「お餅つきフェス」の歴史

「お餅つき」を開催した土曜日。多くの方々に参加頂いて、あらためて感謝の気持ちが溢れてくる日曜日なんですが、何人かの方々とコミュニケーションをした時に、どれくらいこのお餅つきが続いているのですか…..なんて、聞かれた。テキトウに30年ぐらい…..と、答えたものの…..そのエエ加減さに気付いて…..確か、この加工場で、お餅つきをするようになったのは…..

この加工場で、清見原神社の木組みを1年かけて手加工をしていた、2008年。その木組みを担当した沖棟梁と一緒に木村家の庭で、2月にお餅つきを催した。参加したのは社員と社員の家族で、当時の古株の現場監督の山下さんから、お餅つきの段取りを教わった。臼や杵や蒸籠や釜など、道具は残っていたので、それを使うことにした。
なぜ、お餅つきを復活させたいと、その時、想ったのか、記憶が定かでないが、沖棟梁との会話のなかで、ワシは、いまでも年末にお餅つきをやってるけど、木村工務店では、やらへんのかっ!….と言うコトバに刺激を受けたのだとおもう。

蒸籠の上に乗せる蓋の重さと穴の大きさが一番大事やからなっ、オレが、最適な大きさの穴を開けたるわっ…..と云って、蓋を新しい桧材で製作してくれた。それが今も沖棟梁の「遺作」として残る。お餅つきをやってみると、とっても楽しいし、元気が湧く感じがした。その元気の源が「協働作業」であるようにおもえたし、何よりも突きたてのお餅が美味しいし、そのお餅を家で暫く食べられるのも嬉しい感じがした。
それで、この楽しさを継続しようと、2009年からは、天候のことを考慮して、この加工場で、催すことにした。日程をどうするかだった…..もともとは、年末にお餅つきをする習慣が、木村工務店と近隣の長屋の住人の間であったらしい。なので、存命中だった2代目木村正一が、12月29日は「苦を突く」といって避けていたから、やるのなら、27日か28日か30日やなっ!と言われた…..。工務店にとっての年末の現場を納める苦労のコトを考慮すると、とっても年末に出来る余裕などなく、それで1月に開催するコトになった。

「まちのえんがわ」のオープンは、2011年12月で、まだワークショップも開催していない時代だったので、加工場を使う初めてのイベントだった。やるのなら、社員とその家族だけでなく、いま施工中と打ち合わせ中の、お子さんのいらっしゃる、少数の方々だけを招待してみよう!ということになり、40人ほどの参加者と一緒にお餅つきを開催した。それが2009年のコトで、それからコロナ禍で中止の3年ほどを除いて、連続開催している。
この木村家の庭でのお餅つきと、木村工務店の加工場でのお餅つきの経験を経て「木村家本舗」というイベントを開催するコトになった。2010年から5年ほど連続開催することになり、木村家の長屋をリノベーションした家と庭と木村工務店の加工場を使って「キムフェス」なんて呼ばれるようになった。「木村家本舗」での、その遊びが「まちのえんがわ」のワークショップ開催につながり、木村工務店のお餅つきが、徐々に「フェス的」になって、現在に至る。

釜に薪を燃やし、その火のエネルギーの上に乗かった、蒸籠で蒸された餅米を、臼に移す。杵を持った人が、自らのエネルギーを燃やして、杵で餅米を突いて、その餅米を臼の上で返す相方がいて、そういう肉体的エネルギーというか、その勢いのようなものを、参加者の皆さんと共有しながら、餅米が、お餅に変換されるのが、面白いとおもう。そのお餅を丸める協働作業があってこそ、ようやくお餅という食べ物になる。この一連の協働作業が、とっても魅力的だなっとおもう。その場に集う、食べたり飲んだり一緒にする参加者と、エネルギーの交換のようなものがあって、そのことを含めて「お餅つきフェス」なんだろう…..。

参加者の方々から、準備と片付けの大変さを労って頂き、とって恐縮至極です。木村工務店の社員にとっては、段取りとか後片付けとか協働作業とか立ち居振る舞いとかコミュニケーションなどなど、学ぶ場でもあるのですが、それでも、参加者の皆さんに喜んでもらおうと、それなりに楽しんで頑張ってくれてた社員の皆さんに感謝し、なにより社員の家族の皆さんのためにもっ!と始めたのに、その初心を忘れてしまいそうでしたが、このブログを書くことで、そのことをまた想起しました。一緒に手伝い参加して頂いた社員家族の皆さんにも感謝して、「お餅つきフェス」として、気軽に楽しめる範囲で、継続できればとおもいます。
あらためて、参加頂いた、皆さん、Thanks! です。