バランスの変化

秋晴れの青空と朝日そして木漏れ日。うちのヤマボウシくんは紅葉をする前に落葉が続く今年。いつもはこの写真の頭上にはモミジの葉っぱがいっぱいなのに、真夏に葉が焼けて落葉して、パラパラ状態。テレビを付けると、熊の出没が騒がれて、森の食べ物が少ないからだと聞く。猛暑の夏が秋まで持続して、森のバランスが崩れて変化しているのだろう。窓を開け放ち、冷暖房を使わず、もっとも気持ちの良い秋の季節が、無くなっていくような感じ。冬がすぐ迫ってきた気分で、熊も焦っているのだろう。久しぶりに窓を全開してみて心地良さを味わおうとしたが、肌寒く、すぐ閉めた。

この秋は何度か通うお店の閉店ラッシュだった。どのお店もそれなりの繁盛店だったので、お客様からすれば居場所がなくなるので、寂しいし、どぉしたらエエのぉっ!という状態だが、店主にとっては、次の新しいステージに向かうそれぞれのタイミングが、この秋だったのだろう。うちの近くの「あそび菜」さんも今日の日曜日で閉店する。「まちのえんがわ」で数度ワークショップを開催してもらったりで、ほんとご苦労さまでした。まちの灯台のようなこの灯火も消える…..。

「黒字リストラ」というコトバを聞くようになった昨今。「日経平均株価が足元で4万7000円を超え、史上最高値の更新も続く2025年。そんな株価の活況とは裏腹に、日本企業で人員削減の動きが止まらない。広がる黒字リストラの波。経営者は何を狙い、労働者はどう対処すべきか」なんて日経新聞に書いてあった。企業内のバランスも変化させたい時なのだな…..。そうそう髙市内閣が発足して、政治に興味が湧くここ数日。公明党との連立を解消し維新と連立を組む。政治のバランスも大きく変化しようとしている秋だし。インバウンドを含む外国人労働者の課題も動き出す雰囲気。

ミナミを歩くと、そのインバウンドがいっぱい。日本人とのバランスが完全に逆転している。しかも欧米人が目立つ。金龍ラーメンの立体看板の尻尾が隣地に越境して、それが切られるニュースがあって、通りかかったついでに想い出した。見ると「金龍」対「神座」の看板対決になっていた。「龍の尻尾を切って神の座を新たに据えるっ!」という物語だったのか。この神座のデザインなら、龍の尻尾を切ったあと、またその尻尾を付けてあげてもオモロかったよね。

バランスが変化する秋だな。

「歓談」

地車が町を練り歩いた10月15日16日。雨模様の平日なので、子供たちやギャルたちの姿も少なく、地車を引く人が少ないし、地車を見るために家から道路に出てくる人もほんのちょっと。お祭りのために有休休暇を使って会社を休んで頑張ってる若い子たちにエールを送りたい気分だった。もう神社のお祭りは土日に変えてもエエようにおもう。岸和田の地車もかなり前に14日15日から祝祭日になったしね。人が集まらないお祭りはちょっと寂しい。かつて「づどい、つながり、ひろがる」っていうコトバを使っていたのがgrafの服部さんだが、人が「集う」って、簡単なことではないよなぁ…..。

日曜日。自転車で琵琶湖まで走って、大津駅から輪行して帰えろうとしたら、大津駅前が地車で通行止めだった。とっても優雅な地車だなぁ…..。盛りあがっているような、盛りあがっていないような。まちの地車も過渡期のような気がする。自分が住んでる町を愛でるのって、案外むずい。ちょっと斜に構えたり。照れたり。無関心をよそおったり。集う気になかなかなれないのも判る気がする世の中だしね。

そうそう、氏子総代会というのがあって、古くから地元に住んでいる人がお祭りの日の朝に神社に集まって、地域の安全を祈願する。父から受け継いだ時に、こういう風習が脈々と続いているのを知って驚いたが、その集まりに参加するひとも年々減ってきて、世代交代が進みにくい状況。神社で祈願したあと、社務所で直会として御神酒を頂戴し、お弁当を食べながら「歓談」するのが楽しみ。その時に「神社に人が集まる」というのが話題になった。

そのお祭りの夜に、建築家の矢部さんと野田で「歓談」。立ち飲みてげてげで待ち合わせして、そのあと、サイゼリアで飲むという。この猛暑の夏は、コワーキングスペースとして、頻繁に利用したらしい。そういえば、建築家の故秋山東一さんも、わたしは「サイゼリスト」ですよぉっ。とよく言っていた。サイゼリアを利用する建築家が多いのかも。知らんけど。サイゼリアで秋山さんと矢部さんと3人で飲んでモノ談議しましょっ。と言ってたのが実現出来ませんでしたわっ。なんて話ながら、なんだかんだやっぱり建築の話で盛りあがって、次の日までワインの余韻残る夜だった。

「歓談」とは、うちとけた楽しい話し合い。気持よく心を割って話し合うこと。らしい。

「並べるポテンシャル」

magosと一緒に万博を楽しんだ水曜日。下校してくるのを待って、地下鉄で万博へ。30分ほど並んで入場できたのが17時過ぎで、パビリオンの予約は全く取れていない状況。今日は花火とドローンとお土産だけでエエのよぉ!と奥方が宣う。18時30分から花火があがるらしい。なのに、当日予約を試みろっ!と、やっぱり指示がでた。まだパビリオン諦めてないのだなっ。なんだかんだ5回ほど万博に足を運んだので、当日予約も慣れたものだが、数回試みて、すぐ諦めた。こういう作業に慣れて上手な人は、これからの新しい世の中を生きていくためのひとつの才能だなっとおもう。

パビリオンに入れないならブラブラ散歩して楽しむつもりだったが、実は散歩だけのほうが嬉しいのに、まずコンビニでおにぎり買って花火見ながら食べよっ!と指示がでて、コンビニへ。時間帯が良かったのか、ちょっと並んだだけで入れた。この万博での経験による私にとっての一番の成果は「並ぶ」ということができるようになったコト。この良い流れにのって、ついでに土産物センターでお土産買っておこっ!と指示もでたが、それなりの行列だった。が、そこは流石にとっても長い付き合いの奥方なので、素早く私の「並べるポテンシャル」を掌握していて、こちら側の土産物センターのこの行列の数なら大丈夫っ。magos+私が保護者についていく構図。

お土産物センターの中は押し合いへし合いの超過密な状態。満員列車以上。magosたちにとっても、欲しいモノの前で留まってじっくり物色する楽しみ方は、許されないぐらい人が押し寄せてくるのだった。値段を見て、この値段でも大丈夫っ…..と、かわいらしく聞いてくるので、ちょっと高いなぁ…..とか最初は言ってたが、この超混雑の中から抜け出したい一心になってきた私は、もぅ値段はどぉでもエエ気分になって「大人買い」して脱出することにした。

花火の時間が近づいてきて、リングの上には登れたが、リングの上の上段は定員オーバーで通行止めになっていた。ま、こういう時は、エエ場所とろうとあくせくせんと、この状況に従って、手頃な場所で楽しむのがmagos連れの心得のようなもので、UAE館前の手摺側がガラガラだったので、ここから見ることにして、おにぎりほおばりながらアラブ越しに眺める花火だった。

ドローンをmagosに見せてあげたいっというのが奥方の望みでもあって、とっても満員で、留まれる場所がまったくなく、警備員の人の、ここは通路です。留まらないでくださいっ!というアナウンスがずーっと響き続けて、難民のように人の流れに従って動いていくしかなく、放浪を続けているその途中に、一瞬の隙間を見つけた奥方の、ここぉっ!という叫び声に引きずられ、やっぱりmagos+私が保護者についていく構図。隙間から眺めるドローンショーになった。

それにしても、magosたちが大人になった世の中が「One World. One Planet.」が世界の共有認識になっていたらエエねぇ。

上棟式と木組

社員大工の平星くんのマイホームの上棟式があった金曜日。社員と大工さん皆が参加して上棟の祝宴を楽しんだ。それにしても生涯で家を新築出来る人は数少ないとおもうし、大工さんが自らの家を新築して自分で施工できるのは、もっともっと数少ないとおもう。ちなみに「私」は自分の家を新築したことがない。数多くの上棟式をお祝いしてきたが、木組みの下で、飲むビールと食事は格別な味のようにおもう。上棟を皆で祝福するエネルギーが家に宿ればなお嬉しい。

そうそうここ1ヶ月ほど日曜日になると自転車に乗るようにしている。それは「環島」とよばれている台湾一周サイクリングに誘われていて、そのトレーニングがてら乗っているのだけれど、その時、休憩がてら心引かれる景色の前で写真を撮影する。

家から淀川を通って木津川に入り京都から奈良を目指して東大寺を見て大和郡山に向かい珈琲休憩をしていたら、自転車乗りのひとがふらっと入って来て、あれやこれやと話しをしていると、法隆寺まで走って、かき氷を食べるという。私も帰り道は法隆寺に立ち寄って大和川を通って帰るつもりだったので、一緒に走ることになった。法隆寺の南大門前のお店で一緒にかき氷食べて、門前で自転車を並べて記念撮影し、お互いに気を付けてっ!とお別れした。

それにしても、いつみても屋根の庇の垂木が圧巻だとおもう。寄棟になっている角木の跳ねだしが特にエエ。斗栱(とうきょう)と柱のプロポーションもエエ感じ。でもこの門は創建当時(607年)ではなく1438年に再建されたらしい。塀の土壁の経年変化による素材感と色がエエよね。白い漆喰壁のツルッとしたテクスチャと対比になって好きだな。そうそう平星大工の上棟式に参加された奥さんのお祖父さんお祖母さんが、家が吉野の桧と杉で出来ているのを見て、こんな昔のような家、いまもやってるとこあるのですね。とってもエエコトですわっ。日本の森を守るコトにもなりますからねっ。と仰ったのが印象的だった。

しまなみ海道へ自転車を乗りに行った。土曜日に生口島にある輪空のご主人と一緒に自転車に乗って大三島を一周。その夕刻に高速バスで50分ほどの福山城下で開催されていた日本酒フェスティバルを楽しんだ。福山城がリニューアルされたらしく中は美術館のようになっていた。お城の背面だけが黒の鉄板張りになっているのが、意外性があってエエ感じ。天守閣から福山駅方面を見ると、目の前に飛び抜けた高さのマンションがひとつだけそびえ立っている。あのマンションから福山城を眺めたらエエ感じだろう。が、天守閣からの眺めはいまいち。福山駅は福山城内にある駅だそうだ。そんな駅前開発とかはむずいねっ。そのあと福山駅商店街外れの居酒屋で食事して、生口島まで戻ってまた飲んだら、次の日はなかなか目が覚めなかった。

この日曜日も自転車乗ってご主人と一緒に今治まで行く予定だったが、途中でポカリ飲んだりしても二人とも調子あがらず、伯方島のカフェで珈琲とケーキ食べて帰ろっとなった。丁度大潮の日らしく伯方島の渦潮が凄くて記念撮影。で、この海峡を渡って、難波宮までたどり着いて、法隆寺までやってきた木組みの技術をもった中国や韓国の職人集団があったのだろう。水先案内人がいなければこの海峡は通過できないよなぁ…..なんて考えながら眺めた。

秋分の日と私

ようやく涼しくなって、嬉しい。というか、この猛暑によって体に負担がかかっていたのだなっ。とあらためて気付く。あるひとと建築の話をしていたら、冬のお風呂で倒れるひとは、ヒートショックというより、冷たい体で熱い湯に急に入って熱中症になっているからだっ。という見解を聞いた。なるほどっ。熱中症になる感覚を皆で共有できる猛暑の夏だったようにおもう。

そうそう通路の陳列のなかに生け花が飾ってあって、歩いて通り過ぎながら、眺めて「秋の気配」を感じた秋分の日の朝。写真撮って、家に帰ってから見たら、ガラスの反射越しに「私の気配」もあった。あれっ、漢字の「秋」と「私」はあらためて似ているねっ…..

「秋」という漢字のへん(左側)は「火」で、その右側が「のぎへん(禾)」に「火」を加えてできた漢字です。秋に穀物を天日干しして乾燥させる様子を表しているため、穀物を示す「禾(のぎ)」と「火」が組み合わさっています。 と書いてあり。

「私」という漢字のへんの部分は「禾(のぎ)」です。この漢字は、禾と音符の「厶(シ)」で構成されており、穀物を囲い、自分のものとした穀物の意味から転じて「わたくし」を意味するようになりました。と書いてあった。そうなのかっ。私という感覚は穀物を自分のものにする感覚なのか…..。

その秋分の日の午後。関西大学の木造設計製図の授業があり、後期の前半だけなので3ヶ月ほどだが、そのお手伝いするようになって10年以上が経過する。ここ数年は、木構造担当の下山さんが授業の最初の日に「木構造設計の基本」という、木造の構造の考え方のレクチャーがあって、それがとっても良く出来ていて、楽しいし私も学べる。学生や工務店や設計者に向けて全国行脚したらどおっ…て、授業後の飲み会で伝えてみた。

授業は意匠担当の米谷さんと構造担当の下山さんと工務店の私の3人チームで担当する。私の役目は「ものづくり」としての建築を伝えるコトで、うちの会社でもそうだが、設計をやっていると、建築が、ものづくりとして、大工さんや職人さんの人の手作業によって造られていくことを忘れがちになってしまう。特に木造は手作業に頼る部分が多い。森林から取れた4mや6mの長さの木材を使ったリアリティーのあるオーソドックスな木造の設計と製図を学ぶ授業でもある…..。

そういえば、私が、木村工務店に入社した当初。今は亡き父、木村正一が木村工務店の専務で、私と二人で住宅の設計のプランを担当していた。その時に、父は、石井修さんと同じ吉野工業の建築学科で学んで、木造の授業が素晴らしかったけれど、お前は、全然、木造のコト学んでないし、解ってないなっ。大学では木造を全く教えへんのやなっ。と何度か言われたものだ。先日亡くなった木村工務店の工事部長だった福本さんの圧倒的な枚数の手書きの「木造の施工図」から木造の設計と木造の現場を学び、その図面を現場で見た、大工さんの立ち居振る舞いと叱咤激励の言葉から木造のリアリティーを理解してきたようにおもう。

「秋と私」そんなメンタリティーな、いまとここ。

地図と社歴

毎月19日に「空き家カフェ」が木村工務店3階会議室で開催されている。もともとは生野区で「空き家リノベーションアイデアコンクール」というのが2015年11月に開催されて、そのアフターコンペとして「空き家を商うあきない話」というトークライブが開催された。そのトークライブの継続性として、毎月19日に空き家をテーマとしたミーティングを開催するコトになり、それが「空き家カフェ」と名付けられるようになった。木村工務店の1階の路面店「まちのえんがわ」が「生野区持続可能なまちづくり活動支援事業」の第一回事業者として2015年に選定されたことが、行政との繋がりになり「空き家カフェ」の開催に繋がったようにおもう。

空き家カフェ」は「生野区のまちの魅力を語る場」として10年間継続開催されている。上の「まちの魅力づくり」は「空き家リノベーションアイデアコンクール」の審査委員長だったgrafの服部さんが、即興的に板書したやつで、それを当時の生野区の課長だった乾さんがグラフィック化した図。それで生野区の元副区長だった竹沢さんが「空き家カフェ」のまとめ役として毎月のテーマを選定してくれているのだけれど、今回は木村工務店の沿革から生野区のまちの変化を考えてみたら…..とお題を頂戴した。確かに、ちょっと面白そうにおもえて、古い地図を調べると「今昔マップon the Web」というのがあると知った。

ホームページの沿革にある写真から、木村工務店の創業は昭和12年、1937年。上の1935年頃の地図の赤い点が木村工務店の場所で、創業の2年前までは、まだ田んぼだったと知る。この地図の2年後には、そこに長屋と事務所と加工場を建築していたようだ。そうそう、そういえば、創業者の祖父と祖母は、どうやって出会ったのだろう…..なんておもった。下の地図はその1935年当時の木村工務店の場所を中心とした大阪と東大阪と八尾で、大阪が大大阪と呼ばれ、船場あたりを中心として大きな町だったと改めて知るし、東大阪も八尾も、いわゆる田舎であったのがよく判る。

1945年の「終戦」という大きな出来事とともに建設請負業を再開し、1949年に株式会社木村工務店を設立したようだ。戦後という時代になって、人口が増え、住まいの必要性が生じ、長屋の建築が増え、学校が増え、銭湯が増えたようにおもう。その需要により工務店が必要とされて、長屋や文化住宅や木造の小学校を多数施工することになった。と記録に残る。下の写真は会社設立の1949年頃の地図で、木村工務店の所在地の赤いマークの周辺が「まち」になっていく様子がよくわかる。

ちなみに黄色い印のところに現在のロート製薬さんの本社がある。1949年当時は田んぼだが、ロートさんの沿革を見ると、この10年後の1959年に、この場所にユートピアのような会社を作ろうと考え「ロートピア」と名付けたそうだ。戦後の人口増加にともない、働く場所が必要となり、長屋で起業したり、大阪の都心から近い田んぼだったこの周辺に工場を建てたりし、ものづくりが増えていく様子がわかる。「ものづくりセッション」の武田さんの資料を借りると、以下のように、大阪では生野区がもっとも事業者数が多く個人事業主や家内工業が多いまちだったようで、いまは平野区に次ぐそうだ。その製造業の事業者数が大幅に減少しているという。

この上の1970年の地図の赤いマークが木村工務店で、密集市街地といわれる「まち」になった様子がよくわかる。黄色い囲みのロート製薬さんあたりに工場も出来ていく様子がよくわかるし、長屋で起業し、商売繁盛すると、大きな工場の必要性が生じ、広くて安い大きな土地を求めて、生野区や平野区や東大阪や八尾に工場が作られ、そういう需要に応えるように、鉄骨ALCの工場を建築したと木村工務店の沿革に残る。下の1970年代後半の大阪と東大阪と八尾の地図を眺めながら、生野と東大阪が、ものづくりの町として、工場が増えていく様子を想像してみた。

古い地図を眺めながら生野区の「ものづくり」を考えていると、松下幸之助さんの起業の地が猪飼野とよばれる地域であったことを想い出して、あらためて調べてみる…..東成区のホームページにこんなふうに書かれてあった。

東成・生野(旧・猪飼野)は、古代から先進的な技術者の集まった土地で、この地の『もの作り文化』は現代にいたるまで、数々の独創的な企業を生み、大阪の経済発展に大きな役割を果たして来ました。幸之助氏がここで業を興したのも、東成・生野の地に、新しい産業を受け入れるだけの多くの先人が耕した、豊かな土壌があったからにほかなりません。

上の1922年頃の地図の黄色いところにあったようだ。
このDNAが生野区の「ものづくり」の「起業性」を育んできたようにおもえてきた…..。

「稲・石・秋刀魚・鮨」

9月連休の日曜日。自転車に乗るのが快適な季節のはずなのに、蒸し暑い。汗湧き出る感じ。こんな暑い夏、初めてだったなっ。で終わらず、秋まで暑さが持続する雰囲気が、凄い。でも、なんか、稲穂は元気な感じがする。調べたら…..

令和7年(2025年)の米の収穫量は、過去最大の増加幅となる見込みで、作付け意欲の高まりから719万トン(前年比40万トン増)が予測されています。九州南部などで7月中旬から早生品種の収穫が始まり、8月上旬から店頭で新米が出回り始めます。 

さて米相場どうなるのだろうか….「実りと祈り」秋祭りの季節だな。

冒頭の写真のミラーの右が金剛山で、今は動いていない金剛ロープウェイの入り口までヒルクライムすると、湧き水を提供している小屋があって、それ目指して登るのが、ちょっとしたモチベーションになっている。人の心理ってオモロイ。湧き水を大きな石のシンクで受けているのが、ちょっとした「好き」。この石どうしたのかっ…..と眺めながら、顔洗って喉を潤す。そうそうたまに自転車で明日香に行きたくなるのも、石を見たくなる衝動がモチベーションになっているからだとおもう。先日見た「江之浦測候所」も石の魅力がたっぷり。石に宿る何か…..。

今年は秋刀魚が大量らしい。鶴橋の「鮨屋」で、大将に、お勧めありますか….て聞いたら、秋刀魚どうですか….今年大量やからねっという。鮨で秋刀魚を食べることほとんどないけど、食べたら脂ものってとっても美味しかった。回転寿司の発祥が布施の元禄寿司で、うちの家から近くなので、できた当時、おじいちゃんが、鮨廻るのってそれっあかんでぇやっぱり目の前で大将が握って手で渡してもらわんとなっ。と言ってたが、いまや回転寿司はインバウンドの人達も惹きつける日本文化になった。

ごくごくたまに、その布施の元禄寿司に行くが「回転寿司」の反動で「鮨屋」のマーケティングとイノベーションがムツカシイ時代になっているとおもう。カウンターで握ってもらう鮨が高級になりすぎて…..。確かに金沢の「小松弥助」は感動したけど….。ちょうどエエバランスの「鮨屋」を継続経営する持続可能性がムツカシイ時代なのだろう。

そうそう「ものづくりセッション」があった土曜日。4組のプレゼンがあって、木原産業の木原さんによる商談の話と係数。オークマ工塗さんのファミリービジネスの話。紙芝居屋ガンちゃんによる電研の紙芝居仕立ての社歴プレゼン。最後が桃谷のピザ屋さんカサディエッロの塚本さんで、懇親会ではうちの加工場のピザ窯を使ってピザを焼いてくれた。同じピザ窯使っても、プロはひと味違うねっ。それで、飲食店業界のことを聞いてちょっと驚いた。起業後10年後には94%が倒産しているという。その要因が、味ばかりを追求するからだ…..という話だった。

これを「持続可能な工務店」に置き換えたらどうなるのだろうか…..社員と一緒に考えてみよっ…..とそんなコトを考えた連休前夜の「ものづくりセッション」だった。「稲・石・秋刀魚・鮨」そして「持続可能性」

「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」

日曜日の早朝。自転車で金剛ロープウェイまで往復することにして、途中、石川の玉手橋で自転車を止めて撮影。映画「国宝」の映像シーンの記憶が残っているのだな。この反対が校舎の見える向きで、ここをわざわざチョイスして、あの映画のワンシーンを作りあげるのかぁ…なんておもった。「風景の中の視覚的効果」という課題を学んだみたらっ!と私にわざわざ本の切り抜きを送って頂いたのが故秋山東一さんで、それ以降、「橋」の見方や「ランドスケープ」に新しい視点が加わったようにおもう。下の写真のイングランドのダラムにあるキングスゲートブリッジが、「風景の中の視覚的効果」の教材だった。その橋で、ひとり佇む秋山さんと撮影する私。秋山さんのピース姿は珍しい気がする…..。

あらためて玉手橋のデザインをみると、橋の入り口付近の両側のコンクリートの塊の頭頂部に、中世ヨーロッパ風というかフランクロイドライト風というか独特の「装飾」があり、吊り橋を吊る主塔の装飾デザインとして使われている。主塔のアーチのデザインもレトロモダン風で、赤い欄干も含めて、全体的に昭和レトロモダンといえるのかも。この橋が、玉手遊園地へのゲートの役目を果たす「非日常への入り口」としての「橋」であったことも考慮すると、映画国宝のテーマにある「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」の導入部として、二人が学生時代を過ごすシーンを、この橋を使って撮影することで、映画としての「風景の中の視覚的効果と心理的効果」を生み出そうとしていたのか….なんて想像してみた。

ワイン会を催した金曜日の夜。戸田木材店の戸田さんとはMOKスクールで知り合いになり、会社に無垢のフローリングの営業に来てくれて、それがとってもマニアックな人だった。同じMOKスクールで知り合いになった八尾の高津木材の若林さんと一緒に食事する機会があって、あれやこれやと「木」のマニアックな話で盛りあがっていると、実はワイン通なのだという。じゃぁ、うちの家で、フレンチのシェフよんでワイン会しましょ!と、トントン拍子に話が進んで、8名の建築関係で「木好き」のひとが集まるワイン会になった。

フレンチの出張シェフの上地くんとは、かれこれ7、8回、家で食事会を開いている。30代後半でお店を持たず出張シェフと料理コンサルタントとして仕事をしている姿をここ4、5年見てきて、その食事のクオリティーがどんどん進化している姿を垣間見ると、あらゆるところで「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」が起こっているようにおもう。このメインのジビエ鴨肉も、いままで食べた事のない焼き加減と食感とソースの組み合わせだった。

戸田さんは用意した11本のワインに自分で試飲した感覚を自分のコトバで書いたワイン紹介のパンフレットまで用意してあって、そのマニアックぶりが伝わるが、本職の木材に関してはホームページで、そのコダワリぶりをより感じさせられる。今回の食事会では、そうゆうオーラのもとでワインを飲みながらフレンチを食べながら話をするので、自ずと「木」に関する「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」の話で盛りあがったようにおもう。

食事会の翌日の朝。うちのキッチンに並んだワインの空き瓶を見て、よー飲んで、よー話したなぁ…..とおもった。

「大屋根リング」という「単位」

どこでも大屋根リング」というのがあると知って、ミナミの御堂筋と周防町筋との交差点、アップルの店舗のあるあたりを中心に置いたら、南北は道頓堀川と長堀通りの間で、東西は四つ橋筋と玉屋町筋の間に挟まれた範囲だった。万博の感覚をミナミに当てはめたら案外狭いなぁ。というか丁度ウロチョロできる良い範囲だな。心斎橋筋商店街を中心にして、ヨーロッパ村と呼ばれていた周辺と、アメリカ村周辺と、道頓堀周辺をウロチョロしている感覚。ちなみにリングの大きさを調べたら…..

  • 全周:約2km
  • 建築面積:約6万平方メートル
  • 高さ:約12メートル(外側は20メートル)
  • 内径:約615メートル
  • :約30メート

ミナミがこんなリングで囲われてたら面白いけどねぇ。 まぁでも、ほとんどの建物がこのリングの高さより飛び出るので、ちょっとアカンかぁ…..。日本のどこかの町に設置したら、どうなるのだろう…..と想像力湧いてくる。こういうソフト作ったひと、なんか好きだな。

ちなみに木村工務店を中心にあてはめてみたら、ちょうど歩いてウロチョロしている「町」の感覚だと知る。この範囲を超えてきたら自転車でウロチョロだな。生野区の東端に木村工務店はあって、だいたいこの円形リングの右=東側に行くと東大阪市になる。なので布施に行くときはママチャリ使う。大屋根リングの半径超えたらチャリンコね。みたいに大屋根リングが「単位」になったらオモロイかも…..。

工務店では、今でも「寸」や「尺」を使う。1尺=0.303mと定められていて、1辺が6尺=1間の正方形を1坪と定めている。なので面積も「㎡」より「坪」の方が感覚的にフィットしやすいので、約10㎡といわれると、坪に換算して、9.9㎡≒3坪で、1坪=2畳なので、約6畳の大きさやねぇっ。と感覚の共有がしやすい。畳が感覚的共有をする単位になっているようにおもう。で、大屋根リング1週ぐらい歩くわっ!といわれたら2kmで、ちょっと距離あるなぁ。とか。半周ぐらいにしとこかぁ。みたいな感覚。直線的に歩いたら615mだそうだ。

そういえば、万博行って、帰る時に、パビリオンの間を抜けて帰るか、大屋根リングでぐるっと回りながら帰るか、選択する時があって、今日は早く帰りたいから直線選ぶけど。とか。距離ちょっと増えてもリング廻ったほうが気分エエし。とか。直線と半周の距離感の違いを経験して体で覚えて夫婦間で共有しチョイスしているのだな。大屋根リング半周。大屋根リング直線。大屋根リング内。そんな「単位」使うかな…..。

ちなみに白川郷は、ほぼ大屋根リング内の集落だった。

万博あれやこれや。

お盆休暇後半。奥方によって万博の予約が2回されてあって、この暑さのなかで行列に並んで待つのは、ほとんど「修行」だな。それで気が付いたことがあって、多くのひとが、長時間並んで入館するのを楽しんでる感じがしたのだ。午後4時すぎ、イタリア館の待ち時間は3時間以上だったので、レストランの列に行ってみると、テラス席なら30分ほどで入れた。夕方で日差しも入らず風吹いて丁度エエ感じ。横の席から聞こえてくる会話は、5時間並んでイタリア館に入った話だった。

その話を小耳に挟んだ奥方は、今度はイタリア館だけ目当てに3時間以上は並ぼうっと宣うのだ。うちのベッショ大工は4時間並んでイタリア館に入場したという。今回から折りたたみ椅子を用意した。椅子に座ってスマホ見ながら音楽聴きながら円形リングの木組みの下なら、なんとか我慢できるかな…もはや「行列メディテーション」になっているとおもう。

そうそう何回か行くと、その木組みの円形リングの貫構造のめり込み抵抗の仕口の違いに興味がわく。建築雑誌にはリングの施工は3工区に分かれ、それぞれの工法の違いが書いてあったが、木村工務店でこの施工に携わったなら、どんな仕口の金物を考えて施工するか、木と木がきしみ合ってめり込み抵抗する方法が他にもありそうな気がするが、構造の下山さん交えて現場監督と大工とでワイワイガヤガヤやったら楽しかっただろうなぁ…..なんておもう。今度、構造の下山さんと飲むときには、そんなのアテにして飲もっ!

竹中工務店の設計部の知り合いのヤマザキさんがプロジェクトリーダーとして担当した「森になる建築」を見る。メチャクチャ暑いなか、中に入ると、クールチューブと氷の椅子で、外部よりずっとましだった。植物由来の樹脂を材料とした、3Dプリンターでつくる建築だそうだ。外観はティピーテントのようで、内部に座るとパンテオンのように丸穴が空いていて、小さくてカワイイ。行列もできずストリートの中に小さく佇んでいるのが、現代的万博らしくて、とってもエエとおもう。

そうそうクールチューブでおもいだしたが、しまなみ海道の宿、輪空のお二人が、万博に行くためにうちの家に立ち寄ってくれた。その時こんなクールチューブが巻かれたザックを頂戴した。凍らせたペットボトルを背中のバックの中に入れて、150ccの水を入れると、胸ポケットに入ったバッテリーとポンプで、その凍ったペットボトルによって冷やされた水が、クールチューブの中を循環するのだ。万博で使ってみると、背中が冷えてとっても心地良いのだ。このお陰で、アメリカ館の行列を待てたが、ペットボトルの氷が、3〜4時間ほどすると溶けて、急にエネルギーが枯渇したアトムのようになって、死にそうな気分になってしまうのだった。

予約で当選したパソナでみたIPS細胞の心臓とかアトムとかも万博的で良かったが、行列もなく、すっと入れた「量子力学」をテーマにした館が、おたくの集まった雰囲気も含めてとっても楽しかった。「量子もつれ」なんていうのが実用化されている姿を垣間見れて、万博っ!て感じ。暑くて我慢できなくなるとコモンズ館を目指した。何回か入館しているが、とってもプリミティブな展示で見る価値はとっても薄いが、行く価値はあるねぇっ!世界にある多くの国々を知れるし旅したい気分にさせられる。その国々の民族の人がその場に存在しているのがエエし。

イギリス館のジョニーウォーカーバーが並ばずに入れること知って、喉渇いたら、IPAビール飲みに2回行った。アメリカ館のレストランも行列の横から入って並ばずにビール飲んだ。スペイン館もレストランの横から入ったら出口にある立ち飲みでワイン飲めると知って2回飲んだ。たぶん、もっと、知らない、いろいろな楽しみ方があるのだろうなっ。ま、どこも高いけど、それはそれで割り切って、お祭りとして楽しむことにした。そんな万博あれやこれや。

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