2011年05月22日

大阪の企業家

堺筋本町の地下鉄に乗るために歩いていると、大阪企業家ミュージアムという看板を見つける。少し時間があったので、ミュージアムの地下の入り口まで降りて、様子を伺うと、こちらで入場券を買って下さい。と言うので、あっ、お金いるのや。と思いながらも、300円という金額でもあり、その行きがかり上、入館することになってしまった。もちろん、ちょっと覗いて、15分かそこらで、帰ろうと考えていた。

 大阪企業家ミュージアムについて

施設理念
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大阪は、今日まで数多くの優れた企業家たちを輩出してきた。

これら企業家たちは、時代の変化と人々の暮しや社会のニーズを逸早く察知し、果敢なチャレンジ精神とたゆまぬイノベーションで、社会経済の発展や人々の生活向上に大きく貢献するとともに、自立自助の気概をもって自らの社会や街づくりを担ってきた。 「企業家精神」は、まさに「民」のまち大阪が誇る文化である。

一方、あらゆる意味で構造転換を迫られる現在は、まさに変化の時代である。変化の時代こそチャンスの時代であり、そのチャンスを生かすことが企業家の本領である。 今こそ大阪の財産であり、DNAともいえる「企業家精神」を思い起こし、変化を友として新たな時代を切り拓くべきである。

大阪企業家ミュージアムは、企業家たちの高い志、勇気、英知を後世に伝えるとともに、その気概を人々の心に触発することを通じて、企業家精神の高揚、次代を切り拓く人づくり、ひいては、活力ある社会づくりをめざすものである。

「意志」「自助」「創意」「挑戦」「先見」「変化」「志」なんていう。コトバの「羅列」に惹かれたのだと思う。この7つのコトバが全て揃わないと、こんな企業家にはなれないんだろうなぁと思いながら、ポスターを眺めた。105人の企業家。へぇ、あっ、そうなんや。ぐらいの感覚。

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彼らは時代の変化をいちはやく感じ取り、市場のニーズを的確にとらえ、それらを事業化することで、社会・経済の発展や生活向上の原動力の役割を果たしました。 ここでは、明治以降3つの時代ブロックにわけて、紹介します。
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クリックして大阪企業家ミュージアムのホームページを見て欲しい・・・

全く名前の知らない人ばかりなのに、その第一ブロックから、以外と引き込まれていく。
こういう人たちが、「近代大阪の経済基盤」を作ったのか。そして、「大阪を東洋のマンチェスターに」しようと志したのか・・・確か、何時か、学校で聞いたコトバだな。「貿易を発展」させ、「新しい金融の仕組みを作る」。へぇ、生命保険制度の基盤を作ったのも大阪なのか・・・。なんていう具合で、聞き込んでしまう。言い忘れていたけれど、首から音声案内のラジオをぶら下げて、イヤホンを付けている状態。

第二ブロックの「大衆社会の形成、消費社会の幕開け」のいきなりが、「都市空間を創造する」で、これは、私のシゴトに関わる話。大林組と竹中工務店と辰野金吾が紹介されていて、この工務店というコトバは、竹中工務店さんが作ったコトバだそうで、そこには・・・

「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている。 ちなみに、「工務店」という名を作り、社名としたのは同社が初めてである。

とあって、竹中さんや大林さんの歴史を知ると、流石だなぁ、凄いなぁとおもう。こうしてうちの会社も、工務店という名前を名乗っている限りに於いては、竹中さんに感謝しないといけないなぁ・・・・。なんていう気持ちも湧いてきた。

「製造・化学に新たな地平を拓く」では、薬品メーカーの名だたる会社が大阪創業だと知って、あらためて感心する。武田さん、田邊さん、塩野義さん、藤澤さん、森下仁丹にキンチョール。なるほどねぇ・・・という具合で、妙に感心してしまった。

「鉄道開発で生活圏を広げる」「重工業発展の基礎を築く」「モノを通じて生活の近代化をもたらす」「食生活の洋風化を押し進める」「レジャーとショッピングを演出する」「新聞事業を開化させる」のそれぞれのコーナーでは、あの会社も、この会社も、と誰もが知っている企業ばかりで、もう既に30分は経過していて、時間が経つのを忘れてしまって、早々に引き上げるどころか、こうなったらじっくり見てみようという気持ちに変わっていた。

第三ブロックの「豊かな時代の形成、復興から反映へ」では、「現代大阪の再生に力を尽くす」「エネルギーで経済成長と生活の豊かさを支える」「電化で生活スタイルを変える」「新しい暮らしと都市空間を創造する」「独自の技術でモノづくりに挑む」「流通に革新をもたらす」「現代人の食文化を創る」と、よく知る名前の人がどんどん登場して、ますます興味深さが増す。

それにしても、カテゴリーの分け方が分かり易くて、3.11以前の社会を形成したコトバとして、頭がすっきりと整理されていく感じ。それじゃぁ、3.11以降は、どんなカテゴリーや、どんなコピーライトによって、象徴されていくのだろうか・・・・・。

既に1時間ほど経過していた。帰りがけに、ミュージアムの女性の係員の方と会話をする。こんなに沢山の企業家が大阪から誕生し、日本の経済と文化を創り出していたのだと知って驚いたし、是非、子供や社員を連れて、もう一度来てみたい・・・・と。

そういえば、もともと、この大阪企業家ミュージアムに立ち寄るきっかけになったのは、「おおさか地域創造ファンド」というのがあって、3月に、突然、、それに応募してみようとおもいたち、いままで、一度も書いた経験がない、事業企画書とやらを、いろいろな人に協力してもらいながら、「まちのえんがわプロジェクト」として作成し、大阪商工会議所へ提出したのが、その日の午後3時の出来事であって、採択される確率は全くもって低いのだけれど、取り敢えず、完成し、提出し、ほっとした、その帰り道の遭遇だった。

ほんの小さな計画を考えるのにもアップアップしていたその直後だけに、105人の大きな企業家の姿を見せられると、自分のちっぽけさにあらためて気付かされるのだけれど、まぁしかし、これぐらい大きな差があると、「ふつうのまちのおっちゃん」として、小さな事をコツコツとやね。と思いながら地下鉄に座っている私がいた。

投稿者 木村貴一 : 2011年05月22日 23:45 « 五月雨の日曜日 | メイン | 静寂の15分間 »


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