「心斎橋筋」と「UFOライン」

2024GW後半が始まって、報道によると、家で過ごす人が半数らしい。ワタシもなんとなく、家で過ごす。朝は近くのお風呂屋さんにいって、昼はゴロゴロ、夜は堺筋本町のイタリアンへ食べに行く。奥方によると、なるべく食事を作らないGWは、美味しいもんを食べられるのが、幸せ!という。旅をすると、夜の食事が楽しみのひとつにだし、宿泊するところでの食事が楽しみな時もあるが、素泊まりし、近くの町をブラブラして食事をする楽しみもある。ま、そんな感じで、自宅に素泊まりし、町に繰り出して食事をするようなイメージ。

 

食事が終わって、堺筋本町からブラブラ歩いて、本町から心斎橋筋へ。本町から長堀までの心斎橋筋はガラガラだとおもっていたら、インバウンドで溢れていた。大阪人にとっては、心斎橋筋を歩くと、何の意識もせず左側通行し、行き交うのがフツウの感覚だったが、なぜか、正面衝突する人がいっぱいいて、フツウに笑顔で会話しながら横並びで正面交差する。そうか右側通行するのはインバウンドの人たちだなと気付く。交通規制があるわけでもないが、習慣として、左側通行は、心斎橋筋を歩く文化だったのだな。じゃまじゃまっ!と心のなかで小さく呟いたが、文化の違いで、知らないだけなのだ。

長堀橋を渡って吊り橋構造の心斎橋筋商店街アーケードを見上げる。「ユニクロ」と「H&M」の看板デザイン対決が好きだな。午後9時を過ぎてもインバウンドで賑わう商店街の活気ある雰囲気は好きだが、心斎橋筋を道頓堀まで歩いて私的に残念におもうことは、黒川紀章のソニービル村野藤吾のプランタン高松伸のキリン会館が解体されたことで、インバウンドの方々にも見て欲しい建築だったな。とおもう。ブラブラ散歩の休憩を兼ねて、パルコの地下のJapanese Craft Whisky Bar commonで一杯。夜遅くなっても、まだまだ人通りが絶えない心斎橋筋をブラブラ歩いて、木造木組みで施工した、三っ寺筋手前の心斎橋岩橋ビルをチラッと覗く。繁盛している様子を見るとほっとする。

5日の日曜日。四国の「UFOライン」をライドする。坂坂坂で、あーしんど。で、ようやく峠に着いて景色を眺めたら、疲れも吹っ飛んだが、体も吹っ飛ぶほど凄い横風が吹き荒れていた。峠の標識のある場所で自転車が風で飛ばされないように立て掛け自撮りをしていたら、バイクのおっちゃんが、ここまでよー頑張ったから撮ったるわ!と撮影してくれた。

  

ま、そんなこんなの2024GW後半だった。

ディズニーランドという「経営」

2024GWが始まった日曜日。昨日土曜日は、ほとんどの社員が出勤し、なんだかんだ連休を迎える前の仕事があったようで、30日1日2日は通常通りの営業をし、連休の3日4日5日6日で、店舗の改装工事をする現場もあって、どちらかといえばワタシ的には旅気分でない2024GW。

そんなこんなで家で過ごすGW日曜日。西面と東面の窓を開け放つと、心地良い風が通り抜けて、心地良さを肌で感じ楽しめる、心地良い季節。庭を眺めていると、アゲハが飛んできて黄色い花の蜜を吸う。時折シジミ蝶も軽快に舞う。シジュウガラが「ツツピー」というカワイイ鳴き声で、来ては去り、来ては去り。近隣の物音も静かだし、いつもは近くの内環状線から響く車の走行音も聞こえてこない。GWの下町の静けさ。案外、そんなGWの昼下がりを過ごしていないことに気付く。15時を過ぎてくると曇りだし、本でも読もぉっ、と言っても、最新版が3月に発刊された漫画を読み忘れていた事を思い出し、Amazonから「BLUEGIANTS」MOMENTUM を購入して、Kindle漫画上で、JAZZが流れているNYを旅する、いまとここ。

そうそう、今年のGWは、旅をする気分でないのが、どこに由来しているかに気付く。仕事のせいではなく、3月のmagosの春休み中に、初「ディズニーランド」を体験したからだなっ。このブログに2度ほど登場した結婚式のために東京に行くことになった、その機会を利用して、その前日に「ディズニーランド」に行く計画が奥方によって企画され、アンタ、行くのぉ行かへんのぉっ、と迫られた。二人の息子たちの時は、かたくなに「ディズニーランド」を拒否し続けたが、60を越え、仕事も社員に任せる度合いがほとんどになり、いやそれ以上に、子供と孫とは、全く関わり方が違うというか、愛し方の違いがあるというか、行ってもエエかな…..という気分になる。

しかしながら、この歳で、1時間いや2時間いやいや3時間近くもアトラクションに並ぶと聞かされると、流石にそんな根性はなく、やっぱり勘弁をお願いしようと思っていたら、指定のホテルに泊まり、それなりの金額を出すと、並ばずにアトラクションに乗れる特典がある、そのホテルに泊まるから…..という。

スプラッシュマウンテンとインデアナジョーンズで、ウォーと叫び声をあげているオモロイ顔写真をここに掲載するのは、流石に恥ずかしく、なので、ダッフィーとミッキーに会い記念撮影ができる、その予約を取れる特典があって、ふぅ〜んっと斜に構えていたら、案外楽しく、その写真の一部を掲載する事にした。それよりなにより驚いた事は、私達の順番の前で、ミッキーと記念写真を撮影していた、別々の男子と女子が、とってもファンらしく、そのミッキーに対する愛情への本気度が、凄まじく、ほとんど、人として、愛している姿に、驚き、また来るわねぇ!と何度も何度も挨拶して帰る姿に、感動すらしてしまった。そんなあれやこれやを含めて、ディズニーランドという「経営」に感動した二日間だった。

皆さん、素敵な2024GWをお過ごしください。

時代の変化を実感した夜

雨降る日曜日。桜は散って、緑の葉っぱが芽吹いて、ほんと新緑の季節だなぁ。しっとりした雨で、内省的な気分になって、時としてそれはそれなりにエエなぁとおもう。

木曜日。精親会の101回ゴルフコンペがあって、ゴルフするのは、年に2回のこのコンペだけ。で、毎回成績はそれなり。なので、ラウンド終了後の会食では、練習しよっ。って気分になるが、翌朝になると、まったくそんな気分も吹っ飛んで、毎回ゴルフの前日に庭で素振りして、いざ本番。たまにエエショットでグリーンとらえたり、エエパターが入ってガッツポーズするのが、唯一の救いだけど。やっぱりある程度のスコアがでないと、気分盛りあがらず、へこむよね。そんなことより、この精親会のゴルフコンペが、協力会社やゴルフ好き社員とのコミュニケーションの土壌として、101回も継続されているのが嬉しいし、成績よりそんなことに重きをおきたい!と自分を慰めるワタシ。

そのゴルフ終了後に、京都のマクセル株式会社 – Maxellの「クセがあるスタジオ」の竣工パーティーがあって、ゴルフ場から駆けつける。企業が持つ縁側のような存在だとおもう。木造建築だということもあって、建築家の水上さんと計画段階から一緒にコミュニケーションをしながら、ものづくりを進め、こうやって無事竣工できたのが嬉しいし、なによりも現場監督の山元くんが、その喜びをかみしめている姿に、こちらも喜びを感じた夜だった。

「ものづくりセッション」があった土曜日。社内での開催スケジュールの共有を忘れ、懇親会の準備が出来ず、バタバタ。そのうえ数日前にプロジェクターとパソコンを繋ぐケーブルの断線が発覚し、前日からHDMIケーブルに入れ替える作業などでバタバタ。当日昼過ぎに、なんとか開催できる状況を整えられてホットした。長年やってると、いろいろアクシデントありますね。

ちなみに写真の左端に、屋台の骨組み。その横の朱色の木材は、清見原神社のなかにある稲荷社の回りを取り囲む玉垣で、この加工場で、大工で加工し、塗装屋さんに朱色を吹き付けてもらった。正面左奥には、神社マルシェのための屋台の梱包があって、前日の夕方に急遽多くの社員に手伝ってもらって屋台の材料を梱包し、玉垣も端っこに積み上げて片付けた。スケジュールを共有するって、シンプルな事だけど、忘れるとタイヘンだよね。と内省していたワタシ。

懇親会は小路駅前のたこ焼きジャンボで開催した。その日の印象的だったシーンがあって、たまたま囲んだ10人ほどのテーブルで、なんだかんだ、その日の3人のプレゼンテーターの話題で盛り上がったが、ひょんなことから、このなかで離婚経験のある方、手をあげてっ!と誰かが発すると、7人ほどの手が勢いよくあがった。それぞれの驚きの表情。それぞれの身軽さというメンタリティーへの共感と笑顔。うぉーという歓声。一瞬時間が止まったシーンだった。LGBTQのプレゼン。シェアキッチンのプレゼン。人的資本経営のプレゼン。「時代の変化」を実感する「ものづくりセッション」の夜だった。

花見。地鎮。陽気。

社員と職人さんとで、お花見をした今週4月10日水曜日。木村工務店史上一番遅い開催日のお花見だった。当初の開催予定日より一週間ズラした、その開催日二日前の月曜日。それなりの雨が激しく降って、翌朝の地面は、桜吹雪が舞い散る美しい光景だった。昼からの暖かい気候によって一気に緑の葉っぱが芽生え、満開の桜と緑の葉っぱと桜吹雪とチューリップが混在する珍しい光景の下で、焼肉を食べた。

社員全員が楽しみに集まってくれるのが嬉しいが、それだけでなく、大工さんや手伝いさんたちも、現場仕事が終わってから、わざわざ木村工務店前にあるこの庭までやって来て、わいわいガヤガヤ飲んで食べてくれるのが嬉しい。木村工務店的感覚としては、正月明けの1月6日の初出に、打ち上げられたロケットが、2月の初午祭で、1段目のロケットを切り離なし、3月終わりか4月初めのこのお花見で、2段目のロケットを切り離して、ようやく衛星本体だけの飛行となって、宇宙に飛び立ち周回軌道に乗っかろう!さぁ今年も勢い付けて頑張ろう!そんな気分になる、毎年のお花見だとおもう。

新築の地鎮祭があった土曜日と古民家の着工お祓い式の日曜日が連続した珍しい土曜日日曜日。

地鎮祭の準備のなかで、四周の角に立つ、竹を用意する必要があって、昔からそういう竹屋さんがあり、地鎮祭の前日に間に合うように、瑞々しい竹を切り、会社まで配達してくれた。そのおっちゃんが廃業するという。高齢が原因なのか、いや新築の着工数が減ったことが原因なのか、それとも竹が少なくなったことが原因なのか、聞きそびれてしまったが、世の中の移り変わりゆく様を象徴している出来事のひとつであるようにおもう。

大阪市生野区にあるこの敷地は、前面道路が東西方向に走っていて、西を望むと、阿倍野ハルカスが真っ正面に見える。写真の左奥に薄っすらと写っているが、阿倍野ハルカスは空や雲と同じようなガラス色で、遠くからとっても際立つシンボリックな存在には、ならないように、ちょっと控え目にしたのかもしれない。先日の東京旅行で見た東京タワーは日本国旗の赤白で目立つし、スカイツリーはスカイツリーホワイトといわれる目立つ白だし。そういえばフランスでエッフェル塔を見て一番感じた事はお洒落な渋い色だな…..際立ち方が違うなぁ…..だった。ニューヨークで見た槇文彦さん設計の4WTCは周辺に溶け込み存在が消えるガラス色に、このビルが建設される経緯を汲み取ると、どこか日本的奥ゆかしいカッコ良さを感じた。高いビルや塔の配色って、ムツカシイな。とおもう。

今日は春らしい晴天で暑いぐらいの日曜日。昭和初期に建てられた古民家の改装工事は、おうちソムリエ設計事務所の松元さんが、設計当初から木村工務店と一緒にやろう!ということで、お施主さんを交えた三人四脚で、設計と見積が進められて来て、コロナ禍を経ての4年越しの着工となった。で、古民家の着工前のお祓いの義を執り行うことになった。今まで、そういう件数は、意外と少ないが、やってみると案外エエ感じだとおもう。地鎮祭のように祝詞奏上など一連の儀式は同じだが、鍬入れ等の儀式がなく、その代わりにお祓いが行われるのが一般的。

室内外の全ての扉を開け放ち、神主さんとお施主さんが、敷地の隅々、部屋の隅々を回ってお祓いをする。その間、参列者の私達は椅子に腰掛けてその様子、というかその気配を感じて待っている。春の陽気。とっても心地良い青空。古ぼけてしまった古民家。開け放たれている窓。神主さんがお祓をする気配が辺りを覆い尽くす。その光景を見ながらワタシ、千と千尋の神隠しの一場面で、ハクが白い竜になって千尋を乗せて飛び立つシーンが想い浮かんだ。窓から過去の空気のようなものが解き放たれ青空に飛行機雲のような白い線を引きながら飛んで行ったように感じた。きっと陽気な天候のせいだな。

ま、そんなこんなの、花見。地鎮。陽気。の一週間だった。

神社マルシェと屋台製作ワークショップ

「神社マルシェ」という、5月12日日曜日に、地元の清見原神社の境内で催す予定のマルシェがあって、その屋台を製作するワークショップを開催した日曜日。そうそう、今年のうちの枝垂れ桜の開花はとっても遅く、今日の日曜日で、ようやく8分咲きの状態だった。なのに一部葉桜になって緑の葉っぱがチラホラ。それはうちの家だけの現象だとおもっていたら、清見原神社前の桜も満開と緑の葉っぱの葉桜が共存している状態だった。今年はちょっと特異な桜の季節だな。で、朝9時からワークショップの準備をする予定だったので、朝食として、庭のデッキに出て、ドリップ珈琲に食パン専用の網焼きでパンを焼こうとしたら、火力強すぎて、焦げ焦げになった。桜と焦げた食パンのモーニング。

古くから木村工務店で増改築を施工している清見原神社の境内で、マルシェをする機会がある時には、木工家の賀来さんがデザインし国産杉材を使用した屋台を使って、「空間構成」をしたいと考えていた。というより、木村工務店内でワタシがデザインした国産杉材による屋台があって、それはそれなりの屋台になっているのだけれど、製作のし易さや組み立てのし易さなどを考慮すると、賀来さんデザインの屋台の方が、コストバランスも含めて、とっても良く出来ていた。で、賀来さんにデザインと講師をお願いし、20台の屋台を製作する、ちょっとハードなワークショップの日曜日になった。

なによりもこのワークショップは、マルシェに出店する人たちが集まって、自分たちが使う屋台を製作する共有体験を通じて、チームワークのようなものが醸造できればエエよねぇ…..という目的意識もあったが、皆で製作した屋台を神社に奉納するコトで、神社マルシェを通じた地域貢献をしたいという願いが、一番のコトだったように思う。あっ、それと、なによりもワタシが心配だったことは、20台の屋台が、清見原神社の境内に設置できるのかどうか、バックヤードが確保できるのかどうか、その検証も兼ねていた。

木村工務店の加工場で製作された屋台のうち7台を清見原神社境内に搬入し、皆であーだこーだと話し合いながら設置のシミュレーションをする。境内から西側の遙か向こうにある大阪湾の方角を眺めると、もう既に鳥居の間から夕日が沈む時間帯になっていた。空を見上げると青空。飛行機が、鳥居の真上を通過して、東側の生駒山の方角に、白い一直線の飛行機雲を引いた。「ワークショップでのハードワーク、皆さん、ご苦労さまでした」と労ってくれたような気がした。

それはそれとして、何よりもハードなシゴトをしてくれたのが木工家賀来さんで、朝の9時前から二人で、20台分の材料を切り分けるための「木取り」をする。最大長さは、杉角材の30mm×40mm長さ1720mmで、スキーケースかスノボケースに一台分の全ての材料を入れ込んで、持ち運べる「木取り」に気遣った。木材からの「木取り」を考えすぎると「気取りすぎ」になるし、「木使い」にいつも「気遣う」のが、工務店だなとおもう。二人で神経質になりながら80本の30mm×40mmの杉角材で、20台分の屋台の材料が、キッチリ取れた時は、二人で、ニタニタしあった。

工務店では、大工さんをサポートする仕事の事を大工さんの「手元」をするって言う。magoがふらっと私達の様子を見に来て、賀来さんの手元をかってでた。その姿を眺めながら、前日の夜は、現場から帰ってきた平星大工に残業をお願いして、杉板材の木取りをしてもらったし、今日は賀来さんに朝から杉角材の木取りをしてもらって、ワタシはその手元をして、大工さんのサポートを数十年ぶりに体験した。そういや、高校生の頃、父から手元のアルバイトを命じられて、5000円もらったけど、あれ、きっと父のポケットマネーだったのだな…..。なんて、とってもハードだったけど、エエ日曜日だった。

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