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2017年02月26日

菜の花と盗難と行灯

IMG_3749日曜日早朝、1ヶ月ぶりに自転車に乗って、司馬遼太郎記念館の前を通ると、道の両脇に並べられた、菜の花の鉢植えのお出迎えがあり、この黄色の花を見ると、春の到来を予感し、微笑みのようなものが湧いてくる。それに、なんとなく、「街道をゆく」気分にもなれるわけで、この季節の楽しみのひとつ。そのまま生駒山にむかって、十三峠をヒルクライムすると、ぜんぜん漕げなくて、花粉症の鼻水がぞろぞろ流れる始末。展望駐車場に着いて、ちょっとだけ休憩して、すぐ、家に戻ることにした。

家に着き、自転車を降り、サイクルコンピューターのガーミンのスイッチを切って、携帯電話を、背中のポケットから取り出して見ると、奥方からの電話がいっぱい掛かっていたことに気付いた。何事!っとおもいながら、慌てて、玄関から電話をし、いま、家に到着したことを告げると、奥方が、私も2階にいてるけど、たいへんやねん!えらいことやねん!会社に泥棒が入って、メチャクチャにされているねん!もうすぐ、警察が到着するから、すぐに、会社に行って!と。

電話を切って、2階に上がって、直接、奥方と顔を合わす。タイヘンな感じが伝わって来たが、タカノリが、先に会社に行ってくれてるから! というコトバに、少し安心し、お昼からワークショップがあることなど、連続長丁場になりそうなので、まずは、お風呂に入って、汗を流して、鬚をそり、服を着替えて、会社に行くことにしたのが、午前8時30分すぎの出来事だった。

丁度、鑑識の方が、到着されたところで、キムラです。と挨拶をし、シャチョウさんですか、ときかれたので、名刺を渡した。「まちのえんがわ」のガラスが割られていて、そこから侵入されたようで、まちのえんがわの中は、荒れていたので、ドキドキしながら、加工場から入ると、ワークショップの準備はそのままの状態で、少し、ほっとし、2階の事務室にあがた。奥方の、大阪のおばちゃん的めちゃくちゃ発言ほど、荒れた様子ではなかったが、バールが床の上に無造作に放り出されてあった。ノートパソコンが2台と「まちのえんがわ」のステンドガラスやキットなどが盗難にあい、現金の被害はなかった。といっても、工務店は現金を直接やりとりする商売ではなく、ほとんどが銀行振り込みなので、会社に現金は、小銭以外、ほとんど置いていなかった。

そんなこんなで、何人かの社員と職人さんが駆けつけてくれた。本日の銅板でつくるキューブ型行灯のワークショップを中止するかどうかの決断を迫られる時間だったが、こちらの事情を警察官に説明すると、その様子から、なんとなく開催できそうな雰囲気だったので、予定通り開催する事にした。それでも、鑑識の方の指紋調査や事情徴収、交番所の警察官の事情徴収などなど、6、7人の警察官が、一生懸命、調査してくれて、調査書の何十枚もの署名欄に、フルネームで署名をし終えたのが、午後12時を過ぎていた。警察官が帰りがけに、銅板で作る行灯のワークショップを興味深そうに見ながら、間に合いましたね。と声をかけてくれて、お礼のコトバをのべた。

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13時30分から18時まで、製作に時間がかかった、ちょっと難易度の高い、行灯製作にもかかわらず、ワークショップの参加者の皆さんに、喜んで頂いた様子と、銅板の独特の輝きがシンクロする行灯の光に癒やされた板金ワークショップだったが、それにしても、会社のコトをいろいろと考えされた、日曜日の出来事だった。

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2017年02月19日

お陰様で60年の精親会

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初午祭という豊作を祈る稲荷祭りがあり、企業で云えば、沢山のお客さんに恵まれますことを、お祈りするお祭りになるのだろう。このお祭りを協力会社の職人さんと一緒に催すことになったのが、いつ頃なのかは、定かでないが、この協力会社の精親会という集まりを組織したのが、1957年の2月で、今里新地のおそめという料亭で、開催したのが、第一回だ、という記録だけは残っていて、今年の、この2月で、丁度、60年間の歴史になる。

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工務店というものづくりは、自社だけで完結することは、ほぼ不可能で、木村工務店は、設計担当や現場監督や大工さんや手伝いさんを自社で組織しているが、例えば、板金屋さんとか、電気屋さんとか、サッシュ屋さんとか、タイル屋さんとか、左官屋さんは、いわゆる外注をするわけで、そういう意味では、外注の職人さんを含めて、ものづくりのチームとして、建築を造るのが、フツウでもある。

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社員でない、外注の職人さんを含めて、現場で、施主のために、エエ家づくりを努力する、そんな当たり前の共有意識を持つことは、簡単なようで、なかなかムツカシく、木村工務店の創業は1937年8月で、それから20年を経てから、そういう、ものづくりのチームを組織し、ものづくりの仲間意識を共有する必要性に、創業者の木村精一が気付いたのだろう。ちなみに、精親会の精は精一の精である。

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祖父であり、創業者である、私のおじいちゃんが、84歳で亡くなる半年ほど前に、「おい、タカイチ、わしが、長年、仕事で世話になった、職人さんの親方を集めてこい、一緒に寿司食べて、感謝したいねん」といわれて、十数人に電話連絡し、ミナミのお寿司屋さんで、一席を設けた記憶は鮮明で、今にして想えば、外注の職人さんのお陰で、建築が造れているコト、職人さんを大切にするコトを、私に伝えたかったのかもしれない。

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2代目の私の父、正一は、酒の席が大好きで、初午祭を、神事と組み合わせた、職人さんと一緒に、お酒を飲む、宴会の場として、発展させて、職人さんと気軽にお酒を飲んで、ウダウダいう楽しさと、コミュニケーションの必要性を、私に伝えてくれたのだとおもう。お稲荷さんが、会社に祭ってあるので、そこで、神事をし、別の宴会場に行くのではなく、会社で飲み、食事は、木村家で、おでんを大量に作る習わしになって、そういうスタイルを作り上げたのが、2代目、正一だった。

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3代目の私、貴一の時代になり、そういう業者の協力会のような組織が、癒着の温床や、コストダウンできない、元凶であるという、考え方もあったが、紆余曲折を経て、継続し、神事を大切にしながら、加工場に、その時だけの、カウンターやテーブルを作って、社員が、職人さんを、おもてなしする場として進展した。もちろん、伝統のおでんを、うちの奥方が、しっかりと引き継いで、提供しながら、元社員であり、施主でもある、ミカワさんのお父さんの鶏屋さんから、大量に焼き鳥を購入したり、今年は、昨年リフォーム工事をした、ほたる食堂のほたるちゃんが、お洒落なアテを沢山作ってくれたりと、時代の変化を取り入れながら、継続している。

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ITという時代になり、加工場に、プロジェクターを取り付けて、パワーポイントによる、プレゼンテーションをするのが、神事の次に、私の大切な役目になってきて、そういう意味では、飲んで食べるコミュニケーションだけではない、新しいコミュニケーションの手法が、ものづくりのチームとしての、共有意識を持つことの、助けになっている、と信じたいところだが、なによりも、沢山のお客さんに恵まれますことを、皆で、一緒に、祈る、そういうキモチが、お客さんを生む現場に繋がるのであれば、なおのこと、ウレシイ.....と願った、お陰様で60年の精親会初午祭だった。

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2017年02月12日

祝日の天気予報。

天気予報は、夜中に雪が降り、朝も雪模様で、天気が良くない。というのが土曜日の祝日の朝の天気予報で、それで、前日の金曜日の夜は、遅くまで、本を読むことにし、朝、ゆっくりと目が覚めて、東の窓の空を見上げると、日差しが差し込むとってもエエ天気で、拍子抜けした。それやったら、朝だけ自転車に乗ったのに。と、最近の天気予報って、微妙に慎重すぎるよな...。

その夜は、「比ぶ者なき」という、藤原不比等を題材にした馳星周の小説を読んでいて、それがなかなか面白く、読了したのが深夜1時頃で、ま、それは、深夜の本を取るか、早朝の自転車を取るか、という、たわいもない葛藤を、朝が雪だという天気予報を信じきって、夜の本をチョイスしたという、どうでもエエような、しょうもない葛藤なんだけれど、連休の祝日の前夜と、祝日の朝という、もっともリラックスして、楽しい時間を、どう過ごすかに、拘りたいという、ま、そんな単純なキモチ。

その作家の有名な「不夜城」を読んだこともなく、作家に興味があったわけでもなく、ただ、歴史でいえば、あの藤原不比等の時代前後の天皇家と藤原家がどんな関係だったのか、とか、その少し前の時代、物部氏や蘇我氏や聖徳太子の時代の出来事や、また、それ以前の邪馬台国の存在などなど、もちろん、難波や明日香、伊勢や出雲も大いに関連し、このあたりの、整理かついていない混沌とした歴史を解明し、「日本」を整理整頓するために、エネルギーを注いでいる本や作家が、面白かったりする。

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土曜日の祝日の朝10時に、「まちのえんがわ」に、ワークショップの打ち合わせのために、板金屋さんのマツクラくんと、電気屋さんのカヤくんの二人が、やってきて、次回の、板金ワークショップが、板金とアクリル板で作るキューブ型行灯になって、板金行灯を、どんなデザインにして、どのように製作するかは、板金屋さんのマツクラくんで、その中の照明器具を、どんなやつをチョイスし、どんなやり方で取り付けるかは、電気屋さんのカヤくんに頼ったわけで、連休祝日の朝に、わざわざ、ワークショップという「仕事」ではない、「遊び」のために来てくれた、二人の姿を見て、「ものづくり」は、「ひと」と「ひと」のコミュニケーションによって、生まれるものだなぁ...と、それなりに恐縮しながらオモッタ祝日の朝だった。thanks!

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お昼前、ワークショップで、珈琲を煎れてくれる、川田珈琲店のカワタさんが、リフォーム工事をさせて頂いた、施主でもあるのだけれど、「まちのえんがわ」にやってきて、「仕事と趣味と生きがいと老後」に関しての、あれやこれやを、縁側でゴロゴロしながら、コミュニケーションした。あっ、それと、「まちのえんがわ」近所の長屋の多くが、借地で、その借地の持ち主が、相続の関係で、不動産屋さんに売買されて、それで、小路東の「まち」の長屋の大きな一角が、そまざまな「変化」と「問題」に直面していて、つまり、その土地を買うか、とか、出て行くか、とか、そういう問題について、あれやこれやと、珈琲を飲みながらの会話が続いた、祝日のお昼だった。

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午後3時過ぎ、東京のある方が、自分のルーツを探りたいと、テレビ関係の製作会社に依頼されたそうで、その依頼者のお父さんが、ある時期、「まちのえんがわ」近くの、どこかに、住まわれていたという情報を携えて、その製作会社の方が、ポータブルビデオを回しながら、生野区在住の知り合いのAさんに伴われて、「まちのえんがわ」にお見えになった。確かに、祖先のルーツを知りたいという願望って、誰にでもあるのだろうし、「私」にもあるが、なんでなんだろうね。不思議な感覚だな...。

先ほどの曖昧模糊とした、古代の歴史を解明したい、というエネルギーを持った、本や作家の欲求は、日本という国のルーツを知りたい、という欲求なのだろうし、自分の先祖のルーツを知りたい、というあの欲求と、つまるところ同じなのだろう.....と。偶然にも、そ・う・い・う・キモチと遭遇した、2月の寒い祝日の、「私」だった。

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2017年02月05日

VRな打ち合わせ。

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リフォーム工事の実施設計の打ち合わせに来られたKさんが、自分の家の内装をこんな感じにしたいと、ゲーム用ソフトを利用して、VRに表示出来るようにコンピュータで描いて、持参してこられた。私も打ち合わせに参加し、VRを装着すると、凄い! リアル! 部屋中を歩き回れるし、ソファーに腰掛けた感覚で窓の外を眺めることもできる。付属のボタンで、天井にロフトがある設定や、水平の天井や、R天井の設定と変化でき、床の素材感も変えられるし、そうか、Kさんは、こんな雰囲気が好みなのだな。と共有できて、Rの天井がエエ感じですね!ここの天井高さ、もう少し低くすればどうですか?なんて、こちらの感想やアドバイスも伝えること出来て、とにかく面白い!

「建築の民主化」という本を読んだが、確かに、いまや、インターネットの普及によって、誰もが、平面図を考えて、空間的な雰囲気まで、自分で考ることが出来、何よりもコンピューターのCPU性能の向上とフリーソフトの普及によって、わりと手軽に、それを誰かに伝えるコトまで出来る時代で、それに、自分たちで、DIYを含めて、施工まで挑戦することができる時代になってきて、工務店として、建築のプロフェッショナルとして、どのような立ち位置をとるのかが問われる時代にもなってきた。

ハウスメーカーや建築家に家のデザインを「お任せ」して造る選択肢もあれば、家のデザインや間取りに積極的に関与しながら、それはまるで設計部の一員になった、お客さんを含めた「設計チーム」として、設計と製図の過程を共有しながら、一緒に設計をすることが出来る時代であり、また、「施工チーム」の一員として、材料を直接インターネットで買ったり、一部の施行を担当したり出来る時代でもあるわけで、コンピューターとインターネットの進展によって、「建築の民主化」が進み、もの造りの過程を共有しながら造るコトを望むお客さんが育まれてきた時代でもある。

新建ハウジングという工務店のプロ向けの雑誌に、「スモールビジネスとクラフトマンシップ」というコトバが掲載されていて、クラフトマンシップを持った職人や現場監督や設計担当がいる、ある小さな規模の工務店が、ものづくりの過程を共有しながら造るコトを望むお客さんの要望に、お応えすることが出来る時代になってきて、木村工務店もそういう存在の工務店として、ここ何年もかけながら、精進している過程でもある。

うちの設計担当のTKKSが、施主のKさんからの刺激を受けて、VRに挑戦してみましょうよ!なんて宣っていて、建築のBIMによる設計も含めて楽しみでもあるのだけれど、それにしても、工務店は、何よりも、リアルな「人」が、リアルな「現場」で、リアルな建築というものづくりをしている、その「経験値」を積み重ねて、その経験値を「フィードバック」し「編集」できる能力を持った、現場監督と設計担当と職人が求められているのではないのか...と考えさせられた土曜日の夜の打ち合わせだった。

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