では、工務店とは、ものづくりの良好な過程を共有するための「風土」の事なのかもしれない。と思った。

さてさて、土曜日の出来事。
kimutaka112:09am via Echofon
年の瀬が迫ると、兎に角、重なる。前日の忘年会の余韻がまだ残る、その朝から引き渡し、昼からファーストプレゼン、夕方の上棟式、夜に設計事務所で年末の工程打ち合わせ、深夜の社内作業、何人かの社員は、まだ残っているようだ。エエお正月を迎えたいものだね...。

とツィートをした。
土曜日の朝、阿倍野区で、長期優良住宅を取得した、木造2階建て住宅の引き渡しがあって、まだ、外構工事は残るものの、周囲を高いビルやマンションで囲まれた環境の中で、2階にLDKと中庭のある住宅が完成した。

お引き渡しは、建物の完成であると同時に、これから始まる、家守りのスタートでもあって、施主の方々と末永い良い関係を築けるよう、取り組んでいきたいと願う機会でもある。そういう意味でも、お引き渡しに、感謝です。

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昼からは、ハウスメーカーやSE工法の工務店やフランチャイズに加盟する工務店と競合する、狭小間口の3階建て住宅の、初めてのプレゼンテーションがあった。最近はリフォームの割合がめっきりと増えてきて、新築の施工が少なくなっているのだけれど、それは、新築が出来るスタッフのスキルによって、大型のリフォーム工事が受注出来ている状況であるといえる。

2002年頃より、本格的に大型りフォームを施工するようになって、弊社の設計者も現場監督も、それに職人たちも、それぞれ個別の現場状況に対応する柔軟性や創造性が、少しずつ向上してきた。最近の新築では、大型リフォームから得た、そんなスキルを新築に活かそうと取り組んでいるわけで、ものづくりの良好な過程を一緒に共有する新築工事を、施主や建築家の皆さんに提供すべく、社員と協力業者が一丸となって、精進している真っ最中でもある。ということで、皆さん!新築工事も よろしくお願いします。

夕方、神戸で、外断熱工法によるコンクリート造2階建て医院併用住宅の上棟式があり、祝宴の後、家に帰って、頂戴した箱を空けてみると、何と、「蒲鉾の鯛」だった。それは、ちょっとした驚きでもあり、何だか、とっても、カワイらしく、それに美味しかった。めでたいたいに、感謝です。

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上棟式の後も大阪市内で打合せがあり、そんな訳で、なんだかんだ、お正月がやってくる前は、物事が、何重にも重なり合って、入り乱れるのだった。この週は、天皇誕生日という、有り難い祝日にも関わらず、クリスマスやお正月休暇とが、妙な関係で絡み合って、働きたいような、休みたいような、複雑な心境にさせる祝日でもある。

冬。忘年会。天皇誕生日。クリスマス。大掃除。お正月。師走といわれるこの2週間ほどに、日本の「風土」が象徴されているのだろうか・・・・・。

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木村貴一 2010-12-19T23:22:24+09:00
音の宴と職人集団の宴 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/12/post_323.html 夜、50前後のオッサン5人が、家庭の居間のスピーカーの前に向かって、CDかレコードをかけ、それなりの大きな音量で聴いている姿があって、その途中に、息子が、外出から帰ってきて、皆に、「こんにちわ」と挨拶を言った後、その異様な雰囲気と姿を見て、「いったい、これ、なに・・・」と呟き、ニヤリと笑いながら、居間の引き戸を閉めて、そそくさと退散した。5人それぞれが、いまの状況を冷静に判断したのだとおもう。まるで、新興宗教の集会のような、その雰囲気の自分たちの姿に気付いて、大爆笑が起こった。

温熱環境の私塾のような研究会を展開している、野池さんの会合があり、それが終了した後、数人で、懇親会をし、その席で、ウダウダと歓談をしている時の事だった。誰かが、こんなマイナーなレコード音楽の曲は、知らんやろ! というと、ほとんど、全員が知っているでぇ・・・・。と答えた。それが、発端となって、70年代や80年代のマイナーな曲をそれぞれが自慢しあうという、たわいもい、それに、とっても大人げない、自慢話が続いて、それを酒のあてにしながら、深夜まで、楽しく飲んだ。

あまりにもその話が盛り上がり、それに面白かったので、ノイケさんが、それぞれ自慢の曲を持ち寄って、お互いの、持ち寄った音楽を一緒に聴いて、優勝者を決めてみようよ!という事になった。それで、うちの自邸(木村家本舗)をその場所として、そのイベントを催したのが、昨日の出来事だった。

5人それぞれが、5曲を持ち寄って、連続して音楽を掛けて、自分の好みで、一曲を10点満点で採点し、合計を争う。いやいや、全然、争う気持ちはないのだけれど、やっぱり、ゲーム性を加味した方が、オモロイという程度の事。5人のメンバーは、ノイケさんと、その関わりのある人で、設計のマイタニさんや、ノイケさんの事務局の手伝いをしている設計のウエノさん、それに、ノイケさんの同級生の音楽仲間で、偶然、木村工務店の製本やコピー、それに事務所の一部を建築させて頂いた、施主でもある、宏和のヒガサさん、と私の5名。そうそう、構造のシモヤマさんも参加予定だったが、飲み過ぎの痛風でダウンして、急遽キャンセル。

お酒を飲みながらであるけれど、真剣に音楽に聴き入る、オッサン5人のその姿が、如何に異常であったのかは、うちの奥方をして、近寄りがたい異様なムードで、よう、入りこまんかったわ。とオタクをを見るような目で、笑う。それにしても、楽しい「遊び」であって、採点は、好みでエエ加減な点数であるのだけれど、それぞれが持ち込んだ、どの音楽も、それぞれの思入れがあって、聴いていて、不思議と、幸せな気分になった。そんな、ロックとフォークとジャズの音の宴だった。

ちなみに、皆は、アウェイでの戦いであり、私にとっては、ホームでの戦いでもあって、自分の音響設備が、どのような音楽を良く鳴らすのか、知っているので、敢えて、70年代や80年代のロックは選曲せず、ロックファンに送る、Jazzにおけるブルースの解釈とその進化。という選曲で、それは、エラソウに言いすぎなので、Jazzファンや音楽関係者の人は、突っ込まないで、♪ 笑ってぇ許してぇ ♪ 欲しい・・・。

1曲目:Roland Kirk  ローランド・カーク the inflated tear より
・・・・・・1曲目の the black and crazy bules
2曲目:Charles Mingus チャーリー・ミンガス Blues&Rootsより
・・・・・・1曲目のwendnesday night prayer meeting
3曲目:Booker ervin ブッカー・アービン the song bookより
・・・・・・1曲目のthe lamp is low
4曲目:John Coltrane ジョン・コルトレーン Crescentより
・・・・・・2曲目の wise one
5曲目:Miles Davis マイルス・ディヴィス My funny valentineより
・・・・・・3曲目の stella by starlight

僅差で、5人中の1位を頂いたのは、嬉しくもあり、何よりもホームの利点であったのだけれど、そんな事よりも、仕事を工面して、わざわざ、うちまで、お越し頂いて、この楽しいひと時を一緒に遊んだ、参加者の方々に、感謝です。


そういえば、今週は、木村工務店の協力業者の精親会という会の忘年会があり、40名近くで、懇親を深めた。そもそも、この会は、私の祖父で、創業者の木村精一が作った会で、名字の「精」と「親」しむをくっつけた名前であり、その意味合いからしても、創業者への人柄に親しんだ、協力業者の人たちが、発起した会でもある。

50年以上継続していた会なのだけれど、忘年会を開いたのは初めてだったのは、少々の驚きでもあり、また、喜びでもあった。解体屋さん、仮設リース屋さん、基礎屋さん、生コンの建材屋さん、鉄筋屋さん、型枠大工さん、鉄骨屋さん、材木屋さん、金物屋さん、屋根屋さん、板金屋さん、防水屋さん、タイル屋さん、左官屋さん、塗装屋さん、クロス屋さん、住宅設備の建材屋さん、洗い屋さん、電気屋さん、水道屋さん、ガス屋さん、等々の面々が揃った。

考えて見れば、様々なものづくりの人たちの協力があって、ようやく建築が出来るわけで、ひとりひとりに、お酒をつぎながら、「職人集団あってこその工務店」だな。と、つくづく思った。創業者の精一氏と協力業者の皆さんに、感謝です。

ということで、宴たけなわの季節。だね。

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木村貴一 2010-12-12T19:13:29+09:00
カオスの縁 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/12/post_322.html 放射冷却現象だったのか、朝は、車に、霜がついていたが、昼前の、大阪は、じつに、穏やかで、エエ天気。秋晴れとよぶには、もう既に12月になっているのだけれど、セーターを着て、デッキで、このブログを書ける気候で、本当に、師走なのかとおもう。

そういえば、数日前、銀行の支店長が、本部のお偉いさんを連れて、年末の挨拶にお見えになり、暫しの歓談をして、帰られると、そうそう、年賀状やお歳暮やカレンダー配りの最後の詰めをしなければ・・・と、無理矢理、心を年末モードに引き込んだ。

今週は、大阪の大学院生が、「リフォーム」を題材にした修士論文を書くために、聞き取り調査にやってきて、あれやこれやと、答えたり、会話をしているうちに、こちらも、改めて、考えさせられるところがいろいろあって、気が付けば、2時間ほど経過していた。

「リフォーム」というコトバから連想するイメージが、それぞれ多種多様であり、持ち家をリフォームして住み続けるとか、中古住宅を購入してリフォームするとか。というような大きな分類に留まらず、マンションや一戸建てや長屋などによる分類や、水回りだけを交換するリフォームや、収納の改善、壁をぶち抜いて部屋を広げたり、増築したり、減築したり、屋根葺き変えたり、壁塗り変えたり、それに、耐震補強や、窓をペア-硝子にしたり、断熱材を入れたりという温熱環境を改善するというリフォームも増えてきて、まさしく、多種多様百花繚乱な状況。で、おもわず、居心地の良い居場所をつくる事など、忘れてしまいそう・・・・。

未だに、天井から明かりが照らされてない、暗い部屋のような、「リフォーム」と呼ばれる領域を、手持ちのライトで、部分部分を照らして、リフォームというコトバひとくくりだけで、論じあっているような状況下なのだろう。それぞれにとって、リフォームというコトバで、イメージしているものが、かなり違うのかもしれない。確かに、こんな状況では、施主のニーズと、設計や施工をする業者側の提案やサービスが、乖離してしまうのも、致し方のない事なのだろう。

全く、実社会での経験がない学生と、特に、このリフォームと言われる、複雑系な分野について、歓談出来たのは、エエ経験であったのだけれど、それには、尋ねて来た学生の礼儀正しい態度や、人の話の聞き方や、自分の意見の述べ方など、好感の持てる態度が影響したのだとおもう。その背景には、昨今のリクルートのための、面接やプレゼンテーションの仕方を学習している事が、あるのかもしれない・・・。それにしても、リフォームとは何かを学生に説明するのは、意外とムツカシイ事なのだ。と気付く。

そう言えば、11月に入った水曜日の午後、2週間連続で、大阪の建築学科の学生による「工務店とは?」という、工務店見学の訪問があり、うちの会社の中を見学してもらった。ついでに、大工のベッショくんに、刃物の研ぎ方や、カンナがけを実演してもらい、実際に、学生にもカンナ削りの体験をしてもらった。また、数人の社員が参加して、工務店での自分の仕事と経歴を紹介する、トークイベントをした。

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昨年も同じような事をしたのだけれど、2年間やってみて、感じることは、案外、学生の態度に好感が持てることと、女子がしっかりしていて、男子が角に追いやられているような感じで、これからの建築業界は、女子が背負って立つ時代になるのかもしれない。と思えるほど、積極的。男子も頑張って欲しいねぇ・・・・。

それよりも、「工務店」がやっている仕事の内容を説明する事は、ムツカシイな。という事が、一番なのかもしれない。それは、つまるところ、何よりも、私も含めた社員それぞれが、真剣に、工務店とは何か?と、考えなアカンね。と言うことになるのだろうし、そんなのは、日々の精進の中からしか、うまれないよねぇ・・・。という事に行き着くのかもしれない。

複雑系という考え方の中に、「カオスの縁」というのがあって、物事に新たな秩序が生まれたり、新たな生命が誕生したりするのは、「カオス」の「縁」であるらしい。海と陸との間の海岸とよばれる場所とか、個体と液体の中間領域とか、ひょっとして、「縁側」なんて言われるものも、外と内の曖昧な中間領域で、新たなコミュニケーションや寛ぎをうむための、カオスの縁とよんでも良いのかもしれない・・・。

社会に出る前の学生と、うちの会社で接する事が、カオスの縁のような状況下になって、工務店とは?とか、リフォームとは?という考え方に、新たな秩序や整理をもたらすのだろうか・・・・。そういえば、このブログも、うちの家、別名、木村家本舗の、内と外が曖昧な、庇のかかった、縁側のようなデッキスペースで、書く事が、ほとんどで、今や、この場所でないと、書けないくらい・・・。

これからは、うちのこのスペースを「カオスの縁側」とでもよぶかね。

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木村貴一 2010-12-05T21:41:34+09:00
残像 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/11/post_321.html ブログに書こうか書くまいか迷う時があって、静かに心の中にしまっておきたいような出来事であるのだけれど、なぜか書かずにはいられないような心境になる、今日は、そんな日。

木造3階建ての新築工事をさせて頂いた、そのお宅に、何の前触れもなく、唐突に、木村家本舗というイベントのハガキが、舞い込んで、丁度、健康状態が思わしくない、お父さんの気分転換を兼ねて、姉妹と奥さんの4人が、朝の散歩がてら、木村家本舗にお越し頂いのが、先月のこと。お父さんを気遣う姉妹と奥さんの姿が印象的だった。

5日ほど前、その奥さんから電話があり、その後、お父さんの体の調子が悪くなって、入院していたのだけれど、どうも、年内まで、もつのかどうか。そんな体調なので、29日の月曜日に病院から家に連れて帰ろうと思うので、便所に手摺りを取り付けて欲しい。よろしくお願いします。という内容だった。

差し迫った雰囲気を感じ取った、私も、弊社のトミマス部長も、メンテ担当のナカタさんも、急遽、手配をする。また、その様子を察してくれた、その家の大工工事を担当した大工のフミノくんが、今、入っている現場を抜けて、手摺りを取り付けに行くでぇ。と、快く応じてくれた。それで、施工は土曜日に決定した。

金曜日の朝一番。私の携帯に、奥さんから涙声の電話があって、折角、手配をして下さったのに、突然、逝ってしまったのです・・・・・・。と、まったく、何と答えて良いのか、コトバが見つからない状態。

待ったなしに、お通夜が、その日の夜に執り行われて、関わった社員数人と大工とで出席する。全てのお焼香が終わり、僧侶による読経も終わった後、突然、式場内に、マイクから、誰かの語り声が、聞こえてきた。近くにいた人が、いったい、誰が喋ってはんのやろ。と呟く声が聞こえる。どうやら、読経を詠んだ僧侶が、マイクを手に親族に向かって、語っているようだった。

生前○○さんのお宅に、お参りに寄せて頂いた時にな、普段は無口で温和しい○○さんが、新築まもない家を、隅々まで丁寧に、説明してくれはってな。それが、○○さんと同じように、木を使った優しい家でしてな・・・・・。と僧侶の話が続く。若くしてお亡くなりになりはったけどな、家族のために、残してくれたエエもんがいろいろあってな・・・・・と、暫し続いた。

お通夜の席で、僧侶の語りをマイク越しに聴くのは、珍しく、初めての経験でもあり、その上、家の話が出てきた事には驚いたが、設計施工した私たちにとっては、嬉しい「語り」でもあって、最後の力になれなかった心残りが、救われるおもいだった。

ご家族に会い、挨拶をすると、娘さんが、大粒の涙を流しながら、お父さんは、何かあった時は、家で、ここで、頼むでぇ。と言っていたのに、家に連れて帰れなかったことが残念で、残念で・・・・・・と涙する。家への、こういう、「想い」に接すると、先日、ブログに、自分自身で書いた、ささやかだけれど、役に立つ工務店でありたい。というコトバが蘇り、工務店としての反省も含めて、身の引き締まるおもいがした。

DSC00190 
10月の穏やかな気候の心地良い木漏れ日の下で、コールマンのグリーンの椅子に座っていた、あの時の微笑み。その姿を囲む姉妹と奥さんの微笑み。10月11日午前11時38分と写真に記録されて手元に残る後姿。それらが、残像として蘇った。木村家本舗で過ごして頂いた、ほんの数時間の寛ぎと、そこで買って頂いて、手元にある本が、家族の良き思い出となったのであれば、幸いです。合掌

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木村貴一 2010-11-28T21:53:49+09:00
ニュートラル http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/11/post_320.html 「秋晴れ」、夏の青空とは、また違う、「青」。冷たさが同居したこの青空が、心地良い・・・・。誰と会話した時だったか、「パワースポットで、エネルギーをもらうというのは、ちょっと違って、それは、エネルギーがゼロの状態。ニュートラルの状態になるんやな」と、語った。そんなニュートラルな感覚が秋の青空かもしれない。

584064ba-2373-4d9e-9982-76cdf10c9c13昨日、木造3階建て住宅の上棟式があって、施主の小さな娘さんが、職人さんや木村工務店のスタッフに手づくりの折り紙を、照れながら、恥ずかしそうに、ひとつずつ配ってくれた。そういう、素朴で素直な感謝の表現が、とっても嬉しかった。「私」も小さい時は、そんな気持ちをもっていたのだろう・・・・。

最近の上棟式は、施主の仕事上の都合もあり、土曜日に催す事が多い。社内的には、昔のしきたりに従って、大安の日に上棟をし、式だけを土曜日にする。上棟の日は、大工や鳶や材木屋さんやレッカーなど、沢山の人間が関わり、棟を上げるのだが、式だけをする昨日の土曜日は、職人さん達の仕事の予定が重なって、大工の棟梁ササキくんとタバタくん、木村工務店の現場監督ツジモトくんと見積、工事監理を担当するトミマスくん、それに、材木屋さんの岡房商店のシンチャンと、土地の売買に関わった、日住サービスのナリタさん、そして、設計監理のタカヤマ建築事務所のタカヤマさんと、施主家族4名。あっそうそう、それに私。で、いつもより人数は、ちょい少なめだった。

この木造住宅の木材はプレカット加工という機械加工だったが、大工の予定が2週間ほど空いたので、加工の修行も兼ねて、手加工をする事にした。もちろん、機械と人間の、その賃金や労力を考えると、ばかげた行為なのだが、ダンシングアニマルとしての人間、工務店流に言えば、手仕事を楽しむ職人としての大工は、腕の上達やその達成感のために、そのばかげた事に挑んでくれた。

施主のご主人は、プラズマディスプレーを設計する技術者であり、上棟した建物が、当たり前のように、真っ直ぐに建つ事に、感激し、それが、宴席の話題にのぼる。大工にとっての技術の基本は、真っ直ぐに切る掘る削るであって・・・・。なんて云う、うんちくを宴席の「あて」にしながら、歓談が続いたのだけれど、加工された材木を運搬してくれる、岡房商店のシンチャンは、「毎回、加工された材木を眺めるけど、どんどん腕が上がってきてるな、仕口が、かなりキレてるわ」と続ける。それを横で聴く、ササキ大工のはにかみながらも嬉しそうな笑顔。

話はぐるぐる廻りながら、カンナの話から、砥石の話に及ぶ。大工のササキくんが、砥石には、それを使う職人の癖がついて、マイ砥石でないと、ダメなんです。という話に、施主のご主人が、興味深そうに聞き返す。砥石に癖がつくなんて、想像できないですけど、へぇー、それ、凄いですね・・・。その砥石幾らぐらいするのぉ! というツッコミも横から入る。2、3万円以上はするとおもいますわ。何年使えるのぉ! 十年ぐらい使うのぉ! いやぁ、それは無理ですわ。うゎー、それやったら大工さんって、けっこう道具にお金ねかかりますよね。そうなんです。道具代にお金が消えていきますわ。なんて云う、ツッコミがあちらこちらから飛び交いながら、会話の連鎖が続いていくのが、楽しい。

それにしても、大工の世界では、ノミやカンナや手ノコを使う事がめっきりへり、電動ドライバーや電ノコを使う場面が多い。それは「木組み」という作業が機械化された事が大きな要因であって、その事そのものは、コストダウンや、ある一定の品質が確保されて、喜ばしい事であるが、その反面、手仕事を通じて、人間としての「いき」を高めようとする大工の世界が、限りなく縮小しているのも事実。

断熱材や、ペア-硝子や、国産材に補助金が出るのもエエ事だけれど、プレカット加工より、手加工の方が、CO2排出量が少なくなりそうだし、それに伝統技術の継承や、雇用創出も兼ねて、大工の手加工に、政府から補助金を出しては、如何なものでしょうか・・・と、ふと、想った。いやぁ、お上からの補助金なんて、無かっても、ワシら大工は、頑張るでぇ、というのが、大工の心意気かもしれないが、それにしても、現実は、かなり厳しい・・・。

ある時間帯、不動産業の日住サービスのナリタさんが、数学科出身で、それも東京R大学であるらしい・・・という話題。数学者が、なぜか今は、不動産の営業をしているという話で、盛り上がる。当然のごとく、なんで数学科が不動産してるのぉ!というツッコミが、あちらこちから巻き起こり、微分や積分や行列や統計などのコトバが飛び交うと、大工のタバタくんは、笑いながら、オレ、それぜんぜん解らんへん世界やわ。大工は単純な算数の世界やから・・・と、皆で笑いながら、四方山話が続くのだった。

「私」が現場監督をして、墨出しという作業をし、驚いた事のひとつが、X方向とY方向に出した「墨」が、直角であるかどうか、簡単に確かめるために、「3(サン)、4(シ)、5(ゴ)」で確かめるでぇ・・・と云われた事。X方向の寸法を300mmとって印を付け、Y方向に400mmとって印をつけ、メジャーの寸法が書いてある、ウチ側で、キッチリ計るでぇ・・・と云われながら、斜辺を計るために、メジャーの端を印を付けた位置に合わせて、もう片方の印をつけたその数値が500mmであれば直角だという按配。蛇足ながら、3の二乗+4の二乗=5の二乗という、ピタゴラスの定理を使うのだった。

大工さんは、曲尺を使い、規矩術といわれる算術を駆使して、木組みをするための墨を付け、寸法を割り出す。また、動作を伴っいながら、常に頭の中では計算しているのも、大工の特徴かもしれない。いづれにしても、大工もそれに現場監督も算数的能力がいる事は確かで、ほぼ日新聞だったかに、「数学ができるようになるのかどうかは、あたりまえのことをバカにせず、省略せずに、順番に書く練習ができるかどうか、にかかっています。」というのがあって、それは、大工や現場監督に当てはまる大切なコトバであるとおもう。

宴席のある時間、施主のご主人が、設計のタカヤマさんと現場監督のツジモトくんの会話を聴いているのが、楽しいです。と云う話題が出て、盛り上がった。設計者の意図を現場監督が汲み取って、図面化やコトバで、職人に伝えながら、建築を造っていくわけで、本来的には、現場監督が建築工事の「要」の存在でもある。現場監督は、設計者と職人の間に入って、インターフェースの役目をし、通訳の役目をする。設計者の言語、職人の言語、それに施主の言語、その上、会社の意向という言語も理解して、翻訳し通訳する万能な人でもあり、カッコエエ職業なのだが、いまのところ、かなり人気薄。

現場監督と設計者とのコトバのやりとりから、建築工事という、ものづくりのパッションが生まれ、それが、職人を動かし、エエ建築を造り上げていくように思えるのだが・・・・。

施主が現場に鍋を持ち込んでくれて、おでん、を食べた。それをマヨネーズを付けて食べるという話題で、また盛り上がる。それは、まるで、秘密のケンミンショーのような出来事であって、施主の奥さんは、愛媛県出身で、愛媛ではマヨネーズを付けるらしい。大阪では、そんな話を聞いた事はなく、それじゃぁ、という事で、全員で、おでんにマヨネーズを付ける事にした。これが、「意外といけるやん」というやつ。それが、豆腐には、ショウガ、いや、からし、いや、数学科は、バジルに、えっーと、忘れたけれど、イタリアンで食べるらしい・・。まぁ、そんなたわいもない会話が続いて、それがオモロイ。

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上棟式というのは、木組みという最高に美しい、木の下で催される宴であり、ある種のパワースポットだとおもう。大工にとっては、最高の晴れ舞台であって、ある意味では最高潮の時なのかもしれない。それを、式と祝宴で、施主も、職人も、現場監督も、設計者も、感謝と共に、心をニュートラルな状態に戻して、また、心新たにし、完成に向けて頑張る機会なのだろう・・・・。

若き大工の棟梁ササキくんは、祝宴の一本締めをする前の一言をこう締めくくった。「これから完成に向けて、丁寧な気持ちで、造っていきたいとおもいます。」「よぉー、パン」おぉー、なかなか、カッコエエではないか・・・・。 施主に感謝です。

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木村貴一 2010-11-21T20:47:46+09:00
白朝行。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/11/post_319.html 休みの朝になると、ランニングを続けていて、起きて、iphoneのランナー用ソフトを立ち上げて、ポケットに放り込み、玄関の扉を開けて外に飛び出す。まず、いつものように、清見原神社に立ち寄る。勿論、弊社で施工したというのが、もっとも大きな要因であるものの、参拝するという行為の中にある何かが、心地良さを生むので、強いて、何かを願うわけではないが、二礼二拍手一礼で、参拝をする。

その時は、まだ、白々と朝が明ける前で、朝6時前にも関わらず、いつも誰かが、参拝に来ていて、その人の精神状態を推し量ることは出来ないが、その姿を見ると、心の中に、ある何かの感情が湧いてくる。それがいったい、どういう感情なのか、勿論、深く考えないし、解釈している余裕もないまま、兎に角、走り出す。暗峠街道にあたる、東成の街道を走り、森ノ宮を通過して、大阪城公園を少しだけ走って、Uターンすると、だいたい4Kmほど。

帰りは、元の道をなぞりながら、長い直線が続く東成の商店街をひた走る。その商店街を生駒さんの方角にあたる東に向けて走り抜け、国道に出たところ、高井田ラーメン住吉のある交差点を、南向きに、布施の商店街に向かう。ちなみに、あの、こってり系の高井田ラーメンをうちの息子や奥方は好み、私は、ちょっと苦手。そうそう、もう少し北の方角の中央大通り沿いにあり、大阪一だという噂もあるらしい、金久右衛門は、看板も何もなく、営業時間も限られていて、また、満員だったりし、一度しか行けてないが、いやぁ美味かったな。という鮮明な記憶が残っている。

布施の商店街を南に抜けきる手前には、つんくの実家の御漬もん屋さんがあったりし、交差点を東に曲がって、万代百貨店の発祥の地を左手に見ながら一方通行の、かわいらしい商店が並ぶ道を、地下鉄小路駅に向かって進む。永和信用金庫の交差点を南に曲がって少し走り、家に帰り着くと、約10Kmほど。特に、布施から小路に至る道は、見慣れた、我が道という感覚で、その雰囲気も含めて、家路に帰る、エエ気分。

その道が、東野圭吾の白夜行の主人公が歩く道だという話を聞いたのは数年前の事。ちなみに、今から十年以上前、おばあちゃんが、いつもいつもメガネを直しに行くお店があって、そのお店は、例の道の終着点の小路駅のすぐ近くにあり、小学生の時に通っていた、そろばん塾の数件隣だった。その店から帰ってくる度に、「あそこの息子さんがな、小説書いてはりまんね、それが、けっこう売れて、かなり有名になってはるらしいでっせ。おとうさんが、いつも嬉しそうに話してはりまんね。」と、柔らかな大阪弁で語りかけてくれた。それを、「あっそぉ。」とつれない音声で、返答した記憶が残る。

それが、東野圭吾の事だと知ったのは、つい3、4年前の事で、今から思えば、もっと、愛想良く、聞き返せば良かったな。と後悔するのは、有名人が近くに住んでいたという、妙な自慢話だけでなく、この話を誰かに語ると、90を越えて、いま、病院で入院し、ろくに喋ることもできない祖母の様子をみるにつけ、あの柔らかい大阪弁をもう一度聞きたいな・・・という、妙な思い出と交錯するからだった。恥ずかしながら、白夜行をまだ、読んだことがないので、これを機会に読んでみるかもしれない・・・・・。まぁ、こじつけるのなら、私の朝のランニングは、白朝行と呼ぶのかね。

そうそう、道すがらの出来事で、ふと思い出した。それは先週の事。八尾でリフォーム工事の引き渡しがあって、その帰り道、新たなリフォーム工事の、一戸建て住宅の耐震補助金の申請をするために、八尾市役所で、設計のタナカくんが降りて、私ひとりで、車で帰る事になった。ちなみに、様々な補助金にまつわる申請作業が増えて、設計の仕事のかなりの部分に、建築行政書士的な業務が増大する一方で・・・、いやいや、愚痴ってるわけではないのですが・・・・。それにしてもね・・・・。

数年前に、その八尾市役所のすぐ近くでリフォームしたお宅があって、なぜか、ほんとうに、ふと想い、家の前の様子を外から見るために、一本手前の脇道に入って、前を通り過ぎようとすると、車で出掛けるところだった、鍼の施術をする奥さんと、偶然の、ここぞというタイミングで、鉢合わせをした。「久しぶりです。」「まぁまぁまぁまぁ・・・」などと、いう流れで、家に上がりこんで、珈琲をご馳走になりながら、四方山話。

木村家本舗の顛末をつらつらと話す・・・。時々、ネコが膝の廻りにまとわりつき、家で、ネコを飼っていないので、たまにネコに触ると嬉しい気分になって、心地良い。栗の無垢板の手入れの仕方など、あれこれと・・・・。鍼と東洋医学の話から話が発展し、ひょおっとして、来年の木村家本舗が実施されたなら、「鍼」のトークイベントをしてもらうかも・・・。あくまで、かも。ですが・・・・。そういえば、木村家本舗の続編として、施主でもあるOさんによる、クリスマスリースを製作するフラワーアレンジメント教室を12月1日(水)に開催予定です。詳しくは、ホームページで案内しますので、ご興味のある方は、お気軽にどうぞ。

話は、それたが、木村家本舗から収穫した本の中に、アメリカの作家で、カート・ヴォネガットのエッセイがあって、こんなコトバに出会う。「われわれはダンシング・アニマルなのだ。起きて、外に出て、何かするというのはすばらいいことではないか。われわれは、この地球に住んでばかばかしいことをするために生まれてきた。これに関してはだれにも違うとは言わせない。」 ダンシングアニマルとして、早朝のランニングをするという、考えてみれば、かなりばかばかしい、白朝行は、もう暫く続ける予定。

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木村貴一 2010-11-14T22:41:13+09:00
ささやかだけれど、役に立つこと http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/11/post_318.html 久しぶりに、ゆったりとした日曜日の朝。木村家本舗という、ひと騒動があって、人が沢山集まるのが、とっても楽しかった4週間で、感謝というコトバを大安売りしてしまったので、もはや、その出来事への、お礼を表現するコトバが残されていない状態。それにしても、この朝の静けさが大好き。と、書くと、突然、朝日に照らされたキャベツ畑の光景を思い出した。

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お盆に、嬬恋にある無印のキャンプ場でキャンプをし、朝5時頃に、ブラッと散歩に出掛けると、高原の上に、突然、サッカー練習場が現れ、その先をおそるおそる進むと、一面のキャベツ畑が、突然、出現し、驚いた。朝日に照らされたキャベツ畑。静かに、せっせっと、その収穫をする農家のひとびと。

ほんとうに、見事な光景で、「高原キャベツ」が、「ほんとうに高原キャベツだった」、その事実に、あらためて、感動している私がそこに居て、朝日と労働と静けさと雄大な光景が同居している、その空気感が記憶に残った。

そうそう、11月3日、文化の日の朝が、木村家本舗騒動が終わった、初めての休日で、その上、とっても良い日和りで、静かな朝だった。その朝に、突然、このキャベツ畑の光景を思いだしたのだ。と、今、気付いた。

木村家本舗の本の引き上げは、その11月3日の午後の予定であって、まだ、本が沢山残っていた。なぜか、キャベツ畑のあの空気感が記憶の中から蘇り、きっと、同じ空気感が木村家本舗のその日の朝にもあったのだろう・・・・。それは、宴会の後の空虚な静けさとは違う、エネルギーに満ちた静けさ。

本がキャベツに見えたのか、キャベツが本に見えたのか、それは定かでないが、きっと、収穫の衝動に突き動かされたのだ。とおもう。それで、残った本の中からセレクトと収穫を試みる。もちろん、あの高原と同じように、朝日の中で、静けさを伴いながら・・・。

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その中の一冊を手に取る。「ささやかだけれど、役に立つこと」レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳。もし、誰も買わずに残っていたら、収穫しようとおもっていた本だった。何気に、読み始める。玄関の本棚の右端の上にあった本で、杉板の床材の上で立ち読みを始める。短編集が10数話入っている中の第一話目。少し引き込まれたので、階段の杉板に腰掛けながら読み進む。もっと引き込まれる。それで、2階に上がって、デッキの椅子に腰掛けながら、ソトの、とっても良い日和を肌で感じながら、第一話と二話を読み終えた。

こうなれば、タイトルの「ささやかだけれど、役に立つこと」が、中程にあって、他を飛ばして、それを読む事にする。キッチンのコーナーにある座面高さ300mm、幅1000mmの「ちゃっちいソファー」に座る。この場所で本を読むのが、好き。ほんとうに、ぐいぐい引き込まれる。寝転がったり、ダラリと座ったりしながら、読み進む。そろそろラストが近づいてきた感じがして、キッチンの高さ900mmのカウンターテーブルに移動して、その座面高680mmのハイスツールに座り、背筋をただす。背後からは、秋の穏やかな日差しが差し込んできた。ラスト4ページ。少々目頭が熱くなる。あっ、左目から涙が一粒流れ落ちる。

・・・・・・

絶望的な話なのに、なぜか、暖かい読後感があって、それが一粒の涙となったのかもしれない。涙は、50を越えた年のせいだとおもうが、それにしても、なぜ、左目から、それも一粒だったのかは、なぞ。

「A small,good thing」が「ささやかだけれど、役に立つこと」と訳すのは、通常そう訳すのか、それとも村上春樹がそう訳したのか、知らないが、このストーリーとは、全く関係なく、「ささやかだけれど、役に立つ木村家本舗」であったのかどうか・・・・・。

それに、何よりも、「A small,good thing な木村工務店」で、ありたいね・・・・。

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木村貴一 2010-11-07T18:10:09+09:00
集う・繫がる・広がる http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/10/post_317.html 「集う・繫がる・広がる」と言ったのは、grafのハットリさんで、コトバノイエのカトウさんを通じて、その言葉を知る。それが木村家本舗そのものを表現するコトバでもあって、集うための、きっかけが、リフォームによるオープンホームと古本と家具と写真なのだろう。

そこには、キムラさんとカトウさんとハットリさんとピロピロさんという個人と共に、その背景には、木村工務店やコトバノイエや吉見自動車やgrafや建築家のひとたちが繫がっていて、それらが絡まりながら、新たな繋がりを産みだし、やがて、広がっていく可能性を秘めているのかもしれない。

木村家本舗の10月30日土曜日は、台風が接近しているという、不安定な天候が影響したのか、午前中は全く、お客さんの気配すらなく、静かな時間感覚が流れていく。玄関すぐにある本棚を眺める。目線は、建築関係の本が集まっているあたりで、うろうろしていた。建築に携わるものの、意外と、いや、かなり、建築関係の本を読む事は少ない。

13a118f8-eca6-4b58-8f18-4970dc7ebf2f何気なく手に取ったのは、「ライトの生涯」で、夫人のオルギバンナ著、弟子の遠藤楽訳というのが、興味をそそる。そういえば、グルジェフという神秘思想家の本に、オルギバンナとライトとグルジェフの繋がりが出ていて、オルギバンナはグルジェフの弟子で、タリアセンにグルジェフが訪れたという記述もあって、それは、「集う、繫がる、広がる」に通じる現象のひとつなのかもしれない。

その本を読み出すと、面白く、没頭する。木村工務店の協力業者の建材店イナバのナカジマくんが、ひょこりと訪問してくれて、あっ、もう、12時30分なのだと知った。それで、昼食のパンでも食べながら、歓談する。

お昼を過ぎても、お客さんは来ず、どんよりとした天候とも相まって、静寂。本の続きに没頭する。暫くすると、近所に住む、写真家志望のナカタさんの娘さんが、ピロピロさんの写真を目当てに尋ねてきた。写真を眺め、古本を読んでいる二十歳前の娘さんと、椅子に座って、ライトの生涯を読む50過ぎの私が、ほんの時折、ひとことふたことの会話をはさみながらも、静かな繋がりをもって、一時間以上の時を一緒に過ごす。

午後2時30分頃、会社から来客の電話があって、その本をきりまで読んでから、木村家本舗を離れ、打合せに赴く。普段なら、2時間近く打合せをするのだけれど、事情を説明し、3時過ぎに木村家本舗に戻る。と、お客さんが、あちらこちらに・・・・。大学時代の同級生で、堺で鰻屋を営むタケウチくんが来ていて、近況などを語り合いながら、友人でもあるので、リラックスして、あちらこちらで、寛いでもらう。

デッキでは、ツイイター上で、ピロピロさんを知り、その写真を見に、木村家本舗にお越し頂いた、phorioさんが、カトウ夫人と会話をしていた。ピロピロさんともカトウさんともキムラさんとも全く面識のないひとが、ツイッターを通じて、「集う・繫がる」というのが、素敵な現象だな・・・とおもう。

phorio Oct 30, 6:17pm via Osfoora for iPhone

@kimuko_3 今日は本当に楽しませて頂きました!素敵な素敵なイベントで帰りたくなかったです。。明日も伺うことが出来れば伺いたいです☆

ファッショナブルな若い女性二人がお見えになって、聞くと、graf ファンとの事。それも、graf の廃材を貰って、ちょっとした、木工をするのだという。えぇ、どう見ても、木工するようなタイプには見えへんのですけど・・・。とおもいながらも、graf パワーを垣間見るおもいで、木村工務店の手加工で発生した廃材を進呈することにしたら、猛烈に喜んでくれて、すぐに、アッシー君を携帯電話で呼びつけたりして・・・・。廃材が、ファッショナブルな女性に喜んでもらえる、そんな時代がやって来たのでしょうか。3時間ほどの木村家本舗での滞在に感謝です。

京都から、仕事を終えて、わざわざ、ピロピロさんの作品だけを見にお越し頂いた、お医者さんも、新たな繋がりを実感する嬉しい出来事でした。木村工務店のOBの方々がお見えになったり、2度目や3度目のリピーターの方々が、家族やお友達を連れて、また、お越し頂いたり、木村工務店での打合せ終了後に、覗いてもらったり、建築家のコンドウさんやハヤシさんやタカヤマさんもふらっと立ち寄ってくれたりして、それらが、やがて、「広がる」となっていくのかもしれません・・・・・。

「集う・繫がる・広がる」。エエ、コトバだね・・・・。

本日、31日日曜日、木村家本舗の最終日です。オープンは11時からですが、その前に、木村工務店のムラカミさんが疾風のように現れて、ジョンレノンの本を買って、疾風のように去っていきました。天候は、いまいちな感じですが、Last Day として、これからオープンです。

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木村貴一 2010-10-31T11:01:23+09:00
ポートレイト・イン・ジャズ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/10/post_316.html 我が家に、自分で買ったわけではない、それでいて、かなりセレクトされた本が並んでいるのは、とっても、心地良い経験で、流行りの旅館やホテルにある図書室が、家の中に突然出現したようなもので、そういえば、お盆に宿泊した、小布施の桝一客殿にも、感じのいい図書室があって、そこで、暫し寛いだ、あの時間感覚を思い出した。

DSC00496 grafの椅子に座り、オットマンに足を伸ばすと、その足の先に、村上春樹と和田誠による「ポートレイトインジャズ」という本が面陳されてあり、それを手に取る。土曜日の木村家本舗が終わり、静かな時間がやってきて、その静けさが、grafの椅子に向かわせたのだとおもう。

おそらく、家で、もっとも回数多く聴いているのは、ビルエバンストリオで、特にベースのスコットラファエロと演奏している一連のアルバムは、バックミュージックとして流しても心地良いが、腰を落ち着けて聴くと、その3人の、特に、エバンスとラファエロの間の静けさと激しさが同居したやりとりには、いつも感動させられ、ニヤニヤしながら聴く。その姿を異様だと、奥方は感じているようだけれど、触れないで、そっとしてくれている。

「ポートレイト・イン・ジャズ」を読みだす。こんな事を、書くのは、おこがましいが、流石に、文章が上手いな。とあらためて、感心する。絵と文章が一体化しているのが、独特の雰囲気を醸し出している本で、何でも、和田誠が描いたジャズミュージシャンを見て、村上春樹が文章を書いたとある。個人的には、村上春樹=風の歌を聴け で、それは、単に、学生時代に、初版を買って読み、エエね。と思えた、その同時代性が残っているからだろう。それに、建築に携わり、風を取り込みたいと考えている昨今は、時として、このタイトルを思い出すのだった。

聴いたことがないミュージシャンも何人かいて、あっそうなのぉ。なんて言う、個人的にノリの悪い章もあるが、ミンガスやエバンスやキャノンボールやマイルスやドルフィーの章では、そうそう、そうなんやなぁ・・・。なんて言うノリ。特に、キャノンボールとドルフィーに感じていた感覚は、ほとんど同じだったので、ニヤニヤする。それに、あとがきにあった、「コルトレーンとロリンズが入っていないのが、この本のかっこいいところだと思って下さい。」なんていう終わり方に、同じような事を感じているジャズファンの心理をついた、うまい終わり方だな。と、へんに感心した。

その横には、平岡正明の「ウィ・ウォント・マイルス」や「ジャズ的」や「ジャズ・フィーリング」があって、本屋さんで立ち読みをしたことはあったが、いわゆる、座って読んだことはないので、この際、この特権を行使して、パラパラとめくりながら、読みだす。が、意外に、難解。まぁ、エエ。、ざーっと目を通す事にした。

中山康樹の「マイルスを聴け!!」もすぐ横に並んでいる。端から端まで、目でなぞりながら、「カインドオブブルーとインアサイレントウェイは、他の流れに属さない完結したスタイルを持っているのだ。」という言葉に目が止まり、全く同じ感覚を持っていたので、頷いたりする・・・・・。

北中正和の「サッド・カフェでコーヒーを」が数冊横に並んでいて、ロック地図とサブタイトルがあり、確かに、ジャズよりもこの当時のロックの方が、私の二十歳前後の事を思い起こさせて、より同時代的でもあり、当時の心の地図まで、蘇る。その他、ローリングストーン誌の名盤ディスクガイド500とかを読む・・・・・。

音楽本をこれだけ買って読むなんていう状況は、いまの「私」のライフスタイルからは想像出来にくい。おそらく、こんな私的な図書室のような状況と、コトバノイエのカトウさんのセレクトと、考え抜かれた設置場所があって、はじめて、これらの音楽本を手に取って読むことが出来たのだろう。ささやかな贅沢を感じたね・・・・・。thanks

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木村貴一 2010-10-24T23:20:18+09:00
新たなコミュニケーションとくつろぎ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/10/post_315.html 木村家本舗」の16日(土)17日(日)の第2週目が終わる。

「明日は、きっと、日曜日の気がするわ。えっ、月曜日。たぶん、お休みするとおもう。」と言い放ったのは、うちの奥方で、多くの方々との出会いは、ほんとうに楽しく、それぞれの方々と、もっと、ゆっくりとお話しをしたかったと、心惜しく、思えてきて、時間など、あっというまに通り過ぎてしまった。午後6時の閉店後にやってくる、この、何とも言えない、空白。ソファに座ると、気がついたら、心地良い、居眠り状態だった。オープンホームというオモシロさと疲労を実感する。

この2週間ほど、「木村家本舗」のしめる比重が意外と大きく、かと言って、そのことに浮かれているわけにもいかず・・・・・、と書きだすと、そうそう、あるお宅の引き渡しで、ロータスヨーロッパに乗ったことを思い出した。と言っても、小さな子供が、遊園地で自動車のおもちゃに乗って喜ぶレベル。

DSC00065若いご夫婦が、中古住宅を購入したリフォームで、この車を車庫に入れれるのが、その購入の条件であって、その結果、おもいのほか大きくて高価な中古住宅を購入することになってしまい、リフォーム費用の予算は大幅に少なくなってしまった。それで、その予算配分とバランスには苦労をしたけれど、施主と一緒に力を合わせながら、それなりに、快適なリフォームになった。
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「サーキットの狼」なんていう漫画があって、ロータスヨーロッパに乗った主人公が、コーナーをカウンターをあてて抜けていく、その姿に憧れた世代で、こんな形で、その「夢」が実現しているのは、不思議な感じ。いや、勿論、そんなたいそうな夢だった訳でもなく、このガレージに入るまで、全く忘れていたぐらいで、それに、走ってもいないし、カウンターどころか、コーナーもほど遠い状況な訳。

施主のロータスヨーロッパと言う偏愛的な嗜好が、様々な悪条件を産む原因であるものの、その負荷が、工夫や努力をもたらし、結果としてそれが、それなりの心地良さを生み出すわけで、木村家本舗の本質にも、似通ったものがあるとおもう。

趣味が高じて古本屋さんを開くことになったコトバノイエのカトウさんの負荷と屈折とそれゆえの思いやりや心地良さが、木村家本舗の本のセレクトとチョイスに宿っていると感じるし、私は私なりの居心地の良い場所を創造し、そこで本を読んだり、音楽を聴いたり、バーベキューしたり、ゴロとしたり、ブログ書いたり、コミュニケーションしたりという、ごく趣味的なものへの偏愛と屈折と負荷が、妙な努力と私にとっての心地良い空間を生み出したのだと思う。

今日は、近くの散髪屋のおっちゃんが、木村家本舗に、仕事の合間を縫って、ふらっとやって来て、「えっ、兄ちゃん、ジャズ趣味やったん。ワシもや。このエリックドルフィーのアルバム、ワシも持っるでぇ、好きやねん。あの曲の・・・・・。知らんかったなぁ・・・。ジャズ好きやとは・・・・」と、まさか、エリックドルフィーの話を、いつも顔を会わして挨拶を交わす、近所のオッチャンとするとは、かなり、想定外の出来事であり、とっても嬉しい出来事でもあった。

コトバノイエのカトウさんと私とで、何度もコミュニケーションをとりながら、何となく、合意している事は、自分たちの趣味的なものを決して押しつけがましくなく、皆と分かち合い、伝える事によって、新たなコミュニケーションやくつろぎがうまれれば、エエね。

そんな感覚からすれば、ある時間、grafの椅子やイームズの椅子に座って、本を読んで、寛いでくれている姿を見れたのは、嬉しい出来事のひとつであった。
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そうそう、木村家本舗のオープン日である16日土曜日は、建築家の三澤さんご夫婦が主催するMOKスクールという集まりがあり、そこで、ささやかなる発表をさせてもらったので、木村家本舗に居れず、その日、木村家本舗に来て頂いた方々には、誠に、申し訳なかったのですが、まぁ、それはそれとして、その後の懇親会で、三澤さんの教え子のswing 小泉宙生くんや、東京の岡庭建設池田隊長や同じく東京の田中工務店田中社長さんや岐阜の中島工務店中島社長さんと一緒に歓談し、さらに、田中さんとは、深夜の2時頃まで、懇親を深めたのは、考えて見れば、本日の早朝の出来事であって、そんな意味でも、思い出に残る、17日の日曜日であった。

本日出会った、全ての人とコミュニケーションに、感謝です。

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木村貴一 2010-10-17T23:56:45+09:00
オープンホーム(木村家本舗オープニングと日曜ブログ) http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/10/post_314.html 日曜日に、このブログを書くという、そのゲームのような、全く個人的で、勝手な決め事が見事に、成立せず、まぁ、それは、連続ヒット記録が途切れたような感覚といえるのかもしれない。

2010の10月の10日は木村家本舗のオープニング日であり、建築家のイシイリョウヘイさん曰く、これは、「オープンハウス」ではなく、「オープンホーム」ですね。というお言葉のとおり、いま、普通に住んでいる家に、ひとを招くというのは、想像以上にたいへんな出来事で、家の片付けに朝から追われる始末・・・・・。

日曜日の朝のランニングなど、当然、そんな余裕は全くなく、いや、それ以前に、前日の夜まで、何だかんだバタバタしていて、寝る時間も遅くなり、朝は朝で、掃除と、セッティングに追われていると、あっという間に開店時間の11時になった。

そうそう、朝早くからコトバノイエのカトウさん家族が来て、本の継ぎ足しや配置や調整をする。10時すぎには、写真家のノモトさんが来て、自分の作品を展示し、生ビールを飲みながら、赤い椅子で寛ぐ姿が、場の雰囲気を盛り上げる。

そうこうしているうちに、午前11時になって、すぐに、お客さんがお見えになった。全く面識のない方で、このブログをいつも見てくれているとの事(thanks!)。それで、この本舗の事を知り、それに、わりと近くに住んでいて、そのうえ、木製建具の仕事もしているという建築関係の方で、その方が記念すべき、お客様第一号だった。こういう出会いは、ほんと、嬉しい。

あれこれとお話しをしている間に、お客様第二号が、お見えになり、会社のすぐ近くで、施工をした、くるみ保育園の園長先生と、そのスタッフの方で、珈琲を飲みながら、四方山話で、盛り上がっている間に、お客様第3号がお見えになった。面識のある近藤英夫建築研究所の元所員の方と、初対面の関西建築界の大御所Tさんの娘さんで、なんでも大学の同級生だというお二人のコンビで、これには、不意打ちをくらったような感覚。

もちろん、Tさんとは面識があるものの、デッキで、お話しするうちに、ソトとウチの曖昧な、時には雨が吹き込むことがある、うちのデッキと、Tさんの自邸にもそんな空間があって、時には、雨が吹き込むらしい。そんな、へんな共通項で、お互いに共感しあうという、とってもヘンな繋がりをもった、コミュニケーションだった・・・・。

その後、途切れることなくお客さまが来て、41名の方々に、ご来店を頂いた。それぞれの方々と、じっくりとお話しが出来た訳ではないけれど、思わぬひとが、やって来られたのが、凄く印象的で、とっても嬉しかった。そういえば、どちらかと言えば、年齢層の高い方々が多く、「本」というのが、若い人離れしているのかもしれない・・・・。

一般の本屋さんにあるような、カテゴリーに分類された本棚ではなく、コトバノイエのカトウさんによって、セレクトされた本のセレクトショップで、あっ、こんな本があるのか、という本が多いのかもしれないけれど、時には、「本とリフォーム空間が出会う体験」もオモロイとおもうので、本好きでない若い方々も、お気軽に遊びにお越し下さい。

時々、質問があって、この木村家本舗の本は、ブックストアーであるコトバノイエのカトウさんの出張店舗であり、私の蔵書は、ほんのごく一部で、100円や300円や中には、もっと値段のする本もあるものの、ほとんど全てが、安い値段で販売している本です。そういう意味でも、お気軽に・・・。

そうそう、夕方になって、grafのハットリさんが、スタッフの女性と一緒に、忙しい中を、家具を持って、突然の来訪。そんな訳で、grafの椅子が、展示販売されるので、この機会に、座りたいひとがあれば、「graf家具体験」を。

そんなこんなで、木村家本舗のオープニングパーティーは、10月10日の午後3時前から、うちの奥方力作による「おでん」によって、幕が開き、夜になると、庭でバーベキューをして、最後は焚き火とケーキで締めくくり、終了したのは10月11日の午後0時前だった。

という事で、ブログを書く余裕など全くなく、日曜日連続投稿記録という、イチロウにも迫ろうかという意気込みだった日曜ブログが、ストップしてしまい、まぁ、それはそれで、良しとして、それよりも、眠気と集中力のなさで、夜中の1時過ぎにブログを適当にアップしたものの、いまここで、ブログを書き足たしているのが、10月11日午前8時という状況。

本日も午前11時からオープンするのに、あっ、これから、片付けと掃除をしなくては・・・・という、まさしく、これが「オープンホーム」なのだ。

当日の様子はこちら

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木村貴一 2010-10-11T01:19:56+09:00
歯痛と木村家本舗の本棚 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/10/post_313.html ダラダラとした雨が降っている。

IMG_1659建築家のヤベさんが主催するパーティーがあって、いつものように楽しい歓談が続き、いろいろな人の出入りがあり、それが、何らかの繋がりがあったりして、良く言う、世間って、狭いね。というやつ。まだまだ、歓談が続いていたのだけれど、このブログを書くために、お暇をする。そして、いま、デッキの椅子に座り、パソコンの前に向かう、いまとここ。

脳の中では午前中の出来事がフラッシュバックしていて、最近、日曜の朝になると、ランニングをする気分になり、それが、いつまで続くのかわからないし、ずーっと続けるつもりもないのだけれど、走ると、なかなか爽快な気分になって、何よりも、走り終わった後に飲む、一杯の冷たいプロテインが美味しいこと・・・・。

いつものように、東成の街道を通って、大阪城に向かい、噴水の前を折り返して、帰り道は、かなりの直線距離が続く、東成商店街を抜ける。聞くところによると、この東成の商店街から布施の商店街まで続くと、日本一長い商店街であるとか?まったくもって、不確かな情報ですが・・・・。まま8.3キロ、一時間ちょと。

ランニングをしながら、ふっと、思い出した事があって、それは、30日の夜の出来事で、高校時代の同級生7人と、ビルボードライブ大阪であった、「ネッド・ドヒニー」のコンサートへ行ったこと。今更、なんで、ネッドという感じもあるが、何よりもの楽しみは、久しぶりに皆と会って、飲んで食べてライブ見て、という感覚。1978年の来日の当時に、一緒に見たメンバーが3人いて、まぁ、そういう意味での同窓会でもあった。

IMG_1623 これだけ年月がたつと、ネッドも、私も含めて、同窓の何人もが、かなりの中年太り。まぁ、それが、年月の移り変わりと共に、「老い」を表現しているのだろうか・・・・。それでも、演奏そのものは、若々しく、しかりとした、プロらしい演奏だった。演奏終了後、メンバーと同級生と一緒に記念写真を撮る。思い出の一枚となりえるのか・・・・。

そんな事より、同級生のひとりが、かなりのマラソンマニアで、まぁ、私の状況を説明すると、二人で一緒に走ろう!ホノルルマラソンに行こう!という話になって、ただ、酒の席の話なので、実現するかどうかは、まったくもって、微妙。なんて事を、ランニングしながら、ふっと、思い出したのだ。それにしても、今の状況では、到底、42.195キロを走れそうにない・・・・。

コンサートの後のそんな四方山話で、夜中の3時を廻り。タクシーに乗ると、そのまま寝てしまい、お客さんお客さんと呼ぶ運転手の声で、目を覚ます。そうそう、その前日は、一睡もしていなかったのだ。実は、歯の痛みのために、一睡も出来なかった訳で、こんな痛みの経験は、はじめてだった。勿論、それには、伏線もあって、お盆の旅行中にも歯が痛み、痛み止めを飲みながら、旅行をしていた。

通っている歯医者さんが、なるべく神経を抜かないという治療方針で、わりと、素直にその事を受け入れ、我慢できるかぎり我慢し、その後、2、3度、歯医者に通いながら、簡単な治療をしてもらっていたのだけれど、29日に大学生達と、丹波へフィールドワークへ行った。その午後から歯が痛み出し、その夜は、のたうち回る状況。痛み止めの薬を飲んでも全く効かない状態。痛みを抑えるのに、口に氷りを含み続け、痛みを紛らわす始末。ほんとうに、一睡もできなかった。

DSC09861 今回ばかりは、我慢の限界を超え、どんなことがあっても、神経を抜いてもらうつもりで、歯医者さんへ向かう。そうそう、30日の、その日の夜は、例のコンサートがあり、また、その日は、木村家本舗の本棚製作日でもあって、その模様は木村家本舗ブログを参考に見て欲しいのだけれど、大工さんとのやり取りの合間を縫って、神経を抜いて貰った。その後は、あの痛みは、いったい何だったのだろうか。と思うほど、嘘のように消え去った。この本棚には、そんな歯痛と闘った、全く以て個人的な記憶も刻まれているのだ・・・・・・。

と、ダラダラ降る雨の、いまここで、DSC09920今日の3つの出来事を思い出す。ひとつは、ランニング。もうひとつは、ヤベさんのパーティー。そして、あとひとつは、木村家本舗の第1回目の本の搬入日であった事。まずは、350冊ほどの本が、棚に並んだ。まだこれから5~600冊が搬入されるらしい・・・・。その搬入の様子は、木村家本舗ブログをご覧下さい。

ご興味のある方は、是非、木村家本舗へお越し下さい。お待ちしております。

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木村貴一 2010-10-03T23:50:14+09:00
山ガールと「木村家本舗」のお知らせ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/09/post_312.html 山ガール」というのが、流行っているらしい。

「私」は山が趣味だと公言するのは、全く以て恥ずかしい、山好き。正確に言えば、頂上には、さほど興味がない。走破するのにも興味がない。というと、かなりツッパテイルような感じなので、まま、興味あり。「沢」も好きだが、先導がいないと、ちょっと怖くて行かない。汗をかきながら、あ、しんど。なんで、山登り。もう登れヘン。などと、自問しながらも、山に登った、あの爽快感は、確かに魅力的。

大阪に住んでいるものの、縁あって、神奈川県の丹沢にある山小屋に通うようになって、20年以上経つ。流石に、大阪から日帰りは出来ないので、ほとんど、一泊で行く。年に1回か、多い時で3回ほど。そうそう、2泊、3泊した事もあって、幼稚園の頃から連れだった長男などは、二十歳もとっくに過ぎた今となっては、「田舎」のような、懐かしい感覚らしい。

いまの山小屋の主人と友人で、数年前に亡くなった、先代の小屋の主人とは、「小草平」「勘七」「水無川」などの沢を、わらじを使ったり、渓流シューズを使ったりしながら、後にくっついて登った。勘七のF1やF5など、思い出深い・・・。

そんな訳で、ルーティンワークのような、今年初めての丹沢が、19日と20日の連休だった。ちなみに、20日の帰宅途中の夕方にかけての東名高速道路の大渋滞に巻き込まれた。ここ最近、静岡、浜松、豊田とそのあたりで、猛烈に混み合うのは、そのあたりの経済が発展しているからなのだろうか・・・・。

20年間、登山道を見ていると、全く、間伐もされず薄暗かった下の方の山が、間伐され、明るい山になったのは、最近の事で、「木」の文化の復活をなんだか感じる。それと、小屋から眺める登山者の年齢と雰囲気の変化。昔は、「山屋さん」ばかりで、通称、表尾根は、いつもガラガラで、登山者はパラパラだった。

ところが、数年前から、「おばさん」が登山するようになって、「賑やか」な感じになってきた。そのうち、団塊の世代の元、山屋さんや、健康志向の「おじさん」がやって来て、それに、おじいさんやおばあさんという年代の人々も、どんどん登ってきた。それが、サッササッサと歩く。とにかく凄い。勿論、それにともない中高年の事故も増えたのだろう。

それよりも、なによりも、エポックメーキングは、昨年頃から、「山ガール」がやって来たこと。スパッツにスカートをはいたファッショナブルな女の子がやって来て、山が「華やか」になってきた。その山ガールに男の子がくっついてくるような感じ。

山小屋の主人の「山ガール」エピソードがオモロイ。「山小屋で、ジュースか何かを買うのに、スイカのカードをサッと出して、これ使えますかぁ・・・」と聞かれたという。「VISAなら使えます」などと、勿論言わなかったらしいが、電気は通っていないし、水だって、水場まで汲みに行く。全ての食材や資材は何人ものボランティアの「ボッカ」で支えられている。そんな小屋だが、それが山小屋だと、勝手に思っているのは、こちら側の人たちだけだったのだ。

950mほどの標高にある登山道の途中の山小屋で、「この先にコンビニありますよね」と、確信的な聞き方で、山ガールに尋ねられたという。山にコンビニが出来る時代を予感させるものの、セブンイレブンのマークを付けたお兄さんが、大きな荷物を背負いながら、山を2時間ほどかけて、ボッカしている姿を想像してみた・・・・、それも悪くないかも。いや、そんなハズはない、ヘリコプターで、バタバタバタとやって来るのだろうか、う~ん、それはそれで、経費倒れになりそうだな。

気付いた事は、山ガールは、山の「しくみ」を知らないだけで、この20年間、山を歩く「私」の心情と、「山ガール」のその心情には、さほどの差がない事。頂上に行かなくて、ワイワイガヤガヤと小屋泊まりし、そのまま下山したことも何回かあって、それぐらいの「のり」なのだ。爽快感とパワースポット的な「のり」と+α。 もちろん、「私」は、あんなにファッショナブルではないし、年もかなりとっていってるけどね。

意外だったのが、キッチリとレクチャーを受けてから登山する山ガールも多いという、山小屋の主人の話。確かに、山をなめると、怖い。それにしてもだ、これから「山ガール」が山の雰囲気をどう変えていくのか、丹沢通いの楽しみが増えた・・・・・。

 

そうそう、お知らせです。

yoko

木村家本舗 = open house +古本 =コトバノイエgraf木村工務店
という催しを企画中で、10月の10・11・16・17・23・24・30・31 と10月の週末にかけて、木村工務店のすぐ近くで住んでいる、「私」の家にて、コトバノイエのカトウさんによる古本屋さん、grafのハットリさんによる家具と食器と雑貨、それに、木村工務店のキムラさんの住まいの相談、+something elseというイベントです。

木村工務店のキムラさんである「私」の家は、40年前の住宅や戦前の長屋を25年間、リフォームを繰り返しながら住み続けている家です。その家の中に、コトバノイエのカトウさんによる古本屋さんが期間限定でオープンします。

もともとは、矢部達也さん設計によるカトウ邸新築工事の通称が、コトバノイエです。本好きのカトウさんの趣味が、発端で、本棚が家の構造体となってしまったという、ソトとウチの繋がりが、とっても心地良い家です。その施工を木村工務店が担当しました。

そのコトバノイエ、カトウ邸をお引き渡しし、その新しい家で、カトウさんの生活が始まりました。ところが、住んで、暫くして、家の中、全部を古本屋さんとして、解放したのです。生活スペースのリビングダイニングキッチン、寝室、子供部屋、洗面所など、全てが、古本屋さんな訳です。これが、「コトバノイエ」という古本屋さんの誕生です。そのハプニングに、「私」は、とっても、不思議な刺激を受けました。

そのコトバノイエという古本屋さんが、「出張古本屋」さんとして、近藤英夫建築研究所さんと、矢部達哉建築事務所さんで、2回のイベントが開催されました。その2回のイベントに参加し、コンドウさんとヤベさんのお二人の行動力と、その「界隈」に向けての貢献と刺激に、「私」が刺激されたのでした。それで、第3回目のイベントとして、「私」が名乗りをあげる事にしました。木村家本舗 = open house+古本屋 の誕生です。ただしくは、これから誕生予定ですが・・・・・。

コトバノイエのカトウさんの本職は、吉見自動車という、ボルボの中古車ディーラーです。建築家やデザイナーにボルボ好きな方が多くいて、そのお客さんに、ヤベさんやコンドウさんがいらっしゃったのです。grafのハットリさんもそのひとりです。ちょうど、10年ほど前にハットリさんが、突然、木村工務店に尋ねて来られたという、奇遇も重なっています。それで、カトウさんが、ハットリさんにもお声掛けし、ほんの数日前に、カトウさんとハットリさんとキムラさんが、「私」の家に集まって、とっても、いい時間を共有しました。

「今日、キックオフという事で・・・・」という、ハットリさんの言葉と勢いがなければ、このイベントは、動き出さなかったかもしれません。そうそう、ただしくは、只今、企画中で、grafさんがどのような形態になるのか、いまのところ、全くもって、未定なのですが。

そんな訳で、このブログの読者の皆さん、詳細は、ホームページやブログで、告知致します。よろしければ、お越し下さい。

PS
木村工務店で施工をさせて頂いた、OBのお客様、都合がつくようでしたら、久しぶりに、是非、遊びにお越し下さい。メンテの依頼もお気軽にお申し付け下さい。只今、施工中や打合せ中のお客様も、お気軽にお越し下さい。木村工務店に来ることを躊躇っているお客様、この機会に、木村工務店の様子を見がてら、ちょっと立ち寄ってみては如何でしょうか、大歓迎です。その他、木村工務店と関わりのある皆さん、私と関わりのある皆さん、お待ちしております。

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木村貴一 2010-09-26T21:34:02+09:00
イヤホンとモノと縄文土器 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/09/post_311.html 朝晩が涼しい。

990d33d6-af1f-4d55-838c-4d354415c2e2以前に試聴して、気になっていた、Ultimate Ears Triple.fi 10 PRO というイヤホンを買う。ネットを見ていて、それなりの激安を見つけ、ついついクリックしてしまった。きっと、気候のせいだとおもう。涼しくなったのが、影響したのだ・・・。

現在は、ゼンハイザーのイヤホンを使っていて、高校生の頃から、026f3409-76b6-4524-964e-dc47cbdfe789ゼンハイザーのヘッドホンを使い続けてきたので、ゼンハイザーファンであるのだけれど、それで、ゼンハイザーのIE8を買うつもりで、試聴してみる。いま持っているイヤホンなんて、何だ、これ、とおもうぐらい、エエ音。

もののついでに、話題のメーカーのUltimate Earsをはじめて試聴してみる。あの小さなイヤホンの中に小型スピーカー1基と中型スピーカー2基が、入っているらしい、Triple.fi 10 PROというやつ。何だ何だ何だと、二つ三つ続けたくなるぐらい、こんなの聞いたことないよ。とおもうほど、不思議な音感と解像度。バランスド・アーマチュア型ヘッドホンと呼ぶらしい。

店員さんに、他にどれかエエのぉ。と聞くと、shure(シュア)を進めてくれた。レコード全盛の時には、shure(シュア)の針を使っていた事を想い出しながら、shure535を試聴する。BA型ヘッドホンで、これもなかなか凄い。UEのTriple.fi 10 とまったく違うが、甲乙つけがたい。もう、ダイナミック型ヘッドホンと呼ばられるIE8は候補からはずれてしまうが、いずれにしても、3、4万円以上の価格がして、衝動買いする気には、全くなれない金額。それが、一ヶ月ほど前に、息子と二人でぶらついた日本橋での出来事だった。

そんな伏線があり、3万円を切る価格の10Proを見て、気候のせいもあって、クリックしてしまう。そして、即納された10Proを聞く・・・。家で、ゆっくり聞くと、思った以上にキンキンした音。ピアノの音が辛い。家で聞いているスピーカーと真空管アンプから出る、柔らかい音に慣れているからだろう。shure535とかゼンハイザーIE8の方が良かったかなと、後悔が起こり始める。

まま、人間の心理なんて、そんなもんだ。とおもう。常に、迷いとか後悔とか諦めとか見切とかが、つきまとうものだ。手持ちのダイナミック型イヤホンと呼ばれるゼンハイザーの方が、意外にエエと思える曲があって、失敗じゃないのぉと、迷いが募る。家づくりにおいての決め事も、きっと、同じなのだろう・・・・。そう言えば、誰かが、今は、「失敗をしたくない時代」だと言っていた。

こうなると、shure535やIE8を買って、じっくりと聞き比べたいという、探求心とか、その構造のしくみと違いを知りたいとか、物欲というのも湧いてくる訳で、そういうジャンルの「遊び方」な訳であって、私のような世代は、伊丹十三とか、ポパイなんていう雑誌に影響され、「カタログ」を見る楽しさとか、「モノ」へのこだわりのレクチャーを受けたから、そうなってしまったかもしれない・・・・・。

─────────── 2010年のお盆休暇 「縄文土器」 ───────────────
お盆の旅行の初日に、能生で、カニを食べた後、小雨交じりのどんよりした天気の中で、海水浴をする。海水浴には、シュノーケルとか、フィンとか、ボディーボードを持参し、岩場が多いところなら潜るし、かなり遠くに岩場があれば、遠泳をするし、波があれば、ボディーボードでもする。、穏やかであれば、ひたすら浮かぶ。どれもが楽しい。今回は、そこそこの波があったので、ボディーボード。サーフフインでないのが、気恥ずかしいが・・・・。

本来なら、そんな事で、一日中海に浮かんでいるのだけれど、生憎の雨混じりの上に、少々、年齢がいった事もあって、根気も薄れ気味で、とにかく、温泉にゆっくりと浸かりたい気分になって、早々に引き上げることにした。それで、糸魚川温泉まで戻る事に決める。あっ、そうそう、糸魚川まで戻るのなら、ジオパークとかフォッサマグナミュージアムとか長者ケ原考古館で縄文土器も見たい・・・・。という「モノ」への衝動。

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私の「モノ」への衝動の中で、縄文土器 への憧れは、なぜだか強い。理由はよくわからないが、かなりゾクゾクする。一種のジョウモンフェチだね・・・・・・・。村松貞次郎さんの大工道具の歴史という本によると「材料と対話し、それをモノにするための、その対話の通訳者になってくれるのが道具である。」とあって、それは、大工道具のノコやカンナの話であるわけだけれど、日本人の大工さんが、材料と大工道具で対話する、そのルーツには、縄文土器というモノ造りの先人たちの、「モノ心」が、宿っているからではないのか・・・・・などと、考えて見るのが、ある種のジョウモンアソビであって、これが、意外と楽しい。

長者原考古館で、ケースに入っていない火焔土器を見ていると、手にとって、抱きかかえたい、という衝動が、ふつふつと湧いて来て、誰かが見ていない空きに・・・、などと、よこしまな気持ちと葛藤を繰り返している「私」が、そこにいたのだった。

そうそう、フォッサマグナミュージアムには、「石」がいっぱいあって、奥方が、いままで見たミュージアムの中で、もっとも興味深く見ていたのが、妙に印象に残った。なぜ、女性は「石」が好きなんだろうかね・・・。そういえば、ヒスイの産地でもあって、縄文人はヒスイ玉という「モノ」に憧れていたらしい。モノのルーツはジョウモンにあり。かね?
─────────── 2010年のお盆休暇 つづくかも ───────────────

Ultimate Ears Triple.fi 10 PRO というイヤホンをiphoneに差し込んで、聴きながら、この最後の段落を書くことにする。この音の好き嫌いは別にして、確かに刺激的な音であって、脳幹を刺激する何かがあることは確か。「モノ」造りの面白さを感じるわけで、昨晩は、これを耳に差し込んだまま、食事をし、家の中をウロチョロし、そのあと、刺激的な音を聴きながら、窓を開け放ち、ソファでゴロっとしていると、気がついたら、寝ていて、秋の気配を感じる肌寒さの中で、目が覚めたのが、朝の4時の事だった・・・・。

素敵な連休を!

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木村貴一 2010-09-19T00:02:42+09:00
サヌカイト石の風鈴 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/09/post_310.html DSC09590

デッキに、路地と路地の隙間があって、それが、西から東に抜けていて、そこに、心地良い風が通り抜ける。四国うどんツアーをした時に、屋島で、サヌカイト石を3本束ねた、風鈴を買った。西風が通り抜けると、そのサヌカイト石がぶつかりあう響きが、不思議な音色をかなでる。その音を聞いて、今日は、風が吹いていのだと知ると、その前の椅子に座って、涼む。ただ難点は、時として、路地の、汚水が、臭い、漂う事。草木や海の臭いでないところが、大阪の下町なんだろう・・・・・。

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先週の無謀なランニングの御陰で、月火水と、足腰が筋肉痛に見舞われ、年が取るにつれて、2、3日後にその疲労がやってくることをあらためて、実感する。家のまん前に、テラサカキヨシという整骨院があって、うちの息子など、まるで、お風呂屋さんにいくような感覚で、マッサージに通う。私も、日月と施術のオニイちゃんに、失笑されながら、マッサージを受ける。木曜あたりから、膝まで痛くなる始末で、ツイイター上では、
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kotobanoieSep 05, 1:24pm via Twitter for iPhone

笑える。昔の人はそういうのを、なんとかの冷や水、というてます。無理したらあきまへんでー。健康のことを考えるのは健康に悪い。@kimuko_3 「走る。」が更新
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こんなコメントを頂戴し、まさしく、その事をひしひしと感じる今週だった。それでも、週末になると、体の痛みもなくなって、人間の身体のオモシロさを見守るうちに、今朝も、朝から、走ってみる気分になって、流石に、息子と奥方は、文化祭があるからという、言い訳のような、まことしやかなお断りを頂戴し、それで、独り走る。

清見原神社に行くと、掃除をしている、「オッチャン」に、「今日は、雪降るでぇー」と言われる始末。大阪城内を走る事を止めて、そのまま折り返し、あの入り乱れた、鶴橋の商店街の中を抜け、コーリアンタウンを抜けて、50年来の取引の岡房商店という材木屋さんの前で、私の肉体は、走る事を止め、あと2kmほどは、歩く。それにしても、朝6時の大阪城の人の多さには、驚く・・・・・。

筋肉痛も少しあるでぇ。脱水症状も少しあるでぇ。と肉体が告げている。その身体と共に、例の西風で、涼みながら、ブログを書く、いまここ。こういう心地良い疲れの時は、確かに、クーラーの冷気より、「自然風」が、より心地良く感じる。サヌカイト石が独特の高音を鳴らしながら、風の存在を告げていて、こういう自然風を、どんな工夫で、家の中に取り込めば良いのだろうか・・・・・・と、日増しにおもう。

 

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先ほどのコメントをもらった、コトバノイエのカトウさんからソトメシのお誘いがあって、ランニングでボロボロになっている肉体を引きずって、参加したのが、先週の日曜日の事で、築後5年が経過すると、草木も落ち着き、とってもエエ雰囲気。ソトとウチの心地良い繋がりを建築的に創造したところに、設計者ヤベさんの、力量をあらためて感じた・・・・・。

DSC09498リフォームの現地調査が続いた週でもあって、最近は、設計のスタッフが、キッチリと測量をしてくれるので、猛暑のなかで、私は、見るだけですみ、あらためて、この場をかりて、スタッフに、感謝するのだけれど、長屋の階段室にブルーススプリングスティーンのポスターが貼ってあったのがとっても印象的だと思えたのも、その御陰。

DSC09538 ある家のリフォームの現地調査に行くと、応接間が、レトロなエエ雰囲気でなかなか良い。かといって、イマという時代に、応接間という間が必要なわけでもなく、いわゆる、LDKの一部や寝室として、残すとか、壊すとか、再生するとか、組み合わせるとか、その他様々な方法を使いながら、カコとイマとミライの心地良い繋がりと関係性は、どのような姿なのだろうか・・・・・と、おもう。

─────────── 2010年のお盆休暇 「軽井沢と小布施のホテル」 ───────
DSC09223 確かに、レトロとか、クラシックなホテルの魅力とは、いったい、なんなん。とおもう。カコの建築が、イマ、魅力的に感じたりするのは、どうい事なのだろうか。と考えて見たくなる。軽井沢では、クラシックホテルと呼ばれる、万平ホテルに宿泊。新館のクラッシック風な客室に泊まった。
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DSC08903小布施では、桝一客殿という、古い土蔵を移築改修したホテルに泊まる。  一生懸命に、リノベーションをした。というのが、ひしひしと伝わる感じ。中2の息子に、どちらのホテルが好みかと聞くと、こっちの方が、ゼンゼンエエワ。と語った。

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万平ホテルの、ロビーの空気感や、あのカフェテラスには独特の魅力があって、軽井沢という気候風土の魅力も含めて、コトバノイエや、うちの家のソトとウチの関係性と繋がりとは、ひと味違う、心地良さ。桝一客殿には、ソトとウチの繋がりよりも、内装。土蔵をモダンにリノベーションしたベットルームとリビング。古風な外観の中にある、見た事もない、モダンな浴槽とシャワールーム。高級なセラのシャワーを体験出来たのは、良かったかね。そうそう、土蔵を改造した図書室は、とてもエエ雰囲気。

そういえば、軽井沢の星野リゾートも訪れた。話題のホテルと話題のショッピングタウンのハルニレテラス。どちらもソト空間のテラスが、とっても心地良い。星野温泉トンボの湯も、露天風呂が魅力的な建築。キャンプのあとの朝湯だったので、なお一層、快適に感じたのだけれど、入浴料はチョイ高めかね。ハルニレテラスの繁昌を体感し、星野リゾートの躍進の秘訣を垣間見た・・・・・・。

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───────────── 2010年のお盆休暇 つづく かも ─────────────

二つのホテルに泊まり、話題のホテルを見て、今、振り返ってみると、ソトとウチとか、カコとイマというような問題をどのように解釈して、建築として、どうのように、生かせば良いのかね。と考えさせられる。これからも、いろいろなところで、様々な手法が試されていくのだろう・・・・。そういえば、新築なのに、古い建物のリノベーションの如く見せるのを、コスプレと名付けたのは、建築家のヤベさんで、そんな話題が、先週のコトバノイエの宴会の会話にあがっていた・・・・。

と、西風に吹かれながら、このブログを書いていると、そうそう、何よりも、イマという時代は、自然エネルギーの活用を忘れては、アカンでぇー。と、時折、サヌカイト石の風鈴が、カランカランという不思議な高音をたてながら、主張している・・・・。

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木村貴一 2010-09-12T17:04:01+09:00
走る。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/09/post_309.html 突然、「走る」ことにした。

もはや、たんに暑いというだけでなく、異常に暑いのだ。日本で一番暑い都市が、大阪らしい。大阪の下町の小路で、寝る、私は、8月の全日が真夏日だったという、この夏の夜を、クーラーなしでは、到底乗り切れなかった。

それに、今年の暑さを体感すると、以前から、なんとなく思っていた、断熱改修を、来年こそは、絶対的に、実行して、快適な温熱環境を実験してみるのだ。という。「意志」のようなものが、着実に芽生え、育っている。

そのクーラーの影響なのだろうか、私の寝る左側からクーラーの冷気がきて、左足と左腰が痛いと感じだしたのが、週初めの事で、靴下をはく動作が簡単に出来ない。いや、それにしても、これは、クーラーの影響だけでなく、運動不足が原因でもあるのだ。と、うすうす気付く・・・・。奥方が、お盆の海水浴の私の体型を見て、「ぼてぼて」という表現を大笑いしながら使いだし、その「ぼてぼて」も、心のどこかにひっかかっていた。

そんなこんなで、3日前に「走る」宣言をすると、奥方が、どこを、どこまで、というので、家から、東成の旧街道を通り、大阪城まで、4kmほど。とかえすと、一緒に走るわ。と言ったのは、意外な事だった。そうそう、口には出さなかったが、「ぼてぼて」という表現は、奥方にもそのまま、そっくりお返ししたい気分でもあって、お互いに、このままの「肉体」では、かなりまずい。と気付きだしていたのだろう・・・・・。

朝5時過ぎに起き、Tシャツと短パンにランニングシューズを履いて、5時30分に家を出る。この暑さを考えると、7時すぎには、家に帰り着きたい気分。どうやら息子も一緒に走るというので、3人で、まず、道すがらにある、弊社で施工をした、清見原神社まで走り、参拝をする。この神社から大阪城までは、旧街道が続いていて、車では、一方通行になる道が、東西南北に対して斜めに横切って長々と大阪城や難波の宮まで続く。

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その街道は、このお盆の旅行で訪れた、長野の「小布施」の町並みに比べれば、情緒というものには、欠けるし、観光客が大挙して訪れ、歩き、見学し、食べる。そんな町並みではないものの、独特の「ゴチャゴチャ感」があって、戦前の長屋風の建物から、鉄骨3階建ての建物やマンションや小さな町工場や神社や商店街などなど、1500年ほど続く、街道でもあるわけで、時代の建築をゴチャゴチャと素直に反映しているのだろう・・・。個人的には、好きな道であって、弊社で施工した数件の家や事務所の前を、その無事を願いながら、通過する。

よくよく考えると、高校生の時以来、「走る」という記憶がなく、大阪城までの4kmほどは、しっかりと走ったものの、あとは、走ると歩くが交互。「走る」というのは、なかなかたいへんな運動だな。とあらためておもうし、8kmあたりからは、私の肉体は、走ろうともせず、ただただ歩くのだった。

それにしても、大阪城の天守閣前の広場に行ったのは、小学生の時、以来かも知れない。よく、自転車で遊びに行った記憶はあるのだけれど、それ以降の記憶が全くない。6時30分に天守閣前の広場に着くと、ラジオ体操が始まりだし、ついでと、成り行きと、物珍しさが合わさって、参加し、一緒にやってみる。これも、小学校以来の出来事か。

そんなこんなで、奥方と息子は、大阪城から電車に乗って帰るわ。と、あっさりとした決断を下す。私は難波の宮の中心で、大きく深呼吸をし、玉造の町並みや東成の商店街を抜け、独特の朝の雰囲気が漂う今里新地の中を、通過し、帰宅する。ほとんど、走れず、歩く状態。

このブログを書いている、いま、私の肉体の下半身は、悲鳴を上げている状況であって、折り返しを後悔する気持ち半分。すがすがしい気持ち半分。まま、複雑な状況。息子はそのまま元気よく遊びに出掛け、その若さに、羨望する状況。奥方に至っては、ぐっすりと寝ていて、起きてもポォーとしている状況なのだ。

「走る」とはオモロイ状況を露呈させるものだな・・・・。

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木村貴一 2010-09-05T12:21:03+09:00
朝マックならぬ朝カニ。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/08/post_308.html ほんとうに暑い。暑いなぁ。と、かなりクーラーが効いている事務所にいて、たまに外に出た時に、大騒ぎしている「私」に対して、現場で働いている職人さんが、「なに、ゆうてんのぉ。めちゃめちゃ涼しいところにいて、たまに外に出るだけやん。わしら、もう、ぶっ倒れそうやでぇ。この頃、毎朝、起きたら、この暑さの事考えて、憂鬱になるわ・・・・・」

昨日、木造の上棟式があって、職人さん達の真っ黒な顔を見て、「どこの海行ってきたん」と言うと、「あほ、何言うてんのぉ。仕事。この家の建前。決まってるやろ。今度、社長、1回、上棟の時の職人さんとして、雇ったるから。こき使うでぇ・・・」と。吉本新喜劇的トーク。

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最近、家を雨に濡らさないために、上棟後すぐに、ブルーシートで、養生をするのだけれど、この暑さ、上棟式では、風が抜けず、サウナ状態だった。近頃のこの暑さを体感すると、「遮熱して、風が通り抜ける涼しい家」というのを本気で考えるようになるねぇ・・。それにしても、上棟という、この日本文化が大好きだ。世界の人にも伝えたいぐらい。職人さんや施主さんや神々に「感謝」するというのが素敵だとおもう。やっぱり感謝です。

───────────────────────── 2010年のお盆休暇 「能生」 ────────

暑い中でも、お寿司というのは、食べやすいし、美味しい。と、上棟式のお寿司に感謝しながら、食べた事を いまこのブログを書きながら、思い出すと、唐突に、「夏のカニ」の事を連想した。「カニ」は冬の食べ物だ。とおもっていた。

お盆。12日(木)の午後11時に大阪・小路を出発する。出発するまでの準備とか、家の片付けとか、いや、ほんとバタバタする。明日に出発を延ばそうかと、何度も弱気になるが、車の渋滞の事を考えると、とにかく、ムリムリ出発するのだった。

コンビニに立ち寄って、飲み物を買う。運転していて、疲れてきたり、めんどくさくなってくると、何か口に入れて、そのブツクサを解放してあげるのに、飲み物がちょっとだけ必要で、それにしても、家族で、ちょっとした飲み物や食べるものを買うと、意外な金額を支払っていて、このコンビニ商売のしくみと心理に唸る。

深夜のガソリンスタンドに立ち寄る。ディーゼル車なので、セルフサービスで入れるのも店員さんに入れてもらうのも、軽油なら、同じ金額です。と言われると、当然、店員さんに入れてもらうわけで、その店員さんの態度に好感がもてて、同乗の奥方も、子供も、気分エエなぁ・・・と、同時に呟いた。旅の気分まで盛り上げてくれて、サービスというものの、原点を垣間見るおもい。そうそう、普通ガソリンは、セルフの方が安かった。こういう、価格とサービスの設定方法というのは、どうやって決めているのかね・・・。などと、集中力が切れてくると、そんな事を考えながら車を運転するのだった。

コンビニやガソリンスタンドに寄っているうちに、高速道路に入るまでに、それなりの時間がかかる。高速道路の運転をしていて、いつもおもう事は、休憩とか、ガソリンとか、買い物とか、食事とか、そんな事に、油断していると、かなりの時間とお金を浪費している事に気付くこと。サービスエリアでのビジネスが、それなりに繁昌しているのかどうか、よくは知らないが、高速道路における、ドライバーと同乗者の心理的状況をあれこれ、分析しているのだろう・・・・。

2時間ほど運転して、深夜1時30分すぎ、北陸道の南條サービスエリアで仮眠をとる。サービスエリアは、満杯状態。仮眠をするのに、どこに車を停めるのかは、悩みどころで、経験のない時は、便所や売店の近くに停めた事もあって、そうすると、車の出入りが頻繁にある事と、車のドアーの開け閉めの音が、意外とうるさくて、眠れなかったりする。近頃は、長距離トラックが仮眠している、その数台のトラックの隙間に紛れ込んで、ぐっすりと眠る。最近、なんだか、車中泊が増えてきていると感じる・・・・。

朝の5時台の高速道路の運転がエエ。道路も空いていて快適だし、それに空が白々してきて、エネルギーがわいてくる感じ。そんな訳で、5時頃、ムクッと起き出して、車を運転する。後方では、奥方と息子はぐっすりと寝ていた。いまにも雨が降りそうな、どんよりした天気。

16日に軽井沢で泊まるのに、北陸廻りで行こうと決めたのは、息子と海水浴をするためで、福井では、大阪に近すぎるし、富山あたりか、新潟あたりかと、インターネット上を彷徨っていると、糸魚川の近くの「能生」というところを知る。「ベニズワイガニ」とあって、夏でもカニが獲れて、食べられるのだと知ると、息子の一番の好物がカニで、海とカニが第一日目に揃うのは、息子の満足度が高いはず・・・・と、おもい、目的地を決めた。

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朝8時前には、雨がパラパラしそうな「道の駅 能生」に到着していた。かにや横丁なるものを見て、少々、驚き、朝から、皆がタライ一杯にかにを買って食べているのを見て、もっと驚いた。流石の息子も朝からカニ食べるのぉと、呟くが、通りを2回ほど往復して、ようやく、家族の決心がつく、周囲の勢いに便乗して、カニを食べる事にした。朝マックではなく、朝カニ。時刻は午前8時47分。試食すると、ゆで方や塩加減によって、各店舗の味が微妙に違うのだ。地元の人が車で乗り付けて、買って帰った、その店でカニを買い、その場で、食べることにした。いまおもえば、自分の舌より、口コミを頼りにする、現代社会の消費者意識そのものの「私」ではないか・・・・・・・。

───────────────────────────────────── つづく ────────

同じ日本でも、大阪と新潟の能生での、食文化の違いは、オモロイ。気候風土というものが違う限り、食文化も違ってくるのだろう。そうであれば、これだけ、暑い暑い日が続くと、日本人全体の文化的な意識にも新たな変化が起こるということになるのだろか・・・。暑さが、変化の兆しなのか。「2010年が21世紀の始まりとちゃいますかぁ・・・」と言ったのは、確か、コトバノイエのカトウさんだったかな・・・・・。

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木村貴一 2010-08-29T22:16:20+09:00
残暑お見舞い申し上げます。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/08/post_307.html お盆休暇をどのようにして過ごすのか。いまの経済情勢を考えると、なるべくお金を使いたくないという気持ちもあって、かといって、家で、5日間、ゴロゴロしているのも、ストレスがたまりそうな気がする。それに、次男が、中学2年生で、「海」という言葉を発すると、「やったぁー」という声が返ってきて、おそらく、そんな素直な返事がもらえる、夏休みを、子供と一緒に過ごせるのも、残り3年ほどだろう・・・・・。

奥方が、今年は、クラシックな老舗旅館に泊まって、くつろいで、美味しい料理を食べて、勉強もするのだ。という。「建築」というものに携わっていると、ホテルや旅館に泊まるとう事が、何某かの刺激になって、もちろん、空間的な勉強にもなり、レーザの距離計を持ち出して、寸法を測定し、空間を数値として知るのは、私にとっては、オモロイ遊びのひとつでもある。

それに、何よりも、その「ホスピタリティー」を体験するのは、企業として、見習うべきものも沢山あって、どうせ、お金を出して、泊まるのであれば、それなりのホスピタリティーのあるホテルや旅館に泊まりたい。とおもう種類の「私」なのだろう・・・・・。

そうそう、それとは全く相反するけれど、車中泊というのが好きで、もちろん、あの寝心地の悪さは最悪的であるものの、それでも独特の魅力があって、止められヘンのだ。おそらく、旅館の食事の時間に縛られることなく、好きなときに食べ、好きな時間に起きて、旅立てる、という、時間を勝手気儘自由に使える楽しさが、その魅力のひとつだとおもう。

あともうひとつは、キャンプ。テントで寝るのは、あまり好きではないのだけれど、防虫ネットで囲われたタープの下で、GIベットの上に、寝袋の中に潜り込んで、外寝するのが、何ともいえない魅力があって、真っ暗な闇に包まれて、闇の怖さも感じながら眠りに落ちていく、あの感覚。フェードインのごとく鳥がさえずり出し、夜明けがやってくる、夜と朝の曖昧なあの時間帯の魅力。夏のキャンプでの外寝の魔力にとりつかれてからは、こんな調子で、今回の旅でも一泊だけ、嬬恋でキャンプをし、やっぱり、外で寝た。

食べる事には、猛烈な執着心があるわけでもなく、「あてがいぶち」でも、それなりの我慢は出来るのだけれど、それでも、大阪と違う、食文化に触れるのは、楽しいし、「うまいもん」を食べた時の満足感は、確かに、幸せを感じる。いま、こうして書いてみると、無意識下での、旅の原動力のひとつになっているのだろう。

「ケンチク」を見る事や「マチ」を見る事が、「シゴト」としではなく、単純に「スキ」だとおもえるようになったのは、ここ10年ほどの事で、それが、新たな旅の原動力にもなっていて、「遊びに来ても仕事のことを考えて・・・」とはまた違う感覚。それに、「ジョウモン」や「ホクサイ」や「バショウ」など、ミーハー的なファン心理も手伝って、それらが、旅へと誘う。

そうそう、何よりも「体を動かす」というのが、行動の原点にあるのかもしれない。夏の「泳ぐ」という楽しみは、この年になっても、大好き運動のひとつだし、「歩く」というのも楽しい運動で、山や川が、何よりも魅力的で好きなのだけれど、町歩きだって、かなり楽しい。「私」も少々大人になって、大型アウトレット店を「歩く」のは、それなりの苦行ともいえるのだけれど、それを楽しもうと努力している最近の「私」は、誉めてあげたいぐらい・・・・・。

それに、何にもまして、旅での長距離運転が、「私」にとってのモータースポーツであって、マラソンのごとく、出来るだけ長距離を休まずに走る事の達成感と満足感が、まったくの個人的な楽しみ・・・・。夏の旅の、いつもの一日目は、長距離運転とスポーツで、それは、トライアスロンのような感覚であって、とにかく、長距離を走りきり、その後、何らかのスポーツで、鼻から、いっぱいのCO2を吐きだして、鼻からいっぱいの酸素を取り込む事で、仕事モードや仕事のストレスが一気に解放されていくのだった・・・・・。

そんな訳で、旅の大本の原動力は、奥方が、軽井沢の万平ホテルで泊まるという。衝動であって、彼女に言わせれば、ただ単に、ゆったりと寛ぐためだけでなく、私や息子にケンチクとホスピタリティーの勉強をさせてあげているのよぉ。そういう寛大な心がそうさせているのぉ。という。なるほど。でも、ほんとかねぇ・・・・・。

息子の事や、その他、様々な旅への衝動が、複層的な歯車として、がっちりと絡み合うことで、ようやく、行動として、動きだす「私」。4月に予約をすると、8月16日だけ、部屋が空いていたのぉ。と奥方。その16日に軽井沢に泊まるために、13日に大阪を出て、どうやって、そこに、辿り着くのか、その「編集作業」が、私の役目であって、「めんどくさい」という気持ちを見守り、やり過ごしながら、グーグルマップとグーグルの検索で目的地をあーだこーだと考えたのは、出発の1週間前だった。まぁ、でも、やり出すと、その編集作業は意外と楽しいね・・・。

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IphoneにあるTrip Journalというソフトを使って、このお盆の旅を記録した結果がこれで、「私」の様々な旅の衝動が、どんな形で、実現されたり、実現されなかったのかは、また別の機会ということで・・・・・。

そんな訳で、木村工務店の夏休みも終わり、それでも、まだまだ、残暑が厳しいのですが、社員一同、この暑さを吹っ飛ばす勢いで、がんばって参りますので、読者の皆さん、木村工務店への変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い致します

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木村貴一 2010-08-22T23:51:51+09:00
お盆休暇 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/08/post_306.html お盆休み中である。

「私」は、長野県の小布施という町にいて、それには、いろいろな理由と原因が重なっての事だけれど、まぁ、そんなたいそうな・・・・。こうやって、この地のこの宿で、ノートパソコンに向かっている、「私」を、不思議な気持ちで眺めてみる。

05007fdd-3c22-4afc-9d22-97235b06e3be1890716f-0172-4877-aceb-ff3b534915ac朝起きて、町を散歩する。栗の木があって、栗の実が、道に落ちている姿が、「私」の住む大阪の小路とは全く違って、情緒があるなとおもう。蝉が鳴き出すと、それが、ミンミンゼミで、いつも聴くクマゼミの合唱と違って、あっ、新鮮。旅の目的のひとつは、いつもと違う、新たな、「印象」を受け取りたいだけなのかもしれない・・・・。

9e2dabbb-0965-47ca-8cd1-accf12e5ce38その宿には、図書室というのか書斎のようなスペースがあって、最近の宿の「流行」のひとつかもしれない。倉を改装した窓ひとつない空間に、大きなテーブルが真ん中にデーンとあって、四方を本棚がとり囲む。最上段には、酒瓶がずらりと並んでいて、造り酒屋などが母体となっているグループが経営しているらしい。本と酒瓶が不思議な関係を醸し出す。

朝風呂に入って、朝の散歩に出掛け、その帰りに、ちらっと、「書斎」を覗いてみる。まだ午前6時30分。誰もいない。当たり前と言えば当たり前。なぜが、その空間に吸い込まれてしまい、本棚を眺める。本棚を眺めて、時々不思議におもう事は、興味をひく本の、左右にある2、3冊の本の題名も眺め、その何となくの、その本との関係も含めて、その本を手に取って引っ張り出すかどうか、無意識に決めている「私」を発見する事。

そんな訳で、何冊かを手にとってパラパラと眺め出す。そして、テーブルに、その2、3冊置いて、椅子に座る。一冊だけ引っこ抜く事もあれば、その左右の何冊かも一緒に引っ張り出すこともある。そのうちの一冊の中をおもむろに読み出す。パラパラ。パラパラ。そんな事を2、3回繰り返しているうちに、気がついたら1時間も経過していた。早朝の「本屋」さんでの本読みというのが、初体験で、とっても新鮮な印象を食したような気分。

こんな感じで、本屋さんが近くにあれば・・・ともおもうが、宿泊客という囲い込みの場があってこそ、成り立つ事なのだろう・・・。不特定多数の人には無理が多いのかね。きっと、ちょっとしたSNS的な本屋さんと言えるのかもしれない。あっ、そうそう、友達の友達が集まる本屋さんとか、人と人がつながる本屋さんとか、そんな感じ、どうかねぇ・・・・。

そんなこんなで、朝食を食べ終え、お部屋の書斎的なテーブルにノートパソコンをおいて、ブログする、いまとここ。もう少ししたらチェックアウトして、次の「地」を目指そうとおもう。それでは、ちょっとヘンな表現だとおもうけれど、突っ込まないでほしい。

「皆さん、魂が安らぐお盆休暇を!」

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木村貴一 2010-08-15T10:07:43+09:00
花火 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/08/post_305.html 「花火」と書き出す。そういえば、いつの時代から、花火が発生したのかと思い、ウィキベディアで調べてみる。すると、火薬、鉄砲伝来という言葉に出会う。不思議な感覚。なるほど、花火は火薬との出会いであったのか。

どういう訳か、私の脳内リンクは、火薬が、白川郷を結びつかせる。毎年、社員や協力業者が集まって行く「修学旅行」で、白川郷を訪れたのが、2007年の6月の事P1050407P1050426で、その村落の美しさに共感するものの、なぜ、こんな陸の孤島のような村が、それも、大きな家として、「豊か」。なのかと、疑問におもっていた。きっと、何かの大きな経済活動があったのだ。それが、穀物なのか、養蚕なのか、そしてそれらが特別な製品であったのか・・・と。案内の人が、火薬の原料になる硝石を生産し、そのために大きな家と土間が必要だったと聞いて、この村の豊かさを生みだした、経済活動の謎が、なんとなく理解できた。

あらためて、火薬をウィキベディアで調べると、火薬が → 「元寇」「種子島」「南蛮貿易」「織田信長」「長篠の戦い」「江戸時代」「鎖国」「五箇山」「白川村」「明治維新」「富国強兵」「ヨーロッパの火薬技術」「日本独自の火薬技術」「下瀬火薬」「日本海軍」「日露戦争」「戦後」「隅田川花火大開」と連想されていくのがオモロイ。

花火大会が、軍事と平和の産物であったのか。と考えてみる。そういえば、いま、こうしてブログを書いている、このコンピューターも、それにインターネットも、元々は軍事技術から産み出されたという。

今週、野池学校という講習会があって、「家づくりの理科」というお題目だった。家づくりに関わる、理科的な問題。それは、温熱や結露などなど、そういうものを、雰囲気的と感覚的だけで、とらえるのではなく、理科的に、定量的にキッチリと整理してみようよ。という試みで、家づくりを考える上で、この貢献度は、かなり大きい。

その講習のなかで、今の省エネは、結果的に一次エネルギーである石炭や石油などが削減できる事によってその省エネ度が評価されているのだ。という、あらためて、頭の整理を促す話。ただし、原発に使われるウランの消費は、一次エネルギーの削減に換算されていないよ。と、頭の整理整頓を促す。

その話を、いま、突然、思い出す。花火が火薬と軍事と平和に結びついた事が、なぜか、先日のニュース報道でのヒロシマと、アメリカ政府のその対応を思いださせ、それが軍事から平和への真偽は別として、原子力爆弾から原子力発電への流れを、唐突に連想するに至る、私の脳内の伏線は、野池学校での、その話の断片が原因であった。

省エネルギーは、電気エネルギーの削減が、大きく関与し、電気をつくりだすための水力発電や火力発電や原子力発電と、そのために巻き起こる環境問題を想起させる。それらの問題に、結論を持ち得ていない「私」がいて、それでも、出来るだけ、送電される電気エネルギーを使わない生活。自然エネルギーを活用した生活が、様々な問題を解決させる道のひとつであると、「私」が呟いていた。

戦争と軍事と鎖国が白川郷の経済活動に結びついていた時代を想起すると、いまという時代が、平和と環境問題とグローバル化によって、あらたな経済活動がうまれる時代となり得るのだ。そんな努力目標にしようよ。と解釈すれば良いのだろうか・・・・・。

「花火」がとんでもない話になってしまった。全く理路整然としない、論理的な火傷になってしまった感じ。ほんとうは、10年ぶりで、PLの花火大会を見に行き、40分ほど歩いて、PLのゴルフ場の間際で、花火を楽しんだ。そんな話の予定。

花火を見た、この10年間の大きな違いは、花火の「量」が半分ほどに減ったと感じた事。また、花火の種類の変化。「量」から「質」の変化に変わろうとしているのかもしれない。いまという「時代」と「経済」の影響が、大きく反映しているのだろう。それよりも、最も印象的だった事は、若いカップルが多く、なによりも浴衣をきている女性が目立って、多かった事。きっと、若い人たちの中に、今までと違う、新たな「文化」的意識が、あるのだろう・・・・。

そう言えば、昨日の淀川花火大会に、中津にある、設計のコンドウさんから、ツイッター上でのお誘いがあって、出向くつもりであったものの、当日の朝に、仕事関係の人の突然の訃報連絡があり、午後7時からのお通夜をしめやかに参列するに至り、コンドウ事務所に到着した時は、淀川の花火大会は、完全に終わっていた。

花火を見れなかった事は、ほんとうに、残念だったけれど、地下鉄で出会う、たくさんの女性の浴衣姿が、心を和ませてくれたのだ・・・。thanks 浴衣の女性達!

PS:木村工務店では、お盆休暇を頂戴します。皆様、素敵な夏休みを!

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木村貴一 2010-08-08T14:16:18+09:00
音と断片と間 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/08/post_304.html 断片的に思い出す事があって、それは、先日、ツイートした「朝、セミの大合唱を聴く。ブブゼラのあの音が懐かしいね・・・・・。」今朝も、セミが五月蠅いぐらい。セミが5月のハエと同じだ。というのも不思議な表現だが、ブブゼラのいらだつような音を聞いていると、それも頷ける。セミの鳴き声が、ブブゼラと南アフリカとワールドカップサッカーに結びついてしまった。そういう、私の脳内の「リンク」がオモロイ。

「昨夜、BSで、ワールドサッカー、スペイン対オランダの再放送を見た。試合終了後、しばらくして、「could you be loved」が流れ出した。ボブ・マーリー。今回の南アフリカ大会での「新鮮な印象」は、スタジアムに流れる、ブブゼラとこの曲だった。」というツイートをした。

ボブ・マーリーの大阪公演を、それも二日間も見に行った。というのを時として、自慢してみる「私」がいて、いや、もちろん、真剣に自慢をしている訳でもなく、単に、話題性として、話す訳なのだけれど、それとともに、その年頃の精神状態のありようなどが、蘇ってきて、それだけではなく、二回も一緒にコンサートに行ったその友人のひとりが、自らの命に自らが終止符をうった。という、釈然としきれない、事実が、ほんの数年前の出来事でもあって、あのスペイン戦のノーフォイッスルを聞いて、しばらくして、会場内を包むように流れだした、「could you be loved」が、それらの事を断片的に蘇らせる。

もちろん、そんな事に感傷的になっている年でもなく、「私」のどこかに、それらの断片がやってきて、それにしがみつこうとするわけでもない、また、囚われてみたいわけでもない「私」もいて、通り過ぎていくことも含めて、ただただ見守る。

昨晩、大学時代の友人達と会食する。25年ぶりのヤツも。「シカゴを聞くと、ヘンマツちゃんを思い出すわ・・・」「スティーブンビショップが、あいつの車に乗ると、いつも流れていて・・・・」「ウエザーリポートを聞くと、オオカンダの事を思い出すわ。あいつ、どないしてんのぉ・・・」なんていう、会話が飛び交うのは、年寄りになった、歴然とした証拠であるものの、「音」が、ある断片を蘇らせるのも事実。

松尾芭蕉の「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」は、カッコエエ俳句だと、憧れるのだけれど。蝉がブブゼラと結びついてしまい、その蝉の鳴き声がようやく止んで、「静けさ」を満喫している、いまここの「私」と、蝉の音が岩にしみいるほどの静けさと結びついているバショウさんの「いまここ」での境地の違いは、果てしなく大きいか・・・・・。

「音」が、ある断片と断片の「間」に存在する、何かの深淵。奥深い谷のような何か。無。そういったたぐいの「間」に存在する何ものかの、架け橋となる「音」。そういう瞬間に、ある快感が存在している・・・・・。

久しぶりに会った友人たちに、「あの時と、全く、変わってへんわ・・・。」「髪の毛の色は、白いけれどな・・・・。」などと、言われるのは、嬉しい事であるものの、「私」の成長はどうなってしまたのか、と自問してみたくもなる。

その中の年下の友人のヒロトくんが、ハワイで、設計事務所をしていて、彼の里帰りが、この集まりを産み出したのだけれど、彼に、ハワイで、工務店するわ。と、酒の席の冗談の話題とすると、「いやぁ、止めといたほうが、エエですわ。訴訟社会ですから、何でも訴訟になりますから・・・」「施工者は、設計図どおり、施工するだけで、例えば、不具合があっても、設計図どおりにやったから、責任は設計者ですから」と、「確かにその通りですけど、それだけではない、何かが「工務店」というものづくりにはあって・・・、けど、アメリカではしんどいんとちゃいますぅ・・・」「・・・・」

彼は、アメリカの設計者。私は日本の工務店者。前提は、お互いどうしを好意的にとらえようとしているのだけれど、この話には、多くの考えるべき事が含まれていて、でも、それ以上、お互いに話を発展させなかった・・・・。そして、いま、それらが、酒席の「音」の断片として残る。いつか、その断片と断片の間に存在する、奥深い谷を探索したいとおもう・・・・・・。

いま、蝉の鳴き声が全く消えて、静けさという音。時折吹く風で、葉っぱが揺らぐ音。風鈴の音。遠くから、祭りの「だんじり」の太鼓と鐘の音が聞こえてくる。夏の日差し。そんな日曜日のお昼間。でんねん。

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木村貴一 2010-08-01T12:18:50+09:00
遮熱と風 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/07/post_303.html 暑い。家の中で、「涼」を感じられる、居心地の良い場所を転々とする。梅雨が明けた途端に、こうも、極端に、熱くなるものかね。このごろの、神は、自然(じねん)は、意外と過酷。それは、私たちが、自然に対して、辛い仕打ちしているかららしい・・・・。

CO2、CO2と連呼されるのも、政治的な思惑に翻弄されそうで、いまいち、頷ききれない「私」がいて、それでも環境問題が経済を牽引してくれるのなら、それはそれで、エエのかもと納得させてみる日々・・・・。

この暑さ、日本の家屋は夏を旨とすべしという言葉が、確かに身に沁みてくる。高気密高断熱の家づくりが、当たり前のようになってきて、「断熱」性能ばかり、冬の事ばかりが、頭にあって、ついつい、「遮熱」の事をなおざりにしてきた感じがして、最近、「遮熱と風」の事を積極的に学ぼうというのが、マイブーム。image

8月の日射量を数値で見ると、東からの日射量も南も西も同じ量で、西面は15時頃にピークをむかえ、17時18時まで、その暑さが持続しているのだと、あらためて数値で知ると、おばあちゃんが、「西日は、ほんま、暑つぅおまっせぇ・・・・」と呟いていた言葉が、耳元にやってきた。

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「外付けの日射遮蔽部材の種類と特性」という表によると、「すだれ」は中~大の効果有りとあって、「すだれ」や「よしず」が日本美だけでなく、その性能とその効果を知ると、なんだかちょっと嬉しい。それに、昔の人の「知恵」というものを垣間見るおもい。

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「内付けの日射遮蔽部材の種類と特性」によると、紙障子が、ブラインドと同じく「中」の効果があるのだ。という実験結果にも、「障子」に対して、視覚的な美しさだけでなく、その性能に対して、新鮮なおもいを抱く。障子くん、なかなかやるやん。という感じ・・・・・。
(表は、既存住宅の省エネルギー改修ガイドラインによる)

大阪では、西の窓に、「よしず」や「すだれ」や「障子」で遮蔽して、夕方に「打ち水」をし、夜になってから、窓を開け放って、家の中の熱気を出しなが、それなりの風量のある西風を取り込むというのが、「大阪的風景」であった事を、今一度思い出してみる・・・・。

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そういえば、先日リフォームをしたお宅では、2階の部屋の暑さ、屋根の熱気を何とかしたいという事で、お客様のご要望もあって、屋根裏にパナソニックの大容量の換気設備を取り付けて、それを稼働させた。屋根裏の熱気を排熱すると共に2階の部屋の熱気も排熱すようになっていて、マニアックな施主の温度測定によると、日中は、3度の温度差があるそうだ。既存住宅の省エネルギー改修ガイドラインによれば、屋根裏の野地板に遮熱シートを貼るのも効果があるとか。

弊社で施工した、コトバノイエの施主と設計の矢部さんが催す、CUT the CORNER「水土書店」が、この土曜日、最終日であって、「売り尽くさないSALEは12時から、PARTYは夕刻からです。お待ちしてます。」http://www.dezanani.net/cutthecorner/ という企画。それで、夜な夜なお邪魔すると、ヨッパライのヤベさんを中心に深夜まで歓談が続く。なぜか「風」の話。ヤベ家は、この夏をクーラーなし、扇風機なし。「風」の工夫だけで過ごすのだぁ。と。

「キャッチャー・イン・ザ・ウインドー」とヤベさんが3階の大開口の北向きの窓から西風に向かって叫んでいた・・・・・。というのは、本当なのか嘘なのか。

ちなみに、IPHONEの容量を迷えば、小さい方。部屋の天井高さを迷えば、低い方。建築家は小さい方を選択するのだ。クーラーは使わないのだ。と酔っぱらう。ヨッパラッタセキナノデ、ビミョウニテキトウ、ビミョウニホンキ。そうそう、それを聞いていた、設計のコンドウさんが、この前、うちの学生は、僕たちの世代はクーラーが自然です。クーラーのある生活が自然な状態で育ってきましたから・・・・と話すのだ。と複雑な心境を語る。

そんな訳で、夏を涼しくすごそうとする、いろいろな工夫やカイゼン。やせ我慢。妥協。日本の家屋は夏を旨とすべしという諺。そんな中に、脈々と流れる、日本文化と日本的な方法を再発見するのだった。

と、言っても、今宵この夜は、クーラー付けて、寝ましたが・・・・。

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木村貴一 2010-07-25T21:30:55+09:00
梅雨が明けた土曜日 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/07/post_302.html DSC08116

ようやく夏がやってきた。そんな感覚。梅雨明け宣言が発表された土曜日に、地鎮祭があって、神主さんによるお祓いも終わり、四周の竹を撤去し、テントをたたもうとしているその時に、改めて、周辺を眺める。

東にRC造の高層マンション。南に、西側に建つ、いわゆる洋風の木造2階建て住宅の専用通路があり、DSC08110(1)その通路の向こう側に趣のある戦前とおぼしき古い木造2階建て住宅が建っている。北側には鉄骨3階建ての共同住宅のテラスが面していて、それから西に向かって、鉄骨の5、6階建ての共同住宅やビルが建ち並ぶ。もともとこの土地には、材木屋さんがあったという。

漠然とではあるが、大きな経済の流れと建築の関係性とそれによって変化する都市の環境を思い描いてみる。こういう環境の中で、木造2階建て住宅を建てる、その地鎮祭だった。周辺の視線を気にせずに過ごしたい。明るい光が入る家。風が通り抜ける家であって欲しい。そんな事を含めて、皆で、良い家が建ちますように・・・・・と、二礼二拍手一礼で、願った。

DSC08143地鎮祭のあと、雑誌の取材があって、神戸本山で、昨年、新築してお引き渡しをしたお宅にお伺いする。Tさんは、8年ほど前に、芦屋の急な坂道の山手で、RC造の中古住宅を購入し、リフォーム工事をさせて頂いた。中古住宅を購入してリフォームする、うちでの初めてのお客さんでもあった。

DSC08154それから、お子さんも生まれ、家族との関係性が変化する。急な坂道の上り下り、子供の通学。奥さんの通勤や買い物。それにかかるタクシー代金やその他を考慮して、本山の駅近くに土地を見つけて、住み替えを決意する。ついでに車も手放す・・・・。

幸い、リフォーム工事をしたその住宅は、しばらくして、その素材感や雰囲気を気にいってもらえた購入者に恵まれた。そんなわけで、次の新築工事も木村工務店で、一緒にさせて頂ける事になった事は、何よりも嬉しい事であり、有り難い事であって、打ち合わせを何度も繰り返しながら、一緒に家づくりを楽しむ・・・。

DSC08157(1)DSC08121DSC08123DSC08160DSC08124 DSC08149  DSC08163 DSC08130 写真撮影の合間に、ダイニングのデーブルに腰掛けたり、リビングでゴロゴロくつろいだり、パソコンコーナーに腰掛けたりしながら、六甲山から吹き抜けてくる風が、ああちらこちらの窓から、家の中を通り抜けていく、心地良さを、設計を担当したタナカくんと現場監督のフルカワくんと雑談を交えながら、風の持つ不思議な力を味わう。家の中を通り抜ける風って、なぜ、心地良いと感じるのかね・・・・・・。いまという時代にとっては、「風」が、ひとつの「贅沢」かもしれない・・・・。

152b35b9-f76e-48ad-939a-12c17a239227この週の中頃に「既存住宅の省エネルギー改修講習会」というのがあって、参加すると、設計のミサワフミコさんやマイタニさんや環境のノイケさんら馴染みの方々と出会う。休憩の合間に雑談を交わしながら、講習をうける。

新築だけでなく、リフォームにおいても、断熱や遮熱を工夫する事が求められる時代であって、間接的にはCO2削減に協力する、政策的な事であるものの、何よりも、断熱や遮熱の技術的な工夫によって、人それぞれによって違う千差万別な心地良さに、コストも含めて、応える事ができるかどうかが、大切な事だなぁ・・・・と、あらためておもう。

夕刻。中古住宅を購入された方の、リフォーム工事の打ち合わせがあった。どんな仕上がりや設備機器や空間になっていくのかが、当然ながら、もっとも大切な事だけれど、それ以上に、今ある、床の下地はどうするのか、利用するのかしないのか、壁の下地のボードは再利用するのかしないのか、などなど、「下地」という隠れている部分をどう取り扱うかによって、耐震補強の問題や断熱の考え方も変わってくる。壁の仕上げの素材にしても、クロスを貼り替えるので良いのか、珪藻土やペンキ塗りなどは、既存の下地や仕上げの上からは、仕上がりも良くない。

そんな隠れていく部分の「下地」といわれる部分にコストもかかるわけで、特に中古住宅になると、今まで慣れ親しんだ家と違って、普段の生活から体感する部分が欠落しているので、なかなか判断がムツカシイ。そんな目に見えない下地や光や風などの事柄も含めて、コストを重視しながらも、バランスよく判断するには、住まい手と設計者と施工者が、お互いに信頼し合って誠実な態度で、ものづくりをしていく事が不可欠だなぁ・・・と、実感する日々。そうそう、もちろん、その間に入って、お互いの関係性を取り纏める、エエ現場監督なくしては、エエリフォーム工事は出来ない時代でもある・・・・・。

このブログを書くいま、日差しに「夏」をはっきりと実感する。風鈴の音が心地良く感じる季節。朝方、セミの鳴き声も聞いた。梅雨が明けたとたんに、すぐに、「涼」を求めたくなるのだね・・・・・・。

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木村貴一 2010-07-18T12:45:56+09:00
選挙のある一日 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/07/post_301.html DSC08026 夏が目の前だ。と感じていたのに、いやいや、まだまだ、梅雨は終わってへんでぇ。と、言われているような、どんよりした朝。もう50年ちかくになる楠の木が大きく育って、その手入れを、植木屋のウミヒラさんが、10年ほどかけて、丹念にしてくれた御陰で、2階のデッキから見ると、木の中にいるような感じで、とっても気持ちが良い。

こんもりとした、外観の形を整えるためだけの植木のカットではなく、一枚一枚の葉っぱを見極めて、奥にある葉っぱが、手前の葉っぱから透けて見えるような植木のカット。そういう。透けて透けて見えていく手法というのは、和室にも通じる、日本的な方法のひとつだとおもう。日本のサッカーも幾十にも折り重なり、透けて透けてパスが通る、スピーディーなサッカー。スペインとは、また形の違うパスサッカーであればエエのかも。と、突然おもう。実は、いま、あっ、ドイツとウルグアイ戦の録画を忘れた事に気付いたからだ。

「木」を眺めていると、突然の豪雨。木々が雨に濡れていく様が心地良い。葉っぱにつく水滴が気持ちよさを誘い、しとしとと落ちる滴が、「情緒」といえる。それにしても、猛烈な雨。猛烈な雨になればなるほど、いままでのいろいろな「建築」が気に掛かり、心配するのは、きっと、建築に携わるプロの人たちの「共通の性」だとおもう・・・・。

雨音を聞くのも気持ちが良いが、その「音」を聞いているうちに、音楽を聞きたい気持ちにさせる。それで、手元にあるレコードをおもむろにとって、針を落とす。レコードプレーヤーをonkyoのイコライザーに通して、コンピュータにつなげば、レコードが聴けるのだ。と知ったのは、一年ほど前の事。スピードが遅くて役立たなくなったノートパソコンに、オンキヨーのイコライザーを通して、真空管アンプにつなぎ、スピーカーを鳴らすのが、エエのかどうかは、問い詰めないで欲しいけれど、部屋全体の素材の調整と相まって、そこそこの音は鳴る。

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image音楽を聴いている、いわゆるリビングの壁は、戦前の長屋の土壁の上に補強の構造用合板を貼り、胴縁+プラスターボードに、仕上げをエコクイーンという珪藻土塗りと、9mm厚の米杉貼りの面を対角に貼り分けている。スピーカーのある部屋は、2階で、床は構造用合板の28mmで補強し、防音シート+45mmの根太間に羊毛断熱材を詰め+15mmの土佐栂を貼る。一部には目塞の縁なし畳。天井は羊毛断熱材を打ち付けて、カーテン生地をテント状に垂らして貼っている。スピーカーを設置している上には、2000mmの高さに、出幅900mmで30mm厚の杉板を貼って、柔らかく音を前に跳ね返す。「音」の良い空間は居心地も良くなるのでは・・・・という試みでもあって、10年経過してようやく落ち着いてきた感じ。

そういえば、木造で、木製建具で、自然素材の調整によって、「音」の良い空間が出来るのだ。と考えさせるきっかけを与えてくれたのが、吉村順三さんの八ヶ岳高原音楽堂だった。実際、この5月の連休に実物をはじめて見て、そのレベルの高さに、改めて、敬畏の念を抱いた。音響を考慮した木と木の組合せ方。白い壁の位置と割合。高さ関係。全体の形、構造とトラス。柱の素材感。開口部と光。ムード・・・・。

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音楽を聴いているうちに、中2の次男の同級生が家に遊びに来て、一緒に昼食を食べる。サッカーの話題になり、なんで、タマダ・・・。オカザキは・・・。どうしてモリモトがでない・・・。ナガトモがいたおかげで・・・。オオクボはなぁ・・・。マツイは・・・。アベのアンカーが・・・。シュンスケもヒデのように最後にグランドに立たせてあげたかったワー。カワイソウ。などなど。なるほど、なるほど、と、それなりに頷いたのだった。

サッカーの監督に「愛」が必要?監督が勝利に導くための「愛」って?トコロデ、ソノ「アイ」ッテ、ナンノコトデスカネ。と、焼きそばを口元で、するするしながら、50代の脳内が、ぐつぐつとした問答を繰り返していたと、書き留めておこうとおもう。

雨が小降りになり、降り止んだ。それで、その間隙を縫って、夫婦で選挙に行くことにする。顔見知りの人たちと挨拶を交わしながら投票箱に投函するが、何を理由として、その人に投票したのかと問われれば、政策?いや政党?いや人柄?いや何かの縁?と微妙なスタンスの「私」を再発見するのだった。特に、全国区においては、候補者の情報をどのように知るのが、最適なのかね・・・・。

雨が降ったり止んだり。ドイツとウルグアイ戦をダイジェストで見て。時間が流れていく。バラエティを見るのもしんどい。ディスカバリーchやナショジオをチラッと見る。先週の勢いが続いて、ダッジオーブンを使いながら、龍馬伝を見終わると、いま、テレビでは選挙速報がやっている。あっ、こんな人も選挙に出ていてたのね。と、夫婦で、つぶやくのは、有権者としての勉強不足てやつかもしれない・・・・・。

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木村貴一 2010-07-11T20:41:41+09:00
相互依存 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/07/post_300.html なーんにも思い浮かばない日があって、今日は、まさしく、そんな日。話題というのが、どこからうまれてくるのか、不思議なくらい・・・。

連日連夜、やっぱりサッカーを見てしまう。ドイツの圧倒的な強さを見ながら、あの日本チームが対戦したら、どうなるのだろうか。と、考えてみるのは、それなりに、日本チームが善戦したからなのだろう・・・。日本チームの試合が本当に面白かったかどうかは、何とも言い難いけれど、何かの可能性を示してくれたのは確か。

いつしか読んだ本に、関係性には「依存」という、人を頼りにするだけの関係性があり、それが、やがて、ひとりひとりが自立する、「独立」という、関係性になり、それぞれが、「私」を主張しあう。そういう関係性が、いつしか「相互依存」という関係性になるのが、より自然界に近い関係性だ。というような話。

サッカーを見ていると、「独立」できるような人たちが、「相互依存」しあうと、強いチームになるなぁ・・・と、テレビを見ながら、いつしか読んだ本を思い出した。スパースターの超人的なプレーを見て、「すげぇー」と叫んでみたい一面もあるが、反逆的なスピリットとリスクを冒す勇気を持った、スター不在の普通の集まりが、普段の精進からうまれるアグレッシブな動きで、相互依存をしながら、全員一丸となって活躍する姿。そんな姿を見たいものだねぇー。と考えてみた。どぅ?

先週の日曜日は、6人の客人と庭で、焼き肉をし、なんだか、その楽しかった余韻がその場所に残っていた。そうそう、昨年に、ステンレスのダッジオーブンを買って、一度も使わずに、放置していたのを何故か突然思い出し、それで、物置からひっぱり出してきて、先週と同じ場所で、残った炭を使って、ダッジオーブンを使ってみる。

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インターネットで、ダッジオーブンのレシピを見ても、ぴんとこなかったので、奥方に、家にある材料を聞いて、ジャガイモとカボチャとニンジンとトウモロコシ、それに、鶏のもも肉だけをスーパーで買ってきてもらい、それが、実は、奥方には、自分で買いに行けよ!と猛烈に突っ込まれたのだけれど、 それらを、オリーブオイルと塩、コショウと共にぶっ込んで、炭火にかける。こんなのを料理というのかどうかは別にして、アウトドアーであれば、それなりに、美味しいのだった。そういえば、家での「外メシ」の季節だね。

家の外では、大阪市議選の宣伝カーが走り、橋本知事が家の前を歩いて通過した。奥方は握手をしてもらうわと言って、飛び出していった。政治の世界での、昨今の政党どうしの、それぞれの「関係性」を全く理解できていない「私」がいて、誰かが、政党の仕分け作業をして、その内容と関係性と必要性を議論して欲しい・・・。

自然界では、ミツバチがいなくなって、受粉が促進されず、相互依存の関係性が保たれず困っているのだ。という「ハチはなぜ大量死したのか」という本は、途中で放置され、完読されないまま、本棚で待っている。

そういえば、ダッジオーブンと私の関係性が、先週の客人との関係性によって、とりもたれ、そもそもその客人との関係性は、仕事の上での関係性から・・・・・と、様々な枝分かれをし、その関係性が続いてきたのだろう。見事なパスの連続であったり、もしくはスルーパスが通ったり、時にはパスミスであったりして、その関係性に一喜一憂する。

そんな訳で、きっと、物置に放置されて、出番をいまかいまかと待たされていたダッジオーブンにとっては、突然の選手起用に、ビックリしたことだろう。いや、ダッジオーブンに見事なスルーパスが通った。なんて表現してみる事が可能かも。これって、完全にワールドカップサッカー病だね。そういえば、そろそろブブセラの音が快感になってきているしね・・・・・。

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木村貴一 2010-07-04T23:42:44+09:00
焼き肉週間 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/06/post_299.html DSC07885お昼過ぎに、客人をお招きし、庭で、焼き肉をする。食べ終わり、リビングキッチンに行って、くつろぎながら、 ウダウダと話をしているうちに、日が暮れていく・・・。時間と空間と食を共にする。という感覚が、とっても心地良い。客人の皆様には、感謝申し上げます。

我が家も自分たちの身体感覚にフィットするような、リフォーム工事の過程を、楽しんだり、悩んだりしながら、なんとか完成し、10年たつ。それで、ようやく、しっくりと馴染んできたような感じ。家をリニューアルしたての頃と違って、人が来てもらっても、新しい家の美しさを見てもらうわけではなく、ようやくシンクロナイズするようになった、自分たちのライフスタイルとそれを反映した空間を食事と共に、共有してもらう。という感覚に近い・・・。

テーブルを囲んで、S夫人が、昨日は、満月だったけれど、新しい家になって、月の明かりというのが、とっても明るいという事に気が付いた。狼男の気持ちがわかるような気がする。確かに満月の夜には何かが起こりそうな雰囲気・・・・という話題がその場の空気の中を漂った。それは、建築家イシイリョウヘイさんの設計が、そういう自然の要素を取り込む設計になっていた事が、大きい要因のひとつだろう・・・。

その「月」の話が心のどこかに残った。暫くして、客人が帰り、ダイニングテーブルのYチエアーに腰掛けて、パソコンの液晶画面を開ける。パソコンが起動するまでの間、ふと、先ほどまで、Iさん夫妻が腰掛けていたベンチソファーに腰掛ける。その隣にS夫人だった。そして、外を眺める・・・。

DSC07894と、丁度その方角から「月」がのぼってきた。満月から一日分だけ欠けたおぼろ月。あの時の会話を思い出しながら、眺めると、少々不思議な感じがする。

暫し月を眺めて、10分ほどすると、いきなり激しい夕立が降ってきた。あわてて、デッキに置きっぱなしだった、椅子とバーベキューコンロを片付けに走る。そして、その間に、月が隠れた・・・・・。いま、この話をこうして書いていると、稲垣足穂の一千一秒物語の「ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた・・・・・」という、とっても奇妙な物語を思い出した。最近のキムタクのドラマの題名も確か、月の何とか。「月」

ま、それはそうと、一週間に3回も焼き肉を食べたのは、初めてだなぁ・・・・・。

週初めに、野池さんが主催する「暮らし向上リフォーム研究会」というのがあって、それは、今日のブログにあやかると、設備機器をリニューアルするだけではなく、ライフスタイルを反映したリフォームをしていこう!という取り組みだと言える。それで、その後の懇親会では、設計のマイタニさんや東京の工務店のナカザトさんや埼玉のキムラさんなどなど、初めてお会いする方々と、ノイケさんも交えて、遅くまで飲む。

その次の日は、同じく、野池さん主催で、「野池学校」というのがあって、プロモーションとかエコとか、そんな話題を中心に、野池さん流に取りまとめて、整理した考え方を聞ける機会であって、それはそれで、共感できる。そして、その後の懇親会が、焼き肉だった。初めてお会いする、名古屋の工務店のアベさんの向かいに座って、煙がもうもうとする中、楽しく懇親する。

それから、一日おいて、正式オープンした焼き肉と冷麺の「一龍」にて、プレオープンには参加出来なかった、木村工務店の社員数名と、一緒に焼き肉を食べ、懇親する。脂っこくないロースという表現はヘンなのかも知れないが、確かに、しつこくないロースがどこよりも美味。前々日に焼き肉を食べたばかりなのに、不思議と食がすすむ・・・・。満腹満腹。

そして、本日。奥方が、鶴橋で塩タンなど買って、その他バラ、地鶏、などなど・・・。炭火で焼き肉をする。それはそれなりに美味しかったのだけれど、流石に、一週間に3回も続くと、量は食べられなかったねぇ・・・・。

脳のある一部が、痛風になるんじゃないかと心配している「私」がいて、それが「いとおかし」であるのだけれど、焼き肉と痛風の関係性がどれだけあるかは別にして、焼き肉と懇親の関係性は大いにありそう・・・・・・。

今週、焼き肉を共にした皆々様に、あらためて、感謝。

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木村貴一 2010-06-27T23:53:23+09:00
ソシキ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/06/post_298.html 今朝起きて、なぜか、「組織」ということについて考える。きっと、昨日のサッカーの影響なのだ。チームとか組織には、そのポジションニングとか、その役割とか、その他いっぱいあるとおもうけれど、共通のものの見方とか、共通の理解をもつといのは、なかなか大変なことだなとおもう。うちの会社だってそうだろう・・・・・。それに、そもそも、その「共通となるもの」を見いだすのが、何よりも大変。

ワールドカップサッカーのオランダ戦を試合後30分遅れのビデオで見る。試合結果はどこからともなく漏れていたので、確かに、緊張感には欠けた。後半に、シュンスケが投入され、好きな選手だけれど、いまのニッポンで、どんな役割を果たせば良いのかとおもう・・・。ハセベやマツイが脱けた後のオオクボのプレーを積極的と評価して良いのか・・・。オカザキ、タマダ、シュンスケに、がむしゃらな動きがあったのか・・・・。などなど、観客という立場は好き勝手に言えるし、自分が監督だったら・・・・・。などと考えて、それはそれで、随分と楽しめた。善戦。というのが、まずは良かった。

いまのニッポンの「共通となるもの」は、何なのかね。「日本らしい」プレーって、何なのかね。とふとおもう。サッカーニッポンが、それを模索し、格闘しているのだろうけれど、何よりも、選手以上に、ニッポンの観客が、日本らしいチーム、日本らしいプレーを模索し、格闘しているのだ・・・・・。とおもう。

そういえば、iphone上で、買って、読んだ、最初の本が、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」という本。偶然、夜のテレビ番組で、その作者が出演していたのも見たけれど、次は、「もしサッカーニッポン代表が、皆で、ドラッカーのマネジメントを読んだら」という本が出たりして・・・・。

 

組織という事でいえば、本日、グリーンウッドワーク協会というNPO法人があって、その集まりと鵜飼いのイベントに、美濃まで出掛けて、参加する。NPOという「組織」も不思議な組織だね。いろいろな縁があって、その協会と関わる事になったのだけれど、それはまたいつか。

そうそう、小瀬鵜飼いを体験する。鵜の家というのが何千年も続く組織であり、宮内庁の式部職だと聞かされると、何~にも理解していないのに、ほぉぉーっと感嘆する。それにしても、一艘の船を動かすのに多く人たちがかかわり、多くの鵜が関わっているのには驚いた。こういう「組織」を伝統として残すのも大変だな。待ち時間の割には、鵜飼いそのものは、あっという間に終わるのだった・・・・。

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というわけで、今、美濃小瀬の鵜飼いから帰ってきて、これを書く。日曜日にブログを書くという、私的なゲームの時間に追っかけられ、何とも、とりとめないブログ。それに中途半端なソシキロン。いやぁ、あらためて「組織」っていう漢字を眺めると、複雑なのだ。やっぱり、「ソシキ」でなく「組織」として、いつか、きっちり書ことうとおもう・・・・。
きょうのところは、goodnight 。

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木村貴一 2010-06-20T23:56:52+09:00
日本的なもの。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/06/post_297.html 伝統とか日本の文化とか。そんなテーマを大上段に構えてみるつもりはないものの、サッカーワールドカップを見ると、「日本的なもの」ということをたまには考えてみたくなる。というよりも、単純な話、南アフリカのスタジアムから聞こえてくる、あの、ハエが何万匹も一斉に耳元の廻りを飛んでいるかのような、あの音。あれには、文化というものの大きな違いを感じさせられる・・・・・。

いや、ひょっとして、あと2週間、あれを聞き続けると、快感に変わっていくのかも・・・。2週間後のブログで、あの音がもはや快感。と書き始めている「私」がいるとしたら、いや、どうなんだろう、そういう人間のもつ体質って怖いねぇ。2週間後の「私」が楽しみ。

「縄文」の遺跡のある「場所性」が好きで、できるだけ、「旅」の訪問地に組み込む。山の幸、海の幸が豊かそうで、風光明媚な場所が多い。まぁ、最高のキャンプ地ともいえる。先日のゴールデンウィークには尖石遺跡に立ち寄った。ところが、到着が午後5時頃になってしまい、縄文の土器や土偶を見る事は出来ず、縄文のアイドル達には会えなかったのが、残念といえば残念。

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それでも、意外な出合いがあって、この遺跡の建物の図面を引いたのが、堀口捨己であったという事。ほんとうに縄文当時、こんな建物だったのかねぇ・・・・と、考えてみる。それにしても八ヶ岳の山々を背景とした気持ちのエエ、キャンプ地。こんな場所性があってこそ、自然との付き合い方があってこそ、あんな土器や土偶が生まれるのだろう。現代と違う内的な豊かさを垣間見るとともに、日本的なもののルーツを感じる・・・・。

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先週の日曜日と月曜日の二日間、社員と大工と協力業者の旅行をし、その見学のひとつに刀鍛冶の実演を見る。それを見学していると、ものつくりの背後に見え隠れする「たたら製法」による鋼も含めて、日本的なものつくりって、何だろうかねぇ・・・・・と、考えてみたくなる。

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岐阜の林産地におもむき、木の伐採やハーベスタといわれるガンダムのような機械が豪快に木の枝を落とし、寸法切りする姿に感激したが、切ったばかりの切り株にチェーンソウを置きながら、木の切り方をプロ的に説明してくれた、その職人さんの顔や体つきやその情熱と雰囲気に日本的なものをより強く感じた。

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それよりも、もっとも日本的なものを、あらためて感じたのは、夜の宴会だった。大広間にお膳を並べるという、これぞまさしく前時代的なオーソドックスなスタイル。浴衣に着替えて、あぐらをかいて座る。「膝をつき合わせたコミュニケーション」というスタイルにこだわるのは弊社の会長。もちろん、私も受け入れている。というよりも今の時代にとっては、日本的なコミュニケーションを学ぶための、ある種の食事会のようなもの・・・・。

「私」は正面の席に、えらそうな顔をしながら座る。座ったままの宴が進み、頃合いになると、うちの一番若い社員のTが左手にグラス右手にビール瓶を持って、誰よりも先にやってきた。誰に、そんな事を教わったのだろうか、どの先輩かが、そういう事を教えたのだろう。それで、「これからもよろしくお願いします」と、にこやかな笑顔と共に頭を下げながら、なんと、右手のビール瓶を私に渡し、左手のグラスを前に出して、ビールをついでもらうスタイルをとる。少々私も面食らった。その瞬間、横に座っていた、協力業者の会長のオカモトさんが、「おいおい、それは違うやろ!」と真顔と爆笑をまぜながらつっこむ。

それで、Tは、何となく、間違ったスタイルなのだと感づいたようだったが、その勢いも手伝って、私は笑いながら、ビールを丁重にTのグラスに注ぐことにした・・・・。それで、その後、Tから返杯を受ける。Tに悪気やしゃれっ気があった訳でもなく、ごく普通にTが考えた、お酒の席での社長と若い社員とのコミュニケーションの取り方だったようだ。

それにしても、こんなスタイルのお酒の飲み方がうまれたのは、いつ頃からかね。縄文人は、すでに、こんなスタイルで、杯を酌み交わしていたのかね。南アフリカの人々はどんなスタイルでお酒を酌み交わすのかね・・・・・。

膝をつきあわせて、杯を酌み交わすようなスタイルが、いま、大まじめに必要とされているとは思えないが、そういうスタイルを軽やかに「遊ぶ」ことで、ある種の打ち解けや仲間意識がうまれるのも事実。日本的な方法というものをあらためて、模索したいね・・・。

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2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 木村貴一 2010-06-13T23:51:25+09:00
体験して気付くこと。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/06/post_296.html 何でも見てやろう」 その本の内容はすっかり忘れてしまったが、このタイトルだけは記憶の中に留まった。大阪弁で、いうところの「まず、やってみなはれ・・・」「とにかく、見てみなはれ・・・」が、「旅」のもつ魔力のひとつだとおもう。

そのタイトルから感じるほどの、どん欲さを私は持ち合わせていないものの、インターネットが普及すればするほど、その情報だけで、「わかった」気になりがち。知識と五感による体験がシンクロナイズした時に感じるあの感覚。それを「理解」と呼ぶとするのなら、その感覚の魅力を知ると、体験したら知りたいし、知ったら体験したい。そして、「理解」に辿り着きたい。あの感覚を味わいたい・・・・・。

学生時代には、有り余るほどの贅沢な時間があって、何もしないで過ごす方が圧倒的に多かった。無駄に時間を費やしたともいえるが、確かに、何もしない楽しさを知ると、それはそれで、一種の麻薬的な魅力があって、動き回る事があほらしく思えた。ただ、それも、自分だけのための、ある種の貪欲さだと感じる日がやってきて、それで、その麻薬的な魅力を断ち切って、誰かのため、自分のため、社会のため、その他、何だかんだ、複層的な歯車が、微妙に絡み合って、物事が動き始める・・・・・・。

なんていう、くだりを書いてみたくなる心境って、これ何だろうかね・・・・。

まぁ、そんなわけで、「旅」をする。何でもエエから、兎に角、体験をしたくなるわけ。ゴールデンウィークやお盆やお正月やその他・・・・。それで、体験してみて、初めて気付く事が、あるときにはあり、ないときにはまったくなにもない。

理由はいろいろあるのだけれど、5月3日の朝の8時前に、吉村順三さんが設計した八ヶ岳高原音楽堂の前にいた。一度見てみたいとおもっていた、憧れの建物でもあった。その場所は簡単に見つける事ができず、レストランに行って、尋ね、ようやく辿り着いた。

まず、駐車場からのさりげない八ヶ岳音楽堂と書いた看板とそのアプローチの仕方。そのさりげなさが、カッコ良かった。こういうたぐいの事は、体験してみないとわからない範疇の事なんだろう。きっとかなり考え抜かれてあるのだ・・・・・。

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屋根のその美しさは、建築雑誌で見ていて、写真のとおり。なんていう、当たり前の感想になってしまう。、いや、もしくは、写真以上の美しさ・・・・・とか。その屋根の線の美しさは、「樋」がないからこそ、生まれてくる、カッコ良さが、多分に影響している・・・・。

DSC06133DSC06029 DSC06120DSC06044 が、よくよく見ているうちに気がついた、正面玄関の屋根の部分だけには、樋がちゃんと、あって、玄関から入る人には、雨があたらないようになっていた。それは、最初からそうだったのか、後からそうなったのかは、知るよしもないが、そういうところに、人間味のあるデザインだなと、ひとりほくそ笑む。それに、その樋の水を落とす落ち口の樋のカットのデザインにシビレる。また、その水が落ちる足下の機能と、さりげないデザイン性にも味わい深いものがあった。
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内部には入れないとおもっていたが、偶然にも、早朝のヨガ教室をしていた。こんなところで、ヨガができるのなら、是非、是非、やってみたい。それに少々羨ましい・・・。そのヨガ教室が終わるのを静かに待ち続け、その先生に、許可を得て、内部を拝見する。天窓の美しさ。それに音楽堂というだけでなく教会堂のようなムード。確かに十字架も飾ってあったが、十字架が影響しているだけではなかった。 それに音響効果を考えた、機能美。それが見事なデザインとなっていて・・・・・・・。まぁ、とにかく体験してみないと気付かない事が、わりと沢山あって、例えば、大地と建物が一体となったその関係性とか・・・、などなど、いろいろあるが、とりあえずは、ここらへんにしておこうとおもう・・・・。
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そう言えば、その前日に、諏訪の御柱祭を見ながら、見学した藤森照信さん設計による、神長官守矢史料館では、その便所近くにある窓を覗くと、その山側の畑の中に、同じ設計者による高過庵という、ツリーハウスが 見えた。そういう、粋な計らいに、なんだか、ニヤッとさせられる配慮があって面白い。それに、足下廻りの、大地との一体的な関わりをもった設計は、実物を見るまでは、そんな部分に感心させられるとは思っていなかっただけに、体験して良かったな。という仕分けの範疇に・・・・・・。

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実は、これが、長ったらしい前置きで、つまり、本日の6月6日(日)と明日6月7日(月)の二日間に渡って、社員と大工さんと協力業者が一緒に研修旅行に行く。それは、とにかく、何でもエエから、一緒の体験を一緒にしてみよう。という旅。これが基本であって、そんな訳だから、その研修内容には拘っているところが、あるようでなく、ないようであるという程度。あっ、コミュニケーションを学ぶ。というのも大切なテーマだね。

そうそう、こだわりがあるとすれば、唯一絶対は、バスに詰め込まれて旅行するのだ。というこだわり。この伝統だけは守り続けられ、かれこれ50年ちかく続く・・・・。バスに拘る理由のひとつは、とにかく、バスの中で、二日間飲み続けたいという御仁が数十名近くいて、これだけは、不思議と先輩から後輩に引き継がれていくのだった。確かに、もっと、引き継がなければならない、技術とか伝統があるはずやろ!と読者からのお叱りやツッコミがあるのかもしれない・・・・・・。

それでは、マズイので、今回の研修は、にんべんに「木」と書いて「休」。人と木の寄り添い方がテーマ。 皆で、飛騨の山で林業をみたり、その他・・・。まぁ、その模様は、ツイッターで随時、ツィートされるかもしれない・・・・。ということで、6日と7日の二日間、会社はお休みを頂戴します。特に、月曜日は電話やメール等の連絡がとれませんが、ご理解頂きますよう、よろしくお願い致します。

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2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 木村貴一 2010-06-06T05:48:33+09:00
脳裏 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/05/post_295.html もう6月。お正月から、あっという間。そう感じるのは、きっと年取ったせいなのだ。今日は、とってもエエ日和りで、でも、朝は少々肌寒むかった。そういえば、ここ数日、「寒むっ」とつぶやいた瞬間が何度かあったことを思い出した。

誰にでも断片的ではあるものの、目の前の光景とは別に、脳裏で映像が流れている瞬間があるとおもう。それが、目の前の光景と関連性があるのかないのかよく理解できないことも多いが、いまとここの私にとっては、今日の出来事であったり、今週の出来事であったり、ゴールデンウィークの出来事であったりで、脳というやつはおもろいやっちゃなぁ。とおもう。

今日は、施工をさせて頂いた清見原神社の合祀100周年祭というお祭りがあった。四ヶ所に散らばっていた神社が1カ所に集まってから100年が経過するらしい。ついでではあるが、清見原神社のいわれは・・・・・

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天武天皇が皇居であった大和の国飛鳥浄見原宮から、難波即ち今の大阪に舎人親王多古麿等を従えられて、行幸遊ばした際、当所に御休憩遊ばしたと伝えられている。 当時この所は高地で樹木が鬱蒼と茂り見晴らしがよく、住の江の海(今の住吉)に浮かぶ白帆が見え憩うには格好の場所であったようである。ここにしばし御休憩遊ばした天皇は「吉野はどこのあたりになるであろうか」と吉野の方をかえり見られたというので、今に「吉野見」の地名(小路二丁目三番地吉野見通りあたり)を存している。

と書いてあって、それは、意外にも古い歴史なわけで、いまいちど、あらためて大阪の歴史を見つめ直してみようという気分にさせられる。神社の仕事に携われた事は、うちの若い大工にとっては、無節の吉野檜を扱う機会に恵まれて、平田雅哉の一番弟子の沖棟梁のもと、道具の手入れから、材料の扱い方、大工としての心構えまで含めて、一から見つめ直す機会に恵まれたことが、なによりも有り難い事であった。

こんな事を書いていて、突然脳裏に浮かんだ映像は、お稚児さんとだんじりの記念撮影。カメラマンが、大きな声で、「さぁいきますよ!」と声をかけると、並んで整列していたお子さんのひとりが、その掛け声を駆けっこの合図とおもって、ママの方へ向かって一目散に走りだした。それを追いかける宮司さん、その光景が、「いとおかし」だった。

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撮影が終わって、宮司さんを補佐していた神主さんと挨拶を交わす。「このお稚児さんたちが、大きくなって、10年後、20年後、この地球がどうなっているのか、この国がどうなっっているのか、ほんとうに心配してるんです」と真顔で語る。

「かみしも」を着た誰かが、「次の100年後に、また、お会いしましょう」と冗談を言うと、「その時、わしは180歳やな」ときりかえした。そんなおやじギャグと神主さんの言葉に、さしたる深い関連性があるともおもえないが、言葉の連想によって、脳裏は、地球の、国の、会社の、この次の100年ビジョンというものを見たがっていた。きっとビジョンをもつための議論が必要な時なのだろう・・・・・。

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うちの会社の見積書の表紙を印刷してくれている、ハタナカさんに、祭りで出会う。「昨日、工場に来て、撮影してくれて、おおきに」と言われ、そうそう、そう言えばと昨日のことを思い出した。その瞬間は、日本対イングランド戦で、イングランドがPKをはずした瞬間でもあって、脳内では、映像がダブって混乱していた。

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うちの会社の見積書は、いまだにB5サイズで提出していて、その表紙は、会社からひと筋向こうの、家内工業的な工場で、活版印刷される。「もう活版印刷しているところなんて、なくなってきたし、あと継ぐ、若い子もいてへんし・・・」とつぶやく。そのつぶやきを聞いて、その工場を撮影しておきたいと急に思い立ち、強引に押しかけた。

「ものづくり」のエエ感じの空気があって、でも、その需要の少なくなっていく寂しい空気も漂っていて、この雰囲気に接すると、これからの社会はどうなればエエのかね・・・と、おもった。この工場の映像が、さきほどの神主さんの言葉を聴いている脳裏で、なぜか流れていたのだ・・・・。

最近の糸井重里さんのtweetに「そうか。夜中に気がついた。iPadなどが常識になっていくときに、「書」や「紙」への「揺り戻し」がくる、というより「書」や「紙」が<憧れ>になっていくんだ。いまよりもさらに、尊敬すべき嗜みとしてとらえられてね。丈夫なプリント合板と天然の木材との関係みたいなものかもぷう〜。」とあった・・・・。

神社で出会う何人かと会話を交わすと、その中のひとりが、「大企業だけが良くなってもしゃぁないで。やっぱり、小さな企業がぎょうさん良くなっていかんと、日本の国は良くなれへんとおもうわ」とやっぱり真顔で語りかけられた。

そうそう、これを書いているうちに、気がついたら、イングランドとの試合は,敗戦していて、相手の直接のゴールはなしで、オウンゴールが二つもあって敗戦するところに、日本の今の政治状況まで反映しているのだ。とこじつけたくなる気分。そのテレビ映像と撮影したデジカメの写真と脳裏の映像など、様々な映像が混迷しているのが、いまの「私」の状況。

というわけで、今日という時間が押し迫る。今日のブログは、まったくもって脈絡のないブログになってしまい、それは、おそらく、世間に漂っている「混迷」とおなじような何かが、私のなかのどこかにあったからだろう。こんな時は、ふかふかの布団で、グッドナイトだね。

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木村貴一 2010-05-30T23:56:40+09:00
http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/05/post_294.html 雨が降っている。日曜日は晴天の日が多かっただけに、しっとりした気分。

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週始め、リフォーム工事の写真撮影があって、覗く。中古住宅を購入することから、日住サービスのナリタさんと協働しながらお手伝いをした。新築も考慮したものの、最終的にはコンクリートの中古住宅に出会い、購入する事を一緒に決断し、全面リフォームをする。

いま、世の中では、構造と断熱は社会的に求められている事でもあって、工事中には、構造設計のタハラさんに、現場に足を運んでもらい、アドバイスを受け、構造的な処理をする。断熱は外断熱にするかどうか、いろいろと検討したが、隣地との空き寸法やコストの問題を考慮してウレタン吹き付けとした。

自然素材という言葉が流行りだしたのは、もう何年前の事か・・・。床は無垢の板材を使用する事がほとんどだが、タイルという希望もそれなりにあって、大阪ガスの床暖房を併用しながら、ちょくちょくタイルの床も施工する。壁と天井は、漆喰ペンキを使っていて、自然素材といわれるジャンルの素材。収納は、うちの大工さん達が、ランバーコアー材で造ってくれて、設計のタナカくんが、窓との関係性や、電子ピアノや液晶テレビやパソコンや本やその他ゴチャゴチャもんを考慮して設計した。その棚を今回は白に着色する。キッチンはモーリーショップ。

どんな収納を造るのか、テレビとか、パソコンとか、本とか、ゴチャゴチャしたものとか。最近は食卓のテーブルが、「食卓」を越えて「居卓」であったり「勉卓」であったり「パソ卓」となることが多い。ますますテーブルの存在感が高まる。お客さんとの会話もそのテーブルでする時が大半。何よりも、子供の勉強が、勉強机よりも、そのテーブルでする事が圧倒的に多いようだ。とおもう。

うちの子も、キッチンに付属するテーブルが勉強机で、それ以外で勉強した姿をほとんど見ない。だいたい近頃は塾が勉強の場なんだ。それで、ダイニングテーブルの廻りには子供の本や文房具や、何が入っているのかよくわからへんゴチャゴチャもんを詰め込んだワゴンなどが溢れ出していて・・・・・。前置きが長くなったが、そんな、生活の一部になっている、ゴチャゴチャもんも含めた収納する棚類をどうつくるのか?棚の機能とそのデザイン性はますます重要になったきた・・・・。もはや空間を構成する一部。

DSC06897昨日、深夜に訪れたのが、弊社で施工したコトバノイエの設計者、ヤベさんと、そのコトバノイエの施主のカトウさんが協働したブックストアーで、そのオープンニングパーティーがあった。 本の全てが面陳。カッコエエ。

棚と背景の塗装は設計のヤベさんのセルフビルド。背景が黒塗りで、それが、写真では判別できないとおもうけれど、その下地が、ガタガタで、ALCであったりブロックであったりモルタルであったり。その上に黒の塗料をぬっているので、威圧感の黒とならず、素材感があって、抑揚のある黒になっていて、カッコエエ。何よりも面陳の本が、カッコ良く見える。それに、ヘタウマの棚が、壁に張り付いている。壁からの出っ張りの微妙な寸法や棚の組み方や窓との関係性は流石、プロ中のプロ。でも施工はヘタウマ。いやいや、けっして、ヘタヘタとは言わない・・・・。「あじ」があるというプロの大工ではマネのできない領域。中途半端なプロフェッショナリズムな大工よりエエのかも。

キムラさん、黒の壁とランバーむき出しの棚のコンビ。マネしたらアカンでぇ。とヤベ先生が言う。いやいや、隣国のようなデザインの搾取はしないけれど、ちゃんと敬畏を表して、引用致しますから・・・・と。言ったかどうかは、深夜なので、忘れた。

それにしても、とにもかくにも、施主の方や設計者や大工さんと一緒になって、「棚」をつくりたいものだね・・。機能的な棚。カッコエエ棚。倒れない棚。便利な棚。本棚。食器棚。パソコン棚。ゴチャゴチャもん棚。テレビ棚。飾り棚。数寄屋な棚。桂離宮な棚。ルイビトンな棚。愛のある棚・・・・。棚。

日本で最初にシステムキッチンを造ったのがモーリーショップなのだそうだ。間違った情報ならゴメンナサイ。そのモーリーショップとは、それなりにエエ関係を保ちながら仕事をしているのだけれど、その関係性のなかで、建物を見に行く案件があって、京都まで赴くと、それは、それは、見事な数寄屋の家だった。最近は、数寄屋という言葉をしらない人が多いのかも知れないね。その座敷や玄関や居間は、「木」というものを「線」的にプロの技術とセンスで、最高級に組み合わせてあった。柱や長押には大面がとってあって、そのセンスと技術にしびれた。iphoneにも、その微妙な角度の面が取られたデザインに、何か通じるものがあるかもしれない。そのデザインが好き嫌いかは別にしてのこと。その家が何度も繰り返し見ていた会社で所蔵している京の数寄屋という本にある住宅だったので、いっそ驚く。

会社に帰って、その本を眺めながら、たまたま会社に立ち寄った大工のササキくんと、その本を見せながらその家の話をする。一生に一回でエエですから、こんな家の大工仕事をしたいですワ。やっぱり大面をセンス良く取れるのが大工にとっての最高級の仕事やとおもいますワ。大面をとるのは勇気がいりますワ。面をとると、あちこちの仕口がタイヘンムツカシクナリマスカラネ。と。目をキラキラ輝かせながら語る。

いづれにしても、棚の設計者や数寄屋の大工さんが、「面」や「線」で、悩み、葛藤した、その痕跡に触れると、こちらも、ものづくりへの、あらたなエネルギーを授かり、有り難くおもう。とっても感謝。

話が、横道にそれてしまった。そのリフォームの写真撮影は無事終わった。考えて見れば、中古住宅探しからお手伝いしながら、その決断のアドバイスをし、ライフスタイルをお聞きしながら、素材や棚などの設計を一緒に悩み、施工という、もの造りの過程を共有し、引き渡しという日を迎える。時には写真撮影もある。引き渡し日はメンテナンスというあらたなお付き合いが始まる日でもあって、私たち工務店にとっては、業者の器具説明などを聞きながら、無事に家のお引き渡しをできるのが、何よりもの喜び・・・・・。そして、雨は、一日中降り続く。

 

追伸
そうそう、土地や中古住宅を一緒に探すのは、なかなかムツカシイことで、それは「縁」という、得体の知れない波をとらえ、その波に上手く乗れるかどうか、一緒に流れていけるかどうかなのだろう。

ここ数年、土地探しからお手伝いしてきたが、いまだに、その波待ちをしている人がいっぱいいて、いい波にあたらない人や、決断しきれない人、どうすれば、その波を発見できるのか、その波をとらえ、乗りこなせるのかよくわからいままで、もどかしい人・・・・・。それが、土地や中古住宅を探しているその人たちだけでなく、「私」も同じようにもどかしく、おもう。きっと、なんらかの「縁」を呼び込む方法があるのだろう・・・・・。

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木村貴一 2010-05-23T22:08:06+09:00
ゆったりと過ごす。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/05/post_293.html 最高にエエ季節。青空とさわやかな風。家の窓を全開にして過ごす、この心地良さ・・。ゴールデンウィークに「旅」をして、「旅」の持つ麻薬のようなあの魅力。それはそれで捨てがたいけれど、奥方が旅から帰りついて、いつものように言う決め台詞「やっぱり我が家が一番」を、きっと多くの人が、そう感じながら、ゆったりと過ごしたのだろう・・・・・。

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ゆっ たりと、自由に、くつろぐ・・・・。と、まぁ、自分の家に対する不満点なども、少々出てきて、こうしたいなぁ・・・とか、ああしたいなぁ・・・とか、自分にとっての居心地の良さそうな居場所を造りたくなってくるものだな。これって、「私」の性なのかね、いや人間のもつ「サガ」なのかね。

設備機器を交換したり、家具を買いそろえたりするだけでなく、自分たちのライフスタイルにあった、それぞれにとっての居心地の良い家づくりには、是非、木村工務店のスタッフや、職人さんや、私と一緒に、家づくりをしましょう!。などと、宣伝もたまには・・・・・よろしくおねがいします。

さて、朝起きて、朝風呂に入って、デッキのベンチに座りながら、コンピュータをつけ、朝刊を読み、パンと珈琲を飲む。さわやかな気候の時は、デッキで、くつろぐのは確かに快適。それも家族で揃って食べるのも確かに良いが、それぞれが、てんでばらばらの場所で、それぞれの朝食を食べるのも時には、とってもエエ感じ。私はデッキ。奥方はキッチン。息子は食卓。それぞれの存在感を感じながらの「ひとり」も良い。

暫くして、薄暗いコーナーのソファーにいって、ごろつきながら、本を読む。個人的には、少々薄暗いところで、本を読むのが好き。「大工道具の歴史」という本が、妙な縁で、舞い込んできて、これを、ゴールデンウィークのお供に連れ立ったのだが、結局、読むタイミングを逃し、いまここで、思い出したように、続きを読み出す。

「・・・・・室町幕府成立のころから将軍家大工とよばれる大工の最高を位にあって、しかも広い視野と教養人としての知識・感性を要求される人間があらわれてくる。そうしてやがて彼らは、大工としての実際の技術から離れて将軍家の芸術顧問のような立場に立つようになった。」

「それに代わって実際の技術上の指導者として棟梁という職種が登場し ・・・・・・・・ きびしく洗練された寸法比例からは、彼らがいかに高度な審美眼をそなえていたかがうかがえる。私は将軍家のパトロネージのもとに成立したこの御大工から、日本におけるアーキテクト(建築家)の発生をみるのであるが、・・・・・」

なんて話を、なるほど、と感心しながらも、眠たくなる。これもいつものことで、しばしソファからずり落ちながら、15分ほどウトウトする。これが、また、実に心地エエのだね。

お昼は、軽く、たこ焼きでも食す。近くにできた、若い兄ちゃんが作る、ちょっと工夫したたこ焼き。家から5分ほどの廻りに、たこ焼き屋さんやお好み焼き屋さんが、10件以上は軽くあって、そこで店を出すのだから、それなりのチャレンジャーなんだ・・・・・・。

昼だというのに、それに、こんなエエ天気でエエ気候だというのに、どこにも行きたくない気分。家で楽しみたい。テレビも見たくない。が、「たかじんのそこまで言って委員会」だけは、なぜか見てしまう。日曜日のこんな時間帯に、楽しみにテレビを見てしまうわけで、録画までして見るのはこれぐらいかね。

テレビが終わって、音楽でも掛けてみるが、音も聞きたくない気分。ただただ日が暮れていくのを無為に過ごす。そんな訳で、夕食をとって、龍馬伝だけは見て、このブログを書き出した。それで、ここまで、書いて、「ゆったりと過す」と、タイトルを決めようとしたところで、突然、ゴールデンウィークに宿泊した箱根のFホテルでの行き届いた接客とホスピタリティーを思い出した。確かに、企業としても見習うべきものを感じた。

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ホテルにチェックインし、暫し、部屋でくつろぎ、日本で最初にできたホテルのプールとやらに入って、泳ぐ。それから、お風呂に入りに行く。浴衣でうろうろできるようなホテルでもなく、もちろん、靴を履いて行く。

ところが、お風呂から出ようとすると、なんと、私の靴がない・・・!誰かが間違ったらしい・・・・・。それで、フロントに電話をして、スリッパを持ってきてもらい、部屋に戻る。暫くゴロゴロして待つが、靴が見つかったという電話もない。このまま、朝まで待つのか・・。食事の時間も迫る。食事も浴衣で行くようなレストランでなく・・・。ひとりだけ部屋のスリッパで行くのだな・・・・。と、流石に、ちょっと、カッコ悪いかなと思い始めた。

それで、フロントに電話をすると、2、3回のやりとりがあって、車で、靴を買いに近くのホームセンターまで、一緒に行きましょう。靴代は出しますので、と言う。もう履ければ何でもエエですよ。と言ったのだが、ホテルの人も困ってそうだった。それでここはひとつ、ゆっくりとくつろぎたいという、そんな気持ちは捨てて、息子も連れだって、靴を買いに行くことに「決意」した。

息子はなんで、付いていかなアカンのぉとふて腐れていたが、きっと凄いクラシックカーに乗って靴を買いに行けるのだ・・・・と適当な事を言って説き伏せた。まぁ、こんなヘンな経験はできないし、それに、思い出の運動靴になりそう・・・。この一部終始を奥方は腹を抱えて笑って見ていた。それはまるで、三谷幸喜の映画の一場面のようだったのだろう。窓からその一部終始をビデオ映像に収めようとしていたくらいだった・・・・・。

結末は、あっけなかった。エレベーターでロビー階に降りると、その前で、間違った私の靴を履いた人が、歩きにくそうにしながら、私が、部屋のスリッパ姿で廊下を歩いている様子を見て、声をかけてきた。「あのぉ・・・。ひょっとして・・・・。・・・・。普段、お風呂には靴で行かないものですから間違ってしまって・・・と。・・・」私も、普段、靴で、お風呂には行かないですけど・・・・などとは、決して突っ込まなかった。

まぁ、フロントまで、おかしな二人のコンビで歩き、靴を交換してもらい、一件落着する。三谷幸喜のような劇的なストーリー展開もなく、あっけない幕切れだった。もっとも残念がっていたのは、窓から、ホテルの玄関の様子をわくわくしながら見ていた、奥方だったとおもう。その姿を想像した方がオモロイかも・・・・。

そんな、わけで、接客とか、ホスピタリティーとか、対応とか、そういうのは、とっても、難しいものだなぁ・・・・とあらためておもう。ホテルはつかの間ではあるものの、ゆったりと過ごす時間と空間とホスピタリティーのような「何か」を提供し、それに共感する。工務店も、ゆったりと過ごせる家を造ると共に、そういうホスピタリティーのような「何か」も求められている時代だな。とおもう。

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2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 木村貴一 2010-05-16T22:40:27+09:00
旅の出合い(北斎富嶽三十六景 甲州 ) http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/05/post_292.html

今朝、起きて、新聞を見ると、諏訪の春宮の御柱祭りで、ワイヤーが切れて人命が・・・という記事が、目に飛び込んできた。このゴールデンウィークの最初の目的地は諏訪で、5月1日の夜中に出発し、中央道のサービスエリアで仮眠をして、5月2日の早朝の最初の到着場所がその春宮だった。

駐車場に車を止めると、祭りの準備で、鳶職らしき人たちが沢山集まっていた。その姿を横目で眺めながら、鳥居の手前にあった手水で手を清め、神殿に向かうと大きな注連縄があって、その横を通り抜けると、本殿らしき、檜皮葺きの独特の個性的なデザインの神殿に出会う。

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お賽銭を入れ、2礼2拍手1礼をし、お参りをする。後から、いかにも、「ぼうしん」という雰囲気の鳶職風のおっちゃんが、こなれた身のこなしで、お参りをした後、グリーンの養生ネットが張ってある側に向かい、佇んで、何かの段取りをしだした。

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御柱祭の事を聞くために、近寄って、声を掛ける。「どこに行けば見ることが出来ますか」と聞くと、「今日は、本宮の方で里曳きをやっていて、ここ春宮と秋宮は、来週が本番。私は、7年に一度のこの祭りがこれで、11回目で、いまや、ここの最長老。もう84歳になった。これから、柱を建てる場所を掘る段取りをしているところ。もう少し、柱を建てる位置を移動しようとおもってるの。あとで、若いもんがいっぱいやってくるので、その準備。やっぱり、柱を建てるのを見るのが、一番だけれど、ま、里曳きもよいわな。本宮の方は角が二本建ってるからね。こっちは、角がないの。・・・・・・」「あそこに、ワイヤーを張って建てるの・・・・・」「写真撮ってもかまわんよ。テレビにも映ったりしてるからね。・・・・・・」「気をつけてかんばって下さい・・・・」「いい旅をね・・・・」なんていう会話をして別れた。

旅の初日の偶然のタイミングで、心がさわやかになった・・・・・。その、春宮で事故があったというのが、今朝のニュース。それを新聞で、私と一緒に見た奥方の第一声は、「あのおっちゃん、どうしてんるんやろ・・・・・。」私の脳裏にも、あの笑顔と、あの体つきと、あの身のこなしが、浮かんだ・・・・・。あの「祭り」で味わった歓喜も蘇ったが、何とも言えない、怖さも忍び寄った・・・・・。それが、旅の出合いというものだな・・・・・・・。

そうそう、去年と同じなら、富士の見えない富嶽36景北斎の旅は25年ぶりとやらのゴールデンウィークの晴天に恵まれて、奇跡的に富士山が見えた。東海道をお上りさんするのではなく、中山道をお上りしたのが良かったのだろう・・・・。息子への富士の見えない富士の旅という汚名も少し返上し、あらためて富士の美しさとその迫力に出会った。

写真の精度と腕前は相変わらずエエ加減だが、諏訪湖以外では、よく見ると、富士山が映っているわけで、この写真のよしあしはご勘弁頂くとして、その8カ所の絵が持つ、「場所性」だけは、何となく、肌で感じる事ができた・・・・・。

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↑ 諏訪湖にて
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↑ 見延山の手間で渋滞に巻き込まれて・・・見延山まで行かず途中で撮影。
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↑ 南アルプス市の富士川付近で、どこかわからないので、もう諦めて、ここらで、撮影。
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↑ 石和のフルーツ園から撮影する。iphoneにも登録しておいたけど・・・・。
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↑ 御坂峠と川口湖から撮影。きっと、これ、北斎流の合成写真で、洒落だね。
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↑ 山中湖付近の別荘地から撮影。富士のデフォルメの仕方が凄い。朝焼け見たいね。
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↑ 籠坂峠のとある場所で、こじつけで撮影。
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↑ 箱根の美術館の駐車場から苦し紛れに撮影。

北斎を出汁にしながら、下諏訪温泉、縄文の湯、ほったらかしの湯、箱根の湯など4つほどの温泉に浸かり、諏訪大社の春宮、秋宮、本宮、前宮や箱根神社と5つほどの神社にお参りし、御柱祭と出合い、吉村順三や藤森先生や伊東豊雄やクラシックな建築と遭遇し、縄文のアイドルには出会えなかったけれど、その縄文「場」をほんの少し体感し、それに、鰻や蕎麦や鳥もつ煮やフランス料理と、ちょっとだけグルメした。意図した出合もあるけれど、半分は、偶然の出合い。

↓神社にお参り。
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↓祭りの周辺。静寂と木遣りとブラスバンド。
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↓木遣りとともに黄色い集団が迫り通り過ぎる。男気を感じたと奥方は表現した。感激!
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↓意図的だったり偶然だったりして出会った建築
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↓尖石遺跡・山梨県立博物館・釈迦堂遺跡
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↓富士山・八ヶ岳
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↓ 温泉・グルメ?
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さまざまなリズムが複層的に組み合わされるポリフォニーな旅をしてみたい。というのが、今回のテーマだったかどうかは、旅行が終わってからおもう事で、とにかく、「私」は、想定外の「出合い」と新鮮な「印象」を持つことを切望し、流れ、漂いたがっていたに違いない・・・・・。

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2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 木村貴一 2010-05-09T23:48:22+09:00
さぁ!さぁ!さぁ!さぁ! http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/05/post_291.html さぁ、ゴールデンウィークが始まり、木村工務店では5月2日(日)~5月5日(水)まで、休暇を頂戴しているのだけれど、なかには、休み中も動いている現場が一件だけあって、その現場監督と職人さんには、たいへん有り難くおもうと共に、こうして、休暇をとっている私事に、少々の気後れのようなものを感じていて、そんな訳で、「無事を事とする」という老子の言葉をまさに、いま思い出した。現場も遊びに出掛けた社員もそれに、これを読んでくれている方々や私も含めて、無事を最大の出来事としたゴールデンウィークであるように祈りたい・・・・。

そうそう、「私」は、まず、諏訪に行くことにした。それは、昨年のゴールデンウィークの北斎の旅の続きをしようと考えた訳であって、諏訪から甲州の北斎を辿って、箱根まで行こうと計画しているという訳。いやいや、実は、さしたる旅の目的があるわけでもなく、ほんとうのところは、ただただ「漂いたい」のだけれど、それとなく、旅としての、エエカッコをして、目的をひねりだしたというのが、本音だとおもう・・・・・。

それで、出発して間もなく、車中で、今度の旅行、どうおもう。と聞くと、奥方は「仕方なしにあなたのばかげたことに付き合うのが半分以上・・・。まぁ、楽しくないわけではない・・・けどね。」と、煮え切らん返事。息子は、「富士山が全然見えへん富士の旅やからな」と全く、的を得た応え。

013shinshusuwako そんな訳で、今回も、諏訪で描かれた北斎のこの光景の富士に出会える事がスタート地点だったのだけれど、いつものように、もはや「私の旅」では、富士山が見えるハズがないのだった・・・・・。

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ところが、こじつけで、行く事に決めた 諏訪の町では、7年に1度の「御柱祭」の真っ最中で、町が、独特のムードに包まれていた。それに、ちょうど、「里曳き」のその祭りに出くわし、これが、何ともいえない、活気と、おごそかな魅力があって、まさしく魅了されてしまった。移動はせず、その場から離れられなくなって、何だか、すっかり諏訪の町が好きになって・・・・・。

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「木」というもに対する敬畏。町ぐるみでの一致団結。木遣り、活気と静けさ。勇壮さ。荘厳さ。祭りというものの原点を見たような気がした・・・・。 「さぁ!さぁ!さぁ!さぁ!」という皆で発するその掛け声が、いまだに耳元に残っている・・・・・・。

祭りから、エエ活気をもらって、それなりに元気なのだけれど、体はたいへん疲れているような気配・・・・。そんなわけで、今日は、もう、ここらで、ぐっすりと寝たいとおもう。皆さん、エエ、ゴールデンウィークを!

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2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 木村貴一 2010-05-02T22:02:09+09:00
秘密基地 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/04/post_290.html 事の始まりは、生野警察から電話がかかってきて、おたくの自転車が保管されてあるので、取りに来て下さい。という電話だった。家の玄関の横に、自転車置き場があって、それは、オープンなのだけれど、家の中でもあって、そこに、鍵を掛けずに停めておいた、息子の自転車が盗難にあったのが、2週間ほど前の事。

それが、偶然、東部市場で放置されてあるのが見つかって、今日の朝10時に引き取りに来て下さいと警察に言われ、車で、息子と同乗して引き取りに行く。その担当の警察官は感じの良い人で、息子が書類に自筆で書き込む間、世間話をした。自転車を引き取るにも、印鑑とか、いろいろな手続きがそれなりに、面倒だな。とおもうけれど、まぁ、それもひとつの社会勉強でもあって、仕方の無いこと。

小路のそのあたりは、カーナビを取る空き巣とかが、頻繁に発生しているので、注意して下さい・・・・。なんていう会話。そういえば、本町で改修工事をするお施主さんは、家の前に、それも敷地内なのだけれど、一晩泊めておいたワゴン車が、朝起きると、消えてなくなっていた、その時の驚き・・・・が会話にあがった。

うちの廻りでも、この頃は、昔のように自転車で回っている警察官を見かけるようになってきて、亀有公園前派出所の両津勘吉さんのごとく、地域の界隈には派出所があって、自転車でまわる、地域の顔のような警察官がいるのは、安心感と共に「地域」とか「界隈」とか「街」とか「町」とかいわれる雰囲気をつくる、町には絶対的に必要な「役者」であるとおもう?。吉本新喜劇にも必ず、おもろい警官が登場する・・・・。

「事業仕分」けでは、両津勘吉のような人は、どうなるのだろう・・・・。そうそう、ある朝、洗濯された服類が、収納棚の、自分にとっては、違うとおもう場所に入っていたので、そのように奥方に伝えながら、軽やかに、「蓮舫」にうちに来てもらって指導してもらわなアカンな。というと、もし「蓮舫」が、うちに来たら、あなたが、一番最初に仕分けされるとおもうワー。と見事に突っ込まれる。でも、この頃の「蓮舫」さんは、少々優しそうになったような気がするけどね。と言うと、側で聞いていた息子から、何言ってんねん「仕分けの時代やで」と、息子にまで突っ込まれる始末。

自転車を引き取って、家に戻り、車を駐車場に入れて、そうそう、ゴールデンウィークがはじまるので、キャンピングカーの手入れと準備でもするか。とおもい、車を家の前まで乗り付けようとすると、偶然、道路で、親父に会う。ちょうどええワ。O議員の集会があって、そこに行くのに送ってくれ。というので、ワゴン車に乗っけて、送った。

その議員と桝添さんと二人の講演会のポスターが貼ってあって、そうそう、桝添さんは、新党を立ち上げたのだから、こういう講演は、どうなるのかね・・・と、混沌とした世の中を垣間見る・・・・。そもそも、政治の世界では、私は、どこに属すると「仕分け」されるのかと考えてみると、きっと、その動向が問題視されている、無党派層といわれるやつに「仕分け」されるのだろう。政治難民としての私の混迷は、まだまだ続きそう。こういう時にこそ、しっかりとした、政治理念のようなものが、必要なのかとおもうけれど、そもそもの、「理念」そのものを、考え直し、創造しようとする時でもあって・・・・?。いづれにしても、国民皆で、どう「協力」すれば、国は良くなるのかね・・・。

・・・・・・・・

理念で、おもいだしたけれど、月に一度、大工や手伝い職の人たちと、お好み焼きやたこ焼きを食べながら、パワーポイントを使って、ミィーティングをする。中には缶ビールを飲むものもいる・・・・。4日ほど前がその日だった。彼らの中で、社員の大工は一名で、それ以外は、社員ではなく、でも、仕事があるかぎり、うちの会社以外では、働きたがらない、人たち。

彼らは、彼らなりの職人としての、どこにも所属しない誇りと自由を持ちながら、技術と心意気で、木村工務店に仕えてくれる。私たちは、彼らに遊ばさないように仕事を提供できる事に一生懸命になり、その事に、少々だけれど誇りを持つ。そんな、昔ながらの関係性。それが、今の時代に相応しいのかどうか、わからないけれど、そんな心意気を持った職人さんたちとのミィーティング。

そこで、楽天の社是 1. 常に改善、常に前進 2. Professionalismの徹底 3. 仮説→実行→検証→仕組化 4. 顧客満足の最大化 5. スピード!!スピード!!スピード!! をパワーポイントの画面に写し出してみる。と、意外にも、大工という職人の姿勢に、ぴったりと当てはまるのだった。言葉の使い方は、全く違うけれど、昔からの、古参の人たちに、言われてきたような内容ともいえた。まぁ、「仕組化」が目新しいのかね。そして、それが、商売の秘訣かもしれないけれど・・・?。それはともかくとして、すんなりと聞き入る職人さん達の目に、「私」の方が、新鮮な驚きを感じ、大工という伝統的な職業に宿る「何か」を垣間見る思いがした・・・・・。

・・・・・・・・・

タイミングというのは、誰が決めるのだろう。「神」なのか。そんな、偶然の、いや必然なのか、こんな物事が重なったタイミングで、家の前に、ワゴン車を停車させると、このタイミングで、自転車に小学生が乗ってやってきた。駐車場をウロチョロしている。うちの前の道路は行き止まりで、その先は、会社の駐車場になっているのだけれど、そこの中で、友達を待ちながら、あたり見回している。吉本新喜劇的タイミング。

「何、してんのぉ」と聞く。モジモジしている。それで、その子の目をしっかり見ると、殺気だった目つきなわけでもなく、反抗的な目つきでもなく、困惑した目つき。こちらも、柔らかく問い詰める・・・・と、駐車場とうちの家の横の路地に、するすると自ら入っていった。

路地を見ると、驚いたことに、子供達の「秘密基地」を発見したのだった。

駐車場に置かれてあった、ブロックやコンクリートの平板を、それなりの重さがあるのに、運び込んで、それに家から椅子や、漫画の本や、黄色い色のケースや、緑や青の絵柄のシートなどを持ち込んで、子供達の「基地」を造っていたのだった。路地の敷地の所有者としては、驚きと、怒りが、一瞬持ち上がった・・・。が、子供達の悪気のなさそうな、その雰囲気が、それを消滅させる・・・・。

暫くして、数人の子供達が集まってきてた。建築に携わる「私」としては、その秘密基地が素敵に見えた。「秘密基地」をつくろうと考えた子供達。それも、とりあえず、実行する子供達。自分たちで、モノを持ち寄って、重いモノを運んで、何かを創造しようとするその姿勢は嬉しい。おそらく、もう少し、時間があると、「屋根」を造り、もっと建築的になっていったのだろう・・・・。きっと数日間のわくわくする秘密の時間。

IMG_0677でも、敷地の所有者としては、他人の敷地に入る事や、他人のモノを持ち込む事。安全性。などなど社会のルール。・・・。子供達は素直に、悪びれる様子もなく、皆で、元の場所にブロックを戻し、持ち込んだモノは自転車やキックボードに積み込んで、帰っていた。帰り際に、ひとりが、振り返って、「スミマセンでした」と子供らしい大きな声で叫ぶ。

私も小さいときは、路地で、遊んだものだ。かくれんぼぽこぺん、などなどをしながら、あちらこちらの路地を隠れ場にしながら、遊んだ。今から思えば、他人の敷地であり、共用の空間でもあった路地・・・・・。

様々な因果関係が重なり、タイミング良く「秘密基地」を発見した「私」。そして、「秘密基地」を「消滅」させた「私」。その「秘密基地」は、大人になって久しい「私」に向かって、「まち」や「子供」にどんな「理念」を持つのが良いのかね・・・と、問いかけるのだった。

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木村貴一 2010-04-25T16:11:04+09:00
551の豚まんでエエんとちゃう。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/04/post_289.html 朝、起きて、急に思い立って、家族を起こし、スーパ銭湯に行くことにした。女湯はガラガラだというが、男湯は、けっこういっぱいで、おじさんばかり。もちろん、「私」も、もはや、そのおじさんのひとりになってしまったのが、少々寂しい限り。中学生の息子が、ひとり場違いな感じで露天風呂に入りながら、お気に入りの、関口宏の番組で、「カツ!」と叫ぶやつを見ていた。私はサウナと水風呂で汗を流しながら、「カツ!」という叫び声が時折聞こえてくると、自分の筋肉がだれてきているのを、「カツ!」されてるように、聞こえた・・・・・。

モーニングのスクランブルエッグと珈琲をそこで食べて、帰りがけに、おばあちゃんのお見舞いに病院に立ち寄る。90歳を超えて、入院している、その姿を見ると、自分自信の「老い」を、どのように生きていけばよいのだろうかと、暫し考えさせられる・・・・・。

家に戻り、さて、どうしようかと、思うまもなく、ミナミへ散歩がてら出掛け、息子のスポーツシューズを買って、本屋さんにでも行って、お昼でも軽く食べ、早い時間に家に帰ろ。という事になる。それで、日曜日の地下鉄に乗る。そう言えば、2週間ほど前に、目神山にお花見に出掛けた時は、千日前線の地下鉄小路駅から難波。難波から御堂筋線で梅田に出て、次は阪急神戸線で、夙川まで行って、そこで、阪急甲陽線に乗り換えて、甲陽園駅まで行った。電車に乗り換える度に、乗客が、どんどん上品になっていくような気がして・・・・というのを座席で、イヤホンから流れてきたマイルスを聴きながら、思い出し笑い・・・・・。

IMG_0639 スポタカに行くのに御堂筋を歩くと、クラシックカーの走行フェスティバルをしていて、何もわからないままに、突然、旗を手渡される。まったく縁もゆかりもない、クラシックカーに向かって旗を振ると、クラシックカーに乗る、服装までバッチリと決めたダンディーな人たちから、手を振り返してくれた。というか、とっても滑稽で、コミカルなシチュエーションだったかもしれない・・・・。その上、その背後から「竹島返せ」というシュプレヒコールをした宣伝カーが、何台も通っていくのが、今の日本の世情というやつなんだろう・・・・ね。。

学生の頃からあるスポタカが、息子の世代にもあるというのは、企業として、エエなぁ・・・とおもう。若いカップルがデートがてら商品を眺めているのを見ると、かつては、私たちもあんな感じだったのだろうかね。そして、今は、息子と一緒に来ているという、このシチュエーションに時代の流れが感じられて、不思議な感覚でもある。今の私の立場としては、そんな持続可能な企業となりたいものだ・・・・。

DSC05415 そのあと、スタンダードブックストアーに行く。別に、本を買う目的があったわけでもないが、本の選択と並べ方に、個性があって、時として刺激になる。

「ブルータスの博物館ラブ」というバックナンバーを買ってしまう。5月の連休にでも行って見たいな・・・と、思えてきて、何となく買った。かつては、万博の国立民族博物館の会員になっていた時期もあったのだが、もう何年も行っていない事に気が付いた。それに紙面の中にもあったけれど、確かに、たまには、「縄文のアイドルに会いたい」

東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史編 を買う。それが、数年前の事。うちの長男のルームメイトが、T大学生で、まったくジャズを知らない彼は、そのジャズ講義を聴いて、メチャクチャ面白かったと言い、それにモグリの学生の方が多くて300人近くも聴いているのだと聞かされていた。それを聞いて、長男がモグリで受講したらしい。やっぱり、実際に曲も流れて、メチャクチャ面白かった。と絶賛していた。何だか、T大学の凄さを垣間見たおもいがした。それが、文庫本になって売っているのに偶然出会ったのだ。それで、迷わず買う。

1959年は私の生まれた年であり、ジャズではコードからモードへと、大きな変革があった年であって、その年の前後あたりから1964年前後ぐらいまでの、マイルスやコルトレーンやミンガスやエバンスやその他・・・を繰り返し聞く事が、確かに多い。私のジャスのアイドルでもあって、もちろん、電化されたマイルスも充分受け入れる事が出来るし、好きでもある。それとは別に、ボブマリーだって、アイドルだったし、ニールヤングとか、ザバンドとか、ウエストコーストの数々にもアイドルが沢山いたし、ストーンズとか、クラプトンとか、ハードロックやプログレなんかにも思い出の曲が沢山ある。

輸入盤をよく買いに行ったものだ。何枚もの重ねられたLPレコードを手でリズム良くトントンとトントンとめくって見ていく、あの感覚が懐かしい・・・・・。「音楽を聴く」事から学んだ事も多い・・・。まぁ、その話は、きりがないのでまた何時か・・・・。

その本を家に帰って読み出すと、止まらなかった。ついつい読み進んで、ブログを書き出すタイミングを逃してしまい、今日も「締め切り」が迫ったこんな状態という訳。その本には「コード」の事や「モード」の事など実に分かり易く講義されいて、まだまだ理解していなかった事がいっぱいあったのだなぁ・・・・と、あらためて気付かされる。そう言えば、前回の野池学校の3次回でも、noikeさんと、そんな会話をしたのだ。どちらかと言えば、小さな工務店というのはジャズ的であって、「コード」から「モード」へなんて話だったけ・・・。

そうそう、本屋さんを出てから、道頓堀の前に出来た、H&Mを「見学」した。以前に建っていた、高松伸のキリンプラザがあれば・・・ともおもうが、確かに、「中」は使いづらそうだった。けど、道頓堀に独特の景観と魅力を放っていて、無くなったら、無くなったで、やっぱり寂しくおもう・・・・。

DSC05407 それで言えば、黒川紀章のソニープラザがないのも寂しくおもうし、村野藤吾の歌舞伎座だって、好き嫌いは別にして、あんな建築、二度と出来ないと思う。それも解体されるのだ。「効率の良さ」というのも難しいテーマだな。

IMG_0644 道頓堀を通過して、インデアンカレーで、カレーを食べる。相変わらずの辛さと独特の味で、たまに食べると、美味しい。息子はヒーヒーと唸っていた。丸福の珈琲でもとおもったが、何だか、早く家に帰りたくなってきたので、すぐ向かいのアラビア珈琲で買ってきた本を眺めながら珈琲飲んで、地下鉄の駅に向かう。

DSC05405 今日の夜は、簡単に、551の豚まんで、ええのとちゃぅ。というのが、大阪人のよくあるパターンかどうか知らないが、地下鉄に乗る前に、本店で、豚まんを買う。そんな訳で、帰りの地下鉄で、奥方の横に座ると、豚まんのにおいが、ぷんぷんとしていたのだ・・・・・。

3時過ぎには家に帰りついて、買ってきた本を読み始め、豚まん食べながらサザエさんを見、龍馬伝を見、ブログ。そして、ようやく、これから寝ることにしようとおもう。明日もエエ1日でありますように・・・・。

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木村貴一 2010-04-18T23:57:55+09:00
山笑う http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/04/post_288.html 「山笑う」というのは春の季語だという。「春が近づき山々の木々が芽吹き、陽を浴び緑の葉を広げ、花が開く。この情景のように山が微笑みを浮かべることをいう。・・・」「故郷や どちらを見ても 山笑う --子規--」というのが「歳時記カレンダー」に書いてあって、これを読んだのは、例の便所。最近は便所で雑学をする日々なのだ。

奈良に行く所要があり、 阪神高速から第二阪奈のトンネルに入る手前で、生駒山が、くっきりと見えた。所々に、山桜が咲いている様子が、「山笑う」を連想させて、おもわず顔がほころんでくる・・・・。奈良公園のあたりを抜ける。桜が満開で、歩道を歩く人たちの顔が、うきうきした顔に見えて、こちらも、うきうきした気分を頂く・・・・・。

転害門」の前を通過する。女性がひとり、門の前に立ち、門越しに桜を眺める光景に情緒があって、このまま車を止めて、私も佇んで眺めてみたいと迷わせる雰囲気。門に興味を持ったのか、桜に興味を持ったのか、女性に興味を持ったのか、脳の中は、いつもながら、不可思議だとおもう。

IMG_0607 今まで、何十回も、この門の前を通過しているのだが、いつも、不思議な気持ちにさせられる。それが、なぜなのかわからなかった。帰り道が渋滞し、門の前で車が停車したので、iphoneで撮影し、その画像を眺めてようやく気が付いた。東大寺というお寺の門なのに、しめ縄が飾ってあるのだ。・・・・不思議。そして興味深い。

柳生の方面へ向かう。遠景として見える、東大寺の裏の「立面」を見ながら、その背景の山にパラパラと咲く山桜と新緑を眺めると、やっぱり「山笑う」を連想させて、おもわず、キレイやな。と車中で、つぶやいた・・・・・。

山間のくねえくねした道を何度もターンすると、柳生の里が、独特の雰囲気で開けて、なぜか、「日本」を想う。その家々と山々に、新緑と桜が点在し、これこそ「山笑う」だな。と「目」が喜んでいて、車速が一気におちた。道路から車輪がはみ出しそうになりながらキョロキョロしていると、運悪く後続車が来たので、後ろ髪が引かれる思いで、そのまま通過・・・・。

IMG_0603 里と山と道が織りなす、「日本的」を走ると、小さな川沿いになって、川と満開の桜という、あちらこちらの日本でみられる、いわゆる日本らしい光景が、やっぱり、ここにもあって、ここはここなりに見事だな・・・・と見惚れた。そのピンク色の桜と桜の隙間に古民家が見え、勾配のきつい三角屋根の黒。漆喰の白。その背景の山のグリーンと前景の土手のグリーン。そのコントラストが美しく、停車して、運転席から、フロントガラス越しに、iphoneで撮影をこころみたものの、その感じ、伝わるかねぇ・・・・。

こんな山間の家々が、日本の光景の一部であるのだけれど、そんな光景の一部として、許されるような家々や工場や倉庫を、私たち現代の工務店か造っているのかねと、問われれば、少々辛い立場かもしれない。工務店という立場で、山と里と建物を眺めると、近代の工務店としての考え方や在り方を反省せざるおえないなぁ・・・・・とおもう。

それにしても、そんなことに関係なく、確かに、山は笑っているように見えたのだ。

ツイッター上のスターのひとりにソフトバンクの孫さんがいて、最近のツイートに「春の新芽を見た時、厳しい冬の後の喜びを実感す。時代は新芽を求めている。」と書かれてあった。それを読んで、私の脳は、またも「山笑う」を連想した。

うちの庭では、桜が葉桜になって、ピンクより緑の割合が増えた。ジューンベリーが白い花をほんの数日間だけ咲かす。その花の上をモンシロチョウが飛んでいて、今年初めての蝶々をみる。ハナミズキのつぼみが花になろうとしている。春のつぼみや新芽。少々センチメンタルだけれど、木村工務店も時代が求める新芽となれますように・・・と願う。

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「山笑う」ように、ものづくりに関わる皆と一緒に笑いたいものだね・・・・・。

追伸
そうそう、川沿いの桜を今年は車で通過しながら、あちらこちらで見たけれど、コンクリートの護岸工事のされていない、川沿いの桜に、より、情緒があることに、先ほど気が付いた。そんな護岸のない川を守りたいね・・・・。

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木村貴一 2010-04-11T14:02:29+09:00
お花見 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/04/post_287.html 地下鉄 小路駅に、午後11時過ぎに着いて、地上に上がる。すぐ前に、たこ焼き屋さんがあって、そのたこ焼き屋さんのおばちゃんが、店じまいの片付けをしていた。

「お帰り」「只今」「こんな遅くまでどこ行ってたん」「お花見」「そうそうおかあちゃんは(うちの奥方のことだけれど)さっき東京から帰ってきて、たこ焼き買って帰ったでぇ」「そうなん、今日は、別行動やったから」と、ちょっとした、うちの関所。そんな会話を残像のごとく、声だけを残して、通り過ぎると、後から声が聞こえてきて、「○○○○おめでとう!」と声が飛んでくる。それを聞いて、後を振り返り、「どうなるかわかれへんけど、ありがとう!」と片手をあげて応え、その暖かい言葉に、ニコニコしながら、小走りに家へ急ぐ。

そんな訳で、今日は、目神山で、お花見をする。そのお花見と2次会が、あまりにも居心地が良かったので、ついつい長居をしてしまい、ブログを書く事を忘れる。いやいや、正確には、心の中で葛藤はあって、「はやく帰ったほうがエエでぇ・・・」と、「私」はつぶやいていたが、もうひとりの「私」は、「その居心地の良さと、はずむ会話に身を任せようよ!」と、つぶやいていた。まぁ、そんな訳で、日曜日に更新するという、ゲームのような勝手な決まりは、超法規的措置で、ここらで更新・・・・。

続く・・・・午前0時をまわり・・・

印象的なお花見の宴は何度かあって、学生の頃だったか、東京の友人宅に遊びに行って、国立駅前の広い道路の歩道の様なところでしたお花見の宴。堺の兒山家という文化財の広いお庭でしたお花見の宴。25年前に買ったほんの小さなしだれ桜がようやく、しだれ桜らしくなって、社員や職人さんと一緒に、会長宅の庭でした最初のお花見の宴。そして、今日の目神山のお花見の宴。

DSC00922今年は、冷たくて、雨の多い、とっても不順な天候。その合間をぬって、満開少し前だったけれど、会社の花見を催す。もちろん、「宴会」が社員や職人さん達の潤滑剤のような役目をしてくれることや、桜という自然を愛する気持ちを持つことなども大切だけれど、そのための段取りとか、片付けを体験する事は、現場監督として、しっかりと学ぶべき事だ。とおもう・・・・・。

そうそう、それで、今日のお花見。目神山の住人の建築家のI井さん夫婦からのお誘いで、建築家のヤベッチさん夫婦、K藤設計ご夫婦とスタッフ、S倉事務所の面々。それにうちで、施工した、二組のお施主さんが集合し、目神山の「回帰草庵」から歩いて、グランドの土手沿いの「大御所」がお気に入りだったという場所で花見の宴をする。

満開で、そのうえとっても良い日和りであって、気分がうきうき。それに、出発前に、メールをチエックすると、昨年リフォームしたお施主さんから、リフォームをしたばかりなのに転勤の指令が出てというメールがあり、「大好きなこの家としばらくお別れですが、また三年後帰ってこれるように頑張ってきます! 素敵な家を作って頂き本当にありがとうございました。」なんていう、リフォームをした家の窓から見える、桜の写真が添付された携帯メールを送って頂いた。それが、嬉しかった事も、今日のお花見に影響していたのだろう・・・・。

宴もひとしきり盛り上がり、廻りの花見の宴を楽しむ姿もなくなり、太陽も沈みそうになって、桜や眼下に見える街や海を眺めて歩きながら、二次会の「回帰草庵」へ向かう。何度か拝見しているのだけれど、行く度に、建築的な何かを発見する。丸太による力強くて、どことなくモダンな木組み。「ちり」の処理。高さ関係。外部の納まり。何よりも、「外」との関わり方。などなど。やっぱり、名建築だ。とあらためておもう。

暖炉の火の側で、長々と話をしているうちに気が付いたら午後10時を回っていた。それほど、居心地が良かった。建築的な話も大いにあり、建築家の設計による家づくりという話題もあり、施主さんからのメンテ依頼の件に関する柔らかいお言葉による反省事項もあり、それに、設計のヤベッチさんによる、「119番に電話をするのを間違って、1192番に電話をすると、鎌倉幕府に電話がかかるでぇ・・・」なんていう、たわいもない話で盛り上がったのも、きっと、お酒と、この何とも言えない空間の御陰。

そうそう、何よりも、共感したのは、帰り際の、「贅沢な時間だったなぁ・・・」という何人かの人たちのつぶやき。とにもかくにも感謝です。

追伸ながら、帰りの電車で、K藤事務所の若いスタッフが横に座り、彼が、「30半ばですか?」「いやいや50越えてます。」「えぇぇぇ」と、つぶやいたその事実を、家で熱いお茶を飲みながら、奥方に伝えると、「そんなアホなぁ・・・」「冗談もはなはだしい・・・・」「ちゃんちゃらおかしい・・・・」と大笑いしながら吉本新喜劇ばりに、何度も突っ込んでくれた事は、記録として残しておこうとおもう。

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木村貴一 2010-04-04T23:53:45+09:00
LED http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/03/post_286.html 息子と二人でスキーに行って、それなりの渋滞を運転し、家に帰りつく。荷物を降ろして、車を車庫に入れ、我慢していたので、便所に直行する。ほっと一息つこうとすると、ドカドカと奥方が、便所にやってきて、照明器具を交換してぇ。という。確かに、便所の電球が切れていた。白熱球で、ダウンライトなのだけれど、25年前の硝子のカバーが付いている、取り外しが、少々、複雑なやつ。確かに交換しにくい。

便座の上に上がって、ゴチャゴチャ、やりにくいカバーを取り外して、交換する。・・・・と、突然、何だか、急に、腹が立ってきた。岐阜から、250キロほどを、休憩もせず、一気に走って帰ってきて、それなりの渋滞もあり、それに、50を越えて、中学生の息子に付き合うと、体力的にも、きついものがあって、日頃の運動不足と、筋肉の退化をひしひしてと、節々に感じながら運転をしている訳であって。

まずは、お帰り。ビールでも。息子のためにご苦労さん。なんてやさしい言葉の第一声でもエエわけで、それが、その第一声が、「便所の電気交換してぇ!」というのは如何なもの。と、憤っている「私」がそこに居て、いやいや、大人げない、ここは、男らしく、黙って、スキーと運転の疲れなどみじんもみせず、電球など、ハイハイと、いとも簡単に交換する「私」でしょぉ。なんていう、微妙な「私」のシーソーゲームが、脳裏で葛藤し、それが、ちょっとした自己想起のなさで、腹立たしさに傾てしまったのは、便座から立ち上がる時に、筋肉が悲鳴をあげていたせいなのだ。と言い訳しておきたい。

それよりも、何よりも、便所の電球は絶対、超長寿命のLEDにするのだ。と誓う。もう二度と交換しないのだ。それにしても、今度、そのLED電球を交換する時、「私」はどうなっているのだろうか。おそらく、きっと、スキーはしていないだろう・・・。私は此の世に存在しているのだろうか・・・。奥方は・・・・。息子達はどうしているのだろう・・・。なんて事を考えると、LEDの光が、もの悲しい、不死身の光に想えてくるねぇ・・・。やっぱり、ほんのり暖かい、生と死の存在を感じさせる光。そんな光を放つ白熱球にして、便座に上って交換する役割は「私」という事にして頂いた方が、省エネ以上の価値かあるのかも。しれへん。

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木村貴一 2010-03-28T19:41:44+09:00
春一番 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/03/post_285.html 春一番がふきあれて、空に黄砂が覆う。太陽が月のように見え、時折、猛烈な風が音をたてて吹き抜けていく。天候がそうさせるのか、家に籠もって、な~にもしたくない気分。それで、便座に座る。こういう時の、「便所」は、エエ。

いつか、書いたけれど、会社の2階の男子便所の便器に座ると、目の前には、ゴッホの「種をまく人」の絵があって、仕事の「間」を兼ねて、その便座に座り、あの黄色い太陽と種をまく人の姿を見ると、元気が出る。

加工場にある便所は、唯一のいわゆる、「いっけつべんき」と呼ばれている、和風大便器で、小も大もできる、昔風の、例のモノ。その便器に、あのオーソドックスな座り方をすると、目の前に鏡があって、自分の顔と対面し、驚く。立って、小を、致すと、目の前に、鏡越しの、自分自身の存在が飛び込んできて、それは、それは、なんとも不思議な気持ちになる。たまに、自分自身と遭遇するために、その便所を使う・・・・。

いま、家の便所の便座に座ると、奥方が、息子のためか、誰のためか、わら半紙に印刷された、学校の資料が、ところ狭しと貼り付けてあって、これはこれで、一種独特のムード。流石に、家族だけが使って、お客さんが来たときは、すっきりした便所の方を使ってもらう。いま、そのごちゃごちゃした紙が宿る便所の便座に座る。

その左横の窓下に貼ってある、紙に、目をやると、サラリーマン川柳の歴代のベスト3が、書いてあって、第20回の第2位「このオレに あたたかいのは 便座だけ」を便座に座りながら読んでいる自分の事をおかしくおもいつつ、ニヤニヤする。

第18回第一位「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」そうそう、うちの家でも、うちの奥方は、オレオレ詐欺にひかかっていて、まぁ、それは、つまり、東京に下宿する息子から電話がかかると、やっぱり、「オレオレ」からはじまり、つまるところ、なんだかんだ言って、「いま、手持ちが、100円になって・・・云々」「振り込んで欲しい・・・云々」。

そんな訳で、あぁ、また、オレオレ詐欺に引っ掛かってしまったワ・・・と嘆きつつ、振り込む奥方。流石に、私には、電話がかからない。老人と、母を狙い撃ちにするあたり、これは、やっぱり一種のオレオレ詐欺なのだ。と暖かい便座に座りながら、にやつく。

第22回第二位「久しぶり ハローワークで 同窓会」を外に吹き荒れる、春一番の、ごぉーという、うなる音を聞きながら、私もうなる。第三位「僕の嫁 国産なのに 毒がある」を読みながら、ニタニタ。ところが、脳は不思議だな、先週、お邪魔したお宅の信州唐松の床板材を唐突に、思い浮かべる。わが社で使っている、柱や梁や、板材などの国産材を思い浮かべたりするのは、やっぱり、職業病というやつかね。

そうそう、先週末、三年前に、お引き渡しをした、お施主さんのお宅に招待して頂く。大工さんや現場監督や設計担当者や見積担当者や私や・・・。建築中のエピソードなどを語り合ったりしながら、食事を頂戴する。

国産唐松の節在りの床材を大阪ガスの温水床暖房の上に使っていて、もちろん、保証外なのだけれど、ほんの少々は目地が開きぎみのところがあるものの、ほとんど気にならないレベル。何よりも、奥さんとご主人が、「ぬか袋」で、三年間、丹念に床を磨いているので、独特の光沢と質感になっているのが、何よりも一番嬉しかったこと。

間口が3mで奥行きが15m以上あって、細長い木造の3階建てで、階段室が家の中央にあって、その階段室の一部が、越屋根として屋根の上に突き抜けていて、そこから光と風を取り入れ、取り出すようになっている。ちょっとしたパッシブデザイン。細いがゆえに、写真がうまく撮れなくて、この家の良さを表現しきれなかったので、ホームページの施工例に、載っけていないのが、残念。

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施主曰く、「ぬかを綿の袋に詰めて、電子レンジでチンするとええのよぉ」。「越屋根から、朝日や夕日が入り込んできて、明るい。それに風がすぅーっと抜けたり、入ってきたりして気持ちがエエね」「今までは、お客さんを呼べなかったけど、今は、いっぱい呼んでいて、交換留学生も招いて、来年も招こうとおもう。狭いけれど、日本的な家であるとおもうし・・・・」

なんていう施主の生活の知恵や住まい感。その他、沢山の施主の方々が、それぞれの個性にあわせて、造り、住んでいる、その「住まう」様子や知恵、小物のセンスや買ったところを、ホームページ上で、何とか伝えられないものかね。と便座で模索する。 勿論、今後のカイゼンのための宿題を頂戴した事も、便座のあたたかさが思い起こさせた。

そんな雑多な事が、あったかい便座の上で、駆け抜ける。それにしても、外は、まだ、春一番が音をたてて、ふいている・・・・。

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木村貴一 2010-03-21T13:16:22+09:00
共有 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/03/post_284.html 「ツイッター」というのが、話題になり、それが、面白いのかどうか。特に「企業」で書くツイッターというものが、必要なのかどうなのか。それに、匿名でツイートするのか、名前を明記するのか。

ちょうど、ソフトバンクの無料キャンペーンにのかって、社員の携帯をドコモから、iphoneに変えた事もあり、そんな事を思い悩むより、とにかく、「皆」で、ツイートしてみよう。という事にした。やってみると、「社風」のようなものが、見え隠れしてくる・・・。それが、廻りの人にとって、面白いのかどうかは、まっこと、判断しにくい・・・・・。(龍馬風)

それに、会社のツイートと個人のツイートの関係はどうすれば・・・。なんて事もよくわからないまま、とにかく木村工務店の社員として、つぶやいてみようと、呼びかけてみる。できるだけ、読む人の心もポジティブになるようなつぶやきの方が望ましいかも・・・・と。

2週間ほどの間に、7人で、90ツイートほどした。そんな中で、ちょっとした事件が起きる。社員のひとりが、個人としてのツイッターを登録しよううとして、登録してみる。でも、やっぱり個人の登録は消そう。と考えたらしい・・・?。それで、登録を「Delete」

ところが、木村工務店のツイッター「kimuko_」の方を間違って、消した。ようだ。次の日の朝。「kimuko_」の存在が消えてなくなっていた・・。どこにも見あたらない・・・。フォローの中にも、忽然と姿を消していた・・・・。「101」のツイートが消えた。「共有」というものの、怖~い一面を垣間見る。

それでも、「共有」という考え方や感覚が好きだ。建築に携われば携わるほど、建築は、ひとりで造るモノではなく、多くの人の力や意識が合わさって、「共有」されて、出来上がる「建築」なのだ。と、ひしひしと実感する。大工さんや左官屋さんや、水道屋さんや、電気屋さんやその他大勢の職人さんの事は想像通りだが、社内でも、設計担当者や見積担当者や現場監督。総務の担当者も、事務所の中でかなりのフォローをするし、他にも沢山の担当者が・・・・・、それに「私」だって。そう、誰よりもお施主さんだね。

コンピューターを社内数人で使い出した当初から、「サイボウズ」というスケジュールなどを「共有」するグループウェアなるものを導入していて、IT企業として、四国からどんどん発展成長し、上場する過程を、凄いなと眺めながら、長らく「愛用」している。

そんな訳で、スケジュールを共有する事で、「私」のスケジュールの3分の2以上は、社員が決めている。どこそこの設計打ち合わせ、どこそこの現場打ち合わせ、社内の何々・・・、初来社のお客さん・・・、現地調査・・・・、などなど、空いている時間を見計らって、皆が、登録していく。

現場報告という掲示板もあって、そこには、毎日の現場の人工数や、現場写真や、打ち合わせ内容や、施主のメール等が報告され「皆で共有」する。その他工程表や電話帳やいろいろ。「もうひとつの木村工務店」なのかもしれない。

リフォーム工事など、「ひとり」の担当者が、最初から最後まで、面倒をみると、施主とのコミュニケーションや業者さんとのコミュニケーション等に、一貫性があって、ミスが少なくて、円滑に行く。私もそうやって、若い時に、「ひとり」で設計から見積から現場監督から全てをこなしたリフォームや新築もある。

ところが、「ひとり」でやれる「建築」のレベルには限界もたくさんあって、ついつい、保守的になり、無難にこなそうとしてしまう。「イエス」より「ノー」の数も増えがち。4年に1度ほど、オリンピックのように挑戦的な時があるぐらい・・・・・。

今、木村工務店では、新築もリフォームも、専門職としての役割分担をしながら、その家への意識や、施主、社員、業者とのコミュニケーション、スケジュールの「共有」をサイボウズに依存しながら、行っている。「ものづくり」の過程で起こるコミュニケーションの円滑化と共有化を試行錯誤する事で、誠実で密度の濃い建築を志す。

そんな、「共有」の一環として、「iphone」と「twitter」で「つぶやき」を社員で「共有」してみようよ!!といのが、一連の流れであった。それで、つぶやき、そして、出来事・・。

けど、失敗を活かせればとおもう。気を取り直して、今までの101のツイートは「season1」として、過ぎ去る。「season2」は社内での「ぼやき」として、非公開?。細々と継続するのかどうか。そして、改めて「season3」として「kimuko_3」の「つぶやき」として、木村工務店の3代目として、リスタートです。

それでは、龍馬でもみるかね。

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木村貴一 2010-03-14T20:06:42+09:00
祈り http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/03/post_283.html 雨。いまも、だらだらと降り続いている・・・・。
そうそう、以前、てるてる坊主を見たのは、何時のことだろうか・・・・。

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今週、不順な天候の中で、木造2階建て住宅の上棟があって、天気予報というのは、有り難い訳で、雨が降るよ。と予報していてくれているのであって、それが、今回は、吉野杉の化粧材を使うので、雨に濡れるのは、かなり、まずい。

弊社の会長が、加工場で、その吉野杉を手加工をしている状況を眺め、「あの杉はな、雨に濡れると、なかなか、その「しみ」がとれへん杉やから、雨降ったら、建て方は止めて、上棟式は、ずらさな、あかんで」と、めずらしくも、わざわざ忠告に来てくれた。

そんな事もあって、大工や現場監督や設計者、それにお施主さんとも相談し、雨降ったら、どうしようかと悩む。止めようか?

ところが、日本の伝統文化の中に「上棟式」というのがあって、それは、「ものづくり」という、その「過程」を苦労し、楽しみ、祝福するのであれば、とっても素敵な文化であるとおもうのだけれど、その宴のために、わざわざ施主の皆さんが、食べ物や飲み物を用意して下さるわけで、その時、もし、雨で、木組みが、何にも出来ていなかったら、いわゆる、しゃれになれへん。もし、中止したら、食べ物どうするねん。って事に。

天気予報は、くもりのち雨。建てだして、完成するまでに、途中で雨が降るのが、もっとも辛いパターンで、化粧の杉はだいなしになり、何よりも、上棟式という祝宴はどうなるのぉ。用意した食べ物と飲み物は・・・・。木組みが出来ていないのに、式だけするのも、ちょっと、間抜け。

だいたい、曇りのち雨と言われても、朝曇って、朝のうちに雨が降り出しても、曇りのち雨。朝曇っていて、夜になってから雨になっても、曇りのち雨。今は、雨の降る時間まで、正確に知る事が出来るんでしたっけ・・・・・・。

そんな状況の中で、施主のお父さんが、「とにかく、まぁ、やろうや!」と、言ってはるでぇ・・・。と伝え聞くと、天気予報をあてにするよりも、その勢いとカンを頼りにしたほうが、確かにエエ時もたまにはあって、その時はなぜか、皆が、「ほんだら、やってみよか」と、心底、そうおもった。

その日の朝は、曇り。いや、晴れ間さえも見えている。な~んや、天気予報! ってつぶやく。大工や鳶や現場監督が、早朝から勢いよく会社を飛び出して行くのを見送った。ところが、最近の天気予報は、それなりに当たる。午後3時頃、確かに、雲行きが怪しくなり、雨がポツリポツリ、そのうち本格的に・・・。それで、心配して、現場に電話をする。

「いやぁ、何とか、養生できるまで、ぎりぎり間に合いました・・・・」と、嬉しそうな返事が返ってくると、こちらも嬉しくなってきて、現場に到着し、現場の前に立って、そのラッピングされた木組みを見れば、職人さんたちの皆の努力が感じられて、とっても嬉しい。それに、自らの手で、文字通りの、手加工をし、雨に濡れずに無事上棟できた、大工のF野と通称ワンダーの、その笑顔をがとっても素敵。

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そんな訳で、これは、棟梁F野の日頃の行いが良かったからだ。いやいや、現場監督F川の日頃の行いが良いからだ。いやいや、それとも、設計T中の行いが良いからなのだ。いやいや、何と言っても、木村工務店の「私」の日頃の行いが良いからだ。などと、自分を自慢し合いながら、意気揚々と上棟式に赴くと、足場にひっそりと、てるてる坊主がぶら下げてあった。

達筆で、何とも、心のこもった、てるてる坊主。それをじっくりと眺めると、何よりも何よりも、施主の「祈り」の御陰だったのだなぁと、気付く。今までも、施主の方々の誰もが、上棟の無事を祈ってくれていたのだ。と、今更ながらの感謝です。

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木村貴一 2010-03-07T21:21:51+09:00
つぶやく http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/02/post_282.html 氷上を腰を屈めて滑りながら、カーリングをする女性の顔が、ま正面から写し出される、あの「映像」が、何ともカッコエエとおもうし、その表情が、特にその目が、とっても凛々しくて、しびれるぅーー。でも、試合のルールは、いまいち、把握出来ていない。

キムヨナがインタビューで、「金メダルは神様が決める。自分にはどんな結果も受け入れる用意がある・・・」というようなニュアンスの言葉を語り、浅田真央は、「金メダルが欲しい。けれど、・・・・、」というような言葉を語った。結果はともあれ、キムヨナの言葉が、とっても、印象的だった・・・・・。

今朝の枕元で、女子の団体スケートの追い越しとやらが、コンマ何秒かで、銀で、・・・、と騒いでいるので、テレビ映像を見ると、何だか、とっても不思議な競技で、誰がこんなの考えたのかね・・・・。

スキー板を付けて、バームクーヘンが割れた様なジャンプ台から飛び出して、クルクルと何回転もする競技は、こちらの目が回ってしまいそうで、とっても不思議な感覚。人間の持つ身体能力の不思議さを感じる・・・・。そうそう、女子アイスホッケーの、カナダとアメリカの女性の肉弾戦も、迫力があって、それにシュートを放つ、女性の顔が、勇ましくて、とってもキュート。

こうして、書くと、冬期オリンピックで、印象に残ったのは、女性ばかり・・・。凛々しいとか、勇ましいという言葉は女性に使う言葉だったけ。それにしても、オリンピックの女性が、カッコエエね。いや、凄いねぇ・・・・・・。なんて言う、「つぶやき」を書き込むのが「twitter」というらしい。

昨年の秋、長男から、「twitter」がオモロイでぇ。と、聞いていて、お正月に、教えてもらい、一月末に「木村工務店の公式twitter」なるものを、ひそやかに、やろうとしていたのだけれど、未だに、よく、理解していないわけであり、何だかよくわからないままで、まぁ、でも、兎に角、やってみよう! ということで、これからは木村工務店の私と社員が、公式に? iphoneから「つぶやく」予定なのであります・・・。

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そうそう、「つぶやき」ついでに、長ったらしく、「つぶやく」・・・と、高速道路の無料化が、社会全体にとって、エエのかどうか、「私」には、判断は出来ないけれど、個人的には、「車」で旅するのが、好きで、「車中泊」とやらも、快適とはいいがたいものの、独特の楽しさがあって、それなりに、病みつきになってしまう。それで、無料化になれば、今まで以上に車中泊をしながら、旅したい。そんな偏った立場では、無料化は嬉しい。

それよりも、なによりも、この週、淡路島まで行く所要があって、まだ、工事をするわけではないのだけれど、行ってみると、意外に、近い。大阪の生野区の小路から車で、1時間30分ほど。高速道路が無料で、淡路大橋という世界的な日本の土木技術が、無料で提供されるなら、通いで、海を越えて、仕事が出来るかも。

木村工務店は、いわゆる地域工務店であって、東京では、仕事ができないけれど、それは、自分たちと、呼吸の通じ合う職人集団のほとんどが、大阪や神戸や奈良や京都なわけで、その、親しい職人さん達が、1時間内外で、まぁ、1時間30分ぐらいまでで、通える距離ならば、それに高速代金という経費が、最小限ですみ、木村工務店を求めてくれるお客さんが、いらっしゃるのであれば、可能な限り、「距離」を超えて、家づくりをしたいとおもう。そこそこの遠距離恋愛オッケーで、「近い」よりも「合う」を選択する傾向にあるのかも。

グーグル等々、「無料化」という波が、様々な仕組みや、既得権を変えてきているように、高速道路の無料化と土木技術の社会的貢献が、渋滞を招かずに距離感を縮めてくれるのであれば、テレビの「秘密のケンミンSHOW」ごとく、その地方独特の文化や嗜好やライフスタイルを、ケンミンさんと一緒になって、お互いどうしで、「カミンクアウト」しあいながら、「家づくり」に反映してみたいものだねぇ・・・・・。

そうそう、「淡路大橋を走るのは、とっても気持ちがエエねぇ」。「ブログ更新しました」。なんて言う、「短いつぶやき」が「twitter」では、エエのかね?

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木村貴一 2010-02-28T17:17:06+09:00
古材の魅力って何なのかね http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/02/post_281.html お城を持っているベルギー人が、ヘリコプターに乗って、古材を買いに、日本にやってきて、まるまる一軒の古民家をベルギーに移築し、それを「スパ」にしたという写真を見せられると、日本の古民家の文化的価値を誇らしく思うものの、私たち工務店の今、現状の家を造る「スタンス」は、これでエエのかと、それなりの自問自答をしてみたくなる。

ハワイという、あのトロピカルな場所に、古材で出来た、古民家が移築再生されているその写真を見せられると、日本の大工が精魂込めて、脈々と造り続けてきた、民家建築という庶民の文化的価値が、日本の浮世絵のごとき、芸術的価値があるのだな・・・・と、思えてきたりする感覚が、何とも不思議だった。

ベルギーの大工が造る予定だった、その移築再生が、実際にやり出してみると、施工が出来なくて、わざわざ日本から大工が行く事になり、日本の大工が造りあげたのだ。と聴くと、大工という日本の技術と文化を誇らしく思うものの、そんな事よりも、その地で、言葉をしゃべれない日本の大工が、牛乳を買うために、自分の胸を絞るジェスチャーをしたそうだ・・・・・、とか、パーティーでは、トムクルーズもやってえきたらしいよ。なんていう話のほうに、かなりのリアリティを感じている「私」が居て、でも、もうそろそろ、年齢的にいっても、そんな事で、喜んでいる場合ではないのかもしれない・・・・・。

それは、今週、森田建築設計事務所の森田さん設計による、工事中の現場で、古材を使うために、滋賀の島村葭商店(しまむらよししょうてん)へ古材を見に行った時に、お聞きした話であって、以前にも、同じ森田さん設計のナンバパークスのURBAN RESEARCHや、難波神社裏のDOORS DAININGで、島村葭商店さんの古材をうちの加工場に搬入してもらって、加工はしたのだけれど、現地を訪れるのは、初めてだった。

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事務所件自宅を拝見させて頂く。200年前の民家を移築したそうだ。それもこの民家はこれで、2回目の移築になるのだと聞くと、数奇な運命を辿っている民家だともいえるが、それにしても、この民家の木組みを設計と施工した大工の棟梁の精魂がたっぷりと宿っているから、生き残り続けているのだろう・・・・・。

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数寄屋の座敷を二間みせてもらう。古材を使った大胆な木使いだった。社長のお話を聞かせてもらいながら見る、座敷には、確かに、不思議な魅力が溢れていた。この古材を使った、魅力は、いったい、何なのだろうかね・・・・。

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作業場で、今度の現場で使う古材を検品する。何よりも「洗い」の技術が素晴らしいことに、感心する。古材を古材らしく使うために、手間暇をかけて、風合いと、味を残したまま、「洗う」事が必要で、それは、「掃除」を超えた、ジーパンの洗いざらしのような工程といえるのかもしれない。

一緒に同行した施主の方が、古材が立ち並ぶ姿を見ながら、「この古材が、うちで使われるのを待っていたかのように見える・・・・・」という呟きが、印象的だった。

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その古材を加工するために搬入される、うちの加工場では、先日の吉野で検品した、吉野杉の梁を、大工と一緒に、そうそう、現場監督や設計者や施主も交えて、木取りをし、どの場所に、どう使うかを、あーだ、こーだ、ケンケンガクガと、打ち合わせをした。めんどくさいけど、楽しいねぇ・・・・・・。

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まぁ、大げさに言えば、そんな「神聖」ともいえる加工場で、この土曜日、90人ほどの協力業者の社長さんや番頭さんや職人さんを交えて、弊社で施工した清見原神社の宮司さんに来て頂いて、初午の安全祈願祭をする。また、この機会に、木村工務店での「いま」の取り組みを職人さんたちに、生の声で、お伝えもした。

社員で、豚汁をつくったり、焼きそばをつくったり、おでんをつくったりして、職人さんたちをおもてなしする。もちろん、たっぷりのお酒も。それは、社員皆の協力があってのことで、感謝です。それにしても、夜の12時を回っても、少々、声が大きかった数名は、近隣に、ご迷惑をお掛けしていたのかも・・・・・、この場を借りて、陳謝。

来週には、この加工場に、あの古材が搬入されてくる予定。今度は、じっくりと、その古材と対峙して、その不思議な魅力を探ってみようとおもう・・・・・。

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木村貴一 2010-02-21T23:00:33+09:00
オリンピックのある日曜日 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/02/post_280.html オリンピックが始まっても、そんなに楽しみにしている訳でもなく、どうしても見るのだとおもう訳でもなく、ところが、朝からテレビをつけると、モーグルの予選がやっていて、見てしまうと、妙にドキドキして、それに、日本選手が滑る前は、こちらが緊張している。そういう自分自身の中に垣間見る、人間心理が、おもろい。

上村愛子が滑る前は、見るの、どうしようかなとおもうぐらいになっていて、そういう「私」がおかしい。それに、そのあとの特集番組もついつい見てしまうと、あぁ、メダルを取らしてあげたいなとおもう、そういう心境は、これ、いったい、何なのだろうかね・・・・。

モーグルの決勝が始まると、なぜか、その日に限って、たまたま、家族が家にいて、一緒に見る。日本人選手に一喜一憂し、上村愛子が滑る直前、奥方は、クッションを顔に覆って、見られヘンと、叫ぶ。次男は胸がバクバクしてるわ。と、ゴロッと座るクッションンから呟く。長男は、スツールに腰掛けて、冷静。私は、メダルを取らしてあげたい気持ちと、アカンかもという気持ちの交錯を眺めながら、ソファーの奥方の横に座る。

上村愛子が、滑り、暫定2位のあとが、大変。あと4人で、3人が失敗して欲しい、という、人の失敗を心待ちにする、寂しい気持ちに、少々の罪悪感を感じながら、皆で一喜一憂する。それだけ、誰もが上村愛子のがんばりを認めて祝福するものの、あと一歩のアグレッシブで挑戦的な滑りが、なかったのかも・・・・と、私の内面では、呟いていた。そういう意味では、失敗したものの、里谷多英の滑りは挑戦的だった。

最後の二人の選手が滑る前の表情を見ると、あぁ、上村愛子のメダルが遠のいていくのを予感させる、気迫と、挑戦的な雰囲気があって、それに、滑る姿に安定感が同居していて、確かにミスもなく・・・・と、凄いねぇ。メダルを取るためには、繊細さや慎重さだけでなく、挑戦的なエネルギーも必要で、相反するものが同居していないといけないのかね・・・・・・。上村愛子が素直な涙を流す、あのインタビューに涙する。

そうそう、そのテレビを見る前には、朝、お風呂に入ったのだ。11日の祝日の朝は、高井田にあるスーパー銭湯に行った。月に2、3度、日曜日か祝日の、朝か夜遅くに、スーパー銭湯に行く事があって、いつもそれなりの人が入っている。そういえば、設計の打ち合わせなどで、皆さんの話を聞いていても、最近の家づくりでは、家のお風呂に力を注ぐ人が少なくなってきて、ユニットバスで充分だという人が多い。近くに、安くて、エエ温泉付きのお風呂が出来たりしているからだろうなぁ・・・・・・。

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オリンピックのある、家族で過ごす、日曜日、さて、晩ご飯は、どうしようか・・・・・。

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木村貴一 2010-02-14T17:53:47+09:00
界隈 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/02/post_279.html DSC04310DSC04307 

コトバノイエの店主のお誘いがあって、そうそう、木村工務店にとっては、お施主さんでもあって、それに会社の応接室というのか、お施主さんとの打ち合わせ室の本棚のセレクトをしてもらった協力者。とよんで良いのかどうか。まぁ、そういう入り組んだ関係性でもあって、とにかく、中津のワンコインブックストアーのラストショーに出掛ける。

IMG_0236それで、数冊の古本を買った。いわゆる古本屋さんに行くのも久しぶりだし、えぇ、ブックオフを古本屋さんとよぶのかどうかは別にしての事で、そんな訳で、勢いも含めて、買ってしまう。ワンコインで買う予定が、合計で、ワンペーパーに。

いままで手に取るのも拒否していた作家の本を一冊。いつか「岬」を読もうとは思っていたが、まだ買っていなかった、その作家の本を一冊。確か学生時代に初版を立ち読みした記憶のある本を一冊。コトバノイエの30冊をセレクトした時にセレクトした本を一冊。何となくその日、唐突に興味を持った本を一冊。あっ、そうそう、この人、今どうしているのだろう。それに、この一冊、立ち読みしたよなぁ・・・という、同じ人の本を二冊。

その中の1冊を今週、パラパラと見る。「界隈」という、ちょっと、忘れてしまいそうだった言葉に、「再会」する。「それらどこの都市に行っても人があつまる場所があり、人と環境がにつまったクライマックスのような部分のあることだ。私はそのあたりを「界隈」と呼んできた。しかも私たちはその界隈の在り様によって、都市のイメージをとらえている。決してモニュメントやスカイスクレーパーではなく、そうしたごちゃごちゃの人間くさい部分にはっきりとそれぞれの都市固有のイメージが焼き付けられている。素通りではなく、その都市の中で生活したい、生息したいと思う都市にはきわめて人間くさい居心地のいい界隈がある。」浜野安宏著。

で、クライマックスのような、そんなたいそうな「界隈」でないにしろ、今週、「私」は、どんな「界隈」に「出没」したのだろうか・・・・・。
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火曜日。堺の美原町界隈の住宅地に出没する。7年ほど前にリフォームをさせて頂いたお宅の双子のお子さんが、もう中学生になるという。それで、その双子のための部屋を「改造」するご相談。

自分たちの食器やお箸は自分たちで作って、それで、食事をしているのだと。双子のひとりは、リフォームした時の印象が強くあって、「建築」を志しているのだと聞くと、ちょぴり、嬉しい。と、同時に、ちょっとした、社会的な責任感も感じる・・・・。───────────────────────────────────
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水曜日。吉野界隈に出没する。お施主さんと一緒に、久しぶりに吉野の阪口製材へ行く。そのついでに、蔵王堂近くの「やっこ」で、柿の葉ずしを食べる。吉野で食事する時は、だいたい、ここ。あと、こばしのあんこまんじゅう。蔵王堂界隈はいつもながら。とってもエエ感じ。
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阪口製材界隈を阪口の息子さんの案内で、うろうろする。「製材」を核とした、独特の界隈。それにしても、天然乾燥された吉野杉の色つやの美しさを再認識する。化粧となる構造材の梁と柱は吉野杉。隠れる構造材の梁は米松。柱は檜と杉。土台は檜。オール国産材とカッコ良くいきたいところだけえれど、コストパフォーマンスを考慮したうえの選択は、エエのかどうか、まぁ、大阪的でもあるわけ。 ───────────────────────────────────DSC04359
ついでに、同じ吉野の丸岡製材界隈にも立ち寄って、床材に使う、吉野杉の板材を見学する。国道と山と製材所。吉野川からの冷たい風が吹いてくる。界隈と呼べるかどうかは別にして、ぼくとつとした社長がエエ感じ。
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木曜日。天王寺区の細工谷界隈に出没する。安藤忠雄さん設計のコンクリートの町家住宅の横を通過して、住宅の密集する界隈をうろうろして、迷いながら、リフォーム工事の現地調査にお伺いする。坂と密集がエエ感じ。わりと好きな界隈。
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金曜日の朝。鶴橋上本町界隈に出没する。ビルとビルに挟まれた「隙間」で、鉄骨3階建ての上棟式があった。独特の景観。ある意味、カワイイ。M設計事務所の設計で、 さてさて、どんな建物になるのでしょうか・・・・・。そういえば、鶴橋界隈こそ界隈と呼ぶにふさわいいクライマックス的な界隈なのかも・・・・。
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おなじ金曜日の夕刻。鶴見区の花博界隈に出没する。H設計事務所設計の住宅の社内検査があって、いや、まだ、少々、工期に追われていて、まだ、残っている工事がちらほら・・・・。道路ではガスの引き込み工事をしていた。道路を隔てた目の前には、花博の公園と、子供達の歓声があって、またひと味違う界隈。 
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土曜日。天王寺区真法院町界隈に出没する。リフォーム工事のお引き渡しがあって、そのお引き渡しの最中に、完成を祝って、御神酒で乾杯をした。これは初体験。でも、なんだか、とってもエエ気分で、こちらこそ、感謝。
───────────────────────────────────DSC04094DSC04451DSC04457真法院界隈には有名建築もあって、エエ感じの界隈。リフォームした住宅には、神社の鳥居をくぐって、到着する。考えて見れば、おめでたい住宅なんだ。2階の窓越しに神社の屋根がど迫力で迫って見えるのが、とっても新鮮。───────────────────────────────────
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いつも、出没するのは、生野区の小路界隈。生野区の小路界隈は「私」の生息地であって、その長屋が建ち並ぶ中の一角に弊社があって、そこに戦前からの加工場があり、10年前までは、丸太も切れる製材所と同じ帯鋸まであった。ほんまもんの加工場だったけれど、音の問題等々、時代の流れに従って、大きな加工機を全部処分して、手加工だけができる、「スペース」とした。

その「スペース」が加工バーとなったり、餅つきバーとなったり、ほんとうの加工場となったり・・・・・。その吉野からの材木や海外からの米松や九州からの杉材や山陰の檜材や「ごちゃごちゃ」の産地の材料をこの加工場に集めて、大工の手加工で、木造の新築住宅を只今、加工中。
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A3TOPスタイル
この小路界隈には、長屋の中で、ものづくりをする家が沢山あったのだけれど、先週のブログのように、どんどん、減ってきた。子供世代は、「外」に出て働くことを選択する。それで、かなりの高齢化。まぁ、そんな中で、店舗を構える数十件が集まって、数年前から、1ヶ月半に1回だけ、新聞に折り込みチラシを入れている。「私」も、その世話人のひとりで、ゆるやかな連携をとりながら、細々と継続している。

きっと、共通のおもいは、派手でなくエエ感じの雰囲気として、持続可能なエエ「界隈」となれるように、皆で、模索しているのだと思う・・・。───────────────────────────────────
エエ感じの「界隈」か・・・・・・。
カイワイとカワイイがちょっと似ている・・・。

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木村貴一 2010-02-07T14:44:26+09:00
日本は何をつくるのか。日本で何をつくるのか。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/01/post_278.html DSC04079 DSC04078
カトウセイサクショカンパニー」というセルロイドの万年筆を手づくりする「人」が、弊社が建つ、生野区の小路東に住んでおられ、その住宅兼作業場を、弊社で手がけさせて頂いたのは、もう何十年も前の事で、私が、建築に携わる前後の事らしい。

その「匠」が、つい先日、お亡くなりになられ、その後の家の安全性など、「家を守る」ために、お伺いした。その時、初めて、奥の工房を拝見させて頂く機会を得る。

見た瞬間。おもわず、「カッコエエ・・・・・」と唸った。

まだ、ものづくりの息づかいが、聞こえてきそうだった・・・。職人さんの温もりが、まだまだ宿っていた・・・・・。それで、お願いをして、写真を撮らせて頂く。この作業場だけは、戦前からの長屋のままで、工事中も全く手つかずで、他の誰にも触らせず、自分で、改良を重ねたそうだ。無垢の床の雰囲気。壁の雰囲気。机。椅子。

なんだ、このカッコエエ照明器具の付け方は・・・・。聞くと、最初は水平に真っ直ぐ付いていたのだが、それを、このように改良したそうだ。なんだ、この椅子は・・・・。棚のアングルを使って造ったらしい。なんともいえないテーブルの微妙なカット・・・・。きっと、丹念な作業をしていたに違いない。感じのエエ道具たち。道具ひとつずつに「存在感」があって、その道具の、どの配置にも、「意識」が宿っていた。・・・・・。

リラックスした暖かいムードであるものの、背筋がぴんとした。

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大阪で、日本で、価格の競争に巻き込まれるよりは、海外に出て行くのだ。と言って、この生野区の小路という、大阪の下町にどっぷりと住みながら、海外を目指したのだと聴く。同じような、そんな心持ちだけは、弊社にもあるものの、実際にひとりで造って、ひとりで海外に売り歩いたという、その営業的な行動力と繊細な匠の技を併せ持ったバイタリティーには敬服する。

IMG_0232そういえば、先日、NHKのテレビを見ていると、「日本は何をつくるのか。日本で何をつくるのか」という東芝の液晶テレビのものづくりを題材にした番組がやっていた。私のノートパソコンのキーボードの目の前におかれた、もはや、跡を継ぎ、造る人がいなくなってしまた、カトウセイサクショカンパニー製のセルロイドのボールペンを見ながら、この文章を書いていると、「日本は何をつくるのか。日本で何をつくるのか」という問いかけの重みが、じわじわと伝わってくる・・・・・・。

この土曜日、お餅つきをした。会社の社員の家族と一緒につくお餅。というのが基本スタンスなんだけれど、今まで、設計施工で工事をさせて頂いた、ちいさな子供さんのあるご家族をお招きをした。それに、ついでに、というのもなんなのだが、最近、弊社で取り組んでいる、「グリーンウッドワーク」という活動もご紹介すると、それが、意外にも子供さん達が興味を持って、皆が、楽しんで木を削りだしたのには驚かされた。

手づくりのスプーンやボールや椅子や取っ手やその他・・・・。そんなのを皆と一緒に楽しんで造ってみようかとおもう。ホワイトデーには、社員ひとりずつが、手づくりのスプーンなどを、奥さんや彼女にプレゼントする予定・・・・・かな?

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PS
お餅つきも3年目になり、来年は、また、もう少し、輪を広げる事が出来るかも知れない。お子さんがいるのに、ひょとして、漏れがあった家族があれば、ご一報下さい。それに、そんな事は、関係なく、久しぶりに、木村工務店に遊びに来たい人がいれば、来年は、是非、お立ち寄り下さい。また、ついでにメンテの依頼もどうぞ。そうそう、グリーンウッドワークに興味のある方は、メールでも電話でもお尋ね下さい。

木村工務店は何をつくるのか。木村工務店で何をつくるのか。・・・・・・・なんて。

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木村貴一 2010-01-31T23:11:18+09:00
過程 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/01/post_277.html 冬の雲ひとつない青空。いつしか、春がやってくるのだ。と感じさせる、朝の日差し・・。

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この週、雑誌の取材があって、昨年の年末にお引き渡しをした、大阪市内の新築住宅のお宅にお邪魔する。カメラマンや、取材の編集者が到着するほんの数分前、バーチカルブラインドの間から、曇り空の間を縫って差し込んだ突然の朝日。蓄熱暖房器からのまろやかな暖かさと相まって、ほんの一瞬の心地エエ瞬間 。

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キッチンの横に洗面所があって、そこに電動で開閉する天窓があり、冬のどんよりした曇り空の合間から垣間見える、きまぐれな青空を眺めてみる。

DSC03955リビングダイニングの天井に、その洗面所に開閉する内倒しの木製窓があって、夏には、大阪市内に流れる西風が、リビングダイニングを通り抜けて、内倒し窓を通過して、洗面所の天窓から通り抜けていく「予定」。自然という神々が、そんなデザインを受け入れてくれて、そうしてくれるものかどうか?

DSC03986その後、同時に、大阪市内で、もう一軒の取材がある。間口2間、3640幅の新築住宅で、ユニットバスが2階にあって、その湯船に近い窓の向こうが、南面で、リビングの小さな吹き抜けになっていて、その向こうに窓があって、外を眺める事ができる。DSC03989

後で聞くと、道路を隔てて少し向こうに高いマンションがあって、そこから覗かれるのかどうか、心配した施主の方が、マンションまで出向いて、自分の家を眺めさせてもらって、・・・・、大丈夫そうだなぁと、確認し、ブラインドも取り付ける事もなく、月を眺めながら、湯船に浸かっているのだと云う。この吹き抜けにも電動の天窓があって、風が通り向ける「予定」。

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冷蔵庫の上に神棚が鎮座していたり、階段下が、テレビとオーディオスペースで、その前に縁なしの畳があって、炬燵をおいて、座ってテレビを見て、食事もする。その畳は無農薬の本床で、独特の柔らかさがあって、確かに心地良い。

それら全ての事は、お施主さんとのコミュニケーションの「過程」から出来上がってきた事で、設計担当のK本くんの提案もあれば、「私」の提案もあり、施主の提案が大いにあって、それを図面化し、見積としてT桝くんがまとめて、それに、現場では、大工のB處くんやF野くんのカイゼンがあり、それらを現場監督のI尾くんやT田くんが調整作業をし、少々のエッセンスを加えて、出来上がった訳で、そういう、「工務店流のものづくり」には、皆で、こだわる。

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この週始め、奈良の佐保川近くに行く所要があって、通過すると、映画のロケをやっていて、この橋の向こうでは、どうやら、高橋克典さんが演技をしているのだと・・・。ほんの少々テレビにも関わらせてもらった経験もあるが、映画の撮影スタッフや監督には憧れるなぁ・・・。あの現場での「ものづくり」の「過程」とその肌で味会う感覚が羨ましい。

マイケルジャクソンの「This is it」も、叱咤激励と、一生懸命さと、あの愛情とが宿る、その「過程」に拍手した。工務店流のものづくりも、施主の方を含めたものづくりに関わる皆で、エエ「過程」を共有したいものだなぁ・・・・・。

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木村貴一 2010-01-24T12:23:55+09:00
組合せ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/01/post_276.html 寒いというより、冷たい。冬だなぁ・・・・。

この週、雪がちらつく中で、石井修さん設計で、弊社で施工をさせて頂いた、目神山の家22に、学生さんと見学に行く用件があって、久しぶりにお伺いする。

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テーブルに座りながら石井修さんと会話をした事を想い出す。「正直な家」「落ち着き」「うちから」そんな言霊がよみがえる。急な勾配を上がる階段なのに階段を上り下りするのが楽しい。吉村順三さんの軽井沢の山荘のような家を創って下さいと石井さんに依頼した施主の方が、石井さんから聞いた事を伝えてくれる。「川のような階段」なのだ・・・・と。なるほど。

それから、あらためて、石井修流の木組みも眺めてみる。施主の方が、吉村順三さんの家には木組みが見えない空間だけれど、石井さんの空間は民家風の木組みのような気がします・・・・と。なるほど。

若い人たちに聞くと、こういう木組みの方が新鮮に感じるのだ・・・と言う。ソファーに座って、目を細めて、味わって、お茶を飲んでいる3人の女子のくつろいだ姿が、この家の眺望の良さと落ち着きを物語っているのだろう・・・・・・。

後で、学生に感想を聞くと、あるひとりが、真ん中には窓がなく暖炉になっていて、両端にだけ、コーナー状に窓があって、普通は部屋の真ん中が「使う空間」なのだけれど、「部屋の隅」が生きた使える空間になっているのだなとおもいました・・・と。なるほど。

私にとっては、石井修さんとの不思議なご縁と、弊社で施工したことと、見学のご理解をして頂いたお施主さんと、感じの良い大学生さんたち、という組合せがあって、経験できたこと。感謝。

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縁あって、奈良・佐保川にある「夢窓庵」で食事をする。建築的な表現をすれば、女将の企画設計力と料理人の腕がうまく絡みあった、美味しい料理だった。器も生け花も美しく、部屋の雰囲気も丁度良く・・・。それにしても、料理の写真を撮ることなど、めったにない、それに、どうも、食べる前に撮るのが苦手で、しっくりこない。

DSC00620お正月に奥方が、食事の写真を撮るのだと言って、出てくる料理にあわせて撮るのは良いが、肝心のメイン料理の写真を撮り忘れて・・・、息子からツッコミを入れられていた。お互い、きっと、食い意地の方が、断然張っているに違いない。

私にとっては、iPhoneを持った物珍しさと、無窓庵さんとのある不思議なご縁と、料理と器の見た目の美しさと、その味に惹かれた、その組合せがあって、何とか撮影したのだろう・・・・。感謝。

DSC00600 そうそう、そう言えば、今年、最初に、「面白い」と思った光景は、英字新聞の上に乗っている焼き芋の姿。宿泊したホテルに暖炉があって、そこで、焼き芋を焼いてくれていて、それに、白馬のスキー場には西洋人のお客さんが多いことにビックリしたのだけれど、そのホテルにも西洋人の宿泊客が何組もあって、そんな訳で、スキーと、暖炉と、焼き芋を焼いてサービスしてくれた感じの良い年配のおばさんと、焼き芋を食べそうな私たちのような家族と、そこそこの数の西洋人の観光客。この組合せがあって、この光景が成立したのだろう・・・。

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木村貴一 2010-01-17T19:04:46+09:00
始動 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/01/post_275.html DSC03769

何を受け継ぎ、何を受け継がないのかという「選択」は、繊細で、微妙な問題だな。と、今の政治経済を見ていると、つくづく思うし、「文化」を受け継ぐこともそうだし、「工務店」というものを受け継ぐのもそうだなと思う。

「長~く続いているものが「文化」とも言えるのとちゃう」と、語ったのはうちの長男で、お正月に、家族で、「静かな」会話をしている最中の言霊だった。「全ての動きが静止したかのような、お正月の空気」というものが、好きだ。あの、何となく慌ただしい師走から一転して訪れるお正月の静寂。お正月の「静寂」と「笑い」の組合せの中に、日本文化の奥深い何かを感じる。

そういう空気が、少しずつ薄らいでいくのが少々、寂しい。お正月の静寂が薄らいでいるところから発せられる、テレビの「お笑い」にも食傷気味。世の中の様子は、政治経済文化のすべてがリセットされようとする時期なのか・・。リセットと放棄と選択と集中と新設との間に揺れ動いている問題が、あちらこちらに。「リ」セットの仕方とか、「り」ホームの仕方とか、そういう物事に対する、「考え方」と、その「過程」が問われているのだろう。

1月6日が初出で、地元の清見原神社へ皆で、参拝して、お祓いを受けるのは、木村工務店で、長く続いている行事であって、それはひとつの企業文化といえるのかもしれない。そうそう、今年は、1月1日の朝にも、家族4人で、リニューアルされた神社の拝殿で、お祓いを受けた。幣殿の檜の床に、格子からの朝日が、美しい絵模様となって神秘的に入り込み、神殿に向かって拝む宮司さんの後姿が、朝日を浴びて美しかった。その静寂と共に、「日本」を感じた。

2010年賀それを受け継ぐのが今の時代に相応しいのかどうか、良くわからないが、1月6日の参拝の後、お昼から、職人さんや業者の方々70名ほどが集まって、新年交礼会を催す。「畳」に座って膝をつき合わせるのが、やはり「気分」だ。それにこだわる。もちろん、私は、皆の前で、新年の挨拶をするわけで、この挨拶は、「私」にとっての、新年の楽しみと苦しみの混在した、「気」の入る行事でもある。兎にも角にも、お祓いと笑顔があって、ようやく、木村工務店のエンジンが軽快に動き出すのだった。

IMG_0136 そうそうそう言えば、上の写真はiPhoneで撮影していて、年末の大掃除の日に、社員の携帯を全て、iPhoneに替えたのが、昨年の最後の大きな出来事かもしれない。「ソフトバンクの罠にまんまとはまったな・・・・・」と、足下のスリッパが呟いている・・・・・。 

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夜明け前の静かで美しい時間が通過した。営繕工事をさせて頂いている企業さんへの年始の挨拶廻り。引き渡し前の社内検査。初めての方との顔合わせ。社内定例会議。地鎮祭。お施主さんとの設計打ち合わせ。・・・・・・・と、意識的な「選択」を肝にして、「始動」です。

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木村貴一 2010-01-10T17:58:13+09:00
家で過ごすのが楽しい。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2010/01/post_274.html 昨年の6月にリフォームをさせて頂いた施主のKさんが、木村工務店にお見えになって、家をリフォームしてから、外に出るより、家で過ごすのが、何よりも楽しい・・・・と、語った。昨年の仕事納めの最後のお客さんでもあった。

ことのほか、年末年始は、家で過ごすのが楽しい・・・・・。家族や両親や義理の父母、兄弟姉妹や甥や姪や・・・・、皆と、新たな気分で、挨拶を交わすのが、何よりも嬉しい。それが、自分にとってのお気に入りの家であれば、なおのことだろう・・・・・。

年末の29、30、31と1、2日があっという間に通り過ぎた。もっともっと家で、ゆっくり過ごしたい。もっともっと家での時間を贅沢に浪費したい・・・。そんな気分だった。うちの休みは、今日3日と明日の4日と5日があるのだから、そのように過ごせる可能性も。

DSC00626それが、なぜか、今、信州の白馬にいて、こんなシチュエーションでブログを書いている。冬の白馬は25年以来のことだ。奥方のコーディネートで、白馬にあるSホテルで宿泊し、久しぶりに、八方でスキーをした。やっぱり、八方はタフなスキー場だな・・。

早朝に大阪を出て、たっぷりの雪道を運転し、すぐに滑走した。それと、運動不足。コブやらターンやら酸欠やらで、スキー酔い?をしてしまい、一時、顔面蒼白。レストランで数十分間、仮眠して、回復するも、息子達は一斉に「としやなぁーー」と捨て台詞を残し、私たち夫婦を置き去りにして、滑りに行ってしまった・・・・。

そうそう、息子が、「お正月、ホテルに泊まれるのぉ、嬉しい。この頃、家か、キャンプか、車か、そんなのばっか。たまには、ちゃんとしたホテルで泊まってみたいわ」と、生意気なことをぬかす。まぁ、確かに。その気持ちもわからないでもない・・・・・。

東京で学生をしている長男が、年末に家に帰ってくると、家族でゆっくり。どころではなく、久しぶりの友達が、入れ替わり出入りして、大晦日の紅白歌合戦の時間帯には、5人のむさ苦しい若者が、家で、年越しそばを食べていて、初詣に、京都や、住吉大社に行くのも、めんどくさい・・・と、弊社で大改修工事をして、初めてのお正月を迎える地元の清見原神社の初詣に、皆で、参拝してくれたことは、大変有り難い事であり。

しかしながら、、木村家では、何十年来、お正月のおとそは8時頃から始まるわけで、その時間帯に、長男は、確かに、座敷のおとその席に座っていたのだけれど、長男の部屋では徹夜麻雀をしている4人の若者が、まだ、残っていて・・・・・と。家族4人が、4人だけで、ゆっくりと、会話をしながら食事をしたのは、今日の夕食が、年末年始で初めての事だった。

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そんな訳で、お読み頂いている皆さん、新年明けましておめでとうございます。新年は、美しい雪の白馬からの発信となりましたが、木村工務店では、「ものづくりの職人さん達と、できるだけ近い位置で建築をつくる小さな工務店」として、「ものづくりの喜びをお施主さんと共有できれば」と願っております。本年も変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い致します。


追伸
そうそう、先ほどの、話。 確かに、時には、「家」でない「旅」の時間が楽しい・・・・。
のだけれど、「家」に帰ったときの奥方のいつもの第一声は、「やっぱり家が一番」だ。

という事で、それぞれのライフスタイを反映した、それぞれにとってのエエ家をつくれるように努力していきたい・・・・。そんな改まった気分で、このブログ上で、皆さんとお会いできることを楽しみにしております。

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木村貴一 2010-01-03T22:51:13+09:00
師走 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/12/post_273.html 流石に、師走という言葉が似合う、あわただしい一週間だった。それに、郵政民営化になってから、25日までに、年賀状を届けて下さいという、アナウンスがあって、あれが、どうにも、納得いかないのだけれど、それが余計に、慌ただしさに拍車をかける。

そうそう、そのうえに、23日の祝日というのが、大変有り難くもあり、しかしながら、何というのか、微妙なタイミングでもあって、年末に押し迫った仕事とプライベートとのバランスが、錯綜し、入り乱れる祝日のタイミングな訳で、そんなこんなで、やっぱり師走。

祝日の前日の深夜。高校時代の友人3人で、忘年会をする。35年の歳月があっても、時間と空間をタイムスリップして、何時間も、何の違和感もなく話し続ける訳で、不思議と言えば不思議な現象。昭和町にある、半年先まで予約がいっぱいの串カツ屋さんでの、和むひと時。

祝日の朝。息子が打楽器に興味があって、小さい頃から、だんじりに乗って太鼓や鐘を叩いていて、それで、最近、ドラムを習いたいというので、昔から顔見知りのジャズドラマーのI川さんに、頼んでみると、快く引き受けてくれ、田辺にあるご自宅にお伺いしての初レッスン日が、その祝日だったわけ。兎に角、横で聞いていて、ひとつだけ、ハッキリ解った事は、「オレには、リズム感というものが、全くない」 という事。

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この3ヶ月ほど、水曜日の午後からの時間を拘束される用件があって、ところが、たまたま、水曜日にしか休みの取れないお客さんが二組あり、そのどちらの方とも、充分な対応できない状態が続いて、その上、リフォームさせて頂いた、そのお宅のお引き渡し日が先週の水曜日だったわけで、そんな事情で、立ち会う事も出来ず仕舞いになっていた。ところが、まぁ、偶然にも、そのお宅が、そのドラマーのお宅の近くだったので、昼から、引っ越しの最中にも拘わらず、お邪魔した。そして、最後に、皆で記念撮影。「感謝」

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その祝日の夜。「神戸のルミナリエ」に行った奥方の友人が、あまりの長蛇の行列で、結局は見る事を断念して、帰ってきたのぉ。という報告を受け、夜の9時頃から、「中之島 光のルネッサンス」を見に行く。意外と人が多いし、意外と素敵。御堂筋を車で走りながら見るイルミネーションがエエ感じ。竹中工務店の簡易的なイルミネーションが「建築的」で流石でもある。

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「人と光」を見ていると、なぜ、人は「光」に惹かれるのだろうか・・・・・という、考えが、どこからともなく脳内にやってきて、また去っていった。先週の日曜日のクリスマス礼拝で、教会建築のための祈りというのがあって、その一文に、社会の「光と塩」になれますようにという言葉がある。その「光と塩」という言葉が、引き続いて脳内にやってきて、しばらく留まったあと、気が付いたら走り去っていた。

「光」から帰宅すると、テレビニュースでは、皇居の様子が放映されていた。それを見ていると、国民の幸せを祈ってくれる存在が、何千年間も存在しているという、その事が、とっても不思議な事だな・・・・・という感覚が、やっぱり脳内を走り去った。

24日のクリスマスイブの素敵な出来事は、また何時か、書く機会があれば書くことにしようとおもう。そんな訳で、今年も走り去っていこうとしていて、気が付けば、今年最後のブログになってしまったわけで、それにしても、「静かに、立ち止まる」と、なんとなく感じる見えざる読者の方々に支えられているブログだな。という気持ちがわき上がってくる。一年間ご愛読頂いた皆さん、ほんとうに、感謝です。

木村工務店では、28日に仕事納めをし、29日の午前中は大掃除をした後、皆で、ささやかなお昼の納会をし、一年を終えます。新年は1月6日に清見原神社に参拝をした後、業者の方々も集まって、新年会を催します。営業は1月7日からです。何十年間も変わらない、年末年始のスタイルです。

それでは、皆さん! 良いお年を!

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木村貴一 2009-12-27T21:12:48+09:00
この時期 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/12/post_272.html DSC03407

確かに、冬がやってきた。寒い。けど、この身が引き締まるような寒さが時には嬉しい。毎年、この時期になると、丹沢の山小屋からリースを届けてくれるのだけれど、寒さを肌で実感して、ようやくクリスマスの気分になった。

DSC03554教会建築を施工させて頂いた、森小路教会も新会堂になって、2年目を迎え、本日のクリスマス礼拝に参加した。これで、かれこれ5年近く参加しているわけで、もはや、これに参加しない事には、クリスマスがやってこない気分。それに、久しぶりにお会いする教会員の方々と、笑顔で挨拶を交わし会える事が、何よりも嬉しい事だった。「感謝」

DSC02833神社建築として、今年は、2年がかりで施工した地元の清見原神社の増改築工事が無事に竣工し、「神」との不思議なご縁が続いた事も、「ありがたい」ことであった。何十年来も続いている、木村工務店としての新年の祈願祭が、過去を継承した拝殿と真新しい吉野檜の神殿との融合に抱かれて執り行われるのも、新年の楽しみのひとつである。

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そういえば、今年は、平野郷で、一番古いと伝えられている「門」を持つ、正業寺というお寺のリフォーム工事をさせて頂いた。考えて見れば、教会や神社やお寺を通じて、「神」との関わりを感じながら、「感謝」と「祈り」という機会に巡り会えている事が、なによりもの「感謝」であるのかもしれない・・・・・。


この時期は、年内の「お引き渡し」というのが、何軒かあり、その上、カレンダーをお配りするという、年末の恒例行事もあって、現場や社内ではそれなりのバタバタ感がある。

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引き渡し直前のあるお宅に行くと、三木硝子の硝子職人のK合さんの仕事姿に、久しぶりに接する。若い頃は、そのKさんから、硝子の事も教わったが、職人さんとしての心構えや段取りの仕方やその他・・・、エエ職人さんの「体つき」とその振る舞いを学んだ。

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久しぶりに現場でその姿に接しながら、ゴジャゴジャと世間話をする。「その技術、誰か継ぐ、若い子いてへんのぉ・・・」「それが、なかなかなぁ・・・・」「ワシは好奇心が旺盛やから、現場に行くと、いろいろな事に興味があって、他の人の仕事も、建築も、何でも興味もって、しっかり見るんや・・・・」「今の若い子には仕事への好奇心がなぁ・・・・・」と。

それを側で、一緒に聞いていたのが、INAXの代理店とサイディングの販売施工をしている東洋スレートのM納さんだった。これはどうしてるんですか・・・・、あれはどうしているんですか・・・・と、好奇心旺盛に、いろんな質問をしていた。

引き渡しの時は、器具の取り扱い説明などを、業者の人に来て頂いて、一カ所づつ説明するのだけれど、その中で、インタホンの使用説明があって、誰かが外に出て、お客さんの役目をしてインタホンを押す。その役目をM納さんが担って、「はいはい」と気さくに、腰軽く、玄関から外へ出て行った・・・。

ところが、暫く待っても、インターホンの音が鳴らない・・・・。何だか、外が、騒がしい・・・・・・。「すいません。すいません。」と賑やかな声が響き渡っている・・・。それで、かなり経ってから、ピンポンという音が鳴ると、「間違って、隣の家のインタホンを押してしまいました。隣の人が出てきて・・・・・」と。好奇心旺盛すぎ・・・・。

いやいや、そんな訳で、このブログの背後では、「M1」選手権がやっていて、笑い飯の「鳥人」という、とんでもないネタを聞いた。「JIN」もこれから始まる・・・・・・・・・。まぁ、「こんな時期」な訳。

良いクリスマスを!

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木村貴一 2009-12-20T21:03:20+09:00
忘年会 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/12/post_271.html 気が付いたら、「忘年会」という季節になっていて、という事は、もうすぐしたら、お正月がやって来るわけで、それにしても、「そわそわ」するような気分でもなく、それは、「私」だけの事なのか、いやいや、世の中の景気というものが、そうさせているのか、と考えて見るものの、メディアで騒いでいるほどの、「景気」に対する実感に乏しい「私」がいて、きっと、少しずつ、「季節感」と「景気感」を喪失しているのだな・・・・・・。

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会社の忘年会があって、いつものように、社員と大工さんと手伝いさんの28名ほどでした。雇用関係としての社員は、その半分ちょっとなのだけれど、大工さんたちとは、言わば、ファミリーのような関係で、やっぱり、一緒でないと、とっても寂しいのだ。

現場で造る、一点ものとしての、「ものづくり」には、「ハート」の結びつきが必要なのだろう。「職人さんたちとのエエ関係なくして、エエ家は出来ない」と、気付かされる事が、今年は、何度かあって、私がこうして、3代目として引き継げているのも、先代と先々代が、長い時間を掛けて培ってきた「職人集団」があっての事だ。と、先代から諭されたのは、つい先日の事だった。

先々代が亡くなる2年ほど前に、今まで「世話になった」協力業者を集めて、一席を持ちたいと号令をかけ、ミナミの寿司屋さんで、ささやかな宴を開いた。その日の事を、ここ最近、思い出すのは、先代の言葉を聞いてからだ・・・・・。

「工務店というのは、桶の「たが」の役目とちゃいまっか」と、協力業者の防水屋さんの社長が、私に諭してくれたのも先日の事だった。我々協力業者は、曲板のようなもので、柾目で丁寧に局面加工された板が、しっかりとまとまり、水一滴も漏らさないで機能するには、「なんぼエエ板使って、丁寧に加工してあっても、「たが」が、しっかりとしてへんかったら、水がだだ漏れでんがなぁ・・・・・」と。

DSC00450 宴会での2時間が、あっというまに過ぎた。数十名での2次会も深夜まで及んだ。3次回も深夜の深夜まで及んだようだ・・・・。時には、馬鹿騒ぎも楽しい・・・。翌朝、いや、正確には、当日の早朝になるのだろう、出社すると、会社の和室で、3名ほどが爆睡していた。3人が交代で3度起こして、ようやく目覚めた後は、爆発した頭髪を気にしながら、元気に現場へ飛び出して行たのは、「若さ」だなぁ・・・・・・。あっ、そうそう、もう既に、若くもない、所帯主のK林さんが、その中に混じっていて、若者以上に元気だったのは、木村工務店の関係者なら、誰でも知っている都市伝説でした・・・・・。

さてと、ドラマは滅多に見ないのだけれど、「JIN」だけは何となく見ていて、初回を見逃していたのが、再放送されたので、先週はそれを見た。やっぱり再放送するぐらいの人気なんだ。今晩、楽しみに、見てみようと思う・・・・・・。

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木村貴一 2009-12-13T16:23:04+09:00
モニュメント http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/12/post_270.html DSC00372DSC00377DSC00378
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今朝、大阪管区気象台跡の顕彰碑記念式典というのがあって、記念碑を建立するという事を「けんしょうひ」と呼ぶのだなと考えながら、心のこもった祝辞の数々を聞いた。

生野区に勝山公園という公園があって、かつては古墳で、昭和40年代までは、大阪管区気象台というのが建っていて、私も、小学生ぐらいに、そのあたりを通ると、巨大なアンテナ塔と、コンクリート建築の独特のムードがその周辺から漂っていて、何だか秘密の実験場みたいだった。と、記憶として残る。

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その石碑を造る工事の依頼があり、もちろん、木村工務店は家を造るのがメインだけれど、何よりも、「ものづくり」の会社であって・・・、そんな訳で、工事部長のT桝くんが、要望をお聞きして、製作をする。その石碑の裏面には、かつての気象台の写真が貼り付けてあり、それは昭和初期のコンクリート建築であるらしいのだが、よく見ると、何とも、レトロモダンで、カッコエエ。

祝辞のお話しの中で、「室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風という三代台風をこの気象台が迎え撃った」と、表現された。当時の気象台の館長が、避難をメディアに強く主張し、災害から府民を守ったのだ・・・・と。工務店という仕事に携わる私たちは、いつも、天気予報のお世話になっており、気象台の「おかげ」という事が、たくさんあったのに、そう言えば、感謝する事もなく・・・。そんな訳で、気象台というものの役目を改めて、考えさせられ、そう言う意味では、感謝の石碑でもあるのだ。とおもう。

その「歴史」が、大地の記憶に残された事を、微笑みと共に、ささやかに喜ぶ、気象台OBの年配の人たちの姿が、とっても、印象的だった。


それはそうと、若い人たちの姿がとっても印象的だったのが、先週の日曜日に、ブログを書いた後に訪れた、京都、清水寺の夜景のライトアップだった。

紅葉のライトアップを見た事がなかった。京都の紅葉を真面に見たのも昨年が初めてで、確かに、大徳寺にある高桐院の紅葉は、圧倒的な美しさだった。それで、次は、ライトアップの紅葉でも・・・・・、いや、きっと、内面のある部分が、ブログネタの「取材」として行こうよ。と、そそのかしていたのかも。

DSC02913少々小雨交じりの清水寺の坂の下に到着したのは午後5時半を廻っていて、まさか、入場するのに、30分以上も並ぶとは思っていなかった。それに、廻りを見渡すと、若い人たちが圧倒的に多い。年配の人たちばかりかと想像していたのだ。「私」の二十歳頃は、紅葉を見に行く事が、デートのひとつには、なかったなぁ・・・・。

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ちまちました日本人。というような言葉を聞いたことがある。でも、この清水寺のライトアップに接すると、先人達の、構想力の大きさに感服する。それに大地との関わり方が何とも言えず魅力的。それに、工務店の私たちからすれば、よくも、まぁ、見事に、施工したものだなぁ・・・・と、その「ものづくり」の実行力にも感心する。

もちろん、宗教施設であるのだが、大胆かつ繊細に、大地に刻まれた「ものづくり」の歴史的モニュメントでもあるのだなぁ・・・・と思えてきたのは、今日の顕彰碑記念式典の「おかげ」だとおもう。

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木村貴一 2009-12-06T15:45:27+09:00
ものづくりにちかいいち http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/11/post_269.html DSC02854

もう秋晴れと呼ぶには、限りなく冬に近く、かといって、冬と呼ぶほどの気候でもない。京都では紅葉が真っ盛りだと、朝刊の写真にあって、紅葉を見に行くのもエエなと想いながら、パソコンに向う・・・・。


DSC02889(1)「ゆず」をもらって、それに、母親が、数日おきに「ゆず」を届けてくれる。「ゆず湯」に入ったらどぉ!という事だろう。確かに、お風呂に入れると、独特の香りがして、血行がよくなり、気持ちがエエ。冬の楽しみでもあって、実に、日本的な習慣で、ところが、それが、秋というのか、冬というのか、とにかく、その辺りの季節感がとっても曖昧な昨今・・・・・。

DSC02908家庭内での一連の掃除ブームがあって、レコードを無造作においている棚を掃除していると、レコードが聴きたくなり、弟が保管してくれていた、レコードプレーヤーを届けてもらい、何十年ぶりかで、レコード盤の上に針を置くという、動作をした・・・・。

DSC02749DSC02830DSC02752DSC02832DSC02833DSC02757 DSC02755DSC02834DSC02764 大学生、数十人が、うちの会社を見学にくる機会があって、学生達が、魅力的に感じる、小さな工務店とは、どんな工務店なんだろぅ・・・・。どんな現場監督なんだろぅ・・・。どんな設計者なんだろぅ・・・・。どんな大工なんだろぅ・・・・。と考えさせられた。

今年一番の忘年会が、一昨日にあって、それは、祖父の代から40年以上も営繕工事等をさせて頂いている、上場企業だ。その企業のある方が、言うのには、「企業が大きくなるにつれて、協力業者との関係がシビア-な金銭的傾向と、品質品質品質という傾向の比重が、かなり大きくなり、人間的な「情」のある付き合いの比重が、めっきりと減る。それは仕方ない事であるけれど、良い商品を創り、産みだそうとすると、協力業者との人間的な「情」のある付き合いがないと、出来ないのでは・・・・・」と、語る。

「ものづくり」に、限りなく近い位置で、建築をつくる小さな工務店でありたい。協力業者とも人間的な付き合いが出来る工務店でありたい。と、妙に、センチメンタルな気持ちになるのは、今、この、背景で、レコード盤からの、古い、懐かしい音が、プチプチという雑音を交えながら、流れているせいなんだろう。

さて、これから、ライトアップされた、紅葉でも見に行こうかと想う。

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木村貴一 2009-11-29T14:12:46+09:00
老舗 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/11/post_268.html どんよりとした天気。ちょっとづつ秋も深まり、冬がやってきそうな気配。ちょっと寒い。マフラーを首に巻いて、「ミナミ」へ出掛ける。といっても、無印良品で、買い足したい物があって、高島屋の駐車場に車を止め、百貨店の中を通過し、いやほんと、凄い人人、雑踏をすり抜けて、店舗の外に出て、交差点を渡って、無印の店舗に入る。

久しぶりの、無印訪問。奥方の意向というものが、ナビゲーターとなっていて、そのおもいに引きずられながら、グルグルと店舗内を徘徊する。目線がこんな風に、彷徨う・・・。

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買ったのは、クッションと小物入れと小さな木工と・・・。それにしても、相変わらずのシンプルなデザイン。うちの工務店としての建築も、こうありたいものだな・・・・・。

外に出ると、雨が降り出していた。傘を持っていなかった。ほんとうは、堀江の方まで行く予定だったのぉ。と、ナビゲーターが、悔しそうに空を見上げていたが、高島屋の食品売り場をうろうろして、珈琲を飲んで、・・・、そうそう、「今井のうどん」でも買って、夜は、鍋で、「うどんすき」を食べようという事に急遽決めたのだ。きっと、「寒い雨」が、そんな気持ちにさせたのだとおもう。

DSC00223 心斎橋まで、歩くのかと聞けば、今は、地下の食品売り場で、売っているから、というので、食品売り場に行く。ところが、うどんの玉だけのパックはひとパックしか残っておらず、あとは、「きつねうどん」と鍋焼きうどんのセット。他にも、大阪の有名店の冷凍もんが、こうして、売られているのだ。と、ナビゲーターが、解説をしてくれる・・・・・。

うちのナビゲーターは、先日は、息子の中学校の親たち8人ほどを連れ立って、「鶴橋ツアー」をナビゲートしたらしい。この、歩いている最中も、そのツアー参加者のひとりから、奥方への携帯メールがあって、今日は、娘を連れ立って、ふたりで、先日のコース通りに歩いているのぉ・・・・と。

冷凍棚に、今井のうどんの玉がないのを見て、ふたりとも、戦意が喪失した。舌が、既に、鍋の中に、たっぷりの野菜と今井のうどんが入って、湯気が上がっている状態の舌になっていた。その時に限っては、それ以外の組合せを、舌が拒否していたのだろう。たまに、そういう時がある。それで、そのまま、食品売り場を通過して、雨の中を駐車場に向かい、車に乗り込んだ。

DSC00226途中で、出掛けていた息子と奥方がメールでやり取りして、息子をピックアップした。息子が車に乗り込んでくるなり、「腹へった。メシ。そう、そう、餃子でエエは」と言う。そんな訳で、なぜか、「今井のうどん」が、「王将の餃子」に化ける・・・・。

それにしても、最近の王将の餃子のブームは凄い。うちの会社が営繕工事をしている、町工場の会社に、昔から、その餃子の皮を作っている会社があって、先日は、その会社の外壁の塗り替えをさせて頂いた。それほどの、ブームなんだ。

学生の頃は、十皿食べるとタダ。なんていう時もあり、数年前は、根強い人気はあったものの、そんなにブームというわけでもなく、何となく、店舗も、寂れたような感じだったのが、見事な復活で、凄い。餃子という原点に回帰して、本気で力を入れ直したところなど、企業としても、見習うべきところと、ヒントとなるところがあって、興味深い。

そうそう、そう言えば、うちの家から車で5分ぐらいのところに、「一龍」という、知る人ぞ知る、超老舗の焼肉店があって、25年以上前に、そこで、初めて骨付きカルピというものを食べて、こんな美味しい肉があるのかと、ビックリした記憶がある。最近は、焼肉店が乱立していて、その店へ行くのをご無沙汰していたのだけれど、奥方の誕生日を兼ねて、久しぶりに、訪問する。食べると、やっぱり、ひと味違う、美味しさだった。

「老舗」と云う、ひと味違う、何か。そういう、何かを大切に守り育てていくというのは、大切で、大変な事だなぁ・・・・と、改めて、考えさせられた。

キネマ旬報社が創刊90周年を記念して、日本映画と外国映画のベスト10を発表したというニュース記事があって、キネマ旬報社というのが、90年も続く「老舗」だと知って、改めて、へぇー、と感心した。それにしても、立ち読みは何度もしたが、一度も本は、買ったことがない・・・・。

ところで、その映画の順位を見ていると、なんだか、興味深い。日本映画のエントリーなどは、意外な結果だなぁ・・・。「私」は格別な映画ファンという訳でもなく、そういえば、先日は、ほとんど「アラカン」、還暦に近いひとをそう呼ぶのだと、つい、昨日、知ったところ。その仕事関係の「アラカン」のひとから、私の楽しみは、奥さんと二人で、毎週、毎週、映画を見に行く事で、50歳を超えると、1000円で、夫婦二人で、映画が見れるんやでー・・・と、教えて頂いた。

その話を聞いて、毎週とは行かないにしても、月に何度かの週末に、夫婦で、映画館に行くのもエエなぁ・・・と、少々憧れた。そんな中での、ベスト10の発表であった。唐突だけれど、この時期になると、ナショジオのベスト30というのが、始まって、最近は、それを楽しみにしている・・・・。そういえば、ベスト??に弱い。意外と単純だな。と気付く。

順位はともかくとしても、小津安二郎、黒沢明、成瀬巳喜男と、いわゆる「老舗」が上位を占めているのが、不思議な感じ。いや、当然とも言えるのだろうけれど・・・。1、2、3位と、4から10位までの、アンバランスさも、また、面白い。映画館でこれらをもう一度、上映して欲しいね。順番に、続けて、見たいものだな。とおもう。改めて、夫婦で、それも1000円で、見たら、どんな、印象をもつのだろうかね・・・。

外国映画ベスト10も、やっぱり同じように興味深い。先日、このブログに、偶然登場した、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」が、こんな上位にあることに驚く。それに、「私」はどちらかと云えば、ヒッチコックファンなのだけれど、「めまい」がエントリーされていて、それが、「鳥」じゃなかった事は良かったが、「裏窓」とか、その他・・・。などと、おそらく、それぞれが、それぞれなりに、あの監督のあの作品なら、こちらの方が・・・と、皆が、あーだ、こーだと言い合えるところなど、このベスト10の面白さだなぁ・・・・。

いつも、「脳」というのは、脈絡もなく、唐突なものだな。とおもう。「第三の男」のエントリーを見て、映画の場面を思い出そうと想像したら、なんと、昔、ラジオ放送で、浜村淳さんが、あの独特の語り口と「話芸」で、映画紹介をしていた記憶が蘇った。まるで、実写の映画を見たような気分だった、あの「話芸」。あぁ、久しぶりに、その「話芸」を聞きたい・・・と、唐突に脳が呟いた。

この映画ベスト10を見て、今まで見た映画で、自分自身は、エエ映画だとおもい、好きだったのに、友達や奥方や、まわりには、あまり評価されていない映画が、あって、そういう映画の事が、急に、「脳」に去来する。そのひとつに、ジャン・ジャック・ベネックスの「ディーバ」というフランス映画があって、1980年代に、映画館で見て、ディーバファンになったのだけれど、その映画が好きだという人がどれほどいるのか・・・・。と、「脳内」で、不可思議なフラッシュバックが発生した。

まぁ、そんな訳で、今度は、マフラーを首に巻いて、ミナミの映画館に、夫婦で出掛け、次は、私がナビゲーターとなって、「老舗」の映画を1000円で見てみよう・・・・とおもう。

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木村貴一 2009-11-22T23:50:25+09:00
コードレス http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/11/post_267.html DSC02717 掃除機はコードレスがエエな。とおもう。
いつも会社で愛用している、通販で売っている掃除機のギアーが壊れて、歯医者で治療をしている時のような、なんとも、不快な音をたてて、ギアーが空回りし、停止した。もう、かれこれ、これで何台目なのか・・・・。

「もの」の割には、意外と値段が高い。それで、近くにある、ディスカウントショップのDに行くと、半額以下で売っていて、それを2度ほど購入したが、通販で売っている品物に比べて、かなり短時間で、ギア-が破損するのだった。バッテリーの電圧も持続時間も、気のせいか、短いような気がする。

正規品の品物の方が、そういう、ギア-など、見えない部分に対して、品質の良い品物が使われているのだろう。そういう目に見えない部分に対する品質を守るというのは、大切な事だな。と考えさせられた。そういえば、先日、24年ほど前に設計と施工をした家に訪問する機会があって、そういう、目に見えない部分への品質の事に関して、深く、考えさせられる点があって・・・・・。

それはともかくとして、その、コードレスの掃除機の吸引力は、大した事はないのだが、やはり、コードにつながれていないという、手軽さと気軽さが、何とも捨てがたい魅力があり、吸引力と手軽さと金額とのバランス考慮すると、また、買ってしまうのだった。

最近の家づくりにも、同じようなところがあるのかもしれない。コストと品質とデザインのバランスが解る、分かり易い、詳細な見積書というものが必要で、施主の「好み」を反映した「チョイス」というものが必要な時代だな。と実感する。

会社で掃除をするのはエエにしても、家でもちゃんと掃除をして欲しい。この先、子供が成長して二人っきりの生活になったら、どうするつもり! と、タンカをきられたのが、今朝の出来事だった。

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数年前に、奥方が、ダイソンの掃除機を購入したのは、勿論、知っていて、そのデザインの格好良さは、「遠く」から、眺めていたのだけれど、情けない話、使ったのは、今日が初めてで、確かに、良く吸う。ノズルの先の回転の仕方としくみも面白い。掃除機の嫌な臭いもしない。ただ、板の間では、どうなのか・・・・とか、ゴミの捨て方が捨てにくいとか・・・・。

ダイソンのホームページを見ると、スティック型の掃除機のしくみなど、その発想が面白いし、それに、あの、羽根のない扇風機は、発想も含めて、カッコエエなぁ・・・・・・・・・。それにしてもだ、掃除機はコードレスになって欲しいものだな。と思う。パソコンの廻りを見ても、マウスとか、キーボードとか、テンキーとか、イヤホンとか、コードから開放された時の、あの自由度が、何とも、快適ではないか。ジャス的に言えば、コードからモードへの移行といえるのかも。

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例の、掃除機を、何度も何度も買っていると、やっぱり、コストとしても、結局は割高で、もう少し値段が高くても、性能と耐久性のあるコードレスの掃除器はないものかなと、検索して調べてみると、うーん、やっぱり、性能と価格のバランスが、帯に短したすきに長しだな。と、眺める・・・・・と、そうそう、建築現場の現場で使う掃除器こそ、コードレスになれば、どれだけ快適か。それで、建築工具を作っているマキタのホームページを見る。リチウムイオンで14.4Vの掃除器があった。これ、どうなんだろうか? 高いかな?

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よく、考えて見ると、今流行りの、エコでいえば、電気を使て充電し、バッテリーも使うコードレスの掃除器より、「箒」の方が、エエではないかとおもう。うちの会社では、竹の柄とほうき草で出来た、座敷箒を皆が愛用していて、やはり、これに優るものは、ないのかもしれない。

それでも、確かに、「掃く」という事においては、最高なのだけれど、ゴミを「吸う」というのが、やっぱり大変で、集塵機で吸い取るとか・・・・。ちり取りを使うと、腰も少々痛くなり、掃きこぼしもあったりし・・・・と、いや、なんだか、年寄り臭い発言。

DSC02730DSC00653そうそう、お盆に訪れた、四国の内子町の街道沿いに、箒屋さんがあって、それがなんだか、とっても良さそうな箒だったので、買ってきた。お盆の旅行での唯一のお土産でもあった。その箒の、掃き味が、かなり良く、奥方が言うのには、フローリングの時は、ダイソンを使ったあと、もう一度その箒で掃いて、ダイソンで吸い込むのぉ・・・・・と、箒がエエのか、ダイソンがフローリングにはいまいちなのか、何とも判断がつかないが、確かに、普段使い慣れている、座敷箒よりも、よく、掃ける。

箒はコードレスなのだ。やっぱり掃除はコードレスがエエなぁ・・・。

そうそう、まぁ、いろいろと反省させられる事が 多かった一週間でもあって掃除をしたのだと、深層心理の中には、あるのかもしれない。いやいや、そんな事は、関係なしとして、掃除をしたのだ。としておこうと、思うのだけれど、奥方からは、取り敢えず、「やれば出来るやん」と、お褒めのお言葉を頂戴した事を、付け加えておこうとはおもう。

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木村貴一 2009-11-15T22:46:20+09:00
現場監督 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/11/post_266.html 川渡りの問題」というのがあって、それは紀元前からある、話だという。「狼と羊とキャベツを持った男が、川を渡ろうとしていて・・・・・」という話。その話が、何となく好きで、おそらく、その話を知ったのは、大学生の頃だったと思う。

卒業をして、現場監督という職業をしてみて、気が付いたのは、現場監督の職業は、「その男」の仕事に似ているなぁと思った。男がいないと、狼は羊を食べ、羊はキャベツを食べ、船にはどれかひとつしか積めず、「無事」に向こう岸に渡るのに、どんな工程を考えたらよいのか・・・。例えばそれを、狼さんが塗装屋さんで、羊さんが大工さんで、キャベツさんが左官屋さんだとすれば・・・・。

それぞれが、同時に現場に入ると、良い仕事が出来ず、邪魔し合うので、まずは、羊さんに現場に入ってもらい、それから、狼さんを連れて行き、その時に、一端、羊さんを、連れ帰り、現場から抜けてもらう。っていうのが、ミソなんだろうが、今度は、キャベツさんを現場に連れて行き、最後にもう一度、羊さんと一緒に現場に入る、というのか川を渡る。そんな訳で、職人さんどうしが、ぶつかり合う事なく、「無事」に家が完成する・・。

工程を何とか3回で、収めようとするのではなく、ある意味では、無駄で、面倒くさい事だけれど、羊さんを一端、連れて帰り、また連れていくという、工夫をする事で、都合4回にはなるけれど、5回でも6回でもなく、「無事」に、もの事が運ぶのだ。と、建築の現場の工程に携わってみて、はじめて実感した。

現場監督は、何度も川を往復し、しかも、皆が「無事」に、いくように、余分な1回を、ハッキリとした意識と工夫を持ってする事で、それは、時として、羊さんを説得し、理解してもらう事にもなるのだろうが、そういう面倒くさい事をしながら、そういうエエ工程を考えて、そういう何度も何度も往復をするのが、現場監督の仕事であって、何よりも「無事」に事が運んだ事が、最大の喜びとなる職業なんだ・・・・とおもう。

ゲツク、月曜日9時のドラマあたりで、キムタクに、建築の現場監督の役柄をやって欲しいものだなぁ・・・・・。建築現場における、現場監督という職業が、外から見ると、何だか良くわからない仕事だけれど、もう少し認知されるようになり、それに、現場監督も、誰よりも豊富な知識と経験と誇りを持って、現場を切り盛りして欲しいものだなぁ・・・・・・。と、なぜか、そんなふうにおもった。

何で、今日の朝、こんな事が、突然、頭の中に、浮かんだのかといえば・・・・・。

そうそう、先週の日曜日の朝、起きると、寒かったので、テレビを付けて、天気予報を見ようとすると、「Aホーム」というハウスメーカーの社長がテレビに出ていて、不況化でも業績を伸ばして・・・・と、インタビューを受けていた。その番組の中で、徹底的に建築現場の無駄を省く研究をしている・・・というのが主な内容で、それなりに興味深かった。

考えて見れば、工務店では、そんな、無駄の排除や、コストダウンや、工程などの様々な工夫を、現場監督が、「喜び」として、「好き」として、やっていたのだ・・・・。時代の流れとともに、いつしか、そんな、プロフェッショナルな現場監督が少なくなってきたのかも知れない。と、テレビを見ながら、頭の思考が、クルクルと回り始めた時に、唐突にも「川渡りの問題」を思い出したのだった。

「川渡りの問題」のような個としての「男」の存在と必要性とその努力が、忘れさられ、そういう工夫は、企業化し、システム化していっているのだろう・・・・・・か。まぁ、でも、多様で、個性的な、オンリーワン的な家々が造られるためには、もちろん設計が大切だけれど、やっぱり、これからは、しっかりした現場監督の存在が不可欠なんだ・・・・・と、そのテレビを見ながら、おもった。

今日の朝は、穏やかな気候で、たいへん過ごしやすい・・・・。確か、先週の日曜日は、寒かったような・・・・、朝、起きて、テレビを付け・・・・、そうそう、「川渡りの問題」・・・・。

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木村貴一 2009-11-08T21:30:28+09:00
ものづくりの現場 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/11/post_265.html 気が付いてみると、マイケルジャクソンの映画「This is it」を見に行くことが、日曜日の予定に組み込まれていて、息子と奥方の3人で見に行くのだ。という。何でも2週間限定の世界同時上映らしい。兎に角、奥方は、そんなキャッチコピーにめっぽう弱い・・・。

布施にある昭栄座という小さな映画館で見るのだと言って、自転車に乗って映画館に向かう。久しぶりだ。この映画館に入ると、中学生の時に、同級生と「寅さん」を見ながら、廻りの人とも一緒に、あのサビのメロディーを合唱したことを必ず思い出す。そんな下町の商店街の中にある、小さな映画館だ。未だに残っているのが、不思議なくらい。

映画を見るのに、ポップコーンとコーラが必要かどうか、それはよく解らないが、やっぱりアメリカの映画で、それも音楽の映画なら、コーヒーよりもポップコーンとコーラの方が、それなりの気分かも。息子の手元にあるポップコーンの容器に手を出して、ポリポリと食べていると、暫くして、あの「ビート」と共に、映像が始まった・・・・・。

前もっての、映画の予備知識が、全くなかったので、想像していたよりは、エエ映画だった。そういえば確か、1980年代の西宮球場でのマイケルのコンサートにも行ったのだが、いまいち、記憶がはっきりしない。当時、少年の殺害事件か何かがあって、その事をマイケルが追悼したのだ。そのあたりから、少年少女が付きまとっているのかも・・・?マイケルの事や、音楽の事は良くわからないが、個人的には、「バッド」や「スリラー」な素材より、もう少し「グッド」な素材やコンテンツを選択して欲しいなと思っていただけに、最後は、ちょっと寂しい結末。それにしても、あの「バッド」の映像をMTVで初めて見た時は、映像として、ビートとして、カッコエエなぁと、思った。

そういえば、音楽の映画と言えば、私は、ザバンドの解散コンサートを映画化した「ラストワルツ」を思い出すのだけれど、大学生の頃に見た、その日、その時の、シチュエーションも含めて、印象に残る映画だった。のちのち、その映画監督が、「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシで、マイケルの「バッド」の映像監督も彼だったと知る。

確かにカッコエエあのマイケルのダンスより、私の今の立場では、「ものづくりの現場」の方が気になる。その雰囲気。そのプロデュースの仕方。そのスタッフとのやりとり。映像を見ていると、やっぱり「ものづくりの現場」はエエなぁと思う。あぁ、建築業界の「ものづくりの現場」はどうなってしまったのだろうか・・・・・。うちの会社の「ものづくりの現場」も、エエ雰囲気でありたいなぁ・・・・と願う。

それはそうと、映画を見終わった後の奥方の第一声が、「お互いに、反省せんとアカンわ。同い年で、あれだけ、カッコ良く踊れるのぉ。あの細い足。あの体。あのビート。」と言いながら、私のお腹周りをチラリと見る・・・・。比べんといてほしい・・・・・。

私も、明日からは、ダイエットやわ。と言いながらも、昔から布施にある自由亭と言う洋食屋さんで、Aランチを食べるのだという。それも結構なボリュームなのだ。カウンターの中を見ると、昔からのおじさんの代わりに、若いご夫婦が、二人で仕切っていた。以前のような、気合いの入った、ちょっと緊張感のあるビシッとした雰囲気とは違うのだけれど、古い洋食屋さんを息子さんご夫婦が受け継いで、若い夫婦で一生懸命働いているところに、凄く好感が持てた。新鮮な雰囲気の「ものづくりの現場」が、ここにもあった。世の中は、あちらこちらで、世代交代が進みつつあるのだ・・・・。

今週は、うちの、「ものづくりの現場」へ、バタバタと訪問する機会があって・・・・。

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弊社での、施工例は少ないのだけれど、半地下の駐車場と、外階段の木造3階建て住宅の引き渡しが、天王寺区であった・・・・。引っ越し後に、外階段に手摺りを設置する予定。

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会社から自転車で行ける距離で、お風呂と洗面所をやり替えるリフォームがあって、そのついでに、LDKのクロスを貼り替えるにあたって、天井の回り縁だけは撤去させてもらった。まぁ、オーソドックスなリフォームもあります。

DSC02346そのリフォームの帰り道に前川畳店の前を通ると、ちょうど、畳表の加工中だった。うちのもっとも古い取引業者で、黙々と真面目に取り組む、姿勢が好きだなぁ・・・。

 

DSC02356会社に帰ると、木組みの登り梁の合掌の真ん中に取り付けるドリフトピンの加工がうまく出来ているかどうか、仮組をして、調整していた。こういうのを見ていると、大工ていう仕事はエエなぁ・・・と、憧れる。


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中古住宅を買ってリフォームをして、お引き渡しから、1年ちょっと経過した、お宅の雑誌取材があって、久しぶりに訪問する。いろいろとインテリアを工夫しながら住んでいる姿を見るのは、嬉しい事だなぁ・・・・とおもう。

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タカヤマ建築事務所設計による堺の家のお引き渡しがあった。この空間に、トラックの家具や、グラフの椅子が入るという。楽しみだなぁ・・・・。家具が入ってから、また、見に行こうとおもう・・・・。


DSC02429 左官の掻き落としという手法で出来ていた、古くなった塀をもう一度、掻き落としで塗り直すために、古い壁を落としている様子。左官という職業も、魅力的な職業のひとつだなぁ・・・・とおもう。


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新築にするかリフォームするか悩んで、リフォームした長屋の住宅があって、その雑誌取材がこの土曜日にあった。居間の壁面にある現代仏壇が何ともエエ感じだなぁ・・・・とおもう。屋根の上にあがる階段を止めて、通気窓に変更すると、風が流れだした・・・。

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リフォームのウチバラシ(内部解体)をすると、かなり、傷んだ状態で、いやぁ、これからが、何とも悩ましい・・・・・。大工さんと現場監督と設計者が集まって、補強の方法を決めて、施主に説明をする。 
ものづくりの現場。

DSC02505夕暮れ時の別のリフォームの現場。大工さんと現場監督が、次の段取りを打ち合わせする様子。これも、ものづくりの現場のいち風景だな。



DSC02517 何とも大胆なリフォームの様子。ほぼ、完成なのだけれど、ものづくりの現場のようなエエ感じ。建築家の矢部さんのオープンハウスが、本日あって、沢山のひとが集まっていて、そうそう、「This is it」を見るために早々においとましたのでした・・。

「ものづくりの現場」が好きだなぁ・・・・・・。

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木村貴一 2009-11-01T22:48:49+09:00
歴史と人柄 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/10/post_264.html へんな一週間もある。ゴルフをするのはおそらく年に4回で、それもプライベートで行くこともなく、全てコンペ。それも、うちの協力業者の会が、年2回あって、その第78回目のコンペが、今週にあった。もう一つ、年に2回開催される、とある上場企業PI社の協力業者のコンペがあって、それも年に2回で、その第74回目のコンペが、やっぱり、今週にあった。一週間に2回もゴルフしたことあったけ・・・・・。1週間に2回もゴルフをしたからといって、上手くなるわけもなく、ますます、妙なスイングの深みにはまり込んでいくばかり。そんな訳で、成績の事は、聞かないで欲しい・・・・・。

ところで、どちらのコンペも、70回を超えていて、年に2回で、35年間以上も続いているという事になり、ゴルフコンペという、親睦と呼べば良いのか、コミュニケーションと呼べば良いのか、いや、やっぱり、れっきとしたスポーツなのだけれど、それにしても、何とも不思議な親睦の世界だなぁ・・・・とおもう。

うちの会社のゴルフコンペは、10年ほど前に、世間の風潮もあり、また、「私」が、そんなに好きでないという事もあって、4年間ほど、中止をしていたので、計算してみれば、ほとんど、もう40年ほど前から続いているわけで、はたして、これが、自慢できることなのかどうか・・・・。

「私」は木村工務店の3代目で、初代の、つまり、私の祖父の趣味が高じて、始まったコンペであって、祖父が、協力業者の皆に、強くゴルフを勧めて、始めたのだと聞く。その、45年前から、うちのコンペに参加している協力業者にD社がある。そのD社と、うちの会社が一緒に、出入りして、工事をさせて頂いている、とある上場企業PI社の親睦コンペには、D社と共々、74回も一緒に、そのゴルフコンペに参加しているのであって、その二つのコンペが今週に重なったという訳。

もちろん、どちらも、好き嫌いを別にして、断れない事情が絡みついていて、それに、やるからには、嫌々やる訳でもなく、それはそれなりに、ヘタクソはヘタクソなりに、結構、楽しんでいるのだ。

そのD社の先代の社長が私に、中断していたコンペを復活しろよ!と、強く引っ張ってくれて、再開し、やってみればやってみたで、確かに、皆と親しくなれて、それに、それなりに業者の皆さんも楽しみにしてくれていて、とってもエエ、コミュニケーションの場となっているのは確かだ。とおもう。それで、やっぱりそのD社の勧めと、我が社の2代目、つまり、私の親父の薦めもあって、2年ほどまえから、「私」がそのPI社のコンペに参加している。

そのD社が、先々週に、突然、廃業をすると言い出した・・・・・。もっとも付き合いの古い協力業者のひとつでもある訳で、勿論、仕事上も困るのだけれど、それ以上の、何か、「歴史」というものが、途切れる寂しさ・・・・。

それを、うちの協力業者の何社かが、同じ事を感じたのだ。ゴルフコンペの終了後に、奈良から、うちの会社のある小路まで戻って、小料理屋で、D社を交えての、会合が開かれた。そういう時の、70歳を超えた、数名の長老の、「歴史」を踏まえた意見は、なかなか、貴重な見解であって、それは、「叱咤激励」であった。といえる。

少し、形は違ったが、同じような事が、PI社のコンペ終了後にも、D社に対しての、意見交換の場があった。それは、D社の「歴史」と「人柄」がそうさせたのであろう。D社の前社長は、ゴルフを通じてのコミュニケーションをもっとも愛した人だった。おそらく、その思いというのか、魂のようなものが、今回の解散発表の日時と、ゴルフコンペの日取りの関わりを、その後の会合と、意見交換の場を、引き寄せたのでは・・・・・・・と、感じる。ゴルフコンペがコミュニケーションの場を助けたようだ。

「歴史」や「伝統」が重荷になる事があるかもしれない。「歴史認識」なんていう騒がしい問題もある。「歴史」と「伝統」が「新生」を妨げている場合も沢山ありそうだ。いや、「歴史」と「伝統」が身を助ける事もある。「歴史」と「伝統」がモチベーションとなる事もある。「歴史、いや、そんなの関係ない!」と、ポーズをとる事だって、きっとあるに違いない。それでも「歴史」を知っておく事は、大切な事なのだ。

というような思考が、今後、ゴルフを続けていくのには、習うべきか習わざるべきかと、少々悔悟する気持ちに、覆い被さるような勢いで、「歴史認識の問題」が私の内面の中で、勃発しているという、ヘンな一週間のお話し。

そうそう、そう言えば、滅多にいかないゴルフ場で、小中学校の時の同級生の、それも女子に、バッタリと出くわしたのには、驚いたなぁ・・・も含めての、ヘンな一週間だった。

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木村貴一 2009-10-25T21:07:29+09:00
読書の秋 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/10/post_263.html それが、ここ10年ほど、本をあまり読んでいなかったのだけれど、施工をさせて頂いた、「コトバノイエ」の施主のKさんの企画に乗っかって、「コトバノイエの30冊」を選んでから、そのコトバノイエのKさんに影響されて、また、本が、無性に読みたくなった。

30冊の中に、選んでおきながら、読んでいない本が、何冊かあって、とりあえず、手始めに、「澁澤龍彦の高丘親王航海記」を読むことにした。数日間、不思議なファンタジーにずるずると引きずり込まれてしまい、幻想を創り出しながら、時代考証や自分の事、風刺・・・、小説の表現方法って、やっぱり、面白いなぁ・・・と、あらためて、おもった。それが、再び本をよもうとする、口火を切ったのだとおもう。

続いて「山本健吉のいのちとかたち」を読むことにしたのだが、未だに、読了できず、思い出したように、そのハードカバーの本を手に取ってみては、格闘し続けるものの、やっぱり、進まず、もう、ひょっとして、挫折するのかも・・・・・。っていうのも、本を読んでると、まま、あることだな。

そういえば、その前に、「中村英樹著の北斎万華鏡」という本をKさんから、勧めてもらった。いままで、葛飾北斎に抱いていた、私のイメージと同じようなイメージが、その中に表現されてあって、きっと、それが、あのゴールデンウィークの「北斎と富士とB級グルメの旅」につながったのだとおもう。そうそう、それで、旅行から帰ってきて、暫くしてから、澁澤龍彦を読んだのだ。

そんな訳で、少しずつ、手元にある本で、まだ読んでいなかった本を読むようになった。ある日のコトバノイエのブログの本の紹介に「隆慶一郎の吉原御免状」の紹介があった。読んだことはなかったが、松岡正剛の千夜千冊に掲載されていた、うっすらとした記憶があって、コトバノイエには売っていなかったので、アマゾンで、早速、購入してみる。

読み出すと、一気に引き込まれた。お昼休みの数分間にも、その続きを読みたい・・・・・と、お昼休みの時間が、楽しみになった。夜、家に早く帰れた時は、食事が済むと、いつもは、テレビニュースなどを見るのだが、その時ばかりは、その本を読むのが、何よりもの楽しみだった。食卓のテーブルを前にして読んだ。ソファーに座って読んだ。ソファーにゴロゴロとしながら読んだ。ソファーから、ずるずるとずり落ちて、ソファーの座面を背にして、床の上に寝転がりながら読んだ。独り用のソファータイプの椅子に座って読んだ。デッキの椅子に座って読んだ。

久しぶりに、そういう、本の読み方をした。本の内容は各個人によって、好き嫌いがあって、まま、いろいろあると、おもうのだけれど、そんなふうに本を読める「時間と空間」が、「本を読む」という、何ともいえない、幸せな時間だぁ・・・・と、あらためて思う。やっぱり、いろいろな態勢で、本が読める家を造りたいものだなぁ・・・・・。

先週の日曜日、息子が、「ふるいち」に行こうと言う。「古本市場」のことをそう呼ぶらしい。それで、一緒に行ってみる。まぁ、これで、3度目の事。1階がゲームとCDで、2階の売り場が古本になっていたので、直ぐに2階に行く。それが、不思議な事に、なぜか、まず、頭に浮かんだのが、「隆慶一郎」だった。売り場を探すと、あっ、あった。あった。3冊ほど。それで、「死ぬことと見つけたり」を上下で買うことにする。

あまりの本の山に、まったく、買いたい作家の名前がピントこず、うろうろと、本棚の間を彷徨っていた。岩波文庫の古本が数冊だけあって、「ダーウィンの種の起源」に目が止まる。それは、先日のシルバーウィークに、山小屋に宿泊したのだけれど、そこに、お医者さんのDr.Aさんが居て、昆虫のマニアでもあって、いろいろな会話を、長らくする。そんな会話の中の言葉に、人間は、「霊長類」で・・・・、なんて言う、長い間、忘れていた言葉が出てきた。それに、「ダーウィン」という言葉も。きっと、それが、頭のどこかに残っていたのだ。420円ほどなので、買った。いつか読もうとおもう。

同じ岩波文庫のその本の隣に「フィッツジェラルド短編集」という本が目に止まる。久しぶりに、アメリカを読んでみたいな、となぜか思った。もちろんフィッツジェラルドのアメリカを良しとするかどうかは別にして・・・・。350円で買う。

そういえば、毎年、日本ミツバチの蜂蜜を届けてくれるひとが、居て、そのひとと話をしていると、今年はミツバチが非常に少なくて、蜂蜜があまり取れなかったのだ。とお聞きする。その話に触発されて、「ローワン・ジェイコブセンのハチはなぜ大量死したのか」をアマゾンで買った。新刊で1905円。そして、少しずつ読み進む。

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もう「秋」だ。今日の大阪は、気持ちの良い秋の日曜日だった。この小路周辺では、先日から秋祭りがあって、だんじりが、会社の前を練り歩いていた。本日は生野祭りというのもあって、毎年、影ながら、その舞台を造る仕事をしている。そんな、うららかな秋の日曜日。奥方が、布団を干していた。それが、とっても気持ち良さそうだった。その気持ち良さに誘われて、太陽を浴びているその布団の上にゴロとして、本を手に取ると、フィッツジェラルドだった。おもむろに短編を読んでみる。やっぱり、このアメリカでないアメリカの方が好きだなぁ・・・・。

それで、一編だけを読んで、その横の本を手に取ると、「隆慶一郎の死ぬことと見つけたり」だった。葉隠武士の物語であるらしい・・・。なのに第一話に入る前の前書きが、隆慶一郎の二十歳と戦争体験の語りから始まった。その語りが、何とも、泣かせる・・・。

そんな訳で、「読書の秋」を満喫してみようかとおもう。

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木村貴一 2009-10-18T21:19:51+09:00
間伐 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/10/post_262.html DSC02043 DSC02059
岐阜の山の中で、間伐を見学した。現場で携わる林野庁の方からの説明を直接聞くと、なんだか説得力があって、山を育て、守っている人たちは、素敵だなぁとおもえた。
これを書きながら、CO2を吸って光合成をし、酸素を出してくれる木々を、敢えて、間伐する方が、結果的に、CO2の削減につながるのだと、林野庁のホームページで確認していると、唐突にも、お金でCO2の取引量を売買しようとする話が、頭をよぎってしまい、CO2の話も、少々、胡散臭く思えて気そう・・・・・・。

それは、ともかくとしても、人の手入れが必要な森林では、「間伐」が森林を豊かにするのだと、現地を目の前にして、まるで講義ごとく、お聞きするのは、貴重な体験だった。DSC02014それに、 ハーベスタと呼ばれる、ガンダムのような機械が、伐採されて手元まで引き寄せられた20m近い木を、ものの見事に、枝払いをし、3、4mごとに、切り落としていく姿は、圧巻だった。いやいや、もちろん、その前に、山の職人さんが、チェーンソーを使って、一本の木を、ものの見事に、切り倒した時には、見学者から拍手喝采が巻き起こって、素朴な山の職人さんの照れくさそうで、嬉しそうな姿が、印象的だったなぁ・・・・。

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そう言えば、スイングヤーダというウインチのようなものを使って切り倒された木材を集DSC01176積する作業を見ていると、頭の中では、諏訪の御柱祭の映像がおもい浮かんでいた。木の上に人々が乗って坂道を勇壮にかけ下っていく姿の木落という映像だ。それに、5年ほど前に訪れた、茅野にある尖石遺跡の前庭にあった御柱祭の柱のモデルを見た事も思い出していた。

今、このブログを書いている、その遠くから、秋祭りのための、だんじりの鐘と太鼓の練習音が聞こえてくる。地方によって、だんじり、だったり、御神輿だったり、その他、様々な祭りの形態があるのだろうけれど、木を集積するために、ワイヤーに引っ張られた木が、山の傾斜を、ずるずると、勢いよく、下り、引き出されるその様子を間近で見ると、山で、一本の「木」を切り出して、山だしをし、「柱」とする祭り、そういううものが、産み出された雰囲気を、何となく感じ取れたような気がした。きっと、そんな祭りを通して、木を大切にし、森を大切にしてきたのだなぁ・・・とおもう。

山で一本ずつ植えられた、苗木が、下刈りや間伐という地道な作業を通して、「木」として成長し、山から引き出され、製材所で製材されて、「木材」となる。それが、やがて、設計と施工によって「木組み」として、成就する。それらを一連の流れとして、現地で、全て、体験できたのは、素敵な体験だった。

家づくりの過程の中の、その「木組み」に支払われた、施主のお金というものが、勿論、床板や壁材や天井材などの無垢の板材も含まれているのだけれど、そういう費用が、間接的には、山の一本の苗木や、「間伐」の作業費となっている訳で、そのお金が、山を育て、森を育み、ひいては、川を育て、海を育て、山の幸、海の幸の恵みを与えてくれているとも言える、そういうダイナミズムな関係性の中で、貢献出来る企業でありたいなぁ・・・・と、あらためて願った。勿論、少々怪しげな、CO2削減にも協力出来るという訳。


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今回の岐阜の旅行では、グリーンウッドワークという取り組みに出会う。 建設業界では、乾燥されていない木をグリーン材というような呼び方をするのだけれど、グリーンウッドのグリーンとは、生木の事を指すのだという。

「削り馬」や「足踏みロクロ」と呼ばれる、手作りの道具を使って、機械を使わずに、「生木」を加工する事で、木のスプーンやお椀、椅子などを造る、取り組みだそうだ。

「生木」の方が木を加工しやすくて、細い部材で椅子などを造れるし、誰もでが簡単に取り組めるのだと聞くと、とっても新鮮な感覚を持った。大工が身近にいる環境で育つと、大工というものは、プロのスポーツ選手のように、出来るだけ早い時期から、体で覚えることによって、通用し、人様からお金を頂戴できるのだぁ。というような、雰囲気が、あって、「木」を扱う世界というのは、職人的なイメージが強い。

確かに、大工は、「生木」を嫌い、「乾燥した木」を頼むでぇ。と、口癖のように言う。人工乾燥すら、嫌い、天然乾燥でないと・・・・・という大工もいる。それだけに、木工、乾燥、職人、というイメージの結びつき強かった。

「間伐」材などの生木を有効に利用しつつ、誰もが簡単に「木工」が出来る取り組みが、「グリーンウッドワーク」という意味でもあるらしい。「私」も少し体験してみると、実に、「おもろい」。技術も勿論必要なのだろうけれど、どちらかと言えば、木の陶芸のような感覚で、時間を忘れて、没頭していきそうな印象だった。

大工のような職人的な世界と、素人が簡単に木工が出来る、このような世界が、「乾燥材」と「生木」という考え方や、「木」というものの利用方法や価値観に対して、また、職人的な技で造られた家具と、素人的に造られた家具が、お互いに補完しあうような関係性になれば、いろいろな幅が出来て、楽しいだろうなぁ・・・・。

うちの会社でも、大工さんに、「足踏みロクロ」や「削り馬」を作ってもらって、素人的な木工にも取り組んでみようかなと思う。施主の方が、完成した自分の家のテーブルの前に、自分で、造った、素朴な椅子に座る姿を想像してみる・・・・・・。

 

それは、そうと、森林を育てる、下刈りは、人間の赤ちゃんと同じように、最初の方が、手間がかかって、大変なんだと聞くと、なるほど、と妙に、納得する。間伐だって、間伐をしないと、お互いが窮屈になって、光が差し込まなくなって、木の成長が止まっていくのだという。その話を思い出した今、あーー、うちの家の中も、そろそろ、「間伐」せんとアカンものが、いろいろと、あふれ出していて・・・と、いま、まわりを眺め始めた。ところ。

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木村貴一 2009-10-11T21:29:29+09:00
心のどこかに http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/10/post_261.html 気が付いたら、もう秋。ここ数日、雨模様で、外部の工事がうまく進まない現場があって、そういうのは、何とも気がかりで、心の中のどこかに、引っ掛かったままで、物事が流れていく・・・・。

それにしても、そんな事を忘れさせるぐらいの天晴れな秋晴れ。近くの小学校からの運動会の音楽とピストルの音と歓声が聞こえてくる。子供達の歓声というのは、「元気」を与えてくれるものだなぁ・・・と、思うのは、歳のせいかね。

そうそう、そう言えば、満員電車に乗っていて、目の前の席が空いて、座ろうとすると、隣で立っていた若いカップルの男子が、私と同時に、席に座ろうとした。お互い、顔を見合わせて、「どうぞどうぞ」と席を譲り合う。私が、「遠慮せんと、どうぞ」と言うと、その男子が、「私の方が、まだまだ、若いですから、お先にどうぞ」と言って、私が座るようになった・・。嬉しいやら嬉しくないやら。オレって、もう、そんな歳。っと、歳を感じたなぁ・・・。

この天気と、子供達の歓声に誘われて、外に出かけてみたいなぁ・・・と、周囲を見渡せば、息子も奥方もそれぞれが出掛けた後で、ひとり、家に取り残されて、デッキに出て、コンピューターの前で、この調子で、こんな事を書いている、いまここの「私」。

そんな、シチュエーションのせいか、いままでの写真をパラパラと眺めていると、そうそう、ほんの些細な事だけれど、心ののどこかに引っ掛かっていた写真が何枚か・・・・。
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キャンプ場から海水浴場に向かう朝。車の助手席に座って、数十分ほど走ってから気付く。あれっ、雨よけに、蛙が・・・・・。そのまま動くなよ。頑張れよ。と思った瞬間、あっ、蛙が落ちた・・・・。サイドミラーを覗く。あの蛙、どうなったのだろうか・・・・・。


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伊予、大洲にある「臥龍山荘」に行くと、石垣から木がニョキッと出て、石臼が埋め込まれてあった。デザインの過程や施工の過程も、気に掛かるのだが、施主と設計者と現場監督と職人さんとの間で、意見の対立も含めた、コミュニケーションが沢山あって、やがて、それらが何らかの「合意」を得て、これが、完成したのだろう。そういう、「コミュニケーション」と「合意」の過程はどんなのだったのか・・・と、想像をしてみたくなる。

案外、「面白い(オモロイ)でんなぁ、ほなら、やりまひょかぁ」と大阪弁では言わないだろうけれど、すんなりと「合意」されていたりして・・・・・。現場監督にしても、職人さんにしても、「面白い」という気持ちを持てるかどうかは、案外大切な事なのかも。

 

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南予にある「内子町」の古い町並みを歩く。意外と、全国各地に古い町並みも残っていて、「またか」という感じも、しないわけではない。道に面した、いわゆる民家の縁側のような場所に、座布団の上にネコが、気持ちよさそうに居眠りしている・・・・・・・・・・。
あれぇ、置物なのぉ。と見間違うほどの本物。

ネコが気持ち良さそうだったので、写真に収めたのだけれど、家で、何度かこの写真眺めていると、何かが心の中に引っ掛かっていた・・・・・・。

それが、先日、建築学科の大学院生と会話をする機会があって、気付いた。いま、私が住んでいるような、大阪の下町や、新しい住宅地などなどで、道に面して、「自分の家の一部」を、外の人と、分かち合える場所として提供すると、町はどうなって行くのだろう・・・・・? いまと言う時代、 コミュニケーションというものが生まれるのだろうか? 高齢化を迎えている町に、あればどうなるのぉ? お役所の公共工事に頼らずに、それぞれの普通の家が、皆と分かち合える場所を、様々な個性で、提供をしていくのも、エコ? エコという言葉の乱用が、ちょいと気恥ずかしいけれどね。

この不況といわれている時代、そんな事より、自分の事で、精一杯で、それに小さな家の一部を人に提供できる、スペースも余裕もなく、また、モラルの問題や安全性や社会性や国民性や何だかんだ、心に引っ掛かる事が、ぞろぞろと、いっぱいいっぱい、尾ひれを付けて、くっついて来そう・・・・・・。それに、他人とコミュニケーションする事が、必要な事なのかどうか、という、根本的な問いかけもありそう・・・・・。

インターネットやブログのように、まず、自分たちの家の、一部を、何らかの形で、公共に提供するって事は、勿論、家のデザインや木々がそうなのだけれど、そういう事だけではなく、コミュニケーションが生まれる場所として・・・・。相互依存の関係性。なんて事を学生と話してみて考えたのは、普段の「会社生活」では、稀少なことで、感謝。です。

相変わらず、小学校の運動会の子供達の歌声と歓声が聞こえてきて、それが、今日のこのブログのバックグラウンドミュージックとして流れる。それは、町にまで元気が届く。

・・・・・・・・・

それは、そうと、心のどこかに、何となく気になって、引っ掛かっている事って、皆さん、ありません? まま、あるよなぁ・・・・・・。

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木村貴一 2009-10-04T12:56:03+09:00
グランドデザイン http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/09/post_260.html 何とも言えない、エエ気候。暑いぐらい。時折吹く風の心地良いこと・・・・・・・・・・・・・・。ここ、大阪の生野区の小路でのこと。

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シルバーウィークに、山道を独りで歩く。尾根道を通過すると、それなりに急な登り坂から平坦な道に切り替わって、ゆったりと歩くその心地良さ・・・・。前方に織りなす微妙なカーブ。尾根を吹き抜ける心地良い風。ザワザワと音をたてる広葉樹のトンネル。足下を見ると、「赤土」。その赤土が綺麗だなぁ・・・とおもう。もう、何十回も歩いた道なのに、突然、そんな事に、気付く。頂上まで至るこの山道の中で、もっとも綺麗な「土」。

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ここまでに、至る道は・・・・・
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お盆休みに、「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009」を見てきた、設計のT中くんが、「その中で、エエ作品は、地面のデザインと繋がりがきっちりとしていて・・」と、印象に残る言葉を語った。

山道を歩く。道と山との「境界」に発生する、様々なデザインの美しさを眺めていると、さきほどのT中くんの言葉が、ふと、脳裏をかすめていったのだが、運動不足からくる、汗が、額から滴り落ち続ける事に、意識が向かい。またそれに、何年も履き慣れていた、登山靴を替えて、3回共、急な登り坂で、踵の上に靴擦れをお越し続けていて、そんな事柄に、意識がとられてしまい、「道」の事はそぞろ・・・・・・。

左官屋さんが、あそこの「土」は、エエとか、もうひとつ・・・・。などと、楽しそうに語る姿を見ていると、「土」に興味を持つようになる。エエ土の場所を見つけたので、左官屋さんに教えてあげたいけれど、あまりにも遠く、労力もかかるなぁ・・・・。

山小屋で、あの場所のあの綺麗な土の話をしていると、その尾根の下の水場では、昔、砥石を切り出していた人が居て、神奈川の有名な刀剣士の砥石に使われていたのだ・・・・・と、聞かされる。確かに、この頃、「土」の色を見ると、なぜか、うちの大工が、刃物を研ぐ、その砥石の色と、砥石から流れる水の色を思い浮かべてしまう。それに、大工の刃物を研ぐカッコエエ姿。これは、一種の職業病だなぁ・・・・・。

山道の「境界」に発生する自然のデザインを見ていると、お盆休みに訪れた、松山の道後温泉と伊丹十三記念館を想い出した。道後温泉の、あの建物の摩訶不思議な雰囲気に、微妙な魅力を感じたのだけれど、道路を隔てた高台の駐車場から眺めた時の、道路と建物との、その関わりが、とってもカッコ良かった・・・・。

伊丹十三記念館も、心地良い中庭に囲まれた、居心地の良い建物だったのだけれど、そのグランドデザインの曲線と建物の在りようが、道後温泉のそれと似たところがあって、カッコエエなぁ・・・・と、眺めた。

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そうそう、このシルバーウィークの最終日。ひょんな事から、T大学を案内して貰う。長男が幼稚園の時からの幼なじみと、ルームシエアーをして住んでいて、その同居人のYくんが、T大学の学生で、今春、卒業するという。まるで、下宿の掃除婦として訪れたような奥方と、その下宿で落ち合って、Yくんの案内で、駒場のT大学を見学する。

どんよりとしたイメージをしていたのだが、意外や意外、とってもエエ雰囲気。木々もあって、芝生もあって、デッキもあって、あちらこちらで、ゴロッとしたり、座ったりしながら、語り合っている。学生の雰囲気もエエ感じ。Yくんが、言うのには、「季節によって、めっちゃ綺麗で、意外と居心地がエエねん」と大阪弁で語る。

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きっと、大地との、環境との、関わりが上手く出来ているからだなぁ・・・。国家のグランドデザインを考える人たちの集う場でもあるのだから・・と、少々の憧れをもって眺めた。

ついでに、タクシーに乗って、東京ミッドタウンに向かう。やっぱり、大地との関わりが、美しい・・・・・。グランドデザイン・・・・・。

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・・・・・・と、大阪の下町の「我が家」で、シルバーウィークの楽しい出来事を思い出し、近くの三国屋さんで買った、アイスモナカとイカ焼きを食べながら、ブログを書く。これを書き終わったら、音楽を聴いて、本でも読もうかと思う。いやいや、我が家でくつろぐのも、実に、楽しいなぁ・・・・・・。

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木村貴一 2009-09-27T14:58:08+09:00
太陽さんには感謝したい。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/09/post_259.html 山口県の長府にある毛利家のお屋敷を見学していると、突然、高校時代の同級生から携帯に電話がかかって来て、親しい同級生が、急死したというのだった。しばし、何の事だが、理解できなかったが、そのまま、お屋敷を歩いているうちに、徐々に、事態を、飲み込めるようになってきた・・・・。

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長府にある長府製作所に行って、エコウイルとエ コキュートと太陽熱温水器を見学しましょうよ。と、お誘いを受けての事で、午前中に長府に到着して、しばし、町中を見学し、昼からが、長府製作所での工場見学だった。

太陽熱温水器を既存のガス給湯器に接続できるシステムがあって、家庭用エネルギーの中で、33%ほどの割合を占める、給湯エネルギーの確保を考えると、古くさいかもしれないが、確かに、太陽熱温水器は、有効な手法だとおもう。太陽のエネルギーを使って、お湯が沸いても、太陽からは請求書はやって来ない。デザインが少し、ヘンなのと、屋根の上に重たいものを乗せるので、耐震の事を考える必要があるのだろう。

勿論、照明や家電を使うエネルギーを確保するのに、太陽パネルが有効であるのも、太陽が請求書を送ってこないからだろう・・・。そんな意味でも、「太陽さん」は、ほんと、有り難いお方だとおもう。だいたい照明と家電のエネルギーも全体の31%ほどらしい。

調理をするエネルギーをIHヒーターにするのか、ガスにするのかは、最近では、安全性なども含めて、好みが別れる事で、私など、両方使えたら、有り難いとおもう方なのだけれど、電気温水器で、ガスを使うとオール電化割引など、低料金の電気を使えないという、電力会社の思惑が絡んで、消費者にとっては、あまり有り難くない、選択を迫られているわけで、確かに、最近の家造りでは、誰もが、悩む事のひとつでもある。

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そうそう、先日、キッチンのショールームに行くと、ガスとIHヒーターが、同時に使える調理器具があって、ところが、調理の好みを選択するよりも、ガス代金と電気代金の事を考えてしまうのが、今という世情かも・・・・・。
それにしても、家庭で、調理に使うエネルギーの割合は、全体の8%ほどという。そんなに、お金の事は、気にしなくても、ひょっとして大丈夫なのかも・・・・?。

お湯を沸かす給湯エネルギーとして、エコキュートとエコウイルのどちらが良いのぉ。という質問もあって、どちらの器具も製作している長府製作所で、両方の特徴のご意見をお聞きするのは、確かに、面白い事だった。エコウイルを製造している技術者が、エコウイルの良さを誇り高く説明する姿を見ていると、確かに、技術者としての好感が持てた。

発電所の火力発電では、ガスを使って、発電し、効率としては、電気が40%ほどしか出来ず、残りの60%は、熱として海に捨てているらしい。それに送電線で、何パーセントかのロスをしながら、家庭に送られてくるという。それで、エコウィルは、家庭内で、ガスを使って、エンジンを回して、発電をし、その、熱として、損をしていた分を、お湯を沸かすエネルギーに利用するのだと。ただ良く聞くと、家庭用は、20%ほどしか発電効率がないので、・・・・、続く・・・・、まぁ、こんな話は、これぐらいにして。

エネルギーを得るためには、エネルギーが必要で、そのエネルギーを造るためのエネルギーが、少ないコストと資源で済むように、皆が努力しているのだとおもう。

そんな訳で、長府製作所での、技術者の方々との楽しい会話は、新幹線の時間が押し迫ったために、途中で切り上げる事になり、凄く残念だったのだけれど、工場内の整理整頓が行き届いた、ビシッとした雰囲気も含めて、企業の姿勢としても、参考になる事が沢山あった。感謝。

そんな、工場見学と並行しながら、心の中では、同級生の訃報が、微妙なムードとなって、内面のどの部分かに、ちょっとした違和感を醸しながら、外面世界の楽しい工場見学とパラレルの状態で、内面世界では、ちょっとだけ、動揺していた。

シルバーウィークの今日、こうしてブログを書いている訳なのだけれど、最初は、コラムの形式で、2004年1月から始めたのだが、2005年の3月、4月、5月と3ヶ月間の空白が出来てしまった。書くのをためらいだした「私」が、そこに居た訳。

そんな最中、その同級生が、3月の末に、こんなメールをくれた。
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はろー!

どないしたん?
いっこも、コラムが更新されてないけど・・・
忙しいんか・・・?
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このメールが、「きっかけ」になった。今までのコラム形式をブログ形式に変更するために、私にとっては、とっても扱いにくい、Movable Type3を、グチャグチャと、内職のようにいじくって、現在のブログ形式に変更し、ホームページのコラムを造り替えた。そして、そのメールの2ヶ月後にようやく「復活」できたのだった。あっ、それと、そんな内容のメールを受け取らないようにするため、自分にとって、更新を続けるための、持続可能な時間を模索して、日曜日の週1回を更新とする事にした。

そうゆう「きっかけ」をつくってくれた、その同級生が急死した。哀悼。

まぁ、そんな事が、あろうが、なかろうが、「時間」とは無慈悲なもので、淡々と流れていく。今日は、シルバーウィークの初日だけれど、「日曜日」だという事もあって、ブログを書くという、見えない糸が絡んでいて、自宅の近くにいて、遊ぶ事を選んだ。

阪神対広島戦を甲子園球場で、息子と二人で、見た。私は、野球場で野球を見たのは、小学生の時以来、40年ぶりの事。それに、テレビで、野球を見るのも、年に1回あるかないか。ニュースで見るぐらい。

祖父は猛烈な阪神ファンだった。阪神が負け出すと、テレビの前から離れて、孫の私たちに、ちょっかいを出しに、うろちょろし出す。父は、隠れ南海ファンだった。今でも、きっとそうだ。息子は、かなりの阪神ファンだ。私は、今日だけの阪神ファンだった。

そして、猛虎打線が爆発した。勝ち、気持ちが良かった。得点が入る度に、まわりの見知らぬ人たちと、三度も四度もハイタッチをした。六甲おろしも皆と一緒に歌った・・・・。

ディゲームで、太陽がまともにあたり、猛烈に暑かった。球場がこんなに暑い場所とは知らなかったので、汗びっしょり。アルコール消費量に関しては、かなりの省エネな私も、生ビールを楽しんだ。暑くて暑くてたまらなかったけれど、それでも、この天気に、やっぱり「太陽さん」には、感謝したい。

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皆さん! 素敵なシルバーウィークを!!!

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木村貴一 2009-09-20T21:46:16+09:00
微笑み http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/09/post_258.html 吉野に行く所用があって、久しぶりに、「こばしのやき餅」を食べDSC01279DSC01281る。昔からの口コミの人気だけで、午前中に売り切れてしまうらしい。

まぁ、親戚にもあたるのだけれど、冠婚葬祭の時にしか、顔を合わせる事がないので、今日は、ほんの30分ほどだけれど、その秘訣を聞いてみる事にした。

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まず、素材はエエものを使う。そして、その素材のバランスが大事。餡や餅や餡に餅を包むのに機械を使うのだけれど、餅を焼くのには、機械化をせず、一個ずつ、「手」で焼くのだと。機械で焼くと、どれもが均一になってしまい、その素材の状態を読み取って焼く事ができない。やっぱり、焼くのが難しい。それで、作れる数には、限りがあるのだと。その表情には、エエ職人さんが、共通して持つ、独特の微笑みが、うかがえた。

そう言えば、鰻屋の友人が言うのには、鰻は、串刺し3年、焼き一生といって、「蒸す」と「楽」なのだが、蒸さずに炭火でじっくりと焼くのが難しいのだ・・・・・と微笑む。やき餅の作業場を眺めながら、そんな言葉を想い出した。

そうそう、先日の上棟式の宴席で、刃物を研ぐ砥石の話になって、大工さんが、「嫁さん貸しても、砥石は貸すな」という諺があるぐらい、砥石には自分のくせが、ついてしまうのだ・・・と、微笑んだ。あっ、言葉で表現すると、女性に対して、凄く、失礼な表現になってしまっているので、それは、とっても謝罪しておくとして。

職人さんの世界には、公然の秘訣が、いろいろ、あるのだとおもう・・・・・。

吉野杉の床材や壁材を製造直売して、うちに納入してもらっている、丸岡材木店にお邪魔する。桟積みの仕方。乾燥の仕方。いきなり実加工をせず、一端切りそろえる加工をして、板の状態を確認して、抜け節パテを処理などをしてから、刃を替えて、実加工をする。抜け節の処理の仕方。ちょっとしたパテ埋め。サンダー仕上げの方法。エンドマッチの加工等々、仕上がった杉床材の表面からだけでは読み取れない、隠れた手間の説明と微笑み。確かに、話を聞くと、確かに、愛着もでる。

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金峯山寺・蔵王堂にも、ちょっと、立ち寄る・・・・。相変わらず、美しい屋根と軒。弊社のK本くんが呟いた。90cmの庇を延ばすのに、あーだ、こーだと言っているのに、あー、なんとも凄い軒の出だなぁ・・・・・と。どんな職人さんが、墨付けをし、刻み、上棟をし、屋根を造り、微笑んだのだろうかと、正面に対峙しながら、想像してみた・・・・・。

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微笑みを持てるようになりたいものだなぁ・・・・とおもう。

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木村貴一 2009-09-13T21:09:12+09:00
エネルギーを得るためにはエネルギーがいる http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/09/post_257.html という・・・・・。

キャンプ場に着くと、土地探しから始まる。もちろん、区画と指定された場所が決められたキャンプ場もあって、それはそれなりの良さもあるのだが・・・、今回は、場内であれば自由。四万十川上流の河原のすぐそば、を選択しても良いのだが、そうそう、7年前は、そうしたが、今回は、土手の上の、木陰を選ぶ事にした。

美しい大きな木があって、河原の眺めも良い、「一等地」は、既に「先住民」が居た。それで、一等地には見劣るものの、一本の大きな木がある、私たちにとっての「二等地」をチョイスする。まぁ、それは、「私」の役目でもあって、一応、「ここでエエかな」と奥方の了承を得る。「エエよぉ!」と心地良い返事が返ってくれば、「即決」するのだが、なんだが、「いまいち」な表情と言葉の抑揚を読み取ると、考え直して、場所を変更する。今回は、お互いに、「あの一等地」に憧れと未練を残すものの、まず、住むことのできる土地を見つける事が、最優先事項なので、「即決」する。

それで、その「土地」にどのように、テントを設営するのか、どんな「家」を建てるのかが問題で、まぁ、職業柄もあって、それを、「楽しむ」事が、私にとってのキャンプの楽しみのひとつでもある。

「家」そのものにあたる「テント」は、既に、買って、あらかじめ用意するのが、一般的な事で、勿論、25年ほど、「そんな生活」を趣味としていると、「何軒」かを買ったりしている訳で、中学生の頃に買って貰った、三角屋根のオーソドックスなテントから始まって、ロッジ型で、寝室とダイニングの二つに分かれたものが、最初の憧れのテントになった。最近は、キャンプ場で見かける事もなくなっってしまったが。ロッジ型のテントの御陰で、椅子やテーブルをキャンプに持ち込むようになった。

それから、三次元的にフレームを曲げて組み立てる、ドーム型のテントが、普通に売られるようになって、コンパクトに収納できる、4人用のドームテントを買った。それをバックパックに詰め込んで、家族3人と犬一匹で、北海道をレンタカーで、キャンプ旅行をした。確か、屈斜路湖のアイヌ民俗資料館の前で、設営したのが、最初だったとおもう。少々流行後れのテントだけれど、今でも、そのテントを使うし、皆に、貸し出したりもする。

そうそう、「タープ」というものが、「出現」した時も、それなりに衝撃的だった。雨の多い、日本の気候風土にマッチしているとおもったし、タープを張る事で、ひとつの「空間」が生まれる事が、何よりも、面白い、体験だった。そのタープの御陰で、椅子やテーブルをキャンプに持ち込んで、食事をしたり、くつろぐ事が普通になって、キャンプ生活が、随分と、「モダン」になったなぁ・・・・とおもう。

学生の頃、バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」という考え方とフラードームというものが、格好エエなぁ・・・・と、おもう時期があって、今まで、あたりまえだった、三角型のテントからドーム型のテントに入った、その時は、「テクノロジー」というものを感じた。そういえば、「moss」というブランドが出現した時も少々の衝撃を受けた。同じ、ドーム型のテントやタープが、「デザイン」によって、こんなに格好良くなるものか・・・と、憧れた。

今の、私たちの「家」としてのチョイスは、ポップアップ式の小さなキャンピングカーで、キャンプ場内でも威圧感のない車が、好みだ。地面のエネルギーを感じながら、テントで寝るのも、たまには、エエのだが、キャンピングカー内の、「高床式」の快適さには、抗しきれず、また、奥方を、キャンプに「招待」するには、必須でもあった。夏のキャンプでは、風が流れるのが、心地エエので、ポップアップ式をチョイスして、15年ほどになる。

今、タープは、車の横からスライドして出てくるタープと、家形のスクリーン式タープを使う。設営が、少々面倒だが、風や雨にも強く、少々大きいめなのがエエかな・・・。気候のエエ時期は、そのタープに、GIベットを持ち込んで、毛布やタオルケットや寝袋などにくるまりながら、「私」は寝る。コンパクトなドームテントも張る。子供は、テントに寝るのが、楽しいようだ・・・・。

それらの「道具」を、その敷地条件と、木と、眺望と、キャンプの隣人との関係を考慮して、どのように、セッティングするのかが、ほんの少々の楽しみ・・・・。

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川などで遊んで、帰ってみると、新たな「住民」が、私たちの、テントの直ぐ近くまで、迫っている事も、たまにあって、「境界」が特定されているわけでもなく、「先住民」が優先されるのだぁ・・・と、勝手な権利を主張するべきでもない・・・・・。この隙間に、テントを張るのぉ・・・という、ひとも、居て、それでも、出来上がってみると、いやぁ、意外に上手く、設営するものだなぁ・・・と、感心することもしばしば・・・。そんな訳で、時としては、隣のキャンプの様子が気になる事も、まま、ある・・・・。

土地というものがあって、人間というものもあって、生活という形態があり、「住まい」というものが必要になり、隣人が居て、あぁ、縄文人はどうしていたのだろうか・・・、弥生人は・・・、古代国家が成立するのにあたって、敷地境界はどうやって、決めていったのだろうか・・・と、キャンプの隣人を見ておもう。

リビングダイニングのようなスペースをタープの下に確保して、炭や焚き火を使いながら、飲み食いをする場所も設定し、調理器具や食器類や水やクーラーの設置する場所も設定する。テントの場所。車の場所。

 

「敷地」や「家」の問題も多々あるが、「エネルギー」の問題をどうするのかが、大げさに言えば、キャンプ生活の課題でもある。それは、主に、調理をするためのエネルギーと、明かりをとるためのエネルギー確保が、主たるテーマ。

ホワイトガソリンをエネルギー源にして、コールマンのツーバーナーと赤いランタンを使っていた時期もあって、今でも、カッコエエし、火力もあって、明るさも抜群なのだけれど、それぞれを、譲った。今はガスを熱源とする、ツーバーナーとランタンを使う。そのガスも、どこにでも売られている細長いタイプのガスボンベが使える器具をチョイスしている。

それは、徐々に、キャンプに行くために準備をする時間が楽しめなくなり、また、面倒くさくもなってきたからで、行き当たりばったりの準備不足でも、何とかなりそうな、熱源をチョイスした結果の事であって、最近は、インターネットの普及で、アウトドアーショップに出向かなくても手に入るようになってきたので、準備の仕方もちょっと変わった様相。

調理をするための熱源に「炭」があって、これは、一回分ほどだけを、家から持って行って、後は、現地で調達をする。ホームセンターで、割安の炭を大量に買っておいて、車に、荷詰めをして、現地まで運ぶのも良いが、トランクの大きさもあって、現地で、「炭」を調達する事も多い。あまりにも、高くて、損したなぁ・・・・と、おもう時もあるが、おもわぬエエ炭にあたる時もあって、そういう、「出会い」や「地産地消」が、楽しい。

「キャンプ=焚き火」とおもうほど、焚き火こそ何よりの楽しみ。とは、言い過ぎだが、やっぱり楽しい。焚き火のための道具の話は、おいておいて、その「薪」というエネルギーをどうやって確保するのか。勿論、ほとんどの人が、現地調達なのだろうが、うちは、工務店だという事もあって、廃材の杉などを、薪として使える、準備があり、出かける前に、適当な大きさに切って、用意をすれば良いのだが、まさに、「エネルギーを得るためには、エネルギーがいる」を実感する瞬間であって、確かに、面倒くさい・・・・・。

焚きつけ用の、細い薪だけを用意する事も、心の余裕がある時は、そうするのだが、現地で調達して、「地産地消」となる事がほとんど。車のトランクの大きさや面倒くささなど、計量しにくいい、「輸送コスト」というものが、反映されているのだとおもう。

「薪との出会い」も楽しみのひとつであって、それぞれの、地方とその場所によって、出てくる薪の種類も様々で、燃え方も様々。今回は、ひと束300円の薪の中に、焚きつけようの細い薪が何本もあって、何とも「親切」だなぁ・・と、感謝した。もちろん鉈(なた)を携行しているのだけれど、そうゆう心遣いが嬉しい。今回の調理エネルギーは、ほとんど、その薪と、そこで買った炭で、まかなった。ガスボンベを一本分ほど使用したかな。

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家庭で使うエネルギーを4種類ほどに分類する教えがあって、一つは、調理に使うエネルギー。今回の旅行では、薪と炭とガスボンベを使った。それは、コストとしてどうなのか、それに最近でいう、CO2の排出量に換算するとどうなるのか・・・・と、考えてみる。

一つは冷暖房に使うエネルギーで、今回は夏だったが、川縁で、木陰の涼しさもあって、消費量は当然ながらゼロ。ただ、車の移動中に、エンジンをまわしながら、クーラーをかけたっけ・・・・・。そんなエネルギーもトータルで考えるのかどうか。避暑のために、車を使い、お金を使い、宿泊施設を使って、また、そのための様々な準備費用。贅沢な冷暖房費用かも・・・・・。

もう一つは、給湯エネルギーで、お風呂や、台所や洗面で使うお湯のこと。今回は、ゼロエネルギーだったのかと言えば、その村が杉の木で造った瀟洒な建物に、シャワー室と便所があって、3分間100円のシャワーが使えて、意外と快適で、家族3人の合計が1000円ぐらいだったのかな。それに、一カ所だけ、ウオシュレットがあって、すっかり、ウオシュレット依存症になっている私のお尻は、ほとんど、無意識的に、その場所を目指していて、電気エネルギーを消費しながら、お尻のお湯を快適していたわけ。また、きっと、村が、村の税金を使って、建物を建て、維持管理しているのだろうから、トータルなコストを考えると、それなりの贅沢な、シャワーとウオシュレットだったかなぁ・・・。そうそう、近くの温泉に入りに行ったのを忘れていた・・・。コストに換算すれば?

もう一つは、照明や家電に使うエネルギー。一般家庭では3割近い消費量があるという。今回は、照明はガスランタンを使い。2本ほど使った。それは、エネルギーコストとしては、高いのか安いのか・・・。キャンプでは、いわゆる家電を使わないのだけれど、冷蔵庫の代わりに、コールマンのスチールベルトのクーラーボックスを長年、愛用していて、その購入費用とか、コンビニで買った、氷代金とか、出発前に冷蔵庫で冷やしておいたアイスボックスの電気代金とか・・。氷というのは、エネルギーコストに換算すると、どうなるのだろうかと、エネルギー問題を真面目に考えるのも、いまという時代かな。

そうそう、最近、家電としては、携帯電話とか、パソコンとか、ゲームとかをキャンプに持ち込んで、そのバッテリーの充電は、自宅の電気で供給されているのだけれど、それを、現地で消費しているわけで、隠れた電気消費エネルギーといえるかも・・・・・・。

 

「電気」というものが、ない生活が、時としては、楽しい。そして、キャンプでの暗闇が、楽しい。レイ・ブラトベリの絵本に「夜のスイッチ」というのがあり、暗闇とは夜のスイッチを入れる事だよ。というようなニュアンス。確かに、キャンプでは、夜のスイッチを「ON」にすれば、楽しめる事が沢山ある。焚き火など、なんとも瞑想的だ。満天の星空も。

心の問題も含めて、「エネルギーを得るためには、エネルギーがいる」のだとおもう。

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木村貴一 2009-09-06T18:22:52+09:00
流れ http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/08/post_256.html 投票用紙の前に並んだ名前を見て、突然、おもう。「ひと」を選ぶのか「政党」を選ぶのかと。久しぶりに投票所へ行ったと書くと、問題点をいろいろ指摘されそうなので、少々、流行後れだけれど、その事は、右から左へと軽く受け流してもらうとして、兎に角、久しぶりに投票用紙の前に立って、おもった。

「政党」としては、指示しないにしても、あの人やこの人が、国会の「顔」として居て、その意見や見解をたまには聞いてみたいものだなぁ・・・・・と、おもう、何人かの「顔」が、脳裏をかすめて行った。あの「政党」に入れたいけれど、その「政党」のこの「ひと」だけには絶対に投票したくない場合だってあるのかもしれない・・・。国民審査投票のように、この「ひと」だけは、絶対に国会に居て欲しくない「顔」もあるのかもしれない・・・・と、おもった。

「顔」見知りの「ひと」が何人も、小学校の投票所の椅子に座っていて、会場の雰囲気もあって、少々よそよそしい会釈を何度か交えながら、投票をする。蒸し暑かった・・・・・。家へ帰る途中に、「私」はこんな事、突然、思ったでー。と、お互い、自転車にまたがりながら、奥方に「告白」する。と、

「いやぁー、偶然!、私も、そう、思ってん、それで、こんな風に投票したわ」と云う。お互いの意見が一致する事など、それはそれなりに、珍しいことなので、「そぉ!、ほんまぁ!偶然一緒やなぁ!」と、少々のジョークも含めて、自転車に乗りながら握手をした。

その姿を、近所の、クリーニング屋のおっちゃんとおばちゃんが、軽自動車の中から見ていた。運転席の窓硝子が、すーぅーっと降りて、「何を、いちゃいちゃしてんのやぁ!、暑いのに暑いとこ見せられたわー」と、言いながら、車が走り去った・・・・・。

自転車にまたがりながら、何だか、気恥ずかしいふたり。言い訳の仕方を話し合う・・・。

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ミストサウナを体験しろ!と云うのだった。それは、イヤなのだぁ。そんなの、別に、家に、欲しくないのだぁ。近くのスーパー銭湯のサウナにでも入るのだぁ!と、こんな時は、天才バカボンの境地になるのだけれど、それが、なんだか、雑多な事情が折り重なって、万博にある、大阪ガスのデリパというショールームで、体験する「はめ」になった。 

DSC00987朝から裸になって、ひとり、ユニットバスルームで、「ミスト体験」をする。ちょっと、空しい感じ・・・・・。でも、意外と心地良い。肌水分測定というのをさせらて、体験前の23.3%という数値が33.9%という数値に上がり、それが、如何ほどの効果のあるもDSC00994のかは、いまいちハッキリしないが、温泉の入った後のように、肌がすべすべになったのは確か。その後も、ぽかぽかしたまま、エネファームとエコウィルの現物説明を聞く。ミストサウナのランニングコストが30分間で28円から48円というのが、高いのか安いのか。それより、エコエコといわれている今の時代に必要なのかどうか。と、奥方に話をすると、肌がすべすべになるのなら、今度リフォームする時は付けて欲しいぃ。と。それが、一部の女性の心理なのかな。ともおもう。それにしても、久しぶりに、太陽の塔と、正面から対峙出来たのが、何よりも良かった・・・・・。

つい、先日、御菓子の缶などを製造している方と、お話しをしていると、紙よりも、缶の方がエコだという。缶は、捨てられて、ゴミ置き場の中にあっても磁石でくっついて、分別出来るらしい。そして、再生可能。御菓子も湿気ないし・・・・。

地球の環境破壊の事を考えると、co2の排出量を減らす努力がエコになって、エエらしい。電力会社やガス会社に支払う金額を極力減らすのが、エコになって、原子力や石油や天然ガスや水力発電による環境破壊などなどを間接的に食い止める事に繫がるらしい。そのための商品をつくる産業にお金を投資することで、新たな経済活動がうまれて、豊かになるらしい。もちろん、その産業が、お金や、電力も大量に使うのだ・・・・。
そして、政治的な思惑も絡まりついて・・・・・。

などと、なんだか、よく、りかい、できていない、こと、が、いっぱい、あるのだけれど、それでも、やっぱり、ここは、ながれに、みを、まかせてみようかとおもう。

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木村貴一 2009-08-30T20:00:00+09:00
椅子によって「育ち」が違ってくるのだろうか。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/08/post_255.html DSC00913

家に帰ると、イームズの赤いロッキングチエアーが、デッキの上に、チョコンと置いてあって、聞くと、インターネットで、1万4千円で買ったという。8千円ほどの品物もあって、ライセンス製品は6万円ほどするらしい。

どうやら、クロームメッキの足の造りに違いがあって、安いものより、この買った品物の方が、よりオリジナルの足のディテールに近かったのだと・・・・・。

DSC00914そんな訳で、今日は、この椅子に座って、こんなスタイルで、ブログを書いてみようかとおもう。と言っても、その事で、文体が変われるわけもなく・・・・。お尻に感じる、ポリプロピレンの質感に少し違和感を感じ、クッションなども敷いてみた・・・・・。暫くして、膝を組んで、膝の上に、ノートパソコンを置いて、ゆらゆらと揺れながら、書きだしてみる・・・・・・・・・。あぁ、このスタイルで書くことで、スイングした文体になるのかも・・・・・・・。と想う。

DSC00835(1) そうそう、今週、リフォームの現地調査にお伺いした家に、黄色い小さな椅子が置いてあって、聞くと、アメリカの小学校の椅子だという・・・・。とってもカワイらしいデザイン。それでもって、黄色。もう一つは、青だったかな。

それを見た時、脳の中では、日本は「木」の文化だなぁ・・・・と、唐突な反応を示した。確か、小学校の時は、木の椅子と木の机だった。今は、どうなっているのだろうか・・・、それが、当たり前の事としてそうだった。

座る姿勢。座る椅子の材質。その事によって、「育ち」も違ってくるのだろうか・・・・。と、木でない椅子に揺られながら想う・・・・。

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目神山に行く所用があって、うちで、施工した家の前を通過する。そのついでに、ちょっと写真を撮ってみる。緑がいっぱいで・・。竣工直後や工事中の写真を引っ張り出してきて、見比べてみると、その変化と月日を重ねる事の風合いの良さというものを想う・・・。

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目神山の某有名建築に、所用でお伺いする。これが、屋根の上の出来事だというのが、何よりも、新鮮な出来事だ。もうとっくに30年以上も経過するのだそうだ・・・・・・・。
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何というのか、家が育っているような感じ・・・・・。周辺のいわゆる、ふつうの住宅に対しても、大いなる環境を提供している・・・・。家の「内」の事は住まう人に任せるとしても、建築に携わるものは、「外」の事を、「全体」の事から、もっと、住まいを考えなさい。それは、形の事ではなくて・・・・・と、言われているかのよう・・・・・。

・・・・・・・

突然、新築をさせて頂いた、近所の人から電話がかかってきて、ネコが、家と塀の間に挟まって、死んでいて・・・、取れそうもなく・・・、何とかして・・・・。

たまたま、私も会社にいて、弊社のおくりびとKくんも会社にいて、先日、車の運転手を務めたT本くんもいて、それで、3人で、早速、お伺いする。

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暫しの格闘を繰り返して、何とか、無事に、ネコをおくる・・・。

それにしても、近隣とのいろいろな事情が重なって、ネコも捕獲しにくい、このような塀と家との関係になってしまったのは、「全体」の事を考えていたのか・・・と、問われれば、それは・・・、つまり・・・、世の中というものは、なかなか、そのぉ、何というのか、思い通りにいかない・・・、そのぉ・・・、と、言い訳がましくなっている、「私」。

そんな訳で、このブログを書いている間に、場所を何度か移動し、赤い揺れる椅子から、屋外に置いている木のYチエアーに移り、そして、今、座っている椅子は、食卓にある、木でクッションンのある椅子で、それに、ちょっとクーラーもかけてみて・・・・・・。と、やっぱり、椅子によって、「育ち」が違ってくるのだろうかね・・・・。

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昼間の家の中で、クーラーをかけた途端、今週打ち合わせにお伺いした時に駐めた、駐車場の光と影の景色を突然、思いだした。何とも言えない感覚が、三半規管にまで、刺激を与えるような気がして、気持ちエエともいえるし・・・、気持ち悪いとも言えるし・・・・。

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クーラーの風が涼しいといえるかどうか、心地エエとも、心地悪いとも、多少蒸し暑くても、生暖かい風でも自然の心地エエ風が抜て・・。そうそう、最近、上棟をすると、天気予報が当たるようで当たらず、突然の雨に、合板類を濡らしたくないので、ブルーシートで養生する。それで、上棟式の時、木組みのスケスケの状態で、夕刻の心地良い風が抜ける予定が、ブルーシートに阻まれて、汗を拭き拭き・・。でも、感謝の上棟式だった。

やっぱり、座る椅子とその環境によって、想い出す事が違うような気がする・・・・。

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木村貴一 2009-08-23T14:22:42+09:00
ついている? http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/08/post_254.html 阪神高速道路を走っていると、運転をしていた、T本くんが、「アクセルが・・・」と言って突然、車のスピードが出なくなり、まもなくして、停止した。丁度、法円坂の降り口だったので、路肩に車をなんとか止める事ができた。もう一人の同乗者のT中くんが、阪神高速道路公団に電話をして、事情を説明する。私は、うちの会社の自動車修理工場に、電話をする。

というのは、前々日にも、おかしな兆候があって、昨日の朝には、車を点検してもらっていた。どうも、ダイナモが不調のようだが、「もう少し様子をみておきましょう」という事になった。お医者さんでも、家のメンテでも、たまに聞くセリフだなぁ・・・・・・・。

その日、高速道路上で、ダイナモ不良のランプが点灯し、残りのバッテリーを食い尽くし、停止したのが、降り口の坂の頂上だった。たまに、高速道路上の故障車を白い目で見ながら、走りがちだけれど、その見られる立場になった。社員二人と私の3人で、夏の太陽と車の熱気とアスファルトの熱気で汗を流しながら待つ。他の車の交通の妨げにならなかったのが、せめての救いだったかもしれない。

黄色い道路公団の車が来て、素早く、後続車の安全処置をしたあと、ひとりの人が、車に駆け寄って、一緒に押して、この坂を下って、車を一般道に出しましょうと言う。それで、T中くんと私と、道路公団のひとで、車を押す。下まで無事、車を降ろすと、さらに、交差点を渡って、安全なあそこまで、車を押しましょう!!と、言うので、法円坂の交差点を手で押しながら渡った・・・・。

法円坂の交差点を、まるで、祭りの「だんじり」を押すが如く、T中くんとふたりで、押した。運転は会社で一番若い社員のT本くん。今、思えば、私の立場からしても、私が車に乗って、操作をし、若い社員に押してもらうのが、普通だったのかもしれない・・・・・。なんだか、ちょっと、滑稽な光景だったかも・・・・・。

直ぐに、自動車屋さんが、車両運搬車に乗って迎えに来くれた。車と人間が一台のトラックに同乗して、何とか無事に、会社まで辿り着く・・・・・・。これからは、「もう少し、様子をみておきましょう」という言葉に対して「もう少し、深く考えみましょう」かとおもう。

・・・・・・・・

お盆初日の早朝、高速道路の右車線を運転していると、突然、右後ろのタイヤがバーストする。唐突に、ガタンという音がして、車のバランスが崩れる。「あっ」と思ったが、そのまま成り行きに任せ、暫く走ると、もっと、大きくバランスが崩れて、車が左に曲がる。それで、ハンドルを少しだけ右に切ると、車のお尻が左へ降られ、大きく車が右に寄って、ガードレールが目前に迫る・・・・・・。

後で寝ていた奥方が、「ぎゃぁー」「ぎゃぁー」と、今まで聞いたことのないような声で叫び、そして、「ぶつかるぅー、ぎゃぁー」・・・・・・・・。その声を聞きながら、ハンドルを左に少しだけ切る。ほんの目の前にさし迫ったガードレールが、視界から消えて、車のお尻が右に大きく振られ、左の方に車が方向転換する。ガードレールにさし迫った瞬間は、確かに、一瞬ダメかとおもう。

車が進行方向に向き、視界が開けたが、今度は大きく左に振られたので、車を立て直すために、右にハンドルを切ると、お尻が大きく左に振られる。それで、ハンドルを左に少し切ると、車のお尻が右に大きく振られてスピンをしだしたので、大きく右にハンドルを切ってカウンターをあてると、車が高速道路の反対方向を向いて、しばらく逆走して車線の中央で停まった。

ブレーキを踏んだかどうか、記憶がハッキリしない。少しだけ踏んだのか・・・、踏んでいなかったのか・・・・、強く踏んだ記憶がないのは確かなのだけれど・・・・・。

ほんとうに幸いにも、後続車がなかった。ハザードランプをつけて、ほっと一息つくと、暫くして後続車が一台、左車線から通過して行った。それで、車を降りて、後を確認すると、右後のタイヤがバーストしているだけだった。急いで、もう一度、車に乗って、車を動かす。何とか、動くので、反対方向を向いたままで、車を左車線の路肩まで寄せる。

後部座席の奥方と息子は静まりかえっていた。目の前を見ると、数100メートル先に、南国インター降り口のゼブラゾーンが見えたので、ハザードランプを点灯しながら路肩をゆっくりと車を動かして、ゼブラゾーンに車を駐めた。それで、携帯電話からJAFに連絡をし、事情を説明すると、40分ほどかかりそうです・・・・・。

DSC00113 話し終えるやいなや、偶然にも、道路公団の黄色い車が通りかかって、停車する。係員が2名降りてきて、事情を説明する。昨日から、黄色い車の人に、事情を説明してばかり・・・・。この場所で、車に乗ったままいると、ぶつかってくる車もいるので、路肩のガードレールの向こうへ、避難して下さい。と諭される。黄色い服の人の指示で、ある日は車を押し、ある日は避難する。

道路公団の人は手際よく、親切だった。とにかく、蒸し暑く、カメラのレンズも蒸れて、曇るぐらいだった。それで、係員の人が、自分たち用の青いクーラーボックスを持ってきて、水を飲んでくださいと、差し出してくれた・・・・。感謝。

JAFを待つ間、息子は、母親のその叫び声の大きさにビックリした・・・と語った。その間、どうしてたのかと奥方が息子に聞くと、お母さんをしっかり押さえて、支えていたでぇ・・・・・・という。え、そうなのぉ、と奥方は、首をひねりながら、そんな大きな声で叫んだ記憶はないけれど、とにもかくにも、無事が何より良かった・・・・・・・と語る。

JAFの人は、ほんとうに手際よかった。敏速な行動で、すぐに、タイヤを交換してくれる。年に数回しか乗らない車なので、スタッドレスを履いたままだった。夏にスタッドレスで高速を走り、高温になり、なおかつ、重量の重い、こんなタイプの車だと、バーストしやすいですから・・・・、また、スタッドレスは、雨の日に滑りやすいですから・・・・、ほとんどのワンボックスカーの横転事故はタイヤのバーストですから・・・・と、諭された。

このまま、長距離を走るのは危険ですからと、係員自ら、近くのオートバックスをナビに登録してくれたので、高速を降りて、高知市内で、タイヤ屋さんを探す事にした。何だか、とっても、とっても、不思議な感覚。

DSC00118オートバックスが開店するまで1時間近くもあって、その信号を5つほど行った所に、偶然にも、開店しているタイヤ専門店があった。そこで、事情を説明する。この二日間、車の事で、いろいろな人に、何度も繰り返し、事情を説明している、不思議な状況の「私」。

親切なタイヤ専門店のご夫婦だった。5万7千円という金額で4本のタイヤをその場で直ぐに、交換してもらう。奥方曰く、その金額やったら、エエホテルに泊まれたかも・・・・・、お金を使わない旅行の予定だったのに・・・・、それよりも、何よりも、命が大事やし・・・、他の人に、迷惑をかけずに済んだのが何よりだったのかも・・・・、と語った。それにしても、道路公団の人とJAFの人には感謝です。

そんな訳で、旅を続けることにした・・・・・。

2件の連続する車の出来事と、7年ぶりに訪れた四万十川での時間と環境。その他の訪れた様々な場所。それらが、私の脳内のメモリーに一時的に貯めていた、不要なキャッシュや有用なキャッシュも含めて、一時的にクリアーさせてくれたのかもしれない・・。

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木村貴一 2009-08-16T22:37:03+09:00
ブログ上で、様々な事柄が絡み合う。 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/08/post_253.html DSC00086(1)夏なのに、それに日曜日だというのに、梅雨のような雨。昨日は、汗を流しながらの地鎮祭があって、夏の気分だったのに・・・・・・・。やっぱり、夏は、夏らしく「暑い、暑い」と、言い合っている方が、良いようにおもう・・・・。

そうそう、先週、住宅設備メーカーのTさんの社員の方、3名が、東京と神奈川から、うちの会社にお見えになって、云うのには、お風呂と洗面所と便所が一体になったお便所に、抵抗感を持った人がまだまだ多く、なかなか普及しないのです・・・・・。

木村工務店|大阪府Tさんの一戸建て-玄関、LDK、洗面室、バス、トイレ、階段、洋室、車庫、外壁の施工実例|Goodリフォーム.jp の事例にある、お風呂と洗面所と便所がコンパクトで一体になった空間が、どういう経緯で、それに、とういう提案をされたから、現実に出来上がったのか、お話しを聞かせて頂きたいと・・・・・。

DSC09983設計を担当したK本くんと共に、Tさんの社員の方々と、会話を繰り返すのだが、さしたる提案をした記憶もなく、ただ、限られたスペースを有効に使うための、ひとつの選択であって、しっかりとした、成り行きとしてそうなった訳で、何よりも、施主のTさんが、便所と洗面所が一緒で、お風呂の中が見えていても、全然平気です・・・が、そう、させたのだと、おもう。

それで、そうしようと、決まると施主のTさんの「好き」を核として、コストパフォーマンスを重視しながら、出来上がった、ひとつの「バランス」が、これだった。在来工法のお風呂に、硝子張りの壁と扉では、コストがアップするので、1216のハーフユニットにタイル貼りの壁に、FIX窓。洗面所はタイル貼りの床に、ペンキ仕上げの壁、それに洗濯機を見えないように背面に隠して、部屋側に出っ張った洗濯機置き場は、タンス置き場として、壁の長さを調整する。と、一緒に対話を重ねながら、アイデアを出し合っているうちに、こんな、「部屋」に、成ってしまったのだ・・・というのが、正直なところかもしれない。

「数寄屋造り - Wikipedia」は敷居が高い話だけれど、関西で打ち合わせをしていて感じる事は、多くの人が、「自分好み」を家に反映して欲しいと、願っていて、対話を重ねながら、その「好み」を、「見える化」し、形と色と素材とコストに反映していくのは、なかなか、めんどくさくて、ゴールの見えない、難しい作業ではあるのだけれど、ある反面、楽しい作業でもあって、出来上がった時の独特の喜びもあり、建築的には、少々不格好なところがあっても、ライフスタイルを反映した、ちょっとした「好き家」で、充分かも・・・・・と、時としておもう。

 DSC09981そのTさんのお宅に、住宅器機メーカーのTさん3名と私と設計担当のK本くんとで、お伺いして、あれやこれや、お話しをお聴きする。「便所が部屋のようで、お風呂の戸も開けると、風がスーと、流れてきて、心地良いのです」っと。夏の暑い日に、狭い便所の中に閉じこもって、「暑い暑い」と言いながら、汗を流して、頑張っているよりは、確かに心地よさそう・・・。そんな訳で、どちらのTさんも、ありがとうございました。

「好み」を聞いている会話の中では、雑談も多く、脱線する事もしばしば・・・。施主のAさんの奥様が、以前、ウエディングコンサルタントの仕事をしていて、オーストラリアのゴールドコーストで、仕事をしていたと云う。

そうそう、私は、うちの奥方の妹さんの結婚式に、ゴールドコーストまで行って、あの教会で・・・、あのホテルで・・・、という話をすると、その時、勤めていた、その会社での挙式だった、担当は違うかったけれど、その時、ゴールドコーストに居たと云う・・・・・。その時、その会社をご利用頂き、有り難うございました。と、その時のお礼を言われると、確かに、「縁」というものの不思議を感じる。

そう言えば、昨日の地鎮祭では、施主は、設計のHさんの同級生であって、防災設備の会社を経営されていて、施主のご主人の両親がお見えになった。そのお父さんが、地鎮祭のテントに書いてある、うちの会社名を眺めながら、数十年前、何度も、一緒にお仕事をさせて頂いた、会社ですわ・・・。と言う。うちの会社が、マンションや工場を多く手がけていた頃の事だった。「縁」というものが、どこかに、巡り巡り、繫がっているのだろう・・・・。

ウエディングの話を、お聴きすると、確かに、面白い。一生に一度の挙式をコーディネートを担当する立場としてのプレッシャー。喜び。涙。新婦が新婦のお父様と一緒にバージンロードを歩く姿は、いつも、涙が出そうになると云う・・・・・。そうそう、リピーターとなって、もう一度、別の女性とゴールドコーストまで式を挙げにきた、男性もいたそうな・・・・・・・。

RIMG0288 そういえば、2週間ほど前に、社員のF川くんの結婚式があった。彼のお父様が、工務店を経営されているという事もあり、会社と会社という意味合いでは、複雑な部分もあったのかもしれないが、まぁ、そんな些細な事はさておいて、確かに、新婦が、お父様と一緒に手を取り合って歩く、その時の、お父様の姿と、その「顔」には、何とも言えないムードがあり、新郎に引き渡す、その時の、あの新婦の父の表情と、立居振舞には、涙がそそるものがあった・・・。

知りあいの建築家のMさんが、お見えになっていて、この式場が、建築家のT原さんが設計した事もあって、「建築談義」も交えながら、そんな話になると、「私も、娘二人やから、これは、この姿は、ちょっと、ダメやから、こういう、挙式は、よう、挙げられヘンなぁ・・・」と仰る。幸か不幸か、「私」の子供は男二人であって、確かに、あんな姿を見せられると、娘の親父の立場になると、複雑だろうなぁと、想像したり、ほっとしたり・・・・。

昨日の地鎮祭では、小さな娘さん二人が、カワイらしく玉串を奉納していた。そして、いつか、そういう日が、やってくるのかもしれない・・・と、施主のご主人の姿を想像しながら、唐突に、脳に入り乱れて、入ってくるのだった。昨日や、先々週の結婚式や、先週のTさんの事、などなどが、いま、ここのブログ上で、唐突に絡み合ったりして、・・・・・。

結婚式が終わり、暫くたって、F川くんが言うのには、結婚式の「前」は、大変で、イヤでしたけれど、式の当日だけは、もう一度やっても良いぐらい、良かったですわーと言う。いや、勿論、二度目も、同じ女性にして、下さいよ! と、思うものの、それだけ、ウェディングをコーディネートする人たちが、新郎新婦と対話を重ねながら、影で、努力をしていたのだろう。「自分好み」というものの、コーディネートの仕方を想像してみた・・・・・・。

PS
今週は、12日から16日までお盆休暇を頂戴致します。 では、良いお盆休暇を!!

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木村貴一 2009-08-09T13:44:06+09:00
無事を事とし http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/08/post_252.html 8月だというのに、夏が始まったような、始まってないような、セミが鳴いているようで、鳴いていないような、雨が降るようで、降らないような、暑いような、暑くないような、とっても、中途半端な初夏。

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庭で、小鳥がピーピー、ピーピーと鳴いていて、親鳥が二羽、木々に留まったり、空中を旋回しながら、ピィー、ピィー、と、小鳥を探している・・・・・。何とかしてぇ・・・と、奥方が、会社に電話をしてきた。うちの会社の「おくりびとK」に云うと、「生きているものは・・・・」と、小声で呟いた。

産まれて間もないのだろうか、一羽の小鳥が土の上を、よちよちと、歩きながら、何とも言えない目で、こちらを見る。近づくと、飛べそうで、飛べそうにない羽根で、バタバタさせながら、ほんの少しだけ、空中を滑空して、逃げる。逃げているような、逃げていないような。

DSC09950廻りをよく見ると、もう一羽の小鳥が、木の葉っぱの中で、羽根をばたつかせながら、ピー、ピーと鳴いていた。2羽の親鳥は、小鳥の居場所を、ハッキリと、認識しているのだろうか、知っているような、知っていないような、そんな素振りを繰り返しながら、心配そうに、木々の中を渡り歩いている。

出来そうで、出来ないことが、世の中には、いっぱい、あると、おもう。しっかりと、成り行きに任せる以外、どうしようもなかった・・・・・。

二日後の、日曜日の、いま、庭には、小鳥の姿も親鳥の姿も、その鳴き声もなく、晴れそうで晴れない、曇っているようで、曇っていない、天気の中で、セミが、「もう夏でっせ」とミィミィと鳴いているものの、あの小鳥はどうなったのだろう・・・。飛び立ったのだろうか・・・・。老子か何かに、「無事を事とし」なんて、話が、あったような、なかったような。
無事を祈るばかり・・・・・・。

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鳥の側から、離れて、会社に戻ると、会社の近くに住む60代の男のひとが、突然尋ねてこられて、地元の清見原神社が、完成し、嬉しいので、お祝いに、これをお持ちしました。と、仰った。一度も面識はなかった。

先週、仮社殿にあった御霊が、弊社で増改築工事をした、新社殿に移す儀式があり、少しの工事は残すものの、ほぼ、完成という状態になった。

現役時代は、建築の本を売り歩く仕事をしていたので、この「規矩術」の本が、木村工務店の大工さんの、何かの、勉強になれば、幸いです・・・・・と。時には、夜の10時を過ぎても、木村工務店の加工場で、大工さんが、遅くまで、頑張ってはる姿を見ていたので・・・・。この生野区の小路の町の中で、材料を全て加工してくれはったのが、嬉しくて・・・・・と。

清見原神社を増改築するにあたって、宮司さんの意向もあって、「木造」であり、「千木と鰹木」があるという事。純然たる「吉野檜」で造作をするという事。それに、この大阪市の生野区の小路という小さな町の中の加工場で、材木を全て、「手加工」するという事。増改築として、既存の建物も残し、耐震改修をし、増築する社殿はオーソドックスな神社建築でありながら、現代の木構造の基準を満たす事。などなどを、こだわったような、こだわってなかっような・・・・。それは、それなりの、しっかりとした、成り行きでもあった。

それらの要件をまっとうするため、設計は、奈良の今井町で町並みの保存と監修をしている林清三郎(林木造建築研究所)さんに基本設計を依頼した。木村工務店の会長をしている、私の父の高校時代の同級生でもあった。

 P1110992大工は、沖棟梁に依頼した。「木村工務店の大工」という呼び方には、誤謬があるので、「木村工務店の息のかかった大工」と呼んだ方が、正しいとおもう。「木村工務店の体質」を、「良し」として、受け入れくれ、うちも、その大工さんの仕事と人柄を気にいって、うちの仕事をしてくれている大工さんの事を、「木村工務店の息のかかった大工さん」とするのなら、沖棟梁は、一年に一棟ほどの、新築や増改築を、依頼する木村工務店の息のかかった大工さんのひとりであった。数奇屋の大工でもあり、平田雅哉の弟子でもある。あの吉兆なども手がけたという・・・・。

P1110975 角材を丸柱に加工するための道具の工夫も含めて、全てを、大阪の下町の小さな加工場の中で、造りあげるのが、沖棟梁にとっての、「あたりまえ」の事柄でもあった。うちの社員大工である別處くんは2年間、棟梁のお世話になり、匠技をどれだけ受け継いだのか知るよしもないが、大工としての、「気構え」の何かは、受け継いだに違いない・・・・。

構造は、木構造研究所の田原さんに、お願いした。神社建築で壁量計算をするのが、妥当なのか、限界体力計算が相応しいのか、もっと、新しい構造基準が求められているのかどうか、様々な、議論の余地は残るものの、いまの建築基準法に合致した、木組みの建築を造るためには、様々な構造的テクニックが必要なのは事実だった。それを、基本設計者と大工さんに「納得」してもらうためのコミニュケーションも重要な事だった。

 P1070257吉野の檜は「金幸」という奈良桜井にある材木屋さんから調達をした。みごとな檜材だた。都会からの多くの人々の寄付が、「木」に費やされた。それは、ひいては、間接的に、吉野の山を育てる事になり、山を育てる事が川を育て、海を育て、それが、山の幸、海の幸を豊にする事に繫がっていくのだと、おもう・・・・・。

私の役目は、背後で、応援歌を静かに歌う事だった。その前面に出て、工事部長の冨桝くんと現場監督の守田くんが、そして、定年後も会社で技術指導をしてくれている福本さんが、様々な事柄を調整した。

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出来上がってから、改めて、黙って見守ってくれていた、地域の人々がいて、陰ながら支えてくれていたのだと知る。「無事完成した事」が最大の事なのだとおもう。「感謝」

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木村貴一 2009-08-02T19:43:36+09:00
一緒に http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/07/post_251.html 中学生になった息子の友達二人が、少し遠方から遊びに来ていて、お昼ご飯を食べていると、インターホンが鳴り、画面から、「遊ぼ!!」と、元気な、男子の声が聞こえてきた。小学校の時の同級生で、地元の中学から少し遠方の中学に行ったために、久しぶりに聞く声のようだった。

息子が「友達来ているから、今日は遊ばれヘン」と言うと、モニター画面から、もっと元気な声で、「オレも、同じ、友達やでぇーー」と、訴えるような叫び声。室内では、笑い声が起こり、私も奥方も、妙に、納得している・・・・・。

息子が、「ちょっと、気を使うしなぁ・・・、どうしようかな・・・」と迷っているので、「一緒に遊んだらぁエエやん!!」と、こちらからヤジを飛ばすと、室内で、友達どうしの話し合いが始まり、「僕はかめへんでぇ」「僕もどっちでもええで」・・・・と。モニターの向こうでは、二人の男子が、自転車にまたがり、ふざけあいながら、返事を待っている・・・・。

そんな訳で、友達と友達が出会い、一緒になって、何かひとつの事で、遊ぶのかと、思いきや、ひとつの部屋の中で、背中と背中を合わせ合い、体を寄せ合いながら、別々の方向を向いて、手持ちのテレビゲームをしている・・・・・。たまに、一緒に、テレビ画面に向かって、テレビゲームをし・・・・・。1、2時間ほど、「一緒」に遊んで、バイバイ・・・・と、それぞれ別れて行った・・・・。

一緒に遊ぶと言うことは、何かひとつの事を一緒にするというよりは、同じ時間と空間を一緒に共有するという事のようだ・・・・・・。

・・・・・・

堺の某お屋敷にお伺いする。数年前、お風呂とお便所のリフォームをさせて頂いたお宅で、ここ数年、皆が集まって、一緒に、 なにわ伝統統野菜プロジェクト 楽畑 をしているのだと云う。それで、家族一緒に、見学にお伺いする。

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井戸から汲み上げた水で、畑の水やりを楽しんだりしながら、ぐるぐると歩き廻って、畑の説明をお伺いする。この少し外れでは、まだ、大きな水田も残っていて、堺も広くて様々。畑から、お屋敷の縁側に戻って、時折吹く涼しい風を肌で感じながら、雑談をする。

勝間南瓜 (こつまなんきん)玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)毛馬胡瓜(けまきゅうり) 聞いたことあるような、ないような。とにかく、舌をかみそうな名前であって、そのうち、「私」も、野菜作りに、挑戦してみようかなぁ・・・と、思う気持ちはあるものの、やっぱり、今は、宣言は止めておこう・・・・・・。

それはそうと、京都の「俵屋」さんに泊まったお話をお伺いする。「部屋は、うちの家の雰囲気と、そんなに変わらないけれど、布団の素晴らしさ。こんな布団で寝たことない・・」と、聞くと、あぁ、一度泊まってみたい・・・・と、素直に、憧れてしまった。

布団を手摺りに干して、太陽の光をあてるのが、美観的に良くないという、見解もあるものの、太陽のエネルギーを受けた、ふかふかの布団の気持ちよさは、格別だとおもう。「私」など、天気の良い日に、車から、手摺りに干した布団を見ると、「あぁ、ここのひと、今日の夜、気持ち良く、眠りはるのやなぁ・・・・」と、その気持ち良さを想像してしまう。

キャンプ旅行ををしていて、最終日に旅館に泊まった時などに、何よりも嬉しいのは、ふかふかの布団と、シーツ。やっぱり、布団はエエなぁ・・・・と、体全身が、喜ぶ・・・・・。縁側での会話では、「人生の大半が、寝ているのやからねぇ・・・・・・・・・」と、仰った。確かに。

家づくりの中では、「寝るだけの部屋」なのか、「心地良く寝れる部屋」なのか、という事柄は、話題にのぼりそうで、以外と、等閑(なおざり)になりがちだなぁ・・・・と、少々の、反省をしてみようと想う。

そうそう、リフォームでは、年齢が行けば行くほどに、「一緒に寝る部屋」の意味合いが複雑になる・・・。イビキとか、テレビの音とか、寝る時間とか、起きる時間とか、照明の明るさとか、暗さとか、冷暖房の利き具合とか、暑がりとか、寒がりとか、・・・・・・・・・。でも、お互いの「気配」は感じておきたい・・・・・と。

家づくりにおける、多様な、一緒の過ごし方を、もう一度見つめ直してみようとおもう。

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木村貴一 2009-07-26T13:52:16+09:00
インタホーンとお茶と北斎と富士とB級グルメの旅とその8(完) http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/07/post_250.html インターホーンが、ピンポーンと鳴り、奥方が、インターホンのボタンを押す。液晶画面に何かの勧誘の女の人の姿がフェードインして現れる。柔らかい口調で、「資料の内容を見て下さい」。と、カラーモニターの画面越しに、語りかけてくる。それに受け答えをしながら、奥方は、インターホンの画面のおばちゃんに向かって、「はーい。わかりましたぁー、またぁー、見ときますぅー」と、愛想の良い返事をしながら、モニター画面に向かって、何度も、頭を下げていた。

訪問者の人には、こちらの姿がみえないわけで、食卓の椅子に座りながら、奥方とモニターに映るオバチャンの姿を両方同時に眺めていると、何だか、可笑しかった。うちの家でも、つい最近、価格が安くなったこともあり、モニターなしのインターホーンからカラーモニター付きのインターホーンに替えたばかりの事で、そういえば、新築やリフォームをしている最近のお宅では、ほとんどが、そういう機種を取り付けているので、それぞれの家庭で、ちょっと可笑しな光景が展開されているのだなぁ・・・・と、想像してみた。

モニターの奥では、ノーメークやからぁ・・・とか、部屋が散らかったままで、イヤヤワー・・・・とか、パンツ一丁の姿のままやでぇ・・・・とか、髪の毛濡れたままでぇ・・・とか、・・・・・・・、ひょっとして、訪問者が押すインターホーンのボタンの向こうでは、想像も絶するような光景が広がっているのかもしれない・・・・・。

そんな事を考えている、その傍らでは、セミの鳴き声が、どんどん大きくなり始めていて、気付いたら、もう夏だなぁ・・・・と、奥方の入れてくれた、日本茶を飲みながら、パソコンの画面に向かっている「私」。

「北斎と富士とB級グルメの旅8(完)」

時として、夏でも、熱い日本茶が、美味しいとおもう。「このお茶、もう最後の一杯に近いから・・・・」と、奥方が、一言、付け加えながら、テーブルの上に置いてくれたのには、訳があって、それは、ゴールデンウィークの旅の途中で、偶然に立ち寄って、買った、富士宮市のお茶やさんに、大変、親切にして頂いた印象があって、そのお茶を飲むと、その親切な印象も飲む事になるからだった。

北斎富嶽三十六景山下白雨

この旅の北斎と富士の最終撮影目標は「山下白雨」という絵で、それは、富士宮市あたりで描かれた絵なのだという。朝、8時過ぎにその周辺に到着すると、霧雨。かすかに見える富士山。もう少し雲が退くと、頂上まで見えそうなのだけれど・・・・。

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雨なので、車の中から、撮影を試みるが、撮ったこの写真を、今、振り返って見ると、「もう、これぐらいで、エエのとちゃぅ・・・」というような、諦めムードになっていた様子がよくわかる・・・・・。
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それでも、気を取り直して、撮影してみると、北斎は、富士山の右端に見える、瘤のような、小さな頂きを、描くときに、省いたのだなぁ・・・・、編集したのだなぁ・・・・と、気付く。富士山を右端に寄せて描いたのには、デザイン性だけでない、「実情」もあったのだろう・・・・。それにしても、描くときに、どこをどう工夫すれば、そうなるのかは、解らないけれど、それでもやっぱり、北斎の絵は、「私を見守る富士山」のように思える・・・・・。

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まぁ、そんな訳で、右端にずらした富士山の撮影も試みるのだが、この状況下で、それに、私の写真技術とセンスでは、撮影は無理だと、はっきりと気づき、早々に諦めた。

富士山よりも、茶畑に興味を示したのが、奥方だった。「お茶、買う、買う」と、外国人が話す日本語のように叫びはじめた。大成功とはいかなかった北斎と富士の撮影だったけれど、もう、これで、充分満足することに決めて、お茶やさんを探すことにした。そして、撮影場所の直ぐ近くで、偶然にも、出会ったのが、写真の御茶屋さんで、「やまぜん製茶鈴木園」というところだった。

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お茶の葉の「緑」と、なんとも言えない「香り」。献上茶指定園というのだそうだ。そうか、天皇に献茶をするという、そういう習慣が日本には、あるのだなぁ・・・、珈琲や紅茶は、どうなんだ・・・・と、その、「緑」と「香り」の中で、脳内が、呟いていたのを思い出す。

お茶を買いながら、この場所に偶然にも行き着いた、そのとりとめのない、北斎と富士とB級グルメの旅の話をし、お店の奥さんからは、お茶のお話を聞く。元気そうな子供さん二人が、興味深そうに、私たちをのぞきこんでいた・・・・。

ついでに、美味しい「富士宮やきそば」のお店をお伺いすると、「どこの家でも、家で作って食べるので、お店に行って、食べる事は、めったにないから・・・・」と、言いながら、地図を書いて、教えてもらう。そうそう、そういうのが、その土地独特の食文化と味なのだ・・・・。大阪のたこ焼きだって、お好み焼きだって、そうなんだ・・・。車に乗る前には、富士山の湧き水まで、プレゼントしてもらった。ありがとう。

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近くのスパー銭湯で、朝風呂に入り、住宅街の中にポツンとある、お店で、富士宮焼きそばを食べ、「田貫湖からの富士が美しいよ」と教えてもらたので、立ち寄って見るも、雨で、富士山は見えなかった。

DSC08020(1)その湖から近い猪の頭オートキャンプ場で、泊まることにした。疲れが溜まっていたのだろう、木立の中に囲まれて、ぐっすりと眠る。翌朝も雨。渋滞予想の高速道路を避けるため、早々にキャンプ場を後にする事にした。午前中に東名・名神を使って大阪に向かうと、お昼には、自宅に帰り着いた・・・・・。(完)

と言う訳で、もう、お盆がやって来るという季節になってしまい、ついこの間の出来事だったはずのゴールデンウィークの旅も、かなり前の事に思えてきた。何だか、ちょっと、間抜けな感じ・・・・。

高速道路が、1000円なのか、ただになるのか、それぐらいの違いしか、理解できていない、私の政治情勢があり、また、どうなっているのか、よくわからない経済情勢が絡んでいて、インターホーンの向う側の出来事のように、その、裏側で、どんな混乱が起きているのか、知るよしもない・・・・・。

それでも、やっぱり、お盆休みはやってくる訳で、世の中はどうであれ、それはそれなりに、楽しみでもあって、子供だって、楽しみにしているのだろう。まぁ、楽しみ方を工夫しながら、あまりお金を使わない、省エネな旅行でもしてみようかともおもう。

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木村貴一 2009-07-19T22:39:29+09:00
鰻 「北斎と富士とB級グルメの旅7」 http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/07/b_6.html 鰻が好きか? と問われれば、素直に、「好きだ」と答えたくないのだけれど、まぁ、好きな方だ。「私」は、どちらかと言えば、グルメという訳でもなく、カレーで充分。うどんで充分。確かに讃岐うどんツアーをしてみて、「こし」のあるうどんを食べて、「旨い」と唸ったのだけれど、出汁をすすりながら食べる、あの「へなへなにょろにょろ」のうどんも好きで、それを食べる事の方が、圧倒的に多い。

出汁をすすった瞬間、出汁の味が、目にしみ込みそうになって、ぐぅっと眼をつぶりながら、また、出汁をすすりながら、にょろにょろのうどんを食べる時のあの感覚がエエなぁとおもう。まあ、それは、地域性とその地域特有の文化の違いにもよるのだろう。

この数日前、浜松の白焼きの鰻を頂戴し、食べる機会が二度ほどあって、どれも美味しかった。それを食べながら、「鰻」をおもう。それは、ゴールデンウィークの「北斎と富士とB級グルメの旅」で、三島の鰻屋さんに行ったのだけれど、その事の潜在意識の中には、様々な「鰻」にまつわる出来事が絡み合っていて、「鰻」を食べると、支離滅裂な「私と鰻」を想うことになるのだった。

堺で鰻屋「竹うち」を営む友人が居て、最近は、改装工事をお手伝いさせても頂いているのだけれど、大学生の頃、そのお店とその階上にある住まいに、よく、遊びに行った。そこの、鰻が好きだ。石畳敷きの土間に、そのままの鰻を入れたケースが何段も高く積み上げてあって、井戸水をくみ上げた水を、上から、ちょろちょろと24時間落とし続けている。その水の流れる音が、ピチャピチャと土間に響く。そして、備長炭の炭火の熱気とカラカラという音。

鰻屋の店主であり、今は亡きその友人の父親が、「鰻」が好きかと聞くので、「大好き」と、その時は、素直に答える。そして、どこが美味しかったのかと聞かれる・・・・・。祖父と旅行をする度に、その地域の通ではない、大衆的に有名で、流行っている鰻屋さんに連れてもらっていたので、伊勢の「川はち」とか。三島の「うなよし」の話をし、人がいっぱいで・・・、なんて話をする。何度も断っておくけれど、私は、単なる鰻好きで、グルメではなく、味をよく知っている訳でもない。学生の頃は、なおのこと、そうだ。

小学生の頃に、確か、誕生日か何かのお祝いついでに、祖父に、お寿司屋さんに連れて行ってもらうと、鰻だけを15皿ほど頼んだ記憶がある。今から思えば、よくも、まぁ、黙って、見逃してくれたものだとおうも。この歳になると、そういう事に対する、少しばかりの、感謝の念もわく。まぁ、そういう、単なる、鰻好きな訳け。

13才前後の4、5年間ほど、伊豆に、富士山の見える小さな小屋があって、夏休みの3週間ほどを、そこで、祖父や祖母や兄弟と過ごした。それで、たまに、三島まで行き、「うなよしの鰻」を食べた。旨かったという記憶より、流行っていたという記憶が大きい。何時の時か、小学校の時の友人Uくんを連れだって、その伊豆に、遊びに行った時があり、やっぱり、三島で鰻を食べた。

その時、そのUくんは、鰻の骨が喉に刺さるのが「イヤヤねん」と、言いながら、一本ずつ、鰻の骨を抜き取って、丁寧?に食べる。その滑稽な記憶が、映像として鮮明に残り、時として、今でも、鰻を食べる度に、その記憶が蘇り、ひとりで、ほくそ笑む。もし、私が鰻を食べていて、独り笑いをしていたら、その記憶が蘇っているのだとおもってもらって、間違いない。

ついでに言うと、そのUくんとは、高校生の頃、スケートボードが、まだ、日本で、ほとんど売られてなかった頃に、一緒に遊ぶ。Uくんが言うのには、スケートボードをするのに相応しい場所がなく、探したあげく、何百メートルもの直線が続く、大阪の地下街の虹の町を、思いつき、人通りが少なくなる、閉店間際を狙って、ガードマンに追いかけながら駆け抜ける時のスリル。「たまらんわーー」と。彼はいま、生野区の巽北で、鉄板焼きの店MUDDYを営む。

それで、その、三島の鰻屋さんと、それにまつわる、鰻の骨を含めた「鰻の話」を友人の親父である鰻屋のご主人にする。そして、数ヶ月後のある日、その親父さんに会うと、「親子で、新幹線に乗って、三島まで、鰻、食べに行ってきましたでぇ」と、職人さんの、商売人の、独特の大阪弁のイントネーションで、いう。そして、「まぁまぁやな」・・・・・と、ほんの短いセンテンスと余韻だけを残して、その話題の全てが終わった。

働くようになって、「鰻」を食べながら、時として、その時の「まぁまぁやな・・・・」を思い出す。それは、その三島の鰻屋さんにたいする言葉というよりは、自分の店と自分の店の鰻に対する、職人として、そして店主としての自負であり、姿勢なのではなかったのかと・・・・・。

 

「北斎と富士とB級グルメの旅7」
「私」も店主となった今、その「まぁまぁやな」に含まれた、様々なニュアンスの全てを、何時か、確かめてみたいと思っていた。そして、今となっては、かなわない事だけれど、出来れば、その体験をネタにして、その親父さんと、語り合えれば嬉しいのに。とも、おもう。

それで、三島で鰻を食べる。狭い階段に、前後身動き出来ない状態で、もたれかけながら、30分以上も待って、ようやく、鰻にありつく。大阪では、考えられヘン事。とにかく、繁昌している。繁昌しているというその事そのものが凄い事だとおもう。「鰻」の事は、「まぁまぁやな」の件は、鰻屋「竹うち」の親父の後を継いでいる、私の友人と、何時か、語り合おうとおもう・・・・・。

そうそう、家族3人で、食べ終わったら、既に、午後8時を廻っていた。
ここまで、来たのだから、ついでに、「伊豆の家」に立ち寄る。
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DSC07927「手入れをしない家」というものが如何に、容易く、朽ちて行くものか、と、この目ではっきりと、確認する・・・・・・。そして、不覚にも、12才頃の自分自信の「頭」に出会う。不思議な感覚。なぜか、ジャイアンツの帽子だった。きっと、たまたま、三島で買った帽子が、ジャイアンツだったのだろうか・・・・。記憶がない・・・・・。

早朝、鮮やかな富士山ではないけれど、富士山は見えていた。それで、急いで、富士宮市に向かい、「山下白雨」だけは、何とか撮影したいと願った。


PS
それにしても、今日は、暑い。朝、セミの声も聞いた。夏がやって来たのだ。 そうそう、土用の丑だ。大阪府 堺市 鰻(うなぎ)料理(蒲焼)専門 鰻や 竹うちは、如何ですか!

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木村貴一 2009-07-12T14:39:11+09:00
いのち http://WWW.kimuko.net/blog/archives/2009/07/post_249.html 早朝、掃除をしていると、大工のSくんやって来て、「社長、あのぉ、花壇に、ネコが・・・」というので、見に行くと、花壇の草花の上に、眠るかののように、横たわっているネコが、亡くなっていた。きっと、夜の間に、何かが、起こったのだ。

ところが、それを、どうしたら良いものかと、暫し、悩む。持ち主を捜すのか・・・・。それよりも、何よりも、そのまま放置しておくわけにもいかない。とにかく、動かさなくては・・・。と、脳は、そのように、指示していたのだが、お恥ずかしいことながら、触る勇気がでなくて、体がそのように動かなかった。

そういう時って、一体、何に恐れているのだろうか・・・。自分でも不思議なのだけれど、触る事に躊躇する「私」がそこにいて、「ためらい」が、体全体に充満していた。そうそう、保健所に電話をしたらエエのだと、思いつく。それで、奥方に電話をして、聞くと、「今日は、土曜日やし、来てくれるかな・・・。早く、何とか、してあげてぇ・・・」という。

と言われてみても、触る勇気が出ず、その辺りを、行ったり来たり、ただただ、うろちょろしている、「私」。そうこうしているうちに、経理担当のK林くんが、出社してきて、ネコの事を言うと、「そうですか、全然気付きませんでした。」と言って、軽やかに、ビニール袋を用意して、花壇に上がって、簡単にネコに触って、「もう硬直しているので、結構、時間がたってるとおもいます。」と言いながら、開いている目を閉じさせながら、丁重に、ネコを袋に入れた・・・・。ただただ、傍らで、唖然としながら、感心して見守る「私」。

暫くして、奥方から電話があって、「会社に行こうとおもうけど、もう、ネコ、何とかしたのぉ? よう、見やんから、会社に行くの、ためらうワー」と言う。それで、K林くんの話をすると、「なに、それ、いやぁ、情けないワー、自分で、でけへんかったん。それにしても、K林くん、凄いワー」と。えー、そこまで、言うかぁー、自分は、見ることもでけへん、って、言ってたやん・・・・・。

RIMG0483その時の、脳というものは、支離滅裂だとおもう。「おくりびと」という映画を見たい。と、そう思った。 近くでネコを飼っている人の事が思い浮かんだ。現在リフォーム工事中の現場で、仮設のネコの家を造った写真を思いだした。昔飼ってた、ミニチュアシュナウザーが亡くなった時に触れた体温を思いだした・・・。

きっと、「死」を扱うっていう事柄には、様々な、何かが、含まれているのだろう・・・・・。

そういえば、数日前には、会社に、文鳥が迷い込んで来た。大騒ぎしながらも、皆に、なつく様子が、なんともカワイかった。誰かが、段ボールの、「巣」を造って、一泊させた。会社の前に、「迷い鳥」の張り紙をすると、次の日、近くの散髪屋さんのお祖母さんが、尋ねてきて、「皆が、かわいがっていた鳥を逃がしてしまって、どうしようかと、心配し、悩んでいたんです。」と・・・・・。無事、飼い主の元に戻る・・・・。

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後日、写真に映る、黒い足下の二人が、元気にしているかどうか、散髪屋さんまで、のぞきに行ってきました。元気でしたよ。と。

そうそう、数日前は、何故か、毎年のように、ダイニングに、迷い込んでくる、「青すじアゲハ」が、今年も、やって来た。突然、テーブルの上に現る。なぜ、ここに、毎年、やってくるのだろうかと、本当に不思議におもう。でも、何となく嬉しい。

今年は、テーブルの上で、右向いたり、左向いたり、羽根広げたり、閉じたりと、ポーズを1時間ほどとって、写真撮影を促された。それで、モデルの如く、撮影をしてみる。そして、気が付くと、いつしか、消えて、いなくなった。

このまま、ここで、亡くなるよりは、そのほうが嬉しいともおもう。いつしか、どこかで、亡くなり、そして、いつしか、どこかで、生まれ変わった「青すじアゲハ」は、来年もやって来るのだろうか・・・・・。

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木村貴一 2009-07-05T22:15:31+09:00