2015年01月04日

お正月気分

紅白歌合戦がパーンという音響と共にテープが飛び散り、観客の歓声とともに終了し、しばしの「静け」さがあって、ゆく年くる年の映像だけが流れ、カメラがパンしてお寺の映像や雪や人の姿とともに周辺の心地良い音が流れてきて、暫くしてアナウンサーの声が流れ出す…。その、しばしの「静けさ」が好きで、それを味わいたいがために、紅白のとりの歌をを聞くようなもので、ま、あれやこれやの歌と共に2014年の個人的な内面に去来するブツクサを流し去り、なぜいまだに紅組と白組で勝負を争わなければならないのか良く解らないが、そのちょっとしたバカ騒ぎ的な勝敗の興奮があってこそ、その後に訪れる日本的な静けさがエエと思えるのだと妙に納得させながら、NHKテレビに映し出される、ゆく年来る年の除夜の鐘と共に、家の居間で、2015年の新年を迎えたわけで、

新年明けましておめでとうございます。

Evernote Camera Roll 20150105 001923両親が住んでいた家に数寄屋の座敷があって、その座敷に見守られて、元旦の朝8時頃から「おとそ」をするのが木村家の習わしで、時として、祖祖母や祖父や祖母や父や母や妹や弟や「私」がその座敷に集った日があり、時として、祖父、祖母、父、母、妹、弟、妻、長男、「私」が集った日もあったが、ついに今年は、妻と長男と次男と「私」という「時」がやってきて、床の間の前に「私」が座る順番になった。そんな「うつろい」のようなものを見守ってくれる数寄屋造りの座敷という空間を長屋の中に造作したのが祖父で、それを新築の時に移築したのは父であって、それ故に、猛烈に寂しさを感じる元旦のおとそになるのかとおもったが、おもいのほか、新鮮な気分で、過ぎ去りし皆と一緒にお正月に集えた気がして、そんなのが「建築のもつ力」なのかもしれないとおもう。

Evernote Camera Roll 20150105 00122112月30日になると「黒門」と「鶴橋」で食材を買うという木村家のスタイルを造ったのも「おじいちゃん」で、それを「オヤジ」が引き継いで、今年からは「私」がそれを引き継ぎ、お金を払う順番が回ってきて、奥方と共に、アジアからの観光客が増えて超満員のクロモン市場で、体を擦り合い人混みに揉まれながら、威勢のいいかけ声に誘われて、普段より相当気前よく食材を買う事に、独特の喜びのようなものが湧いてきて、それが「市場は都市のカマド」といわれる由縁なのだろうが、祖父と祖母も父と母も同じような気分を味わいながら、子供達や孫に「うまいもん」をご馳走してくれていたのだと知るのに、55年の歳月を費やした…。

Evernote Camera Roll 20150104 221811今年は次男が受験だという事もあって、おとその後の朝9時過ぎに、地元の清見原神社で、ご祈祷をしてもらった。拝殿に座って神殿を眺めながら、東向きの窓の格子の影と朝日が映し出された、檜の床の無垢材独特の光沢が美しく、ご祈祷の後に宮司さんから、固く絞った雑巾で拭いているだけですが、5年を経過して尚一層光沢が出てき事を嬉しそうに伝えてもらうと、加工場で沖棟梁が念入りに念入りに手鉋をかけていた姿が想い出されてきて、これも「建築の力」なのだろうが、丁寧な仕事を心がけな、あかんなぁ…と身の引き締まる思いがして、それが今年最初の建築的想いであった。

Evernote Camera Roll 20150105 00004712月28日から今日の1月4日まで、基本的には家の居間の暖炉の火の横で、ひたすら本を読み続け、時々1枚のJAZZのCDだけを繰り返し繰り返し聞き、夜になると歴史のDVDを8枚見て過ごすことになった、私なりの悦楽的お正月で、スキーに行かなかったのは15年ぶりかもしれない。そうそう、2日と3日に丹沢の堀山の家の友人達からお誘いがあって、独りで出掛けるつもりにしていたが、1日の大雪のために2日午前中は高速道路が通行止めになって行けなかった。いや、それでも、その気になれば、何としてでも行ったのだろうが、流石にお正月のゆったりとした気分とダラッとした気分が入り交じっていて、そのうえ暖炉の横で本を読み続けていた心地良さの誘惑から逃れがたく、そんなこんなが、「障害を乗り越える意識的なちょっとした苦しみの克服としての遊び」より「お正月気分」をチョイスした・・・。

それはそれとして、皆さま、本年も「木村工務店」と「まちのえんがわ」をご愛顧下さいますようよろしくお願い致します。

投稿者 木村貴一 : 2015年01月04日 23:59 « 「新鮮な潤滑油」としての新年会 | メイン | ゆく年くる年 »


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