しだれ桜と。

とっても気持ちの良い天気の日曜日。大阪の桜は、ようやく、満開か。いや、9.5分咲きか。なんだか、今年の桜は、ぱっ! と咲いて、満開にならない感じ。じっくり時間をかけるより、勢いで開花したほうが、桜は、綺麗なのかもしれない。建築工事でも、確かに、時間を掛けすぎるより、ある程度の勢いで、作った方が、出来映えが良い時があって、昨今の職人不足な建築現場では、勢い不足な感が否めず、今年の桜は、建築現場の昨今を反映しているのだろう。
「まちのえんがわ」の珈琲ワークショップで、ドリップ珈琲の入れ方を学んだが、じっくり時間を掛けてドリップしすぎると、雑味がいっぱいでて、勢いが良すぎると薄味で、ちょうど良いスピードで頃合いの量の湯をじわーっと注ぎ続けるのが良いようだが、桜も、温度変化が激しいより、適切な気温が、徐々に徐々に上がって、一気に気持ち良く開花するのが、綺麗な桜になるのかもしれない…。
うちの家のしだれ桜は、決して美形ではなく、日本全国に点在する、スター桜たちとは、ほど遠い存在で、自宅の庭にあるが故に、ごく少数のヒト達から褒められ、花見されているのだろうし、たまたま立ち寄った園芸店で売っていた膝丈ぐらいの桜の苗木が、こんなに大切に育てられて、こんなに成長し、ちらほらだった桜も、そこそこの満開の桜になってきて、まだまだ垂れる姿が美しいというほどの枝振りではないのだけれど、庭の象徴的な一本になって、きっとこのしだれ桜本人が、もっとも驚いているのだろう。
ヒトの想いとは不思議なもので、しだれ桜に誰よりも強い思いを抱いていたのが、うちの親父で、最初は庭の片隅に植えていたのを、20年ほど前に、リビングから眺められる中心において、毎年の成長を楽しみにしていたようで、リビングにゴロンとなりながら、夫婦仲良く桜を眺めている姿を目撃したし、社員や大工さんとの花見の宴を、何よりも楽しみにしていた。
もちろん、というのも恥ずかしい話だが、親の気持ち子不知というように、父の生前は、そんな想いを汲み取ろうとする気配すらなかった「私」で、亡くなってから、その想いを聴こうとする気持ちが芽生えてきて、リフォームの時に、「庭の桜とゴロンとできるリビング」だったビフォーの関係性を「庭の桜と大きなダイニングテーブル」というアフターな関係に変えて、朝食・昼食・夕食と、より多くの時間を、しだれ桜の木と関係性をもてるようにしてみた。
4月29日の金曜日は、ちらほら開花した程度の桜だったが、社員と大工さん手伝いさんとで、恒例の花見の宴を催した。4月3日は、請負契約のあと、建築家のヤベさんと建築写真家のササクラ夫妻と、短時間だったが、お花見ランチをした。4月4日は、建築家の秋山東一さんと名古屋のコスモホームの鈴木さんと、うちのタカノリの4人で、お花見ティータイムミーティイングをし、建築のコトを語り合った。4月5日は「まちのえんがわ 橋爪事務所」のハシヅメくんとその友人二人の、暇人三人組と呼ぶらしいが、オトコ4人のお花見ランチ会をし、30台の若いひとたちと、生き方について考えてみた。4月6日は、桜の季節に合わせて、祖父、祖母、父、母の法要を木村家兄弟家族が集まって催した。リフォーム工事が長引いたために、木村家で、仏壇をお参りする習慣から遠のいていたので、父のしだれ桜への想いをきっかけにして、兄弟家族が集まることになった。4月6日土曜日の夜は、いろいろな偶然が重なって、なぜか、孫のイッケイと二人だけで、ビールと冷たいお茶とおかきの夜桜の宴を楽しんだ。今日の、4月7日日曜日は、お昼からの住宅相談会が終わった後、夫婦2人で、縁側焼き肉お花見を、楽しんだが、早々に、孫二人が乱入してきて、とっても嬉しいような。ちょっと嬉しくないような。
今年の桜は、まだ、暫くもちそう。なので、しだれ桜の、縁を、もうちょっと、繋げていければ…とおもう。
庭の桜が5分咲きになった3月31日の日曜日。明日4月1日は、新元号が発表されるらしいが、そんな区切りに合わせるかのように、還暦同窓会があった日曜日で、住吉高校29期生百数十人が、昼の12時に、ミナミのホテルで集合し、久しぶりの懇親を深めた。高校卒業以来のひとも沢山いるわけで、誰だか、想い出せないひともいて、自分の高校時代の、在り様を、なんとなく、振り返りながら、仲間と一緒に過ごしているうちに、青春時代を再体験し、いや、おそらく、そんな再体験をすることによって、これからの人生をよりよく生きるエネルギーとなるのだろうが、2次会、3次会、4次会、5次会。最後は、一年に一度二度会う、親友三人で過ごしながら、この場に一緒にいるはずだった物故者を弔い、気付いたら深夜になっていた。いま、家に帰りついて、4月1日午前3時。寝て起きると、新元号と共に、あらゆることが、リセットされ、リフレッシュされるコトを祈って、これまでで、もっとも短いブログとして、眠りについて、再スタートを切ろうと思う。


そういえば、最近は、テレビ画面で、YouTubeを見るようになって、美味しいピザの作り方。と検索してみると、さまざまな生地造りの映像が次から次に流れて、視聴しているうちに、料理ベタな私でも、なんとなく出来そうな気分になってきた。「映像の力」ってすごい。





そうそう、今週、還暦の誕生日を迎えて、庭を隔てて同居する、長男家族の孫と一緒に、ケーキのローソクの灯火を吹き消したが、流石に、50歳の響きと60歳の響きは、かなり違う気分で、還暦誕生日の一日前は、ほんのちょっとセンチメンタルになりながら、今までのコト、これからのコトを、それとなく考えてみたが、誕生日当日は、あたりまえにフツウなわけで、「赤いちゃんちゃんこ」と「赤い帽子」を身にまとい、2人のマゴと両手を握って、ハッピーbirthdayを歌ったのが、確かに、記憶に残る誕生日となったが、生まれ変わって、リセットボタンを押して、リスタートをきれたら嬉しいと、願う気持ちもあるわけだが、数日たち、淡々と粛々と日々が過ぎていき、いま、雨滴が落ちる様子を眺めながら、ありきたりに「いまとここ」をしっかりと生ききるしか….なんていう気分。


昼過ぎて、雨が上がった頃を見計らって、造園の家谷さんが花宇さんと主催する植物の展示即売会に、奥方と味園ユニバースにいく。とっても雰囲気のエエ、気持ちの良い空間。元気の良い植物の力って凄いね。手頃な価格で欲しいのは売約済みだった。これっっとおもうやつは、高価すぎて、すぐに買う決心がつかなかった。奥方が、手頃でフツウな植物を3つほどゲットして、法善寺横町近くのインデアンカレーを食べて、地下鉄小路駅の階段を上がると、夕立のように激しい雨が降っていた。


土曜日の朝、うちの家を3Dカメラによる撮影があって、内部を歩き回れるリアルな映像として表現されるらしく、どんな仕上がりになるのか、楽しみだが、ドローンによるドラマ撮影とか、建築設計図のBIM化とか、建築を表現する手法が、どんどん進化しているのを肌で感じる一日だった。
「まちのえんがわ」で、珈琲ワークショップを開催することになったのは、



そうそう、土曜日の夜のコト。昨年の11月に、檜な縁で、うちで10人ほどの宴会を催し、そこで、建築話で、とっても盛り上がり、どんなきっかけだったか、とにかく、ケネス・フランプトン著「テクトニック・カルチャー」という分厚い本があって、というより、そういう本があると、その時教えてもらって、それを皆で読んで、語り合うコトになった。4000円ぐらいのその本は既に廃版で、中古で2万円以上する本になっていて、想像通り難解なわけで、3章だけを読んで集合!といわれても、20歳近く離れた若い設計者に比して、経験力は増え続けるものの、読解力は低下するいっぽうで、ま、なんとかひととおり目を通す程度で臨んだが、参加者全員が同じように難解だと感じているさまを見て、誰もが安堵感に包まれながら、穏やかな読書会になった。だれかれとなく気になっている文章を読んで、それを聞き、それにツッコんだり共感や違和感を口走ったりしながら、誰もが声を発しているうちに2時間があっという間に過ぎた。鍋を囲み、お酒を飲みながら、建築話が終電前まで続いて、想定以上に楽しかったので、次回も続くコトになった。
スキー場で過ごす連休の日曜日。2年ほどスキーから遠ざかると、あの白銀の世界のなかで、斜面の凹凸に身を任せながら、斜面を降下した時の、あの身体感覚と気分を、思い起こしたい衝動にかられる時があって、さりとて、スキー場まで行くのがとっても面倒だし、なんといってもスキー靴を履くまでが、また面倒な準備で、連休や日曜日のリフト待ちの混雑も面倒だし、食べるところも、ざわざわして落ち着かないし、なんといっても息子達が成人すると、一緒にスキーで遊ぶ友達を失った気分で、お正月の家族スキー旅行以外は、スキー場に行くことから、かなり遠ざかっていた。