朝6時すぎ、次男と一緒にランニングをする。生野区の小路から大阪城を半周し、帰路の6kmを過ぎたあたりで、次男が、ペースをあげるわ。じゃぁ。といって、軽々と「私」を抜き去って、あっという間にその姿が見えなくなった。こうなると、一気に疲れのようなものがどっと出て、体が急に重くなり、しんどいなぁ。と「私」のなかの「誰か」が呟きだした。ひとの心理というのは、オモロイなぁと走りながら苦笑する。家に帰り着くと、次男はすでにお風呂に入って余裕の様子だった。ちくしょう。という気持ちと、何だかちょっと嬉しい気持ちとの共存状態。
午前9時すぎ、その住宅風呂巡礼・福井編のメンバーが三々五々、うちの家に集まる。木村工務店のお施主さんでもある、コトバノイエのカトウさんがサーブに乗って現れた。主演の温泉ソムリエグッチさんと写真家の多田ユウコさんが撮影機材を積んだ車に一緒に乗り合わせてやってくる。設計の矢部達也さんと奥さんが電車でやってきた。うちのダイニングで皆で一緒に珈琲を飲んだあと、車で福井に向かう。6人のオトナが、1台の車に乗り合わせて、それは、まるで、オトナの遠足なのだ。
住宅風呂巡礼というのは、温泉ソムリエぐっちと名乗る、不思議な人物がいなければ成立しない巡礼で、もともと彼は、温泉ソムリエとして、各地の温泉を巡って、その入浴シーンを自分撮りしていた。その彼と木村家本舗で知り合って、温泉だけではなく、有名無名住宅のお風呂に入浴するシーンを撮影しようよぉ。と何気なく声をかけると、はい、やりましょぉ。と、いとも気軽に返事がかえってきた。
いわゆる、今まで経験したことはないれど、なんか、ちょっとオモロそうな事を、お金にもな~んにもならない事だけれど、兎に角、大まじめにそれをやってみりゃぁ、どないかなるやろぉ。という感覚なのだろう。そういうのを大阪弁では「いちびり」な精神というのか。そういう、ちょっとした遊び心を持つ、お調子者(いちびり)のぐっちさんがいての住宅風呂巡礼。
それに、若き女性写真家の多田ユウコさんが、そういう「いちびり」に相乗りしてくれて、そのうえ建築家のヤベさんが、大まじめなお遊びとして、進路と方向が間違わないように、手綱を握ってくれるコトになる。そのうえのうえに、オーディエンス件、ご意見番として、コトバノイエのカトウさんも意識的に「いちびり」になってくれた。
そんなこんなで、第一回はうちの家。第二回はヤベさん自邸。そして、今日の第三回は、ヤベさん設計で竣工して間もない福井の家にお邪魔するコトになった。うちの奥方をして、皆、あほちゃう!福井まで、そんなコトしに行くのぉ!と、住宅風呂巡礼者として、いちびり者として、有難きお褒めのコトバまで頂戴した、福井へのオトナの遠足・・・・。
午後12時すぎ、雪の福井に到着。ヤベさんのお薦めとコーディネートで、まずは福井の永平寺町にある「けんぞう」という蕎麦屋さんで腹ごしらえ。旅で、地元の美味しいものを食べるというのは、旅の楽しみのひとつで、これを地産地消と呼ぶのだろうか・・・。
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午後13時すぎ、その蕎麦屋さんからすぐ近くの福井の家に到着し、住宅風呂巡礼の撮影を開始する。その撮影風景を、住まい手のご家族が、笑い声と共に、一緒に楽しんでくれた姿が、住宅風呂巡礼者にとっての一番の喜び事なのかもしれない・・・。
午後15時まえ撮影を無事終了する。撮影の様子は、「まちのえんがわ」での掲載に譲るとして、撮影終了後は、福井の家のご家族から、「へしこ」や「ぜんまい」やなどなど、手料理をご馳走になった。私の今までの旅では、たんなる旅行者として、食事処で、食事をするのが通常だったが、地元の家庭料理を地元の家庭で、その家族と一緒に食べられるというのは、住宅風呂巡礼冥利につきる事だなぁ。とあらためて、感謝の気持ち。
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午後18時30分、話がはずんで、少々長居しすぎた感じ、さて、そろそろ、大阪に帰らなくてはと、ようやく福井を出発した。もうすっかり日が暮れて、月が出ていた。通過する福井の街には除雪の雪が積もっていて、閉店間際の福井駅のお土産物屋さんに立ち寄って、「ソースかつのたれ」とトマトドレッシング「越のルビー」を手に入れたのも、旅の基本ってとこだなぁ・・・・。
午後10時すぎ、大阪に到着し、皆で、旅の無事と喜びを分かち合って解散した。そして、日曜日に書く事に自分で決めている、このブログを書く、いまとここ。ということで、ランニングという家族の事情やブログを書くという仕事の事情などなど、遠足の前後に、あれやこれやと、絡みついてくるところが、オトナの遠足の醍醐味なのだろうか・・・・・・。
]]>それは、自分の趣味を人に採点されたくないわ。という、至極当たり前の気持ちであるはずのに、その採点結果が発表されて、思いの外、自分の選択した曲の評価が低いと、俺の趣味など、解ってたまるかぁ。あいつら、音楽解ってへん。というような、妙に悔しい気持ちが湧き起こり、自分の選曲ミスを後悔しながらも、自分の音楽趣味に対する評価の低さに、憤りのようなものが沸々と湧いてきて、その事が、自分の中の小さな小さなプライドのようなもに傷がつき、それゆえに、妙な感情が尾を引いて残るのが、とっても不思議。
だったら、そんな悪趣味な、点数を付けて争うような音宴をしなければ良いのだが、他の人が一生懸命チョイスした5曲を聴くのは、ほんとうに楽しくて、意外な発見や、新たな音楽との出会いもあって、それに、あらためて、自分が好む曲が何なのかが理解できて、それ故に、自分の偏った嗜好性も発見し、また、高校生や大学生の頃に聴いた、スタンダードなエエ曲がかかると、かつての若かりし頃に聴いたその曲とその当時の思い出に対する高評価と感謝のような気持ちが湧いてきて、高得点を入れる。
いや、実は、そんな感情的問題や論理的問題そのものより、その時間、その音楽に対して、真っ正面に向き合って、一生懸命に聴く、というその行為が、五感を刺激するとっても心地良い個人的体験があり、それに、その体験を数人で共有するという、妙な音楽共有体験が生まれて、それが、この音宴の楽しさの本質ではないのかとおもう。結局のところ点数を付けるのは、この遊びを大まじめに取り組むための、方便にすぎないのでないのかと・・・・。
第一回目のメンバーによる音宴では、点数としては「私」が最高点であったので、妙なな満足感が生じ、第二回目音宴は、第一回目とはまた別のメンバーによって催されて、そこでは、コトバノイエのカトウさんが最高点で、それ故に、この回は、「私」の中には、妙な感情が暫くの間、ぐずぐずと引きずっていた。今回の第三回目は、第一回目のメンバーによる音宴で、特に、感情的違和感を抱いていた、第一回メンバーによるリベンジ力が、沸々と煮えたぎっていて、ところが、もともとは、東北の震災前後に開くコトになっていたのだが、あの震災の突発によって、延び延びになっていた事も沸々力に拍車がかかっていたとおもう。
それ故に、どのメンバーの選曲にも、その人なりの真剣さが、ひしひしと伝わって、かなりの聴き応えがあって、今回は設計のマイタニさんが、プログレッシブロックによる5曲を選曲し、最高点を獲得したのだけれど、なんと言っても、今回の参加メンバーのひとり、Uさんが、リベンジを果たすために、数日前から、沸々とした日々を過ごし、前日には、家で音楽をかけながら、奥さんに、これ、どう、エエ曲やろ。といろいろと確かめながら大きな音でかけ続けたために、同居する母親に、音が大き過ぎる。うるさい!と、窘められたそうだ。もはやそれは、40も後半にさしかかった、大人であるコトを忘れた、ほとんど高校生のような心理状態だったのだろう・・・。
それに、前日は、ほとんど寝ることなく選曲し、当日は、自分が愛用するレコード針まで持ち込んでやって来るという、気合いの入れようで、その上に、遊びというものの、何とか評価されたい、とする気持ちが、かなり強かったのだろうか、渾身の5曲をかけ終わり、ほっとし、最終のDJを勤めるマイタニさんのプログレッシブロックを聴いているうちに、暖炉の横で、熟睡をする姿が・・・・・。
一週間たった今、振り返ってみても少々滑稽な姿は、他の人が「一生懸命チョイス」した曲を聴かずに寝るとは何たる事かという、憤りのようなものを、「私」も含めた残りのメンバー全員が、その時その場で、少々だけれど感じていた事で、もちろん、大人の単なる遊びであるが故に、咎める訳もなく、それは、アカンでぇ・・・とう程度の嗜めと、翌日にUさん本人から謝罪メールのようなものもあって、この音宴に対する、「私」も含めた、メンバー間の妙な真剣さが、やっぱり滑稽と云えば滑稽。
こんな音宴の何が、人を真剣にさすのか?きっとこれがオタクの心境というやつだなぁ。
PS
ちなみに、今回の「私」のチョイスをカミングアウトすると
テーマはマイルスにおける変化するコトと変化しないモノ
1曲目 マイルス : Cookin’ : My Funny Valentine
2曲目 マイルス : Kind of Blue :So What
3曲目 マイルス : Four&More :So What
4曲目 マイルス : in a Silent Way :Shhh/Peaceful
5曲目 マイルス : We want Miles :Jean Pierre
マイルスの「Nefertiti」を入れたかったのだなぁという迷いがずっとあって、今振り返ってみても、そのコトが、面白い心理状態だったなぁ・・・・。とおもう。
そういえば、もともと社員の家族が集まって、うちの庭で始めたお餅つきも、社員の家族だけでなく、OBのお施主さんで、小さな子供さんがいらっしゃる方を中心にして来てもらうようになり、雨天の事なども考慮して、会社の加工場で催すようになった。昨年は、現場監督のナカタさんの突然の訃報で、急遽お餅つきを中止したし、それにあの震災もあって、日本国内もうちの会社も不穏な2011年だったとおもう。
心機一転。
Go Ahead 2012。
昨年の暮れに、「まちのえんがわ」という路面店をオープンしたこコトもあり、このお餅つきも、「まちのえんがわ」プロジェクトの一環として、また、これから始めていく「ワークショップ」の景気づけの役目も担いながら、なによりも、お餅つきという日本的要素をたっぷりと含んだ文化というものの継承と伝達のためにも続けていこうとおもう。
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お餅をつくまでの、いわゆる面倒くさい準備があって、これが、ものづくりのプロセスと同じく、これも面白いのだ。とおもえる中年がいなければ、成り立たないのがお餅つきだとおもう。お餅をつくための杵や臼だけでなく、お
米を蒸すための道具やお餅を丸めるための道具立てなどなど、うちは昔ながら、竈でお湯を沸かし、竈で蒸すので、そのために建築廃材を薪として使うこともあって、それらの段取りも中高年がする・・・。
そうそう、竈の「火」の側は人気の場所で、火を燃やし、火を見て、火の熱さや臭いを感じる。という行為の中には、不思議と癒される何かがあって、その側には何人かがたむろし、何気ないコミュニケーションが発生する。竈で火を燃やすというのは、お餅つきでの何よりもの楽しみのひとつだなぁ・・・・。
今朝、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんと顔を合わすと、社長、昨日、元気ですね。お餅、ちょっと、つきすぎですよ。きっと明日は足腰パンパンになってますよ。と、皆で話していたんですよね。と云われる。いや、全くそのとおり、少々パンパン、少々腰痛し、とカミングアウト。まぁ、でも、よくよく考えて見れば、今までは、何人かの年寄りの先輩達にお餅つきを指導をしてもらっていたが、今年からは、若手が積極的にお餅をつくようになって、賑やかで、威勢が良くて、活力があって、楽しかった。きっと若い人たちから元気をもらったのだとおもう。ありがとう!
そう考えて見ると、活力そのものが、お餅をつくるためのエネルギー源であって、活気が、杵と臼の間に挟まれた餅米をお餅に変容させるわけで、そうやってついたお餅には、活力パワーが宿っているのだ。と信じてみようかとおもう。いや、確かに、今朝食べたお餅は、特別美味しかったような気がするのだ・・・・。
基本的には男子がお餅をついて女子がお餅を丸めるわけで、そういう協同作業の中にも、日本的文化の何かを垣間見る。何人もの家族がお子さんと一緒にお餅をついた光景は、確かに微笑ましかったし、そういえば、現場監督のモリタくんの奥さんがお餅をつき、それを見守る娘さんが、
お母さんに「頑張って!頑張って!」と声援を送りだし、それを笑顔で見守るお父さんと周囲のひと達。加工場中に、なんとも言えない暖かいムードが漂う瞬間でもあった。「子供力」だなぁ・・・・。それで、これ以降、皆がこれを真似て、おっさん声の「頑張って頑張って」コールが加工場内に響き渡る。
それにしても、何よりもお餅つきで面倒なのが後片付けという作業で、しかしながら、ものづくりのプロセスでは、必ず必要で、また一番大切なコトのひとつ。この面倒くささを軽快に乗り越えられるのがどうかが、お餅というものづくりを継続するコツなのだろう・・・。幸いにも、社員とその家族の皆さんが後片付けを気持ち良く手伝ってくれて、心地良く2012年のお餅つきを終えるコトが出来たのも、とっても嬉しい出来事だった。
ちょっと面倒で、それゆえに独特の楽しさがある、「ものづくり」と「そのプロセス」。その一端を知り、学び、遊ぶ場としてのお餅つき。参加して頂いた、まさしく、老若男女の皆々様に感謝すると共に、お餅つきという日本的文化にも感謝しておこうかとおもう。
PS
このお餅つきのあと、「音宴」という温熱のノイケさんを中心とした仲間でのお遊びが、木村家本舗であって、それが深夜まで続いたのが、朝、起きられなかった原因だな・・・。その様子は、また何時か。
昨年、木村家本舗で女性3人の写真展を開いて、写真展というものに全く興味がなかった「私」というこの存在が、コトバノイエのカトウさんの企画と、それを受けて、写真家のノモトヒロヒトさんのディレクションによって、3人の女性写真家が選ばれて、その数々の写真を見て、少しは写真に興味がもてるようになった。
その3人のうちのひとり、この上の女性の写真を撮った山元彩香さんの写真展が元町であって、それを見に行くための電車乗りだった。彼女は20代の女性で、リトアニアまでひとりで出かけて、森で、女性の写真を撮るのだと。会うと、ほんとうに普通のカワイラシイ女の子なのに。何が彼女をそうさせるのか、不思議な感じ・・・・。
「写真を買って家に飾る」なんていうライフスタイルを考えたことがなく。山元彩香さんから、家に飾ってよぉ。と云われても、それが、そのぉ、見ず知らずの女性が、うちのダイニングの壁に飾られて、食事しながらそれを見ていると、その子の人生を考えるやん。とぼけてみる。寝る前に、ダイニングの電気消したときに、その写真から、出てきたりせぇへん。と突っ込んだりする。そんな事ないです。今度写真持って行きますから飾って下さい。と云うのだが、果たして、「写真家の写真があるLIFE」とはいかなるものなのか・・。
何て云う話を元町の中華料理屋さんで、木村家本舗の写真展をディレクションしてくれたノモトヒロヒトさんも交えて、ほとんどが30歳までの若い男女15人ほどが、中華の廻る円卓を囲みながらワイワイガヤガヤ。「私」は飛び抜けて最年長。それで、冒頭の写真が、そのノモトさんの写真。「LIFE」というシリーズ。ブルーのダウンを着ているのがノモト氏。握手をしている女性がヤマモトアヤカ氏。
それにしても、あの震災を真っ正面から撮影した建物のファサードはとってもインパクトのある写真だとおもう。昨年の夏に気仙沼に行った経験の中で、確かに、建築好きな「私」という存在の一部に棲息している私の中の誰かが、ファサード、撮りたい。真っ正面から撮りたい。と呟いていたが、周辺に漂う「沈黙」によって、堂々と写真を撮れる勇気、いやいや、勇気と云うよりも、その行為によって畏敬の念を失うコトへの震えなのだろう、道で、写真を撮ることなど全く出来なかった。ノモトさんは、おそらく、心の中に去来する、もっと様々な葛藤の中で、ファサードを真っ正面から、ある意味、堂々と、客観的に、撮ったのだろう・・・・。
円卓のテーブルから、チンジャオロースや、ハルマキや、スブタや、ギョウザや、などなど、けっこう美味しかった中華をぐるぐる回して取りながら、そんなコトを問いかけてみる。すると。実は、この写真を発表するにあたって、住まわれている人、一軒一軒を尋ねて、許可をもらいに行ったのだという。もう今は、完全に撤去されて跡形もなくなってしまった、冒頭の写真のファサードの持ち主は、おじいさんが造った建物なのだと、涙を流して、喜んで、許可してくれた・・・・と。 ノモトヒロヒト写真展LIFEのページを一読してみて下さい。
写真力か・・・。
]]>ま夜中。勿論、真っ暗闇。和風旅館の12畳の間に4枚の布団が並べられていて、家族4人が枕を並べて寝ていた。こんな寝方をした事って、何時以来の事なのかと考えてみるが思い出せない・・・。全員が、ぐっすりと寝ている、その時に、外から、突然、「どす~ん!!」という大音響が鳴り響く。それは、ピカッ、ドォーンと雷がすぐ側で落ちる音を遙かに上回る大きな音に聞こえた。
熟睡中の4人が飛び起きる。何?、何!、という息子二人の声。「私」は布団の中で目をつぶったまま、雷と違うかぁと呟く。奥方は素早く起き上がって、窓の側まで行って、カーテンを開て確認する。辺りは真っ暗闇で、何ごともなかった事を確認し、大丈夫やわ。と呟いて、床に着く。そのコトバを聞いて、全員が再び眠りに落ちた。
その日の朝から雪がしんしんと降り出していた。朝風呂に入って、朝食会場まで行って朝食を食べていると、女将が挨拶に来て、あれやこれやと話をしているうちに、昨日の夜中の話になって、あの大きな雷の事をこの地方では、「雪おこし」と呼んで、雪が激しく降るときの合図なのだ。と云う。今日の道路はまだ大丈夫だけれど、明日の朝あたりは凍結して道も危険になるだろうねぇ・・・・と。
深夜は、寝ぼけた状態で、ただの雷やな。なんていう、ちょっと冷めた心のありようだったが、女将の話を聞いているうちに、とっても不思議な体験をしたのだと思えてきた。確かに、とてつもなく大きな音だった。奥方は、夢の中で、戦争が起こって、爆弾が飛来してきたと思ったらしい。確かに、日本海の向こうには、テポドンを持つ国がある。それで、ビックリして飛び起き、窓際に駆け寄り、窓の外を見て、爆撃の炎があがっていない事を確認し、ほっとしたのだ・・・・・と。
そんな事をフェースブックに書くと・・・・・
夜中にめちゃくちゃ大きな雷の音がして、ビックリして家族全員目が覚めた。それを雪おこしと云うらしい。朝から雪の久美浜。— 碧水御苑にいます。

矢部 達也
ホンマでっか?
1月4日 10:09 ·
木村 貴一
ウソちゃいまっ。ホンマホンマ!
爆弾落ちたとおもうほど。
うちの奥方、夢の中で、戦争起こったと思って、起きて、窓の外見て、炎あがってないのを見て、安心したらしい。
1月4日 10:25
河田 昌裕
昔は「天狗倒し」とも呼ばれて、山中で遭遇すると、妖怪の仕業と恐れたそうです。
1月4日 11:36
木村 貴一 河田さん、
あれ、天狗倒しとも云うのですか、
いや、ほんとうに馬鹿でかい音でした。
1月4日 15:09
河田 昌裕
水木しげる先生が、戦争中の体験で語ってました。真夜中に、天狗が大木を倒すような音が響くことから、「天狗倒し」なのだとか。世界中に同様の現象があるそうです…。
1月4日 16:13
雪起こし、雪下ろし、天狗倒し、古杣(ふるそま)、いろいろな呼ばれ方をする怪音現象が世の中にはあるらしい。自然の神秘というものをあらためて体感したお正月で、そうそう、5日にはUSJを初体験し、乗り物酔いでクラクラした状態だったが、五感で体験するというのはやっぱりエエなぁ・・・とおもえたお正月でもあった。
さて、木村工務店では1月の6日が初出で、7日より通常営業が始まり。現場も動き出しています。また、「まちのえんがわ」も7日8日9日とスタッフが常駐しておりますので、皆さん、お気軽にお越し下さい。
]]>2004年からこのブログを書いてきて、元旦が日曜日だったことがなく、初めての1月1日日曜で、流石に、ブログを書く気があるような、ないような、とっても複雑な気分・・・。そんな気分の、いまとここは、午後9時をまわり、奥方の実家の食卓のテーブルの前に座りながら、背後には奥方の姉妹家族がテレビを見たりトランプをしたりする笑い声があって、正月気分満載。
背後から、奥方の妹の旦那さんが、ブログ読んでるでぇ・・・という意外な声援があり、その上、出来るのなら、看護婦さんの忘年会に参加したいわ。というヤジまで飛んできて、またそれを聞いた、女性陣が、それなになに、となって、また、ひとしきり、その話をして、盛り上がったりして、有難くもあり、めんどくさくもあり、いやいや、心の中では、結構喜んでいるのだなぁ・・・・・。
そういえば、12月29日は、木村工務店の伝統で、午前中に大掃除をして、お昼は皆で食事とお酒の納会をし、一本締めで終える。社員だけでなく大工さんと手伝いさんも一緒なので、まぁ、ここに参加するメンバーが、直系の木村工務店ファミリーなのだろう。一年間の出来事を踏まえて、誰かが酒のあてになって、どちらかと言えば、吉本新喜劇的に、わいわい言って、一年を洗い流すのは、いまこの年になると、大掃除という習慣と共に、先人達が残してくれた、日本のエエ伝統なのだ。と感じる。
毎朝、5時30分過ぎに目が覚めるのだけれど、12月30日は、目が覚めたら8時をまわっていた。その上、少し風邪気味。長男が東京から帰ってきたので、廃材の薪で、暖炉を付けて、その側で一緒にゴロリとなりながら、あれやこれやと、四方山話をしながらお互いにレコードをかけ合う。
そのうち風邪気味の眠気が突然襲ってきて、気がついたら寝ていた。暫くすると、背後で、ウイニングイレブンのテレビゲームをする兄弟の声が聞こえてきて、それを見ながら、ゴロンとしているうちに、「私」も次男と対戦するが、コテンパンにやっつけられて、「あっはっはっ」と軽やかに笑い飛ばし席を立つ次男。その残像のような声を耳に残しながら、またゴロンとしてるうちに寝てしまった。そして、時折、フェースブックを覗いて寝る。時折、本を読み、そして、また寝る。寝て起きて寝て起きて寝た1月30日だった。
1月31日朝の6時前、目が覚めると爽快だった。それで10kmのランニング納めをし、スパー銭湯に行って、一年の垢も洗い流す。それにしても、久しぶりによく寝ると、脳の中にあるゴミのようなものや、雑音のようなものや、バグのようなものが、睡眠と共に取り除いてくれて、脳を最適化してくれたような感じで、スカットした。
奥方は、昨日の「私」の様子を察知して、我慢してくれていたのだろう、銭湯から帰ってきた、この日の「私」の顔を見て、はいはい、大掃除です。えっっと、担当は、リビングの床と窓硝子ね。次男は、このデッキの床と自分の部屋ね・・・と、命令が飛んできて、それに付け加えるように、これからの男性は、家の手伝いをせんとねぇ・・・と、駄目出し。
やっぱり、無垢材の床は、絞った雑巾で水拭きするのが一番だと、自分で拭いてみて、あらためて思う。うちのリビングは、木童の土佐栂という無垢の栂材で、オイルも何も付けていないので、拭けば拭くほど、ジーパンの洗いざらしのような良さと艶が出て良いのだけれど、それにしても拭く頻度が少なすぎるなぁ・・・と反省する。勿論、オイル拭きはオイル拭きでそれなりにエエのですけどね。窓は、少しの洗剤で水拭きし、次にワイパーで水を切り、それから乾拭きする。というのが、プロの洗い屋さんがする順序。その通りにすると、かなりプロっぽく綺麗になるのだが、ちょっとすると、すぐイヤになって、プロフェッショナルというのは、それをずっと続けて、早く出来るかどうかなのだなぁ・・・と、大掃除で、あらためて気付いたりして・・・・・。
そんなこんなで、12月31日も日が暮れて、本を読んだり、フェースブックを見たりしながら、ガキの使いスペシャルで少々大笑いし、長渕剛の歌や石川さゆりの津軽海峡冬景色を聞いて涙する奥方を横目で見ながら紅白歌合戦を見て、行く年来る年が始まると、うちで施工をした、地元の清見原神社に、家族4人で向かって、初詣をする。という、典型的な日本の正月っていうパターンで、小さな幸せ気分。
1月1日の朝は、両親を交えた家族で、「おとそ」をし、暫くしてやって来た、うちの兄弟の子供達と一緒に、わいわいがやがやと新年の喜びを分かち合い、長男とは、昨年暮れにオープンした「まちのえんがわ」で腰掛けながら、あれやこれやと話をしていると、故郷に帰ってウオーキング中のコトバノイエのカトウさんから電話があって、「まちのえんがわ」から新年の挨拶を交わす。そうこうしていると、うちの妹が初めて「まちのえんがわ」にやってきて、なんだかんだ。そんなこんなで、家に戻ろうとしている時に、「まちのえんがわ」でゴソゴソしている「私」の姿を見て、近所のひとが、知り合いと一緒に、初詣の道すがら立ち寄って、それに向かいの自宅にいる親父まで、巻き込んで、話がはずんでいるうちに夕方になってしまい、慌てて奥方の実家に向かう。何十年も続く恒例で、暮れに奥方とうちの両親とが一緒に黒門市場に行く。そのふぐでワイワイと鍋をして、そして、いまここ。




というわけで、初詣、おとそ、「まちのえんがわ」での縁側コミュニケーション、奥方の実家でテレビの漫才ドリームマッチを背後で聞きながらのブログ書き、で始まった2012年。あらためまして、本年もこのブログ共々、木村工務店をご愛顧賜りますよう、よろしくお願い致します。
]]>ワークショップは、学びや創造、問題解決やトレーニングの手法である。参加者が自発的に作業や発言をおこなえる環境が整った場において、ファシリテーターと呼ばれる司会進行役を中心に、参加者全員が体験するものとして運営される形態がポピュラー。・・・・
完成された作品を見る。という形式ではなく、一緒に、ものづくりの過程を体験することによって、何かを学んだり、理解していこうとする、ひとつの手法の事なのだろう。12月1日に正式にオープンした「まちのえんがわ」では、その「ワークショップ」を企画していて、あれやこれやと、話し合っている。
「家」を完成されたプロダクト商品のひとつとして「買う」というのも、素敵な行為のひとつで、物を買うという行為に潜む独特の楽しさと高揚感には、いかんともしがたい魅力があって、特に、高額の商品としての「家」では、インターネットであらゆる情報をくまなく取得し、モデルハウスで慎重に確かめながら、家を比較して買うというのが今の主流なのだろう。
「家を商品として買う」という考え方が、ひとつのタイプとすれば、家を「ものづくり」のひとつと捉えて「家づくり」をするという考え方もあって、木村工務店はそちらのタイプ。家づくりの過程をお客さんと一緒に共有しながら、お客様のライフスタイルが活かされる家を志向する。出来たときの商品価値が最も高いプロダクト商品に対して、そこに住む住まい手にとっての住んでからの商品価値が高まっていく家を志向する。
ところが、それが、そうすんなりとは行かい場合があって、「ものづくり」の過程に潜在的に潜む「不完全さ」が立ちはだかる。その上、工事現場での職人さんによるものづくりのプロセスがブラックボックス化されていて、見えなくなっている昨今、木村家本舗にお見えになった二十代の女性グループは「左官」というのを見たことがないし、知らない!と軽やかに言い切った。
そんなこんなで、「職人さんによるワークショップ」を通じて、建築というものづくりの職種と過程、ものづくりの「面白さ」と「面倒くささ」「不完全さ」を知り、学んでもらいながら、「家づくり」の「過程」を「お施主さんと設計士と現場監督と職人さん」とで「共有」し、住まい手の「ライフスタイル」が活かされる家を造っていこう。というのが、「まちのえんがわ」で催す木村工務店ワークショップで、それが木村工務店スタイルだともいえる。
建築の工事に「板金」という工種があって、木村工務店では松倉商店さんと山口板金さんがその仕事をしてくれているのだけれど、「ブリキの鉛筆立て造りと板金工事」というワークショップを企画中で、その試作品を銅板で造って持ってきてくれた。ついでに、板金で折った折り鶴。へぇー、板金で折り鶴が造れるのだと、「私」も初めて知った。
長男の縁で、下北沢で「cafe スロコメ@下北沢」 、経堂で、お湯かふぇ「さばのゆ@経堂」を経営するコメディライター&プロデューサー 須田泰成さんが、ふらりと「まちのえんがわ」へお越しになって、「初めての「まちのえんがわ」体験、とても良い時間を過ごさせていただきました。 このようにブログに書かせていただきました。 」とメールまで頂戴し、
そして、こんな路地の縁側が、
様々な人たちが行き交う広場であり、
街の劇場であり、産地と街をつなぐ交易の場(市)であり、
あるいは、知恵や情報を交換したり、教えたり、学んだり、
新しいアイディアが熟成したりする大学や研究所のような空間になったり、
無限の可能性が秘めているのです。
というメッセージをもらった。大阪の福島でお店をオープンしたとの事で、楽しいワークショップを一緒に企画できるのかもしれない・・・・。
23日の祝日、コトバノイエの造園を手がけた家谷さんが、ふらりと「まちのえんがわ」にやって来て、あれこれと話をするうちに、「路地裏植栽学」というのを教えてもらう。それで、早速、「まちのえんがわ」の近くの何本かの路地裏通りを一緒に歩き回りながら、長屋の家々の前にある植木鉢の植栽を眺め、それなりの素朴な面白さを体感する。そこに、プロとしてのちょっとしたアドバイスとか、隠し味的エッセンスをさりげなく加味したりして、町並みを形成するための手助けが出来ないものかと話し合う。来年の春頃には、「路地裏植栽学ワークショップ」を開催する予定。
「まちのえんがわ」の土日祝は、スタッフの青木さんが常駐してくれているのだけれど、そのアオキさんの縁で、絵本作家の谷口智則さんが、今日のお昼にお見えになる。絵本作家の方とお話をするのは初体験。話をしているうちに、絵本の事も少しずつ理解できてきて、なるほどなるほど。子供達と一緒にするワークショップで、住まいの中に飾れるモビールのようなものづくりのワークショップとか、紙芝居などなど・・・。3月頃に開催する予定。
ワークショップといコトバを聞くと、ジャズファンとしての「私」は、「ミンガス・ジャズ・ワークショップ」というのが、いつも浮かんできて、「プレゼンツミンガス」を筆頭に、「ブラックセイントアンドシニアーレディー」とか「ブルースアンドルーツ」とか「oh yeah」「道化師」「直立猿人」などなど、好きなアルバムがいっぱいあって、若い時は、音楽を創造する過程を表現するようなその手法に心が強く惹かれた。そんな意味では、「木村工務店・建築・ワークショップ」なのかもしれない・・・。
さてさて、気付いてみると、これが、今年最後の「Voice of 木村工務店」で、今年お読み頂いた皆様には心からお礼を申し上げると共に、来年は、「まちのえんがわ」を通じての「ワークショップ」など、新たな展開を考えておりますので、来年もご愛顧くださいますよう、よろしくお願い致します。
それでは、良いお年を!
]]>「男の中に女が二人」という、「男宴」で、職人と現場監督と設計士が、時には
、けっこう真面目に熱く語り合い、時には、どちらかと言えば、悪ふざけな事をしながら、心底笑い合う。毎年の事だが、行きのバスはシーンとして静かなのに、帰りのバスでは、皆が酔っていて、賑やかなんていうのは、遙かに通り越して、怒号が飛び交う状態で、内輪では、オモロイが、外から見れば、かなりの馬鹿。なのだ。とおもう。お作りとお寿司と天ぷらと鍋と飲み放題という、味も量も場所も含めて、コストパフォーマンスがかなり高い「男宴」だった。「感謝」
二次会は、社員の全員というわけではないが、かなりの社員と大工さん数人とで、布施のスナックに行って、カラオケをする。これも、毎年のようなパターンなのだけれど、夜の世界に、めっぽう強いS大工が、毎年のようにスナックを予約してくれて、そういう意味でも、大工さんと社員は、ひとつのチームのような感じなのだろう。
それにしても、二十歳ぐらいの、女の子と会話する機会など、めったにないのは、うちの子供達が、男二人だという事が原因なのかもしれないが、若い女の子と、なんともぎくしゃくした、歯切れの悪い会話をする50を過ぎた、おっちゃんなのだと、自覚したね・・・。
この週の土曜日のお昼には石川友博建築設計事務所設計による、木造2階建て住宅の上棟式があって、土曜日にしか休みを取れないお施主さんの事情や、その日に、設計のイシカワさんが、夕方前から、結婚式に出席するという所用があり、また、弊社の工程としても、もう一週間、上棟を早める事がムツカシイ状況だという、様々な要因が重なっての、お昼の上棟式となった。
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そんな事情もあって、ほとんど、お酒が飲めない状況でもあるので、宴としては、盛り上がりには少々欠けるのかもしれないが、大工二人が「鉋対決」をして、「光る柱」が、建物の角に、ひっそりと養生されて、佇んでいるというエピソードもあり、冬の晴天に恵まれて、上棟式用として簡易に作る合板のテーブルの上に、冬の柔らかな日差しが差し込んで、かなり高級な、なだ万のお弁当を照らし、その柔らかな日差しを感じながら、大工や鳶や現場監督と共に、設計のイシカワさんやお施主さんと一緒に喜びを分かち合い、一緒に食べる「昼宴」は、印象に残る、お昼の上棟式になった。「感謝」
その日の夜、産婦人科医院の忘年会に夫婦でお誘いを頂戴し、最近、ミュシュランの二つ星に認定されたという、奈良の「無窓庵」に向かう。偶然にも無窓庵さんとは、不思議な御縁があって、女将の息子さんが、奈良にあるうちの祖母の土地で、日本蜜蜂の蜂蜜を採取されていて、そんなご縁で、うちの会社まで、わざわざその蜂蜜を届けに来て頂いたりし、また一度だけ、食事をした経験もあって、工務店の私たち夫婦が、唐突にも、お医者さんと看護婦さんの忘年会に現れたのには、たいそう驚かれていた。
その女将の驚きより、きっと「私」のほうが、驚いた顔をしていたのかもしれない。それは、突然、いや、唐突に、30人中男4人の「女宴」に迷い込んで、しかも、いつもいつも、職人や現場監督や設計士という、かなりむさ苦しい男どもと「男宴」ばかりを経験しているわけで、その上、前日、いや、ほとんど当日の超早朝まで続く男宴の余韻が残っていた直後のこの状況で、しかもしかも、座敷に車座状態のお膳が並んでいて、その上座に座らされると、ほんとうに、つい先ほどまで、上座から、野郎達の顔と風体を眺めていた私の「目」は、お膳の前に座る看護婦さん達の姿に、少々ドギマギしながらも、かなり、キラキラとして、喜んでいたはずなのだ。 


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料理もお酒も、大変美味しくて、しかも、この人数でするには、丁度良い座敷の大きさで、こんなエエ場所で、「女宴」を催すと、他の場所では二度と出来ないだろうなぁ・・・と、羨ましい限り。
ところで、この宴で、もっとも盛り上がったのは、豪華景品付きのビンゴゲームで、唐突な参加者でもあるという、妙な気遣いも発露し、綺麗どころの看護婦さん達と、右手を高らかに挙げて、レッツビンゴーと一緒にかけ声をあわせる、とってもベタな司会をさせていただいた・・・・。
その上、二次会は、10人ほどで、なんと、奈良から大阪のミナミまでタクシーで出かけて、ノリノリのエレキギターの生演奏の元でのカラオケライブバーを深夜まで楽しんで、こんな忘年会を経験できるなんて、めったにない事で、ほんとうに「感謝感激雨あられ」という、まったくもって、おじさん的な喜び表現しか、思い当たらない。
「男宴」「昼宴」「女宴」いずれにしても、様々な「縁」のおかげであって、感謝の大安売りも感謝の値打ちが下がるので、なんと表現すれば良いのか、コトバが見あたらないが、この三つの宴で縁をもった皆々様に、深々と一礼を拝しておきたい・・・・。
]]>12月7日水曜日に中之島の中央公会堂の小会議室で、「第11回関西建築家大賞表彰&トークイベント」というのがあって、ATERIA ASHの矢田さんがその大賞を受賞し、弊社で施工したES house-02がその受賞作品のひとつに選ばれた。
式場では、審査建築家の香山壽夫さんが、講評を述べられて、印象的だったのは、「それぞれの建築家の行っていることを虚心に見せていただき、そしてその結果、心が最も強く動かされたものを選ぶことにいたしました。」と述べられた後、「付け加えるなら、その建築の中に、長く居たい。もっと長く居たい。とおもわせるものを選定しました」「それはルイスカーンの語った言葉でもあります。」と語られた事が、心に強く響いた。そうそう、竹原義二さんと香山壽夫さんと矢田朝士さんによるトークイベントもとっても良い鼎談で、その後の懇親会にも誘われて同行し、一緒にお話をする機会もあって、実に楽しい時間だった。それにしても、ランニングの時と同じように、この時の、脳内に去来した言葉や感情を記録したかったねぇ・・・。
週初め、以前のブログのタイトル、「雑誌掲載」にも書いた、丹沢の山小屋、堀山の家の主人が、リースを届けがてら、遊びにやって来た。ジャズを聴きながら、四方山話を深夜遅くまでする。年上だが、ジャズの話が出来る唯一の友人で、その日は、なぜか、ローランドカークを聴きながら、彼の独特のドロっとしたサウンドの中にある、カークの持つ可愛らしさのようなもの、をお互いに共感しあいながら語りあった。コルトレーンのクレッセントを聴きながら、エルビンジョーンズのシンバルの微妙なタッチと抑揚の話とか・・・。そうそう、やっぱり、この時に、去来した、感情の記録と再生が出来ないものかねぇ・・。 ![]()
木曜日、関西大学の学生が、大工を目指しているという事で、弊社に見学に来る。たまたま、この数日間、大工が、構造材の手加工をしていて、いわゆる、グットタイミングだった。これも、何かの「縁」っていうやつかねぇ・・・・。午前10時から午後5時頃まで、「まちのえんがわ」で本を読んだりしながら、加工場にて、ササキ大工とベッショ大工が作業する墨付けや刻みを静かにじっと見守り続けていた。休憩時間には職人さん達に混じって、一緒に休憩をしていたようだ。
今という時代は、大工になるためには、厳しい時代なのかもしれない。親方にとっては、若い大工を育てるための金銭的余裕に乏しい時代なので、職人として、いわゆる、何とか使いものになる状態までの3年間ほどの費用を賄える余裕がないのだろうし、会社組織としても、同じ状態なのだといえる。まぁ、しかし、考えようによっては、大学院や専門学校に行くかわりに、大工のもとで、まずは、2年間ほど、無給で、修行してみるという過程を想定すると、学費を払う事を考慮すれば、ひょっとすれば、学校よりも有意義なのかもしれない・・。ただ、そんなふうに、きっちりと教える事が出来る大工がいるのかどうか。学生を教えるのに相応しい仕事があるのかどうか。また、そんなふうに考える学生がいて、そういう事は、社会的に、コンセンサスの得られる形態なのかどうか・・・。と、やっぱり、脳内で、思考や感情が、くるりと円弧を描きながら、何度か回転していた。
造園家の家谷さんからお誘いがあって、arte空間研究所の生山さんとコラボレーションした動物病院を見学。「植栽塔」という、みたこともない、建築的な「植木鉢」を初体験。いつものあの家谷さんって、実は凄いやん。と言いながら、一緒に珈琲飲んだ・・・・・。
というウォールを金曜日のフェースブックに載せた。家谷さんはコトバノイエの外構や造園を手かげているのだけれど、木村家本舗やその他、様々なイベントでご一緒なって、何時も、一緒に、あれやこれやなんだかんだと楽しく会話する仲で、それにしては、実際の仕事を見るのは、2回目。それが、普段の物静かな姿からは想像も出来ないほど、アバンギャルドな造園に、かなり度肝を抜かれた。植栽をするためだけの塔屋を大きな植木鉢として、建築家に提案したそうで、勿論それは、動物病院の広告塔になっているのだけれど、かなり、斬新で、刺激的。それに、「今でなく、10年後に植物が育ち、塔屋を、草が覆っていく、経年変化による良さを・・・」というコトバが、印象的言葉として残る。きっと、この建物を見学した時間の、その空間の立ち位置での、「私」の感情がうごめいた記録を、このブログ上で、再生出来るのであれば、面白いだろうなぁ・・・・。
その日、午後10時頃になっても、加工場で、大工が、なにやら、ゴソゴソと作業をしている音があって、何だろうかと見に行くと、「鉋削り対決 ベッショ大工VSササキ大工」という、どちらが綺麗に柱を削れるのかという鉋削り対決をしていた。どちらも真顔で目は真剣。ベッショ大工が鉋で削って、美しく光った柱を触ったササキ大工が、もう一方の面を美しく光らすために、負けじと挑戦する構図。そんな事を楽しめる大工って、羨ましいな・・・と眺めた。
「心が最も強く動かされたもの」「もっと長く居たいと思わせるもの」というコトバを聴くと、ランニングの距離と時間と場所を記録する機械のように、その場所と時間ごとの感情の喜怒哀楽など、心境を記録できる時空間感情記録装置があって、心のうごめきを記録し、再生し、眺めてみたいものだなぁ・・・。
]]>暫くして、何気なく、彼のホームページを見て、気付いたことは、各地を巡る温泉の写真に、必ず、湯船に浸かりながら、頭に手ぬぐいを載せた自分自身の写真が、写っている事。ちょっと不思議で、ちょっと怪しい感じで、ユーモラス。会って、会話をしていることもあって、少々笑いながら見ていた・・・・。
各地の温泉ばかりを巡るのも、テレビ番組を含めて、食傷気味で、それに、私自身もそれなりに温泉を巡っていて、ちょっと、飽きてきた感じもし、まぁ、それでも、やっぱり温泉は好きではあるものの、何というのか、ほどほどで十分な感じ。そんな内的なムードを宿しながら、彼のホームページを見ていたら、あっ、そう、そう、温泉ソムリエぐっちが、住宅にある、気持ちよっそうなお風呂に入って、タオル頭で、気持ちよさそうにお風呂に入る、あのちょっとユーモラスなシーンを撮って、日本全国にある、有名無名住宅建築の素敵な家風呂を巡る旅はどうだろうか・・・と思った。
そんな訳で、ぐっちさんからは「やりましょ!やりましょ!」という軽やかな、返事があって、まず、手始めに、うちの木村家のお風呂のシーンを撮る事で合意した。そんなベタな話題を建築家のヤベさんに話すと、意外にも、その企画に軽やかに乗っかってくれて、工務店の企画としては上出来!、などと、お褒めのコトバかどうかはべつにして、有難くも、「住宅風呂巡礼」と名付けてくれた。
今朝の午前9時前、写真家のタダユウコさんが、車に機材を積んでやって来た。そうそう、建築家のイシイリョウヘイさん主催による「ヤネメシ」パーティーで、隣の席に座ったのが、通称タダユウで、彼女は、その草屋根と天窓との隙間にはまりこんで、骨盤を強打するという、草屋根に落ちた唯一の女性カメラマンとして、名誉な負傷をしたのだけれど、きっと、かなり酔っぱらっていたのだろう。その酔いのせいもあってか、住宅風呂巡礼の撮影を、大まじめなお遊びとして、「付き合うわ!」と宣言してくれた。
| 12月4日日曜日午前9時
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| 1階にある、お風呂を確認した後、お風呂にお湯を入れる。2階のデッキにて、3人で朝食を食べながら、なんやかんや、ぐたぐたと会話をし、お湯が入るのを待つ。ちなみに、朝食は、奥方の美味なモーニングサービスなのだ。と、奥方もたてておく・・・。 |
| 入浴剤を入れるのだというのだった。つまり、写真に、アレが丸見えになるので、白濁するのがエエのだというのだった。用意した入浴剤を入れるものの、全く、無色で、それで急遽、奥方が、泡の出る入浴剤を探してきて、浴槽に注いで、泡を立てる・・・・。 |
| 温泉ソムリエぐっち、流石に慣れているのか、素早く服を脱いで、温泉に浸かり、髪の毛をオールバックにし、顔を洗い流しながら、撮影モードに入る。ちょっとした、役者のよう。ヤマグチタカシから温泉ソムリエぐっちに変貌していくのだ。 |
| 温泉ソムリエぐっち、タダユウから「どや顔」を要求されると、堂々と「どや顔」を披露して答える。「どや顔慣れ」している感じ。 |
| 温泉ソムリエぐっち、「私」が要求する本を読みながら浸かってや!という要望に、快く応え、お風呂用の本読み台を設置する。すると、手に持て本を読んだほうがエエわ。という、タダユウからの駄目だしが出て、take2撮影開始。 手に取るのは、建築家、磯崎新の「建築における日本的なるもの」それを声を出して読み始める。 |
| 窓硝子を開けてのtake3の撮影開始。 |
| タダユウ激写! |
| タダユウ、まるで、盗撮! |
| タダユウ、怪しい構えで、ぐっちさんの背後から、トグサとトグサの隙間にレンズを差し込んで撮影を開始する、その位置からカメラを覗くと・・・・。 |
| タダユウ、ついに、2階のデッキからお風呂を覗き込んで撮影を開始する。ますます怪しい撮影風景。 |
| 温泉ソムリエぐっち、そんな事には全く動じる様子もなく、あっっっ。気持ちエェェェ、と終始、優雅にお湯に浸かる。流石、温泉ソムリエ。 |
| 温泉ソムリエぐっち、そろそろ、のぼせてきたのか、妙な、腕と足のポーズをとる。 |
| 写真家タダユウコによる撮影が無事終了した後、ぐっちさん、お風呂での自分撮りの技を披露してくれる。 |
| 自分撮りも無事終了! |
撮影終了後、昨日、奥方が、北新地のムジカで買ってきた、紅茶を飲みながら、ぐっちさんが持ち込んだ、テレビ出演のDVDを見て大笑いし、和む。
つまり、それで、住宅風呂巡礼の撮影現場は妙に和むのだ。と書き置きしておこうとおもう。次回1月は、「コトバノイエ」か「カットザコーナー=ヤベタツヤ自邸」のどちらかへ巡礼する予定で、12回巡礼シリーズになるのかも。そうそう、この企画は、「まちのえんがわ」による第一弾の住宅巡礼企画とでもしておこうかとおもう。
そういえば、12月1日木曜日大安午前9時、二礼二拍手一礼と御神酒による神事で、「まちのえんがわ」が、しめやかにオープンしました。「住まいのライブラリーとワークショップと縁側カフェ」というのがキャッチフレーズになるのでしょうか。
よろしければ、お気軽にお越し下さい。
]]>阪急甲陽線に乗り換えるために、夙川駅で降りると、駅の中に、スーパーの成城石井が入っていて、それを見るなり、奥方が、うわー、駅ナカに、成城石井があるわ、凄いわ。流石、ちょっと違うわ。という。なんだか田舎もんのようだけど、めったに、二人で、電車に乗ることがない上に、奥方は、夙川駅で降りるのも、甲陽線に乗るのも初めて。
出発待ちの電車の座席に二人並んで座って、待っていると、乗客は、梅田より、もっともっと上品な感じがする。暫くして、電車が走り出して、その窓から流れていく光景が、夙川の並木と、閑静な住宅の景色で、それに、停車する駅で、乗り降りする乗客や駅のムードも。やぱり上品。
電車が動きだして、暫くすると、奥方が、どこで道間違ったのかなぁ・・・と呟く。え、それ、何のコト。と返すと、大学生の頃は、結婚したら、この阪急沿線で住む予定やったけれど、なんで、大阪の生野区の小路になってしまったのかなぁ・・・・。そうそう、今、ここで、人生を振り返って、ちゃんと、「検証」してみようよ!!と言う。もうお互いに、50歳を超えたのだ。
今や、すっかり、大阪のおばちゃんとなって、小路や布施や今里の下町周辺を自転車でブイブイと乗り回し、それも、それなりに、ご機嫌な様子で、ママチャリを乗っている姿を見ているのだけれど、たしかに、こんな日和りの良い日に、この電車の雰囲気ならば、本当は、この周辺の駅を乗り降りする私の姿があって、ママチャリを乗り回す今の私の姿と、目の前の乗客とを置き換えて眺めているのだろう・・・・。どこで、人生の間違いが起こったのかと、「私」に問う。もちろん笑顔ですけど、30年ほど前に戻って検証せよ。と笑顔で訴求するのだった。
確か、それは、大阪、ミナミの、アメリカ村と呼ばれるあたりでのコトで、今は、アップルのお店が建っている角のあたりから、北側の歩道を三角公園の方角に向けて歩いている、3、4人の女性のグループがいて、それは、当時二十前の女子グループ。
当時のアメリカ村には、ギャラップとか、マイウエイとか、ペパーミントとか、いう古着屋さんが数件と、エルパソとか、パームスという喫茶店とか、数件のディスコとか、とにかく数件のお店がパラパラとしかなく、ガランとした状態で、学校なども残っていて、でも、心斎橋筋の押し合いへし合いしながら歩く、賑やかなムードとは全く違う、独特の、のんびりとした、エエムードがあって、それを、当時の、若い世代が好んだのだとおもう。
密集して店舗が並ぶ心斎橋と違い、通りをかなり、歩いて、ポツンポツンと、店舗があるのを、のんびりと、たわいもない話をしながら、若い故に、ふざけたりもしながら、ぶらぶらと歩いて、店を回わって、服や靴を探し、喫茶店に入るのが、楽しかったのだと、今、振り返って、おもう。限りなく上向きに進み続けると思われた経済情勢と、世の中のアメリカ文化迎合的雰囲気が、学生をそんなムードにさせたのかもしれない・・・・。
確か、「私」は、そのアメリカ村の南側の通りを、三角公園の方角から、御堂筋と心斎橋を横切って、周防町筋にある、喫茶店に向かうために、歩いていたのだ。誰と待ち合わせしていたのかは、思い出せないが、少し、急ぎ気味に、歩いて、西から東に向かっていた。道路を挟んで、北側の歩道を東から西に、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩く女性グループがあって、そこに目を向けると、その中に、大学で建築学科の同級生の友人の彼女がいて、お互いに目が合って、通りを挟んで、声を掛け合う。
それは、ほとんど、すれ違い状態で、「私」からすれば、一対多の状況だったので、その時、その当時の奥方の顔を見たのかどうか、それに、その姿の記憶もないが、そのグループの中にいたのだ。という存在の記憶と、その時の状況だけは、はっきりと、克明に記憶に残っていて、今でも、そのアメリカ村の通りを歩くと、時々、その記憶が蘇ってくる。奥方も、そうそうと頷く。
甲陽園駅に向かう、阪急電車の座席に二人並んで腰掛けて、走馬燈のように流れる上品なムードの車窓をながめながら、その記憶が蘇って、その話をすると、そうそう、それそれ、あの時、あの瞬間、あれ、あれ、、あれが、分岐点やったのね。この阪急甲陽線に乗るかもしれなかった私と、地下鉄千日前線に乗る私。成城石井で買い物をするかもしれなかった私と布施のスーパー万代で買い物をしている私。苦楽園や目神山の邸宅に住むかもしれなかった私と生野区小路の長屋をリフォームして住んでいる私。あの一瞬に「分岐点」があったのね・・・・・・と。
それは、先々週の日曜日に催された石井良平さんによる、「ヤネメシ」パーティへ向かう電車での出来事だった。この週の23日の祝日には、矢部達也さん設計で、弊社で施工した「コトバノイエ」で、「特別理由のないオープンコトバノイエ」という、かれこれ6年目を迎える家でのオープンハウスがあって、木村家本舗でお会いした多くの人を含む、50人近い人たちと、飲んだり食べたり話しをしたりと、楽しい時間を過ごした。
その帰り道の事。奥方と二人で、今回も、やっぱり、初めて乗る、能勢電鉄妙見線の、夜の、小雨まじりの、一の鳥居駅の、プラットホームで、二人並んで、座って、電車を待つ、その時に、向かいのプラットホームの、椅子を眺めていると、なぜか、あの「分岐点」が、蘇った。
]]>そんな訳で、通りを行く人が、この店何?と、興味をもったり、不思議な様子で、通り過ぎていく。時折、立ち止まって、覗いていく。工務店なのに、本屋さんのような雰囲気。でも、本屋さんでもなさそう。それに、店に誰もいなかったり、時折、誰かが座っていたりして、店に入っても良いのかどうか躊躇する。これお店なの、事務所なの、ライブラリーなの、オープンしているのかどうか、まったくもって定かでない・・・と。
そんなこんなで、12月1日のオープンに向けて、こんな一文を葉書で送る事にした。
「まちの縁がわ」とは、
住まいの「ライブラリー」として、
それぞれの「ライフスタイル」に思い巡らす、
木村工務店の路面店です。
「家づくり」のプロセスを伝えるお店として、
新たなご縁を結ぶ場所であります。
寛ぎと憩いのカフェスペースとして、
「ものづくり」を学ぶ場として、ホームページのリアル版として、
「住まいの相談室」として、出会いの「縁側」として、
皆さまに親しまれるスペースとなれば幸いです。
また、イベントを発信する「木村工務店ワークショップ」として、
住宅相談会、お餅つき、木村家本舗、左官教室、端材で工作、塗装教室、・・・・、
といった様々なイベントを発信していきますので、
ご家族やお友達をお誘い合わせの上お越し下さいませ。
ここ最近は、打ち合わせの後に、1階の「まちの縁がわ」に立ち寄ってもらったりしながら、いろいろなご意見をお伺いし、フィードバックを繰り返しながら、調整作業を進めている。木曜日の夕方4時頃の事、「まちの縁がわ」に着座して、パソコンで作業をしていたら、近くの小学生が自転車でやってきて、店の前を、覗き込んだりしながら、うろちょろしていた。丁度その時、うちの奥方が、店の前を通りかかった。その小学生が、「ここ何ですか、入っても良いですか?」と尋ねる。「エエよ。エエよ。どうぞ。どうぞ。」と奥方。「おじゃまします。」と礼儀正しく、子供が中に入って、素直に、まったくもって、自然に、吉野杉の床板に腰掛けた。
今までは、不思議な事に、大人は、入ってきても、すぐに腰掛けない。ちょっとした、躊躇い(ためらい)があって、立ち話になる。どうぞどうぞと促してからも、躊躇(ちゅうちょ)しながら、ぎこちなく、腰掛ける場合が多い。
そういえば、先日、大学生と一緒に、服部緑地の日本民家集落博物館を見学した時の事、南部曲屋で、解説をしてくれたおじさんが、縁側に座る学生に向けて、ハードウエアーとソフトウエアーというコトバがあるが、縁側というのは、ヒューマンウエアーと呼べるのかもしれませね。と言ったのが、とっても印象的だった。
ひょっとして、私たちは、建築的なヒューマンウエアの作り方と使い方を忘れてしまったのかもしれない。さて、眠れる遺伝子を呼び覚ませる事が出来るのでしょうか・・・・。
その小学生は、腰をかけて、本棚を眺め、「本見てもエエのですか」と聞くので、「どうぞどうぞ、遠慮せんと・・」と答えると、おもむろに手に取ったのが、青い色の背表紙に「死ぬまでに見たい世界の名建築」と書かれた本だった。腰掛けて、本を見ながら、「これ、カッコエエなぁ・・・」と呟く。「私」も掘り座卓式のテーブル席から立ち上がって、「どれどれ」とそちらに向かう。ごっつい厚みの本を床板の上に置いて眺める小学生。
暫くして、その友達が、自転車でやってきて、「ここに入ってもエエのぉ」と言いながら、中に入って来て、友達の横に腰をかける。同じように、本棚を見て、一番下の棚にある「琳派」という尾形光琳などが載っている、渋~い本を手に取って、本の中をパラパラと見ながら、「この写真、カッコエエな」と呟いた。チラッとしか、その本を見ていないのに、「そやぁ、カッコエエやろ!」と見栄張った「私」。
その友達の友達が吸い寄せられるように自転車でやって来て、遠慮気味に中に入ってきた。3人が並んで、もう一方の棚のほうに向かって立ちながら、「このでかいのぉ、何?」と聞くので、「オガという鋸ぎりで」「ほら、この、絵と一緒」、北斎の富嶽三十六景遠江山中の絵を指し示すと。「へぇ~~」。・・・・。・・・・。
あの石、カッコエエな。と、会社の前にある石を指して言うので、イサムノグチの人が、作ったんやでぇ。と言って、インサムノグチの本を見せると、暫くその本を手に取って眺めて、唐突に、今、何時? と聞。4時55分。と答えると、あっ、もう、帰らなアカンわ。「また来てもエエですか」「エエよぉ」「ありがとうございました」と言って、扉を開けながら、「イサムノグチ・・・」と呟いて、帰って行った。
次の日の朝、「まちの縁がわ」の前を通勤する、小学校の校長先生と「おはようございます」と、毎朝の挨拶を交わす。偶然にも、高校時代の同級生が、地元の小学校に赴任してきている。そうそう、昨日、こんな事があって・・・・と、写真を見せながら、話しかけると、「迷惑かけてへんか・・」「挨拶、ちゃんとしてるか・・・」「行っても大丈夫か・・・」と心配する様子。「礼儀正しかったでぇ・・・」と答える。お互いに「ありがとう」と言いあって仕事に向かった。
同日。朝。棚の取り付け作業前に、ササキ大工が、縁がわに座って、本を読んでいた。お昼。先日、住宅特集の表紙になった、スガアトリエのスガさんが、ふらりとお見えになって、「まちの縁がわ」で、本を読みながら、昼食中の「私」を待ってくれていた。店の感想など聞きながら、仕事のお話を・・・・。同日。午後。設計の林敬一さんが、夜に、お施主さんと打ち合わせをする事になっていて、その数時間も前から、ノートパソコンを持ち込んで、「まちの縁がわ」で図面を書いていた。そしたら、例の小学生が、またやってきて、「死ぬまでに見たい世界の建築」を眺めて、礼儀正しく帰って行ったのだと・・・。その応対を、ハヤシケイイチさんが、してくれていて、「あの小学生、なんや、ムツカシイ本読んでましたよぉ・・・」と言うコトバを耳にしながら、その光景を想像すると、なんとなく、笑らけてきた・・・・・。同日。夜。「まちの縁がわ」で、ハヤシさんと二人並んで、机の上のコンピュータに向かい、1時間ほど一緒に作業をした。道行く人から、見れば、不思議な光景だったかもしれない・・・。
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この草屋根の下に、あの超有名なリビングダイニングがある。↓ 正確には、そのリビングは、上の写真の右下の方角の写っていない屋根の下にあるのだけれど・・・・。 ![]()
建築されてから35年ほどが経過し、ほとんど、山と一体化されて、どこからが山で、どこからが屋根なのか、全く判別できない状況の「草屋根」。上の写真の天窓の下には、2世帯住居になっている、子供世帯のキッチンがあって、3寸勾配の屋根に、手作りしたベンチをかけて、テーブルをしつらえて、炭火で串焼きをするという・・・。
皆で、串にさされた、焼鳥や、椎茸や、肉などを、ワイワイと食べるのだと思っていた。いや、フツウは、そう思うでしょ。それが、全く、違った。イシイリョウヘイさんは、鍋奉行ならぬ「串奉行」として、炭火の前に君臨するのだった。そのまわりをお客さんが、丁重に取り囲む。そして、もはや暴君のごとき様相で、誰ひとりにも、串を触らせることなく、ひたすら串を焼き続けて、一本ずつ、お客さんに、丁寧に、配膳するのだった。
午後1時過ぎから、日が暮れた午後6時過ぎまで、お客さんに一本の串も触らせることなく、まるで、私たちは、イシイリョウヘイパークで飼い慣らされた動物のごとく、ひたすら与えられた、串を食べるのだった。オーダーストップを発するか、ネタがなくなるまで、延々続くような感覚。ところが、それが、めちゃくちゃに美味い。そして、楽しい。
何というのか、それは、建築設計の感覚で、串焼きを設計し施工しているような雰囲気。まず、建築でも、一番大切なのは、「素材」なのだ。と。それで、ネタには、とにかく拘る。あちらこちらから、良質のネタをセレクトし、集めてきたのだという・・・。串も自ら、一本ずつ串を刺し、その串の刺し方にも拘っているような感じ・・・。「炭」の素材にもこだわりの雰囲気が漂い、見るからに、上等そうな、細長い炭。
「私」の友人の鰻屋のタケウチくんが、「串刺し3年焼き一生」という諺を教えてくれたのだが、まさしく、その「焼き」を一本ずつ丁寧に、しかも、6時間ほどの間、まったくもって、集中力をきらすコトなく、火加減と、具材の焼き加減と調味料を全く独りで調整し続けるのだった。その集中力は流石に設計のプロ。きっと、図面も、こんな集中力を発揮しながら書き続けるのでしょうね・・・・・。
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串の出し方の順番や下ごしらえと準備も、それは、まるで、見るからに、設計図のような雰囲気で、用意周到に、準備されているのであって、客人は、カトウさん夫妻、写真家のタダユウコさん、施主のシオザワさん、石井良平事務所のナガエさん、建築家不動産を主催するクヤマさん夫妻、私たち夫婦にイシイリョウヘイ夫妻。そうそう、そういえば、日もすっかり暮れてから、grafのオーナーのハットリさんも、到着したのでした。
それにしても、これだけの人間をひとりで、串だけでなく、ワインを開けたりしながら、軽やかに「もてなす」「姿」に、そして、今日のこの日までの下準備の大変さを想像してみても、それにそれに、この草屋根という、気付いてみると、圧倒的な存在感のある「場」、このイシイリョウヘイワールドには、教えられるものがあったね・・・・。
とっても「感謝」です。
PS
草屋根だけでなく、独特の雰囲気を醸し出す、薄暗い、リビングダイニングの素晴らしさをあらためて、体験する。これで、何度目かだが、毎回、あらたな発見がある。石井修さんが好んで座っていたというコルビジェの椅子が、未だにその位置にあって、今日はお留守で、どこかに出かけています・・・。なんていう雰囲気で、まだまだ故人の「気」が宿っていた・・・。「合掌」。
↑ それにしても、このコーナーの使い方の、この素晴らしさ。
↓上の写真の対面にある丸テーブルの角からの眺め。 ![]()
暖炉の「火」の素晴らしさも再体験する。うちにある「薪ストーブ」とは、また、ひと味も、ふた味違う「暖炉」の素晴らしさ。それは、「焚き火」が、家の中でできる感覚であり、暖炉からの、煙の「におい」と、「火」の燃える形の美しさに、魅了させられた。
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9時頃にFさんがお越しになった。現在、お父さんの事務所がある場所に、小さな小さな賃貸マンションを造る計画で、うちで提案したプランにに対して、こんな案にして欲しいという、その要望をお伺いする打ち合わせだった。日曜日しか休みが取れない人も多く、予約が詰まっていたが、1時間の中で、集中して、お打ち合わせをする。
職業が、住宅金融公庫のローン債務不履行者に対する整理をするお仕事だという。それは、住まい手の年齢によって、債務不履行になっている人が多かったりするのですか?とお聞きすると、まだ、統計はとれていないのですが、年齢ではなく、住宅を建ててから10年から15年の人が多いのです・・・・と。
確かに、考えて見れば、15年前に今の経済情勢を予測出来た人は少ないだろう。給料も経済もどんどんどんどん、まだまだまだまだ上がり続けていくのだ。と、思えた時代だった。今のように、仕事が減り、売り上げが減少し、就職難が訪れ、それに、何度も大地震がやってきて、こんな原子力発電の問題まで勃発するとは、想像できなかった。振り返ってみれば、土地や建物に多額のお金を費やした時代だったのだな・・・・・。
その方が言うのには、こんな仕事に携わっていると、家は有り余っているのを実感するので、これからは新築ではなく、賃貸したり、リフォームをする時代だと、はっきりと認識しているのに、自分自身も住むつもりの小さな賃貸マンションを建てようとする、この矛盾をひしひしと感じていて、でも、自分の年齢を考えても、やるのなら今しかないのかなぁ・・・・と。皆が、シチュエーションは違っても、同じようjに、迷っているのだとおもう。
10時、ご夫妻と男の子二人のお子さん連れでお見えになったAさん。大阪市内のご実家を譲り受けて、新築をしようという計画で、もちろん、リフォームも考えるのだけれど、増築を繰り返していて、かなり、ヘンな状態になっているので、やっぱり新築しかないのかな・・・。というお話がスタートだった。
玄関に土間があり、キャンプ道具やスキーの道具などが仕舞えればれば・・・。それに、仏壇があるので、法事の事もあって、和室は8畳ほど必要で、それにそれに、先祖があるのを常に意識して欲しいので、いつも仏壇のある和室を通過してからリビングダイニングに行けるようにして欲しい・・・・。というのは、とっても珍しい要望だった。本棚がリビングに欲しい。収納は一カ所にあれば、共働きなので、洗濯と洗濯物を干す作業がうまく出来れば・・・などなど。
LDKを中心とした住まい。という事に於いては、日本の住まいのスタイルには、さほど大きな違いはないが、食事の仕方やテレビの見方や収納などなど、細かい部分では、それぞれの家庭によって、多様性があって、それを、細かく対応しながら、編集作業を繰り返して、その家族にあった家づくりをするのが、木村工務店のスタイルなのだとおもう。
「家そのもの」が持つ価値というよりも、「家」によって、「新たなライフスタイル」がもたらされるという、そういう「付加価値」を造りだす、そのための努力が、木村工務店の家づくりのスタイルであって、それには、「家づくりの過程を一緒に共有する」というコトが、大切で、そういうコミュニケーションを施主と設計士と現場監督と職人さんが、ひとつのチームとなって、地道に面倒くさいコトを続けて行く以外に、そんな付加価値を創り出す道はないのではないのか・・・・・というのが、最近、感じているコト。
応接室や会社の玄関で、子供達が元気よく遊び、時々、その騒がしさに、お父さんが、子供を窘めたりしながら、初めての顔合わせが、進んだ。こういう、雰囲気と過程の中からこそ、その家族に応じた、「家」とその家族の「ライフスタイル」が産まれるのだとおもう・・・・。
帰り際には、会社の1階ガレージをリフォームして、「箱物」としては完成した状態の、「まちのえんがわ」に案内する。「まちのえんがわ」は、木村工務店の路面店であり、住まいのライブラリーであり、住まいのライフスタイルを考える場であり、木村工務店の仕事を伝える場であり、木村工務店のホームページのリアル版であり、新たな縁を結ぶ場所でもある。今日は、「まちの縁がわ」の、コンテンツである、古本の搬入と本を棚に展示する仕事が、コトバノイエの加藤さんによって行われていて、その作業の真っ最中だった。
午後1時過ぎ、業界では有名な設計事務所の設計士である、Kさんが、お見えになる。デザインイーストというイベントに、木村家本舗のフライヤーが置いてあって、それに興味をもったKさんが、開催日には行けないのだけれど、両親のセカンドハウスの計画があって、その相談をしたいので・・・。というコトだった。セカンドハウスと言っても、大阪市内に、両親や親戚や知り合いが、集まれる場所として、出来れば、借家をリフォームして住めれば・・・と考えているので、その家探しから、お願いできますか?というのがその概略だった。そんなセカンドハウスを大阪市内に作ろうという、そういう考え方もあるのだなぁ・・・と、興味を持ってお聴きする。同じように、帰りがけに、「まちの縁がわ」に寄って頂きながら、本も家具もすっかりなくなってしまった、木村家本舗にも、少しだけ、うちの奥方が、案内した。
午後3時、Tさんがお見えになる。先週に書いた、「そして誰もいなくなった」号で、一週間に2回もあった、ゴルフの話をしたが、その1回目の協力業者とのゴルフの会が終わって、会社に戻り、作業をしようとして、「まちの縁がわ」の前を通過したその時に、偶然、、ロードバイクに乗った男性が、通りかかって、目が合った。「ここ、何ですか、工務店ですか、何の場所ですか?」と、言って、自転車を止められた。それで、「まちの縁がわ」の意図を説明して、まだ、コンテンツが未完成の中を案内して、お話をお聞きする。
それが「縁」で、本日の相談会に、ご夫妻でお越し頂く。ある小学校の地域を限定して、建て売り住宅を探していたのだが、どうも納得いかず、家づくりを諦めかけていたその時に、偶然、「まちの縁がわ」に出会ったのだと・・・。不動産会社の日住サービスのナリタさんが、たたき台になる物件を用意しくれていて、設計のタナカくんと一緒に、あーだこーだと物件を検討する。土地や中古住宅探しというのは、まさしく「縁」と「決断」の問題であって、いつもながら、単純には行かない、ムツカシイものだなぁ・・・・とつくづくおもう。
そんな訳で、次回、一緒に物件を見るお約束をして、ご縁を持った、「まちの縁がわ」を、ご夫婦で、見てもらう。夕方5時過ぎ、まだまだ、カトウさん夫妻は、本棚の編集作業の真っ最中だった。、ツイッターやFacebookには、
加藤 博久
「まちのえんがわ」の雑誌の棚ができたよ。![]()
http://t.co/sOmGAgu1
とあり、今は、メインの本棚の奮闘中だった。それは、なかなかの格闘状態でもあって、本の数と種類にも熟慮する要素が多々あって、そんなこんなで、まぁ、今日の作業としては、この状態で終えて、また、後日という事となったのが午後7時過ぎのコトだった。
「まちの縁がわ」は、まもなく、グランドオープンで、それは、不完全だけれど、成長していく「まちの縁がわ」として、また、皆さんに親しまれる、木村工務店ワークショップとして、オープンする予定。それに、「住宅相談会」や「お餅つき」「木村家本舗」「左官教室」「塗装教室」「障子貼り教室」「ブリキで小物造り」「端材でブックエンド造り」「スプーン造り」「リース造り」や「加工場アート展」「加工Bar」などなど様々なイベントを「まちの縁がわ」から提供しつつ、オーソドックスな「住まいの相談室」としての機能と共に、新たな「縁」を結んでいく予定です。・・・・。
そんな訳で、様々な「縁」が重なった日曜日だった。感謝。
]]>ここで、少し、注釈を加えると、木村家本舗の正式発音は「キムラケホンポ」で、木村家(キムラケ)で、まぁ、それは、漫才の中川家みたいなもので、つまり、「キムラさんのおうちでする古本屋さん」から発祥された。そんな訳で、この発音の仕方によって、ネイティブがどうかを見分けたりして・・・・
その次男のホームスティ中の2週間ほどの期間を利用して、同じ学校に通う奥さんどおしで、イタリア旅行を企てたのが、我が奥方。もちろん、木村家本舗を頑張ったご褒美として、行くのぉ。というものの、その木村家本舗が始まる、何ヶ月も前から、そのご褒美を用意しているあたりが、流石。その出発が、10月25日火曜日の朝のコトだった。
つまり、7日間の延べ人数で、200人ほどの出入りがあった、あの賑やかだった、木村家本舗のイベントが終わり、訪問者は誰もいなくなり、本来の「家族の家」に戻るのかとおもいきや、息子だけでなく、奥方も、どこかに行ってしまった・・・・。
そして誰もいなくなった・・・・
もはや、単なる「家」となって、かつては、ツタイミカのマンガ皿が置かれてあった、2400mmの長さのあのテーブルに向かい、Yチエアーに独りポツンと座って、ブログを書く、いまここの「私」。先週とのギャップの激しいこと激しいこと・・・・。
その上、この週には、年に4回しか、それも、コンペの4回しか行かないゴルフが、一日おいて2回もあり、どの2回とも、天気は、雲ひとつない秋晴れのスカッとした天気なのに、スカッとしないスコアーしが出ない、この腕を嘆いてみたい心境だった。何時かは、「メンバーに恵まれまして・・・、」何て云う、おきまりの文句で、優勝の挨拶をしてみたいものだなぁ・・・。
建築という現場生産の「ものづくり」において、もっとも大切なコトのひとつは、「コミュニケーション」という問題で、それは、設計士や現場監督や職人さんが、家を造るために、「建築に貢献」し、「施主に貢献」し、「技術者どおしが貢献」するという、「貢献」という大前提がないと、良好なコミュニケーションは成立しにくいなぁ・・・と感じる今日この頃。
そのコミュニケーションの「潤滑油」として、ゴルフがその役目を担う場合も多々あって、建築の専門工事業者の中には、ゴルフ好きが多く、ゴルフを「接待」としてではなく、コミュニケーションの「潤滑油」とするのも、それはそれで、エエではないのかとおもう。本来的には「接待」は、コミュニケーションの「潤滑油」程度の軽やかなコトだったのだろうが、肥大化と賄賂化と談合化が、いきすぎてしまったのかもしれない・・・。
またその上に、今日のこの日曜日は、弊社の設計士の川本建太くんの結婚式があって、社員共々で、お祝いをした、たいへん良き日でもあったのだが、主賓の祝辞を依頼されると、もちろん、心より引き受けるのだけれど、その一週間前ぐらいから、どんな挨拶にしようかと気になりだして、それに、意外と、社員のコトを知っているようで知らない「私」にも気付いて、心の片隅で、祝辞のコトを気にしている一週間でもあった。
独りっきりの「おうち」で、日々の食事のコトや、一週間に、二回もあったゴルフの用意や洗濯物、それにプレー前日のちょっとした緊張感もあり、また、結婚式の服の用意や祝辞の前のほんのちょっとした心労もあって、勿論、奥方の名誉にかけて、声を大にして、用意周到に準備をして出発してくれているのであります。と公言するものの、木村家本舗が終わって、ほっとするどころか、気の抜けない日々が続いて、神様は悪戯好きなのね・・・・とおもう。
昨日の土曜日の夜、そのゴルフから帰って来た時に、ツタイミカが、マンガ皿の搬出にやってきた。誰もいないひっそりした、どちらかと云えば、「ひとけ」のない木村家を見て、「賑やかな木村家本舗しか知りませんからねぇ・・・」と独特のあの笑顔で、まるで、マンガ皿のように、クゥクゥクゥクゥクゥと笑った。傍らにいた、ミカワ嬢が、「天照大神がお隠れになっているようですね。賑やかにして、呼び戻さなくては・・・・」と呟いた。
おうちで静かな独りも悪くはないが、なるほど、「家」というものは天照大神が照らしていたのだな・・・・。
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これが、今年の木村家本舗、最後の写真で、テーブルの脇に置かれた「私」のカメラでカトウさんが撮影したのだろう・・・。午後11時を過ぎ、このライブラリーを提供しくれたカトウさん夫婦が帰られた。お互いの労を労った握手をかわす。最後のお客さんは、建築家のヤベさんで、二人っきりのデッキで、30分ほど語らう。実に、心地良いひと時。午前零時を過ぎて、ヤベさんが帰られた後、ほんとうに、誰もいなくなった、このダイニングテーブルで、いま、パソコンに向かう、ひとりっきりの「私」。
そうそう、今朝、目が覚めたのは、午前7時30分で、いつもなら、5時30分頃に目が覚めて、ランニングをするのだが、まったくもって熟睡して、そんな意識すら起こらなかった。奥方が、今日は走ったのぉ。と、何となく嬉しそうに聞く。日曜日の10kmのランニングを続ける「私」に少々の敬意を表しながらも、継続できなかったのを、喜ぶ側面もあって、いやぁ、確かに、律儀に、日曜日にランニングして、ブログを書くというのも、「嫌み」といえば「嫌み」
前日のトークショーの服部滋樹x木村貴一 ナビゲーターBOOKS+コトバノイエ 加藤博久 は、10人ほどの予定が、当日参加が重なって、27名ほどの参加があり、狭い「大ホール」がいっぱいになるという、参加者の方々には深く感謝したい気持ちでいっぱいで、それとともに、その後の懇親会を小路の「なんどきや屋」で催して、なんどき屋名物の最後に出されたカレーライスで、超満腹感と共に、何だか気分的には、これで、全イベントが終了したという、錯覚に陥り、疲れが毛穴からカレーライスと共に吹き出しそうな感覚を伴いながら、猛烈な睡魔に襲われて、ベットに倒れ込んだ。それが午前零時をかなり過ぎた出来事だった。
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そして、いまここ。
「縁」を持った皆さんに対する「多謝」と共に、短いブログにて、眠りにつきたいとおもう。
また、いつかお会いしましょう!
それにしても、昨日の雨は思った以上に激しくて・・・。そうそう、その雨の中で、木村家本舗があり、その日の様子は、木村家本舗のホームページに掲載するとして、そのイベントが終わったあとに、うちのベッショ大工の家の竣工パーティーがあって、社員皆で、お邪魔する。
奥さんの親と二世帯で同居する家を自分で基本設計し、自分で大工仕事をしながら建てられるのは、大工ならではで、羨ましい限り。何よりも、家のデザインかどうのこうのという問題よりも、そういう、「ものづくりの過程」を家族で共有しながら、一緒に住む家を建てるという、その行為の中に、幸せの源泉があるのだとおもう。仲良く暮らす家として、末永く愛される家になってほしいと願って、最後は皆で一本締めをした・・・・。
そういえば上棟式も雨だったね。と、ベッショ君の奥さんが帰り際に呟いたが、帰り道は、それなりの雨が降っていた。明日のコト、つまり、今日のイベントのコトが気になったが、家に帰ると、その前日も宴会があったので、ほんとうにベットにバタンと倒れた瞬間に、意識がなくなり、まさしく死んだように寝た。
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その前日の宴会は、暮らし向上リフォーム研究会という野池さんが主催する研究会がうちの会社の三階の会議室であり、その後の懇親会をうちの家=木村家本舗で、催すコトになって、時折激しく降る雨の中、15人ほどで、あれやこれやと盛り上がった。その上に、木村家本舗の写真展を加工場でするための準備作業がその日に重なり、社員全員と女性写真家の3人で、会場造りをし、キュレターの野本さんや、カトウさんも、成り行きを確認しにやって来て、その慰労会も一緒に重なるという、もう、何の宴会だか、全くよく分からない状況になって、おそらく、うちの奥方が、もっとも戸惑いながら、右往左往して、活躍したのだとおもう。感謝。
その暮らし向上リフォーム研究会では、耐震補強の構造評点1を確保するという、その問題をどう解釈し、どう位置づけをするのかで議論したり、ネガティブ情報の取り扱い方や、シロアリ、雨漏り、などなど、それらが、成果となって発表出来ればとおもう・・・・。
そうそう、午前5時30分に目が覚めたのだった。天気を確認し、いつものように走ろうという気持ちが沸き起こって、それで、ゴソゴソとランニングの用意をし、走り出す。西の空には月。午前6時30頃の大阪城には、ウォーキングやランナーの人たちが、かなりいて、昨年の今頃よりメチャメチャ多い。きっと、大阪マラソンの準備運動なのかもしれない・・・・。そういえば、ランニングを始めてから一年が過ぎたのだ。
ランニングを終え、15分ほど静かに過ごした後、朝風呂に入ってすっきりする。髭そって、歯を磨いて、身支度し、庭に出てみると、落ち葉だらけだった。きっと、昨日の激しい雨のせいだな。それを掃除し、ゴミを捨てに道路に出て、暫くしたら、赤い、ルノー・キャトルがバタバタというエンジン音とともにやってきて、カワイイイ車の中から、長身の大柄な大村君がニョキッと現れた。それが午前9時の出来事。そらは青空。
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セッティング前に、木村家本舗の中と、写真展の加工場と、まちのえんがわをひととおり案内して、駐車場に戻ると、大村君はセッティングを開始した。その時、ど派手なカスタマイズされたエスティマがバリバリという音と共に、現れた。それが、ベッショ大工の車で、そうだ。そうだ。昨日、カメラを置き忘れたのだ。それを、今日のコトを考慮して、わざわざ朝から届けに来てくれた。窓が開いて、昨日のお礼とともに、カメラを渡してくれる。こちらこそ、ありがとう! どうも、最近、もの忘れが、始まりだしているような感じ・・・。
私は、庭に戻る。まだデッキは濡れている。朝ご飯に、プロテインとパンとコヒーを食べることにして、口にパンを入れている時に、携帯が鳴った。grafの服部さんで、キムラさん、まだ声、寝てるでぇ。が第一声だった。今日の茶事の準備のための到着が10時頃になるらしい。
そのコーヒーがまだ飲み終わらないうちにカトウさん夫妻が独特のエンジン音と共に、サーブで到着した。おはようございます!と挨拶をかわして、それぞれの準備に入る。私は、マキタのコードレス掃除機で、玄関周りの外から中、廊下、階段、2階デッキ、2階のLDKと掃除していると、grafの服部さんと川西万里さんが静かな音の車で到着し、レンジローバーから降り立った。茶事の準備に入る前の服部さんを写真展とまちのえんがわに案内して、暫し、歓談する。
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こんな感じで、■Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場の準備が整った。その畳にカトウさんが座ってツイイターをし、大村君はスタンバイして、お客さんを待つ。
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garafの川西万里さんとそのお友達が、■ graf tea salon et autum garden 茶事 の準備に追われながも、庭が、どこかのホテルのガーデンのような雰囲気に変貌していく。不思議といえば不思議。服部さんは、うちの次男の自転車に乗って、小路から布施に向かって、みかんを買いに走って、それを陶器に入れると、いっそう、場の雰囲気が昇華して、エエ感じになって、これで、スタンバイOK。
奥方はリビングダイニングで、片付けと拭き掃除に大わらわ。次男は、少々ふて腐れ気味で、なんで、俺の家に知らん人がこんなに沢山やってくるのかぁという態度と顔で、英検の試験があるらしく、その試験前に本を見ている。まぁ、家族もスタンバイOKっていう雰囲気か。
そして、気付いたら、もう、午前11時になっていて、5分ほどしたら、ひと組目のお客さんがやってきた。2階から玄関に降りると、うちの専門工事業者の川端建具さんで、木製建具を担当する川端さん夫妻とそのお友達二人がお見えになった。こうして、準備が終わり、木村家本舗の10月16日日曜日オープン5日目が始まった・・・・。
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今年の一番のりは、建築家林敬一さんの事務所に勤めていた設計のシモカワさんで、2歳になる女の子を自転車に乗せてやってきてくれた。久しぶりの再会で、嬉しい。そんなことを Facebook に書くと、私の知り合いが、彼と同級生だと、名乗り出て、以外な繋がりを知って驚く。Facebookというものが、新たな「縁」を結ぶ、縁側的な役割をしているのだな。
それにしても、1~2歳の子供と二人っきりになるのは、何ともいえない「恐怖」があって、泣かれたらどうしようかとドギマギするし、おむつを替えるのもどうもね・・・。っていうのが、「私」。でも、若いシモカワくんは2時間以上も二人っきりでいられるのは、とっても勇気があるねぇ・・・なんて、話すと、いや、最近の若いお父さんは、半分ぐらい、そんな感じで、平気ですよ。と云う。
いやぁ。そんなのムリムリと云っているのは、私やカトウさんや吉野からわざわざやってきてくれた、阪口製材の息子さんのサカグチさん。建築家のコンドウさんは、私には奥さんの持っているような、お乳が出ませんからねぇ・・・と、とっても微妙な言い訳をしていた。さて、皆さんはどっち・・・・。
さてさて、ゆっくりとした出足だったが、午後3事頃から、OB施主のお客さんがゾロゾロとお見えになった。うちの会社の駐車場の裏で、眼鏡の3D金型を造る山岡製作所の社長さんが、ふらりとお見えになった。息子さんの家もリフォームしている。
こういうイベントの楽しさのひとつは、家づくりではない、コミュニケーションをする楽しさ。人の出入りが少ない時は、いろいろな話をじっくり聞けたりし、またあれやこれやと、私も話す。山岡さんからは、眼鏡の製造の歴史を聞くのが面白かった。私は途中で席を外したが、カトウさんにとっては、初対面だったけれど、全開の窓の袂で、話がはずんでいたようだった。
なんでも、今の大阪市生野区の田島で、昔から鏡を磨く技術があって、いつしか硝子を磨くことになり、それで、ついでに、べっ甲で、眼鏡も造るようになったのだと。べっ甲って、水が糊の役割となって、くっつくのだそうだ。へぇ・・・。それが150年ほど前の出来事だというから驚き。ある日、福井から人がやって来て、眼鏡を造る技術が、福井の人々の冬の仕事として、伝授されて、眼鏡製造の町、福井になったのだと・・・。ある時、映画でロイド眼鏡が流行し、そんな眼鏡を造ってくれという大阪人がいて、セルロイドで型抜きで造る技術から、やがて、鋳型に流し込んで造る技術を
山岡さんのおじいさん達が造りだし、それが、2.5Dの鋳型の技術に発展し、数年前には、アメリカのスタンフォードの人たちが、この小路の町に沢山やってきて、アメリカのコンピューターの技術と、日本のCAMの技術が融合して、3Dの眼鏡をつくる技術が産まれて・・・。などなどと、一部、間違っているかもしれないが、そんな四方山話を聞くのが、実に楽しい。
昨年も沢山の古本を買って頂いた、タカヤマさん設計によるSさん親子が、今年もやってきてくれて、あちらこちらで、寛いでくれた。昨年は、工事中に、このイベントがあり、今年は、完成した家から、この木村家本舗にやって来てくれたのは、とっても嬉しい出来事。
なのに、ご主人が、千葉へ転勤するコトに決まって、来週には、単身赴任するのだと云う。超大手企業って、イジワルなのね・・・・。まぁ、それでも、Sさん一家が愛する家で、奥さんが心地良く過ごしている姿を思い描けるのは、ある意味、幸せなコトでもあって、亭主がたまに帰ってくるぐらいが、丁度、エエのと違いますぅ。なんていう冗談を交えながら、エールを送った。
うちの経理部長のコバヤシくんの同級生で、ただ今リフォーム工事が終盤にさしかかっているKさんが、家族でお見えになった。コバヤシくんも、会社からこちらにやって来て、庭のデッキや、あちらこちらで、ゆったりと過ごしながら、あれやこれやと話をする。
木村家本舗の玄関前の行き止まりの道に偶然迷い込んできた若い二人の男性がいて、偶然にも私と玄関前の道路で居合わせて、それで、行き止まりやでぇ、と告知し、迷いついでに、木村家本舗にでも迷いこんでみるぅ?と、声をかけてみると、そのうちのひとりが、じゃぁ。と云って、入ってくれた。まぁ、彼らにしてみればワナにはまったような、とってもおかしな「縁」。でも、それなりに喜んでくれた。
その後は、昨年コンクリートの外断熱の家を施工した、
OB施主のNさんが、次の店舗工事の打ち合わせを兼ねてお見えになり、設計のヤマガタくんも会社からこちらに来たり、一緒に会社に戻ったり。ただ今、計画中のSさんも立ち寄ってくれて、あっそうそう、長男の同級生で、高校生の頃、よくうちに泊まりに来て、やんちゃに遊んでいたトガワくんが、彼女を連れて、来てくれたのも、それぞれの成長と時の移ろいを感じさせられる嬉しい出来事だった。
15日16日の写真展の準備も兼ねて、キュレターをしてくれている、印象的丸坊主頭の野本ヒロヒトさんが、女性写真家の詫間のり子、山元彩香さんを連れ、会場セッティングの事前打ち合わせに来てくれて、うちの工事部長のトミマスくんを交えながら、あれやこれやなんだかんだ・・・。
こんな感じで、初日の木村家本舗の幕が開いた・・・・。そしてオープニングパーティー。
うちの社員。grafのスタッフ。写真家のメンバー。ツタイミカ、ヤマサキミノリの、やべガール。ミカワ嬢の同級生の女性トリオ。カトウさん夫妻。近くに住むチーママのトンちゃん。退院リハビリ中の顧問フクモトさんも家から駆けつけて、それに会長も飛び入り参加して、それにそれに私たち夫婦。などなど30数名が、異業種交流のごとき様相で懇親する。そういえば、この宴で、カトウさんより「現場監督」=「クリエーティブディレクター」という命名がなされて、きっと何時しか、うちの現場監督の名刺には、そのように刻印されているコトでしょう?
「縁」を結ぶ可能性が薄い人たちが、木村家本舗という「縁」で出会い、楽しく「宴」を催し、新たな「縁」を結ぶのは、実に楽しい。それもこれも、この陽気のお陰だな。いや、ひょっとすれば、それは、妖気だったのかもしれない・・・・。まぁ、でも、とにかく、この気候に感謝したい。
PS
そうそう、ツタイミカさんによるマンガ皿が実にエエ感じ。
↑ レイアウトを考えるツタイミカ
↓ マンガ皿を見た、大人も子供も笑顔する。
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今月号のANA翼の王国の「ANA MEETS ARTS」に紹介されていて、長谷川祐子さんの文章には・・・
「マンガ皿」は文化と人間の肉体を繋ぐその瞬間をテーマにしているのではなかろうか。
料理は作られればそれで終わり、ではない。口に入れる行為が食物と人間とを脈絡付ける儀式である以上、その接点はおろそかにしてよいものではない。
もちろん、古来、人類はその重要性を知悉していたから、器に関して、長い研鑚と深い考慮を重ねてきた。「マンガ皿」のおもしろいところは、そうした文脈を現代の問題へと昇華させている点にある。
食事という行為を食事が持つ文化を「読み取る」行為へと一歩推し進めようとする姿勢が、「マンガ皿」にはある。「食べる前に読め!」と提言するかのような愛らしくも鋭利なお皿たちを前にすると・・・・
ツタイミカ本人は、そんなに深く考えてませんけどねぇ・・・。と、ホンワカと語りました。
時間があれば、是非、ご覧下さい。
曖昧だけれど、奥行きの深いコトバだとおもう。それで、ある広告代理店に勤める方のリフォーム工事の契約があって、その契約の内容を説明し、契約した後に、雑談の中で、日本の広告代理店が世界一の規模だそうで、アメリカに世界一の規模の広告代理店の企業があってもよさそうなのに、なぜ、日本が世界一なのですか・・・・と問う。
と、例えば、ある日本の広告代理店は、トヨタも日産もホンダも、所謂、ライバル会社の広告を同時に、同じ企業の中で、取り扱う訳で、それは、企業の新商品などの情報が漏れる可能性もあるのだけれど、そこは、社内の中で、社員が、いわゆる、「善良な管理者として・・・」良心をもって、仕事をして、情報を守り合う。そして、クライアントは、その事に信頼する。そんな事が日本人同士の中では、可能であるので、それで、一社で、広告を扱う量が、かなり多いのだ。・・・・と。
「善良な管理者として・・・・」というのは、「プロフェッショナルとしての良心」のコトなのだろうし、心構えと自分の立ち位置と姿勢を示すコトバなのだな。と、そんな話を聞くと、あらためて、考えさせられて、日本人の持つ特質なのか・・・と、印象深く、心に残ったイイ話。だった。まぁ、でも、原発に関連する様々なコトは、「善良な管理者として・・・」どうなんだろうか。という疑問と議論が、心の中で、沸々と湧いてきたのも確か。
さて、この10月8日の土曜日から第二回木村家本舗がはじまるわけで、その打ち合わせのために、プロデュースをしてくれている、カトウさんが、今日のこの日曜日、木村家本舗にきて、あれやこれやと、いやぁ、実は、ほとんどが、四方山話なんだけれど、午後3事頃から午後9事頃まで、話題がつきるコトなく話続けた。そうそう、そういえば、近くに住むトンちゃんが、「家の玄関の鍵が開かへんので、どぉしょぉ!」というSOSがあって、それを見に行って、暫し、会話を中断したのが、いかにも工務店的ではあった・・・。
何というのか、お互いに、「善良な管理者として・・・」シゴトをしようよ。という、暗黙の了解があるのだとおもう。この木村家本舗は、皆が無報酬で参加してくれていて、勿論、代金をもらう商品やイベントはあるものの、基本的には、何らかの「文化的貢献」をしてみようよ。というのが、奥底で静かに流れているリズムなのだとおもう。そんな事をカトウキムラの二人が中心になって楽しみながら、勿論、それなりの苦しみも伴いながら、いろいろな人たちを、ちょい強引、ちょいムリムリに巻き込みつつ、「文化的な繋がり」を広げていく、「貢献」的「遊び」なのだとおもう。
それで、木村工務店も大いに関わっているので、商売抜き。なんていう偽善的なコトバを堂々と使うのも可笑しいのだけれど、社員の皆は、シゴトを調整して、本や家具を運搬したり、写真展示会場設営などに、「貢献」してくれる予定で、こんな作業を通じて、皆で一緒に、「貢献」というものを学ぶ機会になればとおもう。
grafの服部さんも会社ぐるみで参加してくれて、木村家本舗のあちらこちらに新作家具も含めて、置かれるのだけれど、もちろん、それは、木村家本舗というイベントゴト以上に、文化的なものに広く「貢献」していこうとする企業姿勢なのだとおもう・・・。この機会に、暮らしの中に置かれたgrafの家具を体験してみては・・・・
写真家の野本ヒロヒトさんも自分のシゴトをやりながら、女性写真家をキュレイションしてくれて、ほんと、無報酬の「貢献」なわけで、女性写真家の方々も、人が集まるのか集まらないのかよくわからないイベントにノモトさんを信頼して参加してくれる。感謝。「私」は、この機会に、ノモトさんから「写真」を教えてもらおうと考えているので、もし、時間がとれる方は、私と一緒に、ノモトさんから写真を学んでみませんか・・・・。
この9日の日曜日には、建築を設計する「林敬一 / 高山佳久 / 近藤英夫 」の三名が木村家本舗に遊びに来られて、この機会に、建築家と会ってみたいとか、住まいの相談をしてみたいとか、そんな方々がいらっしゃるのなら、「私」が、仲をとりもちますので、お越し下さい。勿論、三人とも、何かに「貢献」してみる。というのがテーマなので、リラックスしたムードだとおもいます。
そんなこんなで、この8日からはじまる木村家本舗は、私たちにとっては、「善良な管理者として貢献する・・・」っていうのを学びつつ、皆さんと一緒に、寛ぎ、楽しむ、遊び。なのだとおもう・・・。都合がつけば、遊びにお越し下さい。
]]>えっー、結婚式。という、ちょっと、冷めた目の部分も、「私」のどこかに隠れ潜んでいるのだけれど、うちの社員の結婚式も含めて、出席すればするほど、覚めた感覚になって、最後の場面では、目頭が熱くなっていくのは、そんなはずはないのだ。と、言い聞かせてみるものの、涙が出そうになる。きっと、「歳」のせいなのだ。
まぁ、目頭が熱くなるほどのコトではないが、「雑誌掲載」という嬉しい出来事が二つあって、まず一つ目。今月号の「住宅特集」という雑誌の表紙と巻頭の記事になった。今まで、4回ほど、掲載されたが、表紙、巻頭は初体験。すがアトリエの管さん設計で、弊社の守田拓生が現場監督を務めた堺・S邸新築工事で、引き渡しの前の一週間は、現場監督も職人さんも大奮闘だった。工事中の現場の様子はこちら。
設計の管さんからも喜びと、お礼の電話があって、現場のモリタくんや大工さんやこの仕事に関わった様々な専門工事の職人さんの苦労が報われた感じ。ちょうど、この建物の構造設計をした下山さんと、金曜日の夜にお会いするイベントがあって、お互い、握手して、苦労を労った。
そのシモヤマさんのイベントは、大阪市の羽根建築工房さんで開かれたイベントで、シモヤマさんが、木構造について語る、勉強会のようなもの。暮らしの中の構造と題された話は、なかなか、興味深く、ためになったね・・・。そういえば、1985プロジェクトのノイケさんとマイタニさんにもお会いする。
もう一つは、今月号の「BEPAL」の山の宿という特集で、20年来通っている丹沢の「堀山の家」が大々的に取り上げられたコト。丹沢に遊びに行く時は必ずここで泊まっていて、今まで、あえて、小屋の名前をださなかったのだが、雑誌に載ったついでに、この際、もぉエエか。現在の小屋のオーナーとは学生時代からの友人で、一年に一度、丹沢のリースを持って、大阪まで遊びに来てくれる仲。ちなみに、木村工務店のホームページにある、トップで入れ替わる大きな写真の一場面に出てくるリースは、この丹沢の堀山の家のオーナーの奥さんが製作するリース。
↓ 堀山の家の写真。プロは流石に上手だ。雰囲気抜群。見間違うほど・・・。前オーナーが自力で小屋を増改築する姿を数年間見守り続けた。
↓ 小屋オーナーの写真。ランプの写真も堀山の家の写真。ここで学んだ、建築的なコトのひとつは、送電線から送られてくる電気エネルギーを使わない生活。
↓ これで、もはや、オトナの隠れ家でなくなってしまったが、まぁ、それはそれで良しとし、こうなったら、若い人が沢山、堀山の家に訪れて欲しいとおもう・・・・。「堀山の家」
↓「私」が撮った小屋の写真、雑誌のプロの写真と比較はしないでほしいが・・・ ![]()
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↓堀山の家までの「道」。1時間30分ほどの適度のしんどさで、この小屋からあと1時間30分ほどが頂上。それが、登山の核心部なのだけれど、堀山の家を頂上だとする「頂上現象」組が沢山いて、「私」もそのひとり。ここで泊まって皆でぐたぐたと語りあう。 ![]()
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書店で二冊の「雑誌掲載」を是非ご覧下さい。それにしても、今夜は寒いぐらいで、過ごしやすい夜だねぇ。・・・・。
]]>「待宵」9月11日日曜日。満月をワクワクして待つ、そんな心境になりたいものだが、「月」の事は、すっかり忘れていた。朝、ランニングをし、スパー銭湯に行き、家族はそれぞれ、どこかに出かけていて、ひとり、家で、ゴロッとしたり、ブログを書いたりした。そうそう、この日曜日の夜は、結構な時間を費やしてブログを書いたのだった。今思い返しても、月の記憶がない。
「中秋の名月」9月12日月曜日。夕方からお施主さんとの打ち合わせがあり、その後、社員が日々、掲示板に書く、現場報告を読んでいるうちに時間がすぎ、22時頃、家で晩ご飯を食べている時に、思い出した。「中秋の名月」なのだと。南面の窓を全開にして、「月」を観る。
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「十六夜」9月13日火曜日。夜、コトバノイエのカトウさんと写真家のノモトさんとデザイナーのヤマサキミノリさんと弊社のミカワ嬢の5人で木村家本舗の打ち合わせをする。ノモトさんのキュレイションにより、女性写真家たちの写真展を、大工が構造材を刻む加工場でしようかという企て。デッキに出ると、南東の夜空に、欠けているのか欠けていないのかよくわからない月が出ていて、皆で、眺める。
「立待月」9月14日水曜日。夕方から、grafのカワニシマリさんが、カトウさんに連れられて、電撃的訪問となった。木村家本舗の家の雰囲気を見てもらいながら、あれやこれやと打ち合わせをする。それで、graf 川西万理さんによる茶事をするコトになる。気楽な会話をしながら中国茶を入れて・・・。それが、つまり、「私」は、未体験なわけで、「私」そのものが、どんなものか楽しみにしている状況。打ち合わせが終わり、会社に戻って、事務作業をしたあと、帰り道の道路に立って、欠け始めた月を眺める。
「臥待月」9月15日木曜日。夕方から大今里で、リフォーム工事の契約があって、お伺いする。説明責任という約束事が、ますます大切な時代になっていて、もちろん、何度も契約書を読んで説明をしてきているのだが、いつもながら、あの、契約書の文言は、読みにくいし、内容を説明するのも、ムツカシイものだな。と、毎回毎回おもう。「月」は、帰り道の自動車からなんとなく眺めたのか、全くもって記憶が不安定。
「更待月」9月16日金曜日。夜、材木屋さんの岡房商店の社長がお見えになって、打ち合わせをする。帰られた後、事務処理をしている間に、「月」のコトはすっかりと忘れてしまった。この日、月を見たのか見なかったのか、記憶から完全に欠落している。
月をテーマにして、その満ち欠けを暮らしの中で楽しむ。という、そんな時代に「進む」コトが、ちょっと面白いし、本当に必要とされているのかもしれないな・・・・。と大真面目に考えるようになったのは、あの東北の震災での津波と原発の出来事があってのコトだとおもう。人間のもつ文明とは、文化とは、それはいったい何なのだろうか・・・と。
9月17日土曜日。「forward to 1985 energy Life」 という大集会が名古屋であって、弊社の設計のヤマガタと工事のトクモトの三人で、一緒に、車で参加したのだけれど、そのパネリストの討論を通じて、「省エネな暮らし」を「お金を使って」大まじめに「楽しむ」時代がやってきたのだ。と、体感した有意義なイベントだった。
ちなみに、夕刻、名古屋で、櫃まぶしを食べて、三人で帰阪したのも楽しい出来事。そういえば、櫃まぶしも一杯の鰻どんぶりを4回に分けて、それぞれの食べ方で楽しむ文化で、月の満ち欠けを楽しむ文化と似通っている。そうそう、「月」のコトは頭の片隅にもなかった・・・。この日は、月の正式タイトルがないので、まぁ名付けて、「忘月」。 ![]()
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あれやこれやで、「月」をモチーフとして、まったくもって、こじつけがましいが、「コトバノイエのカトウさんとキムラコウムテンのキムラさん」が、「暮らしを楽しむための大まじめなオトナの遊び」としてやってみようよ。というコトで、始まった「木村家本舗」も第二回目になった。そのスケジュールが決まったのだ。と云いたいがための、お「月」様。
||||||| 木村家本舗 BOOK IN RESIDENCE 2011 ||||||||
10月の週末のオープンホームとライブラリー
10月8日/ 9日/10日/15日/16日/22日/23日の7日間
OPEN : 11:00 - 18:00
下町の長屋をリフォームした木村邸で、オープンハウスと古本屋をやってみようということで昨年企画した「木村家本舗」。
それが思いもよらぬ盛況となり、調子に乗って第2回を催すことになりました。
去年と同じことを繰り返しても面白くないので、今年はもう少し進化させて「オープンホームとライブラリー」と称し、木村家の心地よい空間で、ゆったりと寛いで本でも読んでいただこうと企画しました。
また、ご来場いただいた方に愉しんでいただけるよう、去年はなかったドキュメント・ムービーの上映、建築家相談会、写真展、お茶会、トークショーなどのイベントも予定しております。
みなさまお誘い合わせの上お越しいただければ幸いです。
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EVENT SCHEDULE
<10月08日>
■ オープニング・レセプション 17:00 - 21:00
<10月09日>
■ 「世界の中心で、イエーッとさけぶ / the movie」12:00 - / 16:00 -
JIA近畿支部住宅部会の7月例会として開催された建築トークショーのドキュメントを上映します。
■ 建築家ってどんな人たちなんだろう? 14:00 - 17:00
これから住宅を建てたい、建築家の設計した家で暮らしてみたいと考えている人のために、ふだんあまり接する機会のない建築家の方と、話していただける場を設けました。
参加建築家 : 林敬一 / 高山佳久 / 近藤英夫
<10月15日>
■ 写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 11:00 - 18:00
写真家野本ヒロヒトさんのキュレイションによる、気鋭の女性写真家たちの写真展。
ふだんは鑿や金槌の音が響く加工場の空間に、女性ならではの繊細な感覚の写真が展示されます。
参加写真家 : 多田ユウコ / 詫間のり子 / 山元彩香
<10月16日>
■ 写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 11:00 - 18:00
■ graf tea salon et autum garden 11:00 - 17:00
茶事 : graf 川西万理
「秋の庭。山茶花が咲く頃。あたたかな香ばしいお茶や秋の果実を使った甘いお菓子をどうぞ。木村家の庭にて深まる秋のアフタヌーンティーをお楽しみくださいませ。」
■ Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場 11:00 - 17:00
好漢大村クンが、愛車ルノー・キャトルに古本を積み込んでやってきてくれます。
<10月22日>
■ トークショー「モノづくりのプロセス、そして未来」
服部滋樹 X 木村貴一 at 木村家ガーデン 19:00 – 20:30
大阪を代表するクリエイティブ・ユニット「graf」を率いる服部滋樹と大阪の下町生野区で3代続く工務店を経営する、木村家本舗店主木村貴一によるトークショー。
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)
茨木市 cafe 百花 による珈琲のケータリングがあります。
予 約 : 06-6751-4414(木村工務店 参川まで)
<10月23日>
■ クロージング・パーティー 17:00 – 21:00
感謝をこめてのささやかな宴、そして木村工務店の新しいプロジェクト「まちのえんがわ」のお披露目。
|||||| 会期を通じての展示 ||||||||
■ graf / Narrative 11 この秋発表されたグラフの新作家具
■ ツタイミカ / マンガ皿
■ 写真家 野本ヒロヒトの新作シリーズ発表
こんなスケジュールで、ちょっと私的解説を加えてみると・・・
■ graf / Narrative 11:開催期間を通じて、grafの家具が体験出来ます。実際の生活をしているスペースで、家具を体験出来る、それもgrafの家具。是非是非、体験を。
■ ツタイミカ / マンガ皿:不思議なお皿をつくるヤベガールです。建築家ヤベさんがプロデュースをする女性クリエーターのコトを「やべガール」と呼びます。ツタイミカさんは、JIN's EYEWEAR DESIGN CONTEST 2008 優秀賞、第17回アイリス生活用品デザインコンクール 学生奨励賞、Tokyo Midtown Award 2010 柴田文江賞という1988年生まれの女性デザイナーです。暮らしの中にあるマンガ皿を体験ください。
■ヤマザキミノリ/ 木村家本舗のフライヤーとフリーペーパー:やべガールのひとりで、イラストレーターです。YCOJIWAという不思議なホームページをご覧ください.。ご来場頂いた方々に、お持ち帰り頂ける「ペーパー」を、ただ今製作の真っ最中なのです。ガンバレヤマサキミノリ!
■ 写真家 野本ヒロヒトは、酒飲みで、酔っぱらいですが、眼差しは真摯です。風貌を遙かに上回る、カッコエエ写真なのです。是非、彼のホームページをご覧ください。さてさて、常設展示は、どんな作品が展示されるのか、楽しみです。
■ オープニング・レセプション 10月8日(土)17:00 - 21:00は、夕方ぐらいから、生ビールとおでんによる、気楽なパーティーです。木村工務店の社員も出入りするでしょうし、OBのお施主さんなど、久しぶりに、○○に会いたい。と思われる方は、是非この日かクロージングパーティーにお越しください。
■ 「世界の中心で、イエーッとさけぶ / the movie」10月9日(日)12:00 - / 16:00 -は、この木村家本舗のプロデューサーである、カトウさんが、コトバノイエと呼ばれる自邸を建てるにあたって、建築家のヤベさんとの出会いから、その家を建てるエピソードを「施主」の立場から語る貴重なトークショーの録画ビデオです。建築家との家づくりをする「施主」になろうかどうかと迷っている皆さんにとっては必見のビデオです。是非、参考にしてご覧ください。
■ 建築家ってどんな人たちなんだろう? 10月9日(日)14:00 - 17:00 は、弊社で施工をした建築家のタカヤマさんとハヤシさんとコンドウさんが、お見えになります。具体的な家の相談も出来ますし、建築家って、どんな人なのか、会ってみて、簡単な会話でもしてみたいと思われる方は、気軽にお越しください。本のついでに、チラッと見るだけもOK!です。
そうそう、
木村さん、やべガールの説明ですが、建築家ヤベさんがプロデュースする女性クリエーター、じゃなくて、やべがナンパした元女子大生、に訂正お願いします。
と「ヤベ」さんからツイートがきた。見た目は取っつきにくいが、ヨッパラうと、実に、楽しいヒトなのだ。「建築家ってどんな人たちなんだろう」には、仕事があって、「出演」できないのが、とっても残念。この場で、皆さんにご紹介しておく。
■ 写真展 「tri - angle」at 加工場Photo Gallery 10月15日(土)と16日(日)11:00 - 18:00 は、多田ユウコ / 詫間のり子 / 山元彩香 は、かなり有名人の女性写真家ですよ。とキュレイションをした写真家のノモトさんが、お酒を飲みながら、でも、真剣な眼差しで、語っていました。「私」は、まだ作品を見たコトはないのですが、楽しみです。それより、カミングアウトすると、写真のコト、全く理解できてません。そういえば、購入できる作品もあるそうです。ちなみに、多田ユウコさんは建築家のタカヤマさんの建築写真も撮影してはりますし、前回の木村家本舗にもお越し頂きました。彼女の摩訶不思議なコトは、時々、巫女さんになるのであります。
■ graf tea salon et autum garden 茶事 : graf 川西万理 10月16日(日)11:00 - 17:00 は、grafの川西万里さんが、中国茶を野点しながら、心地よい会話と共に、ゆったりと楽しくお茶を飲む、茶事です。実は、「私」も未体験で楽しみなんです。
■ Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場 10月16日(日)11:00 - 17:00は、d&bという工務店で現場監督をしている大村くんが、愛車ルノー・キャトルのトランクに古本積み込んで、木村家本舗横の駐車場で古本を販売する企てです。昨年の木村家本舗にもやってきてくれました。
■ トークショー「モノづくりのプロセス、そして未来」 服部滋樹 X 木村貴一 at 木村家ガーデン 茨木市 cafe 百花 10月22日(土)19:00 – 20:30 は、grafの服部さんと「私」という、「ものづくりの組織」を持つ二人の、「模索と格闘」のトークショーです。司会はカトウさんで、きっと鋭い質問と突っ込みが飛んでくるのだとおもいます。要予約なのですが、当日でも大丈夫、OKでしょう?・・・・。でも、出来れば予約してください。
■ クロージング・パーティー 10月23日(日)17:00 – 21:00は、このプロジェクトに関わった人々を含めて、感謝と&Love&Peaceな宴として、賑やかに楽しくやりたいとおもいます。 建築家の人も集まるでしょうし、社員や、いろいろ・・・。
■木村工務店の新しいプロジェクト「まちのえんがわ」のお披露目10月23日(日)は、木村工務店が、まちの人々と「繋がり」を持つための「縁側」としての「まちのえんがわ」であり、「まちのライブラリー」でもあります。また、イベントを発信するスペースであり、建築家と出会えるスペースでもあり、木村工務店の仕事を伝える場所であり、木村工務店に関わる人たちが、住まいに関する「専門知識」を皆さんに分かり易く解説するために努力するスペースでもあります。まだ、工事中で、本も並んでいない状態なのですが、そうそう、これから急ピッチで進めなくてはなりません・・・。
あっ、そういえば、「まちのえんがわ」は、「キムラさんの頭の中身」だといわれました。
そんな訳で、「まちのえんがわ」は、月の満ち欠けを楽しむお月見の文化のように、「ものづくりのプロセス」を楽しみ、伝える縁側です。また、木村家本舗から繋がる、「暮らしを楽しむ遊び心」をもった文化を広げる、「木村工務店の縁側」でもあります。
つまるところ、今日のブログは「木村家本舗」と「まちのえんがわ」の「番宣」なわけで、皆さん!よろしくお願いします・・・・!
]]>設計のマイタニさんに、キムラさん、これ知らんかったら、「もぐり」やでぇ!と暫くの間、脅されていた。神戸市の箕谷駅から呑吐湖の側に、「箱木千年家」という住宅があって、ウィッキベディアでは806年に造られたとあり、実際は1400年代に建てられたのだと、本にはあって、まぁ、そんなコトより、兎に角、最古の住宅らしい。
この土曜日。実は、先週のあの台風の日に、マイタニさんと学生とで行く予定だったのだが、延期になった。「私」的には、打ち合わせがあったのだけれど、この際、「もぐり」という汚名を返上すべく、お施主さんや弊社のスタッフに助けられて、何とか時間を工面し、マイタニさんの解説付きで、学生と共に訪問した。 ![]()
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建築架構的には、壁の90センチほど手前に木組みの架構が四方に廻っていて、架構と外壁という構成になっていたのに興味がそそられる。それで、上記の写真のような、柱と壁による空間が発生し、それは、まるで、「床の間の発生」を垣間見たような気分。
外に居るだけで、汗をかく、9月なのに暑い日中の土曜日。なのに、中に入ると「ひんやり」としていた。それは、なぜなんだろう。とマイタニさんとちょっとした論考をすすめながら見学する。室温そのものは、外気温と、そんなに大差はないのだが、内部の土壁と土間に触れると「ひんやり」しているのだった。体感温度は室温と内壁床天井の表面温度との二分の一だそうだ。室内の表面温度が低いので、体感温度が低く感じるのだろう。
外が、これだけ、暑いのに、なぜ、クーラーもないのに、土間と内壁の表面温度が低いのだろうか。と話し合う。夜間に室温が下がって、土間と土壁の温度が下がる。昼間は太陽熱で屋根や外壁の温度が上昇するが、茅葺きの厚みや土壁の厚みのおかげで、その熱が内部まで伝わらず、いわゆる、夏期日射取得係数μ(ミュー)値が低いので、室内の壁や土間の表面温度が夜間の低温を蓄えたままになる。その上、開口部が極端に少ないので、日射もほとんど入らない状態。また、天井がかなり高く、熱気を排出しやすい仕組みになっていて、室内が夜間の温度をキープしやすい状況なのだ。と。冬は囲炉裏や竈などで、熱を造って、壁に熱を蓄えるのだろう。風通しの良い家とは違う、夏、涼しい家の原型なのかと考えてみる。
そうそう、外壁は、大壁といわれる、柱が見えない壁。プリミティブで原始的な感じ。昨年のゴールデンウィークに旅して訪れた、尖石縄文遺跡にあった竪穴式住居と似通っていって、大地から土の壁がニョキッと盛り上がって屋根を支えているような感覚。それにしても、この当時すでに「縁側」があるのだな。と、今、写真を見比べて、再認識する。
上の写真は、千年家のその横に、江戸時代に造られた住居が併設してある。こちらは、開放的で、千年家が、「土壁」が盛り上がった感覚なら、こちらは、「柱」が大地から立ち上がった感覚。ちなみに、千年家の柱や梁や床材は、チョウナといわれる道具で、加工されていて、木材にその跡が残っているのが荒々しくて男性的。柱も太くて少し歪で、表面もガタガタで、面取りも大きい。それに比べて、こちらに使われている木材は丁寧に鉋がけがされていて、所謂、柱が光っていて、面取りも小さくて真っ直ぐ。同行した学生が、こちらの方が好きですわ。と言ったように、モダンな感覚。
右が千年家で、軒高も低く土壁。左が江戸時代の建物で、外壁は建具と板貼りで開放的で、軒高も高くなっている。この二つの建物の造られた年月の間には、大工道具の技術革新があって、オガと台鉋(ダイガンナ)と云われる大工道具の発明がエポックメイキング。
木を縦に切るのは難しくて、それまでは、木を石のように、楔で割って、出来た木材をチョウナという道具を使って表面加工をしていた。それが、オガといわれる鋸(ノコ)の出現によって、木を縦に切る技術革新がもたらされた。木から柱や梁や板材を鋸で切り取れるようになって、それまでは、木の表面がガタガタだったので、チョウナしか使う事が出来なかったが、台鉋といわれる道具が発明され、今、大工さんが持っているのと同じ鉋を使って、木材の表面を平滑で綺麗に加工が出来るようになった。また、オガを使う木挽きという職業が生まれて、柱材や板材を量産出来るようになって、室町江戸時代のあの町並みが生まれたのだ。と。これ、「村松貞次郎の大工道具の歴史」からのうけうり。因みにこの本は木村家本舗のプロデューサーでもあるコトバノイエのカトウさんから頂いた。
それにしても、歴史の隙間を垣間見る感覚。
江戸時代に建てられた「はなれ」の内部は開放的で、土壁や板壁に囲まれた「千年家」を見た後に比べると、障子や襖といわれる「建具」というもので部屋を区切ったり繋げたりする、その「日本的感性」と、外部空間と内部空間の間を繋ぐ「縁側」の広がりに、あらためて気付かされる。 ![]()
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↓ 左 江戸時代の座敷 _____________↓ 右 千年家の囲炉裏の部屋 ![]()
なぜか、千年家の部屋の方が新鮮に感じられ、この感覚の違いが面白い。左の畳と右のチョウナで削られたガタガタだがあじのある床。ちなみに、下の写真がチョウナ


上の左が北斎の富嶽三十六景の遠江山中図で、木挽きがオガで縦に木を切る姿。右上がオガで下が台鉋。これらが技術革新をもたらした大工道具だというのだ。室町江戸時代の座敷の鴨居や長押や柱は台ガンナがあってこそ生まれた室内空間だと・・・・。ところで、北斎のこの絵を見ていると、このお盆に見た、馬頭町広重美術館の広重と隈研吾の建築を唐突に思い出したのだが、それはまた・・・・。 ![]()
そんな訳で、ちょい「もぐり」のキムラから、ちょい「脱皮」をもたらしてくれた、箱木千年家見学だった。
]]>土曜日、台風が近畿地方に接近し、大阪市内では、予想に反して雨は多く降らなかったのだけれど、そうそう、そういえば、先週の土曜日に突然襲った、あの集中豪雨の方が、凄くて、何でも一時間の大阪の降雨量としては記録的な数字だったらしい。
その影響で、会社の前には水が溢れ出し、長靴を履かないと歩かれない状況になって、20センチほど道路に水が溜まった。車が通過すると、その勢いで、まるで津波のように水が、ドバッと押し寄せてきて、工事中の「まちのえんがわ」にまで水が進入し、慌てて、倉庫にある土嚢袋を取りに行き、積み上げて水を食い止める。
その台風が過ぎ去って、どんよりした天気の今日の日曜日の朝。突然雨に降られるのもイヤだな。という、ちょい弱気な気分になって、毎週恒例の日曜の朝のランニングは止めた。結局、その1時間ほどの間は曇ったままだったので、それなりの後悔も沸き起こった訳で、まぁ、そんな時もあるわな。などと、心が心を慰めている状況。
この5月に庭に植えたシロツメ草が、一面の緑になって、カッコ良かったのに、夏の暑さと、落ち葉の手入れを怠った影響かで、緑がまだらになり出した。ランニングもしなかったので、シロツメ草の間に絡まった落ち葉拾いを1時間ほどする。「庭仕事」のようなコトは、ほとんど経験がないのだけれど、しゃがみ込んで草と土に触れながら過ごす一時間は、ランニングと同じように、終わった後は、しんどいけれど心地良い気分になれるのだ。ってコトを知ったのが嬉しい収穫だった。
そうこうしている時に、コトバノイエのカトウさんが、建築図書専門店の柳々堂さんの女性店主を連れてお見えになった。何でも100年以上も続く建築の専門書店だというのだから敬服する。コーヒーを飲んだり、食事をしたりしながら、「まちのえんがわ」に置く建築専門書のアドバイスをもらう。実にためになる話だったなぁ・・・。ご協力に感謝。
お昼を過ぎてから、建築家のヤベさんのご紹介で、「マンガ皿」という不思議な作品をつくるツタイミカさんと「よこじわーるど」というFreeペーパーを制作するヤマサキミノリさんが、コトバノイエのカトウさんプロデュースのもと、うちの家にお見えになる。二人とも20代の女子。先週に告知をしたように、今年も木村家本舗を催すコトになり、そこに、「マンガ皿」の展示と木村家本舗フリーペーパーの製作を依頼するコトになった。
50代のオッサン二人と20代前半の女子二人が、テーブルを挟んで、コーヒーやお茶を飲みながら、「大まじめな遊びの催し」について語り合うその姿。その時は、何とも思わなかったが、今こうして、文章に書いてみると、ちょい不思議な光景だたのかもしれない。隣の部屋で、奥方や息子が聞き耳をたてながら、このエエ年したオッサン二人の姿を滑稽に見ていたのだろうか・・・・・。
カトウさんの持つハブ機能によって、三人の女性と縁をもった楽しい日曜日だった。
「まちのえんがわ」も「木村家本舗」も当然ながら、建築空間との関わりが大いにあって、勿論、工務店をしているので、建築空間には興味があるわけで、大好きなのだけれど、旅に行っても建築を見るのだな。とオモワレルと、意外とそうではなくて、建築を見るコトを意識して旅に組み入れるようになったのは、ここ5年ほどのコト。なぜか、奥方や息子がそれなりに建築に興味を持つようになっていて、旅の中のひとつのイベントとして、「一緒に建築を見る」という時空間が案外楽しい。とようやく最近気付いたのだった。
このお盆の気仙沼・那須・東京の旅では、那須の二期倶楽部と隈研吾三部作といわれる建物と七石舞台という作品を見る。松岡正剛・内藤廣・和泉正敏の三人による七石舞台というのが那須の二期倶楽部にあって、朝食を食べた後、朝の七石舞台を見学する。その「場」の雰囲気とディテールが独特でとっても不思議な感じ。
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石と石の間で、緑を映し出しているのがステンレスで、周りの緑をそのステンレスが取り込んで、それが、石との組み合わせで、不思議な浮遊感を醸し出す。石とステンレスが自然な形のままぴったりとくっついている、その技術の高さにも驚かされるが、朝日がそのステンレスに反射するので、その上に立つと下から顔にライティングがされたようになり、とっても不思議な雰囲気をもつ顔としてステンレス面が反射する。
家族三人がそのステンレスの上に立って、記念写真をお互いに撮りあうという、超ベタベタな家族写真撮影会を楽しむ気にさせる、摩訶不思議な舞台。奥方など、息子に向かって、ここで、結婚式したらエエのに。と言う。確かに、結婚式の舞台としても使用するらしい。ちなみに石の製作者の和泉正敏さんとは何度も面識があって、うちの会社の前にある石のオブジェは、和泉さんの作品。
七石舞台は、石とステンレスと周囲の自然環境とそこでの催しや宴がひとつの「縁」として結ばれていくような雰囲気。「木村家本舗」も「まちのえんがわ」もそんな「縁」を結ぶ空間になれればとおもう・・・。
]]>あらためて、テーブルを中心にして人が集まってコミュニケーションをする時代だなとおもう。それにしても、接近した男の子三人の姿は、賑やかで逞しくて可愛らしい。これからの厳しい21世紀の日本を担う男の子が育っていかなくてはならないのだなぁ・・・・・・。ま、とにかく子供さん達に感謝。勿論ご両親にも。 ![]()
8月15日お盆の早朝6時40分のフェリーで気仙沼大島を後にする。折角、ここまで来たのだから海岸沿いを仙台に向けて被災地を見ながら走る。という、そんなドライブもあるかもしれないが、家族3人とも、気分的に、そんな「ドライブ」をしたくなかった。それで、もと来た道を引き返し、一関ICから那須ICまで東北自動車道を一気に走る。
キャンプをした後に、真新しいシーツのベットに飛び込んだ瞬間の、あの何ともいえない悦楽的な感覚。布団はエエなぁ・・・とつくづくおもう。二期倶楽部というのが、今夜のお宿で、震災の前から奥方が予約をしていた。大阪で、那須なんていうコトバをいうと、那須の御用邸やな。なんていうツッコミが返ってきて、もちろん初めての土地。それどころか、「私」は栃木県初体験。埼玉や千葉にも通過以外には行った事がない。そういや、まだ、ディズニーランドも未体験ゾーンなのだ。 ![]()
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ホテルに泊まって、ゆったり食べる楽しみ。ゆったり寝る楽しみ。夜に、家族だけで、2時間近くもかけて、食卓のテーブルを囲んで、ゆったり食事をするなんていうのは、ほとんどない。朝など、1時間近くもかけて、ゆったり家族で食事をするなんて、皆無に等しい。確かに、今まで食べた中でも、美味しい料理のひとつだったけれど、美味な料理はテーブルに留まらせる手段であって、テーブルを囲んでゆったりと時空間を共有する事の方に力点があるのだ。と、この土曜日の9人の食卓を体験して、あらためて、そうおもう。きっとこの震災にあった人々も、ゆったりとテーブルを囲む時間を持ちたいのだろう。
さてさて今年も10月の週末に、コトバノイエのカトウさんプロデュースの元、木村家本舗を開催することになりました。今年のテーマは「オープンホームとライブラリーの七日間」です。昨年の「オープンハウスと古本」から少し進化して、ゆったりと過ごせる時空間を提供できればと計画しています。随時詳細をお知らせ致しますので、昨年お越し頂いた方は、また再会できることを。初めての方は、今年こそ是非、お会いしましょう!
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@kimutaka1木村貴一 Takaichi Kimura
夕刻、自宅を出発し、今、北陸道、富山立山ICを通過。新潟を経由し、気仙沼へ。
8月12日 HootSuiteから
こんなツィートを発したのは8月12日の夜の11時過ぎで、前日に、旅行に持って行く予定のこのノートパソコンの調子が悪くて、再インストールをしていて、その作業が長引き、深夜2時頃までかかってしまった。そんな状況下で、12日の午後7時に、旅行の準備も中途半端な状態のまま、無理矢理に旅立つ。奥方と中3の次男との3人旅。大阪から気仙沼、気仙沼から那須、那須から東京、東京から大阪。おそらく、次男と一緒にする、こんな旅行も、あと2、3回なのだろう。
そんな訳で、たった2時間ちょっと運転しただけで、睡魔がおそってきた。今までの旅は、何千キロあろうと、ほとんどひとりで運転してきたが、年のせいもあるのだとおもう。大阪から長浜のあたりで、運転を代わってもらうことにした。奥方も、こころよく引き受けてくれて、後ろの席で1時間ほど仮眠をし、目が覚めて、「いまここどこ」とあたりを見回して、寝ぼけ眼で、ツィートしたのだった。
ツイイターからは・・・
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kotobanoie BOOKS+コトバノイエ
@kimutaka1 服部さんが気仙沼にいるはずですよ。気仙沼小学校だったかな。
8月13日フェースブックからは・・
8月12日 23:25 (HootSuiteから)![]()
河田 昌裕 お気をつけて
8月12日 23:33![]()
Mari Koga Have a safe drive and good time
自分の事を「発する」というのは、なかなかムツカシイもので、「私」にとっても、まったくもって、得意ではないのだけれど、なんらかの「貢献」をする。ということが必要とされる、この時代においては、待ち受ける情報より、まず、自らが自らの情報を発信することで、新たなコミュニケーションを作りだす事が、求められているのかもしれない・・・・。そうそう、今、こうやって振り返ってみると、ひとつのコメントは、ニューヨークに住む、知り合いのJAZZシンガーからで、それを北陸道の富山あたりで読んでいるのだから、不思議といえば不思議。ツイッターやフェースブックというのは、確かに、新しいコミュニケーションのツールだとおもう。
目が覚めてからは、奥方と運転を代わり、走り、仮眠し、また走り、福島あたりの渋滞に巻き込まれ、運転を代わってもらい、また走り、一関のインターチェンジを降りたのが10時頃で950kmほどのドライブだった。一関から気仙沼の国道を走る間に、突然、携帯電話が鳴る。いったい、誰、仕事?、と思っていたら、grafの服部さんからの電話で、ツィッターが取り持つ縁で生まれたコミュニケーションだった。
先ほどまで、気仙沼にいたのだが、今、一関から電車に乗るのだという。
ほんとうにすれ違いだった。ほんの数十分前まで、一関を通過するついでに、JAZZ喫茶ベイシーを一見したところだった。もちろん、こんな朝にジャズ喫茶が開いているわけがない。聞くと、気仙沼で子供達のための家具を作るらしい。また食事でも。と会話しながら、それぞれの旅へと向かう。
気仙沼のフェリー乗り場で、気仙沼大島でボランティアをする上野くんと落ち合い、grafの服部さんとの間を携帯電話でつなげて、ちょっとしたハブの役目をする。関西に住む、「私」を含む3人が、この東北地方の大震災と貢献と携帯電話とツイッターによって、なぜだかよく理解できないが、「ケセンヌマ」という縁で繋がる不思議。
さてと、「東北と地震と津波と建築」をどのように理解したらよいものか・・・・・。津波や地震に強い建築を造るという以前に、どんな場所に住むのか、どんな場所で仕事をするのか。何を職業としてそこで住むのか、もしくは仕事をするのか。そこで、どんな自然災害のリスクを負って住むのか、もしくは仕事をするのか。気仙沼では、そんな問いと思考が脳内を巡っていた。
「沈黙」が覆っていた。車から降りて写真を撮るなんていうムードと気分じゃなかった。それでも、車の運転席から、窓ガラス越しに、数枚だけは、撮っておきたいという、外者の微妙な心境・・・・。 


聞いた話だが、ある漁師が言うのには、「海からの恵みものを頂戴して生活をしてきた。この津波も海からの頂き物なのだ。だから・・・・」と。海に生きる人たちは、そういうリスクを背負って、海と共に生きてきた、逞しい人達なのだろう。そんなリスクを負う必要がないひとは、津波という自然災害の大きなリスクを伴う場所に住まない方がエエのだろうし、そんな場所を住宅地として開発しない方がよいのではないか。旧市街地以上に新市街地のより悲惨な状況。「傲慢」さというコトバ。それらが、その場所での思考回路だった。
沈黙とともに、フェリーで気仙沼大島に渡って、キャンプをしながらこんな夜のツィートをした。 家族3人とウエノ君で、焚き火と満月の下で語り明かした夜でもあった。

kimutaka1 木村貴一 Takaichi Kimura
焚き火と満月の夜 ow.ly/i/fHPc
8月13日
そんな話から、いろいろな状況が、前後したが、結局のところ、気仙沼大島で、キャンプをしながら、タープの下で、このパソコンを打っている「私」のいまとここ。「私」は、ボランティア活動の経験がないので、どちらかといえば、ボランティア活動をしている人をボランティアしにいくような感覚。ウエノくんは、テントに寝泊まりしながら、こんな感じでパソコンを使っている。テントの中には、建築の本がちゃんと置いてあるのが、笑える。いやいや、ちょっと感激する。 ![]()
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勿論、いま、この時期に、東北に行くのには、それも、ほとんど、観光なのだけれど、確かに、ハードルが高い。風評もいろいろあって、まるで、放射能を浴びにいくようないわれ方もされて、息子など、おとうさんやおかあさんは、年がいっているからエエけど、俺、まだまだ若いから・・・・。なんていう風評の影響が誠しやかにはびこる。確かに、行く場所にもよるのだろうし・・・・・。
それでも縁があって、ウエノくんが、フェリーの予約をしてくれたりして、気仙沼発の午後2時40分のフェリーに間に合うために、前日の夕刻に大阪の自宅を出発して1000kmを走る。そして、到着した気仙沼の町には「沈黙」の空気が漂っていた・・・・。
↑ 気仙沼大島の津波被害の様子をレクチャーしてくれるウエノくん ![]()
↑ 海岸に流れ着いた家の梁や柱かあった。燃え跡もある・・・・
この木を見ていると、いろいろのでき事やかつての生活まで想像してしまう・・・
↑ 海水浴客がいない、日本で1、2を争う綺麗な砂浜。いつかは人が戻って来るのか。
多くの瓦礫は撤去されたが、暫くすると、また瓦礫が打ち寄せてくるらしい・・・
そんな訳で、この夏の旅はもう暫く続く。
皆さんにとってエエお盆休暇でありますように。
そのサカイさんのお父さんは、丸坊主の大きな体の人だった。私がまだ、小学生の頃、その左官屋さんのサカイさんと、材木屋さんの岡房商店のオカフサさんの先代社長が、二人で木村工務店にやってくると、私を呼んで、お小遣いをくれた。それは、子供にとっては嬉しいハプニングであって、そんな事が何度もあったと、鮮明な記憶として残る。
いま、50という年齢になって、その出来事を思い返すと、それは、左官屋さんや材木屋さんが、仕事上での木村工務店の先代や先々代の社長に対する感謝であったのだろうし、それが、その孫としての私へのお小遣いとして表現されたのであろう。また、立派に育ちや!という、メッセージでもあったのだろうとおもう。
「三つ子の魂百までも」というコトバがあるが、小さな時に受けたそういう恩のようなものは、大きくなっても潜在意識のどこかに潜伏していて、材木屋さんや左官屋さんに対して無意識に好意的な印象を持っている「私」に気付く。もちろん何らかな形で、その恩をその左官屋さんや材木屋さんの次の世代の人に、返そうという、目に見えない力に動かされている時があって、悪意に取れば、マクドナルドの子供戦略的だが、そこは意識して好意的にとらえ、その好意を返せる機会には返しておこうという気持ち・・・・。
大学を卒業して、木村工務店の現場監督をしている時には、その左官屋のサカイさんに、皆がノブちゃんと呼んでいたのだが、左官職人の考え方や癖を教えてもらい、左官仕事の技術を端から見る機会に恵まれたのは、今にしておもうと、有り難い事だった。
ところが、そのノブちゃんが、息子さんにその左官技術を継がせず、左官という職業を放棄した事に対して、微妙な憤りを感じていた。いや、ほんとうに、その木曜日までは、ノブちゃんの先代に対しては、お小遣いをもらったという、懐柔されたのかも知れないにしても、それなりの好意持っていたが、ノブちゃんには、左官という職業の面白さを教えてもらいながらも、憤りを感じていた。
ノブちゃんは、蓬莱のアイスキャンデーと共に、古びた箱を携えて、数年ぶりにフラリと会社にやってきて、なんでも、倉庫を整理していたら、真っ新のこんな「箒目」というものが出てきて、これは、漆喰に、これを使って模様を付けていく道具で、昔昔は、こういうものを使って、壁に模様を付けたのだ。と解説をしてくれた。私は、未だに、木村工務店の事を忘れずに気に掛けてくれて、わざわざ届けてきてくれた、その気持ちが嬉しかった。
弊社の会長を含めた三人で雑談をする。ノブちゃんの息子さんの話に及ぶと、長男の方は、医者でも研究の方に従事していて、論文がサイエンスやネイチャーという雑誌にも掲載されて、アメリカ在住で日本とアメリカを行き来して、講演も数多くしているのだと。
そんな話を聞いているうちに、そうか、日本の職人的な気質とそのハートは、左官職人には受け継がれなかったが、左官職人が持つ、根気強さとか、粘り強さとか、手先の微妙な力感覚の繊細さとか、そういう気質が、医師として、受け継がれたのかもしれないなぁ・・・・・。と思えてきた。
表面的なスタイルや職業は違っても日本の職人が持つ、そのハートや気質が、職種を変えて受け継がれていくのだなぁ。10数年前の「私」の浅はかな憤りをちょと恥じた。
Thanks 三代にわたるサカイさん。
走りながら、なでしこJapan澤選手の「苦しい時は私のうしろ姿をみなさい」というコトバを唐突に、思い出す。いま、息子の後姿をみて走る「私」。こんな状況下では、このコトバをどう解釈すればよいものか。と、少々苦笑いしながら走る。それにしても、その息子の後姿には、それなりの嬉しい気持ちもあるのだった・・・・。
ところが、10Kmのランニングで、その手前3Km辺りから、急速に失速する息子。喉が渇いたというのだが、清見原神社にお賽銭を投げ入れてしまい、生憎、お金を持ち合わせていなかった。親の立場として、ちょっとだけ後悔しながらも、そのまま走り続け、マイペースを維持したまま、息子を抜かして、走り続けた。息子は「私」のうしろ姿をどのように見ていたのだろうか・・・・・。
この土曜日、木造二階建ての構造見学会というのを久しぶりに実施する。長期優良住宅で、木の家整備促進事業でもあって、上棟以降の内装工事までの工事工程を公開する事になっている。沢山の人が、来場するわけでもなく、すごくマニアックな感じ、お施主さんも一緒に参加して頂いて、ご来場頂いたお客さんには、構造的な内容や、吉野の阪口製材の杉材を説明した。
お客さんが帰られたあと、構造設計を依頼している木構造研究所田原のタハラさんと所員の女性が構造チェックにお見えになって、久しぶりにお会いした田原さんと雑談も交えながら、お施主さんの前で、チエックをしてもらう。
辛口のタハラさんが、吉野の阪口製材の杉材の品質の良さを誉めて、こういう天然乾燥の杉材なら米松に近いヤング係数が出る時があって、強度も強いし、何よりも、大工さんが手加工で、仕口をキッチリとビシッと納めているのは見事で、プレカットだと機械が一気に削るので、ガサガサとなって、どうしても仕口がゆるくなってしまう。手加工するとゆっくりと、丁寧に削るのでで、仕口の強度もまして・・・・・・。
ちなみに、ヤング係数とは
木材や鋼材等の材料によって異なる材料の変形しにくさを表す係数。
材料密度、質量などによって変化する
数値が大きいほどたわみにくい材ということになる
と書いてあって、簡単に言えば、木材のの強さで、いえば、
ベイマツのヤング係数が110とすれば、スギは75ほどで、
阪口製材のスギは110近くの数値がでるのではないのかというのが、
先ほどのタハラさんのお話。
構造用合板の釘の打ち方のチエックとその話題になる。最近でこそ、どこの工事現場でも、CN50という釘の仕様をNC50という釘と間違って使用するという事はないだろうが、合板への釘の打ち方には、ちょっとした面倒くさい、ルールがあって、それは、釘が合板の中にまでめり込まないように、表面キッチリに打つ事が必要で、でないと、必要な強度が出にくいと言われている。
木構造研究所田原さんのホームページから引用すると
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釘のパンチングまた、現在主流の機械打ちの場合、釘打ち機の圧力設定を高めにして釘打ちすることが多いため、釘頭が容易にめり込み、半ばパンチングが起きている状態となる。(下図)
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現場における構造用合板+釘(NC50)の間違った釘を打ち込んだ時の釘頭のめり込み状態耐力壁2.5倍仕様(OSBパネル厚9)の間違った施工
釘がCN50ではなく、NC50であり、さらに釘がかなりめり込んでいる。
現場における構造用合板
+釘(N50又はCN50)の適切な釘の打ち込み状態
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適切なCN50釘での施工
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フミノ棟梁と施主をを目の前にして、上記の引用と同じようなタハラさんの現場でのナマ説明があって、もちろん、フミノ大工とワダ大工は、合板の表面にキッチリと釘を打つために、機械で釘を打つのだけれど、その釘を合板のちょい手前で止めて、最後は金槌で打つという、もう一手間をかけていて、そんなプロ同士の説明と会話が続く・・・。
タハラさんが言うのには、この前に京都での現場があって、そこの施工が芳しくなかったので、施主に説明をして、合板を全てはがして、もう一度やり替えてもらった。という事だった。この現場は、木材もキレイで、仕口も良く出来ていて、合板の釘打ちも良く出来ていて、ほんと、良く出来ている・・・・・と、フミノ大工を前にして、誉める。
フミノ大工が、今まで、人生で、誉められて育ってきていないので、どうも居心地、メチャクチャ悪いですわ。と、キリッとした笑顔で、はにかんでいた。「私」は、喜びすぎて、帰りに、交通事故に合わんように気いつけやぁ・・・と、ちょっと茶化す。タハラさんは、こういう現場は気持ちエエですね・・・と言いながら帰って行かれた。
まぁ、そんな訳で、そのうしろ姿を皆で見送ったのであった・・・・・。
]]>わざわざ、岡山県から家族でお越し頂いた。初めてお会いした人と、まだ見ぬ現地の建物に想像をめぐらしながら、お話をお聞きし、家族の持つ背景や土地の持つ背景を感じ取り、その家族のライフスタイルに想いをめぐらすのは、素敵な経験であって、個人的にはこちらこそが、感謝したい気持ち・・・・。
正午、ほんの少し前、アナログデジタルの切り替えの瞬間を見るため、会社から直ぐ近くの自宅に急いで帰える。家にはソニーのトリニトロン6インチアナログテレビKV6AD1があって20年ほど前に、車載用テレビとして買って、そのテレビを、10年ほど前に、キッチンのテレビとして、本棚の中にひっそりと置いていた。ダイニングテーブルの前に、シャープの21インチ液晶テレビを買うまでは、その6インチのテレビの前で家族3人が立ったままテレビ番組を見入る。という、とっても不思議な光景の日々が続いていた。
主に、奥方がキッチンの作業をしながら見るテレビなのだが、「私」はこのテレビの大きさと映像が好きで、立ちながら小さな6インチテレビを見るという通称「立ち見」をする時が、かなりあった。それにしても、テレビ映像が映らないテレビほど役に立たないものはないので、今日は、そのテレビとお別れする日であり、奥方などは、これを機会にキッチン用のテレビとして、新しいテレビを買うかどうか、家電の折り込みチラシを、朝から楽しそうに見ていた。6インチのテレビの前に二人で立って、笑っていいともの秒読みを見る。4秒前、3、2、1、・・・と、そこで、アナログ放送のあの「青色の画面」が現れるのが楽しみだった。
ところが、切り替わった瞬間。そのまま、デジタル放送が流れた。あれぇ。えっ。タモリが歌い出している。おかしい。NHKにチャンネルを替えると、デジタル放送の正午のニュースが流れている。そんなはずは・・・。青色のあのアナログの画面が現れるはず・・・。それが、普通に映像が映っている・・・。
という事は、うちのUHF用のテレビアンテナの向きがデジタル放送の向きと偶然に同じだったのか?事前調査をしていた訳ではなく、写らんかったら写らんかったで、まぁエエか。ケーブルテレビに接続しているテレビがあるし・・・、というノンビリした家族のムードだった。アンテナは、今設置しているUHFアンテナが偶然に使えたとしても、地上デジタルチューナーが必要だとホームページにも書いてあるのだが、なぜか、そのまま見れている。なぜなのだろう・・・。シーク機能が付いているからなのか・・・。全く理解出来ていない「私」。
もっとも、大騒ぎしているのは、奥方だった。えっ!なんでぇ!ブルーバックちゃう!見れてるぅ!嬉しい!いや、残念!せっかく、新しいテレビに替えようと思っていたのに・・・嬉しいような嬉しくないような複雑な心境。・・・・と。という訳で、はっきりとした事実は、歴史的といっても、かなり大げさすぎる表現なのだが、兎に角、そのブルーバックに切り替わる歴史的瞬間を見逃したのだった。
さて、昼からのお客様は、大阪市内の鉄骨造3階建て2世帯住宅に住んでいて、家族が結婚をして出ていかれたり、ご主人や祖母がお亡くなりになったりと、奥さんひとりの住まいになった。その家を減築などして、独り住まいの快適な住まいにしたいという事で、娘さんとお二人でお見えになる。
施主というコトバは、家を建てるお客様というニュアンスだが、単に家を買ったり、建てるお客様というコトバを越えて、その家族の背景や、その建物と土地の背景、施主の社会的背景や住む地域風土、果ては地球環境まで含めた、家を建てる人の様々な背景を含蓄する広がりのあるコトバかもしれないなぁ・・・・と、リフォームに至る経緯のお話しをお伺いする度に、そんな事をおもうのだった・・・。
その2組目と3組目の間に、奥方から電話があったのだが、あれやこれやとバタバタしていたので、「只今、電話に出る事ができません・・・」と電話を切った。
3組目は、近所の方で、昨日の土曜日の夜に、突然お見えになって、急遽、本日のこの時間にお打ち合わせをする事になった。工場兼事務所を20年ほど前に施工させて頂いて、数年前に、ご長男の家を中古物件を購入してリフォームをし、今回は次男の方も中古住宅を購入してリフォームする事になって、東成のその現地を設計のタナカくんと一緒に見に行くことになった。その場所が、最近お引き渡ししたばかりで、戦前の長屋をリフォームした工事のその家の前の道路に面する、少し斜め前の家だったのには、いやぁ、実に、驚いたなぁ・・・・・。
その打ち合わせが終わり、会社に帰ってから、奥方に、何の用事かと、電話をすると、もう、エエねん。用事、終わったのぉ。もう、冷蔵庫買い終わったからぁ!、と言う。えっ、それぇ、何のこと?
そう言えば、数日前に、米谷良章設計工房のマイタニさんが製作した。「冷蔵庫買い換え省エネ度合いは何%」というとってもエエ資料があって、それを奥方に手渡していた。そこには、沢山の数値が並んでいて、その数値をたどっていくと、 我が家の冷蔵庫は1998年製で450リッターであり、その消費エネルギーは850kwh/年で、それを2010年製の同じ450リッターの冷蔵庫にすると、メーカーによる違いはあるものの、消費電力は約220kwh/年となり、約75%の消費エネルギーを減らせる。と書かれてあって、今週の我が家のダイニングテーブルの上には、その資料と各社の家電メーカーの冷蔵庫のカタログが、散乱している状況が続いていた。
残念にもデジタルテレビに買い換えられなかったので、省エネするために、冷蔵庫を買い換える事にしたわ!と言のだった。そういえば、最近、急激に、冷蔵庫の調子がおかしくなり、氷がうまく出来ないとか、なんだかんだと、冷蔵庫の悪口をぼやいている姿があって、いやぁ、きっと、冷蔵庫の調子が悪くなるように、念力を掛けていたに違いない。これは、主婦の誰もが共通にもつ、強力な念力だと、信じて疑わない「私」。
そんな訳で、地デジ化の日は、住宅相談会の日で、冷蔵庫を買い換えた日なのだ。
]]>
今朝の新聞の折り込みチラシには、関西電力のチラシが入っていて、「13時から16時のピーク電力の節電にご協力下さい」というしっかりとした紙質のチラシだった。関電からのこのチラシに対しては、はい協力しましょう。という気持ちと共に、そもそもの原因は・・・という、複雑な感情が湧いてきて、今年の夏は、セミのかわりに、原子力発電の問題によって、多くの人の鳴き声が、ミィミィーと響いているかもしれない・・・・。
早朝にランニングをし、シャワーを浴びてから、朝風呂に行った。なんという矛盾。だと今頃気付いた。家に帰ってから、午前中は端居しながら、本を読んで過ごす。奥方はクーラーを掛けて、自分の仕事をパソコンでしていた。あっ、これじゃぁ、家族全体では節電の協力になっていないじゃないかと、ようやく、その矛盾に気付いた。それで、お互いに、怒号と笑いを織り交ぜながら、昼からは節電に協力するために、クーラーを切ることにし、それぞれなりの端居をすることになった・・・・。
私たち3人家族の一年間の電気消費エネルギーは8000kwhほどあって、大阪府の3人家族の平均は6000kwhほどなので、平均をかなり上回っている、贅沢な使い方なわけで、それは、おもに、冬の電気式床暖房による消費が大きい事に起因しているのかもしれない。「1985プロジェクト」のコアーメンバーのひとりとしては、まったくもって、恥ずかしい数値なのだが、これを平均の二分の一にするのが目標値な訳で、さてさて、これから私たち家族の節電はどうなっていくのか、我ながらちょっと心配でもあるのだが、まぁ、兎に角、工夫とちょっとしたお金をかけて「節電文化」を楽しんでみようかとおもう。
ところで、70代になる両親の住居では、午前中は涼しい風で、窓を開けてすごしている様子。お昼を過ぎてからは、窓を閉めて、クーラーを掛けて過ごしているようだ。これじゃぁ、ピーク電力の削減にはなっていないじゃないかぁ。て奥方に話すと、一番、暑い時にクーラーを掛けてこそ気持ちがエエのよ。我慢ばかりして、気付いたら脱水症状になっていたらどうするのぉ・・・何ための電気。何のための節電なの。と。確かに確かに。ほんとうは、私たちの節電の方が間違っているのかもしれない・・・・。
電気によってもたらされる快適性とは?電気を創り出す技術とは?電力事業とは?本当の意味での節電とは?文明とは?バランスとは?と、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマという原子力問題によって、過去、現在、未来に渡ってのライフスタイルを考えさせられるねぇ・・・・。
そうであっても、電気の事ばかり考えている訳にはいかない、日常は山あり谷ありで、淡々と過ぎていくのだった。
「月曜日」午前中、週1回の朝礼があり、設計ミーティングや経理ミィーティングがあって、また、ホームページの打ち合わせがあったり、施主がお見えになったりと、あっという間に過ぎる。午後から産婦人科の内装リフォームの打ち合わせに参加する。流石に、産婦人科に行く機会がないので、その「感覚」をつかむまで、暫し時間がかかった。夕方には、提出したコンクリート住宅のお見積書のコストダウンの打ち合わせに、お施主さんが来社。夜はパソコンで、あれやこれや。と、月曜日の慌ただしい1日が終わる。
「火曜日」午前中、「まちのえんがわ」というプロジェクトの社内設計打ち合わせをした。
「まちのえんがわ」とは
「住まい」に関する「専門知識」を
「町の人々」に提供する「縁側」
その「専門知識」を
「責任」を持って「設計」と「施工」ができる
「ものづくり」の「ネットワーク」
木村工務店の1階ガレージに小さな店舗として、
小路 まちのえんがわ Garage
木村工務店WorkShop
として10月頃オープン予定です。また、
その時には、ご愛顧賜りますよう、宜しくお願いします。午後からは、堺でリフォーム工事の見積提出があって、設計のタナカくんに同行する。その後、東大阪で、「木の家整備促進事業」による木造2階建て住宅の上棟式があり、社員や大工さんや手伝いさんと、上棟を祝った。上棟式というのは、いつも、嬉しいし。楽しい。お祝い事だなぁ・・・・。
「水曜日」タカヤマ設計さんによる木造2階建て新築工事の社内検査があって、
トミマス部長と現場担当のツジモトくんと、チェックをする。お昼の時間を利用して、タカヤマ設計、弊社施工によりグッドデザイン賞を受賞した「カットハウス no201」で、ちょっと伸びすぎた髪の毛をカット。髪の毛を触ってもらっている間に、気持ち良くなって、コクリコクリと居眠りしていた。昼間は事務所であれやこれや。夕方には、最近、お引き渡したリフォーム工事の外構の打ち合わせに、設計のヤマガタくんと現場監督のフルカワくんに同行して、お話をお伺いする。
「木曜日」午前中、古いお得意さんの依頼があって、確認申請関係の手続きを依頼しているカシワギさんに同行してもらって、生野消防署に行って、危険物販売所のアドバイスを受ける。午後から、天王寺でのリフォーム工事の契約があり、設計のヤマガタくんとトミマス部長とで執り行う。夕方は堺でのリフォーム工事の契約があり、設計のカワモトくんと現場担当のフルカワくんと3人でお伺いする。重なる時には不思議と重なるというのが、ほんと、世の中の不思議だとおもう。
「金曜日」富士灯器さんという海洋レジャー関係のライトなどを製造販売している会社の社屋塗り替え工事があって、そのお引き渡しに、トミマス部長と現場担当のタツタくんと一緒にお伺いする。社長の息子さんの家を新築させて頂いたご縁で、会社のメンテナンスに携われるのは、ほんとうに有り難い事。感謝です。午後から大阪ガス関係の会社の人が来社されて、お打ち合わせをする。夕方には、豊中でリフォーム工事の見積提出があって、設計のヤマガタくんと見積担当のトミマス部長と3人でお伺いした。
「土曜日」午前中、米谷設計のマイタニさんと、関西大学の授業の件で、下打ち合わせをする。2年前から後期だけ関西大学の木造設計製図の授業を講師として受け持っていて、この2年間はMs設計の三澤文子さんと一緒に授業を担当し、学生と付き合って、私もいろいろと勉強になった。今年は、米谷さんと一緒に授業を受け持つことになり、その下打ち合わせをした。昼前から、野池さんが主催する「暮らし向上リフォーム研究会」の会議が弊社の3階会議室であって、設計事務所さんや工務店さんが12人ほどで、あれやこれやと、ざっくばらんに打ち合わせをした。「部品交換型」ではない「暮らし向上型」のリフォームを研究し、広めていこうという研究会で、10月頃にはホームページが完成し、その活動が、正式な形になるとおもう。夕方には旭区でリフォーム予定の御夫妻が来社されて、計画案の打ち合わせを設計のタナカ部長とヤマガタくんを交えて、2階応接室で、あれやこれやと、賑やかに打ち合わせをする。
そんなこんなで、一週間があっという間に過ぎた。
「日曜日」の今朝、5時30分頃からランニングをする・・・・・。セミの声を一瞬聞く・・・・・。と、そんな日常に、節電が割り込んできたのだな・・・・。
]]>「室内の暑さを避けて縁先や風通しの良い座を占め涼をとることをいう。 また縁先から水が打たれて涼しげな庭の風景を楽しむことや冷房設備が一般に普及した今日においても風呂上がりの夕方など団扇を使いながらの端居は格別である。 」
http://www.a.zaq.jp/haiku/07/4c/4c_003.htm
「家の端近くに出て座っていること。特に夏、涼をとるため縁先などに出ること。」http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/175873/m0u/%E3%81%AF%E3%81%97/
「夏、縁側などに出て涼を求めてくつろぐこと。「端」とは家屋の端で、つまり縁側のようなところ。夜分とは限らないが、夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、涼しい風にあたってほっとするひとときである。「納涼(すずみ)」は外に出て涼を求めることが多いが、端居は家にいて涼を得るのである」 http://kigosai.sub.jp/kigo500a/305.html
「端居」というコトバを知る。恥ずかしながら、全く知らなかった。家の便座の前の壁に貼ってある24節気カレンダーに「端居」とあり、いやぁ、おそらく、去年も、それに一昨年も、そのコトバが書いてあったのかもしれないが、きっと、私の脳ミソは、興味のある情報しか受け入れようとしない、都合のエエ脳だったのだ。全く、そのコトバを気にとめていなかった。
もちろん、風通しの良い家への意識の芽生えは、数年前からハッキリとあって、今にして反省すると、それは、スタイルとして模索し、楽しんでいる程度だったのかもしれない。何と言っても、これほど深刻な原子力の問題と向き合わう機会がないと、「端居」というコトバを本気で考えて、クーラーを出来るだけ使わないような生活を始める気にはならなかっただろう・・・・。
現場で端居する。土曜日。炎天下の中、天王寺区でリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備業者が集まって、器具説明をする。涼しい居場所を求めて、それぞれが、ウロウロする。家の前の、高いマンションに囲まれた3mほどの道路に、なぜか風が、勢いよく通り抜ける。そこに数人が集まって、涼む。昔のヒトが、道路に床几(しょうぎ)などを持ち出して、夕涼みした光景を思い出した。クーラーがまだ設置されていない状態なので、あちらこちらの窓を開け放つと、確かに風の通り抜ける「端」があって、設計のカワモトくんと現場監督のタツタくんと、そんな居場所を見つけては、涼む。いやいや、端居する。
家で端居する。日曜日の午前中、家の中の涼しいところを見つけて、端居する。うちの家は2階にLDKがあって、それに、天井の断熱材は、今の基準からすると低く、たいして入っていなくて、その上、天窓もあって、暑い。先日、お引き渡しをした戦前の長屋では、天井に155mmの断熱材を入れ、土壁の外側に断熱材をはり付けて、いわゆるQ値が2.3ほどになった家を体感すると、断熱材の素晴らしさを、あらためて、感じて、まずは、断熱リフォームだな。とおもうものの、いやいや、それより前に、まずは「端居」なのだ。
1階の座敷に端居して、パソコンをする。北向きの玄関戸を開けたままにすると、風がよく入る。それに、薄暗さが心地エエではないか・・・。暫くして、庭の木陰に出る。庭土に白ツメ草を植えた効果が、なんとなくあって、熱気がなく、草むらにゴロンと寝転がりたい気分にさせる。木陰の下で、キンチョウの蚊取線香をたいて、サーキュレータを掛けて過ごす。じわーっと暑いが、心地よい。椅子を少しずつ動かしながら、風の流れる場所に端居して、短パンランニングで、過ごした。風が吹き、木漏れ日がゆらいで、心地良さを誘う。その「ゆらぎ」がとってもエエ感じ。
そんな「苦労」を「私」がしているのに、2階のLDKに上がると、息子と奥方が、クーラーをかけて、気持ち良くパソコンをしていた・・・・。部屋に入った瞬間、いやぁ、それが、確かに、涼しくて、心地良い。まるで楽園楽園。
いやいや、それじゃぁ、「いま」は、アカンのです。麻薬的な心地良さ。電力マフィアに犯された心地良さと呼ばなくては・・・。まぁ、取り敢えず、クーラーのそばの小さなソファーが置いてあるコーナーに暫し端居する。それが、やっぱり、涼しくて、気持ちエエのですわ・・・。
と言っても、「ゆらぎ」と「薄暗さ」による心地良さにも、ナチュラルハイな魅力があって、今日は麻薬的クーラーと暫し縁を切って、1階に端居する・・・。
午後1時頃になり、ピーク電力の削減に協力するために、家のクーラーを止めて、家を出て、「都市の中を端居」しようと、家族で、話がまとまる。まぁ、単に、息子の買い物があったのと、新しくなった大阪駅を見学しながら、ついでに、都市の中を端居しようという、こじつけに過ぎないのだが・・・・。
都市で端居する。立体的な繋がりが出来た大阪駅のショッピングモール。以前よりっずっとエエ感じ。節電のため、さして涼しくない、店舗で、ショッピングをし、風の広場や空中農園で、端居する。けっこう、大勢のひとが、都市の中を端居しているのだ。それはそれなりに、皆さん、心地良さそう・・・。
日が沈んでも、まだまだ明るい夕刻に、帰宅した。2階のLDKには熱気が溜まっていて、窓を開け、熱気を追い出しながら、クーラーを掛けるが、夕刻になると、西風の吹き込む居場所があり、そこへ端居する。サヌカイト石の風鈴が鳴り響いて、体感温度が下がったような気がし、その居心地の良さを奥方とシエアーした・・・・。
端居を楽しむのが、以外と楽しい。節電にも繫がる。と言うことは、今、求められている建築とは、端居が出来る建築なのか・・・・・。
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猛暑日の午後の2時。大阪市内、戦前に建てられた土壁の長屋を外側断熱をし、次世代省エネ基準という最新の基準を満たしたリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備の業者が器具説明に集まって、使用方法などいろいろと説明をする。メインのクーラーは、後日、家電業者が来て、取り付ける予定になっていたので、隠蔽配管が必要だった1階6畳個室のクーラーだけが取り付いた状態でのお引き渡しだった。
広々とした1階LDKと吹き抜けがある部屋に向けて、その西面の個室の引き戸を全開にして、その小さなクーラーだけをかけて、器具説明をする。断熱効果がかなり高いので、窓を閉めて、その小さなクーラーだけで、吹き抜けを含めた部屋を冷やそうとしていたが、8名ほどが、部屋の中に集まって器具説明をしていたので、人間の熱気というか、人間の持つ熱量だけでもかなりの熱量と暑さで、小さなクーラーの冷気の量をかなり上回っている感じがして、なかなか冷えそうになく、汗が流れた・・・。
そんな事にうっすらと気付いて、東西の路地に面した北窓。インナーガレージに面して西日が入らない西窓。庭に面した大開口のリビングの東窓を開けると、西と北から東の開口部に風が流れだして、それに、西面個室のクーラーの冷気も、その風に乗って流れてきた。いやぁ、実に心地良い・・・。
断熱効果の高い家は、クーラーBOXのように、内部のいちど冷えたクーラーの冷気を貯めておく効果が高いのは、察するとおりだが、内部の人間の熱量を貯めておく効果も高いので、完全に冷え切るまでは、窓を開けて、風を通して、内部の熱を放出した方がエエのだろう。もちろんそのために風の流れる窓を設計しておく事が一番大切だが・・・。
高気密高断熱の家が、冬を旨とすべし的で、夏を旨とすべし的家にはどうなんだろうか、というイメージもあったが、断熱材が外部から侵入する熱気に対しての、遮熱効果もあるわけで、この戦前の長屋の断熱改修では、専用の遮熱材は使用していないが、それでも、その日、33度の外気温に対して、2階でも、あの、むっとした熱気は感じられなくて、我慢できる程度の暑さで、むしろ風を考慮した窓から、涼しい風が吹き抜けて、心地良かった。
そんな訳で、夏のクーラー消費を極力減らすためには、南面の窓は日射遮蔽を考慮して、庇が長いとか、葦簀を使っているとか、ゴーヤで遮蔽しているとか、様々な工夫が必要であろうし、東面と西面にも朝と夕方の時間帯を考慮した日射遮蔽と風通しの、バランスと工夫が必要であろう。それに、北面の風の道も考慮しなければならないのだろ。
夏の住まいには、住まい方の工夫が必要だな・・・と、あらためて思う。クーラーを贅沢に使う事が、今までは、お金の問題で、モッタイナイという程度の問題だったが、原子力発電の問題が大きく絡んできたことで、クーラーは使うけれど、クーラーの消費エネルギーを極力減らすために、時間帯によって、開口部の日射遮蔽をこまめに、面倒くさがらずに、調整する工夫が必要になってきたし、それに、全くクーラーを使わないための工夫と我慢がより大きなテーマなのだろう。特に、密集した都会では、建築的な工夫、それをパッシブな建築と呼ぶのだろうが、そういう建築的な装置にお金を費やして、解決していくしか道はなさそう・・・・・。
吉田兼好の「徒然草」の時代背景とは全く違う、新たな「家の作りやうは、夏をむねとすべし」の「ネオ徒然草」がいっぱい出てくるのかね・・・・。そうそう今回は、戦前の長屋を断熱改修工事した「夕焼けの空」なのでした。
]]>弊社の1階の作業場にある職人事務所には、毎朝、7時前から手伝い職のマツモトさんやドウニシさんやタナカさんやヨッシヤンが待機して、現場に向けて出発の準備をしている。おはよう!っと言い合うのが、毎日の朝の日課で、時には、職人さんから反ってくる、おはようございます。の挨拶から、元気をもらう。
ここ数日は、加工場で、木造住宅の構造材を大工が手刻みをしているので、フミノ棟梁と毎朝、顔をあわす。そういえば、清見原神社の手加工をしている時は、沖棟梁と顔をあわすのが、毎日の楽しみと日課で、それが約一年間続いた。大工の手加工の時は、加工場に、杉や檜の構造材の香りがほんのりと香り、鑿(ノミ)と金槌と木が奏でる「音」が響く。その「音」には人間味があって、どんな演奏家にも出せない「音」で、ある意味、幸せを感じる「音」だとおもう・・・・。
朝、フミノ大工と顔を合わす。「暑いねぇ。」「昨晩は、クーラーがないと我慢でけへんかったなぁ」と、お互いに話し合う。どちらも大阪市内に住んでいて、「電気のありがたさが、わかるねぇ・・・・」と。クーラーを使うことに少々の罪悪感のようなものを感じる雰囲気があって、気はつかっているけど・・・とお互いに共感しながら、「何とか我慢したい気持ちはあるけど、我慢できませんわ」と棟梁が語る。確かに、大工さんは、加工場の熱気の中で、じわっと汗をかきながら、黙々と作業をしている訳で、家に帰っても、暑いのは辛いだろう・・・・。
弊社2階にある事務所では、クーラーをかける台数を減らして、如何に、省エネすれば良いのかを、皆で、工夫をしていて、それに、インターネット上に掲載されている、省エネ実験を読んでは、「よしずを窓の外に置くと、約20%の省エネになると書いてあるでぇ。さぁ、よしず、よしず、何とか、窓の前に取り付けるでぇ・・・」と、大声で、鼓舞しているものの、そうそう簡単単純には進行しない。そんな訳で、作業場に比べれば、メチャクチャに涼しい事務所に帰ってきた社員の何人かは、「天国やな」と呟く。そんな天国にいる「私」と「棟梁」との我慢度の差は歴然としているだろう・・・・・。
「Forward to 1985」という省エネなプロジェクトに参加している「私」である割には、うちの家の電気消費は、贅沢な部類に入るとのだとおもう。誰よりも、このプロジェクトの成果を出さなければいけないのは、うちの家なんだろう。もちろん、3年ほど前から、そのことに気付いていて、2年ほど前に、省エネ改修をしようよ。と試みたものの、子供の学費に回すので、ちょっと後回しやね。と奥方が呟き続けている間に、「3・11」が勃発した。
その3年前のうちの家の省エネ目標は、断熱材の強化。窓硝子のペアガラス化。フイルム式の電気床暖房をガス温水床暖房に変更。太陽熱温水器の設置。エコウィル。木製の雨戸の板をよしずに変更。価格が安くなれば太陽光発電とかエネファームだった。太陽熱温水器とガス給湯器の組合せを見学するために、長府まで行ったが、この3年間で、実際に行った省エネは、25年間使ったクーラーを新品にしたことと、夏の間のクーラーの効率をあげるために、
午前9時頃から午後4時頃まで、南面の窓の障子を閉める事だった。本当は、障子を閉める代わりに、木製のよしず雨戸を窓硝子の外に設置する「つもり」だった・・・。
そうそう、そういえば、最近、土の庭に、シロツメクサを植えて、一面グリーンにした。これによって、省エネ効果が、どれほど、うまれるのだろうか・・・・
この「3・11」以降の今、現状のうちの家で、そんなに予算をかけずに出来る省エネの優先度を考えると、ほとんどが白熱電球である照明器具を、まず、LED電気に変更する事なのだろうと考えて、各メーカーのカタログを取り寄せて調べてみるものの、硝子面積が小さくて、変な、「がたい」が付いている、そのデザインになじめず。また、E26とE17の口金があって、どれがどれであれがこれでと調べて分けるのもめんどくさくなり。その上ルーメン表示もややこしくて、60Wの電球を取り替えるのには、800ルーメンほどが必要らしく、それには電球色はなく昼光色ばかりで、60Wのまん丸い白熱級と同じデザインのLEDはないのかねぇ・・・・。
なんて、考えている間に、ほんまもんの夏がやってきた。クーラーの温度を下げたり、我慢してクーラーをかけないでいると、白熱球の電球がとっても熱く感じる昨今。そんな訳で、密集した都会に住んでいると、「電気のありがたさ」を痛感する訳で、かといって、原子力発電のあの恐ろしさを容認する気持ちには到底なれず。趣味的な感覚であった「省エネ」がリアルな社会問題としてたたきつけられている今、「あなたは、この夏をどう工夫するのですか?」と背後から声が聞こえる・・・・。えっ、大阪人は素直にお上には従いませんでぇ・・・・とかなんとか、言いながらも、会話する大阪のおっちゃんもおばちゃんも誰もが、「Setuden」をそれなりに真面目に考えている事は確か。
そうそう、大阪のおばちゃんの我が家の夏の節電技術は、昼間のクーラーが効いた喫茶店で、長時間ねばる技術らしい・・・・。この夏は、「私」も私なりの節電技術を工夫して、楽しんでみようとおもう。
]]>雨なら、ランニングはやめて、寝ようと考えて、朝、目が覚めると、例のどんよりした・・・の光景だった。それで、いつものようにランニングをする。大阪城内や途中の道でも、ウオーキングやランニングの人たちが、何人もいて、妙な仲間意識を感じたりするのが不思議だなぁ・・・。ランニングを終えて、2、3回に1度、高井田のユーバスというスーパー銭湯に行く。7時30分過ぎのことで、今日は、珍しく、奥方も一緒に行くという。
男湯女湯が分かれるところで、待ち合わせの時間を決めて、お風呂に入ることにしたのだけれど、これって、現代版の神田川なのかぁ? それは、あまりにも、照れくさい。私の学生時代の卒業設計は、「The 松の湯」という、大型のお風呂屋さんで、当時は、スーパー銭湯というコトバもなく、まして、大型銭湯が出来るなど、想像も出来ない時代で、それはそれなりの評価であった。
「松の湯」という名称は、当時のテレビ番組で、堺正章主演で森光子とか浅田美代子が出演していた「時間ですよ!」のお風呂屋さんの名称から拝借したもので、大阪市内の生野区には、今でも、銭湯がそれなりの数が残っていて、小学生の頃は、家にお風呂はあったものの、おかみさん時間ですよの雰囲気のように、たまに友達と行く銭湯は楽しみのひとつだった。そう言えば、最近は、近くの戎湯さんが、省エネも兼ねて、うちの廃材を取りに来て、ボイラーを燃やしている・・・・。
卒業してからは、そんないきがかり上、いちおう、各地の露天風呂や温泉を興味を持って、入ってきた。いま、ぱっと思いつくのは、そうそう、知床のカムイワッカ湯の滝。30分ほど川を遡上して、その水がだんだんに温かくなり、滝壺のようなところで、入浴した思い出。川を上った身体感覚と共に、20年ほど前の記憶として残る。そう言えば、長男はそんな影響か、大阪に帰ってくると、久しぶりに会う友達と一緒に必ず銭湯に通う。
そんなこんなで、それなりのお風呂好きで、まぁ、お風呂に、どんな順番で、どう入るか。なんていうのは、メチャクチャに、くだらない話なのだけれど、時には、お風呂帰りの車の中で、そういう話をする訳で、今日は、電気風呂に入る話をする。昔から、大阪の銭湯には電気風呂というのがあって、小さい頃は、なんだか感電死しそうな気がして、入る勇気がなかって、足をちょとだけ軽く浸けて、ウワー怖わー。とかなとか言いながら、皆で大騒ぎして楽しんだのだが、最近は、ランニング後のマッサージも兼ねて、好んで入る。体中の筋肉が自分の意志とは関係なく、ぶるぶるびりびりする感覚が、とっても大好き。
奥方に、以前、その話をした時は、いやぁ、気持ち悪いわ。とかなんとか言っていたのが、今日などは、試しに電気風呂に入ってみると、体中ビリビリ来て、家の前にあるマッサージ屋さんの電気よりきつくて、凄かったわ。なんて言う。そうそう、塩サウナで、隣に座った全然知らん、おばちゃんが、背中に塩、もんであげるわ。っと言って、塩を体に付けてくれて・・・。ほんと、下町やなぁ・・・と実感するわ。とエエ意味で呟く。ちなみに、奥方の実家は、ニュータウンの住宅地で、銭湯の経験がない。
朝のランニングの時に、昨晩にテレビを見ながら「おかき」を食べすぎた影響で、走り出して、急に、気分が悪くなり、100mほど、嘔吐(えずき)ながら走ったので、朝から近所迷惑やろなぁと、車の中で語ると、そういやぁ、家に居ている時に、外で、自転車に乗って、ゲボー、とかなんとか大きな声で言いながら、通り過ぎるおっさんが、たまに居て、こんなん、神戸方面やニュータウンでは、絶対いてへんし、下町やなぁ・・。と、あまり好ましくない雰囲気で呟く。そんなことが、下町を実感する要因なのだと、結婚して25年目にして、朝風呂帰りの車の中で、知るのだった。
それにしても、「節電」が、お上からの御達しになると、電気風呂は、御法度なのでしょうかねぇ・・・・。という、支離滅裂な、とってもくだらない話。
]]>異常気象なのか、梅雨入りが2週間も早く、前日まで、大歩危ラフティング半日ツアーの川は、雨の予報だった。精親会という名称で、55回目を迎えるこのバスツアーは、雨の経験がない、珍しいジンクスなのだけれど、流石に、今年は、雨だなぁ・・・。と、皆も諦めムードであった。ところが、当日は、青空が見えて、エエ天気。そのうえ、インストラクターのリーダーが言うのには、先週から降り続いた雨で、水量が多く、川もちょい激流で、ラフティングにはもってこいのコンディションで、天気も最高。おそらく今シーズンで最高の日だと、陽気な笑顔で、皆の前で語る。
今年は、あの震災や、それに仕事の状況もなかなか厳しい環境下のもと、旅行に行くような雰囲気でもなく、中止するのもありかな。という迷いがなかった訳ではない。ただ、社員や業者の意向は、行こうよ!という流れであって、その皆の思いに乗っかるカタチで、実施する事にしたことが、天気を晴れに導いてくれたのだろう・・・・。
6月5日の日曜日の朝、社員、大工、手伝い、専門工事業者の56名が大型バスに乗って、生野区小路を出発し、淡路島に向かった。まぁ、研修旅行という名目ながら、慰安旅行という名目もあって、どちらが、表の名目か裏かは、確かに判断に困る。兎に角、大量のビールとお酒が積み込まれ、大量に消費されていくのだった。あっ、いま、反省すると、東北地方のお酒を積むべきだったなぁ・・・・・。
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淡路夢舞台で安藤建築を見学する。2班に分かれて、係員の人に案内をしてもらうと、なるほど、そうなのぉ。なんていう部分が何カ所かあって、例えば、あの楕円の広場の最上部の手摺りは水辺線の形と高さに合っているのだそうです・・・。なるほど、ほんと、そうやな。いやぁ、そんなところまで、考えていたのか・・・と。
国際会議場や茶室を見学出来たのも、意外な収穫だった。そうそう、型枠大工のモモヤマさんも旅行に参加していて、このコンクリートの「トッカド」は、カドの型枠がバレないように「セパ」をこうとって、こうして、ベニヤの小口にもテープを貼って・・・、などなどと、職人さんの解説付きもあり、こういうのが、団体旅行の面白さであるとおもう。
昼からは、四国、金比羅温泉に到着し、金刀比羅宮に参拝をする。案内人の軽妙なダジャレを聴きながら歩く。もちろん、生粋の大阪人の大工フミノくんは、お笑いへの礼儀として、そのダジャレに突っ込みを入れる事を忘れない・・・。おかげで、600段以上の階段の登りは、汗をかきながらであったけれど、笑いが絶えない、楽しい参拝になった。今回の旅行の最大の収穫は、ラフティングによってうまれた、妙な「絆」であったけれど、金刀比羅宮で、出会った、鈴木了二設計による社務所と緑黛殿の良さには、独特の感動があって、私にとっては、隠れた、大収穫でもあった。
神社の伝統的な木製の手摺りと階段。それと不思議な調和を持つ、鉄の階段と手摺とコールテン鋼の錆びたデッキ。それに鉄のH鋼の柱とその柱の上に伝統的な斗栱(ときょう)をのせて、オーソドックスな木組みの垂木と屋根が浮く。ブルーの扉と木々の緑。
参拝者の誰もが、何の違和感もなく、すぅーっと通り過ぎる建築であるのだけれど、建築的にやっている事は、ちょっとやそっとでは真似の出来ない凄みを感じた・・・・。そんな事を設計のヤマガタくんや、現場監督のモリタくんらと、その建築を眺めながら、アレヤコレヤと語り合う。学生の頃から、鈴木了二さんの「物質思考」というのを興味を持って見ていたけれど、いまいち、ピンと来なかったが、この階段の光景を見て、物質思考というコトバの持つ力を再考できる機会を得て、有り難かった・・・・・。
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夜は、ちょっとした総会と宴会。うちの総会は、名ばかりな感じがして、これで、エエのかと、社長としての自己反省もあるのだけれど、何よりも、オーソドックスな宴会のスタイルが、若い人や私にとっても、非日常的であり、独特の楽しさと、独特のコミュニティー感があって、緊張感を伴った親近感がうまれるのが、エエのだとおもう・・・・。
そして、6月6日の月曜日の朝が、今回の旅行のメインイベントのラフティングだった。「五月晴れ」。56名中46名、26才から70才までの幅広い年齢層が、7艇のゴムボートに分乗して吉野川に乗り出す。勿論、インストラクターが、キッチリと付いて、後で舵を取ってくれるので安心。
70才になる仮設資材の中村建機のナカムラ社長は、ゴルフもシングルの腕前なのだけれど、ラフティングに参加し、その上、3メートルの岩場から、飛び込みにも挑戦したのだった。ビッグスマイルという会社でラフティングに乗ったが、飛び込みは、その会社の高齢者記録だそうだ。ちなみに、ピースをして飛んでいるのは現場監督のモリタくんで、その横で70才のナカムラさんが飛ぶ。
60才になる弊社相談役のムラカミさんは、この10年間で、最も楽しい出来事で、兎に角、笑った笑った、オモロかったオモロかった。と子供のように騒ぐ。ボートの先端で、サングラスをかけてオールで漕ぐ姿を見て、誰かが、村上水軍の到来だぁ・・・と叫んでいた。
50才後半の増田タイルのマスダさんは、ボートに乗るまでが大騒ぎ。100kg以上ある、体重とお腹のため、ウエットスーツのチャックが締められず、何人かで手助けをするが、ダメだった・・・。ヘルメットも合うヘルメットがなく、
インストラクターの帽子を特別に借りる。その姿がなんとも滑稽で、皆の爆笑を誘っていた。体重をものともせず、飛び込みにも果敢に挑戦し、ドボ~ンという巨大な音と強大な波しぶきが巻き起こり、いっそうの笑いを誘う。今日は1年分、笑ったでぇ。と大きな笑顔で語るが、いや、実は、皆から、1年分、笑われたのだとおもう・・・・。ありがとう。
ちなみに、冒頭2枚目の写真は、最終飛び込み者として岩から飛ぶ「私」
そんなこんなで、20代30代40代や50代60代70代が、子供のように、大はしゃぎし、吉野川の渓谷に、ウォーとか、ウヮーとかいう、おっさんの声が響き渡り、それはまるで7艇の海賊船のようで、誰もが、パイレーツ・オブ・カリビアの、あの海賊船が島に上陸するシーンを思いだしていたのだとおもう・・・・。
そうそう、芭蕉の句を思いだした。「五月雨をあつめて早し吉野川」 やったっけ・・・・。
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お施主さんと設計担当者と現場監督と材木屋さんで、地域認証材を取得している、吉野の阪口製材まで、杉の構造材の「木取り」に行く。木取りというは、木材をどの箇所に、どの向きに、どの面を見せて使うのかを決める作業で、ワイワイガヤガヤと、この面を下端にして、こちらがわを「に」の「6番」に使うわ。なんていう具合に決めていく。以前にも書いたが、「い」の「1」といわれる箇所が、所謂「いの一番」。この阪口製材の天然乾燥された杉は、独特の光沢があって、美しい。阪口製材の社長は、天然乾燥に拘る。
そういえば、先日、豊中でリフォームしたお宅で、設計担当と現場監督と大工と私が食事に招待して頂いて、その席で、話題にのぼったのが、光る杉柱。建物の構造の都合で、抜くことが出来なかった米栂の柱を杉の柱に入れ替えた。その1本の柱を大工のササキが、1日かけて、鉋がけをした。ササキ大工に聞くと、ここ最近、長い間、鉋がけをしてなかったので、どうしても鉋をかけたくて、かけたくて、我慢できなくなり、朝から午後3時頃まで、一心不乱に、杉の柱に鉋がけをしたのだそうだ。確かに、独特の光沢で、杉柱が光る。それにしても、こういう大工の心意気はカッコエエねぇ・・・。
一本の杉。その杉の苗を山に植え、育て、間伐し、伐採し、運搬し、乾燥し、製材をし、家の構造材となる。、それを先日のように木取りをして、大工が手加工をする。ある日、上棟式を迎えて、竣工し、家となり、やがてマイホームとして、家族の生活を黙って見守り続ける。その一本の木に愛着をもって関わる様々な人々。「木の文化」とは、何なのだろうかねぇ・・・。
そうそう、本日の6月5日日曜日と明日6日月曜日は社員と協力業者の研修旅行のため、臨時休業をします。ご理解のほどよろしくお願い致します。
]]>会社の社員と協力業者の50人ほどが集まって、バス1台で、毎年旅行をする。それは、6月の第一週の日月で、丁度、来週だというわけ。数えて今年で56回目になり、聞くところによると、弊社の会長が、雨が一番降らない日曜日を調べると、梅雨入り前の5月の最終週か、6月の最初の日曜日だったらしい。そんな訳で、引き渡しなどが重なる事も少なく、この日程が決定されたと・・・・。確かに、私がこの会社に入ってからかれこれ25年以上になるけれど、一度も雨の旅行の経験がない。
運動会というのは、秋のイメージだったけれど、最近は雨の影響をさけての事か、この時期に開催される学校も多く、うちの大工さんの中にも、娘の運動会と重なって、旅行には行けないんです。なんていう人もいて、そうそう、秋は運動会の季節で、社員も重なる事があるかもしれないので、今の時期なら季節もエエし、旅行に行きやすい。と考えて、日程を選択したのだ。と聞いていた。
今日のこの大雨の早朝の8時に、お引き渡しがあって、それは、日曜日の9時から娘さんの運動会があるので、それまでにという事だった。生憎の雨で、運動会は中止となり、そう言えば、うちの息子の運動会も土日と連続して中止だった。あの震災が影響を及ぼして、梅雨入れが2週間も早まったのだ。とは考えにくいが、それにしても大型台風までやってきて、いやぁ、実におかしな世の中。様々な物事が延期や中止に追い込まれていく・・・・・。
無事お引き渡しを終えて、激しく降る雨の中を車で走る。こういう時は、大きなボリュームで音楽を聴くのが、何となくの気分。それで、IPHONEをFMで飛ばして、カーステレオに繋ぎ、ボリュームをかなり上げ気味にしながら、曲をシャッフルすると、いきなりかかった曲が、マイルスのビチェズブリューだった。この嵐のような雨には相応しい、うねるようなサウンド。
音楽の事は良く理解出来ていないが、それよりも、どんな、「ものづくりのプロセス」を踏むと、こんな、うねるようなサウンドを産み出すことが出来るのかが、「私」の興味の中心で、マイルスの一連の全てのレコードが、ものづくりの聖書のような存在。好き嫌いは別にして、そういう意味では、マイルス先生から学ぶ事は多い。ただ、このアルバムは、私にとっては愛重版とは言い難く、まぁ、たまには、これから家に帰って、じっくりと聞いてみるかなという、モードならぬムードだった。それにしても、このジャケットはいつ見てもインパクトがある。
そんな気分で家に帰り着く・・・。
うちのダイニングテーブルは2400の長さがあって、朝食や昼食は、大きなキッチンカウンターで済まし、夕食はこのテーブルで食べる事がほとんど。帰宅時間の都合で、家族一緒に食べるのは、日曜日ぐらいで、ただ、夜な夜な、食卓のテーブルに一緒に座りながら、三台のノートパソコンを机に並べて、別々にインターネットを眺めている時間が増えてきて、これが、これからの家族のコミュニケーションなのだ。と呼ぶのかどうかは微妙な問題。ま、それよりも問題なのが足下。パソコンの電源の配線が、足下に這いずり回って、かなり邪魔な上に、AC電源のアダプターのBOXが大きくて、ごつごつして見苦しく、何とも落ち着かない気分だった。
2週間前の日曜日の夕方に、急に思い立って、家族一緒にホームセンターに行き、白いネットと結束バンドとマルカンを買って来た。ネットを机の天板の下に取り付けて、コード類をそのネットの中にほりあげてみたらどうだろうか?と考えたわけ。ところが、材料は買ったものの、作業は出来ずにそのままで、それよりも、2週間ほど、食卓のテーブルの横に白いネットが鎮座していて、そこから、「早よ、しいや!」と言う奥方の声がかすかに漏れていた。
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そんなこんなで、音楽を聴く気分で帰ってきたが、目に飛び込んできたのは、その白いネットと、かすかな奥方の声。まだ10時前でもあったので、重い腰を上げて、作業をやってみることにした。テーブルの下に仰向けになりながら、はさみやペンチや金槌を持って、まさしく日曜大工姿。たいした作業ではないのだが、家では、めったにないみれない姿・・・。
「結婚して、だまされた事は、建築の仕事をしているから、日曜大工みたいな事をしょっちゅうやってくれると思っていたのに、全くせえへんやん。そんな家の事やってくれる旦那さん、憧れやったやけど・・・・」と、机の下で這いつくばる私への奥方からの叱咤激励だった。「大工さんも含めて、建築に携わる人は、家では、似たようなもんと思うけどな・・・」と這いつくばりながら、精一杯の言い訳で応戦をした。
まぁ、そんな雰囲気で、何とか完成にこぎ着けるごとができて、いやぁ、これで、面目も含めて、ちょっとはスッキリした気分になり、さてさて、このコードラックが、本当に、うまく機能して、役立つのかどうか・・・・。
季節はずれの激しい五月雨。このうっとうしさが、配線のゴチャゴチャをすっきりさせたいという気持ちの負荷に置き換わって、「私」を突き動かしてくれたんだろうなぁ・・・。
]]>大阪は、今日まで数多くの優れた企業家たちを輩出してきた。
これら企業家たちは、時代の変化と人々の暮しや社会のニーズを逸早く察知し、果敢なチャレンジ精神とたゆまぬイノベーションで、社会経済の発展や人々の生活向上に大きく貢献するとともに、自立自助の気概をもって自らの社会や街づくりを担ってきた。 「企業家精神」は、まさに「民」のまち大阪が誇る文化である。
一方、あらゆる意味で構造転換を迫られる現在は、まさに変化の時代である。変化の時代こそチャンスの時代であり、そのチャンスを生かすことが企業家の本領である。 今こそ大阪の財産であり、DNAともいえる「企業家精神」を思い起こし、変化を友として新たな時代を切り拓くべきである。
大阪企業家ミュージアムは、企業家たちの高い志、勇気、英知を後世に伝えるとともに、その気概を人々の心に触発することを通じて、企業家精神の高揚、次代を切り拓く人づくり、ひいては、活力ある社会づくりをめざすものである。
「意志」「自助」「創意」「挑戦」「先見」「変化」「志」なんていう。コトバの「羅列」に惹かれたのだと思う。この7つのコトバが全て揃わないと、こんな企業家にはなれないんだろうなぁと思いながら、ポスターを眺めた。105人の企業家。へぇ、あっ、そうなんや。ぐらいの感覚。
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彼らは時代の変化をいちはやく感じ取り、市場のニーズを的確にとらえ、それらを事業化することで、社会・経済の発展や生活向上の原動力の役割を果たしました。 ここでは、明治以降3つの時代ブロックにわけて、紹介します。![]()
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クリックして大阪企業家ミュージアムのホームページを見て欲しい・・・
全く名前の知らない人ばかりなのに、その第一ブロックから、以外と引き込まれていく。
こういう人たちが、「近代大阪の経済基盤」を作ったのか。そして、「大阪を東洋のマンチェスターに」しようと志したのか・・・確か、何時か、学校で聞いたコトバだな。「貿易を発展」させ、「新しい金融の仕組みを作る」。へぇ、生命保険制度の基盤を作ったのも大阪なのか・・・。なんていう具合で、聞き込んでしまう。言い忘れていたけれど、首から音声案内のラジオをぶら下げて、イヤホンを付けている状態。
第二ブロックの「大衆社会の形成、消費社会の幕開け」のいきなりが、「都市空間を創造する」で、これは、私のシゴトに関わる話。大林組と竹中工務店と辰野金吾が紹介されていて、この工務店というコトバは、竹中工務店さんが作ったコトバだそうで、そこには・・・
「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている。 ちなみに、「工務店」という名を作り、社名としたのは同社が初めてである。
とあって、竹中さんや大林さんの歴史を知ると、流石だなぁ、凄いなぁとおもう。こうしてうちの会社も、工務店という名前を名乗っている限りに於いては、竹中さんに感謝しないといけないなぁ・・・・。なんていう気持ちも湧いてきた。
「製造・化学に新たな地平を拓く」では、薬品メーカーの名だたる会社が大阪創業だと知って、あらためて感心する。武田さん、田邊さん、塩野義さん、藤澤さん、森下仁丹にキンチョール。なるほどねぇ・・・という具合で、妙に感心してしまった。
「鉄道開発で生活圏を広げる」「重工業発展の基礎を築く」「モノを通じて生活の近代化をもたらす」「食生活の洋風化を押し進める」「レジャーとショッピングを演出する」「新聞事業を開化させる」のそれぞれのコーナーでは、あの会社も、この会社も、と誰もが知っている企業ばかりで、もう既に30分は経過していて、時間が経つのを忘れてしまって、早々に引き上げるどころか、こうなったらじっくり見てみようという気持ちに変わっていた。
第三ブロックの「豊かな時代の形成、復興から反映へ」では、「現代大阪の再生に力を尽くす」「エネルギーで経済成長と生活の豊かさを支える」「電化で生活スタイルを変える」「新しい暮らしと都市空間を創造する」「独自の技術でモノづくりに挑む」「流通に革新をもたらす」「現代人の食文化を創る」と、よく知る名前の人がどんどん登場して、ますます興味深さが増す。
それにしても、カテゴリーの分け方が分かり易くて、3.11以前の社会を形成したコトバとして、頭がすっきりと整理されていく感じ。それじゃぁ、3.11以降は、どんなカテゴリーや、どんなコピーライトによって、象徴されていくのだろうか・・・・・。
既に1時間ほど経過していた。帰りがけに、ミュージアムの女性の係員の方と会話をする。こんなに沢山の企業家が大阪から誕生し、日本の経済と文化を創り出していたのだと知って驚いたし、是非、子供や社員を連れて、もう一度来てみたい・・・・と。
そういえば、もともと、この大阪企業家ミュージアムに立ち寄るきっかけになったのは、「おおさか地域創造ファンド」というのがあって、3月に、突然、、それに応募してみようとおもいたち、いままで、一度も書いた経験がない、事業企画書とやらを、いろいろな人に協力してもらいながら、「まちのえんがわプロジェクト」として作成し、大阪商工会議所へ提出したのが、その日の午後3時の出来事であって、採択される確率は全くもって低いのだけれど、取り敢えず、完成し、提出し、ほっとした、その帰り道の遭遇だった。
ほんの小さな計画を考えるのにもアップアップしていたその直後だけに、105人の大きな企業家の姿を見せられると、自分のちっぽけさにあらためて気付かされるのだけれど、まぁしかし、これぐらい大きな差があると、「ふつうのまちのおっちゃん」として、小さな事をコツコツとやね。と思いながら地下鉄に座っている私がいた。
]]>日曜日の朝は、ランニングをしていて、自宅から大阪城まで走るのだけれど、5月に入って、大阪城内をランニングする人の数が、どんどん増えて、それはまるで増殖中というコトバがあてはまる雰囲気。
早朝、まず、家を出る時に、iphoneにある RunKeeperというソフトを立ち上げて、UEのイヤフォンを耳に差し込み、小銭を手に握って玄関扉を開けてスタートする。今日は、半袖半パン。先週までは、半パンの下に、スパッツをはいていたのだけれど、流石に暑くて。靴は、2月までは、次男の運動靴を借りて走っていて、それを「伊勢神宮とアウトレット」ドライブに出掛けた時に、竜王のアウトレットで買ったランニングシューズのNikeのエアーに履着替えてから、かれこれ11ラン目になった。
走りだして、3分ほどの距離にある、うちで施工をした清見原神社に立ち寄って、その手に握ったお賽銭を投げ込んで、2礼2拍手1礼でお参りする。そんなに信心深い方ではないので、おそらく、自社で施工をした。というのが、そうさせるのだとおもう。毎朝、境内の掃除をしているおっちゃんに、おはようございます。と挨拶をして、なぜか、行ってきます。と声を掛けてから、鳥居をくぐって、走り出す。
途中、ウォーキングをしている知りあいの人に会うこともあって、挨拶を交わしたり、今日などは、家の近くで、数年前に引退した大工のアキヤマ棟梁が散歩している姿に偶然出くわして、「アキヤマさん!久しぶり!」と後姿を見て追い越しながら声をかけると、「おぅ!、なんや、走ってんのかぁ!」と笑顔。「そぉやねん!」と後を振り向きながら会話をしつつも、立ち止まることなく、通り過ぎていく・・・。
本日のランニングは・・・
Just completed a 9.90 km run with RunKeeper
Average Pace 6:49 / km | Average Speed 8.80 km/h | Elevation Climb 25 m![]()
ランニング中にiphoneにあるipodからランダムにシャッフルされてかかった曲は・・・
Neil Young : Only Love Can Break Your Heart [After the Gold Rush]
Charies Mingus : Wednesday Night Prayer Meeting [Legendary Jazz]
Miles Davis : Concierto de Aranjuez [Sketches of Spain]
Miles Davis : Joshua/Go-Go [Four & More]
Miles Davis : Hand Jive [Nefertiti]
Lennie Tristano : Line Up [ Lennie Tristano]
Miles Davis & Quincy Jones : My Ship [ Miles & Quincy Live At Montreux]
Charlie Parker : I Remember You [Now's the Time]
Bob Marley & the Wallers : Jammin' [Exodus]
Tatsuro Yamasita : Funky Flushin [Greatest Hits! of Tatsuro Yamasita]
Michael Jackson : Man in the mirror [This is it]
Miles Davis : Pfrancing [Someday My Prince Will Come]
Bill Evans : Autumn Leaves [Autumn Leaves]
Tom Waits : Little Raine [Bone Machine]
走りながら、JAZZを聞くのが、もう一つの楽しみでもあって、全く、ランニングには相応しくない曲ばかりがかかり、立ち止まって聞き入った方が良いのかもしれないが、勿論、少々のロックやクラシックもシャッフルされてかかり、その軽やかさと単純さにホッとする瞬間も多い。一度、iphoneの調子がおかしくて、曲を掛けずに走った時は、何となく耳寂しいながらも、実に快適で、ペースも一定して乱れる事も少なくて、ランニングそのものには、音楽がない方が、エエなと思った。
それでも、やっぱり、スタートの時に、イヤホンを耳に突っ込んでしまう。汗で、イヤホンがずれることがあって、めんどくさいなと思う。音楽を聴くどころでなくて、走るだけでめいっぱいの時も多い。そんな中で、時折、耳元で印象深く入り込んでくる音。マイルスのトランペットの音であったり、コルトレーンのサックスの音に心奪われて、ハッとする。一時期のマイルスのドラマーであった、トニーウィリアムスの微分積分をするようなドラムに乗る時もある。コルトレーンのドラマーであった、エルビンジョーンズの繊細でリズミカルなシンバルに感動しながらランニングのペースを上げる時もある。ビルエバンスのベーシストであったスコットラファエロのベースに煽られる時もある。おそらく、私の耳が、聞き込んできたJAZZのマンネリ化を打開するために、新たな状況下のもとで聴いて、新鮮な印象を持ちたがっているのだとおもう・・・・。
走り終わって、冷蔵庫に冷やしている水を飲んで、家のデッキで15分ほど、静かに座る。ランニングの後のこの静かな時間も心地良い。今日などは、心地良い風が吹いて、その風の心地良さがランニングの後だけに、「しみいる」感じ。
そんな風をどうしたら家に取り込めて、心地良い家になるのだろうか・・・。また、風力発電として、ほんとうに上手く利用で得きるのだろうか・・・・と、ふと、大まじめに考えていたりして、それは、3.11の、特に、原子力問題が大きな影響を及ぼしているからなのだろう・・・・・・。
という取り組みがあって、1985年当時の家庭の電力消費量は現在の約1/2で、産業部門の電力消費はそのままの状態にして、今の家庭の電力消費量を1/2にすると、その量は現在の原子力発電量の1/2と近い値になり、ということは、1985年当時の家庭の電力消費の生活をすると、原子力発電量を半分に減らす事ができるという取り組み。また、その量は、今のピーク電力の20%減にあたり、その量が、原子力発電による発電量と近い数値となって、すなわち、1985年当時の家庭の電力消費の生活にすると、産業部門の消費はそのままでも、原子力発電所をなくす事が出来る可能性があるよ! という取り組みだという訳。ちなみに前にも書いたが、1985年は結婚の年でもある・・・・。
これは、私も懇意にしている、温熱環境のスペシャリストでもあり、工務店のコンサルタントでもある野池氏が提唱する運動で、「Forward to 1985 energy life」というプロジェクト。で、詳しいことは、バーナーをクリックして読んで欲しいが、私たち工務店にとっては、どういう家づくりとライフスタイルをすれば、家庭の消費電力を1/2にする事ができるかが、工務店に問われているミッションであるとおもう。
また、それは、3月20日のブログ「シーベルト」の後半に書いた内容であり、それをもっと掘り下げて突き詰めたのが、「Foward to 1985 energy life」で、その一部を引用すると・・・・・
パッシブデザインの意義
パッシブデザインとは、設備に頼らず、太陽や風のエネルギーをうまく活用、調節する建物にすることで、室内環境を向上させようとする設計法を指します。もちろんそれによって省エネに結びつくことになります。
わが国の伝統的な建築では、とくに夏の暑さをしのぐ工夫としてのパッシブデザインがありました。ところが安価で便利なエネルギーが使えることになって、そうした工夫は失われてしまいました。たとえば、いまの住宅のほとんどは日射遮蔽にまったく考慮されていないことがわかります。
伝統的なパッシブデザインの発想に加え、断熱性を向上させ、日射熱によって暖房するという現代的なパッシブデザインを行うことにより、快適性と省エネルギーが両立することになります。これから、わが国では様々な場面で「我慢」を強いられてくると思うのですが、十分なパッシブデザインを考えることによって、その我慢が少しでも和らぐことになるはずです。ただ我慢するのではなく、こうした知恵を働かせることで、前向きに、楽しく、省エネや省電力消費に向かっていけるのではないでしょうか。
またもちろん、パッシブデザインが十分ではない住まいにおいても、太陽や風などの“自然の力”をうまく使う知恵はたくさんあるはずです。このメッセージによって、そうした暮らしの知恵を見直し、集めていくことになればとてもうれしいです。以下に、これまでの私の研究や実践から学んだ、快適性と省エネルギーとを両立させる暮らし方を挙げておきます
■パッシブデザイン要素
ここでは何よりも窓に関連する動き(動かし方)が重要です。
●冬の晴れた日の日中には、できる限り雨戸やシャッター、カーテンなどを開けることが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します(とくにパッシブソーラーを導入した住宅では必須的な事柄)
●冬の夜間には、逆に雨戸、シャッター、カーテンなどをすべて閉めておくことが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します
●盛夏の日中では、何より日射遮蔽が重要です。使用していない部屋では日射遮蔽部材(雨戸やシャッター、カーテンなど)を閉めておくようにしてください。使っている部屋だけ、うまく日照を採るように工夫して
ください。
●外気温が高い(目安は30度以上)場合は、通風よりも日射遮蔽のことを重視してください。風が欲しい場合には扇風機を活用してください。
●盛夏の夕方以降において外気温が低くなってきたら、室内に溜まった熱を排出させるために、できるだけ窓を開けてください。
■湿気
●梅雨時期など、湿度が高く比較的高温になっているときには、窓を開けることによって室内に湿気を呼び込むことになります。涼感を得たいのであれば、扇風機をうまく使ってください。
■設備
●エアコンは比較的エネルギー消費量が少ない機器です。もしエアコンが設置されているなら、エアコンをうまく活用することに工夫してください。
●もしひとつの空間に複数台のエアコンがあるなら、複数のエアコンを同時に動かさず、まずは1台を使うことを考えてください。エアコンは“一生懸命動いているほど”効率がよくなるからです。
●エアコンなどヒートポンプを使った暖房設備を除けば、電気を使った暖房設備や給湯設備はエネルギー消費量が多くなります。深夜電力を利用していれば電気代は節約できますが、エネルギー消費量は多くなりま
す。そのことを頭に入れて、うまく使うようにしてください。
●エコキュートのモードを確認して使ってください。省エネモードにして使わなければ、エコキュートであってもエネルギー消費量は多くなります。
●家電を購入する際には省エネルギー性能にも関心を持ってください。
長々となってしまったが、、今日のような5月の心地良い風と太陽。そんな自然エネルギーとエエ関係性を持ちながら、断熱や遮熱やライフスタイルを工夫した居心地の良い家づくりをしたいものだなぁ・・・と、ランニングが終わった後の心地良い風が吹くデッキ。そこでの静寂の15分間に、しみいる風の声だった・・・。
]]>奥方は家が好きだから、何処へも行かずにゴロゴロするという。というより、一泊二日で、神奈川県の丹沢にある知りあいの山小屋に行こうかと誘うと、「ゴメンゴメン、登山靴の底がとれたままで買っていないから、行きたいけど、我慢するわ。」と大阪のおばちゃん的断り方。「なんやったら、靴、買ってきたるでぇ。」と突っ込むと、「山ガールになる年齢制限を超えているから、絶~~対にいかへん。」と強い、お断り。これが、ちょっとしたホテルに宿泊して、温泉にでも入って、美味しい料理でも食べて、私の奢りで。という事になると、奥方のノリもかなり違うのだろうが、今年のゴールデンウィークの、うちの家族のムードは、こんな雰囲気だった。
近畿道に乗り込んで、すぐに第二京阪に入り、京滋バイパスを通って、ちょっとだけ名神を通過して、新名神高速道路に入る。新名神はトンネルの幅も広く、信楽と甲賀の山里の高いところを通過していくので、天空のラピタとは言い過ぎだが、独特の気分感があってエエ感じ。新名神から東名自動車道路に入り、そこから伊勢湾岸道を通る。途中に長島温泉のジェットコースターを眺め、名古屋港にかかる大きな橋を渡る。この道路も幅が広く。海の眺めや名古屋の工業地帯の眺めもあって、やっぱり独特の気分感があるので好きな高速道路。それで、東名の豊田ジャンクションに辿り着く。
名神だけをひたすら走り続けて豊田まで辿り着いていた時より、道路と眺めの変化も多彩で、それに時間も距離も圧倒的に短縮されて、ここまでのドライブはここ最近のお気に入り。感覚的には2時間ちょっとという時間感覚。ところが、豊田から富士川サービスエリアまでの区間が何とも辛い時間感覚で、浜名湖の眺めとか由比でいきなり現れる富士山には驚かされるが、道路の雰囲気も含めて、ちょっと苦手な高速道路。いつも右車線の車の数の方が多くて、左車線の車の数はパラパラ。その割には、右も左もそんなに車速がかわらないので、とにかくトロトロと渋滞するのだった。
このあたりを走ると、いつもケンミン性の違いを何となく感じる。関西方面で右車線をトロトロ走っていると、後から突っ込まれそうな勢いの車があって、最近でこそクラクションをならしたり、右ウィンカーを付けたりする様子をほとんど見かけないが、かつては、そんな車をよく見かけた。それに比べて、このあたりは、皆でのんびりと右車線を走っているような雰囲気で、ひみつのケンミンショー的違いなのだろう・・・・。
5月3日の早朝も静岡辺りの事故が重なって、眠気を誘うほどの渋滞が続いた。豊田から富士川までに、2時間ちょっとの時間がかかった、早朝の快適なドライブの2時間ちょっとの時間感覚と渋滞の2時間ちょっとの時間感覚との印象の違いは大きい。
アインシュタインの理論実証 米衛星、時空のゆがみ観測
2011年5月6日14時7分
地球の周りの時空のゆがみとGP―Bの観測のイメージ=米航空宇宙局提供
質量が存在すると、ボウリングのボールが載ったトランポリンみたいに時間と空間で構成される4次元の「時空」がゆがむ、というアインシュタインの一般相対性理論の予言が、米航空宇宙局(NASA)の人工衛星「GP―B」の観測で確認された。天才の考えの正しさが改めて実証された。
・・・・・
という、朝日新聞の記事が最近あって、「印象が存在すると心の中の時空がゆがむ。」という理論があるのかどうか知らないけれど、渋滞の中で、パンを食べたり、お茶飲んだり、音楽に聞き入ったりしつつ、印象の違いによる時空のゆがみを矯正しながら運転するのだった。そうそう、このあたりの道路を走ると、2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」の思い出が蘇る。それが、ひたすら遠く長く感じている高速道路の渋滞の心の時空間のひずみに、ほんの瞬間の解放をもたらすのだった。
そんな話を帰宅後に奥方とすると、「今年は質素に生活するけど、去年、一昨年と旅行にお金を使って、時にはもったいないと感じるけれど、エエ思い出が出来て良かったのとちゃう・・・。少々のお金使って思い出を作る事は出来るけど、お金で思い出は買われへんやん。私も家族で旅行した事、たまに思いだして、良かったなぁ・・と、ひとりでニタニタする時あるねん・・・・。」と。
そんな渋滞の影響で、5時間ほど掛かって足利のサービスエリアに到着し、はじめての休憩をとる。サービスエリア内のスターバックスでコーヒーとパンをテイクアウトするために並ぶ。並びながら、別に、こんな所で、結構な値段がするスターバックスのコーヒーをわざわざ並んでまで飲まんでも、安いコーヒーで十分とちがうのぉ・・・と、心の中が呟いていた。いや、きっと、渋滞の影響が心の時空にひずみを作っていて、そのひずみを解消するのに、プチ贅沢が必要だったのだろう・・・・・。渋滞とサービスエリア内のスタバでの売り上げの相関関係はどうなっているのだろうかね。
大井松田で東名を降りて、10時すぎに小田急の渋沢駅前に到着する。東京に住む長男と待ち合わせをしていて、それが、いろいろなタイミングが重なって、兄弟と私の3人で登山することになっていた。車で、仮眠しながら長男の到着を待って落ち合い、コンビニで、昼食のパンなどを買って登山口の大倉に到着する。車を駐車して、登山靴に履き替えて大倉尾根を登山する。途中、知りあいの大倉高原の家のオーナーと震災の事など話しながらコーヒーを飲む。そこを出発してすぐに、「長い時間、休憩して、話をしていたなぁ。」と次男が呟いた。
それなりにきつい登りを登って、標高900mぐらいにある堀山の家が知りあいの小屋で、25年ほどの付き合いになる。そこから標高1490mほどの塔の岳山頂までは、かなりきつい登りもあって、大倉尾根の核心部なのだけれど、もう何十回もこの尾根を登っていて、このかた一度も一気に山頂に行ったことがなく、この堀山の家で、まるで、捕獲されたような生き物のごとく、ここで知り合った友人達と話し込んで、飲んで食べているうちに、気が付けば日が暮れてしまい、深夜遅くまで、アーダコーダと語り合うのが、ここでの正しい登山なのだろう・・・・。心の時空間がゆったりと、でもあっという間に流れるのだった。
次の日は、早朝から起きて、鳥のさえずりを聴きながら、木立の間から垣間見える、真っ白な頂の富士山を眺める。朝食のあと、小屋の数人と一緒に、頂上までの往復登山をする。まぁ、取り敢えず、山登りにきたでぇ。という証拠を残す程度の登山感覚。それなりに急な登山道だが、あれやこれやと世間話をしながら登っているうちに頂上に着く。それにしても、ここ数年で、若い人たちが増え、山ガールも急速に増えて、それはそれで賑やで華やかな山もエエのではないかとおもう。
そんな訳で、午前10時すぎには再び、堀山の家に戻って、また、いろいろな人とあれやこれやとコミュニケーションをしながら時間が流れていくのだった。そして、午後3時すぎに下山する。兄弟二人がほとんど走るかのごときスピードで下山するその後姿を親のメンツにかけて汗を流しながら必死で追いかけていくものの、あっという間に姿を見失い、ところどころで、二人が私を待つ姿に遭遇するのが、妙な喜びであった。
午後4時過ぎに車に乗り込み、コンビニに立ち寄る。渋滞に備えて、普段あまり口にしない、スナック菓子やジュースや甘いものを大量に買い込んで、長男を駅に送り届けて分かれ、彼は東京へ私たちは大阪に向けて渋滞の東名高速道路に突っ込んでいくのだった。沼津から豊田ジャンクションまで、繰り返し何度も何度も渋滞する東名高速道路上の車の中で、渋滞中に巻き起こる心の時空のひずみを無理矢理に矯正するために、常に口に何かを放り込でいた。午後11時すぎ、一度も休憩することもなく大阪に辿り着き、一泊二日の超私流丹沢登山が終わる。
きっと、この登山スタイルそのものが、仕事の質量による心の時空のひずみを矯正してくれているのだとおもう・・・。そうそう、中学3年生の次男は、夜な夜な続く、オトナの屈託のない会話を目を輝かせて興味深そうに聞いていた。大阪に着いてからの「たのしかった」のひと言が嬉しかったねぇ。
]]>まぁ、そんな訳で、ゴールデンウィークに、どんなところに旅をしたのだろうかと振り返ってみようと思った。おそらく、振り返ろうという、そんな気にさせたのは、3・11の東北地方の大震災の影響だとおもう。このブログを書き出したのが2004年で、その2004年から2011年までのゴールデンウィークの旅を調べてみると・・・。2004GW「有田」・2005GW「東北」・2006GW「五島列島」・2007GW「直島」 ・2008GW「丹沢」・2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」・2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 だった。よく見れば、記録から欠落しているのは「東北への旅」で、2005年の3月から5月までの3ヶ月間ほどは、ブログを書く事を滞っていた時期だった。
そういえば、あの震災の直後に思いだしたのは、2005年のGWの東北への旅の記憶で、奥方も同じように旅の記憶を思い出したのだと言う。大阪から車で、猪苗代湖に行き、キャンプをし、磐梯山を巡って一気に北上して青森まで向かい。三内丸山遺跡を見学してから南下した。乳頭温泉に浸かり、遠野で偶然知った風力発電を見学し、宮沢賢治を訪れ、わんこそばを食べ、帰りには、初めて東京暮らしをする事になった長男の下宿を訪れた。そんな楽しい旅の記憶と共に、5月の大阪と東北の寒暖の差に驚き、花粉症なども併発して、体調を崩し、苦々しい経験が、身体の記憶に刻まれた旅でもあった。それでも、何時かは東北地方の太平洋側の海岸線を北上しようとおもっていたのだが・・・・。







2004GW「有田」
10年ほど前に長男と行った有田陶器市の楽しかった記憶が残っていて、その時は、有田から阿蘇へ行ってキャンプをした。この年は次男を連れて、下関と門司を巡ってから有田の陶器市で白い陶器ばかりを買った。会社で今使っている湯飲みは、その時買った、湯飲みだなぁ・・・・
2006GW「五島列島」
森小路教会を設計施工することになり、その勉強も兼ねて、というより、それをダシにして、五島列島の教会巡りをした。ほんとうに楽しかった。、機会があれば、また五島列島に行きたい。特に野崎島での記憶は鮮明で、強烈な印象が残る・・・・
2007GW「直島」
車中泊かキャンプばかりしてきた旅で、久しぶりにホテルに泊まった。泊まるのなら、オーバルかとおもって、チョイ見栄をはって宿泊したのだった。今までの旅では観光地で若者を見かけなかったが、直島は、若いカップルがいっぱいの観光地であり、何よりも、その事に一番驚いたし、若者を惹きつける建築力というものを考えさせられた・・・・
2008GW「丹沢」
次男が中学受験をする事になり、そのためにはゴールデンウィークも塾で勉強するのだという。お父さんが家でゴロゴロしていると邪魔なので、どこかひとりで遊びに出掛けてと奥方から申し渡された。それで、友人が山小屋を営む丹沢へ出掛けた・・・・
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」
2004年以前は、「縄文の遺跡のある場所」というのが、個人的な旅のモチーフだったが、今までの旅と違う新たなモチーフが欲しかった。また、次男も中学生となり、一緒に旅行するのも、あと数回かと考えて、もう少しアカデミックな旅がないものかと模索しているうちに、好きな北斎をモチーフにして富嶽三十六景の描かれた場所を探す旅はどうかと思いついた、それにB級グルメも絡めてみようと・・・・・
2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」が、バカみたいだが、かなり楽しかった。いや、楽しかったのは、「私」だけで、奥方と次男は、バカみたいな旅に付き合わされているだけやでぇ・・・と、ニコニコしながら言う。それに奥方は、年も年で、旅館に泊まらない旅は辛い。こうなったら、クラシックホテルを予約するので、それに合わせて、旅程を組んでね!という強い要望が出た。B級グルメはそこそこにして、建築を体験する事を付け加えた。今までで、最も密度の濃い旅だったとおもう・・・・。
2011GW
そんな訳で、今年はどうしようかと考えた。3・11以降のゴールデンウィークなのだ。それに、次男も子供から少年への道を歩み始めていて、それぞれが、それぞれなりの予定があるのだと言う。中学3年の次男曰く、「まぁ、しょうがないから、一泊二日だけ、お父さんに付き合ったるわ!」なのだそうだ・・・・・。
という事で、木村工務店のゴールデンウィークは以下の日程で頂戴致します。皆さんにとって、有意義なゴールデンウィークでありますように! 
今、議論されている税制の問題も、感覚的には、1%の増税は辛いし、払いたくないが、1%の義援金なら、消費を増やして、気持ち良く支払ってもエエのではないかとおもう。この1ベクトルに内在する力の向きを示すのが、政治力のような気がするが、それが、ムツカシイのだな。自己反省もしながら考えてみる。それにしても、ベクトルと書くと、ベクレルの事を連想してしまい、明らかに、3・11以降の影響というやつで、あれ以降はこのブログもそれに関連する話題ばかり・・・。
この週の月曜日に野池学校というセミナーがあった。温熱環境や省エネを教えているノイケさんが主催する学校で、そういえば、昨年の暮れには、ノイケさんの友人とで「選曲アワード」という音宴をうちで催して、盛り上がった。
そのノイケさんによる「1985」というプロジェクトがあり、1985年当時の家庭の消費エネルギーの生活に戻ると、原子力発電の問題を含むエネルギー問題が解決できる可能性があるという、面白い提案とプロジェクトだった。それに、ごく私的には、1985は、結婚の年でもあり、その当時の慎ましやかでシンプルな生活に戻るのも、確かにエエなとおもう。これも3・11以降の問題で、ベクトルの向きの問題のひとつだな・・・・。
その学校のあと、ノイケさんを含めて、数人で懇親会をする。そういえば、その日も穀雨だった。会食の軽いのりの中で、
私が、「工務店力」のベクトルの向きをこんな向きに使ってみたいう話題を出すと、暫し盛り上がり、翌日、メールのやりとりと共に、それを纏めた形で、こんなコピーライトが送られてきた。そんな訳で、この週は、穀雨と共に、工務店力のベクトルの向きを考慮した「まちのえんがわ」というプロジェクトの事を考えた、妙な一週間だった。このプロジェクトも穀雨によって生長して欲しいものだ・・。
金曜日。パラパラ降る穀雨の中、透明の傘をさして、地下鉄小路駅に向かう。
改札機で、icoca をあてがって、構内に入ると、駅員さんが、脚立を立て、天井からの水漏れをペットボトルで受けていた。ペットボトルの底をカットして、天井にくっつけて水を貯め、それを呑口に細いホースを繋いで、排水溝に落とす作業をしていた。天井に二本の点滴がぶら下がっているような雰囲気で、ちょっと可笑しい。「記念写真でも撮っときますわ。と駅員さんに言うと、誰も修理してくれへんので、自分でやってますねん。」と笑顔。電車に乗るのに急いでいたので、写真は手ぶれしまくっているのだけれど、穀雨のワンシーン。
土曜日。雨の中で、木造2階建ての地鎮祭があった。式が始まってから、本格的に雨が降りだして、テントの上に落ちる雨音と共に、神主さんの祝詞奏上を聴く。この穀雨が、土地を潤し、この家と家族の生長を助ける雨となりますように・・・・・。
さまざまな穀雨の中のワンシーン。なのだ。
]]>梅原猛・哲学者――原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に - 11/04/05 | 12:18
今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。
そのためにやるべきことは二つ。
まず、代替のエネルギーとして、太陽光エネルギーの研究をすすめるべきだ。これまで、原発を推進する研究に莫大な研究費を投じてきた。その研究費を、太陽光エネルギーに投入する。日本企業も京セラなどはこれまでも取り組んできたが、それ以外の企業も本気で取り組むべきだろう。
もう一つは、過剰なエネルギーを浪費するような生活から脱却すること。今原発が賄っている電力は全体の3割程度。太陽エネルギーによる代替とともに、一人ひとりが生活を改めることが重要だ。
原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。
今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。
・・・・
(聞き手:島 大輔 =東洋経済オンライン)
この月曜日に、木造2階建て住宅の上棟式があって、ここ数年、リフォーム工事が増え、新築工事の割合がめっきり減って、それだけに、上棟式というのは、今まで以上に、嬉しい式典であり、木組みの下での会食は、幸せな気分になる。話題は、必ず震災の事に及ぶ。お施主さんの仕事での震災の影響の話などだが、ここに来て、原発の影響による、省エネの事が、より大きな関心事に移っているように感じる・・・・。
火曜日の午前中にリフォーム工事の現場定例打ち合わせに行く。この震災の前に着工していたのだけれど、ユニットバスの搬入予定が、3・11以降だったために、ユニットバスの入荷が大幅に遅れている。遅れるのは、仕方ないですよぉ。と笑顔で答えてくれるお施主さん達。こういう皆の気持ちが、間接的にだけれど、震災の支援になっているのだとおもう。
同じ火曜日のお昼からリフォーム工事の定例打ち合わせに参加する。こちらはユニットバスの入荷が遅れていだけでなく、構造用合板と断熱材の入荷が遅れて、大工さんが「手待ち」の状態になりそうだったけれど、なんとか、ぎりぎりのタイミングで手配が付いて、ほっとひと安心。何よりも、大工さんがほっとした様子で、一生懸命仕事をしていた。材料が入荷しないと、職人さん達の仕事が出来ない訳で、ユニットバスを施工する職人さん達は、仕事が出来ず、「あそんでいる」状態なのだそうだ。震災の影響がじわっと忍び寄る。
同じように、お施主さんは、遅れるのは仕方ないですよ。と誰もが、気持ちのどこかで、自分達の事より、震災で困っている人たちのことを気遣っているのだった。現場から自転車での帰り道、桜の下を通り抜ける。今年の桜は、いままでのどの年より、格別に色が白っぽくて、ある意味美しい色合いだと眺める。まさか、震災の影響ではあるまいか・・・・。
水曜日。協力業者の瓦寅工業さんの会長がご逝去されて、その社葬が阿倍野であった。瓦組合の理事長を歴任されておられ、阪神大震災では、屋根瓦の修復のために、多大な尽力をされて、その功績もあり、勲章を拝受したのだと聞き及ぶ。そんな話を聞きながら、今度の震災の大きな特徴は、あらためて、津波と原発の問題なのだ。特に、原発に対する考え方が、ひとりひとりのライフスタイルにまで、影響を及ぼそうとしているのだと、頭のどこかでぐるぐると廻っていた。
木曜日。一年に2回だけ催す、協力業者とのゴルフコンペをチャリティーゴルフコンペとして、28人で実施した。勿論、花見と同様に、開催するのかどうかという迷いもあったけれど、弊社の会長自らがティッシュボックスをリメイクして作成し、その募金箱に集まった56,000円は、楽しんだエネルギーを義援金として変換したエネルギーとして届けたいとおもう。
その木曜日の夜。設計の打ち合わせがあって、施主のお仕事が、土産物の製品を商う仕事で、この震災の影響で、外国人観光客が来なくなって、浅草に卸す商品が全く売れなくなり、パートの人たちも減らさなくてはならないかもしれない、リフォームもどうしようかと迷うぐらいで、死活問題だと嘆く。原発の影響による経済的損失の影が、あちらこちらに忍び寄る。
金曜日。数年前に1階のリフォーム工事をさせて頂いたお宅が外壁の塗り替え工事をする事になり、そのお引き渡しがあって、久しぶりにお伺いし、あれやこれやとお話しをする。2階のリフォーム工事がまだ残っていて、その工事の時には、夏を涼しくするために、断熱材や遮熱や風通しの事を考えたいです。というのが、冷暖房費のランニングコストだけの事でなく、原発の事を意識したエネルギー問題が、いまや共通に考える話題のひとつになっていて、それは凄い出来事だとおもう。原発問題が、はっきりと、皆の意識を変えているのだった。
土曜日。新築工事の設計打ち合わせがあり、長期優良住宅の補助金が閣議決定されているのだけれど、正式発表が遅れている。そのために、申請と着工が伸びている現場があり、ここにも震災の影が忍び寄る。
その土曜日の午後。堺に民家のリフォーム工事の現地調査に参加する。弊社のトミマスくんとタナカくんと床下を覗いて、ネコの死骸を発見し、撤去したのは、所謂、想定外の出来事であったのだけれど、それよりも、原子力発電の事を考えるとね。オール電化。良いのでしょうかね。プロパンガスの地域では、どうしましょうかねぇ。という施主の悩みは、大阪であっても原発問題を自分たちの事として真剣に取り組み始めている悩みなのだとおもう。
日曜日。住宅相談会があり、施主の方との、太陽光発電やオール電化やガス給湯器や床暖房や断熱材の話題が、CO2の問題意識ではなく、日本のエネルギー問題への意識に変わってきているのだと実感する・・・。
「文明」というコトバを聞いて、久しぶりに聞く、忘れかけていたコトバで、新鮮な印象を持った。こうやって、この一週間、いろいろな人と接すると、誰もが、こころのどこかで、文明って何。となんとなく問いかけているのかもしれないと思えてくるのだった・・・・・。
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社員のミカワ嬢が、空き缶で手造りの義援金BOXを作成してくれて、それが、人間味があって、柔らかな気持ちにさせてくれる。そこにまず私が、1000円札を入れる。この金額が多いのか少ないのかケチなのかどうかわからない。孫さんのように100億の甲斐性があるわけでもないので、皆で、ささやかな、身の丈のチャリティーをその都度、何度も何度もしていこうというのが、意図。それにミカワ嬢がコインで続く。それがバランス良く、ほっとする。
乾杯の前に、私から皆に、チャリティーでもあると伝え、まずは、乾杯し、食べる前に、このBOXに入れるようにお願いして、
参加者の一人ずつに缶を持ち回った。社員も大工さんも手伝いさんもポケットや財布から、今持っている小銭をわしづかみにしたりしながら、笑顔で、まるで、お賽銭のようにカンカンに入れてくれた。1円玉、5円玉、10円玉、100円玉、500円玉、たまに1000円札。ほとんどが、仕事着のままの参加で、皆が、いま労働し終えた、その労働の一部を義援金として捧げてくれた、身の丈感覚。集まった18,496円は少ないのかもしれないが、ささやかな気持ちとして、お届けしたい。
思い起こすと、3.・11が勃発したその二日後の3月13日(日)に小中学校の同窓会があって、それが、バスで久美浜までカニを食べに行くツアーで、しかも、その企画と幹事をしていて、それで、あたふたと幹事数人と中止するのかどうかの相談をし、結局は行く事にして、朝8時のバスに乗り込んだ。出発のマイクを持った第一声で、この震災で亡くなった人々のために、まず数秒間の黙祷を促して出発をしたのが、この震災で、一番最初にした黙祷だった。それから、社員の朝の集まりや会議、大工さんとのミィーティングなどで、数回の黙祷をしてきた。
3.・11以降に工事契約したり、工事中のお施主さんに、その方と弊社の連名で、赤十字社に義援金として送金し、その送付票をお引き渡しの書類に添付する事にした。金額はごくわずかで、ささやかな金額だけれど、この状況下で、工事契約をして頂いた感謝として、工期の遅れを辛抱強く受け入れて頂いたお礼として、それにまた、この震災中の工事であった事を記録として残しておきたいという意味があるのかもしれない・・・・。
花見を終えて、様々な事をおもう。生活するためのエネルギーというより、楽しんだり、少しだけ贅沢に消費するエネルギーの一部を、わずかな金額だけれど義援金に変換してみようかとおもう。送電線から送られてくる電気エネルギーに感謝できるような「フクシマ」として収束して欲しいとおもう。世界の国々と仲の良い関係を保ちながら、エネルギー資源を輸入して、安全でクリーンなエネルギーを創エネし、バランスの良いエネルギー国家になってほしいとおもう。夜型より朝型の社会の方が、電気消費のエネルギーは減るのではないのかとおもう。でも閑散とした暗い都会は寂しいなとおもう。いや、キャンプ場の暗い夜は案外心地良いとおもう。住むには危険が伴う津波や原発の地域のこれからの都市計画はどうするのが良いのだろうかとおもう。さて、どんなバランスで省エネの慎ましい生活がエエのかなとおもう。
いろいろなことをおもう・・・・。いや、これからは、おもうから、為すやね・・・・。
小さな窓越しに7分咲きの桜を眺める。モミジが芽吹きだして、小さくてカワイらしい葉っぱに生命力を予感させる。春がやってきたのだ。毎年毎年再生するのだ。と、少々センチメンタルな感覚になるのは、震災の影響だなぁ・・・・。
震災の影響で、合板が入らなくなっていて、3月15日付けで会社に送られてきたFAXには、東北地方の石巻、大船渡、宮古などに合板工場があって、「本社事務所及び工場設備等に被害が発生し機能していない状況」はまだしも、「連絡が取れず」なんていう報告があって、東北地方が日本の家づくりの「縁の下の力もち」であったと知る。3週間が経過した今現在、どんな状況になっているのか、正確な情報は把握出来ていない・・・・。
ところが、3月22日付けの日本合板工業組合連合会のホームページには・・・
被災地以外の組合員企業が保有する、地震発生前の本年2月末日時点の国産針葉樹構造用合板の在庫量は約8万6千立方メートル(3×6×12ミリ換算で約430万枚)でありました。
被災地以外の組合員企業による国産針葉樹構造用合板の月間最大生産能力は、約16万立方メートル(同約800万枚)であります。
これは減産していた平成21年度の月間平均出荷量である約15万6千立方メートル(同約780万枚)と同程度となり、仮設住宅や緊急復興需要にも十分にお応えできるレベルかと考えます。
今回、国土交通省から(社)住宅生産団体連合会に対して供給要請のあった、概ね2ヶ月で約3万棟の応急仮設住宅の建設に必要な合板の需要量は、林野庁試算値で約1万2千立方メートル(同約60万枚)と見込まれています。
日本合板工業組合連合会といたしましては、最大限の増産態勢を整え、住宅建設及び災害復興のための合板の安定供給に全力を挙げて参りますので、関係者の方々におかれましては、投機的行為や過剰な仮需を慎み、エンドユーザーの皆様のお手元へ円滑に国産合板をお届けいただきますよう重ねてお願い申し上げます。
ということで、合板は十分にあるはずなのだが、なぜか市場には出回らない・・・・。断熱材も相変わらず不足状態が続く。4月4日に断熱材が入荷予定のある現場は1週間前に、「白紙に戻します」という一方的な電話で入荷しなくなった。キッチンメーカーのフードは、富士工業製が大多数をしめ、そこが震災の影響で生産に遅れが出て、キッチンの入荷が大幅に遅れている。IHヒーターの部品も生産が遅れているらしい。ユニットバスの排水トラップの部品が震災の地域で製造されていて、その影響でユニットバスの入荷が遅れているメーカーもある。便器も電子部品等が絡んでいて、基盤関係が震災の影響を受けているらしく入荷が大幅に遅れているメーカーもある。
人が集まると、あーだこーだとこの震災の話題になって、合板を製造するための刃物工場が被災していて、その影響があるらしいね。と、建築とは関係のない人からそんな話を聞かされて、そうなんですよ。と、溜息をつきながら、会食をする。
そんな事が、あれこれと重なって、リフォーム現場の打ち合わせに参加して、お引き渡しの工程をどうするのかを現場の担当者と機器メーカーの担当者とお施主さんを交えて協議した。それぞれの職人さんが、自分たちが出来る範囲で、可能な所まで完成させて、機器待ちにしましょうよ。という、当たり前と言えばしごく当たり前の結論になるのは、施主の方々も、被災地の人たちの事を考慮して、和やかに工程の遅れを受け入れてくれるからだろう・・・・。
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そのリフォーム現場の裏山を眺めていると、お施主さんが、遺跡なんですよ。と説明してくれて、エエ陽気だった事も手伝って、見学してみることにした。それが古代の登り窯の遺跡だと知って、その立て看板を読むと・・・・
この窯跡では土器が焼きあがった状態のまま残存しています。これは取り出す直前、天井部の崩落というアクシデントにより放棄されたと推定されます。この災いが私たちには幸いして、どのような器種をどのように窯詰めするのか、またー窯あたりの生産量はどれくらいかなど、古代窯業の実態解明に欠かすことのできない資料を提供'してくれます。そして、この地域が古代における窯業地帯であったことを如実に証明してくれる貴重な文化財であります。
「アクシデントにより放棄されたと推定されます。」というコトバに、脳裏では、この震災の事が絡みついてくる。いやぁ、3週間もテレビやインターネットやツィッターでそんな記事ばかりを見聞きしていると、そんなふうになってしまうのだな。地震と津波により壊滅状態の都市を放棄して、残したままどこかに移動すると、こんな遺跡状態になるのかもしれない・・・。フクシマ原発は、いずれ遺跡群として、この地域が古代における原子力発電所地帯であったことを如実に証明してくれる貴重な文化財であります。となるのだろうか・・・・。と。
奥方も友達が集まると、この震災の話題になるという。昨年に子供が社会人になって、夫婦二人になったある奥さんは、震災孤児を二人ぐらい引き取ろうかなぁ・・・・と、真面目な顔で呟いたらしい。ある奥さんは、フィットネスのジムに行くと、数人が集まって、ジムでこうしている方が、それぞれが家で電気を使わないから、省エネになっていると思うわ・・・と呟いたとか。それぞれなりの新たな省エネ手法を考えているのだった。消防士を知りあいに持つ奥さんは、大阪から震災の手助けに行き、多くの遺体を捜索して、帰ってきてから鬱な状態が続いているのだ・・・と呟く。
朝からランニングをする。大阪城公園では、開花している桜も一部だけあって、若い人達が、早朝から場所取りをしていた。ブルーシートや残材が、ゴミ置き場に山積みになっていて、震災の人たちの事をおもうと、その後始末の光景は、ちと寂しい気分にさせられる・・・。そうそう、10キロ、約1時間のランニングのエネルギーが、電気エネルギーに変換できないものかね。震動が電気エネルギーに変換されて、携帯電話の充電が出来るとか・・・・。いやぁ、まったく、その「影響」はでかいね。
]]>丹沢にある「堀山の家」という山小屋に25年ほど通っている。その小屋には、送電線からの電気はなく、水もない。それで、水はポリタンクを背負って近くの沢まで汲みに行く。いろいろな人がボランティアでボッカして、水を運んで汲み置きする。そのボッカというのは、ウィキペディアによると・・・・
歩荷(ぼっか、ボッカとも)は、運送形態の1種で、背中に荷物を背負って人間が目的地まで直接徒歩で運搬すること。また、運搬者そのものを指す。また、歩荷を職業とする人のことは強力(ごうりき)とも呼ぶ。
一般に背中に梯子のような形をした荷台(背負子)をつけ、それに箱詰めした荷物を何段にも重ねて乗せて運搬する。1回の運搬量は数十キログラムになることもしばしばである[1]。現在の日本においてはほとんどの歩荷は男だが、かつては女の歩荷も特に珍しくはなかった。
運送の形態としては原始的で、かつては日本ではどの地方でも見られたが、自動車などの交通具の普及や道路・鉄道の発達、人件費の高騰などから徐々に減少した。20世紀後半には山小屋など、直接自動車道路がない場所に物資を運搬するときのみに使用されている。しかし、山小屋でもヘリコプターによる輸送が可能になり、現在、恒常的に歩荷を専門の職業とする人を見ることができるのは、尾瀬の尾瀬ヶ原地区と白馬岳の夏山期のみとされている。
送電線からの電気がないので、夜の照明はランタンを使う。それで、登山口から灯油をボッカして小屋まで上げる。もちろん、テレビはない。ラジオは乾電池。夏の暑い時に登山者のために冷えたジュースやビールを販売するために、冷蔵庫が必要になって、その電源を確保するために、ガソリンの発電機を回す。エネルギーはガソリンなので、ガソリンを登山口からボッカして小屋まで持ち上げる。それに、カセットガスを利用する冷蔵庫もあって、そのためのカセットガスもボッカする。
小面積のソーラーパネルもあり、バッテリ-などに蓄えながら使用するが、安定的に冷蔵庫に使うほどにはならないし、ラジオやカセットデッキ程度だが、それだけでも確かに有り難い。それにしても、裕福な小屋ではないので、大きな面積のソーラーパネルを設置する資金も乏しい。別の小屋で、ソーラーパネルを設置した小屋の人の意見を聞くと、投資した金額の割には、天候の影響もあって、安定した電気を確保出来なくて、もっと電気を創り出すためのエエエネルギーはないのかね。と悩む。
ちなみに、調理のためのエネルギーは、薪かガスで、鉄の容器に入ったガスボンベを誰かがボッカする。暖房は、薪ストーブ。冷房は、自然の冷気。そういえば、薪を確保するための労力もたいへん。それに、ストーブが、数年に一度の割合で、新調しなくてはいけないので、それを、登山口から小屋までボッカするのも一大イベントなのだ。
そうそう、数十年前に、小屋の主人が、お風呂を造った。その水は、雨水を樋で集めて、それを濾過し、その水をドラム缶に入れて薪で沸かして浴槽に注ぐ。完成した時に、一度だけ、入ったが、水も綺麗と言い難く、お湯もすぐに冷めてしまい、エエ湯加減とは言い難かった・・・。それに1人が入るためのお湯を沸かすエネルギー、所謂、給湯エネルギーの確保とその効率の悪さも手伝って、数回使用しただけで、ほとんど使われることもなく、今は撤去されて物置と化している。
小屋の基本は、雨風がしのげて、ゆっくりと寝られる事だと思うのは、被災者の姿を見ていても、あらためて、そうおもうのだけれど、生活エネルギーという観点に立つと、そんな小屋遊びの体験から、生活するためのエネルギー確保の大変さを実感し、特に送電線から送られてくる電気エネルギーの有り難さには、感謝のおもいすらあるものの、はたして、福島原発事故のような危険を冒してまで、送電線から送られる電気エネルギーを贅沢に消費する生活が必要なのかどうか。じゃぁ、どのような節電や家づくりがバランスのとれた生活エネルギーになるのだろうか。それに、日本という国では、エネルギーをどのように創造するのがエエのだろうか。と考させられる。
ツイッターに「発電施設が電気に困っているのだ。」と書くと、「逆永久機関」というリツィートが反ってきた。それを読んでいると、熱力学第二法則というコトバを思いだして、「熱力学第二法則、エントロピー増大を防ぐのは、「愛」か。」と、リツィートした。インターネットで調べると 熱力学第二法則 (Japanese) - ChristianAnswers.Netには・・・
熱力学の第二法則は、日常生活でなじみのある基本原理を描写しています。それは部分的には、普遍的な崩壊の法則です。それは、全てのものが最終的には時間と共にバラバラになり、崩壊してしまう究極の原因です。物質的なものは不変ではないのです。全てのものは最終的には変化してしまい、無秩序が増加します。どんな物でも買った日と同じように新しいままの物はありません。服は色あせ、すり切れ、最終的にちりに戻ります。2 全ての物は古くなり、すり切れます。死もこの法則の現れの一つです。熱力学の第二法則の影響は至る所に現れ、宇宙の全ての物に及びます。
毎年、この法則の無情な影響に対抗するために莫大な金額が費やされています(維持管理、塗装、医療費など)。結局、自然界の全てはこの法則に従っているのです。
熱力学の第二法則: 物理学者ケルビン卿が専門的に次のように述べました。「熱源を冷やし、外部に仕事を行うだけという自然の過程は存在しない。」 もっとわかりやすく言うと、この法則は、宇宙の利用可能なエネルギーはだんだん少なくなっていく、という事実を述べたものであるということです。最終的には、利用可能なエネルギーは無くなってしまうでしょう。この事実から、どの自然のシステムにおいても、最も可能性が高いのは無秩序な状態であるということがわかります。放っておけばどの自然のシステムも崩壊します。3
エントロピーが増大するのを必死で食い止めようとする作業員。それは、日本の国と国民に対する「愛」なのだろうか。「ヒロシマ、ナガサキ、