芝浦ビル

東京の芝浦ビルで「新郎の父」として、次男の結婚式に参列したワタシ。長男は親族だけの結婚式と披露宴だったが、次男は友人たちも招待して披露宴をするのだぁっという。結婚式のスタイルはそのパートナーと共に自分たちの好みで決めるのが、当たり前の時代になって、それでエエのだとおもうが、ワタシの時は、両親や祖父母などから、その土地の伝統的なスタイルを考慮して、現代風にアレンジされた結婚式と披露宴で、その式の流れなどは、父が取り仕切ったようにおもう。今回は全て次男とパートナーの好みで決めて、式の流れから参列者の座席表まで、当日の会場で知るワタシだった。

それなりの数の結婚式と披露宴に参列し、挨拶や乾杯もそれなりの数をやってきたが、披露宴での新郎の父としての挨拶は初めてだった。宴の最後にその役目がやってくるので、食事の間も独特の緊張感が持続して、お酒もグイッと飲みにくい気分だった。新郎の母としての役目を担った奥方に聞くと、とにかく式が無事に終わって欲しい、終わってほしいと、そればっかりずーっと願って、ずーっと最後まで心配で、緊張感が持続したままだったという。母の心配と父の心配の質というものは、やはり違うのだな。

披露宴が終わって、そのホテルの最上階にあるミュージックバーで、親族席のテーブルに座った何人かとで飲んだ。そのなかのひとりは、この芝浦ビルの設計担当者のハカマダさんだった。槇文彦さんの設計で、その事務所のアルバイトとして、長男が何年間か在籍し、次男は学生時代のアルバイトとして通い、この芝浦ビルの模型をひたすら造っていたそうだ。その上司がハカマダさんだった。そして大学院卒業と共に、偶然に、この芝浦ビルのデベロッパーの会社に就職が決まって、ごく最近、このビルの中にそのオフィスが移転し、このビルの中で働くことになった。それに婚約も1年ほど前に決まって、それなら開業4ヶ月ほどの、この芝浦ビルのホテルで、挙式をするということに、運命的な何かがあるのだぁっと次男が云う。

インターネット上の「TECTURE MAG」というサイトに、芝浦ビルに関する、こんなコメントが掲載されてあった

槇文彦氏コメント
「芝浦運河、日の出桟橋を介して東京湾を一望するこの敷地に建設される2棟の超高層は、東京のどこにもない壮大な景観を享受し得るに違いない。我々はこの場所が浜松町駅から海や田町方面に至る交通ネットワークの1つの拠点となり、時代とともに緑豊かな環境に包まれ、人と自然が共存しダイナミックに成長していく場になるよう心掛けてきた。
また、さまざまな社会変化に伴って、建物の使われ方は多様に変遷していくが、ここに築きあげる環境は、時を超えて安定した心象風景をかたちづくっていく存在となるように、芝浦運河側も、素晴らしいポテンシャルを秘めた東京湾の自然の恵みを享受できるよう将来に渡り更に進化し続けることを願う。
ここを利用する人、訪れる人々が一度この場所にきたら、一生忘れることのできない、新しい祝祭性の実現を目指すことを約束したい。

この芝浦ビルのホテルに泊まって、こんな景色を眺めた。「訪れる人々がこの場所にきたら、一生忘れることのできない、新しい祝祭性の実現を目指す」というコトバどおりの、リアリティを心底実感し、なにより私たち夫婦にとっての「心象風景」をかたちづくってくれた。そんな芝浦ビルでの二日間だった。