侘助咲いて春へ
庭の侘助(わびすけ)が満開になると、どこからかムクドリのつがいが飛んできて、侘助の花びらをクチバシでつつく。そんな情景が、寒い冬から暖かい春に、季節が変わるお告げのようにおもっていたら、今日の日曜日は、ほんとうに春のような暖かい日和だった。
連休だったので、建国記念日の祭日の夕方にスキーの道具を用意して、翌日の日曜日の早朝から車でひとりスキーに行く。今年初めて。昨年5回ほど、ひとりスキーに行ってみると意外と快適だった。帰る時間を気ままに決定できるのが良いのかもしれない。スキー場に着いてスキー板の袋を開けると、なんとストックがなかった。えっっ!とおもう。お正月に泊まった奥志賀高原のホテルに忘れたのだな。マゴ達の世話に気をとられて自分のコト忘れたようだ。それに前日にスキーの袋もあけずワックスも掛けず、ま、歳とると、こんなもんなのだ。ストックだけ借りるために30分ほどレンタル場で並んだ。レンタル料500円也。メチャクチャ混んできたので、12時過ぎには滑るのを止めて、午後1時過ぎにはスキー場を出発していた。大阪に到着してからスーパー銭湯で体をほぐす。

建国記念日の前日10日の夕刻。木村工務店で初午祭を開催する。一年で一番運気が上がるとされる初午の日に、会社加工場に社員と職人さん、それに協力会社の精親会のメンバーも集まってもらい、皆一緒に、木村工務店のお稲荷さんに現場の安全と商売繁盛を祈願する。その後、直会(なおらい)として、屋台をだして社員がおもてなしをし、協力会社の職人さんと飲食を共にするのがメインなのだが、3年連続飲食は中止した。といっても、今年はテーブル付き椅子を購入し、飲み物と稲荷寿しを各自に配布して、安全のセミナーや会社の方針を聞いてもらいながらの直会とした。

そうそう、建国記念日の朝、布施の商店街を自転車で通過すると、ひとっこひとり誰もいない瞬間に出くわした。おもわず自転車を止めて、iphoneのシャッターを押す。この床は、かつての心斎橋商店街で使われていた床を、ここに移設したらしい。エエデザインだなぁ。左側通行で、当時のほとんどの子供達は、母親に手を握ってもらたりしながら心斎橋商店街を歩くと、この床のデザインに沿って蛇行しながら歩いていたとおもう。懐かしい。いまこの床を歩くほとんどの人が、心斎橋筋商店街の床だったことに気付いていないとおもうし、蛇行して歩く姿もみない。
左右で行き交う人通りがいっぱいの商店街を歩く人たちに、楽しく歩いてもらおうと、その姿を想像したからこそ、このデザインで、そういう行動がうまれ、記憶にも残ったのだな。なんておもう。いまその心斎橋筋商店街で木造の店舗を施工中。春に向けて、それぞれの現場の安全に留意しながら、エエ建築を創造できますように…..と、皆で願う建国記念日前日の初午祭だった。

































↑ 12月。大阪の百貨店で、マゴ二人M2と私Giジィーと妻Barばぁの、4人で食事をした。ハンバーグを美味しそうに完食する様子を見て、ワタシもこんな時があったなと想いだし、GとBとM2ママの、それぞれの両親や祖父母に感謝したい気分になった。




↑ 10月。金沢で食べた鮨は、食べログ4.7らしい。緊張した気分で食べたくないなぁっとおもっていたら、リラックスして、楽しく食べる雰囲気づくりまで含めて、旨味と凄みを感じた。また行きたい!
↑ 8月。新潟にて。お盆休暇の旅先で、それなりに美味しいもんを食べたけど、朝食のこういうプレートが今風な感じで印象に残った。
↑ 7月。大阪の自宅にて。猛暑の昼下がり、金沢からお見えになったサッチーのお母さんが、バックから出した妄想春パフェのスケッチを見た瞬間、実際に食べた気分になって、すぅっっとした。
↑ 6月。大阪の自宅にて。妹が弁当を持って立ち寄ってくれた。さまざまな弁当が買える時代だなぁ。とあらためておもう。
↑ 5月。ゴールデンウィーク自宅にて。カプート社の小麦粉を練ってピザ生地を作り、M2たちとピザを焼いて食べた。おもいのほか美味しいのだ。
↑ 4月。自宅庭にて。「まちのえんがわ」の摘み菜ワークショップで、家の周辺の摘み菜と持参して頂いた摘み菜で食べたクラッカーが想定外に美味しかった。









↑ 2月。自宅にて。なぜかチキンラーメンが食べたくなった。うちの家はインスタントを全く食べさせない母だったが、食べると、不思議に、高校生になって友達の家で初めて食べたその日のことが過るのだ。









