「ダンス」

朝の天気予報は降水確率0%とアナウンスしていた雲ひとつ無い秋晴れの日曜日。長男の小学生になる子供の運動会があって、端的にいえば孫なんだけど、私も長男も孫も同じ公立小学校に通う。運動場に立つと自分自身の運動会で走った時のあの大きな歓声と長男が小学生の時に親として聞いたあの歓声とが聞こえてきた気がした。

コロナ禍の影響で、全学年の父兄が運動場に集い、トラックの周りにシートを引いて座ってお昼ご飯を一緒に食べるあの光景がない。1、2年生と3、4年生と5、6年生のそれぞれ3組みに分かれた父兄が時間帯を分けて入場する。父兄は歓声を発することもダメだそうだ。ガンバレー!なんてコトバを発せられないのはちょっと寂しい。生徒達は全学年揃って一緒にそれぞれの競技を応援していたが、父兄は入れ替え制なので、他の2組みの競技は見ることができない。

早朝からの席取り合戦がないので、席の後の方から観客の頭越しに我が子の姿を追いかけるイライラ感がない。1年生の競技の時は2年生の父兄が後に下がって1年生の父兄が最前列に出て我が子を応援する。1、2年生の競技が終了すると父兄は退出し、3、4年生の父兄が入場する。極めて合理的で父兄の鑑賞する時間のムダもないので、これはこれで良いような気もするが、運動会というフェス感は皆無なのだ。そういえばオリンピックもフェス感がなかったしね。それよりコロナ後の来年はどんなスタイルの運動会になるのだろうか。興味あるなぁ…..。

玉入れがあって、それは未だに紅白に分かれ赤と白の帽子を被って赤の玉と白の玉を投げて最後にひとーつふたーつと一緒に玉を勘定し数の多い方が優勝になって勝った方が万歳をするっていうスタイルが、いまだに守り継がれていて、今回は同じ数の玉だったので一緒に万歳をしていた。木村工務店の宴会でも万歳三唱は最後の締めとしてちょっとした気恥ずかしさも感じながら守り継いでいるが、生まれて初めて大人数で万歳を体験するのが紅白玉入れなんじゃない…..とおもった。

そうそう紅白玉入れにもスタイルの変化があって、玉入れの前にダンスをするのだ。それがカワイイ。音楽に合わせてまずダンスをし、曲の変わり目で円陣が崩れて玉入れをする。円陣に戻ってダンスして玉入れしてまた戻る。ダンスはいいなぁとおもう。全学年の生徒入場では皆でダンスをしていたしマツケンサンバがかかるとみんなノリノリだった。パリオリンピックでは、野球や空手はないが、ブレイクダンスが競技種目に入るらしい。ダンスって人間の生命に内在しているような気がするし、鳥だってダンスするしね、生命活動の根源的なところにあって人間のエネルギーを解放し生きるエネルギーを活性化するような気がする。そういえば子供たちのダンスにフェス感があって、そのうち運動会フェスとして観客も一緒にダンスする時代になるのかもね。

秋晴れはエネルギーを解放させるよね。

「くびれ」

気持ち良い秋空と秋風の日曜日。家の窓を開けて風が通り抜けるのが心地よい季節。なかなかクーラーと縁を切れなかった夏がようやく終焉したような感じ。久しぶりに自転車に乗って大阪城を散策してみると多くの人が散歩し木陰や芝生の上で寛いでいた。テレビをみるとウクライナのあの瓦礫の光景があったりするなか、こんな自由と平和のある光景を見られるのが心地良いが、さまざまな感情も湧いてくる。

我が家をリフォームした時、中庭にあった土をよけてコンクリート製の敷板に変えた。それにともない土植えのモミジや手水鉢もなくなって、光庭となり、ちょっとストイックでミニマリズム的な気分になって、それはそれで良かったが、長いコロナ期間中なぜか不思議にも「緑」を渇望する気持ちがじょじょにじょじょに芽生えてくるのだった。それで鉢植えの観葉植物をちょっとずつ買い足して、いまこんな状態になった。こういうタイプの植物は剪定せずジャングルのようになったら嬉しいとおもう。

光庭の時は夜が寂しい感じだったが、観葉植物たちが加わってから夜景を楽しめるようになった。祝日の夜に秋風とともにこの中庭のライトで照らされたうねりくねった葉っぱの観葉植物を眺めていると、この夜景に対する潜在意識のどこかに先日の夏旅で見た函館の夜景があることに気付いた。一度ぐらいは見ておこうという観光気分で訪れた函館山展望台だったが確かに美しい夜景に遭遇しワタシの記憶に残ることになった。時折iphoneの写真を見返す時があって、なぜ美しいのだろうかと考えるようになり、あっそうそう録画してあったブラタモリの函館山の夜景はなぜ美しいのかを想いだし再視聴することにした。

「くびれ」なのだとあらためておもう。砂洲によって大陸や大きな島と地続きになった島を陸繋島(りくけいとう)というらしいが、そういう地形になる地殻変動とか波や風や沿岸流その他さまざまな自然界の力が長い年月に渡って加わり続けることで「くびれ」が発生したのだと知る。世界中にあるさまざまな美しい景観は自然界の突発的な大きな力が何度も加わった結果として生まれたものだとブラタモリをみていると感じる。

↑ ↓ 是川縄文館で見た土偶

女性の身体の優美な「くびれ」や男性のマッチョな「くびれ」も内面的な力と外面的な力の作用で造られていくものだとおもえてくるし、そういえば縄文土器や縄文土偶の魅力のひとつは「くびれ」なのだとおもう。縄文人もなんらかの心の内からの力と外部環境による力の作用と反作用が長年に渡って継続したことによってあの「くびれ」が発生したのだと、あたりまえといえばあたりまえのことなんですが、あらためてそうおもう。

縄文時代は1万年近く平和な時代が続いたらしい。建築費が高騰する昨今。世界は繋がっているし、いままで世界の平和によって日本の価格も安定していたのだな。自由と平和な社会であって欲しいな。なんてあらてめて感じる秋の穏やかな日曜日だった。

台風接近前。

台風が接近し「経験したことのないような暴風、高波、高潮、記録的な大雨のおそれ」とアナウンスされると、工務店の現場監督は、現場の足場やバリケードは大丈夫かどうか、なんともいえない緊張感がはしり、社内にもそのムードが漂う。近畿地方で19日「線状降水帯」発生の恐れとアナウンスされると、2018年台風21号の被害とその翌日から会社に掛かってきたもの凄い数の電話の事がよぎり、あんな事態になって欲しくないと願う。工務店という立場は「激しい雨や風」というコトバに呪縛されるのだ。無事な台風通過を祈りたい。

先週は台風接近前に地鎮祭と上棟式があった週で、どちらも晴天に恵まれたが真夏のような暑さだった。土地探しからお手伝いし、それなりの住宅地なのに前面道路に給水の本管が完備されておらず、それなりの高額な私費を投じて家の前まで本管を引く必要があって、行政に交渉にいくなどし、ようやく地鎮祭を迎えることができた。給排水がきっちり整備されているのが街づくりと快適な都市生活の基本のようにおもうが、そういうところに「こそ」税金をきっちりと投入して欲しいなとおもう。そんなことを呟きたくなる昨今なのだ。

矢部さん設計のコンクリートに木造の外壁が取り付くハイブリットな住宅の上棟式があった。「中心のある家」のようなコンクリートで囲まれた部分があって、そこに型枠大工の親方と造作大工の親方の両方が参加する珍しい組み合わせの上棟式となったが、夏のような暑い日だったので、ブルーシートで養生をしていたため、ちょっとしたサウナ状態だった。コロナ禍なので現場での祝宴は止めて頂戴した折り詰めを持ち帰り、うちの家で矢部さんと二人、あっ途中から専務が参加してワインの空く本数が3倍速になったが、上棟を祝う宴が深夜まで続いた。

そういえば、その夜。建築関係あるあるなんだけど、この夏旅で「こんな建築を見た」というiphoneの写真をテレビにキャストし、それをアテに飲んだ。

↓ 八戸美術館。「ジャイアントルーム」と「個室群」というのが特徴らしく、『「ひと」が活動する空間を大きく確保することで、「もの」や「こと」を生み出す新しいかたちの美術館として、新たな文化創造と八戸市全体の活性化を図ることを目指します』と書かれてあって『美術館活動に主体的に関わる市民を、アートでコミュニティを耕して育む「アートファーマー」と呼び・・・』とあった。

美術館のなかにアートファーマーのための居場所を造るってムツカシイテーマだなとおもう。行政の人だけでは使いこなしきれない空間なのかも。空間を使いこなすプロの手助けが必要なのかも。なんて感じながらぐるぐる回って居心地の良い居場所を見つけられず外に出た。八戸の飲み屋街に辿り着いて、居心地の良いスケール感にほっとして、まちのひとと楽しく夕食を共にした八戸は、また立ち寄りたいまちだった。

夏から秋にシフトチェンジしたつもりだったのに、ここ数日の暑い天気が夏の記憶を呼び戻させる感じ。9月の連休はここ数年、台風と遭遇する連休のような気がするが、秋の到来を告知するだけの、おとなしい台風であってほしいとおもう。

中秋の名月と微笑み

中秋の名月だった土曜日。その日開催された「ものづくりセッション」が午後8時過ぎに終わって、片付けも終わり、家に帰って中庭からふと空を見上げる。SNS上に中秋の名月の写真がアップされていたからなんだけど、中庭の開口部の隙間から満月が光りを放っていた。ちょっとした疲労感が、充実感の光りに転換され満たされた感じになって微笑みがこぼれた。満月を眺める日本の風習があって良かったなとおもう。

「ものづくりセッション」というのは、行政マンのタケダさんがお声がけをする生野区のものづくり企業の面々が中心となって、デザイナーやコンサルタントや中小企業支援機関、学校関係者や行政の方々などなど、ものづくりに興味がある多種多様な人々が集まって、自ら手を挙げてプレゼンターとなり共有された話題に、選出されたコメンテーターが口火を切りながらも、皆で共感したり、違和感となえたり、あーだこーだとコメントしながら楽しむ会合で、なんだかんだいいながら午後4時から4時間ほど続くが、案外退屈もせず飽きない。今回は3人のプレゼンターだった。

製造業でもクリエーターでもないフツウの女性が、生野区のものづくりの技術とデザインを繋げたいという。娘さんが服飾デザイナーを目指す専門学校に通いものづくりを学んでいるそうで、そのクリエイティブな姿に触発されているのだろうか。アルマイトの技術に魅せられて、それを何かのデザインに結びつけたいというプレゼンだった。まずはやってみよう!という身軽な行動力。「やってみなはれ!」という大阪人の精神文化をこれから受け継ぐのは、大阪のおばちゃん的若い女性なのかもしれないとおもえた。

絵本作家の女性が、創作活動と社会貢献と収入との狭間で揺れ動く自分自身のメンタリティーを、自らデザインしたキャラクターを登場させながら物語化し、その語り部として、プレゼンターとして自分のコトを客観的に参加者に伝えようとしたその姿が、いかにも絵本作家的な魅力にあふれ楽しかったが、これひょっとしてある種のセラピーのような時間だったような気もする。プレゼンのひとつにあった閉じられた店舗のシャッターに描かれたキャラクターが、その店のことや店主のことやまちのことを物語っている。そんなシャッターがあるまちも確かに楽しそうだ。

紙芝居屋のガンちゃんという方のプレゼンには独特の魅力があった。それはオトナの紙芝居だった。SDGsを意識する内容もあったし、オトナ的にモノを大切にしようという気分にさせられる内容もあり、常に笑いを誘うシーンがあった。ある企業の商品を販売員の方に知ってもらう販促のための紙芝居や企業研修や教育、社会問題の啓発を促す紙芝居など、可能性を秘めていた。パワポで説明するセミナー講師と一線を画する魅力があり、それはひとつの話芸としての職人技術を修練しているからだとおもえた。紙芝居の内容をお客さんに繋ぐ役目が「紙芝居の人」の大切な役目だと公言する姿勢に、紙芝居の新鮮な魅力を感じた。

お客さんに木村工務店の家づくりを知ってもらうための紙芝居とか。うちの社員や職人さんや協力会社に工務店としての建築というものづくりの姿勢を共有するための紙芝居とか。そんなのをガンちゃんに笑いも交えて語ってもらうことで、伝わり共有できるのなら、何時か依頼したいなという気分にさせられる、落語のようなプレゼンテーションだった。

そんなこんなで、その夜の中秋の満月に微笑みがこぼれたのは、3人の魅力的なプレゼンテーションの余韻と会場の参加者の暖かい眼差しの余韻があったからだとおもう。あっそれと、この加工場で、この催しを開催できるように早朝から片付けや設営に協力してくれた社員や手伝いさんのお陰があってこその微笑みでもあった。

想像力。

先週。木村工務店の加工場でタバタ大工が手加工をしていた。「鑿ノミと金槌カナヅチ」のコンコンとリズム良い音が事務所まで響く。その音感がとっても心地良い。矢部さん設計のRC住宅で、コンクリートの躯体の外にカーテンウォールのような木造の外壁が取り付く。RC造と木造のハイブリッドでどんな住宅になるのか想像してみた。昨年は木造住宅を2棟だけ手加工で上棟したが、木造技術の伝承として、大工の楽しみとして、これからも細々と手加工を継続できれば嬉しいが、作業を見守りながら、大工の手加工が重宝される時代になるのか、これからの時代背景を想像してみた。

↑ 廃校になった生野区の御幸森小学校がNPO法人IKUNO・多文化ふらっとさんと株式会社RETOWNさんとの地元のNPO法人と区外の企業がタッグを組んで、それぞれの持つ強み・ノウハウ・ネットワークを活かし共同事業体として事業を行いながら、多文化共生と地域活性に同時に取り組んで、生野パークとして運営していくという。かつて音楽室だった教室をその多文化フラットさんの事務所としてリノベーションを設計施工させて頂いた。吉野杉の床を貼って一部の壁と家具を造っただけなんですけど。子供達が集まってくる居心地の良い空間として使われればとっても嬉しいし、それより運動場がどんなオープンスペースとしての「いくぱー」生野パークになるのか想像してみた。

↑ そうそうちょっと前の週末。次男に誘われ家族で京都に行くことになって、夕方の1時間、皆と別れ、長男の誘いでマゴと3人で、ブライアン・イーノの美術展に行く。「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです。」と入り口に掲示されてあった。なるほど。店員さんが私達3世代の珍しい観客に気を利かしてくれたのか、記念写真を撮ってくれた。

↓ その京都の夜。皆で「梅の湯」という銭湯に行った。サウナブームなので若い人を中心にいっぱい。久しぶりに京都のまちを歩いたけど、想像力をかきたてられ、やっぱりエエよね。

「旅」っていうのも、「ありきたりの日常を手放し自分の想像力を自由にする機会」なのかな。って考えていると、2022年の夏旅で八戸のまちを歩いた記憶がフラッシュバックしてきた。


↑ 八戸の夜。夕食をもとめて、みろく横丁という小さな店舗が立ち並ぶお店のひとつに入って食事をする。ひとりの常連さんとは明日の日曜日の港で開かれるカオスな朝市の話とか。青森のこと八戸のことなど教えてもらう。あるカップルは結婚を申し込むため両親とお会いしたその日の夕食なのだという。私達夫婦は旅の途中の通りすがりの旅行者。一緒に居合わせた地元の人と、なんてことない会話が記憶に残ったりするし、さまざまな想像力をかきたてられたりするのが面白いのだとおもう。

確かに「ありきたりの日常を手放し、自分の想像力を自由に発揮する」機会っていうのも必要だな。とあらためておもう。

ギアチェンジ

風が肌にあたると夏の終わりと秋の始まりを予感させられて「おどろかれぬる」という俳句のコトバが浮かんできた日曜日。土曜日の夜はマゴ達が花火に興じて閃光とともに夏を静かに見送る姿に、8月が終わるあのなんともいえない寂しさが襲ってくる小学生の頃の気分を想い出した。夏休みのあいだ庭に置いてあったプールを奥方と長男妻が二人で片付けて、女性たちの秋へのギアチェンジだなとおもった。ワタシは夏休みの「旅」で出会った「縄文ランドスケープ」を振り返って秋へのギアチェンジにしようとおもう。

↑ 北海道・北東北縄文遺跡群の岩手県側にある御所野遺跡は山の幸に恵まれた気持ちの良い場所で草屋根に覆われた縦穴住居が特徴的。草屋根って縄文時代からあったのだとあらためて感じ入った。こんなところでキャンプできれば最高だなとおもう。一番最初に穴を掘って住む場所を決めた住居は何れなのか。最初にテント張る場所って迷うよね。

↑ 秋田県側にある伊勢堂岱遺跡に行くと環状列石だった。とっても気持ちの良いランドスケープのなかにある石の円環に佇むと、盆踊りのような祭りの踊りと歌声が聞こえてきそうな気分になった。先祖とか繋がりとか祭りを大切にしたのだろうか。生憎天気が悪く白神山地を望むコトはできなかったが、定住したくなるほど眺めが良いエエキャンプ場なのだろう。

↑青森県側の大湯ストーンサークルは30年以上前に訪れて以来だったが驚くほど整備されていた。二つの大きなストーンサークルの中心に建つ石柱は夏至だったか冬至だったかその日没に一直線上に並ぶという。雑誌ムーのオカルト的な話題性のある場所で神々のピラミッドと表現される黒又山がこの黄色の矢印の方角に見えるはずなのだが生憎の天気だった。そういうオカルト的な話は時として旅のアクセントになって楽しめる。

↑ 北海道函館の大船遺跡は太平洋を見下ろす高台にあるとっても居心地の良い敷地だった。こんな敷地で3軒の家をこんな感じで計画できたら面白いなとおもうが、それにしても現代的な住まいとして、この写真のそれぞれの家族のように、庭を共有したり入り口のアプローチを共有したり、いわゆるフリーサイトのキャンプ場のように敷地境界の塀もなく家のなかだけでプライバシーを確保できれば良しとして土地を購入し隣人と敷地を共有しながらゆったり暮らす現代人が増えていく可能性ってあるのだろうか。

そうそうスノーピークのキャンプ場はゴルフ場だったところに本社とミュージアムを建て広大なフリーサイトのキャンプ場になっていた。縄文遺跡と同じような雰囲気がある。というより全国のゴルフ場をキャンプ場にすれば芝生で景色も良く池もあり最高なんだろう。そんなところをフリーサイトのような住宅地として家を建て庭を共有しながらゆったりと暮らす新しい住宅地を想像してみた。↓

夏が過ぎ 風あざみ
だれのあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様

なんて井上陽水の歌詞が唐突に浮かんできたが、木村工務店でも夏模様から秋模様にギアチェンジして精進していこうとおもう。

旅のルート。

夏旅でこんなルートを巡った。

夏休み休暇2ヶ月ほど前。奥方が新潟の三条にあるスノーピークが空いてたから押さえておいたよぉ!という。二人でキャンプをするのかとおもっていたら宿で寝て宿で食事し新しくできたサウナに入るのだという。ここ最近は奥方の方がすっかりサウナ通だ。息子達が高校生になるまでの夏休み休暇は、ほとんど宿泊はキャンプで、最後の一泊だけそこそこの宿をとるというのがひとつのパターンだったが、35年ぶりに夫婦二人だけの夏休みを過ごすことになって、正直、戸惑っているのはワタシだった。

4年前のGW。新潟から信濃川を遡り、火炎土器を巡る旅をしたが、その時は軽井沢で息子家族と合流し、大阪に戻った。20年前のキャンピングカーに乗っていた時は、新潟を通過し山形県の酒田まで北陸道を一気に走って宿泊し、青森の亀ヶ岡や三内丸山など巡って折り返し、乳糖温泉などに入りながら、当時東京で下宿していた息子宅でギュウギュウ詰めで寝て、大阪に辿り着いた。さて大阪からせっかく新潟まで行って、そのまま大阪方面に戻るのか、東北まで目指すのか、あれやこれやと迷ってみた。

ここ数年の1週間ほどの旅は、Google地図によるルートのシュミレーションとナビゲーションができること。インターネットにより宿の予約が取れること。その二つの恩恵にあずかることでワタシの旅が成立しているとおもう。

2015年の息子と二人のイタリア旅行では、iPhoneでGoogle地図を見ながらレンタカーで移動し、前日に次の日の宿をインターネット予約することで、ミラノからベネチア、フィレンツェ、ナポリ、ローマと建築巡礼できたが、それはまったく息子のパワーのお陰だった。夫婦二人でそんな感覚で日本を旅するのもエエが、アクシデントで大喧嘩に発展する可能性も大いにあって、歳も歳なので、まずはGoogle地図上でシュミュレーションをすることにした。

秋田から八戸のルート上に世界遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石、御所野遺跡、是川遺跡があって、この縄文街道ルートは土器以上に土偶と縄文ランドスケープを体験できる楽しみがある。八戸のまちを歩いてみたい衝動もあったので、移動距離は270kmほど、見学の時間を含んでも一日の旅程としてはほどよい感じだった。

これをメインルートとすると、さてどうやって大阪まで戻るのかに悩む。青森から大阪まで自走するのもたしかに車旅の達成感はあるが、奥方が喜ぶ姿をどうにも想像できなかった。そうそう青森から北海道に渡り苫小牧からフェリーで敦賀に行って大阪に戻るパターンがあることに気付く。お互い函館に行ったことがないので観光気分を満喫できそう。津軽海峡を渡る青森から函館は4時間ほどかかるらしいが、大間から函館は90分ほどだと知ると、脳裏には大間のマグロ丼がちらついて、大間 → 函館、苫小牧 → 敦賀のフェリーの予約状況をインターネットで確認し、その空き日の組み合わせから宿泊地と日程が決まった。

一日目は大阪から580km走行で新潟泊。二日目は新潟から秋田泊の移動は330km。三日目は秋田から八戸泊の270km。四日目は八戸から大間まで走って函館へのフェリーに乗船し北海道へ渡り函館泊の170km走行。五日目は函館から洞爺湖泊の220km。六日目は洞爺湖から苫小牧港への150km走行でフェリー宿泊。7日目の20時30分に敦賀港に到着し175kmの走行で大阪に帰り着く。総距離約1900kmの車旅。最終日として函館から白老町のウポポイに立ち寄って一気に苫小牧港まで行き日程を一日短縮しようとしたが、フェリーの空き状況でこんな旅程になった。

ちなみに旅の宿は奥方が全てネット予約したが、どんな建築でどんな内装の宿か、どんなお風呂でサウナがあるのかないのか、どんな夕食でどんな朝食か、奥方の好みとその日の予算で決まった。それなりのホテルもあり、シティーホテルやフェリーの部屋など、なぜかいわゆる温泉と温泉宿が選択肢に入らなかったが、フェリーの中にもサウナがあって、7日間のうちまる1日以外毎日のようにサウナに入った。

今回の旅の衝動を振り返ってみると、企業活動の興味としてスノーピークの本社とキャンプ場を見てみたかった。燕三条のカトラリーショップを巡ってみたい。秋田のまちを歩いてみたい。八戸の夜のまちを歩きカオスな朝市を体験したい。函館のまちを歩いてあの夜景をみたい。北海道・北東北縄文遺跡群の特に縄文土偶と縄文ランドスケープを実際に見て体験してみたい。アイヌのウポポイの建築とランドスケープを見学したい。大間岬と津軽海峡と大間マグロ丼へのほんのりとした憧憬。フツウの車でホテルを転々と旅をしまちを歩いてその土地の美味しいものを食べてみたい。そんなこんなの気分だったが、でもなんとなく「建築的なるものの何か」が旅の潜在的な興味だったようにおもう。

この夏のとっても不順な天候に翻弄されながらの車旅になったが、それぞれの「土地と建築と食べもの」の印象については、またいつか。

「旅」

津軽海峡を渡る大間から函館へのフェリーのなかでこのブログを書く、いまとここ。夏休み休暇を利用して久しぶりに「旅」をすることになったが、生憎にも東北地方の線状降水帯による大雨土砂災害警報とか台風接近とかに翻弄されながらの「車旅」になった。大阪から新潟三条泊 → 秋田泊 → 八戸泊 → 下北半島の大間へ。もうすぐ北海道に上陸する。

秋田から八戸への道中は「北海道・北東北の縄文遺跡群」を見て回る1日になったが、縄文人は丸木舟で津軽海峡を移動したらしい。八戸の是川遺跡にいくと「行きかう土器とヒト」というタイトルだった。この地方の土器が日本各地で発見され各地を移動した痕跡があるという。大間崎から北海道という島を眺めると確かに渡ってみたい衝動に駆られるが、凄い潮流だな。津軽海峡を目の前にして演歌が流れているなかで食べるいかにも観光客向けの大間のマグロ丼が、本州最北端の大間崎に来たのだぁという気分にさせられた。

ま、そんなわけで、「旅」の途中でもあるので、この旅の印象またいつか。
とにもかくにも、木村工務店では8月18日から通常営業です。

地車とマッキントッシュ

鐘と太鼓が鳴り響き、3年ぶりに地車(だんじり)が、まちなかを駆け巡った今週。木村工務店前に地車が停止し、2階事務所にいた社員が1階の路面に集まって、地車の頭(カシラ)の威勢の良い『打ーちましょ』の掛け声と皆の手拍子「ドンドン」、『も一つせ』「ドンドン」、『祝ぉて三度』「ドドンがドン」と大阪締めで祝う。粛々とした気分を皆で分かち合うのが心地良い。

木村工務店の氏神さんは清見原神社で、この地域には地車が4台あって、それぞれの町の若者が地車を曳いて回りながら、氏神さんの福を町中に撒いてまわるのが、地車のひとつのありようにおもう。祝儀を渡し皆一緒に大阪締めをし福を分かち合う。久しぶりに町のなかに鐘と太鼓と掛け声が響くと、まちの邪気が払われ清らかになったような気がした。

木村工務店では先々代から清見原神社の建物に関わっていることもあり、氏子総代会の一員として木村家のバトンを繋いでいるが、お祭りの前には氏子総代会の数名が神社に集まって町の安全無事を祈願する。町のことを祈っている人達がいる。そんなことが綿々と続いていたとは総代会に参加するまで知らなかった。今年は巫女さんの神楽も奉納された。そういう役目を引き継いでいこうとする若い女性にバトンが渡った姿に接すると不思議な感覚になる。

それはそれとして。その巫女さんが振るう神楽鈴が心地良く雑念が払われ頭がスッキリとした気分になるのは、きっとその音波に科学的な根拠があるのだろう….とググってみると「ソルフェジオ周波数 528Hz 癒やしの音」なんてでてきたが、よーわからず、ほどほどでこのネットサーフィンはプルアウトした。

その「音」ついでに。生野区の「BARソケット」の大熊さんが、マッキントッシュ240という真空管アンプを手に入れたというので、視聴にいく。とにかく真空アンプとしてのデザインがカッコエエ。フツウは背後にあるコネクター類が左サイドにあってそのテーパーの角度やコネクターのデザインがモノ心を刺激する。スピーカーALTEC A7とのマッチングも良くなって音もシュッとして響きすぎるわけでもなく低音もフツウに輪郭のある音がそこにある感じで、良い音のスタートラインというかスタンダードを視聴した感覚。

建築でも良い建物としてのスタートラインに立つようなスタンダードでフツウに良い家が工務店の仕事なのかとおもえるが、今はそんな家造りがハウスメーカーで、工務店はそんなスタンダードで良い家を理解したうえで、それぞれのお客さんの個性を反映させていくのが、これからの工務店のシゴトのような気がする。心地良い「音」と心地良い「家」。どちらも奥深い。

木村工務店では8月11日から17日まで夏休み休暇を頂戴します。皆さん良い「夏」をお過ごし下さい。

DX化と企業文化・風土

コロナ感染拡大の影響が木村工務店にも襲ってきた今週。油断していたわけではないが、唐突に、社員とその家族が陽性者や濃厚接触者になって、自宅待機者が3名になり、流石におもうように仕事がはかどらない状況。日本の会社のどこにでも起こっている現象のようだし、フェリーとかバスも一部運休しているようなので、陽性者の自宅待機の期間設定をもっと短く設定してもエエのではないかとおもう。重症者以外もうPCR検査は必要ないような気もする。

皆で助け合ってこの状況を乗り越えていくしかないが、こういう状況の時に、業務の助けになっているひとつにDX化があるとおもう。DXとはデジタルトランスフォーメーションの略らしい。経済産業省の定義では「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。」となっている。

木村工務店ではサイボウズというスケジュールや掲示板を共有出来るソフトを1998年8月から運用してかれこれ24年近くなる。現場の報告などは掲示板を使って共有しているので、それなりのDX化の歴史はあり、社外からスケジュールや現場報告を共有できることが、会社ではあたりまえのコトとして定着しているが、請求書は、いまだに紙で、DX化にはほど遠い感覚だった。

それが電子帳簿保存法とやらが2024年から本格的に施行されることになって、その対応を今年の春から数ヶ月模索し、先月からデジタル化による請求書を回覧する仕組みを社内で構築して試験的に運用を開始したばかりだった。それまでは画板に現場ごとの紙の請求書をバインドし印鑑を押して回覧していく昭和的な仕組みで、机に積み上げられた請求書の画板が月末の社内の伝統的な光景だったが、先月からパソコン上のデジタルな回覧になってプロセスが大きく変化した。それによって出勤できなくても社外から請求書を査定できる仕組みになり、働き方改革としてコロナ自宅待機者に少々の貢献ができたのかもしれない。

zoomによる打ち合わせがフツウな感覚になって、遠く離れた人と移動しなくても時間だけ共有すればどこででも打ち合わせが可能になったのは素晴らしい進化だとおもう。その経験を通じて最近社内で取り組んでいるDX化に、現場監督や設計担当者が現場の状況を携帯電話の動画でリアルタイムの報告をする仕組みで、その時はzoomでなく⁨wherebyというソフトで現場の定例報告を実施している。社内の誰もが経理の担当者でも現場の状況をリアルタイムで一緒に共有することで、なによりも、ものづくりの「感覚の共有」をできることが大切な感じがしてくるし、社内に建築という「ものづくりの一体感」のようなものがうまれてくるような気がする。

たしかにDX化が企業文化・風土の変革に繋がれば…..とおもう。

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