「台湾」
協力会社との集まりの「精親会」の忘年会があった金曜日。今年最初の忘年会で、会社で会議をした後、小路駅近くで焼肉を食べた。建築の仕事は多様な職人さんが道具を使った手仕事で造っていくのがフツウで、ひとりだけで造ることができる建築はほとんどなく、多様な職人さん同士のコミュニュケーションが必要で、その間を取り持つのが現場監督なんだろうけど。それでも職人さん同士のコミュニュケーションが、円滑にはかどる「土壌」のようなものも必要で、その役目になるのが、焼肉を食べたりする食事会であったりして。やっぱりひとつのテーブルを囲んで食事をするというのは、親しみがわくものだなっ。あっ、写真撮り忘れた。

「台湾有事」なんていう問題が世間を賑やかす今。11月台湾自転車一周の環島に参加して、台湾が親日な国である雰囲気を肌で感じた。40人のツアー参加者に、さまざまな国籍の人がいて、インターナショナルな雰囲気のなかで、仲良く自転車を一緒に乗ったが、食事の席で一緒にテーブルを囲むと、より友達感が増して、片言の英語と、グーグル翻訳なんかを交えながら、会話をした。ある日食事しながら、台湾人と香港人のひとに、このツアーに中国本土からの参加者はいないのですか…なんて聞くと、いるわけないでしょ!みたいな雰囲気で、中国との間に、根深い問題が潜んでいることを肌で感じた。上の写真は、30度を超える暑い日に、屏東 潮州鎮にある、かき氷屋さんで、皆と一緒に食べた日本的かき氷が想い出の味のひとつになった。

建築好きの工務店のワタシとしては、台湾でこんな建築と街を見た。という話をしておきたい。自転車専用道路や川沿いや海沿いや峠を自転車で走るのがとっても楽しいが、それでも街を自転車で通り抜ける時間帯がワクワクする。そういうタイミングになると、先頭集団の前から3人ぐらいまでのところにいて、信号待ちで建築眺めるか、最後尾の集団で後ろから建築眺めて写真撮るか、無意識にそうしていたワタシに気付く。台南市街に入って、信号待ちしてたら、目の前の看板に隈研吾の文字が…こんなところでも隈研吾は住宅を造って活躍しているのだなっ。凄っ。あっ「40ー50坪」って書いてあって、台湾は面積の単位に「坪」を使うのだなっ。と、慌ててスマホを背中のポケットから出して、写真画面起動し、撮影して、信号が変わるギリギリで、背面のポケットに仕舞い込んで、片足を踏み込み始めた。



高雄の街に宿泊し、早朝にホテルから自転車で出発した。朝もやがかかり、太陽が登り、ドピーカンの晴天で、とっても爽やかな朝。朝はまだ涼しく建築散歩には最高の日和だった。上の写真のどの建築も「造形」が派手だった。形から入る建築というのか、装飾的というのか、それが「台湾好み」なんだとおもう。日本の建築デザイン教育と全く違うのかもしれない。でも観光客として建築を眺める街としては楽しい。高雄LRTというらしいが、路面電車の線路敷きが芝なのが、とってもエエよねぇ。

背後に変わった造形の建築がある海岸ベリで、親しくなったロサンゼルスからのアメリカ人と記念撮影。彼とは、ほぼ同じ歳で、青春時代に同じウエストコーストサウンドを聴いて過ごした話で盛り上がり、走行日の後半になって、肩やお尻が痛くなり、退屈してくると、一緒にスマホで音楽聴きながら併走した。
この日DAY5は高雄から恒春までの101kmを走行することになっていた。特に海豚湾から海口湾までの17kmが海岸線と丘陵と小高い山が織りなすアップダウンの風光明媚な道で、この区間は台湾人のツアーリーダーと日本人のイチムラさんとワタシとカナダ人のロビンの4人で、そのアップダウンをそれなりのスピードでヒィヒィと呼吸しながら駆け抜けた。それが身体的記憶として残る楽しい想い出。

数日前からの香港の超高層ビルでの、映画「タワーリングイフェルノ」みたいな、高層ビル火災をみると「竹の足場」の怖さに驚くのだけれど、上の写真は、高雄のホテル前で、そのDAY5のコース説明があった時の写真。背後に大規模な新築工事中の現場があって、足場は竹でなく鋼管足場だった。台湾は、竹足場でないのだなぁって思ったし、それより「整理整頓・安全第一・品質優先」と足場に大きく書いてあるのが、とっても日本的で、耳元で聞こえてくる今日のコース説明は中国語だったので、全く理解できず、ただただ足場を眺めて、なんか微笑んでいた。そうそう、このツアーのリーダーは、この環島で、先ほどの17km区間が一番好きな区間だと語った。

台湾の数々の寺院の前を通過し、多くの寺院の前で休憩した。日本の神社仏閣とは全く異なる造形とデザインで、最初はちょっとした拒否反応があったが、だんだん楽しめるようになってきた。後半になれば、寺院の中に入って祈りを捧げることにした。内部から見るとコンクリート構造に装飾をくっつけているのだとおもう。知らんけど。日本の寺社仏閣の木造建築の「構造美」が美しさの基本であるように教えられてくると、構造と関係がない装飾性が強くなると違和感を感じるのが日本の建築人なんだろう。それでも、香港からの女性参加者が幾度も寺院で祈りを捧げる姿を目撃すると、どこの国にも「祈り」は存在し、装飾の問題など、どうでもエエようにおもえてきた。
台湾の建築話、まだちょっとあるけど…今日はこのあたりで。