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1988年01月01日

ギャップ

シュノーケルを付けてプカプカと海に浮かびながら珊瑚礁と絡み合って泳ぐ様々なデザインの魚を眺めていた。よくもまぁこれだけ多様なデザインと色彩の魚を造り出したものだなぁ・・・・と、改めて、そのデザイナーの創造力に感心していたら、鼻の中に水が入ってきて、そんなスーパーセンチメンタルな感情は吹っ飛んだ。そして、まるで豚のように鼻をくんくんくんくんさせながら海の上でもがいた。

やっぱり、そのデザイナーの事を「神」と呼ぶのだろうかなぁ・・・、それとも自然(しぜん)(じねん)と呼ぶのだろうかなぁ・・・・なんて、真っ青な海、照りつける太陽で、脳天もいかれそうになりながら、真っ白な砂浜を歩いていた。お腹が空いたので、海の家で何か食べようと砂に足を取られながらヨタヨタと歩いていたのだった。そしたら、いきなり、スピーカーからラジオ放送が流れてきた。「地震が発生しました・・・・」「けが人は・・・・」「震度は6強・・・」と、いかにも、拡声器という感じのスピーカーから音が流れるものだから、ちょっとしたドラマのような臨場感だった。 「なぁなぁ、おとうさん、6強ってどうゆう意味?6弱とどう違うのぉ」と次男が聞いてくる。「えー、それは、つまり・・・」と知ったかぶりで答える私。どこで、地震が発生したのだろう。大阪やったらどうしょ・・・自宅は大丈夫やろか・・・東京にいる長男は・・・と不安がよぎった。沖縄の水納島という南の島の真っ白な砂浜での出来事だった。「宮城県で・・・」「天井が崩落して・・・・」

建築という職業に携わっているものは大なり小なりそうだと思うのだが、こういう災害時の放送は自分たちの仕事のあり方をそれぞれの内面に向けて、ずしんと問いかけてくる。まぁ、それがタコライスというものを食しながら、海の家のパラソルの下で、プラスチック製の椅子に座り、目の前に広がるビーチパラソルの群れと海岸で寝そべる美女を眺め、青い海で水しぶきをあげる子供たちの歓声の、その背後から地震放送が聞こえてくるものだから、状況から生じる「ギャップ」がとても複雑な心境を生み出すのだった。大阪で起こっていたら、このまま直ぐ、帰らんとアカンやろなぁ・・・・などど心は駆けめぐりだしたが、南の島の威力に一瞬にしてかき消された。

そういえば、ゴールデンウィークに青森県の三内丸山遺跡に行った。あまりにも早朝に到着し、開場までに時間をもてあましたものだから、近くにある三内温泉の朝風呂に入ることにした。ドーム屋根に埋め込まれたガラスブロックから入る幽玄な光。硫黄の臭い。朝日が差し込む窓。寝そべる人。湯治という雰囲気を満喫し、湯上がりに休息所のソファーに腰掛けてテレビを見た。尼崎のJRの事故の様子を映し出す映像だった。何度か通過したことのある尼崎駅の様子。その放映を見る湯上がりの東北のおっちゃんとおばちゃん。そしてやはり湯上がりの旅行者の私たち。ソファーでくつろぎながら見る生々しい映像。それらの「ギャップ」が私の中にあるひとつの印象をつくりだした事を、南の島で思い出した。

伊丹空港から那覇空港についてからレンタカーを借りることになっていた。連れて行かれた所はDFSギャラリア沖縄という免税店だった。日本なのに沖縄だけに免税店があるらしい。このレンタカーのシステムを近代的と呼ぶのかどうかは別にして、空港前のレンタカーショップとはかなり違ったシステムだった。その商売の仕方とギャップにくらくら来そうだった。確かに奥方の目がキラッと輝いたのを目撃はしたのだが、素知らぬふりをしてやり過ごし、直ぐに車に乗り込んで出発をした。

アメリカにありそうなドライブスルーのある沖縄のハンバーガーショップゴーヤバーガーやぬーやるバーガーとやらを買い込んで、ついでに、IPODも車に仕込んでホテルまでドライブすることにした。高速を途中で降りて嘉手納基地でも見にいこうということになった。 道の駅嘉手納の屋上から基地が望めた。ひとりのおじさんが基地についての説明をしていた。それを聞き入る2~30人の輪がそこに出来ていた。真っ青な空に強い日差し。広大な基地。道の駅の前で奏でられ屋上まで鳴り響く、陽気だが憂いを含んだ沖縄民謡。戦争と平和とアメリカの基地と原住民と戦没者と利権。それらが複雑に絡んでいそうだった。3階の基地の資料館を覗くと小学生の次男が設置されてあるデジタルのメッセージボードに向かって「平和に生きよう」と書き込んでいた。誰が教えたわけでもないのに・・・・。

沖縄の水族館にイルカラグーンという施設があった。ジャンプの練習をさせられているわけでもない、イルカがただただ、泳いでいた。といより、浮いていた。仰向けになってプカプカ。うつ伏せになってプカプカ。おもむろに、ぐいーーと泳ぎだしてプカプカ。気持ちよさそうだった。ホテルのプールでの私はまるでラグーンで泳ぐイルカのようだったかもしれない。仰向けになったりうつ伏せになったり泳ぎだしたり、そしてとにかくプカプカしていた。ホテルの「もてなし」と「笑顔」がよりいっそうプカプカ気分にさせてくれたのだろう。時折聞こえる戦闘機らしい爆音が「リゾート」との「キャップ」を生み出し、嘉手納基地とそこでのひとりのおじさんの姿を連想させた。

国際通りにある雑貨屋さんにこんなCDが置いてあった。そのジャケットのおじさんの顔が嘉手納基地のおじさんの顔と似通っていた。サブタイトルが RELAX TO THE MAGIC OF OKINAWAとあった。シンプルな三線の音をイヤホンで聞きつつ、奥方の買い物をひたすらレストランで待ちながら、沖縄というリゾート地は戦争の悲しみを現在進行形で受け入れ続けようとするその人々とその土地が生み出す、ひと味違うリラックスなんだろうなぁ・・・・・などと思った。

 

投稿者 木村貴一 : 1988年01月01日 00:15