それでも春がやってくる気分。
コロナの話題ばかりにになってしまう最近のこのブログ。
20日は祭日で、とっても良い天気だったが、なんとなく家でコロナ話題のテレビばかり見ながら、控え目に過ごす休日だった。なので、今日の日曜日の朝は、体を動かしたくて、ムズムズし、ちょこっと朝から自転車に乗って十三峠を往復する。いつも司馬遼太郎記念館の前を通過するが、今年はついぞその前の菜の花を見る事がなかった。それだけ自転車に乗っていなかったのだな。ここ数年、その菜の花を見ると、春の訪れを予感し、「街道をゆく」を想い出し、旅の欲求に駆られ、どこかに旅する計画を立てたくなって、GWやお盆の予約をしたりしていたが、なんとなくすべてが停止している感じ。

若い女の子のクライマーに、おはようございますっ!という爽やかな挨拶とともにグングン抜かれ、なんとか峠の駐車場に辿り着く。ちょこっと車止めの石に座って、水飲んで、休憩もそこそこに、すぐに下り出し、サンシュウの黄色い群落と白いモクレンと早咲きの桜のガードレール横で休憩した。写真撮影をしていたカップルのおっちゃんと、お互いに春の訪れを喜び合いながら、たわいもない会話をする。あれがゴジラの白いモクレンやでぇっ!と撮影した写真を見せてくれる。いままで気付かなかったが、そういえばゴジラに見えてきた。ウグイスも鳴き出し、飛行機が空を横切り、なんとなく春がやってきた気分。

大阪と兵庫の感染は予断を許さない状況らしいが、日本国内は回復傾向にあるかのようだ。「クラスター」と「オーバーシュート」というコトバの意味を知るこの3連休で、木村工務店では、土曜は出勤日だったが、ほとんどの社員が代休や有給をとって休んでいた。その土曜日のお昼、家の庭で、長男ワイフのママ友が集まって子供達と庭でバーベキューをしていた。奥方と両家のお墓参りに行って帰ってくると、その遊んだあとの庭の姿が、とっても微笑ましかった。子供が元気な姿は空間に活気を与え、庭の木々も喜んでいるかのようにおもえた。

次男タカヒロが東京から大学の友達を二人連れて帰ってきた。3人とも学科は別々でそれぞれの大学院に行くことになっているようだが、卒業式が中止になって、旅もできず、行き場を失い、うちの家に辿り着いたような感じだったので、庭の焼肉パーティーで歓迎した。クラスター発生リスクが高い「密閉空間であり換気が悪い」「近距離での会話や発声がある」「手の届く距離に多くの人がいる」の密閉密集密接の3つの条件が揃わないようにするには、少人数の「ソトメシ」しかないよね。誰よりも奥方がいちばん嬉しそうでソワソワしていたが、若いひとたちとのコミュニケーションは、とっても楽しい。もっと喋りたい気分だったが、過ぎたるは及ばざるがごとしの諺に従って、控え目に引き上げた。それにしても、イエを気にいってくれて存分に楽しんでくれたその姿が嬉しい休日だった。


それでも春がやってくる気分だが、世界は繋がっていて、世界が良くならないと日本も良くならない。とあらためて気付かされるコロナウイルスだな。






そうそう、24日の祝日、長男家族たちと一緒に、日帰りで、岐阜の高須スノーパークへスキーに行ってきた。なんとなく再びスキーにやる気がでて、マゴたちと一緒に滑る日を楽しみにしている。っていうのもあるが、スキー板が進化して、スキーの滑り方も変化し、リラックスして滑れるようになった。少し開きぎみで両足でスキーを操作し、板をフラットにしてセンターに乗って体重移動でターンのきっかけつくって、かかとよりの雪面からの力を感じながら、自然に板がたってゆるやかな弧を描いてターンするイメージなのか。筋力よりバランス。母子球に乗って上下の抜重でテールをズラして滑っていた時より体の負担も少ない感じ。コブを果敢にトライしなければ快適なのだ。コブは横滑りでズラしてズラして安全第一。シニアでもそこそこいけるのは板と靴の道具の進化だな。ま、でも、ワタシ、午前中滑ったらもう充分満足。お昼の休憩でバックルを解放したら、もうバックルを締め付けたくないのだな。それにしても、スキー場の建築は、もっとオトナな感じにならないものかね…..。



「勧進帳」を観る日曜日。雨の京都の南座で、市川海老蔵特別公演を観賞することになって、いやもちろん、歌舞伎を好んで観る趣味をもっているわけではないのだけれど、奥方の友人で、家造りにも関わらさせてもらっている、いわゆる施主でもある方が、歌舞伎ファンで、真正面の前から2番目の席を取って頂いた。それが、どれだけ凄いことかは、着席して、幕が上がって理解した。すぐ目の前に、海老蔵がいて、目が合う感じがするのだ。
舞台に向かって右側の袖の席に、舞妓さんたちが沢山座って鑑賞している雰囲気が、いかにも京都らしく、休憩時間には、最前列にいた黒い着物姿の女性に、全員が挨拶にきて、その様子が伝統と格式を感じさせ、舞妓さんと歌舞伎と京都南座といベストマッチな雰囲気を見ていると、ワタシは外国人、みたいな気分で眺めていた。そうそう、演目の前に、舞台挨拶があって、フツウの着物姿で、海老蔵や右團次や合計5人が挨拶をし、質問コーナーなどもあって、笑いと和やかなムードの現代的なフツウの人間としてのトーク番組的演出のあとの、あの緊張感のある古典の勧進帳で、そういう「今」と「古典」を違和感なくタイムトラベルさせられてしまうところに、歌舞伎の現代性を垣間見たおもい。

















