初午祭。社歴。地図。場所の時間軸。最適解。

初午祭を催した土曜日。

宴会の写真で、飲んで、食べて、だけのような雰囲気だけれど…..。清見原神社の宮司さんをお招きし、会社に代々伝わるお稲荷さんを祭礼して、参加者全員で、安全祈願と商売繁盛を祈願する神事を最初に執り行う。御神酒で「イヤサカ」という発声で乾杯をするのも最近の慣わし。職人さんを招いて、今回は90人ほど。1時間30分ほどのレクチャーをこの加工場で催す。建築をつうじて、施主に喜んでもらえるコトのムツカシさと、そのコミュニケーションのムツカシさを共有する場でもあって、毎年「言うは易く行うは難し」の諺を共有する場でもある。

1957年 昭和32年2月に、今里新地の「おそめ」という料亭で、この協力会社の精親会という会合を開いたのが始まりだと伝わるが、かれこれ70年間継続開催されている。工務店にとって、「ものづくりの仲間」としての、協力会社の職人さんたちと、コミュニケーションが、うまくいってこそ、施主とのコミュニケーションもうまくいく訳で、70年間継続している協力会社も数社あり、新しく参加した会社も数社あって、最近は世代交代や職人不足などをテーマにすることが多い。

今回のワタシは、以前このブログに書いた「地図と社歴」をテーマにして、生野区小路を中心とした、明治時代の1892年から昭和時代の1997年までの大阪の今昔マップと、会社の社歴の関係性を紐解きながら、お話しをした。「地図と社歴」をまとめていると、場所と暮らしが歩んできた時間を、建築に携わりながら、まちの時間軸を積み重ねる仕事として、静かに、確かに、続けて行けたら…..なんていう想いにさせられたが、現実はいつもカンタンではなくムツカシイ。

上棟式を催した木曜日。

建物の四隅に、お塩とお米と御神酒を撒く神事を催すのが慣わしで、その写真。最近は、上棟時直後に上棟式をおこなう慣習から、ある程度施工が進んでから上棟式を執り行うことが多くなってきた。「地図と社歴」の話に関連づけると、昭和の1990年代には大阪の街は、もう既に飽和状態だったので、より良い暮らしを求めて、新築からリフォームが増えていく状況になり、2002年頃から始まったビフォーアフターの影響も大きかったと推測するが、うちの会社では、リフォームが新築を上回る時代が長らく続いていたが、ここ2年ほど、新築の割合が増え出した。

その場所の時間軸にとって、建物という器が傷めば直し、その役割が変われば、大規模なリフォームでつくり替える。うちの家は、そんな感じだったが、最近は、古い建物を、思い切って、撤去し、新しい器として、新築を選ぶという選択肢が増えつつあるようにおもう。今回のこの上棟式の場所も、古い大きな建物を撤去し、2所帯住宅として、2棟の建物を新築する計画。その場所の時間軸にとって、最適な答えを模索する時代であるのだろう…..。上棟式の祝宴を催して頂き、施主に感謝しつつ、建物とまちを祝祭する時間であったようにおもう。